はてなキーワード: 深層心理とは
備忘録的に。
なお、特にはてな関係の言葉の用法は間違っている可能性あるのでご指摘ください。
5年くらいROM専。
ニュース色々回るツールの一つに、スレイプニルスタートを使っていたのだが、
そこでついでにブコメも見る感じ。
アンケート答えたら緑色のスターあげるよ!みたいのを見たので登録。
(ちなみにまだもらえていません)
その後ある記事でスターを集めているブコメが、リアル知人のハンドルネームに似ていて、書いている内容もいつも言っていることで
知人がブクマカなのを知り、じゃあやってみるかとスタート。皆さんもリアルバレが困る人は気を付けてください。
・スターは意外と簡単につく。総計の確認方法はわからないけど、たぶん計3000くらい。多いのか少ないのかもよくわからない。
星集めを意識的にしているつもりはないが、自分に嘘をついているだけでそんな思惑が深層心理ではあった可能性は否定できない。
・野球は話題として人気ない。特に日本のプロ野球。層が違うのかな。
ROM専の時は、認識しているブクマカは二人だけだった(しかも名前は覚えていなかった)。
一人は光属性さん(ファンです)、もう一人は野菜運動瞑想氏(目立つ)。
今は、「この人はこういう考えなんだなー」と思う人が10人くらいいる。
・「こんなことも知らないの?」と思ってしまうこともある一方、
知らない知識も多く仕入れられる。最近役立ったのはアサシンの綴りの覚え方(ass-ass-in)。
・議論には向かない。自分のブコメに反応があっても、それに返信する手段がほぼない。
「そういうことじゃないんだよ!」は最悪良くても、「間違ってたごめん!」って思っても
返信できないのは結構ストレス。スターがついていると下手に消せないし。
・分断は結構深刻。両極端の人々がそれぞれ自分に都合のいい記事に、都合がいいことを言っている。
自分からははてサと呼ばれる人々の方がより極端に見えるが、それは自分側の主義主張の所為かもしれない。
・100文字制限は意外とちょうどいい。もう少し、と思うこともないではないが、創意工夫を生むしこんなもんかも。
ダイアリーの方に「どうせブクマカのやつらは」というのを見て驚いた。
ずっと同じ枠内と思ってたけど、考えてみたら違うのは当然か。
だったのに、そこに「コメを書く」が挟まるので当然。
そこまで困ってないけど、いずれ困ったらあっさりやめるかも。
はてなダイアリーやはてなブログが記事元の場合は、その増田向けも
なくはないが、基本はブクマカ同士で共有するコメントなんだな、と。
当たり前だけど書くまで考えもしなかった。
他にも思い出したら追記予定です。
■これを書いている最中にはてなからメールが届いて、星総数を教えてくれました。
約5000でした。数字は良しとして、今までそんなメール来てないし、凄いタイミングだし、
なんか転送みたいな書式だし、なんだこれは。はてなの仕様がよくわかりません。
・知人の件は「うっかりみつけちゃったけど、見ない方がいいなら見ないようにするよ」と話を通し、
本人からも「隠しているわけじゃないから」と了解貰っているので、たぶん大丈夫!ついでに自分のIDも教えてある。
・メールの件、ご教授ありがとうございます。
たしかに迷惑メールフォルダに入っていました。なんで今日だけ、普通に届いたかは謎ですが…。
・正確に行くと、期間は17日、ブクマ数は450件、星の数は5565でした。
…たぶんわかった上で優しく、触れてないだけだと思うけど。ありがとうございます。
・はてなダイアリーとはてな匿名ダイアリーは違うのか!また一つ真実に近づいた。
少し前にはてなダイアリーなくなりますと聞きながら、まだここにあるのにと思っていました。
・星の数、やっぱり多いんですね。星くれた方々、ありがとうございます。
平均を計算してくれている方いるけど、中央値はたぶん星ゼロです。
一部でどーんと跳ね上がっている感じでした。意外なのが跳ね上がりますね。
ニュース見ていつも適当に考えていることをだらっと書いているだけなので、
ブクマ数が多いとはあまり思っていませんでしたが、仕事忙しくなったら減るかもなので、ある意味今過剰かも?
・光属性の人は、なんかラブラブな増田とかにわざわざIDコールされてきて光に焼かれている様が
・アサシンの綴りは、とりあえず「アサシンの綴りはass-ass-inなんだぜ!」と言って
二回ほど笑いを取れましたので、とても役立っていると言っても間違いはないと思います。
お礼にミシシッピの綴りの覚え方です。 m-iss-iss-ipp-i と覚えるけど、assのように面白くないので実用的にお使いいただければ幸いです。
(近親者の死・犯罪に出くわした(または起こした)
当事者としての体験・その他多大な失敗・失恋・負傷・疾病など)などによって形成されると考えられる。
また「心に大きな傷を負った」場合は「トラウマ(心理的外傷)」とも呼ばれ、
その後の当人の行動に多大な影響(例:パニック性障害・強迫神経症・赤面恐怖など)を及ぼすことが知られている。
またトラウマになるほどでなくても、たとえば頭髪の薄い人は「うすい」「ハゲ」「フサフサ」といった
発音や語句・また自分の頭部への他人の視線などに、自分でも気付かぬうちに敏感になることが多いが、
これは「頭髪が薄い自分」を認めたくない・できれば打ち消したいという意識や願望が、
自分の無意識部分や深層心理の中へ影響を及ぼしている典型的な例であるとも言える。
さまざまな局面に直面することで初めて意識レベルの段階へと表面化する
(就職試験・プロポーズ・入試・スポーツの大会・自動車の運転など、極度の緊張を強いられ、
俺は、人のことを決め付けてモノを言う奴が嫌いなんだが
(○○する奴は×× とか、 ありえねぇと一刀両断する奴とか)
アトラスのゲームはPSPのペルソナ3とvitaのペルソナ4、真女神転生4とファイナルをプレイしたことがあります。ペルソナ3と4は特に、社会に馴染めない悩みを抱えた若者たちにより添い、共に歩んでいく弱い人間によりそうような優しさがあり、とても好きでした。こんな感情をゲームから得られるなんて思っていなかったので、本当にアトラスという会社はすごいゲームを作る会社だと、大好きになりました。プレイステーションの3も4も持っていないため、ペルソナ5はプレイできていませんが、アニメは見ていて、同じような優しさを感じるので、やっぱり好きなだなぁと思い、vitaでこのゲームが出たので買いました。ですが、このゲームにはそういった優しさは一切感じません。同性愛者をただゲームのネタのセンセーションな一部として扱っているような感じと、製作者の偏見が全面に出ていて凄く残念です。
ここだけは納得できない。
特にペルソナ4は完二の扱いというかその恋心の表現がとにかく「ゲイに対する偏見」から始まっていて不愉快だったよ。
ハッテンぼくのまちのアレは思春期特有の深層心理から来ているだろうしステレオタイプで少し不快だったことはあれどまぁ許せなくはないんだけど、その後に出てきた直斗との恋愛とか、完二に対する周囲の扱いがとにかくゲイを笑いにしようという悪意に満ちていて不愉快だった。
例えば直斗は(登場当初は)少年として描かれていて、その頃から完二は直斗に一目惚れしたかのような描写があったんだけど、最終的に直斗が女だとわかって安心してるけど、この表現は今回のキャサリンの一件と対を為している描写じゃん。
「自分がゲイじゃなくて安心する」って言う表現は同性愛者からすれば結構絶望的な描写だったぞ。
P3もP3で、(ファンからは色々言われている)P3Pでは女主人公が小学五年生の少年と特別な関係になったりと(P3の男主人公は小学生の女の子とは特別な関係になれない)、性愛に関しては奔放にやってるアトラスだから、そのノリと同じノリでP4の完二、キャサリンのリンと描いてきてるわけだから「アトラス追いかけてて今更そこ?」って思ってしまう。
もちろん女神転生シリーズのYHVHだってどう考えても海外展開できないわけで、アトラスはいろんなものを「センセーショナルなゲームのネタ」にしてる。
黄身の両側についてる白いヒモみたいなやつ。すごく気持ち悪い。生で食べる時なんかは絶対取り除くし、ゆで卵とか食べる時も毎回「このどこかにカラザが…」と思っちゃう。
多分すごく"自然"っぽさが出るから嫌いなのかな。私が今生で食べてるこのドロドロしたやつは、鶏のなり損ないで、グミとかそういう一から人間が作ったやつじゃなくて、たしかに鶏のお尻から出た"自然"のものなんだ…っていうのを実感してしまうから気持ち悪い。"自然"っぽさが嫌い。
同じような理由で、果物の種とか、ヘタの部分とかも見るとゾワっとする。あ、実際に木になってたんだコレ…って感じで。房の状態のぶどうとか絶対食べられない。"木になってた感"がすごすぎる。みかんとか、桃の缶詰は好き。"自然"っぽさが全然ないから。
"自然"っぽさが嫌いだって友達に言ったら、「お前は今、生き物として終わった」と言われました。
追記:ブコメとかありがとうございます。生理的な嫌悪感だと思ってたんだけど、たしかに命を奪ってる罪悪感的なものも深層心理にあるのかもしれない。頭がついてるエビとかを剥いて食べるのも苦手だし…
魚が切り身のまま泳いでるとは思ってないです。むしろまるまる一匹の、その姿のまま海で泳いていたんだ、ということを強く意識してしまうからこそ、捌いてない魚より切り身が好きなんです。
自分の口の中とか性器とか排泄物は、別に、そこにただある分にはなんとも。食べて、飲み込めって言われたら嫌ですけど…カラザも食べるんじゃなくて、ただ見るだけなら嫌悪感とかないです。これ書いてて思いましたが、ただ「好き嫌いがやばい」ってだけなのかもしれない。
15年ほど前に同じように会社行けなくなって、鬱で2年休職して、そこから同じ会社で復職して15年以上元気に働いてる自分からも言わせてくれ。
元増田は
「人とのコミュニケーションって生きてる限り続くと思う」
から、「医者に行っても無駄」って思ってるのかもしれないが、そうとも限らないぞ。
とにかくまずは、会社に行けない・動けない・日常生活がままならない現状を打開しないとメンタルだけでなく身体がやられてしまうから、
寝れるだけのためだけもいいんで病院行って薬もらってくれ。
んで、肝心の
「人とのコミュニケーションって生きてる限り続くと思う」
の部分だけど、身体休めて自分を見つめなおす機会ができると、考え方も変わってくる。
多分自分も「人とのコミュニケーションって生きてる限り続くと思う」に縛られて、無意識に気を使う人生を送ってて、病んでしまったんだと思う。
それは「体外的な自分への評価」といった外面を気にする性格であり、八方美人タイプなんだと思う。意識してなくても。それが悪いとは言わないよ。
「体外的な人との付き合いには常に穏便な関係で居なくちゃいけない」という深層心理に縛られてしまって、常にいい顔しないといけないって思ってしまっているんだと思う。
「自分の価値観」が幼いころからそう植え付けられてきてるものから来てて、そう簡単に変えられないものというのは重々承知してる。
自分も似たようなものだったけど、2年休職して考え方が随分変わった。
・それで付いてこない人はもう放っとけばいい
・そんな対応でも付いてきてくれる人には、自分に無理のない範囲で付き合いを続けたらいい
・その対応で嫌われたら嫌われたでいいじゃん
・とにかく自分にストレスのない付き合い方をして、合う人は合うでいいし、合わない人に無理して気に入られようとはしない
等々で考えるようになった結果、復職して15年もそれなりに自分の生きたいように生きて、仕事も順調で(たまに病むけどこの時ほどではない)、人間関係もそれなりに上手くやってます。
なので、先のことを考えるよりも、今は治療に専念して、その結果新たな価値観が生まれる可能性も十分にあるので、今はまず心療内科に行って、対処療法でいいから治療して欲しい。
心療内科も先生の合う合わないがあるから、行ってみてちょっとでも先生に嫌悪感を抱いたら、無断ですぐ次の病院を探すぐらいのドライな考え方で良いよ。
その世界では、誰もがプリティでキュアな存在、プリキュアに変身できた。
物心ついて、そのことに気づいた2人は、悲しみにくれた。
何度試しても、変身はできない。
2人は、この世界では凡人にすら達していなかった。
そんな2人ではあったが、周囲の人々は、とても親切に接してくれた。
そんなささやかな日常は、仮面をつけた者らが世界に現れることで壊される。
仮面ライダーを名乗る彼らは、次々とプリキュア達を襲っていく。
全員がプリキュアであるがゆえに、悪意や犯罪に免疫のなかった世界。
OMENライター666を始めとするライダー達に、抵抗できる者はいなかった。
プリキュア達がドキドキする暇もなく、ライダーは、その身ぐるみをHUGか、心臓(ハート)を鋭い爪で鷲掴み(キャッチ)していった。
街に溢れるのは、血しぶき(スプラッシュ)と、ひめいと、殺人者(キラ)。
魔法つかいの救世主(イエス)はどこにも見当たらず、圧倒的な突撃(チャージ)に世界はコウフク寸前だった。
それは、平和な日々しか知らない世界にとって、最大限(マックス)にハート〝な状況だっただろう。
あまりの惨状を目の当たりにして、ホカノとサナギは、気を失う。
彼女達にとっては、ライダーこそが「衝撃をもたらすもの(ショッカー)」だった。
2人は、気絶している間に、不思議な夢を見る。
夢の中で、ホカノとサナギは、全人類が仮面ライダーである並行世界の住人だった。
仮面ライダーが増殖しすぎた世界から、新天地を求めて並行世界へと送り込まれた尖兵。
それが、ホカノとサナギだった。
2人は、気がかりな夢から目ざめたとき、自分達が2匹の巨大な毒虫に変わってしまっているのに気付いた。
あの夢が見せたのは、真実だったのだ。
2人は羽化し、あれほど焦がれた「変身」をしていた。
その姿は、決してプリティではなく、キュアからもかけ離れていたが、この世界で2人だけが、悲しみと絶望を知っていた。
ライダーに対抗できるのは、
世界広し、
といえども、彼女達だけだった。
2人は、優しかったプリキュア達に報いるため、「大きなお友達」として戦った。
EXILEだ。
EXILE達は、全人類がEXILEグループになった並行世界から、重戦機に乗ってEXILEしてきたのだ。
彼らの掲げるスローガンは、LOVE、DREAM、HAPPINESS。
EXILEのタイミングずらして回るやつに巻き込まれ、倒れていくプリキュアとライダー達。
そのエグい行為は、万死(die)に値したが、プリキュア達に、なすすべはなかった。
ランニングマンに仲間達が次々とちぎられ、ライダー側の大将は、もはや裸同然だった。
プリキュア世界の崩壊かと思われた瞬間、世界に現れたのは、栗まんじゅうだった。
栗まんじゅうは、停戦を呼びかけるとともに、これまでの全てを語り始めた。
あんな夢も、こんな夢も、全ての夢(All I Want)を叶えてくれるロボットだ。
彼らは、栗まんじゅうを、倍々に増殖させ始めた。
そして、増殖を続ける栗まんじゅうの扱いに窮し、これらを宇宙に投棄したのだ。
栗まんじゅうは、増殖を続け、やがて、互いに引き寄せ合って結合し、星を形成する。
栗まんじゅう製にして、
栗まんじゅう性を持つ、
この星を遠くから観測する者がいたならば、きっと、虚空に1つの巨大な栗まんじゅうが浮かんでいるように見えただろう。
さらに、栗まんじゅうは増殖を続け、やがて、シュヴァルツシルト半径が星の半径を凌駕し、ブラックホールが形成される。
ブラックホールは、増殖を続け、自らの存在する世界を満たすと、他の並行世界へと進出して、あらゆるものを吸収していった。
Vtuberを。
コンビニを。
赤字国債を。
ワカメを。
あらゆる存在は、事象の地平面のかなたへと消えていき、漆黒の棺へと埋葬された。
ある因果律の狂った並行世界では、スマブラザ参戦者であるカービィを吸収した。
「それゆえに」、吸収した対象の能力をコピーできるようになった。
ブラックホールのヘヴィーな力は、知恵の実もろとも彼らを吸収した。
(ホカノとサナギは、知恵の実の話を聞くと、なぜか本能的な恐怖を感じた。)
それ以来、栗まんじゅうは、知性を獲得した。
このまま続けていれば、並行世界全体を包含する多次元宇宙が崩壊してしまうからだ。
こうして、栗まんじゅうは、プリキュアやEXILEの元にやってきた。
栗まんじゅうは、多次元宇宙の崩壊を防ぐ手段として、Vtuberを吸収して得た、バ美肉の能力を用いた。
そうして出来た新しい世界では、1人1人の人間が、それぞれ内に秘めた並行世界(コスモ)を持っているのだ。
人々の歴史と記憶は改ざんされ、各グループの増殖スピードは抑制された。
記憶が消されたとはいえ、人々は、潜在的な記憶から影響を受ける。
複数存在したプリキュア世界から生成された人々は、プリキュアのアニメの作り手や重度のオタクになった。
人々の深層心理に強く刻まれたホカノとサナギは、初代主人公のモデルになる。
栗まんじゅうはというと、あらゆる能力を手放して、1人の人間になることにした。
栗まんじゅうは、気付きつつあった。
知覚はできなくても、どこかにきっと他の多次元宇宙があることに。
どんなにコントロールしようとしても、人々の愛と欲望がある限り、また、何かが増殖し続けてしまうだろうことに。
この多次元宇宙もやがて何か一色になり、他の多次元宇宙と争いになるだろう。
その結果、運が良ければ、各多次元宇宙は、1人1人の人間に生まれ変わるだろう。
きっと、こうして歴史がくり返されてきたのだ。
究極にして思考できる栗まんじゅうは、1人の人間、栗子になったのである。
今度は、美味しいものが食べられると良いな、と思いながら。
女性話法では
・結論を導くための前提条件がとても多く
・多方面に目を配って
・巧みに反論できない前提を持ち出して
・とどめに私はこう思うからこうと感情を持ち出す、感情を論理では否定できない
~年前、~の時、~だった、などを根拠に持ち出す。適切・不適切など以前に過去の事実は出典となる参考文献などが無い事が多く検証するのは難しい。
めっちゃあるなこれ。女だけだよなこれやるの。
女性は配慮してるのに男は配慮しないとか言ってるバカ女は男がこれやらないのに感謝しろよ。
男は女がこれやるたびにキチガイって思ってるけどな。
男は言わないだけで、めっちゃ思ってるけどな。男がこれ指摘しだしたら女の9割9分は発狂して死ぬ。
「あなたと結婚して、わたしはこのまま年をとっていくだけ―」などと述懐口調で言い何となく責任があるような気にさせるなど相手に負い目、引け目を感じさせる。第三者を味方に付けるなど有利な状況を作る。
仔細な部分に話を進める。重箱の隅をつつくような話をする。
よくわからん。
都合良く使い分ける、二重規範
時と場合により固定観念を根拠に持ち出す、固定観念を否定する、適用する基準・規範を変えるなど場合によって都合よく使い分ける。
めっっっっちゃ多いがこれは男もよくやるから女性論法とは言わんのでは
幸福、人権、差別、平和、平等、個性、変革、愛情など反対しにくい価値観を前提にして話を進める。議論で優位になるが、自我中心性が強過ぎる場合en:Social justice warriorと呼ばれるなどのトラブルが発生する。
これやるやつは本当に女の割合が圧倒的に多い。
「私は~でないと幸福にはなれない。~を否定すると言うことは、私に幸福になって欲しく無いということである。」。「こんな~にはもう耐えられない。」「好きな相手と一緒なら、どんな事にも耐えられるんじゃなかったのか?」「そう。好きな相手とならね。」。などという論。個人の感覚は正誤の問題では無い。反論は不可能、議論が平行線になる。
しねばいいのに
これも女に限った話ではないだろ。
頭がすごくいいか頭がすごく悪いかどちらかの人間がよくやるな。
謝れないのは男のほうが傾向強いと思ってたが、女でも謝らないやついるのか。
男とか女とか関係なくただのアホだろ。
夢の中ではめちゃくちゃ鮮明な文章のイメージが見える。起きてる時に文章を画像で思い浮かべることはとてもできないので不思議だ。
この夢を見る時は寝てるか起きてるかギリギリのところなので、下手に意識して読もうとすると起きてしまう。訓練の結果、起きないまま少しは内容が読めるようになった。
肝心の文章の内容は支離滅裂だ。文章として成立してない。字面だけはそれっぽい。
恐らく夢を見る過程では言語野を使わないことに原因がある。記憶だけでそれっぽいイメージを作っているわけだ。
次の目標はこの文章をしっかり覚えて現実で記録することだ。ひょっとしたら深層心理とか予知夢とかアカシックレコードとか書かれてるかもしれない。
元来は反ポリコレな性分で、はてサやらツイフェミやら蛇蝎の如く嫌ってたんだけど
コケにする為に頻繁に見てた彼ら彼女らの発言が深層心理に影響を与えたようで、
信じられないことだが、知らぬ間にポリコレが自分の中に根付いてしまったようだ。
ここ最近は反ポリコレ的な冗談に全く笑えなくなってきてしまって自分でも非常に驚いている。
ネットやらバラエティの「ブス・ヤらせろ・ババア」みたいな暴言も笑えなくなったし、
「やっぱ韓国人どうしようもねえな」「こいつらホモかよ」みたいなのも全く受け付けなくなった。
3年くらい前まで自分が発言する側だったのにな。実社会でそういう発言する奴に出くわすと
「うーわ、こいつ真性のアホだな。」とドン引き、必要最低限の接触にとどめ、距離を置くようになった。
「好きの反対は無関心・アンチは実質ファン」とよく言うけど元々そういう素質あったのかもしれんな。
キズナアイ騒動も普通にあちら側に賛同してた。個人的に最も考えが近かったのはイスラム研究者の池内恵。
彼がオタク連中から親の敵のように表現の自由棒で猛烈に叩かれてるのを見て、暗澹たる気持ちになった。
シュナムルの意見も「そら、それくらいの子を持つ親なら当然の意見だろうよ。」と思ったし、
直近のグリッドマンも「天下の円谷も落ちたもんだな。円谷英二が草葉の陰で泣いてるぞ。」と思った。
これは洗脳されてるのだろうか、それとも単純に人生経験と共に考えが変遷したのだろうか。
いつもいつも、頭の中がいっぱいになったときに、気づくとキーボードに打ち込んでいる言葉がある。
メールを打っている途中、上司から詰められた後、ミーティングの議事録で話が追えなくなった瞬間、決まってこの言葉がキーボードに打ち込まれている。打ち込んでは消し、消してはまた書いて。そして消す。
いったい、これから先に何をしたいのか、これから先に何をしなければいけないのか、これから先に何をしてはいけないのか。
頭の中がいっぱいになって、脳からこぼれ落ちた言葉が神経細胞をかけめぐり、腕を通って手から発散される。そこには何のアイディアも考えもない。自分の深層心理の雄叫びがこの言葉なのだとしたら、あまりにも冷たいじゃないか。
でも、自分の脳が地球外生命体からのシグナルを媒介する電波塔になって、俺の手を勝手に操作して何らかのメッセージを送っているのだとしたら、それはそれでロマンのある話だ。
ぜんぜんわからない、俺たちは雰囲気で演技を語っている、ってやつだよ。
だからパントマイムみたいに大袈裟な動作や表情で、感情を伝える演技が求められた。
1930年代からトーキー映画が始まって、より自然な演技が求められるようになった。
役柄の生い立ちや深層心理まで想像して「なりきって」いくというもの。
ロバート・デ・ニーロとか有名だよね。
タクシードライバー役をやるために実際にタクシードライバーになったりする。
そうやって役柄との一致率を高めていく。
一時期は、このメソッド演技法が「名優の条件」みたいな扱いだった。
たとえばどんな役も上手く演じる「カメレオン俳優」が評価され、
逆に「何を演じても同じ印象」みたいな俳優を演技力がないとするのは、
共演者と協調しにくいとか、台本の変更に弱いとか、精神的肉体的に負担が大きいとか。
「台本どおりにやれよ」と言ってメソッド演技を嫌う監督も多い。
だからハリウッドの俳優たちも全員がメソッド演技をやってるわけじゃない。
多くの人が演技を評価するとき、何らかの価値観を前提に置いている。
極論、「棒読みが悪い」とされているのは「声に感情を込めるべきだ」という価値観があるからだ。
でもなぜ声に感情を込めるのか?を突き詰めれば「好み」としか言いようがない。
「だって現実には無感情な声を出す人なんていないだろ?」というのも
誰々の演技が上手だ下手だというような記事をいくつか読んでも、
「この人はこういう演技が良いと思っているんだな」ということしかわからない。
映画の題材、割り振られた配役によって、求められる演技も違ってくるだろう。
「俳優の演技が下手」なのではなく「キャスティングが下手」なのかもしれない。
どんな演技だろうと映画がおもしろけりゃいいんだよ!ということかもしれない。
でも自分の嫌いな演技が目につけば映画全体もつまらなく感じるかもしれない。
演技を気にしていない観客のほうが、より多くの映画を楽しめるのかもしれない。
飲み会とかでいきなり「心理テストやりまーす」とか言って、4枚くらいの絵を見せられて好きなのを選ばされた。
なんでもそのうち一枚を選ぶと「あなたは深層心理的に同性愛者の傾向がある」そうだ。
他の人でその絵じゃないのを選んだ人は「うっわ、あっぶねー。セーフセーフ」とかはしゃいでた。
自分はそのテストを知っていたのでわざと同性愛者のものを選んでおいたらやっぱり言われた。
「増田くんて、コッチ(てのひらを口元で立てる)なの?」
さあ、どうでしょうねと適当に笑ってたら、他にアウトの絵を選んだ人がいて
「おまえらつきあっちゃえよー」
「やだー、お似合いー」
とか盛り上がってた。
自分以外の絵を選んだ人はそんな空気を読んだらしく、「え?そんな。トゥンンク」みたいな態度とってた。
ここでもし本当に「あ、自分ゲイなんで。そのテストあたってますね」
って言ったらどうなるかなと考えた。