はてなキーワード: 活動休止とは
そして更に一人が療養状態になり
何十億稼ぐというのがイメージだろう。
そうした収益には
スパチャでは全くたどり着けない。
大量にお金を払ってもらわなければ
質にこだわる桜井さんが選ぶいわば
(もちろん、尺だとか内容もあるので
一概には言えないが)
これはもうめちゃくちゃレッドオーシャンで
正解もない。運も才能も、時間もいる。
誰も見ない。
緑の人なら麻雀
青い人は、ソロライブなどそれぞれ
良い流れが来ていたにも関わらず
リスナーはグッズが欲しくて買うというよりは
お金を払うのだ。
推しが喜ぶことは
そしてそれはリスナー同士でも行われる。
出来ることにつながりますか?
グッズ集めやファンクラブがそういう場で
廃課金前提のために
人は変化するので
常にいないと新陳代謝が起きず
過疎って終わります。
どの分野でも同じです。
接触機会も失われ
番組を見せられるだけになり
グッズは売れず、人は離れます。
見込めたかもしれませんが
すごく残念です。
本人たちの努力が
何十分の1の効果にされているようで
とても悲しい。
辞めることはありえます。
辞める前に
しっかりたっぷり予防しなければならなかったし
辞めることすら想定に入れておいた
残ったメンバーも不幸です。
正直色々難しい。
裁判の経過を追えば完全にアウトだとわかる。
松本人志側が延期から取り下げをぼかしてる時点で完全にアウトです。
ソース:
『復帰できれば松本の勝ち」って言ってるけど、干されたわけではなく、活動休止を決めたのは松本さん自身だからね。自分が決めた活動休止を取り消すのが勝ちか?』
これも良く聞く勘違いなんだけどさ
松本は生放送の自分の番組に出ようとしたけど、結局出来なかったんだよな
スポンサー都合で出れる番組はあったかも知れないが、出れない番組もあっただろう
しかも、お笑いっていう職業上、週刊誌報道に対して何かしらの根拠がないと、どうしても性加害者扱いされながら笑いを取るというのは難しいんよ
だから、物的証拠がないことを認めさせて、スポンサーにも視聴者にも松本が性加害者と扱われない根拠を作る必要があったわけだな
結末としては松本人志が訴えを取り下げることで終わったわけやけど、これ法律家の立場からすると
訴訟を取り下げておいて勝ちなんてないだろうって意見があるんだけど、それが素人考えなんや
目標を達成する為にやるもんなや
松本人志にとってのワーストケースシナリオって、性加害が事実であるという扱いになって、あらゆる芸能活動の道が閉ざされることなんよ
しかし、文春が物的な証拠なく記事を書いたいた事を公式に認めた為、今回の結果を受けて芸能界への復帰が叶うことになるだろう
ただ、勝ったとて最大5億(実際はそんなに取れない)、復帰するまでにさらに数年かかることを考えたら、訴訟を取り下げるほうが圧倒的にコスパが高い
じゃあ取り下げて復帰するのがベターだよねって話になるんや
法律家特に弁護士なんかはみんな松本人志がうまくやったことを褒めてるということだけは伝えおこう
こういうトラブルでやっちゃいけないことをやるべきってコメントを他の記事で見たから否定しておくね
「もっと早く謝ってたらとっくに復帰出来ていた」
このウソがスターを集めててしかも非常に危険な間違いだから指摘しておく
謝るって言うのは、それだけ被害に対する事実認定に使われてしまう
意図的なトラブルなんかでは、あえて謝ったら許すと言って謝罪を迫っておきながら、謝罪をしたことをもって被害の事実認定に利用するというのは常套手段なんだよ
やりたいなら一生毎日天に向かって謝り続けたらいい
誰も止めない
やっぱりブクマカは法律素人の精神勝利と自分の納得感を重視するタイプが多いんやな
そもそも本当に松本が負けたと思うならそんなに怒る必要ないんやで
松本が本当にやったことに関して適切な罰を受けることが確定したなら、誰も怒る必要なんてない
死刑になるべきひとがを無罪放免なら怒るのは、分かるけども死刑になるべきひとが死刑になっても怒る意味がないんよ
実は、ブクマカは自分の態度で松本が勝ってしまっていることを自分で認めてしまっているんや
思い通りになって良かったねと
なんで怒ってるの?って話だけどさ
『復帰できれば松本の勝ち」って言ってるけど、干されたわけではなく、活動休止を決めたのは松本さん自身だからね。自分が決めた活動休止を取り消すのが勝ちか?』
これも良く聞く勘違いなんだけどさ
松本は生放送の自分の番組に出ようとしたけど、結局出来なかったんだよな
スポンサー都合で出れる番組はあったかも知れないが、出れない番組もあっただろう
しかも、お笑いっていう職業上、週刊誌報道に対して何かしらの根拠がないと、どうしても性加害者扱いされながら笑いを取るというのは難しいんよ
だから、物的証拠がないことを認めさせて、スポンサーにも視聴者にも松本が性加害者と扱われない根拠を作る必要があったわけだな
※特定を防ぐために細かな設定などを改変していますが、受けた被害は全て事実です。
色々と落ち着いてきたので、大分昔のことですが今回は自分が誹謗中傷されていた時の話をしたいと思います。
普段長文を書くことに慣れていないのですが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。
私(以降A)は主にYouTubeで歌ってみたなどの活動をしています。
詳細は申し上げられないのですが、界隈で名前を出せば半分くらいはくらいあーあの人か...と分かってもらえるくらいの知名度ではあると思います。
SNSでファンアートを募集しており、定期的に反応して気に入ったものがあれば(ファンアートはアイコンに使う場合があるという注釈を書いた上で)アイコンに使わせていただくこともありました。ありがたいことに多くの方に描いていただいております。
ある時、私が有名になる前から交流のあったイラストレーターさん(以降B)もファンアートを投稿してくださったのに気づいたので、お礼のリプを書きました。
それから数時間後、Bさんは「私の絵はアイコンに使ってもらえなかった、差別だ」と愚痴をツイートしていました。
私はDMで不快にさせてしまったことを謝罪した上で、全員のイラストをアイコンに使うわけではないことなどを説明しましたが、反応はありませんでした。
分かっていただけたのかな、と思い安心してその日は寝ましたが、ここから地獄が始まりました。
それまでほとんど誹謗中傷なんて来ることのなかった自分の質問箱サービスが、その日を堺に「早く◯ね」 「障害者」 「生きる価値がない」など何十件もの罵詈雑言で埋まっていたのです。
その文章はBさんの文体によく似ていたため、もしかしてBさんが関係しているのでは?と考えてBさんのリプやDMに「何か知っていませんか」と何度も質問を書きましたが、まるで隠蔽工作をするようにリプ元の投稿を次々と削除していきました。
それどころか、私のDMを晒して「こいつに誹謗中傷されていると決めつけられた、事実無根なのに」とツイートされてしまい、Bさんにもそれなりのファンがいたのでそれなりに拡散されてしまいました。
もちろん決めつけるような言動は一切しておらず、本当に何か知っていませんか?と聞いただけなのですが、これは私の不手際かもしれません。
精神的に参ってしまった私は1ヶ月近く活動休止を発表しましたが、その間にも山のように誹謗中傷が届き、メンタルの弱い私は一時は本気で死ぬことを考えました。書き込まれたIPアドレスは一応分かっていたのですが、当時一応学生だったため開示請求などは金銭的にも非常に難しかったのです。
そんな時、質問箱はIPアドレスがSNSのログイン必須にすれば誰が書いたのか特定できることを知り、気づかれないことを願ってっそりログイン必須にしてみました。
案の定、届いた誹謗中傷のログを確認すると「全て」Bさんのアカウントから書かれており、それ以前のIPアドレスもBさんのアカウントの書き込みと全て一致していました。
めちゃくちゃ驚きましたよ。「たくさんのアンチが生まれたと思っていたのに、実は全部1人で書いていた」ってことが分かったんですから。
あと、調べたところBさんは自分の通っている高校の教師や友達の個人情報を出して何度も陰口をツイートしていることが分かりました。
もう無理だ、と思った私は「Bさんから誹謗中傷を受けていた、向こうは事実無根と主張しているが事実です」という発表をしました。(同時にBさんの高校にも高校関係者の陰口が書かれているとこっそり問い合わせました)
Bさんは速攻でアカウントを削除して転生を繰り返していましたが、「校長先生を交えて話し合いになった、もう学校に行けない」という書き込みを最後に放置され、現在どうしているのかは分かりません。
私はBさんの絵がとても好きでしたし、たかが高校生の将来を潰してしまってよかったのか、と今でも悩むときはあります。
この話でみなさんに言いたいことは、「君が心配するほどアンチは多くないこともあるよ!」ということです。ふと見れば、活動休止中も心配の言葉をかけてくださったり、手を差し伸べてくれた方がたくさんいました。もしこれをご覧になっていて誹謗中傷に悩まされている方がいたら、ぜひ諦めないで行動を起こしたり、周りに助けを求めてほしいです。
最後に、活動休止中も励ましてくれた友達には本当に感謝しています。今では親友...といっていいか分かりませんが、少なくとも私はそう思っています。大好きです。
Vtuberじゃないけど、ガールズバンドのボーカルが突然妊娠発表して活動休止した時はショックだった
前から結婚してたのかよ!と思ったもんな(デキ婚ではなく前から結婚してたらしい)
別に女を売りにしてるわけではないし結婚報告をしなきゃいけないとは思わないけど、いきなり妊娠発表されたらなんか段階すっ飛ばしてる感じがして、距離を感じるんよ
アイドルグループの嵐が、デビュー25周年を迎えた。活動休止中にも関わらず特設サイトができたり、映画館でのイベントを打ったりしていて、ファンはお祭り状態だ。
かくいう私もファンの一人である。私は嵐がデビューした99年生まれで、10歳のときにファンになった。それから小学生時代、中学時代、高校時代、大学時代と、青春はすべて嵐だ。
初めてコンサートに行った日のことは今でも覚えている。11歳の時に当たった、「君と僕の見ている風景」の国立公演だ。
私は都心から電車で1時間くらいの場所に住んでいるが、当時は「都心に行く」ことそのものが冒険だった。ベティーズブルーで買ってもらったピンクのトップスを着て、母親と、久しぶりに会った友達親子と電車に揺られて会場に向かった。お昼は乗り換えのために降りた新宿で、当時滅多に行けなかったスイパラに行って、ケーキを頬張りながら「何歌うかな!?」ってワクワクしてた。
コンサートが始まるともうそれはそれは夢みたいな時間で、帰りの電車でも興奮が覚めなかった。でも深夜に降り立った最寄り駅はシンとしてて、「コンサート終わっちゃったんだな」ってちょっとさみしくなった。
それから運良く、ほぼ毎年コンサートに行った。ほとんどファンの母親と2人で参戦していたが、2人でちょっといいランチやお茶をしてから向かうのがお決まりみたいになった。ランチの後にアクセサリーショップでイヤリングを見ていたら、母親が買ってくれたりもした。コンサートの日は、公演時間以外も特別な時間だった。
嵐のおかげで勉強だって頑張れた。私は櫻井翔くんのファンだったので、「彼に見合うファンになりたい」と猛勉強した結果、そこそこいい大学に入れた。模試はいつもE判定で心が折れまくったけど、「サクラ咲ケ」と「きっと大丈夫」をリピートしまくって乗り切った。
嵐のおかげで友達だってできた。大学に入って初めてできた友達は、「嵐が好き」という共通点から話が弾んで、4年間どころか卒業した今も仲良くしてくれている。Twitterでは10年を超える付き合いになるフォロワーもいて、飲みに行ったり嵐に関係ない現場に行ったりしている。
アイドルを応援することって、曲を聴いて番組を見てコンサートに行って……ってだけじゃない。アイドルをきっかけに忘れられない思い出ができて、人の輪が広がって、人生が拓けることがある。嵐がいなかったら、きっと全然違う人生になっていたと思う。
「推し活」なんて言葉が広まったし、傍から見たらカッコイイ男の人にキャーキャー言ってるだけかもしれないけれど、私にとっては人生だった。
きっとこれからもずっと、嵐の事が大好きだと思う。
25周年、本当におめでとう!
Vtuberを中傷して自宅に内容証明届いてた知人が◯殺未遂起こしてた
そいつはかつて、とあるVtuberの配信のコメント欄やSNSに一日中張り付いて荒らし行為を続けていた
何回ブロックされようがアカウント停止されようがアカウントを再取得してめげずに荒らし続けたが、数か月後、Vtuberの運営企業だか弁護士だかから内容証明が届き、示談金として数百万円を親から出してもらっていたらしい
さすがに凝りたと俺は思っていたのだが、当人はけろりとしていた
むしろ以前よりもはつらつとしていたように思う
それから一、二年後、知人が◯殺未遂を起こしていたと人づてに聞いた
きっかけは、かつて知人が中傷していたVtuberが休止から復活したことだったという
遺書によれば、そのVtuberが活動休止したのは自分の絶え間ない努力によるものであり、チャンネル登録者数が数十万人もの有名人を打ち倒せたという事実が自分に自信を与えてくれていた
しかし、このたび倒したはずのVtuberが活動を再開したと知った
…というような内容だった
こんな遺書を書かれて死のうとしてた我が子を発見したときの親御さんの悲痛は察するに余りあるが、しかし個人的には、いっそそのまま当人の望み通りにしてやってた方が…という感情もわずかながら沸いてしまった
ネットで偶然、ゴスペラーズの30周年ライブを知った。年末にあるそうだ。もしかして行けるかもとチケットをみてみたら、すでに完売状態、追加販売で立ち見席のみという状態だそうだ。そうだよなぁ、と肩を落としたが改めて考えてみる。なんでこんなに人気なのに追加公演しないのか。そうか、彼らももう50を越えてるのか。もしかして、体力的な問題で全国ツアーとかはできないのかな、とか考えていたら、急に怖くなってきた。
俺はまだゴスペラーズを観ていない。人生で1番影響を受けたと言っても過言ではないアーティストなのに。昔はあんなに大好きで毎日聞いて、いつか彼らが住む東京に行こうと夢描いていたのに。大人になってだんだん聞かなくなったけど、ずっと心の支えだったのに。このまま、もし活動休止とかなったらどうしよう、人生で1番のアーティストを観ずに終えてしまうのか、と急に怖くなってきた。
そういえば、同じく大好きだった柳ジョージさんが亡くなった時は大変にショックだった。ゴスペラーズなんて全然若いから大丈夫、なんて思ってたけど何があるかわからないし、たしか誰かが体調不良だったという記事も見た気がする。
だから来年、ゴスペラーズのコンサートに行きたい。ファンクラブもちゃんと入って、事前情報をちゃんと手に入れて、チケット申し込んで、生で歌を聴きたい。嫁にも相談しないといけないな。
30周年のあとだし、次のコンサートは間が空くのかな。チケット当選できるかな。そもそも最近の歌を予習しないとな。
やることや不安なことはいっぱいあるけど、一年以上先の楽しみができたなんて、自分でも少し驚きだ。推しがいるというのはこういうことなのか。
やれることは全てやって、その日が来ることを楽しみに待ちたい。
この内容がひとつの当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、
それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、
書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。
彼女の訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。
普段は物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプの人間なのだけれど、
このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、
仕事や大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ちや言葉がどんどん頭の中をめぐって、
私生活に特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから、
希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人の自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。
自分が彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。
ただ、家で一人作業している時に流すiTunesのプレイリストの数%は彼女の曲であり、
人生で彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。
彼女の楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情をベースにしたものが多くて、
それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。
彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、
突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。
記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように
僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた
という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性。
彼女にとって自分の内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界や手段ではなく、
それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、
強烈な自意識のあり様、彼女の作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。
自分のプレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率で彼女が入るようになった。
(この曲を含め、彼女の歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、
彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様」であるように思えてならない)
一度だけライブにも行った。
コロナ禍の中、東京で名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町のライブホールで彼女を見た。
落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、
どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。
路上ライブ時代の楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、
苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC。
大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。
あまりリアルタイムでアーティストの動向を追うこともないタイプなので、
彼女の結婚や病気、活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。
ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、
好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。
1970年代の洋楽もよく聞くので、ルー・リードやデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。
ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、
彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。
音楽の歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、
もはやそんな時代ではないと思う。
生み出された作品とその作者の人生や生活は切り離して考えられるべきであって、
劇的な死に方をすることで、楽曲の意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、
なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。
「自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。
彼女自身の感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。
到底受け入れられない。結びつけてはいけない。
彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女が楽曲に込めた表現の意味は変わらないはずで、
自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、
年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。
彼女が言葉と歌声と音楽で生み出した、暗くもあたたかい世界は、私自身の居場所でもありました。
自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、
彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか。
彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフのひとつひとつが、
彼女が選んでしまったかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身の類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、
自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女の楽曲を聞くことが出来ずにいます。
ここまで来てやっと本題です。
今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。
まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女のパートナーを初め、最も近しい人達が、
彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、
そのための時間は絶対に必要で、「ファンのお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、
ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、
彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要な時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。
その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断は第一に尊重したい。
ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女の楽曲に日常的に触れてきたファンも、
突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情、彼女の楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています。
その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死・事故死」だったのかを知ることは、
いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。
あるのは、彼女の死が、病死や事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り。
でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、
自分の中で、彼女の楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。
ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、
長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、
その理由や結果を知ることは、たとえ残酷な結論だとわかっていても、必要な過程なのではないでしょうか。
今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、
彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。
自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています。
その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、
一定の社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファンが重要な事実を知ることも、
私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要な手続きなのではないかという事を、
いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています。
自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。
いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、
自分の人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています。
長くなってしまいましたが、
オタクやってて初めて「推しがつらそう」だと感じる出来事があり、ずっとそわそわして落ち着かない。
表立って心配(杞憂)してしまうと万が一本人の目に入ったときに負担になったり、同じオタクたちの不安を増長させたり、ネガティブな印象を広めてしまうかもしれないと思ってどこにも吐き出せないでいるけど、正直気が気でない。
推しだって一人の成人した人間なのでこんな他人に心配されなくともきっと自分で乗り越えられるし、周りや専門の人に頼っている・支えられていると思うし、自分の人生のことは自分で決められるし、そもそもこっちが勝手につらそうだと大げさに解釈してる可能性だってある。分かってるけどいろいろ考えてしまって止まらない。
推しが活動休止とか療養とかそういう経験したことあるオタクはどうやって自分を強く保っているんだろう?初めての体験というのは怖いものだ。
皆勘違いしてる。特にはてなの人は女性差別に注目しすぎる人が多いから気づいてないのかも。
フワちゃんが活動休止とか、たぬかなが炎上したとかそういう表面的な部分だけではなく、世の中の流れとしてついに男性差別の解消に向かうようになったんだと思う。
最も象徴的なのが、共同親権の法制化でこれは日本の現状からみると明確に男性差別の解消への第一歩でフェミニストを筆頭とする女性による大反対がすさまじかった。
でもその反対を抑えてついに法制化された。
男性差別は女性差別と比べて改善点を山ほど提唱されてきたにもかかわらず全く手を付けられてなかったからこれからどんどん大衆の目に見えるようになってくると思う。
増田で勘違いしてる記事上がってたけど、これは"弱者"男性だけの話じゃないのね。
これなんかも典型
「妻を労災で亡くした男性にも制限なく遺族年金を”国争う姿勢」 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240613/k10014479851000.html
労災で妻を亡くした男性が、法律の規定により遺族補償年金を受けられないのは不当だとして国を訴えて裁判してる。
もちろんまだ結果はわからんけどね。
今回の女子アナの件も、もう"弱者"男性だけの話じゃなくなってるのね。
はてなや5chに閉じこもって「相手はチー牛ばかりできんもーっ☆」とか言ってたらあんたの隣の社長やイケメンがあなたをキャンセルするかもしれないよ。