はてなキーワード: 次元とは
一つの回答として頭に入れておく。
ただなんか語弊がいろいろあった気がするので補足する。
物議を醸した望月新一のIutの論文はそれが合ってるか間違ってるか自力であてずっぽうでなく判定するにあたり証明を追うにしても相当な前提知識を要する。あれも数論幾何なわけだ。
低次元トポロジーという名称はその証明の難しさの特殊性から既存のトポロジーからあえて切り分けただけで、研究や既存論文の理解に必要な知識量はトポロジー全体と差がないのではないか。
多少差があったとして、数論幾何よりややはり明らかに少ないのではないか。
低次元トポロジーの研究には類い稀ないひらめきみたいなセンスを要するだろう点で学界にインパクトを与える新たな価値ある証明を行う難しさが数論幾何に匹敵するのは確かだろう。だがそうやって証明された既存の論文を理解するハードルは数論幾何に比べると明らかに低いのではないか。
もっといえば望月論文を理解するための知識を全て身につけたとしても論文を証明した当時の望月の知識量にはまだ足りないと思う。証明を理解する以上に、証明すること自体には理解に必要な知識以上のバックボーンが必要で、そうしたバックボーンが証明に際して必要だった発想着想の必然的なきっかけになったりしているはずだから。
あなたもおっしゃる通り低次元トポロジーをやってるだけなら数論幾何にくらべてしまえば明らかに見劣りすると思う。以上書いたことを踏まえてあらためて数論幾何に匹敵するものが他にあったら教えてほしい。
勉強するにあたって数学幾何と共通する知識事項もあるが、比較的早い段階で数論幾何を志す人とは異なる知識を量として数論幾何と同じぐらい積み上げていくという数学領域が理想だ。
そうだな
所謂「関数解析学」もやってることはほとんど量子力学だけど、量子力学が数学の分野かと言ったら違うし
さっき訂正したけど「低次元トポロジー」ならちょうどいい答えになるかもしれない
まあ、「低次元トポロジー」はかなり広い分野を含むので、「低次元トポロジーやってます」と言うだけなら数論幾何よりはるかにハードル低いけど
別の次元からやってきた悪魔が暴れてて、自称陰陽師のおばさんが悪魔をポスターにして封印
しかしポスターへの封印が甘く、ポスター側の世界に転生されてしまう
ポスター側の世界に転生された悪魔は3階建ての小さな洋館に落とされて記憶がほとんど消されて魔力もほとんど使えない
天使はさっき悪魔を封印したとこなのにまた現れたのでとっさに攻撃するも別次元からきた悪魔で魔力も記憶もほとんどないことに気がついて助けることにする
二人して洋館に行く途中でコンビニに寄っていちごサンドを買ってあげる
空気玉くらい作れそうなんだけどなぁとぼやく悪魔に、コツを伝えると小さな空気玉を作ることができた
それで道に落ちてたプチプチをフワリと吹き飛ばすことができた
洋館に着いて2階に上がる時、向かいの家を見て天使は何かに気がついたようだけどあえて無視した
と、ここらへんで目が覚めた
世情をチラ見してマスかいてるような連中の宝庫増田で、結婚や婚姻制度に関するエントリーが続々上がっている。
そんなに孤独に耐えられないなら、その辺の犬猫や電柱やタルパとでも結婚すりゃいいじゃねえか。
少子化対策? そんなの岸田首相が異次元志向で考えてくれるから問題ないだろ。
どこの次元を指し示してるのか知らねえけど。
みんな、慌てすぎ笑
自分自身は特に仕事もできずのうのうと生きている人間なんだが、仕事に一生懸命でキラキラ目を輝かせて働いている人を見ると居心地が悪い。
何というか仕事そのものに対する熱量が高過ぎてぱっと見怖く見える
もちろん、仕事にやりがいをもってやれる人はカッコいいし尊敬するんだが、そういう人と会話するとなぜか別の次元に居る人見たいな感覚に襲われて逃げたくなる。
言い過ぎだけどクトゥルフ神話的な上位存在に対する恐慌状態って言えばわかるか?
もっとわかりやすく言えば、熱心な信徒に宗教勧誘受けているような感じ。怖くて逃げたくなる。
じゃあ逆にダウナーな感じで仕事できるやつを見るとそれはそれで接し方がわからなくて怖い。何考えてるかわからない。
話してる最中にいきなりぶん殴ってきそうな気がする。コンサルの人間とか結構多い。
これが仕事できないという自覚から来る逃げなのか、特定の特質をもってる人間が現代に適応できてて、そんな人間とはウマが合わないから逃げたいと感じているのか。
個人的には、20代の頃に正社員でバリバリ働いていたらヘッドハンティング業者の目に留まって、面談中に「どんな形で仕事したいですか」と質問されたときに「責任所在が明確で、その中で全力で仕事したい」と答えたら、
「あなたの条件を満たす雇用形態はアルバイトしかないので、アルバイトを探してください」と言われて、こんなこと言い放つ人間がヘッドハンティングで高給貰ってるのかと思うのと、なんか自分の人生否定された気がしてこいつらは敵だと考えたのかもしれない。
手間が違うんだよね
シンママ限定アプリは子供の性別や年齢で絞り込みが可能だったので目的の人を一瞬で探し出せる
…
ファイル共有ソフト Winny の存在によって著作権無視に違法アップロードコンテンツが流通したが
結局、Winny の作者は無罪になった。ハシゴを外された責任追及側は「包丁に罪はない」と嘲笑されたよ。
企画説明なしに人が集められて、実際の内容は暗闇を体験する芸術だった。しかしそこで痴漢が行われてしまったんだ。主催側は男性を女性と同じ部屋に入れて暗くしたのだから痴漢対策はするべきだとして訴えられた。でも結果、主催は刑事罰に問われてないし、民事訴訟は示談に終わったらしい。
もし今後、リスクを高めた責任の考え方が広まっていくならば、鉄道会社は痴漢対策を怠ったとして集団訴訟するようnフェミニストは動くはずだ。私のよく見ている有名ゲーム実況者は、そのリスナーが荒くれ者ばかりで他のチャンネルを荒らしたりしてるんだけど、有名ゲーム実況者当人は叱ったり注意喚起したりもしない。彼も罰を受ける日が来るんだろうか。
昔いじめられてたから許せない云々の奴はよく読め。学校に皆勤で通って先生の前では大人しくしながらウェーイって陰キャをいじめてた奴と増田は次元が違う。まあどっちも関わりたくはない
でもね私が言っているのは「全部が名誉棄損じゃなかったよね?」っていう事
そもそも名誉毀損はコラボ-毀損者の2者間における権利侵害や不法行為的な事柄なので、名誉毀損に反応するのはコラボとしては当然であり、名誉毀損でないものに反応するかどうかとは別の次元の出来事であって、炎上対応のSNS広報担当者を評価するのが主軸の話でもないので割愛したい。
不正や違法どうこうの問題じゃなくて顧客サービスのクオリティみたいなまた別の話になるからね。
ただ彼らは女性支援事業者であり、支援と関係のないことにまで多くのリソースを割けない事情も伺えるし、炎上の規模も大きく、広報担当をしっかり雇って炎上対応を強化しろとコラボに言うのはナンセンスな要求だと思う。
都に対して「女性支援事業をやるならSNS広報も職務のうち、そちらにも力を入れろ」と批判するならまあわかる。ここまではわかる?
数字がおかしかったという指摘は根拠も添えてされてました。証拠というかこれについてはcolabo資料内で矛盾していたからね。
悪質な資金隠しのようなものならばともかく、自費事業でそもそも足りてない部分を補っている構造上、コラボの会計の不当な点については「悪質な資金のちょろまかし」のような性質を持つものではない。つまり「不手際、伝達ミス、能力不足」のような類の種類のものですよね
数字がおかしいことに違和感や疑念を感じると言うのは理解できます。「数字がおかしいかもしれないので監査を請求してみては」という声を上げることは監査前なら意味のあることであったでしょうが、監査局の「勧告」が実際に出た以上は改善を待つのみで、いま数字がおかしいと謝罪要求不正叩きすることに正当性を感じないですね。もちろん証拠がない時点での不正叩きも当然に正当性がないと思いますが。
(イ)車両関連費
請求人は、〜タイヤ購入・交換を毎年していることは不自然である旨の主張する。
新たなタイヤの購入・ドライブレコーダーの購入については本件経費に計上されてなく、一方、月極駐車場代や冬用タイヤへの履き替え、車両に積載する備品類の購入等が計上されていることは確認できることから、請求人の主張は妥当でない。
ここかな?具体的にタイヤ購入費の何が問題なの?それについて監査委員は主張を退けているけどつまり問題がないと判断された訳だよね
議員会館の利用について規則違反は仮にあっても議員会館規則を読む限り、議員や会派の責任のようだし、コラボ批判仁藤批判に盛り込むのは筋違いでは?
仮に議員による場所貸しが横行してたとして、あくまでそれについては会館規則違反にすぎず、マナーの悪さや悪習を指摘できるのみで悪事というにはまた次元が違うのでは?
そもそも家庭生活もデタラメな蓮舫がベストマザーを選ぶとかありえない。
森松和子が森松の妻ならありえないでしょう。マザーズに不適切な連中ばかり。特別顧問をやる方がおかしい
厚生労働省と内閣府がホームページに出てるけど担当者をすぐ首にすべき。
こういうところに名前を出すなんて企業こlも株主は怒っていいレベル。
https://infact.press/2021/05/post-12159/
ふぁくとちぇっかーとかいうゴロツキが出てきているけど特別顧問なのは事実で問題。
https://nakatakahilo.cocolog-nifty.com/nakatakashi/2014/04/post-a764.html
DVかよ…
事務局は嘘つきです
https://www.best-mother.jp/about/company/
全国にネットワークを広げ
以下の人選ではありえない。
@echonewsjp
東京都港区港南2-15-1 ってバーチャルオフィスのあるところね?
https://twitter.com/kingbiscuitSIU/status/1618453958653259777
自分でベストマザーになった団体の顧問をやるのは心理的にハードル高いのは事実だわ?
https://twitter.com/kingbiscuitSIU/status/1618453958653259777
king-biscuit
@kingbiscuitSIU
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
🇯🇵炯眼院聡明🎌
@keigansoumei
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大豊作💪🥹
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「法倫理に物申したい」という意見なので、一般人の納得感とはずれるかもしれませんね
超簡単に言えば、高利貸しのような悪質な商売手法について法整備が進められるのと同じように、法整備されるべきだった。今の今まで無法地帯なのは司法の女性蔑視だ。ホスト業は公正で善良な法倫理の許すところの商売とは言い難い。基本的人権を毀損している
みたいな意見なのです。
高利貸しを利用する人が、例えばめちゃくちゃ悪い人ばかりもしくは馬鹿ばかりでいじめっ子で嫌な奴で暴力的な柄の悪い奴とか、犯罪者ばかりが利用してるとか、そういう個人的な私情は高利貸しの違法化を否定する理由にはならないのと同じように。
ホストもそうだと言ってるのですね。高利貸しの被害者は犯罪者だろうと高利貸しの被害者なんですよ
つまり、高利貸しという悪質な商売手法により公正ではない取引を具体的に行った人物であるということです
それと、弱者女性という言葉の意味があなたの文章中からあまり理解できなかったのですが、弱者というのは社会学的意味の弱者ではなくて、ネットで流行っている言葉で、虐められる容姿やメンタルの人みたいな意味ですかね?背景がわかりませんがよくない環境でしたね。
差別主義やいじめはよくありませんが、それとこれとは別次元の話ですねってことです。
日本では反差別教育を全然しないんですよね。容姿年齢差別は、大人の間でも子供の間でも堂々と行われています。ヘイトや差別について日本は改善点が多い。個人の問題でもありますが、大人が差別を野放しにしすぎです
イジメ問題も、学校が加害者を野放しにしすぎですね。加害者が見つかったらすぐ三者面談すべきでしょう。必要なら保健室登校に切り替えて加害児童を教室に入れない工夫が必要です。
親も学校もイジメを暴力事件や深刻なハラスメントとは捉えていないようで、警察に行き刑事事件にするとか弁護士を雇って慰謝料請求するとか、さっさと解決するというドライな気風にはなかなかならないようですね。「大事にするのは大人げない」という神話があるらしいですがそろそろ村社会から現代文明へと進化してもらいたいものですね。
・ボーナスが出るだけで感動
フリーターにはボーナスという概念がない。あっても寸志なのでココイチ食べるぐらいしか贅沢が無かった
・年間休日が多い
フリーターなので土日祝休みという概念がない。無理やり休むことは可能だが、後で怒られる
フリーターは基本的に下位層の仕事しか回ってこない。成長もなく只々虚無の時間が流れる
・一人暮らしが出来る
フリーターは基本的に収入が少ないので、一人暮らしが難しい。やろうとすると極貧になりがち
・外に遊びにいける
外交的なフリーター以外は金のかからない遊びに傾倒しがちになる。可処分所得が少ないので交友関係も狭まる
缶ジュースは贅沢。ホットスナックは富豪の食べ物だと認識して生活する
・旅行に行ける
まず彼女がどうとか祝日と土日が被ってどうのとか、そういう次元よりも低い次元で生きてきた期間が長すぎて
今の状況(正社員で専門職で都内に一人暮らし)の時点で既に幸せだし
一人鍋でスープの素に肉とか野菜とか色々ぶち込める時点で幸せを感じる。一人鍋ってたけえよ
金が無さ過ぎて、誘い全部断ってたら、真のぼっちになったしコミュ障が輪にかけてコミュ障にもなった。体重も10kg太ったり痩せたりしてた。多分ストレス
そのせいで今もぼっちだけど、一人旅行でバーにぶらりと入って酒を嗜むのは楽しいし
ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。
ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典や百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。
特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベの価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。
後にも述べるがいまやラノベは純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。
が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体あまりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。
このような単にラノベが純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。
正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベと純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。
ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。
一方で純文学、シェイクスピアのハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。
ブリタニカ百科事典先生によると、文学は芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。
逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品が文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。
でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。
文学といえばよくそのメッセージ性が問題にされているとは思う。
文学作品の物語、プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。
その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具、オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。
あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。
しかしそれがなんだと言うのだろう。
そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値を見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに「価値」じゃないか。
むしろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。
価値に対して人間が万物の尺度であってかつ尺度の多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである。
またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。
他方、ガリバー旅行記は人間社会の不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。
そういうメッセージ、風刺、アンチテーゼの質が文学作品の重要な評価軸になっているようには思う。シェイクスピアも漏れなくその点で評価されているのだろう。
こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。
たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報に視覚に関係する尺度をあてがってもどうにもならない。
あるいは文学には描写そのものの美しさというものも見出すことが当然できよう。
その最たるものが詩だろう。
それは単純に視覚的に美的なものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。
そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学の要件を満たしうるはずだ。
しかし文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というものは論理の次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである。
その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要な評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学的価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。
文学の価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学の要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。
結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。
とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並みな見解しか沸いてこないだろう。
それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲や知的障がい者には荷が重い。
だからその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。
知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。
ただの女たらしが「紀州のドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリートは社会的地位が高い傾向がある。
そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。
ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。
彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。
なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか。
教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ。
以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭な教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値を判断している。
そしてそれが権威ある辞書や事典の記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数の一般大衆に浸透し、そうしてラノベは純文学に対して劣ったものという既成観念が形成される。
月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか。
似たような話でアニメはドラマや実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。
昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。
逆にアニメはジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。
さらに時間が経てば歌舞伎や浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。
実はこの文章の原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。
その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベと同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。
ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識が存在する傍証になってしまったようだ。
本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベと純文学をバランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。
しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。
好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから、私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。
知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである。
また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログや増田に埋もれたラノベやアニメの感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会に感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。
dorawiiより