はてなキーワード: 心が折れるとは
今年1月に超メジャージャンルAのドドドマイナーCPの1万字の話投稿して、2ブクマ4いいね。
2月に落陽ジャンルBのマイナーCPのSSまとめ投稿して、ブクマ1いいね0。
4月に落陽ジャンルCのモブ×受の本を出して、はけたのは1冊。
完全に私の心が弱いのが問題だと思うが、この低評価三連発で心がバチボコに折れてしまった。
ジャンル自体がマイナーだから数字が少ないと言い聞かせるのは簡単だが、自分の作品が下手くそだから評価されないという可能性を捨てきれない以上、「マイナーだからしょうがないじゃん」と開き直ることもできない。
「評価がほしいというのなら、もっと上手い小説を書けばよかったのではなかろうか」と自分を責めるような気持ちを止められず、心が折れると同時に一旦筆を置いてしまった。
改めて自分の心を見つめ直してみると、評価がほしいというよりかは「あなたの書く小説は下手ではない」という一言がほしいのだろうな、と思ったりする。
自分としては持てる力の全てを使っていいものを書いたつもりだ。
けれどもそれを投げてみて反応が少なければ「上手いと思っているのは自分だけで、他の人にとってはただ下手な作品として映るのだろうか」という疑いを捨てきれない。
そうなると「面白い話を上手く書きたい」という、私の書く理由に対する取り組みが全部無駄になってしまったんじゃなかろうかという気持ちまで湧いてきて、どうにも次の話が書けなくなってしまっている。
また投稿して低評価になり、自分の下手さ加減が原因かもしれない事象を直視するのが怖い。
情けない話だが、これが今どうしても筆が進まない理由なんだろう。
かといって、何も書かないままではどんどん腕が劣化していく。地の文に必要な語彙やキャラクターの性格に関する考察も頭の中からすっぽ抜けていくし、魅力的なストーリーラインも日常的にネタ出しをすることを忘れてしまった脳では描くことができなくなっていく。
創作のスキルは筋肉と同じだ。クオリティを保ちたければ走り続けるしかない。低評価を食らったぐらいで倒れていては、本当に下手くそな文章しか書けないただの人間になってしまう。
それが分かっているのに、立ち上がることができない。私の心は恐怖という得体の知れない不安に打ち倒され、地面に横たわったままソシャゲの画面を見つめている。
「一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうとする。 並の選手は少しばかり立ち上がるのが遅い。 そして、敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである」
私はいつでも、創作というフィールドで一流の選手でありたいと思う。実際のスキルが一流の作者には遠く及ばなかったとしても、心意気や志といったものはそうでありたいと願っている。
自分よりも上手い作品を見たときに、妬むことも嫉むことも羨むこともなく、素直に賞賛し己の足りない部分を磨く人間でありたいと思う。
だが今の私はこの言葉の区分で言えば、恐怖に負けグラウンドに横たわったままの敗者だ。
みっともないことこの上ないが、まだその恐怖にタックルする勇気が湧いてこない。横たわったままの敗者である一方で、「私も創作を始めたいから勉強する方法を教えてほしい」と言ってくれるフォロワーに自らの通った道を簡単ながら教えている。
それのなんとちぐはぐなことか。情けないことか。現役のプレイヤーでなければコーチになってはいけない道理はないが、三流の敗者が己の道を語るほど滑稽なこともなかろう。
時間を置いて心を癒せば、この上なく情熱を燃やせるような作品に出会えば、あるいは誰かから「あなたの作品は下手ではない」と保証してもらえば、私はまた恐怖に立ち向かい新しい小説を書くことができるだろうか。
でもそうしたところで勇気が湧いてくる保証はどこにもない。いつもらえるか分からない他人の言葉など、あてにするだけ愚かだ。
となると、自分の膝の上にどんと手を置いて、なんとか立ち上がるしかないのだろう。たぶん。
すりむいた傷が痛くても、それをいちいち気に留めて手当をしてくれるほど世界は優しくない。
安楽死考えるのわかるし、苦痛を経験してまで延長したい人生か?って思う。これ以上赤字になるのが確定なら、さっさと損切りしてあがっちゃいたい。わざわざ苦しい思いしてから死にたくないんだよな。
多分増田より「生きてること=苦痛」の傾向があるから、今でさえ快楽が苦痛を打ち消し切れてないのに、もっと辛くなるなら単純に耐えられない。そんな思いして死ぬのと、元気な内に見切りつけるなら後者の方がいい。
こっちはガチFランなので、将来の展望なんてものが明るいはずもないし、コミュニケーション能力もぼっちなのでお察し。ホワイトなんて夢のまた夢だし、そもそもバイトに落ちただけで心が折れる人間が就活をまともにやり遂げられるとも思ってない。 もし働けても、仕事も人間関係も上手くいかないのが目に見えるようだ。想像だけで胃が痛い。
自分は色々考えた結果、死ぬのが一番良いという結論になりました。だけど、今のところは勇気や気力が足りないので準備期間として先延ばし中。自発的ならやりたいこと全部やりきって未練をなくしたいので、ゴールを決めてみたら楽になった。そんな感じで仮の地点を決めると、少しは気が楽になるかもしれない。
こちらも痛いのは嫌だから結構悩んでる。でも試してみる勇気すらないから方法を調べてばかりだ。最近は麻酔薬を見ては「医者か薬剤師になればよかった」と考えている。本当、寝てる間に死ねたらいいんだけどね。
コロナ禍、最前線で自分の体か心が折れるまで頑張っている看護師さんって一体何がそこまでさせているんやろう
ぶっちゃけ死にかけの重病人でも他人だし、まだまだ若い自分の身が可愛いから現場を全部放棄して辞めてしまおうとか思わんのやろか
アホで無能の俺とは違って本当に頑張ってくれているからなんらかの形では絶対に報われて欲しいもんだけど、どうなんかなあ
アホなりにニュースとかも見るけど、流石に俺にでもアホだと分かる政策ばっかりであんまり期待できそうにないもんなあ
だからといって俺が最前線の人たちに直接何か支援をできるほど裕福なわけでもないしなあ
1年経ってもただただコロナにならんよう気を付けるしかできない
なんか悔しいなあ
所謂DMMがサービスを提供してるえっちぃタイプのやつなんだけど
まず何が楽しくないってUIが楽しくない。情報過多すぎる。この手のゲームをやらない自分には情報の暴力にしか感じない
そしてキャラも多すぎ。何十だか何百だか分からないけど、あの中からお目当ての子を引けっていう時点でなんかもうやる気を削がれる
それでも頑張ってチュートリアルを進めると、始まる茶番劇。そして始まる何が楽しいのか分からない戦闘
ストーリーを進めましょう、アイテムを装備しましょう、ガチャを回してみましょう、はいチュートリアル終わりです
は?ってなったね。目的がね、ないのよ。えっちぃシーン見るために何十時間も時間かけたくないし、よく分からない茶番劇も見てて楽しくないから
ストーリーも進める気が起きない。ガチャはそもそもお目当ての子が出る確率がすごい低確率らしいので、金を落とそうとも思えない
成長曲線的に言えば、もう少し進めるとやれることが増えて、楽しくなるしログインボーナスがあるから続けるキッカケになるらしいんだけど
まず翌日にこのゲームを起動しようって思えない。起動したところで何も楽しくない。ガチャなんてキャラクターを手に入れる手段ぐらいにしか感じないから大して興味もないし
皮肉抜きで、この手のゲームを続けられる人達ってすごいと思う。何が楽しいのか自分で触れてみても全然わからない
人によってはコミュニケーションツールだったり、暇つぶし?らしいけど他に代替案ないの?っていつも思う
暇つぶしっていうけど、暇をつぶすにしても他に楽しいことないの?
ゲームが趣味だから家に居ても暇な時間なんてそもそも無くて、その暇つぶしでゲームっていう感覚もよく分からなくてアレなんだけど
そりゃ、自作ゲームを商用利用されたら心が折れるぐらい、「ガチ」で取り組んでる人からしたら、
テキトー~にやってるエンジョイ勢なんて敵みたいなものだと扱われるのは自然な話だろ。
「こんな衝突が起こるとは思わなかった!」とでも言わんばかりに今になって大騒ぎするのは想像力の欠如。
エンジョイ勢からしたら、自由にして良いと書いたのだから余計な連絡をするなとむしろ思う、たしかにそれは正論。
でも、「ガチ」でやってる人からしたらそんな「労力を減らしたい怠けてる人」の事情なんか知らんというのが当然だろう。
対立が起きるのはわかりきった話なんだから、エンジョイ勢はエンジョイ勢で、
「ガチ勢の人達はこんな要求をしているらしいですが、私はそうではないです」と1文どこかに書くぐらいすればよいのでは?
書かずにどうにかしてほしいなら、それもつまり「忖度させる」ことであって、結局は投げ銭を忖度して投げろと言ってる人と同類になる。
まぁ単純なことでミスると焦っちゃうしな、それがいろんなネガティブな効果を齎したら尚更うんざりしちゃうよね。
まぁ休める時にしっかり休むといいよ。
でも「口くせーなー」とか「身体くせーなー」って思ったらめんどくさがらずにちゃんと全部リフレッシュさせるといいよ。
それでも気合やスイッチなんて入らないならやっぱり寝て、飯食って、なんかたまに映画やら好きなもの、子供の時に爆笑できたものでも見て、飽きたら風呂入って寝たりすればいいと思う。
そういうのルーティンとか言うみたいだから、今度からそういうの導入してみてもいいかもしれんね。
それでも色々不安なら心療内科行って先生にお話聞いてもらったらいいよ。
意外と人間すぐ心が折れるから、今まで折れずによく頑張ったよ。
社会人とかいうのはそういう精神の立て直しの仕方を上手くできる人達だろうから、今そういう立て直しのやり方もわかんねえならとりあえず休んじゃっていいと思うよ。
じゃあ、とりあえず専門学校に通って国家資格を取るところから始めよう。
医療事務や受付をしていた30~40代のおばさんが、働きながら看護学校の夜間部に通って看護師にキャリアアップするケースは案外珍しくない。おばさんができるならおじさんにもできる。大丈夫。
ただ大変なのが、メンタル的なところだ。
看護師になる女っていうのは基本的に気が強くて、ぶっちゃけ学生時代はいじめっ子ポジションだったタイプが多い。
実習(インターンみたいなものだと思ってくれ)の看護学生がナースセンターに来て「今日からよろしくお願いします!」と挨拶したときに「(全員無言)(上から下までジロジロ見定め)……足引っ張んないでよ」の一言くらいのことは平気でやる。それで心が折れるようなら看護師なんて務まらないからビシバシ厳しく!って理論だ。
そういうのを乗り越え、晴れて看護師として働き出すとセクハラパワハラが待っている。
あのな、男の看護師を嫌がるのってジジイなんだよ。体拭かれるのとか、あからさまにガッカリした顔するわけ。あまつさえ「医者になれなかったんだろ、気の毒になぁ」とバカにしてくる。年配のドクターにも言われるけど、適当に受け流すしかない。
子供(3歳2ヶ月)の通う保育所でコロナ感染者がでた.幸いながら子供は濃厚接触者には該当しなかった.
ただ,念のためPCR検査を行うということで,即日検査キットが家に届けられた.唾液を採取し提出するものである.翌日回収しに来るとのことである.
で,問題はこのPCR検査での唾液の採取である.大人であれば一瞬で終わるこの作業,3歳児に対して行うのに非常に苦労した.同じ保育所のママさん方と色々と情報交換したので,その内容をまとめようと思う.
第一波,第二波は言ってみれば(当事者には申し訳ないが)ある意味テレビの向こうの世界での出来事であった.ただ,第三波は,知り合いの職場にもコロナ感染者が見つかったり,ニュースでもごく身近なところで感染者が出たり,背後ににじり寄ってきている感じがする.
メールにて,保育所の職員にコロナ感染者が出た旨の連絡がくる.保育所はしばらくお休み,自宅での保育をお願いする旨の連絡あり.
突然のことながらも仕方ない.
メールにて今後の対応(保育所のお休み,濃厚接触者の調査など)についての連絡あり.これまでにいくつか取るに足らない連絡はあったものの,第一報から初めて実のある連絡.兄弟も自宅で保育せよとの指示.まあ当然か.
ただ,この程度の連絡は前日の夕方にでも可能ではないかと思う.
メールにて濃厚接触者ではない旨の連絡が来る.ただ念のためPCR検査はするとのこと.調査の過程は気になるものの気にしないことにする.
玄関先に検査キットを置かれ,担当者は少し離れたところから「お取りください」との指示.感染を避けるためとはいえ,あまり気分の良いやり方ではない.このやり方以上に良い方法は思いつかないけど.
どうもスポイトを注射と勘違いしているみたいで,このあとは何を言ってもだめ.ここまでの拒否反応を見せられるとは思わず敗北.
父よりもみかんが大好きなくせに頑と聞かず.敗北.
皆まで言わせてもらえず,敗北.
私,妻で寝込みを襲い,スポイトで唾液を採取しようと試みるも,口にスポイトが触れると顔を背ける,手で払いのけるなどで採取できず,敗北.
保護者LINE(保育所の同じ組の親のグループLINE)でぼやく.他の保護者も苦労していることを知る.
おはように対して,いきなりペーしない宣言される.心が折れかける.
同じクラスの子(採取済み)のお母さんからテレビ電話のお誘いあり.ありがたい.
テレビ電話で友達にがんばれーと言ってもらうも,うちの子どもは私の後ろで固まったままで身じろぎもせず,敗北.
保護者LINEに採取できた,できていない,こんな方法を試したなどの報告あり.励ましもあり,折れかけた心を建て直す.
スポイトを注射と勘違いしている子が他にも数名いることを知る.スポイトが役立ったという連絡はなし.
まだ採取できていない旨を伝えて再度来てもらうようお願いする.
保護者LINEに,採取している子どもの様子の動画が投稿される.
朝ごはんの時に,泣き落とし的にお願いしてみると,発奮された様子で頑張る宣言.
口をグチュグチュさせ,自宅のコップに唾液が採取できた.一滴.それ以降はイヤの一点張り.
いや,それ全く足りないから...
もう諦めの気持ちが大きくなってきている.
穏やかに応答してくれたものの,やらないというのは確定路線のよう.敗北.
妻が何もつけずに歯磨きをして唾を出させる.泣き叫ばれながらもコップに出させようと試みる.
何度も歯磨きで出した唾を飲み込まれながらも,採取に成功した.
採取したあとの本人は「取れたよー!」と自慢げ.
他の保護者からも,シリコンスプーンを噛ませてスプーンでの採取やら,アイスの透明スプーンでの採取などの報告あり.
スポイトは誰も使ってない様子.スポイトを怖がったという連絡はあるが,役立ったという報告は少なくともこのクラスではなかった.
大阪メトロで上司のパワハラを受けた社員が本社で自殺という痛ましい事件が起きてしまった
一部そうでない事業者もあるのかもしれないが、自分が知る限りではJRを筆頭に鉄道会社は旧態依然としたブラック体質、体育会系の流れを汲んでいる会社が非常に多い
何もしらない学生が「鉄道事業だけじゃなくて都市開発とか色々手掛けていて楽しそう」などという間違ったイメージで入社してしまわないよう私が知る範囲の情報をここに記しておきたい
しかも恐ろしいことに個室ではなく2人1部屋の相部屋である 昭和ではなく令和のこの世の中で相部屋生活とかあたおかとしか言いようがない
ご丁寧に定期的に部屋割りをシャッフルしてくれる 素晴らしい嫌がらせである
「仕事は仕事 オフはオフ」という考えとは真逆 「日常生活も仕事のうち 24時間仕事」という稲盛イズムが多くの日本企業に根付いているのは悲しい事実である
最初の1年間の配属先は「駅の売店の店員」だったり「Tストアの店員」だったりとまともな仕事はさせてもらえない
どこに行こうがその先のプロパー社員には疎まれるので「お前本社の正社員なんだろ、使えねえなあ」といじめたおされる
本社人事の人たちはそういうのを含めて「新入社員育成」だと考えているのだろう
1年たつと本社に戻されてさらにひどい目にあうので辞めるなら早い方が良いのかも
傘下の鉄道会社はじめホテル、不動産、はてはプロ野球チームにまで異動させられる可能性があってバラエティ豊か
「さまざまな都市開発を手掛けてみたい!」という高い志を持って入社してくるわけだが、ホテルに配属され忘年会などの予約とってくる法人営業をさせられると心が折れる
かといって鉄道に行くとこれはこれで大変 入間の航空自衛隊の航空祭などのイベントのたびに大混雑をさばくための案内要員として土日も駆り出される始末である
夏暑く冬クッソ寒いSドームでの野球観戦は義務なので、まあ野球好きなら有り…なのか 但し毎年のように主力がFAで流出することに耐えられるだけの忍耐力が必要
朝、目が覚める。ああ今日も仕事か、行きたくないなあ、もう仕事やめたいなあ、週休5日がいいなあ、と、毎日同じことを思う。しかしそうは言っても給料をもらわないと生活できないし、今日も渋々家を出て会社に向かう。
一体、何がそんなに嫌なんだろう。そりゃ、今日が休みなら家でだらだらしていたいし、家に積み上げている小説や漫画を読みたいし、天気がよければ散歩もいいし、もし一週間休みなら旅行だって行きたい。私の時間を返してくれ。そもそも、好きでやっている仕事じゃないんだから嫌いになるのが当然の話ではある。・・・とは思うのだが、試しにもう少し詳しく、場面場面で分析してみよう。タスク管理は細かく割ることが基本だと言うし。ついでに、嫌な側面だけでなく、無理矢理にでも良い面(あるのか?)を見つけて相対化してみよう。
まずは朝だ。もっと寝ていたいのに起きないといけない。起きて着替えて出社しないといけない。ああ嫌だ。・・・でも、生活リズムは心身の健康を守ってくれるし、半ば強制的にベッドから起きる理由があることは良いことなのかもしれない。暇は薬にも毒にもなる。
通勤も嫌だ。電車は混んでいるし、周りの人も憂鬱な表情だし、仕事に行くまでにヘトヘトになってしまう。最悪。・・・でも、最寄りの駅に行く途中にある保育園で楽しそうに遊ぶ子どもを眺めたり、金木犀の香りに秋を感じたり、ふと見上げた空の広さに驚いたり、スカートで自転車に乗っている女性を見てドキドキしたりするのは、悪くないかもしれない。
職場に着く。パソコンを開くとメールがぎっしり。もうこの時点で心が折れる。To Do Listなんかで管理できる量ではない。ああ嫌だ、もう帰りたい・・・でも、職場で同僚と無駄話をしたり、ほうじ茶を飲みながら昼飯を何にしようか考える時間は、わずかながらも楽しみな時間だ(ちなみに好きなテレビ番組は「サラメシ」だ。)。
とにかく業務量が多すぎるし毎日忙しいし内容も難しい。クレーム処理では心が疲弊するし、締め切りに追われる日々は息苦しい。何のためにやるのか分からない社内タスクも盛り沢山だし、突発的な来客でスケジュールが乱れるのもつらいし、やっぱり仕事は嫌だ。もう辞めたい。来世はナマケモノに生まれ変わろう。・・・でも、大なり小なり仕事をひとつ仕上げたときはホッとするし、(稀なことだが)自分の仕事で人から感謝されたときは嬉しくなるし、可愛い後輩からの質問にうまく答えられたときは得意気になれる(プライベートでは、自分のようなオッサンが若い女性と話すことは皆無なので、そういう機会があること自体、仕事に感謝しないといけないのかもしれない。)。
退社するときも、「一日中働いていたはずなのに、仕上げた業務と新たに降ってきた業務で差し引きゼロだ・・・働いても働いても我が暮らし楽にならず」と自分の能力の低さを恨み、「あれもしなきゃ、これも残ってる」と明日以降のタスクを思って憂鬱になる。・・・それでも、これで今日も給料分働いたぞ、自分なりに頑張って家族の生活を支えているぞと自分に言い聞かせて帰路に就く。夕飯時のビールだけが心の支えだ(この美味しさは、ある意味で仕事のご褒美なのかもしれない)。
振り返ってみると、残念ながら仕事の良い面はさほど見つからなかったし、やっぱり基本的に仕事は苦痛なのだが、かといって一日中絶望しているわけでもないようだ。ひとつ気づいたのは、「社会とのつながり」や「日課(ルーティン」はあった方が良いのだろうな、ということ。だから私も嫌々ながら仕事を続けているのかもしれない(まあ、それが今の仕事である必要性はないのだが)。私は日頃から「宝くじが当たったらすぐに仕事を辞める」と口癖のように周囲にこぼしているが、当たる確率はゼロなので(何故なら宝くじを買っていないから)、当面は仕事を続けるしかない・・・。
以上のように、私のようなやる気のない中年リーマンでも、こうして騙しだまし日々を送っている。皆さんはいかがだろうか。キャリア向上を目指して頑張っている人や、社会的意義の高い仕事に従事して貢献している人、または純粋に「好き」を仕事にして楽しい日々を送っている人ばかりではあるまい。「粛々と業務をこなす」、「仕事は60点でOK」、「会社に期待し過ぎない」をモットーにして、「ああ、今日も行きたくないなあ」と思いながら毎日を送っているような人たちからブコメがもらえると嬉しい。いいじゃないか、ダメだって。
同人誌(二次創作)書いてる人に聞きたい、(ここで聞いたとて意味は無いかもしれないが)
『あなたは何故その妄想を[ 本]にしたの?そして何の為に複数刷った?』
共感してくれる同士を探すため??そして、そっか、同士居たんだねよかったよかった。
自分には、1人もいなかった。本を出したけど、エアイベントに合わせてタグ付けて、投稿しても、1冊も売れなかった。
支援RTしてくれた相互フォロワーさんには、本当に感謝してる。(TL上に居てなお、支援すらしてくれなかった相互も居たから……)
それでも、エアイベント中、1冊も売れない……。誰も買わない……。
皆が金を出す程のものが作れなかった。]
時間と労力と、精神と健康寿命を割いてこのザマとは、まさに、自分今まで何していた?と、ヒュッと冷めて己に問いかけるくらいには、創作に対しての情熱の炎がなくなった。
イツメン、という形で会っていても、それ以前にTLを見てても、自分だけ感性が違うのか、という事実は、より孤独感を加速させた。
仲良くしてるメンツも、誰も自分の本を買ったと言ってくれる人はいなかった。自分を二次創作に巻き込んだAさんだけは買ってくれたが、厳密には社交辞令に近いものだと思っている。
もしAさんが心から買ってくれてたら大変申し訳ないが、今の自分は、そう思わざるを得ない精神状況だ。
もう少し絵が上手ければ、表現力が底辺でも、何とかなったのかもしれないが、どっちもダメだったみたいだ。
普段からも、感想なんてもらえるのは本当に稀、それ以前にいいねも、鍵をかける前ですら、RTも伸びなかった。その程度の人間。
昔反応くれてた人はお世辞だったんだろうな。
今も関係が途切れてない人でも、何も反応くれなくなった。自分だけが、一方的に感想送るだけ。
辛い。
以前Twitterで、『感想貰えないから執筆休止する』という方がいたけど、その方はさ、ファンボックスみたいな月額支援してる人いただろ?
『感想』は貰えてなかったけど、『支援』という、別の目に見える形で応援してくれてた人が確かに居たわけで、
もちろん、生業としている分、状況も立ち位置も、同人の自分とは違うのは、わかってはいるけれど、
それでも、『貴方の作品いいね』という意味で課金支援してくれてる人が確かに居るのに、
どうして??
と思った。
そんな様を見ていたら、いち底辺書き手の心が折れるのも、仕方がないだろう?
支援RTしてくれた相互フォローさんやFF外の方々には本当に感謝しております。
『自分は欲しくないかな』と思っても、他の誰かの目に止まる機会を作ってくれた。本当にありがとう…!!
その分、TL上に居ながらも支援すらしてくれなかった相互に黒い感情が……コホン
確かにその相互の共通繋がりとトラブルをしかけたが、向こうから先にフォロー外してるんだから嫌なら自分をミュブロしてるだろ?その人の目に止まらないようにって理由でRTしないのどうなのさ…?(そろそろ止めような)
こんな感情抱えるなら、初めからSNSなど、創作などやらなければ、よかった。だから、辞めようと思う。これ以上、害悪感情を振りまくる前に……。
書く人を応援するだけの立場ほうが心穏やかだったから……ならば、Twitter辞めなくてもいいのでは?とは思ったが、作者同士の馴れ合い見てると、心の中の鬼が暴れ出す。それは、自分も苦しいから……これは多分、創作してなかったら無かった感情だと思う。
昔でも、いいなぁ、とは思っていただろうけどね。立ち位置(世界)が違っていた昔なら、『神の戯れ尊い……』でよかったが、今はそうはいかない。
仕事もプライベートも全て行き詰まって、いやまだ仕事は完全に行き詰まった訳ではなくてもう少し頑張ればもう少し生き永らえられるのかもしれないけど、多分心が折れた。
来週に続く締切の山とか溜まってるメールとかこの土日に処理すべき案件は大量にあるのに、やらなきゃと思いつつ着手しようとしていないしそもそも身体を起き上がらせることもできてない。
今日は珍しく早朝に起きて「仕事しなきゃ」と考えながら文字通り何一つやってない。
締切ギリギリでやっと本気出すとかは偶にあったけど、締切がギリギリなのに手を着ける気力すら起きないのは初めてで、正直何をしたら、というか何からしたら良いのかもよく分からなくなってきた。
冷静に「あーコレは何かヤバいのかも自分」「復活しないとマズいよなコレ」と思う一方で、もう今何もしたくないと感じていることそのものを自覚してしまって、目の前が真っ白になってる。