はてなキーワード: 夫婦別姓とは
赤松健は「非党派的にマンガ表現規制に反対する人」としては最も政治的な力を持っていた。その力の源泉は何よりも「党派争いから中立である民間人」であるところに負っていたと思う。
いっぽう山田太郎は「表現規制反対を国会で訴える議員」であることに存在価値があった。議員でなければ彼はさほど著名とはいえない実業家であり、彼の力の源泉は議員であることそのものにある。
したがって、山田が自民党に入ったのは、まあわかる。彼は票田とするオタク界においては「余所者」だからだ。彼は赤松や竹宮惠子のように有名作品の著者であるわけでもなければ、本人が熱心なオタクであるようにも見えない。彼は「村の声を聞き、代弁してくれる国会議員」ではあっても「村の名士」ではない。彼がオタク村において有力者として扱われるためには国会議員であり続ける必要があり、そのために最も手っ取り早い手段が自民党への入党なのだろう。
それに比べて、赤松は人気漫画家としての知名度と人望を持ち、長年政界へのロビイングをやってきた「村の名士」だ。国会議員でなくともその声には重みがあるし、あくまで「村の利害」の代弁に徹し、党派的でないからこそどちらの陣営とも話をすることができた。オリジナル笑顔で駆け抜けられた。言うまでもなく、「党派的に中立であること」は山田が持ち得ない政治的資源である。国会議員である以上はいずれかの党派に所属することになってしまうのだから。
しかし、今回赤松は自民党の議員候補になることを選んだ。それは「党派的ではないこと」という彼の政治的資源を自ら捨て去ろうとする行為だ。政治に目覚めたばかりのトキメキ弾けそうなのかもしれないが、安直にすぎる行動だと思う。アンチ自民党のオタクは大勢いる。彼らは『ラブひな』や『魔法先生ネギま!』の作者の話には耳を傾けるかもしれないが、自民党の国会議員の言葉に耳を傾けることはないだろう。つまり、表現規制反対派は「どちらの陣営とも話ができる村の名士」を1人失ったことになる。かくいう増田もアンチ自民党オタクなので、残念ながら赤松には投票できない。
だが一方で、近年、フェミニズムに基づく表現規制を訴える人びとが急激に共産党や立憲民主党に根を張り、ついには先日の衆院選で共産党が「社会的合意」に基づく表現規制を示唆するに至った。言うまでもなく、到底受け入れられる政策ではない。これらの勢力の伸長が赤松に旗幟を鮮明にすることを選ばせたのだとしたら、支持できないにせよ非難もできないかなぁとは思う。ひょっとすると涙隠した笑顔に気づいてほしいのかもしれない。
それにしても、吉良よし子に1票を投じたオタクとして、彼女があんな主張をするのは本当に残念でならなかった。池内さおりの落選はシャーデンフロイデな朗報だったが、彼女に代表される路線は今後とも共産党の中枢に残り続けるのだろう。彼女たちのような勢力が実権を持っている限り、共産党への投票は選択肢に入らない。一票ごとドキドキ色づくこの選挙が未来地図になるのだから。
立憲民主党については、共産党のような上意下達型の政党ではなく、また本来の意味でのリベラリストもそれなりに多いので、選挙区では是々非々で対応することになると思う。自分の選挙区に立った立民の候補が表現規制にもオタク蔑視にも与していないならその候補に票を投じるくらいの信頼は置いている。積極的にオタク向けアピールをしろとは思わない(もちろん、してくれるに越したことはないけれど)。表現規制に賛成せず、オタクを侮蔑するようなことを選挙民に見えるところで言わないでいてくれればそれでいい。出会い系サイトを使って辞任したどこぞの元知事も、温泉むすめ関係での雑な発言などオタクを侮蔑するようなことさえ言わないのなら支持してもいいのだが、世間ではああいうことを言うと支持者が倍増したりするのだろうか。
しかしそうなると、仮に自分の選挙区が与野党一騎打ちの構図になり、自民の候補が赤松のようなオタクに親和的な表現規制反対派で、立民(or共産)の候補が池内のような限界フェミだったとしたら、投票先に迷うだろうと思う。公文書の隠滅、統計の改竄、五輪の誘致、災害対策における無能っぷり、人権条項を削ったやべー改憲案、いつまでも選択的夫婦別姓や同性婚に反対し続ける固陋さ、そういった諸点を鑑みるとどう考えても自民党への投票なんてできないのだが、しかし他方で表現規制推進派の限界フェミにも投票できるわけがないので、仮にそうなったら白票でも入れる以外に道はなさそうだ。幸いにして、増田の選挙区の立民候補はまともな人のようなので、安心して投票しているが。政策の先へJumpしたら受け止めてくれるかな?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1625314
b:id:houyhnhm 代理出産の最も厄介な所は、男女の問題からエスタブリッシュメント層と貧困層の対立になる所で。
ぜんっぜん ちっっっっっっっっげーーー馬鹿か一番厄介な点はそんな簡単なとこにねえよ!
b:id:lacucaracha ここまで徹底して、産まれてくる子供の立場にたった話が出てこないのは中々すごい(まとめから外されてるだけかもしれんが)
最も厄介な点はこのコメントの通りで子供を引き取らねーゴミクズが出る事だよ
曰く障害児だった、曰く精子提供者のような金髪碧眼ではなかった、曰く男児/女児は育てたくないから引き取り拒否
曰く10ヶ月の間に離婚した、曰く育ててみたら発達障害だったので返品する、曰く、曰く
あ?法律?国を跨いだ代理母ビジネスにどうやって法の網と執行機関が手を出せると?
b:id:kerokimu 代理出産じゃなくて人工子宮で出産できるまでテクノロジーが進んでほしい。
人口子宮なんてなんの解決にもならねーーーよ!!初めに思いつくコメントがこれかよ!
それにスター集めてるお前らも同罪だ、まじではてな村のやつらはクソバカ揃いか!
こうやってスター集めてるコメント見てるだけでよくわかる、女性は無謬でもなきゃ無辜でもねえよ原罪抱えすぎだお前ら
赤ん坊だけはどうやったって無謬で無辜だがな、その事に言及しているコメントの少なさを見ると
本当ブクマカは自分本位でクソしかいねえ、おいそこで聳え立つ一本グソども、地球のために今から10分間地球の空気吸うのやめてくれまじで
b:id:Hate6752na774 当事者間できちんと了解が取れてるんなら良いのでは。他人がオキモチであーだこーだ言うことでもないと思う。
ブクマカってこういう、子供の事を何も考えれないくせに「ぼくちゃんは中立の立場とれてすごいでちゅぅぅぅぅぅぅ」って自己評価してるウンコ野郎は夫婦別姓の時にもたくさんいるね
お前らは聳え立つこともできないヘタレグソだな
会社員には恒例の年末調整、職場から書類が郵送されてきて今年も書かされた。
もう手元を離れたので細かいところは記憶違いがあるかもしれないが、年末調整への不満ポイントを挙げていく。
なぜ自民は支持されるのか、立憲その他野党は支持されないのか、が選挙以来ずっと議論されている。
露出度だ、後援会だ、年季だ、経済だ、色々言われているが、結局「国民が現状に大きな不満を持っていないから」と言うのが最大の理由だろう。
立憲ですらだいたい議席数は二割。他の健闘したという国民やら維新やらだって、前回比では大幅増だけど、議席数や支持率は一割程度でしかないし、今回みたいなペースで支持が増えるなんて誰も思ってないはずだ。
世間の人たちは、とりあえず今のまんまでいいのさ。
そりゃあ多少の不満とか、癒着しやがってという怒りとか、将来の不満とかはあるけど、それらはそんなに激しくない。
問題や困りごとはあるけど、昨日や今日と同じ明日が続くならそれでいいし、問題解決の為に大胆な変化を加えてほしくはないって考えてる。
でも左派は、「現状に不満や怒りを持っている人の声を結集して世の中を変えよう」という運動をやっている。
構造改革だの、違う道だの、世直しだの……それって、今は魅力的には響かない。
非支持者への説得方法も、「あなたたちは自覚がないだろうけどこんなにひどいことされてるんですよ、あなたは不幸なんですよ、気づきましょう!」という論調だ。
ほどほど楽しく生きてる人間が、お前は不幸だ、お前は楽しめてないと気づけ、なんて言われても大抵はうんざりするだけだよ。
でも、これまで左派になった人たちは、誰かからのそういう説得が響いて「そうか、私は不幸だったんだ、許せん!」と強い怒りに目覚めた人たちばかりなので、他の人たちについても、怒りを煽って不幸を自覚させれば説得できると思い込んでいる。
現状に強く不満を持っている人、ひどく困窮してる人にとってはすげー傷つく話になっちゃうけど、個人ではなく大衆の話をするとこうなるのはまあ仕方ない。傷ついた心は身近な個人にケアしてもらってくれ。
同棲婚だの夫婦別姓だのも、「どっちでもいいけど、やりたい人がいるってんならできるようになっていいんじゃない」という消極的賛成が多数派だろうけど、「でもその為に政権交代やら改革やらのデカい変化が必要ならやんなくてもいいや」って感じ。
経済も、右肩下がりだけどまあまだ食っていけてるし、どんな立場もそれっぽい理屈は唱えてるし、だいたい経済なんて世界のトレンドに左右される運ゲーみたいなもの。
ちょっぴりだけ政治に興味ある人が一番「このままじゃやばいよなあ」を感じてるものといえば少子化だろうけど、誰が舵取りをしようが、今の個人の人権尊重トレンドを保ったまま少子化解消と両立するのは無理そうってのは明らかなので諦めてる。
そういうわけだから、野党やその支持者が全然世の中と噛み合わない感を解消したいなら、「世の中問題だらけだからビシッと変えよう」という感覚を捨てたらいいと思う。
とりあえず現状は良い世の中だととらえ直して、若干のメンテナンスを加えるって考え方&態度じゃないと、世間の感覚との乖離は縮まらないんじゃないか。
まあ、十年二十年先のことを考えるならそれだとヤバいかもしれないから、現代の世間感覚という短期的なフィールドは諦めるのも手だと思う。
でもその場合も、「多数派の現状への不満は小さいけど、あえて多数派と違う道を行く」という自覚と覚悟は持った方がいいだろう。
LIVE HAUS店長のスガナミユウ氏が「誰が踏みつけられているか」と題するnoteを公開した。
https://note.com/yusuganami/n/n78c9b96cb4be
https://medium.com/@sos.yu.lh?p=8926b83122e
私は彼の所属するインディミュージシャンコミュニティとでもいうべき界隈に属しているが、周囲の反応は絶賛の嵐といって良い状況だ。noteのリンクを張ったツイートには大量のいいねとリツイートがあり、批判らしき反応はほとんど見受けられない。これはかなりマズイよなーと感じてこの文章を書いている。
まず、前置きとして、このnoteに対する私のスタンスを書く。ちょっと長いので興味がない方は適宜とばしていただけるとありがたい。なお、文中の”リベラル”とか”アンチリベラル”といった記載は一般的にリベラルっぽい仕草・アンチリベラルっぽい仕草と受け取られがちなものとでも思ってほしい。
「誰が踏みつけられているか」はスガナミユウ氏が選挙中の市民運動を通して感じたことを書いている。その内容の主題は、日本にはまだまだ差別や不平等(特に男女差別に着目している)が残置していること、そして特権的な立場にいるスガナミユウ氏をはじめとした「おじさん(大人のシスジェンダー男性)」への自省を求める内容である。スガナミユウ氏はこのnoteを「知り合いのすべての男性に読んで頂きたい」という文章を添えて公開した。もっと言えば、(男女間等において)日本に差別や不平等がないと主張する男性、あるいは女性やLGBTなどの差別のみがピックアップされることに不満を感じている男性を説得しようとする文章であるだろう。 何がマズいと感じたかって、このnoteはスガナミユウ氏の周囲に多い所謂”リベラル”思想に親和的な層には受けても、本来のターゲットであろう”アンチリベラル”な層からは反発しか生まないような内容になっていたからだ。スガナミさんとは親しくこそないものの何度か会話したことはあり、政治思想の差異こそあれど、頭が良く一定のバランス感覚がある人物だと思っている。彼は社会を良くしようと考え、実際に行動に移してきた尊敬すべき人物だ。そんな彼がこんな内側にしか向かないバランス感覚に欠けたnoteを書き、それが大絶賛されている状況は本当に良くない。近年勢力を増した過激なラディカルフェミニズムは強烈なバックラッシュを生み、ミソジニストを増やす原因となったと考えているが、このnoteはそんな流れの延長線上にあると感じる。
わたしは男女平等の実現を望む一人として、このnoteの内容を批判したいと思う。私たちは完璧でないがゆえに、時に差別的であったり配慮に欠ける言動をしてしまうが、個別のそれに対して苛烈な批判を浴びせるのは適切でない。なにより問題なのは、その問題がある発言を周囲が容認してしまうことだ。スガナミユウ氏個人を非難することにあまり意味はないが、このnoteを無批判に受容してしまうコミュニティは大変問題があると感じたのがこの文章を書くにあたった経緯である。
まず、なにより批判したいポイントは、氏の主語の広さである。冒頭で過去のツイートで『おじさん』や『女性』と太字でまとめたことを指して、配慮に欠けたと反省しながら、結局のところこのnoteは「おじさん(大人のシスジェンダー男性)」を特権的な存在として雑にくくってしまっている。
大前提として現代の日本社会は男性が有利な傾向にあることは私も同意する(特に経済的な側面において)。しかしそれはあくまで傾向の話である。割合は適当だが、例えば7割の大人のシスジェンダー男性は平均的なその他のジェンダーよりも恵まれているかもしれない。しかし残りの3割はより不遇な立場にあるだろう。傾向の話だけでも、シスジェンダー男性の平均が不利な傾向にある場面も多々存在する。死亡率の高い労働は男性比率が圧倒的に高いし、自殺率もホームレスの数も男性が上だ。職業的な話でも、例えば保育士になるハードルは男性のほうが圧倒的に高いだろう。当たり前ではあるが、切り口はジェンダーだけだはない。年齢・健康・容姿・性格・能力・人種、なんでも良いが差別や不平等を生む原因は無数にある。これらの意見は典型的な”アンチリベラル”の物言いだと感じるかもしれない。しかし彼らを説得したいのであれば当然このような主張に対する応答は必要なはずだ。なにより”アンチリベラル”が怒っているのは、”リベラル”が特定の差別や不平等だけに着目し、それ以外を矮小化・無効化しようとする態度だろう。ここを無視して「おじさん」は特権的な立場にあるとだけ言っても当然反発を生む。典型的に”リベラル”には受けるが”アンチリベラル”には説得的でない主張となってしまっている。ある側面における男性優遇を批判するにしても、それは慎重に対象を選ぶ必要があるはずだ。
次に批判したいポイントはバズワードになりがちな「平等」という語句をどのような意味で使っているかが何ら書かれていない点である。性差別に関する論争でよくあるのが、”リベラル”は(結果平等を指して)「日本社会において男女は不平等である」と言っているのに対し”アンチリベラル”が(機会平等を指して)「日本社会において男女は既に平等である」と言い合い、すり合わせもないまま不毛な罵倒合戦をやるパターンだ。氏は文中において、差別・不平等が残置されている例として選択的夫婦別姓・同性婚・LGBT平等法が実現されていないことを挙げているあたり、結果平等を念頭に置いてこの文章を書いているのだろうが、”アンチリベラル”の多くの反応は「法律的にはどれも男女間で差異が無いのに何を言っているんだ?」というものになるだろう。細かいことをあげつらっているように感じるかもしれないが、やはり対抗論者の考えを想定していない内向きの文章になってしまっている。そもそも例として挙げられている選択的夫婦別姓・同性婚・LGBT平等法をジャンダー感の不平等という文脈で扱うことに個人的にかなり違和感があるが・・・・・(ジェンダー間の問題もあるだろうが、それ以外のイデオロギーの違いによるものがよほど大きいのではないか)。
最後の批判として、氏が「おじさん」に対する差別に無批判な点である。私が気になったのは『みんなの未来を選ぶためのチェックリスト』の記者会見において町田彩夏氏が受けたマンスプレイニングに関して言及している箇所だ。記者のマンスプレイニングに対して町田彩夏氏が返した「あらためてこの場において、特定の、所謂、ある年代以上のおじさんたちが司っている”国会”というのは日本社会に重なるものなんだなということを実感いたしました。ありがとうございました」という発言はマンスプレイニングを行った記者個人の言動を広げて「ある年代以上のおじさんたち」一般に拡大した差別的な発言である。大前提として、私は町田彩夏氏を非難する気は毛頭ない。記者のマンスプレイニングは本当に酷いものであるし、その反論が皮肉交じりになって問題のある表現が含まれてしまうのは理解できる。氏の毅然とした対応にむしろ好感を持っている。前置きでも書いたが、私たちは完璧でなく、時に差別的であったり配慮に欠ける言動をしてしまう。個別のそれを非難しても建設的ではないし、重要なのは周囲でありコミュニティがそれを容認しないことだと私は考えている。このnoteがジェンダーの不平等を訴える内容である以上、この町田彩夏氏の発言に対しスガナミユウ氏が言及しないのは不誠実ではないだろうか。少なくともその非対称な振る舞いは”アンチリベラル”が反発する最もたるものだと感じる。
ここまで読んでいただけるとわかると思うが、「誰が踏みつけられているか」はとにかく説得対象である”アンチリベラル”的な考えを持った対抗論者の思考をトレースできていないと感じる。そして自分と同じ”リベラル”的な思想だけを考慮したこのnoteは”リベラル”内でだけ盛り上がり、”アンチリベラル”には反発され、結局のところ分断だけを生むものとなってしまっているのではないか。誰かを説得したい時には、賛否はともあれまず相手の主張を理解するところから始めるべきだろう。この「対抗論者の考えをトレースするのが絶望的にできていない」点は近年のリベラル勢力に多い典型的な欠点だ。上記の私の批判にも多々問題はあるだろうが、少なくともこのnote「誰が踏みつけられているか」が無邪気に賛同一色となるコミュニティは絶対に健全でないと思うのだ。なんだかんだと書いたが、私自身はどちらかと言えば”リベラル”に親和的な考えを持っている。スガナミさんの主張に賛同するところは非常に多いし、全体的に見て日本社会は男性優遇の傾向にあると考えている。しかし社会は多面的で、一概に男性、女性、LGBTとくくってしまえるような問題はほとんど無いはずだ。いまいちど”リベラル”は自分自身の思想を俯瞰して考えられるようにならないと、本当にマズイ。
https://twitter.com/maeQ/status/1461327952696643591
わかる部分はあるんだけど、これも夫婦別姓の議論と同じで、「名義を変える」というのは「そこでキャリアが分断される」ということなので、強制されることがあってはいけないんだよな。たとえ現状「賢い」選択であったとしても。
政治的に敢えて同じ名義を使うという人もかつてはいただろうけど、現代はもう「何も考えず」同じ名義を使う人も多く、それにはいい所と悪い所があるのだろう。よく言えば「自然体」、悪く言えば「考え無し」。しかし、全体的な方向性としては正しくあるべき道だと思う。
(これ↓も貼らないと前Qさんの言いたい事のニュアンスが伝わらないので貼っとく。)
https://twitter.com/maeQ/status/1461592858461290497
https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2020/08/wha_pro_wom_sur_03.pdf
P20に注目。夫婦同姓制度への賛否と言う形で夫婦別姓の是非を質問しているが、全ての年代で「夫婦同姓に賛成」が「反対」を上回っている。
しかも、18~29歳の世代は「夫婦同姓に賛成」の割合が6割以上と飛びぬけている。一方で反対は2割弱で、4:1の比率だ。
つまり若者世代の大半は、選択的夫婦別姓の導入を望んでいないことが分かる。
先の衆院選で選択的夫婦別姓の公約が自民党から消えたのは、選択的夫婦別姓制度の導入を大半の女性、特に若者世代が望んでいないことを考慮したのだろう。
賢い選択だった。
夫婦別姓が選べると嬉しい人間のひとりなんだけど、たとえば子どもとか社会のシステム的な利便性とかのことを考えたとき、どうするのがベストなんだろう。
夫婦別姓がいい理由は、今の自分のフルネームに愛着があるからっていうだけで、反対派が言うところの自分勝手で社会のことなんか全然考えてないアホそのもの。名前が論文に載ってたりもするけど、まあ今の仕事は全然分野違いだし、今後業績として数えることもないと思う。べつに名前が変わったって手続きがめんどいくらいで支障はないと思うけど、自分の名前が気に入ってるからできれば変えたくない。
でも、だからといって相手の名前を変えさせたいわけでもない。今結婚を考えてる人は、あなたの名字に変えてもいいよって言ってくれるけど、名字ランキングを検索したら相手の名字のほうが自分の名字より人口少なかったから、変えちゃうの残念かもなって思った。人数がすべてではないけど、でもいつかもっと少なくなって消えちゃったらもったいないじゃん。
会社とかでは旧姓使えるんだからそれでもいいだろとか、免許証にも旧姓書いてもらえるとか言うけど、なんかそうじゃなくて、今の名前が公式な名前ではなくなってしまうのが悲しいんだけど、うまく説明できない。自分の名前はりんごだと思ってずっと生きてきて、明日から公式な名前は梨になりますよ、まあでもりんごって名乗ってもいいですよ、病院とかでは梨って呼ぶけどあなたがあなたであることには変わりないんだからいいでしょって言われても、りんごって名前が完全になくなってしまうわけじゃないけどちょっとやっぱ寂しい。何言ってるかわからなくなってきた。
べつに相手の名前を名乗りたくないわけじゃなくて、自分の名前が公的には残らなくなることが嫌なだけだから、普段は相手の名字で暮らすのでもいい。〇〇さん一家とか〇〇さん夫妻とかいうのは家族なんだなってすぐわかって便利だし。
ということで今一番いいなと思ってるのは、南米みたいに二人の名字をどっちも残すこと。山田さんと田中さんが結婚したとき、戸籍には両方記載することにして、普段は山田-田中一郎って名乗ってもいいし、場合に応じて山田一郎でも田中一郎でもいいみたいな。子どもの学校では田中くんパパって呼ばれるけど、会社では山田課長って呼ばれる、そのどっちもちゃんと公的な名前だったらなんか別々の家で育った別々の人同士が結婚した感じも出ると思うしけっこういい案だと思うんだけど、やっぱ難しいのかな。
戸籍のメリットデメリットとかは、納得するにはちょっと難解でこんがらがってきちゃって今いろいろ調べてるので、もし誰か解説してくれるような人がいたらうれしい。