はてなキーワード: 合理化とは
俺は東大合格者5番には入る学校にいて、学校内では底辺の成績だった。現役東大落ちて、滑り止めの学校にいって、今はニートしてる。いろいろ興味深いこととか実態とか話す。
まず、あまり注目されないことだが、超進学校には明確な学力ヒエラルキーが存在する。低い階級のものは、何か他のもので自分の現状を合理化しようとする。例えば、部活に熱を出したり、文化祭などでリア充っぷりを追求したり、だ。高い階級のものは、無垢なままで高くありつづける。このヒエラルキーは、ずっと続く(受験生になってから、勉強法を模索して東大に滑りこむ奴は結構いるが)
全体として見ても、「昔はチヤホヤされた」集団なので非行に走るやつや、飛び抜けて性根が腐っているようなのはあまりいない。いじめは中学まではあるが、高校に入ると途端になくなる。
次に、カリスマ教師のようなものはいない。教師の質に関しては俺が言及できるところはないが、少なくとも「カリスマ」はいないと思われる。ただ、これはうちの学校だけかもしれない。自身の指導方針に自信と誇りを持っているような教師が、どこかの学校にはいるらしい。(個人的に灘の校長はカリスマだと思う)
塾について。9割の生徒は塾を利用する。鉄緑会を始めとした大手塾に通う人、小規模な個人塾に通う人もいた。塾の学費は年間約50万(科目数にもよる)程度であり、学校の学費が100万程度であることを考えると、結構洒落にならない金額がかかる。ちなみに俺の親は年収1500万付近の人間だが、ほとんどの人はそれ以下ぽかった。子供には相当のプレッシャーをかけていたのだろうか。
総括。
教師も生徒も、「じぶんはなにも知らない」という認識が欠けていた。善悪の判断を自分でしようとするものがいなかった。
「東大いけいけ」「医学部おせおせ」なムードが強く、流れにのるだけで東大にもいけてしまうので、そういうのが好きな人にはいいと思う。しかし物事に懐疑的な人には、生きづらい環境であった。
俺は中学とか高校というものが嫌いなので、自分の子供をいかせるつもりはサラサラないが、「日本国内」で「中学高校」にどうしてもいかせなければならなくなったら、進学校を選ぶと思う。
結婚式はやらなかった。
夫婦ともに人前に立つのがすごく苦手なので、その選択を後悔してはいない。
ただ、もうすぐアラフォーを目前にして、ウェディングドレスを見るとモヤモヤすることが増えた。
テレビのCMや街中のショーウィンドウ。友達から送られてくる写真や絵葉書。
真っ白なドレスを見て嬉しそうに微笑む彼女たちを見ると心がざわつくのだ。
「ちくしょー!うらやましい!私もそれ着て、夫に可愛いって、キレイって言われたい!」
もともと、女性らしい格好は苦手で今もクローゼットには冠婚葬祭以外のスカートは入っていない。子どもの頃からズボンをはいて野山を駆け回る男勝りな子だった。
いつからそうだったんだろうと記憶を掘り起こしてみれば、おぼろげに見えてきたのは幼稚園頃の思い出。
友達がとても可愛いお姫様のようなワンピースを着ていて、自分もそれが欲しいと両親にねだったのだ。両親はその願いを一蹴した。理由は分からない。
それ以降、私は女の子らしい服装を憎むようになった気がする。
手に入らない物に憧れ続けるのは辛いことだからその反動だったのかもしれない。
イソップ童話でいうところのぶどうが食べられないキツネと同じ心理だ。
Wikipedia先生によると「フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする」とあった。
なるほど。さっぱり分からん。
なにはともあれ、私は女らしさを立派にこじらせたまま大人になり、紆余曲折を経て結婚をした。
そして今頃になって「え?もしかして私、ウェディングドレス着たかった?」と狼狽している訳である。
もちろん今からでも着ようと思えば着ることは可能だ。写真だけで満足すると思うので10万円も出せば簡単に夢は叶うだろう。
しかし。
しかし、だ。
アラフォーババアのウェディングドレスなど正視に耐えないものになるのでは…という恐怖が拭えない。
お姫様に変身した姿を期待して鏡の前に立つ、そこに映っていたのがボストロールだったら…。女性としてのプライドは完膚なきまでに打ち砕かれ、きっと立ち直れないと思う。私はこれまで以上に女性らしさを憎むようになるだろう。
それに夫に何と説明すればいいのか、という問題もある。
今更、ウェディングドレス姿を残したいです、とか恥ずかしくてとてもじゃないが言えない。今まで築いてきた「ウェディングドレス借りるだけで数十万?アホらし。それなら叙々苑で焼肉食べるわー」キャラが、イメージが瓦解してしまう。
もしそこで夫に一笑に付されようものなら、私の女性としてのプライドは(以下略)だし、「お前も女だったんだなぁ(微笑み)」などとしみじみされてしまったら恥ずかしさのあまり死ねる。
夫から突然「結婚記念に写真を撮ろう。どうしてもお前の姿を写真に残しておきたいんだ」と懇願されて、「あなたがそこまで言うなら仕方ないね」としぶしぶ写真を撮りに行く、というのが一番ベストな手段なのだが、世の中そんな都合の良いことが起きるわけはない。
妻に絶対ウェディングドレスを着せたい!なんて思っている男性は現実にはそうそういないだろう。大抵の男性にとっては『結婚式なんて金の無駄遣いだけど、親or彼女(妻)がどーしてもと言うから仕方なくやっとくか』というもののはずだ。
『人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない』
今日、久しぶりに読んだマンガにそう書いてあった。ええ言葉や。確かにそうだと思う。
私は自分の小さいプライドや見栄を気にして、何も犠牲にしないから、何も得ることは出来ないのだ。
正月に地元に帰ったら男だけで集まってまったりしたりするわけですよ。で、みんないい中年だから、体調がどうとか、親の介護だとか見取りだとかの話から、自分が死ぬときの話になり、生命保険の話になる。話聞いてる分にはみんないいお父さんしてるようで、息子や娘の将来のために生命保険掛けるのも立派なことだとは思う。
ただね、あなたが死んだ後の息子や娘の人生は、あなたの死というあなた自身の究極に個人的な経験とは、これっぽっちも関係ないんだよ。なんかさ、子供の人生のことを心配することで自分の死から目を反らせてない?自分の人生の延長戦があるように感じてない?感じようとしてない?へーそうか、生命保険というのは、こうやって死の恐怖と折り合いを付けるための宗教的な意味合いもある商品だったんだ。
とか、冷ややかな目線で第三者的に見てると、段々イライラしてきた。こんなこと考えるのは、子供ができなくてちょっと頭がおかしくなってきてるせいだな、とも頭の片隅で考えつつも。
「生命保険って自分の死を合理化するためのものだったんだね」と思わず言ってしまった。幸いみんな、「なんだこいつ」ではなく、純粋に「?」な感じだったので、適当にごまかした。
全部説明したら、いやいや、子供の将来のこと考えるのも大変なんだよ、その点、子供がいないってのは、誰の心配もせずに一人で勝手に好きなときに死ねて、気楽でいいよ、その分、好きなことをエンジョイしなよ、とか、なぐさめてくれたんだろうか。
また正月の予定の話が出て、思い出したので書いてみた。
新婚
お互いフルタイムで同じくらい稼ぐ
同じくらいの頻度で夜遅くなることもあるし、そうでないときもある
これまでは片方が食事作り全般、もう片方がその他全般やっていた
ある日、お互い自分の分だけ家事やろう、どっちかが遅くなったりしてできなかったときに迷惑かけたり罪悪感持つのはよくないから
って事になったんだけど
じゃあトイレ掃除とか排水口掃除とかルンバのゴミ捨てとか、そういうお互いの仕事って誰がやるのかな
っていうか一人暮らし×2みたいな生活してたら、いつまでたっても子供作れないよ。キャパオーバーする。
夫婦としてお金や家事といった日常生活をある程度合理化することで、家族を増やす余裕ができるのではないのかな。
一人暮らしに戻りたい。
地域の名産品というのは、実はすでに状況的に終わっていたりもする。
昔は、各地域の地域性に沿った作物・産品を作るのが一番経済的に有利だったから、それらを作っていた。
でもそれを上回る経済的に有利な作物が出来れば、それに移行する。
中には他に選択肢がなかったから、しょうがなくというケースもあったろう。
昔の名産品という物には、他の作物よりもソレを作ったほうがより儲かる、というよりも、それくらいしか現金収入にならなかったから、という消極的理由のものもあったように見える。
だから流通の発達した現在は、一般の生活野菜を作る方が、より経済的農業として現実的・安定的だったりする。
後日追記
生活野菜は、広く多く栽培されているので、機械化・合理化もかなり進んでいますが、特殊な地域農産物は、すべて手作業だったりします。それも不利な点です。
以前ちきりん女史が、
「成人病予備軍に、成人病治療に投入される社会的コスト(=税金)を可視化して提示したら、
予備軍が健康に留意するようになった」と言うネタを投入してた。
「全ての社会サービスについて、投入税額を可視化したら、受益者側も節制するようになるのでは?」とちきりんは提案。
自分もちきりんの「社会サービス受益者に、投入税額を可視化提示する」のには賛成だが、
そうなると一番問題なのは「保育所利用者に、投入税額を可視化表示」だろうな。
保育所利用者は、自らが支払う保育所利用料の数倍の税金が投入されてることを知らない
自分は「自分の小学生の子供の、毎月の税金投入額(=本来なら授業料になるべき金額)」を知りたい、という風変わりな保護者だ
仮に授業日数を250日と仮定すると、「1回あたりの授業料」は、小学校で3,400円、中学校で4,000円にもなる。
果たして、この金額を意識する保護者、そして児童生徒はどれくらいいるのだろうか?
小学生に対して、「この授業は、君たちの月額お小遣いの10倍ものお金が、毎日税金から投入されています」と、絶対に教育すべきだと思う
一般的に「人口の高齢化は望ましくない、どんどん子供を増やすべきだ」と議論される。
しかしそういう論者は、
「義務教育に年間1人当たり100万円、義務教育課程で900万円がコストとして嵩む」ことを織り込んで議論しているのだろうか?
因みに「日本全国平均で、小学生は3,400円/日、義務教育に嵩む」という話であり、
「山中の分校で、生徒一人先生一人」なんて場合、間違いなく10,000円/日を超えている。
義務教育コストを可視化したら、間違いなく「増田リスト自治体(消滅自治体)の教育コスト」は
思考実験。
義務教育保護者に「教育バウチャー、年間100万円分」を手渡して、公立私立国立なんでも選択できるようにすれば、どうなるだろう?
一人当たり義務教育コストを、平成23年85万円⇒24年83万円⇒25年81万円⇒26年79万円と「カイゼン」していく、と思うのだが。
逆に言えば、投入金額を年間85万円でフィックスしているのなら、教育効果は対前年比1%づつ、20年で20%は改善していないとオカシイ
ところが、実態は、年によって「ゆとり教育」として一気に改悪したりしている。
義務教育バウチャー以上に、未就学児育児バウチャー制度の方が効果的かも。
未就学児を抱えた家庭に、一律月20万円を配布。その代わり保育園への税金投入を停止。
保育園に預けたい人は、月額20万円程度に値上がった保育料を負担しながら、保育園に入れる
明治33年の小学校令までは、義務教育でも(尋常小学校でも)授業料取ってたんだな。
思考実験。
「教育は義務だ、でも公立小学校通学に授業料年間85万円払え」
と保護者に請求したら、就学率はどうなるだろうか?
義務教育保護者に「年間85万円支払え」と要求したならば、保護者の側も
「だから、授業料を85万円⇒80万円⇒75万円にしろ」、と。
教育バウチャー制度は小学校経営を「合理化」する効果があると思う。
「江戸時代、農民はコメ経済ではあったが貨幣経済じゃなかった。
明治になり、尋常小学校授業料という「貨幣で支払わなきゃならないもの」が
押し付けられたせいで、農村は無理やり貨幣経済化を強いられた」
と経済史の解説して、目ウロコだった
シリコンバレーで新卒採用でソフトウェアエンジニアとして働く先輩として,君たちにN○Tよりシリコンバレーで働くことを勧告したい.理由は大きく3つある.
一言でいうと,シリコンバレーでエンジニアとして働くことはとても幸せで充実しているからおすすめしたいということなのだが,何に幸せを見出すかは人それぞれ違うので,特に思いつく以上の3つのメリットをもう少し詳しく説明するので,一つでも興味が当てはまるのならいいから黙って話を最後まで聞いて欲しい.
大まかにいって,20万ドルから30万ドルの年収が期待できる.これは日本でサラリーマンとして働くことに比べると大変高給だと思う.
別に高給だから偉いというわけではないが,一日の多くの時間を費やして労働という形で給与を得る立場である以上,給料は最も大切な要因の一つであると思う.
それに,高給だと生活に余裕がでるし,贅沢も多くできるし,何より気持ちに余裕ができる.
それほど重要な要因である以上,誤魔化さず明確に数字を示すことが大切だと思うので包み隠さずいうと,僕の場合だいたい5年目までは以下のような給与カーブをとった.
1年目:15万ドル
3年目:21万ドル
5年目:26万ドル
6年目〜:僕も未知の領域なので詳しくはわからないが,30万ドル付近に一つの壁はあるように感じる.そこをいつ超えられるかどうかは完全に実力と出世次第.早い人なら5年目の時点で既に超えていると思う.
もちろんパフォーマンスによって変動する部分もあるし,昇進のタイミングによっても変わってくるが,君の給料もプラマイ10%から大きく見てプラマイ20%以内には収まるだろう.一時,某ゲーム会社で新卒年収最大1500万円というのが話題になったが,シリコンバレーでは皆が新卒で普通に貰える給料なのである.
僕のケースは大企業なので,ベンチャーとなるとまた話が変わってきて,僕の友人を見る限りでは,現金で貰える基本給・ボーナスが低い分,ストックオプションが貰えるようである.もし上場でもしようものなら,ストックオプションは大変な価値になるだろうから,より変動のある給料といえる.ただ基本給が低いとはいっても,新卒で10万ドル程度もらっていた.
税金は日本でフルタイムで働いたことがないので,詳しい比較はできないが,調べる限りではそう大きく差はないように思う.
よくシリコンバレーは家賃が高いという指摘があるが,実際その通りで,だいたい月の家賃は2000ドルから3000ドルのレンジである.独身でルームシェアを厭わないのであれば,もちろんもっと節約することは可能だし,ルームシェアも日本よりずっと多いが,20万ドルを超える給料を貰うと,正直なところ月2000ドル3000ドル程度の出費たいして痛くはなくなる.なぜなら平均した月の手取りが例えば11000ドルだとして,家賃に2500ドル払って,残りまだ8500ドル残る計算であるからだ.
なお,それ以外の生活費,例えば食費などは別段日本と変わらないか誤差の範囲内である.
日本人的感覚だと高給取り=過労 and/or 首切りというイメージがあるが,こちらでは全くそんなことはない.そもそもプログラミングのような集中力がいって頭も使う仕事そうそう何時間もぶっつづけでできるようなものじゃない.また仕事は極めて合理化されているので,この時間無駄だなと思う時間が全くない.実際僕の一日の実働時間は4〜5時間位だと思う.実働時間といったのは,リフレッシュのためにチームでテーブルサッカーをしたり,会社で用意される軽食やらお酒やらを楽しんだりする時間もあるからだ.それでもだいたい平均で一日会社にいる時間は7時間もないと思う.
また,働く時間と場所についても相当に柔軟である.いつ会社に来ても,いつ会社から帰っても,また家から働いても,カフェから働いても,最終的に仕事さえやっていれば基本的には誰にも文句は言われない.もちろん,何の申請もいらない.例えば,最近では,ワールドカップがあると,ワールドカップの時間だけ家に戻って家族で楽しんでまた会社に戻ってくるなんてのが普通に気兼ねなくできる.
この辺の正確な塩梅は会社やチームによって変わってくるが,ワールドカップ見に家に帰る,毎週金曜日はWFH (Work From Home) するという程度のことが許されないのはあまりない.さすがに,毎日WFHするのでそもそもアメリカにもいませんなんてのが許されるレベルになるとだいぶ少数派になると思うが.
有給も言うまでもなく自由に取れる.僕は今のこの就労環境を正直天国だと思っている.それくらいストレスを感じることなく自由に仕事ができる.
ちなみに念の為に言っておくと,リストラもない.数として0ではないが,よほど仕事しない限りない.
これもその通りである.日本で日本語で日本人と働いているだけでは,よほど君に突飛な才能がない限りグローバルな人材にはなれない.嘘だと思うなら,日本の会社で働いている数年上の先輩に,世界中どこへでも転職できると思うか聞いてみるといい.殆どの人がNoと答えるだろう.別にそれは彼らに世界中で働ける資格や能力がないというわけではない.単に世界で働けるか知らないし知らないから自信がないだけだ.シリコンバレーは世界中から有能なエンジニアが集まっており,当然英語で仕事をする.そこで実際に仕事をして身につくもっとも大切なことは,自分は世界で見ても一人前のエンジニアであるということを知れることである.別に僕は何も特別な存在ではない.心配しなくてもこれだけ高度な教育を受けられる日本で優秀な君たちは世界的に見ても優秀だ.しかし実際に身をもって体験しているかどうかという差は極めて大きい.実際に,僕はシリコンバレーで働いて世界のエンジニアのレベルは平均では思っているより低いと感じた.でも,それをいかに僕が説明しても恐らく君の自信には繋がらないだろう.なぜなら僕と君は当然違う人間だし,そもそも君はそれを実際に体験・体感していないからだ.シリコンバレーで実際に世界のエンジニアと働き,自分と比べ,その中で世界での自分のレベルを知れることは本当に有意義である.僕は,数年シリコンバレーで働いて,決して特別優秀ではないものの,一人前のエンジニアであると自信をもって言える.当然,英語も話せるようになった.もし,僕がアメリカでの生活に飽きたとしても,世界中ソフトウェアエンジニアの募集がある所なら,ロンドンでもチューリッヒでもドバイでもブラジルでも,どこででも働ける.
(一応,誤解なきよう言っておくと,あくまで平均の話であって,世界で超トップレベルのエンジニアは想像以上に凄い.本当に凄い.今でも空想上の生き物にしか見えない.)
以上を踏まえて,ここまで興味を持って読んでくれた人は是が非でもシリコンバレーで働くべきである.タイトルは学生だけに限っているが,当然既に日本で社会人としてプログラマとして働いている人も対象である.日本の学生や社会人として会って話してよく聞くのは,もう少し日本で鍛えてから来たいとか,英語ができないからまず英語を勉強してから来たいとかだが,はっきり言って両方とも馬鹿げている.日本で働けば働くほど,世界で働くエンジニアとは差が付くし,当然英語の成長も遅い.自分が働きたい環境にそえるようになってから働くのではまったくもって遅いし効率も悪い.働きたい環境に自分を投げ込んで,自分を成長させるほうが遥かに効率がいいし正しい方法である.目標が人を成長させるのではなく,環境が人を成長させるのだ.折角,大学を出たばっかりの君はまだ優秀なんだから,無為に時間を過ごすのではなく,黙ってシリコンバレーに身を投げ込めば,嫌でも仕事して生きていかないといけないのだから,何でもできるようになる.
僕自身,英語の勉強が大嫌いでアメリカで働きでもしない限り英語を話せるようにならないだろうというふざけた理由でアメリカに来た.当然,最初はろくに意思疎通すらできず,苦労したが,所詮僕らの仕事はプログラミング.何も外に物を売りに行くわけでもない.自分がやらないといけないことさえ分かれば後は黙ってコードを書いておけば最初はなんとかなる.半年も経てば意思疎通はできるようになる.一年も経てば業務上問題無い程度に話せるようになる.
アメリカのCSの学生は普通に卒業してシリコンバレーで働いているのである.シリコンバレーには星の数ほどIT企業が存在して,全くソフトウェアエンジニアは足りていない.そうすると良くも悪くも必要とされるレベルも下がる.率直に言って,こんなレベルでよく採用されたななんて学生がアメリカの大学を出ているというだけで山ほどいるのである.日本でプログラマで待遇のいいところなんて,某検索エンジンの会社とか一部の外資系に限られていて,採用も限られているので,ほとんどの人はああいうソフトウェアエンジニアとしての生き方は優秀なひとにぎりの学生のためにだけ存在すると考えているかも知れないが,それは大きな間違いである.某検索エンジン社は日本では指折りの待遇だと思うが,それでもなおシリコンバレーの給与水準から見ると低いし,何もそんな狭き門をくぐらなくても,十分シリコンバレーでは働いていけるのである.凄く大雑把で主観的な意見だが,君が東大や京大の情報系で上位半分にいるなら,まあ問題なく働けるだろう.プログラミングができない?アメリカのCSの学生も日本と結局は似たようなカリキュラムで勉強しているのだから,心配しなくても彼らも同程度にできない.だいたいプログラミングなんて働いてから勉強しても遅くない.CSの基礎ができているなら,すぐ書けるようになる.むしろ大切な能力は未知のことを学び,物にし,アウトプットするというサイクルがどれだけ速く多くできるかということなのだが,本題から外れるのでここでは話さない.とにかく,敬遠せずにどんどん挑戦して欲しい.ただ,人手不足ではあるものの,基本的にこちらの面接は保守的であるように思え,つまり,この人は確実に役に立つ,やっていけると思った人しかとらないように見える.また,会社によって積極的に採用している時期もあればそうでない時期もある.だから,仮に面接に落ちてもそれは全くもってそこでやっていけないことを意味しないし,実際面接も一定の期間をおいて何度でも挑戦可能であるし,知り合いにも3回目の挑戦で受かった人がいるので,仮に落ちたとしても何度も見なおして挑戦して欲しい.
繰り返しになるが,こんなに楽しく自由な環境で,こんなに高い給料がもらえて,こんなに成長できる環境は世の中のあらゆる仕事を探してもそうはないと思う.せっかく情報系に入ってソフトウェアエンジニアになれるチャンスと資格があるのだから,ぜひそれを活かしてほしい.健闘を祈る.
P.S. 匿名にて投稿してありますが,本文書は僕個人の意見を表明したものであり,所属する或いは所属した組織や団体の意見を表すものではありません.
一昔前のユースカルチャーだった洋楽やロックだのの衰退が著しい
http://xkxaxkx.hatenablog.com/entry/2014/05/01/164026
みたいなのを見た思ったけど、自分のころまで(現在27歳)にはこういう商売として採算が合うカウンターカルチャーみたいが瀕死ではあったけどギリギリあったので、
今のネット右翼やニコニコシーンみたいにネオナチじみた直接的な政治意図や政治動員を経ないである程度は音楽だの文化だの懊悩だのみたいなのに触れることができた、
みたいなのをそのうち説明いないといけなくなるのだろう。
(さらに昔のウッドストックだののころの反戦運動みたいなのはよくわからない)
ただもう自分のころはかなりIT系の合理化が進んでいてちょうどNapsterやWinampが技術革新ってもてはやされて雑誌が潰れ始めたころで、2chも草創期でネット右翼はきちんといたんだけど。
3.品質、クオリティの追求(反面、要領よく回す、次に薦めていくことができない)
1)ユニクロ
徹底したグローバル化、合理化、計画的一括購入によるコスト削減。
「コストパフォーマンス」の象徴。「シンプル」なデザイン。
2)ゼンショー
ご存知すきやを運営する。合理化の神であり、人間をロボット化する技術を持つ。
吉野家より100円以上安いコストパフォーマンスのよさが評価され、
店舗数1200の吉野家に対し、2000店舗以上を構えるまでになった。
なお、両方の社長について述べておく。
柳井正 推定個人資産:約6308億円 早稲田大学 家業をついで恐怖の大改革をしたが社員が半分しか辞めなかったことに味をしめて、社員をコントロールする術を身につける。現在 65歳
小川 賢太郎 東京大学 学生時代の全共闘での生活から労働者をコントロールする術を学ぶ 65歳
人を人と思った時点で、経営はできないのか?
これって非常に生きてるんだよ。
勉強なんか出来なくてもな、上のことを良く聞いて、下のヤツを使うことができればきちんときちんと仕事ができるんだよ。
わしらはそうやってほとんどが一軒家も建てることができたし子供を育てることができたし車を買うことも出来た。
本当にこういうことが大切なんだよ。
今の若い子たちはむしろ我慢ができない。上の人のことをきちんと聞けない。下の人をきちんと使えない。
マクルーハンは、中世を合理化した近代はプリント・カルチャー(印刷文化)に集約された、と言っています。とにかく何でも印刷して分類して読み込まないと理解できない。中世の写本の時代には、その人特有の書き癖もあるし読み上げる声の力、聴き取る力が必要だった。そうした声による情報伝達が印刷文化に置き換わることで近代国家が生まれた。だが、近代になって一度は捨てられた中世的なものが、電子時代になると復活する、というのです。ポスト近代になれば、国家による中央集権はフラットな情報社会に置き換わり、国家が中心なのではなく個人が中心になる。天動説とガリレオ・ガリレイの地動説は再びひっくり返るのかもしれないし、例えば「ナルニア国物語」なんて、まさにそういう中世の世界観の復活のように読めなくもない。