正月に地元に帰ったら男だけで集まってまったりしたりするわけですよ。で、みんないい中年だから、体調がどうとか、親の介護だとか見取りだとかの話から、自分が死ぬときの話になり、生命保険の話になる。話聞いてる分にはみんないいお父さんしてるようで、息子や娘の将来のために生命保険掛けるのも立派なことだとは思う。
ただね、あなたが死んだ後の息子や娘の人生は、あなたの死というあなた自身の究極に個人的な経験とは、これっぽっちも関係ないんだよ。なんかさ、子供の人生のことを心配することで自分の死から目を反らせてない?自分の人生の延長戦があるように感じてない?感じようとしてない?へーそうか、生命保険というのは、こうやって死の恐怖と折り合いを付けるための宗教的な意味合いもある商品だったんだ。
とか、冷ややかな目線で第三者的に見てると、段々イライラしてきた。こんなこと考えるのは、子供ができなくてちょっと頭がおかしくなってきてるせいだな、とも頭の片隅で考えつつも。
「生命保険って自分の死を合理化するためのものだったんだね」と思わず言ってしまった。幸いみんな、「なんだこいつ」ではなく、純粋に「?」な感じだったので、適当にごまかした。
全部説明したら、いやいや、子供の将来のこと考えるのも大変なんだよ、その点、子供がいないってのは、誰の心配もせずに一人で勝手に好きなときに死ねて、気楽でいいよ、その分、好きなことをエンジョイしなよ、とか、なぐさめてくれたんだろうか。
また正月の予定の話が出て、思い出したので書いてみた。