はてなキーワード: 偽善とは
特に何があったわけでもないのかもしれない。他人から見たら普通に生きて行けているのかもしれない私は、とてつもなく、いつでもどうしようもなく死にたい気持ちに駆られている。
死んだら何かが変わるわけでもない。悲しんでくれた人たちは一週間、一ヶ月、半年すればきっと私のことは記憶として留めるだけで、特に何も思わなくなるのだろう。
私がいないからといって、誰かの生活が止まるわけでも、なんでもない。世界は変わらずどうしようもないことを続けるだろうし、それを当たり前のように繰り返していくのだろう。
「楽しいこと考えよう」「必要のない人間なんていない」「死んだらどれだけの人が悲しむと思うのか」
そんなことは、聞き飽きていて私にとってはどうでもいいことなのだ。
別にそんな偽善の塊の言葉を投げかけられて「私が間違っていたよ!」なんてなるとでも思っているのだろうか。阿呆なのだろうか。
今の願い事と言ったら、明日が来ないこと。そして、私自身があの、冬の白い息みたいにすうっと消えられる存在になること。
生きることは、常に苦痛だ。
友人はいる。人より何かと賞を獲ったり賞賛されることは昔から多かったのかもしれない。それでも、ある時から崩れた私の幸せな日常は、どんなに願ったとしても戻ってこない。
それを思って、また夢を見て、現実を無理やり歩く。
そうだ、最近したいこと。
何かを一瞬で消してくれそうな電車を見たい。
http://anond.hatelabo.jp/20150508235748
住んでだいぶ経つが、京都が嫌い。
全く愛着わかない。前住んでいたところだって同じくらい経てば愛着湧くようになってたのに全くわかないどころか嫌いすぎる。
考えてみると
・年に1回夏に地蔵盆とかいう町内行事に強制参加させられる。子どものための行事らしいが、子どもがいなくても金は取られる。意味がわからない。
・町内会というおどろおどろしい自治組織→回覧板回したりなど。
・組長とかいうおどろおどろしい名前の看板がかかっている家がある。
・馬を借りなければならないという理由で、学区単位で10年先の時代祭への積み立てを求められる。
・昔からの小学校の学区が絶対で、合併しようが昔の学区に固執する。
・学区単位で区民運動会という名の運動会などがあってヨソモノのアウェー感が半端ない。区民運動会への熱のいれようがやばい。
・お千度とかいう謎のイベントがあり、町費から神社への出費を強いられる。
・選挙に行ったらご苦労さんです、と声をかけてくる立会人が誰が来てるかチェックしてる気がする。
・自転車がないとまともに移動もできないのに駐輪場のつくりがへったくそ。
・路駐で常に一車線つぶれてて、もう激突してやりたい。
・渋滞のひどい四条通で歩行者に偽善的な優しさを見せ、歩道を広げ市バスを機能不全に陥らせるという暴挙にでる。
・冬は北海道より寒く、夏は沖縄より暑いとか本気で信じられている。
・めしやはおいしい。
ざっとでもこんな感じだった。
...
ここまでは田舎なら大概ある。
ただ、長野市住みなんだろうけど、長野市、って言っても他の県庁所在地に比べたら僻地側がホントに僻地で
元村みたいなところが多いのでそういうとこに住んでんでしょ?
・移住者、善光寺御開帳や北陸新幹線延伸、長野オリンピックなど外側のものにばかり固執、期待し新たに自分で生み出す気がない。
善光寺は長野のものだし。オリンピックも長野でやったものだし。
逆に他の都市が何をしてるのか、と。
お前ほどじゃないだろ。
???
土地の性格上、「長野市を中心にして集まる」と言う県ではないので。
上の理由も。
ってか、スケールメリットをどうしたら発揮できるのか、他でどう発揮してるのか、1つでもいいから挙げてみてくれない?
ちなみに、県のトップ高である長野高校のセンター試験の平均値が奈良県全体の平均値より低かった事があったとか。
・北東北並みの気温のくせに二重サッシ、追い炊き等の住居が少ない。
・めしやがまずい。
・仕事でお弁当を頼んでみても、まるで洗練されていないお重ではなく、平べったい持ちにくいやっすそうな弁当容器、パッとしないお弁当の中身。
だ(ry
住んでしばらく経つようになったが、長野が嫌い。
全く愛着わかない。前住んでいたところだって同じくらい経てば愛着湧くようになってたのに全くわかないどころか嫌いすぎる。
考えてみると
・年に1回初夏に自治会でどぶさらいをさせられる。出欠がとられ、欠席した場合は2,000円も徴収される。意味が分からない。
・隣組という名のおどろおどろしい自治組織→回覧板回したりなど。
・自治会単位での運動会などがあってヨソモノのアウェー感が半端ない。
・白バラ会という名の選挙推進の女性の自治会の下部組織?がある。
・移住者、善光寺御開帳や北陸新幹線延伸、長野オリンピックなど外側のものにばかり固執、期待し新たに自分で生み出す気がない。
・車がないとまともに移動もできないのに駐車場のつくりがへったくそ。
・国道ですら右折入庫・出庫してきてもう激突してやりたい。
・歩行者に偽善的な優しさを見せ、後一台行き過ぎれば歩行者も普通に渡れるくらいでも停車して歩行者を渡らせる。
・県庁所在地にも関わらず県内の他の都市よりも文化・芸術・ビジネスに圧倒性がない。
・(長野県全体的に)おらが村にも式で小さい市町村にもホールや施設が分散し、スケールメリットという言葉を知らない。
・ドヤ顔で教育県とか言ってくる割に全国規模の大きな本屋もない。
・北東北並みの気温のくせに二重サッシ、追い炊き等の住居が少ない。
・めしやがまずい。
・仕事でお弁当を頼んでみても、まるで洗練されていないお重ではなく、平べったい持ちにくいやっすそうな弁当容器、パッとしないお弁当の中身。
俺は、はてな歴が浅い。玄人どもの言ってることがわからないことも多々。
キレイなコメ、というかなんか手を組んだ感じがあざとい「互助会」系とを、
それなりに見ている。
前者は簡単だ。
バイラルメディアだったり、飛ばし記事みたいなソースの曖昧な記事書いてるニュースサイトだったり。
後者は難しい。
そもそもが浅い俺なので、この臭い界隈に詳しくないと深く理解できない。
いずれにせよ、だいたいはコメが二分する。
または、キレイに二分されなかったりする。
怪しい兆候は、やはりこの「二分する」ことのように感じられる。
ステマ系に関しては、最近は隊長がつっこんでいってるので、それを見るのもいい。
「ステマサイト・バイラルメディアを完膚なきまでに灰燼に帰すことはそうそうできない」
というあたりか。
うざいサイトにアタックしてくれるのは見ててスカッとするものがある、
が、
なかなかこういうのが潰えたのを見たためしはない。
思うに、あの「たかし」がなおジャーナリストとして活動しているところからも窺える。
こうしてハンパ者に引導を渡すことができないまま白い目で見ている、というのは、
せいぜい白い目で見ることができている自分に優越感をおぼえていられる程度か。
それでいいのかと思いながらも待ち望んでいる次第。
特にこの互助会を「はてな村を汚す」と表現したあのエントリーも覗いた。
思うに、これは汚しているのではない。
「いろんなサイトの新しい情報をピックアップしてくれるよさそうなサービスだ」と
が、
そういったエンタメとしては程度は低いが
そういう感覚をおのずと学ぶに至った身としては、
この上手なキレ方を知らない者共の無様な殴打の応酬を、
ある意味で正そう、清めようという動きに見える。
つまるとこ、それはライフハックな有効活用でしかないようではあるが。
いずれにせよ、はてなはもとより穢れている。
嫌気性菌にとって一般生物が必要とする酸素は無用の長物であるように、
有り体にいえば、掃き溜めにすぎない。
おそらく決定的な善というより、
まだ、はてなを脅かす脅威としては未熟なんだ、と。
俺は互助会を支持しない。
はてなの隆盛を望むなら、おそらくは
闘争を望めばいい。
腐敗を欲せばいい。
浄化を拒めばいい。
正義を憎めばいい。
「異論は認めない」くらいがおそらく様になる。
だが俺はリクルート。
(「青二才が」とはどうしても言えない)。
朝、7時50分・・・頃。
紛失したら、数100万円の実損どころか、
そして何よりも信頼が失われる。
ぶわっと寒気がして、
本当に心臓が止まるかと思った。
口の中が乾いて、
軽く体が震えてくる。
気が遠くなりそうになる半面、頭は冴えた。
朝のラッシュ。
乗っていた電車はとっくに出てる。
電車は満員、探せっこない。
本当に何も考えず。サッと。
駅員室の駅員さんに、窮状を伝えてた。
自分が何時発着の電車に乗っていたかって記憶に残っていないもの。
7時49分?51分?
しかも満車で駅員さんが社内点検を行えるのは昼前だとか。
定期的に掛けて確認してみる旨をご助言いただいた。
結論を言うと、
届けがあったとのことを聞き先ほど取りに行って来た。
感謝の気持ちで一杯なのです。
それは、駅員さんにもそうだし、
何より、世の中に対してもそうだし、
失くし物が出て来たとき、
これは本当に素晴らしい事だと思う。
7年ほど前、半蔵門線で20万円の封筒が入ったサイドバックを拾ったのです。
当時お金もなかったし、そのまま猫糞しようか本当に迷った。
本当に迷った。
迷った末、このまま持って帰ったらきっとおかしな後悔が残る気がする・・・
今、その日の事を思い出してる。
別に神を信じるだとか、徳を積めただとか、そういう話ではなくてね。
多分、そのサイドバックが手元に戻った持ち主さんも、
得も知れぬありがたさや、感謝の気持ちを持ったんだろうなって。
それを感じたのです。
それを受取った人の喜びや感謝ってあまり考えたことがなかったんですよ。
むしろそんなの恩を着せるような感じがして、
考える方がかっこ悪いというか野暮な気がして。
でもね、
俺は今日思った。
この、今日失くし物が見つかった時の、
世の中に対する感謝、
駅員さんへの感謝、
誰かが世の中を愛してくれれば、
きっとそれは、ほんの少し世の中が良くなるってことなんだと思う。
偽善だとか、恩着せがましいだとか、
感謝の気持ちを生み出すことになるって思いながら、
良いと思う事を積み重ねて欲しい。
■拾われれば先ずは各駅の駅員室に運ばれます
■持ち主が現れなかった場合、翌日以降、忘れ物センターに届きます
■乗っていた電車の便名が分かれば、停車時間の長い駅で操作をお願いできる場合があります。
※JR線の場合、各駅の電話番号が公開されていないとのことで、追跡はできませんでした。
だから、
当日とにかく1秒でも早く失くし物を探したいときは、
隣の芝生を見ろって話。
アフリカやイスラム国の毎日何人か何十人か飢餓やテロで死んでる。
第二次世界大戦の時だって中国や東南アジアの戦場には一切触れないのに
従軍慰安婦が捏造だと分かった途端、我々は被害者だと掌を返し、
にも拘らず、自分たちが行った事への謝罪や贖罪を感じる事はない。
「知る権利」の拡大解釈と「報道の自由」「言論の自由」を掲げては
毎回ピカドン被害に遭った人やその家族にプライバシー無視して徹底取材を敢行する。
戦時中は、政府に逆らえないと前置きしておいて、日帝は最強だ!アジアのリーダーだ!みたいな事
吹聴してきた癖に、戦後は一転無かった事にさえしてる。
こういう二枚舌は本当に嫌いだ。
テロに屈しない。
それは良いけど、テロに屈しないための措置がこれまで取られた事なんてなかった。
原爆落とされたのに、今度はどうすれば原爆落とされずに済むかとか、どうやって平和的に解決していくとか
そんな当たり前の解決策を民間に丸投げして、政府もマスコミも延々保身的な事しかしてないのは何なんだ。
そうした状況下で、オウムの事件でたった13人しか被害が出なかった事を喜ぶべきなのに、
空気を読むという日本の悪しき伝統を守って結果、13人の被害者に焦点を当てて件のやりすぎな報道を行って
同情を誘おうとするマスコミ、でも待って欲しい。
そのような状況に追い込んだ張本人が、今度はオウム被害者と一緒になって被害を訴えるのか?
それは都合の良過ぎる話だな、と思った。
戦争するのはいつも国民で、自分たちは従軍しないけど、やたら戦争する事を煽る。
そのくせ戦争が終わると反戦派の急先鋒となって政府との戦いを煽る。
マスコミこそ最大最悪の諸悪の権化だというのに、オウムの事件も被害者感情を煽って
てめえらのペースに乗せたいって腹積もりなんだろうけど、一方で坂本弁護士一家殺害事件のように
国民の味方の情報をテロリストに売り捌いてるんだから、マジで害悪だよ。
手に取るように分かるよ。
テレビやら新聞やらが、東日本大震災振り返りシフトに入っている。
被災地の今も伝えられている。
復興への道程は今どのぐらいか、という切り口のものを多く見かける。
地震のあった年には、まだ、たまに、以前と同じ町には戻らない、とか、
元々緩やかに消滅に向かっていた町の、消失が突然訪れたんだという論調も見かけたのだが
最近はそういうのもあんまり見かけない。埋もれてるだけかもしれないけどさ。
東日本大震災の被災地が復興する、というのが、どういう状態を想像しているんだろうか。
その辺のイメージが、イマイチ良く見えてこないのが、何ていうか偽善的で気持ち悪い。
震災の半年後ぐらいから去年の始めぐらいまで、ボランティアで、ある町に、2月に1度通っていたのだが
地元の人と話していても、そういう「どういう状態にまでしたいのか」と言うイメージが伝わってこなかった。
そういうもんなんだろうか。そのように、ある程度共通のイメージを持たぬまま、カオスに詰み上がっていくのかな。
それはそれで、悪くない感じもしないでもないけれど。
暦が変わることになんの意味があるのだ。
それらの誤差(人が勝手に誤差と呼んでいるだけで、天体にはそんなこと言われる筋合いはない)をうるう年、うるう秒でごまかしている。
ちなみに現在西暦と呼ばれているものはグレゴリウス暦で、太陽暦はほかにもある。多くの国と地域でグレゴリウス暦が使われているのは、単に都合が良いからだ。
代わって日本。
百五十年前まで太陰暦(これも種類があって時々朝廷が変えていた)を使っていたではないか。維新後も皇暦、和暦、西暦を併用していて、田舎だと普通に太陰暦を使っていた。もう滅茶苦茶である。
そんな混沌と暦が入り乱れてきた歴史を持つ日本で、いきなり西暦の節目を『祝え』というのは無理がある。
おせちも謎だ。
あの重箱には『昔ごちそうだったもの』がこれでもかと詰まっている。
かまぼこや田作りのどこかごちそうなのだ。寿司・ピザ・ジャンクフードの方がよっぽどうまい。
今でも地方に行くと『死ぬほど甘い料理を作るババア』がいる。人間国宝にすべきだろう。
初詣も謎だ。
お前は氏子なのか。この神社にどんな神様祀られてるか知ってるのか。絵馬に『にこまき』の百合絵を描く……のは許す。
落とし玉も謎だ。
老人が孫に年玉をやる姿は一見微笑ましいが、あれほど偽善的な光景はない。
社会保障の世代間格差は一億円程度。試算によって前後するが、とても年玉で埋められる額ではない。任侠映画でしか見たことのないような札束を孫に渡すべきである。
勢いで内容を大森靖子のプロフィールに変えてしまった。下手なステマ。
いつか高級デリヘルを呼んでみたい。
大事な人への届くかもわからないラブレター。直接伝えるのは照れ臭い。
みんなライブハウス行こうぜ。
出勤中に5分で書いた。
すごく気に入ってるんだけど、全然反応が無かった。
人に言いづらい下系の話は増田に書くに限る。
ただただ川上さんが好きなだけ。春で仕事辞めるんで雇って下さい。
ほんとに、地味で素敵なパン屋なんです。
ひきづってるなぁっていうのがよくわかる。
疲れていたのがよくわかるエントリですね。
恥ずかしくて読み返せない。
はやおかわいいよはやお。
こういう話男同士で酒飲みながらしたらすげー盛り上がるよね。
所信表明的な。そして誰も何も教えてくれない。
燦然と輝く黒歴史。
ライフハックっぽいタイトルをつけてみた。実家の猫と遊んでいた。
すごく大事な女友達に向けて書いた記事。こんなこと到底伝えられない。
初めて書いた増田。こないだこの女の子に連絡したらブロックされてた。
http://anond.hatelabo.jp/20141219155749
こういうの読むたびに思うんだが、その毒親側も別段それが特別なことだとは思ってなくて、どこかの誰かからその方法をインストールされただけなんだろうな。どこかの誰かなんて偽善的な言い方をやめるとすると、毒親の、毒親からだ。教育方法ってのもまた教育でインストールされるものだし、家の中のことは昭和まで家の中だったわけだしな。
厳密な意味での遺伝ではないんだが、こういう負の連鎖も遺伝のように家系につたわっていく。子供と過ごす時間の長い女系は特にそうだ。
そういう「遺伝ウィルスを中和する」っていう意味でも、父親が育児に参加するべきなんだろうな。夫婦のお互いが、激しいのの知り合いで子育ての「正解」を決めつけないようにしたい。正解を一意に求めるっていう原理主義が、たいていの場合、陰惨な子供時代を作り出すような気がするしな。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1354368948
自称「完璧主義者()」に限って、全然完璧主義じゃないと言う皮肉。
ま、そう言う人間たまにいるけどな。どこにでも。
あぁ、そう言えば前バイトしてた零細企業八百屋の一人社長も「俺は完璧主義者だから。」とか薄ら笑い浮かべながら言ってたな。
「え?お前の何処が完璧主義なんだよ?」と普通は思う。(ある意味他人に完璧主義を強要する「完璧押し付け主義」なのかもしれない。)
言った事をやらないし、やりきらない。宣言した事を「貫徹()」しない。(そのくせ他人には貫徹を強要する。まぁ、ありがちなブラック企業の体質か。)
さらに、自分で出来もしないのに「出来る!」と宣言した事を結局自分の手に負えないから他人の責任として擦り付け、他人にやらせる。しかも対価は支払わない。
全部無料でやらせようとする。(例えそれが「他社でも」だ。完全に異常だろ、、、)
物の扱い方から客に対する態度、取引先には平気で横柄な態度を取る。
勿論、それは他の人間も認める所だった。
(まぁ、好き勝手生きてきたようだから、常識が欠落しているのは仕方ないんだろうけど。それにしても酷すぎる。)
一番厄介な状態。
その状況がソイツの傲慢さを加速させる。周りが見て見ぬフリをするから。
(まぁ、「忙しいからそんな下らない人間を相手にしてられない。」と言うのもある。)
だから他人には凄く横暴に振る舞い、自分の非は絶対に認めない。
自分が原因で招いたミスも絶対に認めないし、まずもって絶対に謝らない。
「ごめんなさい。」の一言も言わない。要するに謝る気持ちがそもそもない。
と言うか取引先の人にさえ「なんでそんな偉そうなの。」と注意される程。もうレベルが幼稚園児。
前述のように謝らないどころか自分の非によって出来た「責任」を平気な顔して他人に擦り付ける。
でもソイツの精神的視野が狭いから、自分の行為を客体的に見られていない。
更に自分で信じ込んでる偽善活動をしてるから、何やっても許されると勘違いしている。
十年以上昔、小学生だった頃、何の気なしに学校の掃除をしていたことがある。昼の休み時間、自発的に、一人で黙々と。
掃除を始めたことに意味はなかった。昼休みを一緒に楽しく過ごして遊ぶ友だちもいなくて、しかも家で一人ゲームで遊ぶことに慣れた自分は、学校で時間を潰す手段に飢えていた。
学校で一人時間を潰す手段の最たるものは図書室での読書だろうが、自分の住んでいたところは田舎で、その蔵書は微々たるものだった。興味のあるものは高学年に上る前に全て読み終わるほどだったし、だからといって興味のない本を読むには、当時の自分はまだ堪え性が足りていない。
それである時ふと、することがないのなら、昼休みと五時間目の間にある掃除の時間を前倒ししようと思いついた。例えるなら、夏休みの宿題を最初の数日で終わらせておく気分で。
あとは昼休みが終わって校庭から帰ってきたクラスメイトをちょっと嬉し驚かせたかったのもある。皆まじめにやらないから一人でやったほうが早いんじゃないかと思っていたのもある。
それで実際動いてみると、最初は自分の思い通りに事が進んだ。クラスメイトは正直「いいの?」と戸惑っているようだったけれど、面倒なことをしなくて済んだのだから喜んでいた部分もあった、と思うたぶん。その後も数回やるうちは、お礼を言われたりして、単に気まぐれでやっているのだということで事は済んでいた。
ただそれが一週間、二週間と続くようになると、やはりちょっと変な空気になった。そしてその雰囲気は次第に担任の先生にも伝わった。
そう理由を尋ねられても困った。今でこそ説明は付けられるが、その当時はそれをうまく言葉にできるほどの力はなかったから。
「暇だから」
結果、そういう答えが自分の口から出た。先生は納得しなかった。
「本当は誰かにやれって言われたんじゃないの?」
そう言われて初めて自分も気がついた。先生は理由付けに迷った結果、この子はいじめにあっているのではないかと考えたのだろう。
「……違います」
そう言うと、先生はどうにも困った顔をした。判断がつかないという様子だった。それから少しやりとりがあった後、
「じゃあ誰に言われたわけでもなく、自発的にやってるのね?」
「……はい」
それは先生にとってみればただの強い念押しだったのだろうけれど、自分は先生に一人呼び出された経験があまりなかったから、なんとなく自分が怒られているような気分になった。もともと涙腺も緩い方だったから、涙もこぼれた。
結局、自分は次の日からは掃除を止めた。自分の行動で周囲が予想外の反応を示したので、もう面倒というか、嫌になったからだ。すると、クラスメイトの誰が言い出したか、偽善だ偽善としばらくからかわれることになった。
それで若干嫌な思いはした覚えはあるが、そこから先生が懸念したいじめが起こることはなかったし、しばらくはもやもやとしていたものの、時間が経つといつの間にか全てを忘れてしまった。
この前地元に戻ってまた帰る新幹線の中、そういえばとこのことを思い出した。その時自分はちょうど就活の時期だったから、じゃあこの時自分は何を学んで今に至るのだろうと眠い頭で考えた。
「はっきりとした裏付けのない善意っぽい行動は、だいたい善意に受け取られない」
「本当に相手は言いたいことを言っているのか、確認する方法は何かあるか」
あとは余計な、出る杭は、とか、その時はそういうありがちな題を立てるだけで終わったんだけど、もうちょいなんかなかったかなと今思い出して考えてる。
12/7 追記
ブコメで予想外に色々な反応があって驚いた。
一個だけ、モデルにした当時の先生は決して悪い先生ではなかったとだけ。責任感に積極的なものと消極的なものがあるなら、その先生は積極的な方の責任感を持ってたし、個人的にはそれは良い先生の条件に含まれると思うので。