十年以上昔、小学生だった頃、何の気なしに学校の掃除をしていたことがある。昼の休み時間、自発的に、一人で黙々と。
掃除を始めたことに意味はなかった。昼休みを一緒に楽しく過ごして遊ぶ友だちもいなくて、しかも家で一人ゲームで遊ぶことに慣れた自分は、学校で時間を潰す手段に飢えていた。
学校で一人時間を潰す手段の最たるものは図書室での読書だろうが、自分の住んでいたところは田舎で、その蔵書は微々たるものだった。興味のあるものは高学年に上る前に全て読み終わるほどだったし、だからといって興味のない本を読むには、当時の自分はまだ堪え性が足りていない。
それである時ふと、することがないのなら、昼休みと五時間目の間にある掃除の時間を前倒ししようと思いついた。例えるなら、夏休みの宿題を最初の数日で終わらせておく気分で。
あとは昼休みが終わって校庭から帰ってきたクラスメイトをちょっと嬉し驚かせたかったのもある。皆まじめにやらないから一人でやったほうが早いんじゃないかと思っていたのもある。
それで実際動いてみると、最初は自分の思い通りに事が進んだ。クラスメイトは正直「いいの?」と戸惑っているようだったけれど、面倒なことをしなくて済んだのだから喜んでいた部分もあった、と思うたぶん。その後も数回やるうちは、お礼を言われたりして、単に気まぐれでやっているのだということで事は済んでいた。
ただそれが一週間、二週間と続くようになると、やはりちょっと変な空気になった。そしてその雰囲気は次第に担任の先生にも伝わった。
そう理由を尋ねられても困った。今でこそ説明は付けられるが、その当時はそれをうまく言葉にできるほどの力はなかったから。
「暇だから」
結果、そういう答えが自分の口から出た。先生は納得しなかった。
「本当は誰かにやれって言われたんじゃないの?」
そう言われて初めて自分も気がついた。先生は理由付けに迷った結果、この子はいじめにあっているのではないかと考えたのだろう。
「……違います」
そう言うと、先生はどうにも困った顔をした。判断がつかないという様子だった。それから少しやりとりがあった後、
「じゃあ誰に言われたわけでもなく、自発的にやってるのね?」
「……はい」
それは先生にとってみればただの強い念押しだったのだろうけれど、自分は先生に一人呼び出された経験があまりなかったから、なんとなく自分が怒られているような気分になった。もともと涙腺も緩い方だったから、涙もこぼれた。
結局、自分は次の日からは掃除を止めた。自分の行動で周囲が予想外の反応を示したので、もう面倒というか、嫌になったからだ。すると、クラスメイトの誰が言い出したか、偽善だ偽善としばらくからかわれることになった。
それで若干嫌な思いはした覚えはあるが、そこから先生が懸念したいじめが起こることはなかったし、しばらくはもやもやとしていたものの、時間が経つといつの間にか全てを忘れてしまった。
この前地元に戻ってまた帰る新幹線の中、そういえばとこのことを思い出した。その時自分はちょうど就活の時期だったから、じゃあこの時自分は何を学んで今に至るのだろうと眠い頭で考えた。
「はっきりとした裏付けのない善意っぽい行動は、だいたい善意に受け取られない」
「本当に相手は言いたいことを言っているのか、確認する方法は何かあるか」
あとは余計な、出る杭は、とか、その時はそういうありがちな題を立てるだけで終わったんだけど、もうちょいなんかなかったかなと今思い出して考えてる。
12/7 追記
ブコメで予想外に色々な反応があって驚いた。
一個だけ、モデルにした当時の先生は決して悪い先生ではなかったとだけ。責任感に積極的なものと消極的なものがあるなら、その先生は積極的な方の責任感を持ってたし、個人的にはそれは良い先生の条件に含まれると思うので。
見下してるのは伝わる。アイドルにはなれない。
同じく自発的に放課後ゴミを掃除したりしてたけど、先生に見つかった時はほめられたな。 誰もみてないところで一人でやっていたので誰も気づかなかったのと、飽きっぽい性格ゆえや...
ハイテンションは全てをごまかせる てのはどうですか 「だって楽しいじゃないですか!(ぐるぐる目)」
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