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2020-07-19

ある日の通夜のこと

引越しの準備をしていたら、昔のことを思い出したので、日記の代わりに書き残す。

その日は親族のみの通夜で、神式だった。

参列者も斎主も既に揃い控え室にいて、雰囲気は穏やかだった。

一つあったことといえば、斎主レイジ(位牌)に書く日付を間違えてしまい、今書き直していることくらいだ。

スタッフ葬儀担当者、司会の先輩、案内の私の3人。

そこは火葬場に複数併設された式場のひとつだった。

忙しそうな他の式場の様子を眺めていると、控え室にいた喪主が降りてきて「祭壇を見てもいいですか?」と言った。

神式の祭壇は、仏式とは雰囲気が違う。壇の上には鯛、生卵、生米、野菜乾物などのお供えが並び、白い陶器で出来たさまざまな神具。周りには花はなく榊が飾られている。

一頻り祭壇を眺めていた喪主が「あの中央の鏡はなんですか?」と聞く。

「あの鏡は御本尊のようなもので、一番大切な神具ですよ」

へー…この鏡が、喪主が祭壇と棺の狭い隙間に入った。

その瞬間。

ゴオッと音がし、「危ない!」と先輩の声がしたと同時に、物が壊れ割れる音が響き渡った。

顔を上げると喪主が倒れてきた祭壇と棺の間で潰れかかっていた。

慌てて駆け寄り祭壇を全員で押し戻す。神具と卵が割れ、供物や米や榊の葉があたり一面に散乱していた。

蒼白して辺りを見回すと喪主が「これ…」となにかを差し出してきた。鏡だ。

「思わず受け止めてました…一番大事なんですよね?」と言った。

開式20分前だった。


原因は、式場裏の搬入口を花屋が開けたことによる風圧だった。最悪だが、ままあることらしい。

喪主謝罪し控え室に戻ってもらった。

私はもう頭がパンクして事務所に送るメールのことを考えていた。

先輩が言った。「ご親族斎主に開式が遅れることを伝えてきますから、2人は式場を見れる状態にお願いします」

この人は女杉下右京みたいな人で、いつも冷静で優雅で、信頼できる人だった。この時も蒼白している私と担当者を尻目に、顔つきは変わらなかった。


掃除をしてわかったことがあった。

たくさんの細かな神具があるにも関わらず、割れたのは数枚の皿だけだった。

そして辺り一面は卵で汚れきっていたが、目の前にあった棺だけは何故かピカピカのままだった。

そして、本来ならもう置かれていたはずの位牌は、書き直しによりまだ斎主の元にある。

鏡も、喪主のおかげで無事だった。

そもそも、あの狭い隙間に喪主が入らなければ、祭壇は倒れ、棺は下敷きになり、ご遺体がどうなっていたかもわからない。喪主危険な目に合わせてしまったが、その可能性を考えたらゾッとした。


必要なのは卵と米と皿だけで、最悪だが、事態を見れば奇跡的だと思った。

そうこうしているうちに先輩が帰ってきた。

親族にも斎主にも事情お話しましたが、のほほんとしてました。これ位牌です。"書き損じてよかったな〜"なんて言ってました」

続けて「あとこれ、卵とお米です。料理屋さんにお話ししたら、神式って聞いて一応持ってきたんだそうです」

驚いた。と同時に外のガラス戸が空いた。胸にネームプレートがついている。他の葬儀屋だ。

「大きな音を立てて、申し訳ありません」と言い出ると、「いえあの、祭壇倒れちゃったんですか?うちも今日神式なんです。余ってる神具します、言ってください」と言った。

今度は先輩も驚いていた。今は多くが仏式という中で、併設式場6つ中2つの式場で神式をやっており、更にこんな申し出をしてくれる可能性がどのくらいか


そういった偶然や、優しさが重なって、20分前あの惨状だったにも関わらず、その式は18:00定刻に始まった。

何事もなかったかのように、厳かに、そして和やかに終わった。

最後に改めて全員で喪主謝罪するとと「びっくりしたけど、父にも皆にも何事もありませんでしたから。直前に鏡の話を聞いていてよかった」と笑っていた。


帰り道、先輩が言った。

「びっくりしたわ。定刻に始められるなんて思わなかった。こんな大事な日にこんなこと。ご遺族から斎主からも大変なクレームになると思った。本尊も位牌も棺も無事、御供物も揃って、神具まで貸していただけて…こんなことあるのね」

続けてこう言った。

今日のお式には、神様がいらっしゃいましたね」

葬儀仕事をしている間、不思議なことはいろいろあったが、この日は特に不思議な日だった。

わたしはこの言葉が忘れられない。

2020-01-10

[] #82-11「壱弐参拝」

≪ 前

「我々もそうだが、この国の人間ほとんどが信仰心を持っていない」

「そりゃあ、そうだろ。現代人の不平不満を神様解決してもらおうなんてのは時代錯誤だ」

昔の偉い人は「神は死んだ」なんて言っていたらしいが、俺たちから言わせれば、そもそも生きていたかどうかすら怪しい。

三種の神器』だとか言うのもあるが、あれだって世代ごとにコロコロ変わって安定しないだろう?

しかも、あれらは全て人間が作った物なのが明らかだ。

「人々の信仰心が薄れるのは、技術経済が発展した国では珍しくない。資本主義の晩期は、特にそれが顕著だ」

まあ、さっきの教祖みたいなイレギュラーもいるにはいる。

けれども、それが何で俺たちと似ているって話になるのかが分からない。

生活教にも信者がいるらしいが、あれだって大半が面白半分ネタ半分でやっているだけだ。

誰も信仰心なんてものは持ち合わせちゃいない。

不思議だと思ってな。そんな我々が、こうして初詣といって神社に参拝するのはなぜだろう、と」

ウサクの言葉に俺たちはドキリとした。

かに、そう言われてみると変な話だ。

初日の出のために夜更かしをしたり、祈る神も分からず拝む。

そんな非合理な慣習を、俺たちは何の疑問もなく受け入れている。

初詣に限った話ではない。夏祭りなどでは神社などの宗教施設を使い、自治体含めて多くの人間がそれを後援している」

宗教自由があるとはいえ、いつだって自由”はリソースとの相談だ。

俺たちはそのリソース宗教的なことに割いているって意識が今までなかった。

信仰心の欠片もないのに、事実上積極的に参加している。

ハロウィンとか、クリスマスも元々は宗教的なものだっけ」

「なるほどな、ある意味で俺たちは宗教にどっぷり浸かってるわけか」

「なーんか……変な感じ」

俺たちは軽く身震いした。

それは決して気温の低さからくる生理現象ではない。

上手くいえないが、ゲーム画面が暗転したら自分の顔が映った時みたいな感覚だ。

「改めて考えてみると、何とも奇妙な社会だな」

ここにカジマやタイナイがいたら、陰謀論だとかに繋げるだろうな。

あいつら、都市伝説特番とか好きだから

「ん~、確かにアニメ漫画とかでも、登場人物たちが神社とか行くシーン多いよなあ。葬儀も大抵は仏式だし」

そう思っていたら、誰かが藪から棒に喋りだした。

バイト仲間のオサカだ。

まるで最初からたかのように話の輪に入りこんできた。

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2019-09-12

UberEatsを虐めるの面白い

自分の住んでいる地域比較的初期からUberEatsが開始されたらしく、名前は聞いたことある仕事が実際に行われているのを見て嬉しかった

しかし、数日もすると感動は落胆に変わった。とにかくマナーが悪い。ノーヘル、無灯火、信号無視、逆走、すり抜け、猛スピード

事故りそうになるとUberEatsの奴らは文句言うけど、こちらが文句言おうとした時には自転車で逃げて見えなくなっている。バックや自転車名前書いてあるわけでもないので、UberEatsに文句も言えないし、そもそもUberEatsは配達員クレームを受け付けたりしない(注文したら出来るらしいが)

結局個人的復讐することにした。仕事帰りやジョギング中に走ってるUberEatsを見つけたら、妨害したりぶつかったりする。向こうはよろけたりコケたりするけど、決して追っかけては来ないし警察も呼ばない。マンションに届けに行ったらサドルのネジ緩めるか、タイヤバルキャップ外すし、仏式なら先端も緩めて空気を抜いてあげる。慣れると数分なので見つからない

UberEatsが配達員管理して配達中のクレームとかも受け付けるなら良いけど、個人事業主扱いでクレーム出せるのは店と受け取った客だけって現状では、配達中に被害を被る人間無差別テロをするしかない。調べたらAirbnb同様外国でも批判ばっかなのね。向こうの被害者ははもっと直接的にやってるみたいだけど

とりあえずUberEatsの配達員は町中に多数いる虐めやす対象なので、イライラしたら邪魔してあげよう。追っかけてくることはまず無いし、自転車で走っている以上歩行者が断然有利だから悪いことにはならないよ

2019-01-29

葬式不要

葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。

確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田レポートがあった記憶があるが、ああいものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。

この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売から阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的阿漕ものだ。

簡単に死んで簡単野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。

増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。

親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれ世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。

もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。

検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼コミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。

身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。

業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣い商売なのだろう。

ふたり葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。

どちらの葬式業者葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホはてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメール電話をしても、なんていうかしんどい確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。

TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族いたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。

親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCD家族ドライブに行くときはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCD葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。

この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシック室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエル合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。

これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。

あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式オールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。

2018-08-27

anond:20180827161359

独式って書いてから仏式に直したのが丸わかりなんだな

2018-02-13

最近葬式ゆとり化が酷い

 今日会社の同僚の親戚の葬儀に出席した。血縁関係交流もまったくない赤の他人葬儀であったがやはり人の死というのは悲しい、喪主の別れの言葉に思わず大粒の涙を流してしまった。

私は赤の他人であろうが葬儀ときは毎回必ず泣く…。

しかし周りを見ると若い連中は涙を流さず早く葬儀終わってくんねーかなぁという表情。これがゆとりかと感じた。

 人を殺すゲームアニメ漫画が溢れ人の死というものに抵抗を感じなくなってるのか?それでも人の死に涙を流さな若者に異常を感じた。

 この葬儀神式で行われたが二礼二拍手一礼をしなさいという立て札が堂々とあった。

ご丁寧に玉串奉奠のやり方まで司会がアナウンスする始末。これもゆとりか…。

 普通物心がついたこからそういう冠婚葬祭礼儀作法は親から習うもの、立て札などいらぬ。

礼儀作法を間違えたら後で家でこっぴどく叱られたものだ。

中学生までに最低仏式神式キリスト形式は覚えるもの

 だが今のゆとり若者にはそれがない。立て札やアナウンスがなければ何もできないお猿さん。

2017-09-03

香典袋間違えて買う

不祝儀袋(ぶしゅうぎぶくろと読むそうな)をAmazonで買った。御霊前、御香料、御香典の3種類だ。人付き合いが少ない自分の事であるから10枚*3パターンで今後を含めて一生分のちょうどよい数だと思っていた。御霊前は10袋入りで問題ない。透明なパッケージに入っていてこんなもんだろうという感じがする。

ところがそれ以外の2つは見た目からして何か違っていた。まず1つ御霊前を10束ぐらい積み重ねた大きさの紙の箱があった。入出荷時開封厳禁と書かれたシールが上に貼ってある。中身をみると透明なパッケージに入った御香10枚セットが10個収まっていた。そう、100枚だ。相手宗教宗派によるがこれは自分が生きているうちに使い切れないだろう。

だがまた別に紙の箱がある。大きい。御香料の箱よりも高さはなくておよそ3分の2程、でも上からみるとA4よりもやや小さいぐらいの箱が残っていた。200枚?と心配しながら中をみるがそれほどではなかった。

5束のセットが横に2つ並んでいただけだった。つまりこちらも100枚と行ったところか。合計210枚。御香料と御香典は仏式でないとだめな気がする。やはり、全部使い切れないだろうなと思う。

以前、シャーペンの芯をたくさん買った時の事を思い出す。お年玉をもらった頃だったか。あの芯が入った長細い長方形のやつを50だか100セット入りの箱で買った時だ。無くしてしまった分も相当あったけれど、勉強熱心だった僕はそれを使い切る事が出来た。

今はボールペン主体でシャペーン自体手元に数本しかない。換えの芯入れも最近買ったHBとBがそれぞれわずか1セットづつ机の中に入っているだけだ。

2016-02-28

死霊術師井上

死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。

大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。

ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。

テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭意志21世紀でも保っている。

死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。

腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。

祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史辞典』にかぶりついた。

その頃の近江一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。

私は大学研究室院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室国文学研究室に行って、室町時代言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母アドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてもの時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母明治4年に死んだ男の死体蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。


春休み近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだオリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。

山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから

ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代言語常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成研究をしに理学部農学部へ行きたかった。

洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚近江出陣の際には公家近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。

これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ

精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。

太平記』の文法で私は語りかける。

「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉あなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ国文学研究室富田先輩ありがとう

…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージ五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家女性が見える。平安時代のオカメ十二単イメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生素体になってくれるよう語りかけよう。

「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しまたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。

「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなた時代言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日あなたお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。

あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなた精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」

「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。

「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルール現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。

「私は京都六角富小路邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから武家奉公人生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」

彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。

「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家生活。今まで見知った知識や噂話全てからひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女21世紀平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。

好奇心イマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽マンションにやってきた。

2015-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20150330162001

こういう人に限って、新年初詣に行き、盆には墓に手を合わせ、

食事時にはいただきますと手を合わせて、よくわからないまま親の葬儀仏式で挙げたりするんだ。

現に「結婚式の下見で教会に・・・」って。本当に無宗教ならなぜ教会で挙式をするのか。

>>これは単なる慣習でしょ。

他は大体同意見。 

神社自然的雰囲気教会美術賛美歌寺院仏像やお経など感覚的に信仰を持つこともできるし、

哲学なり宗教教義などザッと本読めば大体自分にしっくりする考え方が一つはあるはず。

なければ足してくなり作り上げればいいんだよ。

2013-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20130709092600

横だけど、お前差別意識丸出しだぞ。

神仏を拝めたりしないのであってキリスト教信者なら、

日本に住んでたら辛くない?

「神仏を拝めないと辛い」としたら、お前みたいな奴が拝まない奴を差別するからだろう。

差別する奴がいなければ、別に「拝めないと辛い」なんて状況はないはずだ。

お前の中に神仏を拝まない奴に対する差別意識があるから、「拝めない奴は辛い(はずだ)」という考えが出てくる。


差別されるような思いがあるなら差別されるようなことをしてるということでしょう

これもそうだな。

差別されるようなことをしてる」という発言は、「差別されるようなことをすれば、差別されるのは仕方ない」という思想。

まり、「理由があれば差別して良い(されても仕方ない)」という、差別肯定の思想。

「死穢に触れるようなことをしてる奴は、差別されるのは仕方ない」

「肌が黒ければ、差別されるのは仕方ない」

「俺たちと同じ神を拝まないのだから差別されるのは仕方ない」

…みたいなこと言って差別に加担してきたわけだよ、お前のような奴が。


あと、

要するに、宗教やってる限り、

自分宗派以外とは親密な関わり持てない、ってことなんだね。

これは狭量すぎるだろw

お前はお寺にお参りしない奴とか仏式葬式に出ない奴とかは、それだけで「親密な関わり持てない」のか?

お前んちの宗派仏教だとして、自分ちの仏式葬式に出てくれないキリスト教徒は、そいつがどんなにいい奴だったりいい女だったりしても

「親密な関わり持てない」のか?

だとしたら、お前こそ「仏教信じない人お断り」な熱狂的な仏教徒じゃねーかよw

キリスト教徒増田だってそんな排他的なこと言ってないのにww

2012-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20120322203214

キリスト教徒だろうが仏式葬式に出れば式の進行に従うし、神前式結婚式に出ればそれに従うんじゃなかろうか。

プライベート神社に行っても手は決して合わせないキリスト教徒の知り合いがいるんだけど、お神酒はちゃんと飲んだよ。

いちいちなんで?どうして?と言うやつは正直言えば迷惑だと思う。

俺も面倒くさい性格の方で、小学校に入った頃は「なっとくするまでは帰りません」みたいなことばかり言う面倒くさいやつだった。

法律で決まってるからです」

などといわれて納得するような物分りがいい小学生じゃなかった。

しかもそれが「どうして日曜日学校休みなの?」とかそんなレベルでさえ、納得できないといって駄々をこねてた)

生徒会というものを知って、「なんか意味があるのか?権限とその範囲はどこまであるんだ?入会した憶えはない!」

とほぼあらゆる人間に噛み付いてた。

でもまあ、ちゃんと育った。

それが国旗国歌のおかげなら、まあいいんじゃないですかね。

2011-11-13

新社会人や就活生に送るスーツシステマティックな選び方

世の中、スーツ作業着だって人も多いが

どうせ毎日着るなら安くかっこよく着たいよね。

社会人うん年目の自分が○ナカのお兄さんと一年かけて

システマティックスーツを揃えたのでそのノウハウを残そうと思います

長文ごめんなさい。

はじめに

記事にかかる時間

大体5分くらいで読み終わるかと思います

対象とする人

対象としているのは20~30代の男性で接客が必要となる職種の人。

ただし、ベースとなる着方なので上の年代の人、他の職種の人でも問題なく利用できます

予算

正直、初期投資お金はかかる。10万円は見積もっていてください。

だけど、ランニングコスト無駄がなくなるので安く済むようになります

就活で取り急ぎという方は※印のものだけを買えば大丈夫です

給料をもらってから他のを揃えてください。

考え方

ここではスーツ周りをダブりもれなく効率的に抑えていきます。(ほんとに基本の基本です。)

日常ではベースのラインで着回しを行なっていって時折、「遊び」を加えるような着方を提案しています

なのでシックに行きたい方もフランクに行きたい方も対応している選び方です。(この点については後述)

サイクル(システム

古くなったら同じ物を買うというライフサイクルします。

e.g.黒のスーツが古くなったら、黒のスーツを買いに行く。

こういったシステムを構築することが狙いです

カラーコーディネイトについて

ここでは扱わないのでぐぐってみてください。

スーツについて

スーツ系統

スーツには英国式と仏国式があります。(他国式は省略)

ただ、最近はどちらがどっちともいいがたかったりするらしいです

真面目に行きたい方は英式を、チャラく行きたい方は仏式で揃えてください。

基本のこの三色を揃えます

着回しがヘビーローテションにならないようにもう一着買うことをお勧めします。

茶色スーツもよく目にしますがこれは偉くなってから着ましょう。おじさん色です

素材

たとえば仏式の黒といっても生地や柄が当然違います

好きなものを選びましょう。

スーツが古くなったら同系統ものを買い直します。

ネクタイについて

太さ

太いものと細いものがあります。これについては後述のVゾーンで扱います

色調

色調にはライト(春色)とダーク(秋冬色)があります

ライトは2~6月頃を目安にします。お店には成人式後にラインナップが揃います

ダークは10~2月頃を目安にします。お店にはクールビズ後にラインナップが揃います

クールビズをしない古風な会社さんはライトの期間を8月まで伸ばしてください。

3つありますモノクロ・赤・紺

  • モノクロは 灰(※)と黒 黒は灰スーツと相性抜群。ただし黒スーツには使わないこと。
  • 赤(※) えんじは秋冬。明るい赤を春夏に
  • 紺(※) 深い紺を秋冬。明るい紺を春夏に

柄にはソリッド(無地)ストライプドットなどがあります

好きなのを選びます。柄物とかはおじさん臭くなります。それも好みですが。

ベースの3つ(黒灰赤2紺2の6本)は古くなったら同系統で買い直します。

そしたら流行色や好きな色を買い足します。これは流動的にサイクルさせる層になります

そうすると10本くらいになるでしょうか。ここらへんがちょうどよく着まわせる本数になります

Yシャツ

襟には長さと開き具合があります

これについては後述のVゾーンにて述べます

色は白(※)がベースです。ほか色々あります

素材・柄

好きに選びます

生地、裏地、襟元、ボタンなどで遊んでいきます

Vゾーン(襟と結び方)

ネクタイとYシャツの組み合わせには終る事無き戦いがあります

それは太いと細いです。これは流行で左右されます

原則

広太い襟には太いネクタイ、狭短い襟には細いネクタイ

はいものの、統一はしにくい。

ネクタイシャツ寿命は違うというのと

流行によって揺さぶられてしまうので。(店員さんは基本流行で進めてくる。)

運用

ポイントは襟元の空間の大きさ。

  • 空間が大きければ結び目を大きく
  • 空間が小さければ結び目を小さく
結び方

ウィンザー→セミウィンザーシングルノット(大→小)

この3つができれば十分に思います

黒(※)と茶があります

ドレッシータイプとそうでないタイプとがあります

上2つを揃えたら

すこし遊びを加えると良いでしょう。

お手入れ

靴は放っておくとしわしわになってしまうので

シューキーパーを買っておきましょう(3000円~)

それといっしょに消臭のおまじないの10円玉をいれておきます

おわりに

コ○カのお兄さんに相談してから

こういうのって普段教わらないことだなって痛感しました。

一人だけではもったいないので、ぜひますだのみなさまもどうぞ。

番外編もできたら書いてみます

2011-06-16

国旗国歌への敬意の示し方について。

国旗国歌への敬意の示し方ってどういう方法があるんだろう。国旗国歌の前で立って歌うのは本当に敬意を示しているんだろうか。個人の心の中を覗くことはできないのに、どうして敬意を示していると解釈できるんだろうか。

「立って歌わないと先生になんか言われるし、そういうことにうるさい人がいるし、とりあえず立って歌っておこうか」という子どもがいてもおかしくない。最近判例をみて、「いやどうやら立って歌わないと大変なことになりそうだ」と思って立って歌う子どもいるかもしれない。はたまた「いやみんな立って歌ってるからやらないと」っていう子どもいるかもしれない。どこにも「敬意」は存在しない。

まぁこれは僕の勝手想像から、当てはまらないのかもしれない。でも、この国ってそういうところが寛大というか、むちゃくちゃな気がする。

ベタで申し訳ないけど、初詣神社に行っても、そこの神様を信じてるわけじゃないし、クリスマスを祝ってもキリストを信じてるわけじゃないし、葬式仏式でやっても仏を信じてるわけじゃない。日本って行動=内心を表すわけじゃない、ってことが社会的合意を得ている国だ。

立って歌ううちに敬意が芽生える、というのなら、毎年初詣神社に行く人はそこに祀られている神への信仰心が芽生える、というのと一緒だと思う。で、現実信仰心なんてこれっぽっちも生まれていない。

から、なんで立つ・立たないで揉めるのかわからない。

ほとんどの子どもたちは敬意だの何だのって、そんなこと考えていないんじゃないだろうか。僕らが初詣神社の神のことを考えないのと同じように。

もちろん敬意を示す一番の(追記:方法は)立って歌うことだ。でも今まで述べてきたように、立って歌う=敬意を示しているとも限らない。

から、(追記:教員に)立って歌わせることを強制することが子どものためになるという理屈いまいちからない。だれか理屈を教えてください。

2010-09-24

ロードとかクロスとかの自転車を買うときに必要な付属品について

よく言われることだけれど、ロードとかクロスバイクとかを買ったときに、必要な付属品がある。

例えばライトとかだけど、こういうのを買うと本来の自転車の値段より高くなるのが若干曲者。

楽しく自転車を乗るために、必要なものと値段をあげてみる。

絶対に必要なもの以外は、ちょっとずつ欲しいなと思ったら買っていけばよい気がする。

自転車買うときは付属品の値段も積算にいれつつ、快適自転車ライフを!

2010-04-19

動画供養-蝉丸Pによる法話文字起こし

2010/04/17(土) 16:00 からスタートしています

ニコニコ生放送 動画供養

http://live.nicovideo.jp/watch/lv14744006

の法話に感動したので文字起こししてみた。

(なお、「えー」は読み易さを重視して取り除いてありますのであしからず

動画供養 蝉丸P -法話-

はい、本日はご参列の皆様、そしてまたご視聴の皆様、献花を頂きまたいろいろと温かいコメントを頂きまして本当にありがとうございます。

また、長らくのご長座、誠にお疲れ様でございました。

本日導師を務めさせて頂きました。削除動画の供養祭と聞いておりましたら、動画供養ということでございまして、少々焦った蝉丸Pと申します。本日はよろしくお願い致します。

動画供養ということでですね、法話の方を一つということで言われましてですね、さて何を話したものかなと考えましたけれども、今回ですね動画供養ということで、供養というものについてですね、一つお話ができたらと思っております。

よく一般的に供養と申しますとですね、今このように皆さん黒い服を着られましてですね、喪服を着て亡くなった方のためにする、それが、供養というふうに一般的にイメージが有るかと思います。

お坊さん呼んで、ワケのわかんないお経聞かされて、焼香やったらやることがなくて、しまいに足がしびれて、あ~やれやれと。

ま、こういうね、仏式の辛気臭いイメージと言うのがあるかと思いますけれども、供養というものの種類にですね、亡くなられました方の後生安楽、次の世がね、どうか無事で平和なものでありますようにと、ま、このように拝んでいただく供養や、法の供養、こうやって教えを説くという法の供養。そして、歌舞音曲、歌や、舞や、芸能というもの、これは元々宗教行事でございました。

そういったものを捧げてですね、賑やかに供養をする、供養と言っても、一口にいっても、これだけ種類があるわけでございます。必ずしも亡くなった方のためだけのものではないと、こういうことでございますが、世の中、この供養ということをですね、脅し文句に使う人が結構いるわけでございます。

あんたが不幸なのは、先祖の供養をやっていないからだとか、七代前の先祖とかですね、水子さんがとか、こういうようなことを言ってですね、アレを買いなさい、コレを買いなさいと。こういうような人達もおりますので、供養という言葉、なんとなく、まぁ胡散臭いというか、疑ってかかんなきゃいけないのかなと、こういう世知辛いことになっておるわけでございますけれども。

今これ見ていただいているユーザーの方の中にもね、自分だけはそういうもんには引っ掛かれへんでと、ま、こういう風に考えている方もおるかと思いますけれども、人間ですね、アイドルマスターの2が発売になるとかですね、いや取りやめだとかですね、Twitter上のTL(タイムライン)にそんなものが流れますとですね、一気に心の隙を突かれまして、右往左往する。

われわれ、自分リテラシーというもの、情報リテラシー、これをこう過信している方もおられますけれども、案外、簡単に釣れるもんでございます。

あんまり、自分自身のね、目と耳、コレを信じ過ぎるというのは、よろしくないですよと。

話がずれましたけれども、このようにですね、供養ということ、一般的には、じゃ、なにをやったら供養なのかなと。

手合わせて、お仏壇の前でやれば供養なのか、お墓に行けば供養なのか。逆にそういうことはしてないけれども、心の中では手を合わせてますよと、やってない方に限ってこういうことを言いますけどね。

ですから、この供養ということ、一つ覚えておいていただきたいのは、仏教の本来的な意味ですね。

本来的な意味で、供養というのが何かと言うと、手を合わせて、拝んでいただきますときにですね、亡くなられました方をはじめ、自分や、自分身の回りの人や、生きているこの世の中の他の関係のある、全てのものが、皆どうか幸せで苦しみから逃れますように。

こういう風に自分の心を養っていただく。

ここが、一番最初のですね、仏教的に正しい、一休さんの歌ではなくて、仏教的に正しい供養と、いう事になるわけでございます。

今風に申しますと、他のものに対する思いやりの気持ちや慈しみの気持ち、これを育てていただく。

心のトレーニングをしていただくというのが、仏教でいう供養の一番重要な部分なわけでございます。

ですからですね、こういう風に、動画の供養とかですね、亡くなった方のためだけのものではなくてですね、他の全てのものに対してのそういう想いを心に養うということ、この養ったものをお供えするから供養でございますと、このように言われているわけでございます。

われわれ、普段何気なく動画を見ていたりですね、歌を聞いたり、また人に会ったりと、こういう事をしているわけでございますけれども、その人が、その動画が、その歌が、自分の前に届くまでにですね、どれだけ、苦労や、喜びや、いろんなものを経て今自分の前にあるんですよという。これがですね、心というものをちゃぁんと使っていないと、ぼーっと見ているだけで終わっちゃうわけでございます。

体と同じように、心というものも鍛えていただきませんとですね、どんどん鈍くなるんですね。心が鈍くなるとどういう風になるかと言いますとですね、斟酌(しんしゃく)、いわゆる人の思いを読み取ってあげたり、人の感情を汲み取ってあげたり、「おい大丈夫か」というこういう気遣い、これが出来なくなってくる。

いわゆる、空気の読めない人っていうのはですね、気を使いすぎて空回りという、こういう場合を除けばですね、だいたいそういう部類なわけでございます。

どんどん心が弱っていくわけです。

そして、この心がどんどん弱りますとどうなるかというと、素直に物事を受け取ることが出来ない、感動することが出来ない、心を震わせることが出来ない。

そのうちに、不満と、怒りで自分自身すら支えることが出来なくなってしまう。

ですから、この心をね、鍛えるというこういう供養という意味は、かなり重要なわけでございます。

体の異変はね、お医者さんに行けばRGT-γとかですね、数値は出てきます。

言葉の方は、これもぐっと確率低くなりますけども、親しい人や、自分を心配してくれる人だったら、注意をしてくれます。

でも、心というのは自分自身でよほど気を付けないとですね、誰かが手を貸してくれるものではないんです。

ですから、仏教では自分自身の、あなたの良い心を育てるようにしてください。

供養ということ、手を合わせてね、まんまんちゃーん、チ~ンと、はいこれでおしまいと、まぁこういう方もおられますけれども、そうではなくてですね、自分自身の、他のものに対する思いやりの気持ち、慈悲の心、これを育てていくんですよと。

ここを一番、知っておいていただきたいと。

お金を払えば供養か、物をね、買えば供養か、何かをすれば供養か。何をすればいいのか分からない。

一番重要なのは、心を育てていただくということ。

このようにですね、動画再生の少ない動画ということでまた日の目を見ますようにということをですね、今村先生の故事に習って今この歌供養ということをいたしたわけでございますけれども、日々、日常の生活の中でですね、そういったものに、あたかも消えては浮かび消えては浮かびのですね、ホントに諸行無常のような、このニコニコ動画のですね、この動画の群れの中で、縁があってクリックしたわけでございます。

縁があってクリックしてですね、自分の気に入るものもある、気に入らないものもある。

指摘をしたり、批判をしたり、こういうこともある。

あるけれども、その最後に


GJ!」


の一言か、「お疲れ!」とこういう風にですね、書いていただけるだけで、作る人間としてはですね、作り手の方としては、それを励みに、画面の向こうの見ず知らずの誰かのために、それを思ってですね、「また明日から動画作ろう!頑張ろう!」とこういう風になれるわけでございます。

なかには、純粋にね、自分の楽しみだけということで、誰得という動画もあるわけでございますけれども、作り手の方がニコニコしていただき、また受け手の方もニコニコして見られるという、こういう環境を目指していきましょうと。

そのために色々と言いたいこともある、批判したいこともある、指摘したいこともある。

それを言った後にですね、で・も、ツンデレにですね、


GJ!」

「お疲れ!」



こういう風に言っていただきましたらですね、みんながニコニコしながら動画を作成してやっていけるんではなかろうかと。

ですから供養ということね、心を育てるということ。

こういう形式は、定期点検みたいなもんです。普段一番重要なのは、日日(にちにち)のご修行、一日のうちのどこかでもですね、そういう心を育てていただきまして、習慣としてください。

習慣にならないと、どんどん悪くなります。

仏教では、人間てのは善でもなく悪でもないですよと。慣れ親しんだ方向に行っちゃうんですよと。

悪い方に慣れればどんどん悪くなるし、良い方に慣れればどんどん良くなる。

心を良い方へ持っていく、そのための気持ちを養う。

ここを一つ覚えておいていただきまして、これが一番重要なことでございますのでですね、覚えていただいて、日々ご精進いただければなと、思っておるわけでございます。


さすがにそのー、そうそうたる面々を前にしましてですね、ちょっと足の震えが止まらないなということでございますけれども、これを以ちましてですね、ニコニコ動画供養の方を終了と、させていただきます

それでは、ご床座お疲れ様でございました。

2008-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20080129000834

一応、行われるのが仏式神式かくらいの情報は入手しておき、マナー講座みたいのに一通り目を通しておくんだぜ。

社長の代理で行くってことは、焼香だけってことか?それとも最初から最後まで付き合うのか。数珠は持ってるな。百均の数珠とかじゃ見劣りするぜ、一応。

受付に行ったら香典出して「本日はご愁傷様です」って言うんだぜ。で、記帳。「故人の遺志で香典はお断りを…云々」言われるケースも最近増えたから、その場合には名前書いておけば充分だぜ。

会場に入ったら、ipod音楽聴いたり携帯ゲーム機取り出したりするなよ。本とかも読まない方が良い。悲しみに耽ってろとは言わないが、お喋りしすぎるのも基本的にはNGだ。とにかく大人しく座ってお経聞いて、で神妙な顔持ちでつつがなく焼香済ませたら基本的にはお役ご免だからな。

2007-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20070317175629

誓うための道具や箱。他にも神前、仏式、等各種取りそろえております。

友人の結婚式だから泣いたんじゃないの?

  • 女どもの新婦への「かわいい??」という嬌声は本気なのか?

この部分に関しては突き詰めていく必要があるね!

そんなオプションもあるのか。

2007-02-22

難しい問題でもない、と思うが

( ;^ω^)<へいわぼけ: 葬式とか通夜で故人の死に顔の写メ取る人ってどういう教育受けてきたの?

36 名前:番組の途中ですが名無しです[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 17:37:57 ID:H1UyzNR00

ここまで何処が問題なのか論理的な説明ゼロ

  1. 「死者の顔を写メに撮ってはいけない」というルール法律)はない
  2. あるとすれば宗教上・倫理上の理由だけなので「論理性」はない
  3. が、そもそも葬式とは宗教上の行事である
  4. 宗教上の行事において、その行事の宗教性を脅かすような行為は不適切である
  5. よって、死者の顔を写メに撮ることは(少なくとも、日本仏式葬儀においては)不適切である

86 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2007/02/21(水) 17:50:37 ID:eiailINCO

葬式は相手が居る社会と居ない社会を区切るためにするから、

相手が居るものとしての行為は写真に限らず嫌われて当たり前。


間違ってたら指摘よろしくお願いします。

追記トラバから

4と5の間が論証されていないと思うが。

死者の顔を写メに撮ることが宗教性を脅かすような行為であることは、必ずしも真ではない。

”必ずしも”というとそうなんだけど、↑の引用部にもあるように、日本葬儀が「相手が居る社会と居ない社会を区切るために」するものだとするならば、十分「宗教性を脅かすような行為」と言えるんじゃないかなあと。

問題は上記仮定に引っかからないような宗教観の葬儀が実在するのかどうかかな。

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