はてなキーワード: 中学生とは
29歳 男 既婚
社会人7年目
友達に誘われて始めた吹奏楽だったけど、みんなと合奏するのは一体感があって楽しかったのを覚えてる。
中学校からはギターを始めて、高校大学と軽音楽部でギターボーカルを担当した。
あまり器用な方ではないし、上手な方ではなかったけど文化祭で大勢の前で演奏した時はアドレナリンが出て、これ以上楽しいことってないと思えた。
今思えば、大学では学部に友達はいなかったけど、サークルがあったおかげであまり話すのが得意ではない自分にも彼女ができた。
楽器が弾けたり、歌えたりすることが自分のアイデンティティを構成していた。
しかし、社会人になってからは好きだった音楽をやりたいと思わなくなった。
いつの間にはフェンダーのテレキャスターには誇りが被って、手にもつこともなくなった。
自分は音楽が好きだったんじゃなくて、音楽を通してこんな自分でも人と話せて、コミュニティに属せるのが嬉しかったんだな。
俺は大人になった。
大人8人は既に食事を終えていて、最年少メンバーである中学生は、下校したばかりでまだ食事をしていなかった。
そこで、メンバーの一人が知り合いのフォーの店で中学生に食事をさせた。
知り合いの人に、店の外で待っていた方が良いか?と尋ねたら、店内に居ても構わないと言われたので、待った。
大人8人は既に食事を終えていて、そこに中学生が下校してきて合流した。
中学生がまだ食事を取ってないとのことだったので、フォーの店に連れて行った。
大人8人は注文する気はないので、席に座らない。
ちなみに、ベトナム現地のお店では閑散としている時間帯限定で、店主から座ってていいよと案内があると座って良いことになっていて、
実際、何も食べないのに店で座って談笑している風景はよくある。
中学生が食事を終えたら、みんなでどこかに遊びに行ったんだと思う。
https://d13jio720g7qcs.cloudfront.net/images/guides/origin/58f86829de098.jpg
https://gekiuma.asia/wp-content/uploads/2016/08/IMG_5263.jpg
ちょっと前にベトナム料理店にいったとき、不思議な体験をしたので聞いてほしい。というか謎を解いてほしい。
で、私もその店のランチのフォーを食べていたんだけど、そこに集団の客が入ってきた。
20~30代の男女が8人くらいで、中学生くらいの男の子が1人。
その店には大きめのテーブル席もあって、全員余裕で座れる広さがある。
なので、当然そこに座るのかと思っていた。
しかし、彼らは店に入ってきてもなぜか席につかず、たがいに談笑しているだけなんですよ。
ただ、男の子だけが1人席について、料理をオーダーして食べている。
男女8人は男の子を見つめながらテーブルの周りに立って談笑するばかりで、誰も席につかない。もちろん料理も頼まない。
そして男の子が食べ終わると、彼らは笑い合いながら全員店の外に出ていった。
これ、どういう状況だと解釈したらいいの?
AIに聞いてみたら「男の子を撮影するスタッフじゃね?」だって。
しかし、それだったら普通はスタッフも一緒に食事をとるはずだ。
不自然でしょ。
男の子のわがままで食べさせることにしたとしても、全員店に入る必要はないよね?
誰か、この謎を解いてください。
本当に悩んでいるからここに書いているんだよー。
ちなみに8人のうちの1人が店の人と挨拶していたからちょっとした知り合いっぽい。
ユーレイでもないっぽい。
あと見た感じ全員日本人に見えたけどなあ。
https://twitter.com/HiroshiSukagawa/status/1685748930212966401
須賀川拓 TBS Television🇯🇵 中東特派員 Hiroshi Sukagawa
@HiroshiSukagawa
最近、とても驚いたことがありました。イギリスの私の自宅の大家さん、とっても仲の良い家族なんです。ところが、実は1年半くらい前に家族同士で会った時、娘さん(当時中学生)がいきなり坊主頭になり・・・
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ダボダボのジーンズで金色の極太チェーンアクセサセリーをジャラジャラと身に着けていて、両親とも言葉少ない感じで、ちょっと距離感もあり。
別にそのファッションがNGとかそういうわけではなく、ただあまりのイメージチェンジに、「思春期は色々なことがあるんだろうね」くらいに思っていました。
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ところが…つい最近、彼女のお母さんと話しをしたら、なんと学校の「peer pressure」でそういう恰好をしていた、ということが判明。
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どういうことかというと当時、彼女の学校では、女の子たちが「男の子」になることがファッショナブル(!?)で、みんな she/her ではなく he/him にならないとイジメられてしまっていたそうなんです。
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で、娘さんもある日突然、丸刈りにして帰ってきて「俺はきょうからジョーだ」と。何の予兆もなかったこともあり、お母さんはびっくりして泣いてしまったそう。ファッションの度を超している…
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ただ、お母さんは娘の変化や行動を否定も肯定もせず、考える時間をしっかりと与えて普段通り接していたら、数か月ふさぎ込んだあと突然、「私間違っていた」と言ってきたそう。
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今、日本では特にLGBTQの権利が話題です。私は同性婚含め、権利拡大には大賛成。でも、その「多様性」を強要されることはあってはならない。
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彼女の学校で、どういった会話がなされ、どういった教育がなされていたか分かりませんが、女の子たちが「男の子」にならないとイジメられる、そんな状況は極めて限定的であってほしいと願っています。
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彼女とその後も直接何度も会ってますが、さすがにこの事については本人も触れられて問題ない部分かわからないので、聞いていません。
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ただ、何よりも素晴らしいなと思ったのが、子供の変化をむやみに否定も肯定もせず、普段通り向き合ってあげたお母さんの行動です。
LGBTQの話題が出てきたとき、極端な例や事案を持ち出して罵倒しあったり批判しあうのではなく、建設的な議論に繋がるとよいなとつくづく思いました。
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LGBTQをめぐる話題は、同性婚だけではもちろんありませんが、最後に何度も話題になったニュージーランドの議員のスピーチを載せておきますね。
(追記)予想以上に多くの人に見ていただいてびっくりしています。最後の方にコメントで寄せられていることについて一部回答と説明を追加しました。
【本文】
初めての投稿
30代男性
身長173cm
体重76kg
高専卒
工場勤務
拙い文章なので読みづらかったらごめんなさい。
増田は高専を卒業して適当に決めた地方の工場に就職した。一応大企業の工場なので給料はそこそこ良くて、交代勤務ということもあり比較的自由な時間が多い職場だった。学生時代は専ら夜型人間で毎日来る日も来る日も、メタルギアオンラインをやって夜ふかしして授業中にうとうとするような生活をしていた。いつも寝不足気味だけど少し寝れば動けたため自分はあまり寝なくても大丈夫な人間なんだと思っていた。就職してからもはじめのうちはそんな生活を続けていた。
三年目になって責任のある仕事を任され始めたときに、苦手な人が自分の上司になった。
その人はとにかく揚げ足をとったり重箱の隅を突くようなことを言うことで有名だった。増田は無事その上司からロックオンされてしまい、それから3年間は地獄のような生活だった。交代勤務による不規則な生活に加えて、上司からのストレスで眠たいのに寝れない状態が続いた。眠れないからゲームをする。更に眠れなくなる悪循環に陥っていたと思う。ゲームをやめろよって思うかもしれないけど、その時は日々のストレスの捌け口がゲームしかなかったから辞められなかった。
いよいよ夜勤明けでも寝られなくなってきたので、休みの日はマック2セットと酒をどか食いして気絶するように無理やり寝ていた。おかしくなる前の1ヶ月は、2日間徹夜は当たり前、3日間徹夜することもあった。
そんなある日2回連続で遅刻した。一回目はその日の記憶があまりない。あとから聞いたら、結構重要な仕事をとんでもなく雑にこなして周りに迷惑かけたうえに、時間になると次直に交代してすぐに消えたらしい。
二日目はっきり覚えている。職場からの電話で起きた。時間は朝10時。遅刻だ。しかも、なにやら頭の感覚がおかしい。とりあえず目を覚まそうと浴室にいき、シャワーを浴びる。シャワーから出たとき時計は10:40になっていた。体感5分ほどしか浴室にいなかったのに時間が経ちすぎている。浴室内での記憶がなくなっていた。とにかく会社に行こうと車に乗った。また記憶がなくなるのはヤバいと思ったのでしっかり目を見開いて信号の色を声に出して運転したが、最初の信号以降の記憶がなく気がついたら会社の制服を着てロッカールームにいた。仕事場に行き上司に一通り怒られたあと、夜勤明けの後輩と引き継ぎを行った。その後輩の日本語が何も聞き取れなかった。正確には、聞き取れてはいるんだけど意味を理解する前に記憶から消えていく感覚だった。これはちょっと面白かったのを覚えている。もう一つ、引継書に書いている文字が浮き上がって踊っていた。これはうつ病だったり統合失調症の症状で聞いたことがあったので、あ〜これかーって感じだった。認めたくなかったが、その光景を見て多分だめだなって思った。その後仕事で使う設計図見ても何も意味わからんし、そんな状態で仕事などできるわけもなく、上司にギブアップし頭の病院に行くことを伝えた。
診断は双極性障害。心当たりはあった。むしろ心当たりしかなかった。この3年間で貯金を含めて1000万くらい無駄遣いしていた。決まって散財するのは冬だ。車を買い替えること3回、友達に30〜50万あげたこともあった。趣味の道具で部屋は埋まっていた。これは躁状態によるものだったのだそうだ。
斯くして精神病院への通院と薬の服用が始まった。抗精神薬と睡眠薬を処方された。睡眠薬を発明した人はすごいと思う。あんなに寝られなかったのに飲んで15分で7時間寝ることが出来た。抗精神薬は正直よくわからなかったが今良くなってるから効いているのだろう。会社を休職すると辞めてしまいそうだったので、保健室通学みたいに会議室へ出勤して雑用をちょこちょこやるのを半年続けて、だいぶ頭がはっきりしてきた頃、友達に進められてやったマッチングアプリで出会った女の子と付き合うことになった。
これが本当に良かった。彼女のお陰で生活リズムは整い、部屋は片付き、風呂に入るようになった。やっと人間に戻れた気がした。
それからの回復は早かった。その後交代勤務には戻らなかったが日勤として仕事ができるようになり、その彼女と結婚した。子供はいないけど仲良く暮らしててあの頃を考えると、今は最高に幸せな日々を送っている。
まず1つはプライドがなくなった事。自分をよく見せようとか、理想の自分でなきゃいけないっていう強迫観念から開放された。いい意味でプライドを捨ててありのままの自分でいられるようになったと思う。
2つ目は人にやさしくできるようになったこと。増田は元々冷たい人間だと言われていたが、本当に辛いときに彼女や先輩、後輩にかなり救われ、今までの自分があまりに醜く自己中心的だったことを思い知った。同時に自分のような人間を救いたいと思うようになった。
久しぶりに会う友達からは同じ人間じゃないくらい変ったと言われる。
双極性障害を、経験して人間的には成長できたと思う。精神疾患も悪いことばかりじゃないと今は前向きに捉えている。
(追記)
結構批判とかくるかなと思ってビクビクしてましたが、思いの外暖かいコメント、励ましのコメントが多くて皆さんの優しさを感じました。
回答するコメント
読み返してみたら確かに「理解ある彼女」がすべてを解決してハッピーエンドになりました!って内容ですね。
実際、彼女のお陰で生活を立て直せたのでその認識で間違いはないです。
ただ後出しで申し訳ないですが、元々増田は、中学生の時以来彼女はおらず、女といるより一人で趣味を謳歌していたほうが楽しいじゃん、と思ってるタイプでした。コミュニケーションの取り方も自分の考えをまずバーっと喋ってあなたはどう思ってるの?みたいな、一般的な女性からすると苦手なタイプだったと思います。はっきりしているので男友達はそれなりにいましたが。
そんな性格でしたが、うつ状態に苦しみ、自信とプライドが地に落ちていく中で導き出した結論は「悩みの答えは自分の中にはない」ということでした。自分の理論ではうつ状態から抜け出せない事がわかったので、とにかく人の話を聞いて、その人が話す言葉の背景を想像して、色々な価値観を否定せずに、様々な可能性に目を向ける癖をつけました。
多分その結果、タイミングよく「理解ある彼女」と巡り会えたのだと思っています。
あと、嘘くさくなってしまうので入れませんでしたが、うつ状態真っ盛りのときに父親が交通事故でなくなったことも、心境の変化のポイントだったと思います。ただ色々重なって職場ではとんでもなく不幸なやつだと思われてました(笑)
これもたしかにそうですが、わざと鬱病という表現にしました。諸兄には不要だったかもしれないですが、双極性障害より鬱病って書いたほうがイメージしやすいかなと思ったためです。変更はしませんが、これで迷惑がかかってしまった人がいたら本当に申し訳ないです。ごめんなさい。
実は増田が苦しんだ3年間のうち最初の2年間だけその上司の下で働きました。ある時その上司の言動に限界を感じて所属長に直を変えてくれと懇願して移籍することができました。しかし1度起きた双極性障害の波はどんどん大きくなり3年目で破綻しました。その上司はステップアップして今も私と同じ職場で働いています。特に何のお咎めも無いですが、増田は上司を恨んでいません。その人はその人で家庭や仕事で問題を抱えていて苦しんでいるようなのでお互い出会ったタイミングが悪かったと思っています。間接的ではありますが、その上司がいなければ妻と出会えなかったと考えるとむしろ感謝しています。
最後に
これを見て増田と同じような症状や悩みがある方は勇気を出して病院に行ってみることも一つの解決方法だと思います。病院に行けば治るとは言いませんが、病名がついたことでホッとした自分がいました。仕事や人間関係がうまく行かないのは自分の能力が低いからだと自分を責め続けていましたが、病気のせいだとわかって少しだけ自分を許すことができました。だめな自分を許していく道のりの最初の足掛かりとなりました。死のうかと思うこともありましたが、今では生きててよかったと思えています。どうかあきらめないで自分を許す道を進んでください。
バービーの原爆コラボ問題で、「それならばこっちも911の不謹慎ネタやったるで〜」というツイートがそれなりに見かけられた。
https://twitter.com/7pp2htgnjw3ar5r/status/1686148678875222016?s=46&t=OJDaJlFKcT4_ATwV-leoQQ
これはそのひとつで、まあツイッターだし(X……?)不謹慎ネタもありだろうとしか思っていなかったが、どうやらこのツイ主はハンムラビ法典に従って絶対にやり返してやるという強い意志でこのツイートをしたらしい。
私はこのツリーを見て、20歳にもなり、現代日本でこの思想を振りかざしている人間が心底可哀想に思えてきた。目には目を、という思想は確かにわかりやすく、そして合理性もあるように思われる。にも関わらず、この思想を実際に運用しているコミュニティは大規模であればあるほど存在しない。その理由は教えられるものではなく、自分で考え、さまざまな経験を通して身につけるもので、多くの人間が直感的に理解しているだろう。例えば無限に続く復讐や、金持ちと貧乏人の非対称性などいくらでも反例は思いつきそうなものだが、この思想を否定するにはこれらを自分で考え、自分で納得しなければならない。
ふつう、おそらくは、極論じみた考えに染まり、自分の中でのコンフリクトを通じてこういった考えを克服するということを中学生〜高校生で部活や人間関係を通じて学ぶものであろう。しかし、その時期を過ぎてなおSNSの心地よいエコーチェンバーの中では克服しえないそれを掲げた人間の行く先はどうなるのか。哀れに思えてならない。
「外国人を差別するな。爆破してやる」埼玉・川口市の商業施設に煙幕花火投げつけ 営業妨害疑いでトルコ人の男子中学生逮捕
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/636528
あーあ始まったぞ
そのうち暴動が起きて店や車が焼かれるようになる
アニメや漫画に自分たちが出てこないのは差別だと言われてトルコ人を必ず出さないといけないようになる
そして参政権を得られないのは差別だと言われてトルコ人の首相が誕生することになる
もう終わりだよ
もう止められない
↓こいつらはいつか後悔するだろう、俺は知ったこっちゃないけどな
https://www3.nhk.or.jp/news/special/izon/20200607yoronzouka.html
地方に文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。
特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。
昭和末期に地方の山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般、特に演奏と作曲に強い興味があり、
自分で作曲した曲を五線譜に書いて小学校の音楽の先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカで演奏したりしていた。
しかし周囲にクラシック音楽に理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。
やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。
その中学校では全生徒が何らかの部活動に強制加入させられたが、選択肢は運動部数種類と吹奏楽部しかなく、
かつ吹奏楽部は男子の部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。
しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。
教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。
しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。
部自体のレベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。
音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団の勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。
しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。
小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。
幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれた音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。
音大ではないにも関わらず、そこの楽団からはプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。
俺は初めて、自分が環境面で恵まれていなかったことを実感した。
これは住む場所の問題だけではなく、家庭環境の問題でもあるだろう。しかし小学生のうちから子供にバイオリンをやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、
俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎の格差であった。
結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。
今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。
もし俺が打ち込もうとしたのが、地元の伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方にアドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。
小学生の頃からオナニーが大好きだった。なんとなくきもちよかったのが、中学生の時初めてクリでいってからは、オーガズムの虜になった。
その頃に初めて彼氏ができて、ただコンドームは入手できなかったから(コンビニもない田舎)、互いに性器を触り合っていかせあった。
地元から離れた少し都会の高校に進学し、1年生のときに、他校の仲がいい先輩と、付き合うでもなく初めてをした。
もう少し初めては大事にすべきだったかなと思わないでもないが、とても楽しかった、幸せな思い出だからこれはこれで大切。
社会に出てからは奔放に遊びまくった。彼氏もいたけど、性欲が噛み合わなくて、別れて色んな人と遊んだ。
28歳の時知り合った今の彼氏とは、性欲がすごく噛み合って、馬鹿みたいにセックスして過ごした2年間。
わたしは30になって、彼氏は34になった。交際期間が長くなってきたのもあるだろうし、同棲したのもあるだろうし、彼氏の加齢もあるだろうが、セックスの頻度は落ちた。週に3回くらい。
もうムラムラしてしかたない。仕事中もたまに、座ってんのが辛いくらいムラムラすることもある。
わたしのように若い頃から性欲が強い女は、別に30になっても変わらないんじゃないかと思ってたけど、全然違う。
性欲の質が変わった。イったら満足、みたいなのではなくなった。ドロドロに溶け合って無くなりたい、セックスでしか味わえない感覚が愛しくて欲しくて仕方ない。
緊縛やロウソクなんかは経験があったけど、もっと。露出とか撮影とかそういうのもしてみたい。
この彼氏とならできると思ってたんだけどな。いろんなこと。
彼氏が大切だから、浮気しようとか無理強いしようとかは思ってない。
ゲームの話ばっかりですな。
そういえば思い出した、遥か昔の頃、俺も吹奏楽部に入ってたこと。
今は”(吹部)スイブ”なんていうのか?俺の時代は“ブラバン(ブラスバンドの略)”って言ってたけど。
パーカッションをやりたかったけど、すごい人気でそれこそ「オーディション」で選考されて、
箸にも棒にも掛かからなかった俺はサファイアちゃんと同じ「コントラバス」に配属された。
ちなみにコントラバスは誰もやりたがらない堂々の不人気No.1楽器。
クソデカくて運搬が大変なのに、音低すぎてよほど吹奏楽に知見があってかつ耳の良い人でもない限り音を聴き当てることができないからね。
作中でもサファイアちゃんだけが希望者でかつなり手がそれまでいなかったっていうのはすごいリアリティだ。
だけど一人きりのコンバスだったサファイアちゃんとは違って、俺には3年生の先輩が二人、2年生の先輩が一人できた。
全員女性だった。
中学生、ド思春期、関わったことがある年上の女と言えば学級担任かばぁちゃんかかぁちゃんだけの童貞にとって、
ひとつふたつ上のお姉さんは言い得も知れないほど何かを感じずにはいられなかった。
早い話、性欲持て余しまくりだった。
一人だけだった少年後輩の俺に、先輩方は本当に優しく、時に厳しく、指導してくれた。
特に3年生の二人は引退が近いこともあって、かつ二人とも弟がおられたみたいで、「ウチの弟とは違って素直でかわいい~」ってな感じで
ズブズブに可愛がってくれた。
俺は毎晩ズブズブにオナペットにした。
作品は夏休み中のコンクールの話だったけど、同じく当時の俺もコンクールを体感していた。
ブラスバンド部というのは、とにかく金がかかる。
コンクールの会場は都市部のコンサートホールだったんだけど、その会場までは学校が手配した貸し切りバスでの移動だった。
だけど上記の通りいろいろ金がかかるため、少しでも浮かそうとしてバスは観光バスではなく、その辺を普段走ってる路線バスが行先に「貸切」って表示させたボロいやつだった。
先輩が「増田ちゃんは座ってな!」って俺を座席に座らせてくれて、本人たちは立ってくれた。
路線バスだから車内につり革があって、先輩たちはそれにつかまっていた。
ふと座った座席から先輩たちを見ると、つり革につかまってガードがゆるゆるになった、先輩たちの「脇」が露わになっていた。
ボーボーだった、わき毛が。
当時の中学三年生くらいはまだ、ムダ毛の処理なんてしなかったのだろう、
とにかくボーボーだった。
そんなボーボーの光景をみて、俺は衝撃を感じるほどの性欲が沸いて沸いて沸き立ってどうしょうもなかった。
中坊にとって女性のわき毛は、もう大人のそれでしかなかったから。
先輩にバレるかもしれない、という恐怖に駆られながらも、会場に到着するまでの30分間、2秒に1.5秒くらい俺は盗み見た。
会場楽屋での音合わせ、舞台袖の雰囲気、結果発表までの緊張感、
なんか色々あったと思うけど、俺の頭の中は貸切の路線バスの中で仕入れたとびっきりのズリネタをいち早く消費することしかなかった。
学校に戻って解散したあとは猛ダッシュで家に帰り、出るだけ出した。
結果は銀賞だったような気がする。はっきり覚えてない。
一人いた二年生の先輩には正直何も感じておらず、拠り所を失った俺はほどなくしてユーレイ部員になり、知らない間に入部さえしていなかったことになっていた(高校入試の時に途中退部とかだと内申書に響くから、らしい)。
特に何にも夢中になることがなくなった俺はテキトーにスーパーファミコンとかばっかりやって、気づいたら中学卒業してた。
その後も何かに熱中することもなく、やがて中年になり、結婚も出来ず、金曜日にたまたまユーチューブで見たアニメにほだされて、土曜日に駄文をダラダラと書くことくらいしかやることがなかった。
何かを一所懸命、やればよかった。
悔し涙流すくらい、やればよかった。
それは若い時が断然よかった。
三年生の先輩をオナペットにした思い出しかなかったあの時のことだけど、それでもやっぱり、二度とない良い思い出に違いなかったから。
ああ、
なんか余計な事思い出した。
俺にでも若い頃は、その可能性があったことを今頃知らしめられてどうする。
見るんじゃなかった。
C・ロナウドに「大谷翔平知っている?」ズムサタ国本梨紗の質問が波紋
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1690619075/l50
今の日本人はかつての経済的成功による自尊心と現在の国力衰退による劣等感で板挟みの状態になってる
だから「僕たちまだすごいよね?まだ落ちぶれてないよね?みんな僕たちがすごい存在だって言ってよ!」と、海外に対して自国の価値の高さをしきりに確認しようと躍起になっている
「youは何しに日本へ」みたいな日本すごい系のテレビ番組もその一種で、「わざわざ海外から来てくれるなんて日本はまだ価値がある国なんだ」と確認したくてたまらないわけ
幼少期は他の子供より抜きん出ていたのに、成長するにつれて追い抜かされてしまいアイデンティティの危機に陥っている中学生みたいなメンタリティなんだよ今の日本は
アメリカの「俺の国のことなんて知ってて当たり前だろ?」みたいな尊大な態度も考えものだが、少なくとも日本のキョロ充みたいなみっともない精神性よりはマシ
トークも小さい子らしくて可愛い、話した感じの体感は小学生から中学生くらい
でも働いていてカフェ好きとあるから10代後半から20代前半くらいなんだろうか
課金してる感じではなく、お部屋のアイテムもバラバラのガチャのアイテム
なのにかわいい
フクロウと犬とツバメと、バラバラのガチャで集めただろうに全体的には動物王国のおやゆび姫みたいな
魔法使い見習いのボリュームツインテールに紫のロングドレスにエレキギター、そして王冠をつけて、やんちゃ感ある姫感
あまりにも可愛くてそのフレンドさんのアイテムをゲーム内フリマで買い集めてる
課金勢の大人なフレンドさんもいっぱいいる、トータルコーデ素敵な方いっぱいいるけど
彼女がゲーム内での自分のファッションリーダーなのだ