小学生の頃私をいじめていた人が事故で亡くなった。主犯格ではないがネチネチ嫌がらせされて、保健室で先生と話し合ったこともあった。それでも終わることのなかった悪意たち。
あの時はずっと恨んで、でも何もできない自分が悔しくて、悪口を言われた悲しみとでゴチャゴチャになって、家に不幸の手紙でも入れてやろうかなとかいう気持ちになって。入れなかったけど。誰も聞いていないところで「死ねば良いのに」とつぶやいたこともある。
そしたら、本当に死んだ。バイク事故で、事故の原因はドライバーの不注意。「あいつは何も悪くなかった、運が悪かった」そう教師は言っていた。
本当にこんなことがあるのだと思った。恨めしくて恨めしくて仕方ない相手があっけなく死ぬこと。朝、母が部屋に入ってきて言った「〇〇くん、事故で亡くなったんだって」。寝起きもあって、夢かと思った。うちの学校の卒業生で初めての死亡者だったので知る人はきっと多かっただろう。
切望していた死。でも、その時の感情はやったー!とか、よっしゃ!とかじゃなくてそうなんだ、なんか違うな…だった。
死を喜んだらバチが当たる気がして、あの時あんなに望んでいた死を受け入れる方法がわからなかった。
ただ、ツイッターで「天国の〇〇に届け」だのなんだのラインとかメッセージのスクショを貼ってるやつらに対して、実際に1人の人が死んでるのにこんなお涙頂戴みたいなこと本気でやっちゃうんだ…とゾッとしたのを覚えている。
……数年前のことだが、強い恨みに駆られたとき、このことを思い出す。今はもうあいつはこの世に存在していない。一緒になっていじめてたやつらは、今でもあいつのことを考えている瞬間があるのだろうか?もしかして、親族以外で一番あいつの死を考えてしまってるのかもしれない。ヘドが出る。けどどうして、念願叶ったというのに、この虚しさは何なんだ。
たぶんあなた以外にもイジメられてた被害者はいるだろう その人が彼のお墓にうんこをお供えするだろう あなたが気を揉む必要もないので、彼のことは忘れてしまおう