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はてなキーワード: 上りとは

2021-04-27

anond:20210427095452

東京に近い新函館北斗方面上り

まあ正確には北海道新幹線の起点は新青森駅なので、終点に向かう札幌方面下りになる

なんだけどね

anond:20210427090756

東京方面というか、もっと正確に言うと東京駅へ向かう方向が上りね。(つまり東京駅こそ最も標高の高い所にある駅なんです!)

anond:20210426200111

電車上り下りは「お上りさん」の上りと一緒なんよ

都会に向かうのが上り田舎に向かうのが下り

なおありとあらゆる物事例外はあるので最終的には個別対応

2021-04-26

何度調べてもどっちがどっちだか覚えられないもの

必要になるたびに調べている気がする

First NameLast Name

牝馬牡馬

上り路線下り路線

山手線内回り外回り

覚え方を教えてほしいし、他にも覚えられないものがあれば知りたい

2021-04-22

叔父さんに会って、男は老後一人になると惨めだと思った

こんなご時世ではあるが、諸事情叔父さんと久々にあった。

 

叔母さんの葬式以来である

叔父さんは、奥さん(自分から見れば叔母さん)に数年前に先立たれた。両親(自分から見れば祖母)より早く娘がなくなるのは驚きしかない。

かつては家族4人で暮らしていた都内の駅チカマンションに一人で暮らしている。なかなかいマンションなので、今でも結構いいお値段がする。

叔父さんは、東大を出た後、某有名企業で重役まで上り詰めた。親戚一同で集まる機会があれば、できるビジネスマンみたいな雰囲気が凄く会った。

接待の多い業界なので、親戚の中でも色々な人と話で盛り上がっていた。定年後は、子会社社長に落ち着くというエリート路線であった。

 

それで子会社社長もやめ、その後相談役みたいなちょっとだけ行く仕事も終わり、さぁと思った所で叔母さんが病気になり看病に明け暮れた。

最後はもう疲れて切っていて、叔母さんの様態ちょっとよくなったと聞いた時に、なんか落ち込んでいたと親戚の人が言っていたぐらい疲れていた。

息子は2人いるが、一人は遠方に行ってこっちに返ってくる見込みのない職種。もう一人は首都圏に住んでいるが、まぁ父親と息子というのは、そう頻繁にあう間柄でもない。

 

それで久々にあった叔父さんは、奥さん関係があるものをすべて断ち切りたい様子だった。自分は叔母さんの弟の子供なので、こっち側である

俺も関わり合いたくない人間らしい。別に、俺が頼んで叔父さんと会ったわけじゃないんだけどな。

仕事がすべてで趣味の話なんか聞いたことない叔父さんは、今凄く孤独になっている。そして本来今を楽しむはずだった、奥さん記憶を少しでも消すのに精一杯みたいだった。

 

葬式の後すぐに、家にあるすべての女性もののバックを買い取りに出したのは驚いた。最初愛人がいて、再婚したいから整理したのかと一瞬思ったが、そんな人はいないらしい。

学歴過去仕事プライドだけで辛うじて生きているらしい。過去の自慢話につきあわされた。本題はそこじゃないだろ。店が早く閉まってくれるご時世でよかったと思う。

 

親戚や知人を見ると、妻に先立たれて生き生きしている人はほぼ見たことない。反対は、夫に先立たれて生き生きしている人は多い。

結婚離婚しない+奥さん健康+そこそこ金がある

 

老後の不幸回避は辛すぎ。

2021-04-21

anond:20210421233140

首都圏下り方面通勤もいうほど混んでないで

少なくともあれできついと言ってたら上りは一生乗れんやろぐらいの違いの出る路線もある

2021-04-20

anond:20210420184400

天守閣なんて、上り下りがめんどくさくて、3日も住めばうんざりすると思う。

2021-04-18

日本音楽史上の最も偉大なアルバム

河村隆一Love」(97/11/22)

1.I Love You 言わずと知れたソロデビュー駄曲。サビの「~探してたー、うっふっふ」ってとこがキモい駄曲。

2.好き Say A Litlle Prayerに提供した駄曲をセルフカバー。引き続きキモいです!

3.涙色 酒井のり子(のりP)に提供した曲。ここまで来るとアイドルヲタカラオケみたいです!

4.Birthday 誕生日にこんな曲をRYUICHIに隣りで歌われたらその日は眠れないかも、キモくて、っていうおぞましい駄曲です

5.Love Song アコースティックな優しい響きに乗せたメッセージ絶望的にサムイです。

6.BEAT 「波乗りに行ったときに出来た曲。波の音が、別れた彼女の声に聞こえて・・・」との事ですが、

    何言ってんだおまえ、って感じです!!

7.蝶々 これも酒井法子への提供曲。「女言葉を僕が歌ったら、面白いかなって思って」との事ですが、

    ちっとも面白くなく不快な仕上りになってます

8.Love アルフィーの高見沢作曲。繰り返し歌われるRYUICHI恋愛観に辟易させられる駄曲です。

9.Evolution アルバム中盤で、ちょっとしたアクセントになっている駄曲。

10.小さな星 セイアへの提供曲。RYUICHIが歌う事によって鳥肌が立つほどの駄曲になってます

11.Glass ソロ2ndシングル曲テレビでもよく歌っていたせいか、サビでは高音を張り上げるRYUICHIの顔が浮かんできて怖いです!

12.でも淋しい夜は・・・ まだ続くのかよこのアルバム、って駄曲です。

13.SE,TSU,NA このアルバムでは珍しくアップテンポアレンジに乗せて歌われるメッセージが圧倒的にウンコです。

14.Love is… 「僕の、究極の理想の愛を歌ってます」との事ですが、そんなのどうでもいいと思える駄曲で幕を閉じます

総評:全14駄曲という圧倒的なボリュームソロデビュー作。主婦狂気し、

LUNA SEAファンはいろいろな意味で腰を抜かした200万枚のヒット作です。

中古屋では100円で売ってました。100円出すのも勿体無いです!

2021-04-14

anond:20210413214205

技術的に難しいのとやっぱり実現のためのお金がないのが原因のような・・・

視力障害メガネがあるし聴力は補聴器があるし人体欠損についてもある程度健常者と同じ生活になれる技術があるけど

階段上り下りできる車椅子とか21世紀現代でも実用化は難しいんだろうなと思う

ググると一応あるみたいだけどまだまだ試作の段階じゃねえのかなって思えるのばかりだし

やはりまだ今のところ22世紀未来に夢を託すしかないと思うわ

2021-04-13

増田ブクマされなくなったので次の土地に行きたいんだがどこかオススメある?

匿名掲示板

怪文書投稿サイトとしてはもはや古参の風格。

特定話題に絡めればそれなりの読者数が安定して稼げる。更にはリレー小説的に続いてブームになることも。でもブームの大部分は自演だと思います。あとツイッターでたまに回ってくるけどあれも自演だと思いますよ。

ツイッター

怪文書投稿サイトとして一時期圧倒的地位上り詰めたサイト。今でもサザエbotの生き残りみたいのがいるけど、大して面白くもないことをダラダラ喋ってるなと思うばかり。

正直言って、本当に面白い人はいなくなってつまらん連中がボク面白いよアピール必死なだけなので、そういう使い方はしない方が幸せになれると思います。全時間対応雑談チャットとしては今なお優秀。

カクヨム

告発大手の座に上り詰める器だったのにその路線を伸ばすものが現れずに無事死亡。

Qlita

IT系怪文書投稿サイトとしては既に最大手

でも内容が偏っているせいで怪文書の総数が少なくやや質が低いように思う。身内贔屓が多いのでかつてのTwitterのようなお友達を増やして相互いいねしあう気持ち悪い空気ちょっと無理。

はてなブログ

オワコンに居座ると自分までオワコンになるぞ。

YOUTUBE

怪文書音読サイト大手

前もって用意した怪文書をさも今思い付きましたよ感を出しつつ読み上げることを競う新型のスポーツが大流行している謎の空間。対談形式怪文書を投げ合うフリースタイル怪文書配信もあり、コンテンツの幅は広い。

小説家になろう

小説怪文書投稿サイト

フィクションの体をなしてその実はただただ怪文書であるというスタイル全面的に許されているお気持ち長文投稿サイトキャラクター同士の掛け合いを装えば1000000行の怪文書であっても読者は付いてきてくれるので、話しが長過ぎる人にこそオススメのようだ。

pixiv

二次創作小説怪文書投稿サイト

小説家になろうと違って二次創作全面的に許されているので伸び伸びと特定作品怪文書投稿できる。エヴァンゲリオンKANON二次創作怪文書を書いてたような人種おすすめサイトである


ざっと思いつく「ネット・タダ・怪文書投稿に対して寛大」の条件が揃ったサイトを上げてみたが、どこに行くべきなのだろうか。

増田はお世話になってきたが、最近のはやりとギアが噛み合わなくなって全く伸びないので別の土地に旅立つことを考えている

飽きっぽい俺が、ニーアオートマタをクリアできた理由

今までクリアできたのは、ポケモン赤くらいで

大体が先が見えたらやめてしまっていた。

安くなっていたニーアオートマタを購入して、楽しかった。

個人的に良いと思ったポイント

ストーリーが深い(気がする)

自分キャラカスタマイズでき、経験値アップとかパーツをつけられる

・次のクエストが何か分かりやす

エンディングがたくさんある

ネット接続すると誰かの死体があって、拾えば味方にできた気がする

重要

・敵を倒したときの爽快感

簡単ボタン操作で敵が倒せる

ゲーム慣れしてない人でも、銃のボタン長押ししていれば勝手に敵が死ぬ

2Bの、むっちり太もも (梯子上り下りとか良くした)

・曲が素晴らしい 不思議雰囲気の曲で引き込まれ

微妙だなと思ったポイント

9Sの時は少し面倒に思えた(アクションゲーを求める人にシューティング不要

2B9S→2A ちょっと飽きた

ラスボスが俺には手ごわかった(かといってヌルゲーでも困るし難しい

anond:20210412164815

2021-04-12

anond:20210412182837

障がいがあって上り下りが出来ないか

かに手伝ってもらうために事前連絡を入れることが差別

ちょっと何を言っているかからないですね

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/honeshabri.hatenablog.com/entry/prevention_of_back_pain

いい加減無限要求止めろ

すべての客へのバリアフリーと、駅員の労働環境にも配慮すべきはJR本体なのだよ。

とか言いしちゃう

無限責任なんて認めたら、国営にでもしなきゃ誰もやらんよ。

法律で定められたラインはきっちりとバリアフリー化が進んでる。

こういう頭お花畑の連中は、都心の情景しか考えられないんだろうな。

この写真だけで言うなら、幅もあるし傾斜もゆるいし階段の一部を車椅子用坂にしてしまえばそもそも運ぶの1人で良さそう。階段エレベーターかの議論ばっかしてるけど、正直JR側の工夫が足りなすぎる

あんな急坂をスロープにしろとか、車いすをなんだと思ってんだこいつ、人を殺したいのか

女性です。エレベーターのない都内主要駅で赤ちゃんベビーカー荷物を1人で担いで階段上り降りしたけど、総重量が体重24%を軽く超えてたわ。/どの駅にもエレベーター付けるのが現実的だよね。

どこに現実性があるんだ

埋蔵金でも発掘したのか?

ぜひ寄付してくれ

障害者側も、そもそも電動だから駅まで行けるという面もあるわけで、手動車椅子は今さら選択肢に入らない。普通に事業者設備投資対応するべき事案/階段は駅だけではないが、駅が使えなかったらどこにも行けない

そうだな、廃線になって、そもそも電車が使えなくなった健常者もたくさんいるな

からバリアフリーを推進してエレベータを設置すべきなんだよ!

何の実効性もなく、出来もしない理想だけ吠える

野党と一緒だな

それなら、自民党投票して権力を持たせ、各地でロビー活動でもした方が良い

バリアフリー法の対象でもない網代駅は、自民党議員活動エレベータ付いたぜ

所で、こういう輩は、利用者数が100人を切るような赤字路線無人駅でも

障碍者様がふらっと思い立って訪れたならば

十全な対応がされて当然とか思うのかね?


障碍者が利用できないもの

エレベータのない雑居ビルへの出店禁止とか言い出しかねないよな

古くてエレベータのない5階だての公営住宅とか住民追い出して取り壊さなくちゃな

だって障碍者が入居できない

anond:20210412111649

階段上り下りする車椅子ってたまに時々開発されるけど

高くて全然普及しなくてすぐ消えてくらしいな

健常者は健常者で生活を良くするための主張をするべきなんじゃないの

健常者だからって階段上りいか

満員電車に詰め込まれいか

改札機を通るたびにドキドキしたいか

どうなんだよ健常者。

2021-04-11

佐藤

九月二日

 次の日もよく晴れて谷川の波はちらちらひかりました。

 一郎と五年生の耕一とは、丁度午后ごご二時に授業がすみましたので、いつものように教室掃除そうじをして、それから二人一緒いっしょに学校の門を出ましたが、その時二人の頭の中は、昨日の変な子供で一杯いっぱいになっていました。そこで二人はもう一度、あの青山の栗の木まで行って見ようと相談しました。二人は鞄をきちんと背負い、川を渡わたって丘おかをぐんぐん登って行きました。

 ところがどうです。丘の途中とちゅうの小さな段を一つ越こえて、ひょっと上の栗の木を見ますと、たしかにあの赤髪の鼠色のマントを着た変な子が草に足を投げ出して、だまって空を見上げているのです。今日こそ全く間違まちがいありません。たけにぐさは栗の木の左の方でかすかにゆれ、栗の木のかげは黒く草の上に落ちています

 その黒い影かげは変な子のマントの上にもかかっているのでした。二人はそこで胸をどきどきさせて、まるで風のようにかけ上りました。その子は大きな目をして、じっと二人を見ていましたが、逃にげようともしなければ笑いもしませんでした。小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま、黙だまって二人のかけ上って来るのを見ていました。

 二人はやっとその子の前まで来ました。けれどもあんまり息がはあはあしてすぐには何も云えませんでした。耕一などはあんまりもどかしいもんですから空へ向いて、

「ホッホウ。」と叫んで早く息を吐はいしまおうとしました。するとその子が口を曲げて一寸ちょっと笑いました。

 一郎がまだはあはあ云いながら、切れ切れに叫びました。

「汝うなぁ誰たれだ。何だ汝うなぁ。」

 するとその子は落ちついて、まるで大人のようにしっかり答えました。

「風野又三郎。」

「どこの人だ、ロシヤ人か。」

 するとその子は空を向いて、はあはあはあはあ笑い出しました。その声はまるで鹿しかの笛のようでした。それからやっとまじめになって、

又三郎だい。」とぶっきら棒に返事しました。

「ああ風の又三郎だ。」一郎と耕一とは思わず叫んで顔を見合せました。

「だからそう云ったじゃないか。」又三郎は少し怒おこったようにマントからとがった小さな手を出して、草を一本むしってぷいっと投げつけながら云いました。

「そんだらあっちこっち飛んで歩くな。」一郎がたずねました。

「うん。」

面白いか。」と耕一が言いました。すると風の又三郎は又笑い出して空を見ました。

「うん面白い。」

「昨日何なして逃げた。」

「逃げたんじゃないや。昨日は二百十日だい。本当なら兄さんたちと一緒にずうっと北の方へ行ってるんだ。」

「何なして行かなかった。」

「兄さんが呼びに来なかったからさ。」

「何て云う、汝うなの兄あい※[#小書き平仮名な、82-14]は。」

「風野又三郎。きまってるじゃないか。」又三郎は又機嫌きげんを悪くしました。

「あ、判わかった。うなの兄※[#小書き平仮名な、82-16]も風野又三郎、うなぃのお父さんも風野又三郎、うなぃの叔父おじさんも風野又三郎だな。」と耕一が言いました。

「そうそう。そうだよ。僕ぼくはどこへでも行くんだよ。」

支那しなへも行ったか。」

「うん。」

岩手山へも行ったが。」

岩手山から今来たんじゃないか。ゆうべは岩手山の谷へ泊とまったんだよ。」

「いいなぁ、おらも風になるたぃなぁ。」

 すると風の又三郎はよろこんだの何のって、顔をまるでりんごのようにかがやくばかり赤くしながら、いきなり立ってきりきりきりっと二三べんかかとで廻まわりました。鼠色のマントがまるでギラギラする白光りに見えました。それから又三郎は座って話し出しました。

面白かったぞ。今朝のはなし聞かせようか、そら、僕は昨日の朝ここに居たろう。」

「あれから岩手山へ行ったな。」耕一がたずねました。

「あったりまえさ、あったりまえ。」又三郎は口を曲げて耕一を馬鹿かにしたような顔をしました。

「そう僕のはなしへ口を入れないで黙っておいで。ね、そら、昨日の朝、僕はここから北の方へ行ったんだ。途中で六十五回もいねむりをしたんだ。」

「何なしてそんなにひるねした?」

「仕方ないさ。僕たちが起きてはね廻っていようたって、行くところがなくなればあるけないじゃないか。あるけなくなりゃ、いねむりだい。きまってらぁ。」

「歩けないたって立つが座ねまるかして目をさましていればいい。」

「うるさいねえ、いねむりたって僕がねむるんじゃないんだよ。お前たちがそう云うんじゃないか。お前たちは僕らのじっと立ったり座ったりしているのを、風がねむると云うんじゃないか。僕はわざとお前たちにわかるように云ってるんだよ。うるさいねえ。もう僕、行っちまうぞ。黙って聞くんだ。ね、そら、僕は途中で六十五回いねむりをして、その間考えたり笑ったりして、夜中の一時に岩手山の丁度三合目についたろう。あすこの小屋にはもう人が居ないねえ。僕は小屋のまわりを一ぺんぐるっとまわったんだよ。そしてまっくろな地面をじっと見おろしていたら何だか足もとがふらふらするんだ。見ると谷の底がだいぶ空あいてるんだ。僕らは、もう、少しでも、空いているところを見たらすぐ走って行かないといけないんだからね、僕はどんどん下りて行ったんだ。谷底はいいねえ。僕は三本の白樺しらかばの木のかげへはいってじっとしずかにしていたんだ。朝までお星さまを数えたりいろいろこれから面白いことを考えたりしていたんだ。あすこの谷底はいいねえ。そんなにしずかじゃないんだけれど。それは僕の前にまっ黒な崖がけがあってねえ、そこから一晩中ころころかさかさ石かけや火山灰のかたまったのやが崩くずれて落ちて来るんだ。けれどもじっとその音を聞いてるとね、なかなか面白いんだよ。そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えているようにまっ赤なんだろう。そうそう、まだ明るくならないうちにね、谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢ならの木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜からすうりの燈籠とうろうのように見えたぜ。」

「そうだ。おら去年烏瓜の燈火あかし拵こさえた。そして縁側えんがわへ吊つるして置いたら風吹いて落ちた。」と耕一が言いました。

 すると又三郎は噴ふき出してしまいました。

「僕お前の烏瓜の燈籠を見たよ。あいつは奇麗きれいだったねい、だから僕がいきなり衝つき当って落してやったんだ。」

「うわぁい。」

 耕一はただ一言云ってそれから何ともいえない変な顔をしました。

 又三郎おかしくておかしくてまるで咽喉のどを波のようにして一生けん命空の方に向いて笑っていましたがやっとこらえて泪なみだを拭ふきながら申しました。

「僕失敬したよ。僕そのかわり今度いいものを持って来てあげるよ。お前※[#小書き平仮名ん、85-9]とこへね、きれいなはこやなぎの木を五本持って行ってあげるよ。いいだろう。」

 耕一はやっと怒るのをやめました。そこで又三郎は又お話をつづけました。

「ね、その谷の上を行く人たちはね、みんな白いきものを着て一番はじめの人はたいまつを待っていただろう。僕すぐもう行って見たくて行って見たくて仕方なかったんだ。けれどどうしてもまだ歩けないんだろう、そしたらね、そのうちに東が少し白くなって鳥がなき出したろう。ね、あすこにはやぶうぐいすや岩燕いわつばめやいろいろ居るんだ。鳥がチッチクチッチクなき出したろう。もう僕は早く谷から飛び出したくて飛び出したくて仕方なかったんだよ。すると丁度いいことにはね、いつの間にか上の方が大へん空あいてるんだ。さあ僕はひらっと飛びあがった。そしてピゥ、ただ一足でさっきの白いきものの人たちのとこまで行った。その人たちはね一列になってつつじやなんかの生えた石からをのぼっているだろう。そのたいまつはもうみじかくなって消えそうなんだ。僕がマントをフゥとやって通ったら火がぽっぽっと青くうごいてね、とうとう消えてしまったよ。ほんとうはもう消えてもよかったんだ。東が琥珀こはくのようになって大きなとかげの形の雲が沢山たくさん浮うかんでいた。

『あ、とうとう消けだ。』と誰たれかが叫んでいた。おかしいのはねえ、列のまん中ごろに一人の少し年老としとった人が居たんだ。その人がね、年を老って大儀たいぎなもんだから前をのぼって行く若い人のシャツのはじにね、一寸ちょっととりついたんだよ。するとその若い人が怒ってね、

『引っ張るなったら、先刻さっきたがらいで処とこさ来るづどいっつも引っ張らが。』と叫さけんだ。みんなどっと笑ったね。僕も笑ったねえ。そして又一あしでもう頂上に来ていたんだ。それからあの昔むかしの火口のあとにはいって僕は二時間ねむった。ほんとうにねむったのさ。するとね、ガヤガヤ云うだろう、見るとさっきの人たちがやっと登って来たんだ。みんなで火口のふちの三十三の石ぼとけにね、バラバラリとお米を投げつけてね、もうみんな早く頂上へ行こうと競争なんだ。向うの方ではまるで泣いたばかりのような群青ぐんじょうの山脈や杉すぎごけの丘のようなきれいな山にまっ白な雲が所々かかっているだろう。すぐ下にはお苗代なわしろ御釜おかま火口湖がまっ蒼さおに光って白樺しらかばの林の中に見えるんだ。面白かったねい。みんなぐんぐんぐんぐん走っているんだ。すると頂上までの処にも一つ坂があるだろう。あすこをのぼるとき又さっきの年老としよりがね、前の若い人のシャツを引っぱったんだ。怒っていたねえ。それでも頂上に着いてしまうとそのとし老よりがガラスの瓶びんを出してちいさなちいさなコップについでそれをそのぷんぷん怒っている若い人に持って行って笑って拝むまねをして出したんだよ。すると若い人もね、急に笑い出してしまってコップを押おし戻もどしていたよ。そしておしまいとうとうのんだろうかねえ。僕はもう丁度こっちへ来ないといけなかったもんだからホウと一つ叫んで岩手山の頂上からはなれてしまったんだ。どうだ面白いだろう。」

面白いな。ホウ。」と耕一が答えました。

又三郎さん。お前まいはまだここらに居るのか。」一郎がたずねました。

 又三郎はじっと空を見ていましたが

「そうだねえ。もう五六日は居るだろう。歩いたってあんまり遠くへは行かないだろう。それでももう九日たつと二百二十日からね。その日は、事によると僕はタスカロラ海床かいしょうのすっかり北のはじまで行っちまうかも知れないぜ。今日もこれから一寸向うまで行くんだ。僕たちお友達になろうかねえ。」

「はじめから友だちだ。」一郎が少し顔を赤くしながら云いました。

「あした僕は又どっかであうよ。学校から帰る時もし僕がここに居たようならすぐおいで。ね。みんなも連れて来ていいんだよ。僕はいくらでもいいこと知ってんだよ。えらいだろう。あ、もう行くんだ。さよなら。」

 又三郎は立ちあがってマントをひろげたと思うとフィウと音がしてもう形が見えませんでした。

 一郎と耕一とは、あした又あうのを楽しみに、丘を下っておうちに帰りました。

   九月三日

 その次の日は九月三日でした。昼すぎになってから一郎は大きな声で云いいました。

「おう、又三郎は昨日又また来たぞ。今日も来るかも知れないぞ。又三郎の話聞きたいものは一緒いっしょにあべ。」

 残っていた十人の子供らがよろこんで、

「わぁっ」と叫びました。

 そしてもう早くもみんなが丘おかにかけ上ったのでした。ところが又三郎は来ていないのです。みんなは声をそろえて叫びました。

又三郎又三郎、どうどっと吹ふいで来こ。」

 それでも、又三郎は一向来ませんでした。

「風どうと吹いて来こ、豆呉けら風どうと吹いで来こ。」

 空には今日も青光りが一杯いっぱいに漲みなぎり、白いまばゆい雲が大きな環わになって、しずかにめぐるばかりです。みんなは又叫びました。

又三郎又三郎、どうと吹いて降りで来こ。」

 又三郎は来ないで、却かえってみんな見上げた青空に、小さなさなすき通った渦巻うずまきが、みずすましの様に、ツイツイと、上ったり下ったりするばかりです。みんなは又叫びました。

又三郎又三郎、汝うな、何なして早ぐ来ない。」

 それでも又三郎はやっぱり来ませんでした。

 ただ一疋ぴきの鷹たか銀色の羽をひるがえして、空の青光を咽喉一杯に呑のみながら、東の方へ飛んで行くばかりです。みんなは又叫びました。

又三郎又三郎、早ぐ此こさ飛んで来こ。」

 その時です。あのすきとおる沓くつとマントがギラッと白く光って、風の又三郎は顔をまっ赤に熱ほてらせて、はあはあしながらみんなの前の草の中に立ちました。

「ほう、又三郎、待っていたぞ。」

 みんなはてんでに叫びました。又三郎マントのかくしから、うすい黄色のはんけちを出して、額の汗あせを拭きながら申しました。

「僕ね、もっと早く来るつもりだったんだよ。ところがあんまりさっき高いところへ行きすぎたもんだから、お前達の来たのがわかっていても、すぐ来られなかったんだよ。それは僕は高いところまで行って、そら、あすこに白い雲が環になって光っているんだろう。僕はあのまん中をつきぬけてもっと上に行ったんだ。そして叔父おじさんに挨拶あいさつして来たんだ。僕の叔父さんなんか偉えらいぜ。今日だってもう三十里から歩いているんだ。僕にも一緒に行こうって云ったけれどもね、僕なんかまだ行かなくてもいいんだよ。」

「汝うなぃの叔父さんどごまで行く。」

「僕の叔父さんかい叔父さんはね、今度ずうっと高いところをまっすぐに北へすすんでいるんだ。

 叔父さんのマントなんか、まるで冷えてしまっているよ。小さなさな氷のかけらがさらさらぶっかかるんだもの、そのかけらはここから見えやしないよ」

又三郎さんは去年なも今頃いまごろここへ来たか。」

「去年は今よりもう少し早かったろう。面白おもしろかったねえ。九州からまるで一飛びに馳かけて馳けてまっすぐに東京へ来たろう。そしたら丁度僕は保久大将の家を通りかかったんだ。僕はね、あの人を前にも知っているんだよ。だから面白くて家の中をのぞきこんだんだ。障子が二枚はずれてね『すっかり嵐あらしになった』とつぶやきながら障子を立てたんだ。僕はそこから走って庭へでた。あすこにはざくろの木がたくさんあるねえ。若い大工がかなづちを腰こしにはさんで、尤もっともらしい顔をして庭の塀へいや屋根を見廻みまわっていたがね、本当はやっこさん、僕たちの馳けまわるのが大変面白かったようだよ。唇くちびるがぴくぴくして、いかにもうれしいのを、無理にまじめになって歩きまわっていたらしかったんだ。

 そして落ちたざくろを一つ拾って噛かじったろう、さあ僕はおかしくて笑ったね、そこで僕は、屋敷やしきの塀に沿って一寸戻ったんだ。それからにわかに叫んで大工の頭の上をかけ抜ぬけたねえ。

 ドッドド ドドウド ドドウド ドドウ、

 甘いざくろも吹き飛ばせ

 酸すっぱいざくろも吹き飛ばせ

 ホラね、ざくろの実がばたばた落ちた。大工はあわてたような変なかたちをしてるんだ。僕はもう笑って笑って走った。

 電信ばしらの針金を一本切ったぜ、それからその晩、夜どおし馳けてここまで来たんだ。

 ここを通ったのは丁度あけがただった。その時僕は、あの高洞山たかぼらやまのまっ黒な蛇紋岩じゃもんがんに、一つかみの雲を叩たたきつけて行ったんだ。そしてその日の晩方にはもう僕は海の上にいたんだ。海と云ったって見えはしない。もう僕はゆっくり歩いていたからね。霧きりが一杯に

2021-04-10

anond:20210410132738

あーわかる!

京都市営バスは乗換アプリとか使ってても、土日だけ停まる停留所上りだけ停まって下りは停まらないとか、

その2つの合わせ技とかあってトラップ多すぎる!

介助しない駅員

以前最寄り駅でしばらくエレベーター工事したことがあって、上りエスカレーターしかなくて下り場合階段を使うしかなかったんだけど、車椅子でない限り駅員は一切介助しないという方針だった。

なので、杖を使っているような年配の人は頑張ってえっちらおっちら降りるしかなく、付き添いの人が駅員に「介助してくれないんですか!ひどい!」と罵っている場面を2、3回は見た。

でも、ひとりにやったら他の人も自分も!自分も!って来るだろうし、おんぶして転んだりしたら問題だし、仕方なかったんだろうなと思う。

転職して結構収入と完全週休2日定時退社とやることやってりゃ文句言われない環境になった

なんか人生上りを迎えた気分になって気が抜けたわ。

人には以前より優しくなれる気がする。

2021-04-09

フルダイブヒロイン輿水幸子妹キャラパイモンちゃん

まだ出てきてないけど半裸ホットパンツの子ディオちゃん

バーチャル幼馴染役のファイルーズあいって人は知らんけどどうやら空条徐倫役に内定してる上り調子の人みたいだ

2021-04-05

右足脛骨を完全骨折したときの話

右足の脛を完全骨折して3ヶ月松葉杖東京一人暮らししたことがある

特に骨折初期は折った足に全く体重をかけない歩き方(全免荷)が必要

普段運動不足なこともあったけど本当に移動がきつかった

(治療が進むと1/3荷重とか折った足に少し体重をかける

歩き方ができるようになってかなり楽になっていく)

最初100m移動するだけで汗だくになって休憩がいる

慣れても階段が相当怖かった

雨の日は滑る恐怖で大変だった

なんか流れで手術しないでギプスのみの治療になったが

骨がずれて骨折治癒が相当遅れたので

正直手術で固定した方がよかったと後悔した

プログラマー業務委託新規常駐案件入る直前で折ってしまって

リモートできないか頼んだが断られて(コロナ前)

案件に1ヶ月遅らせてくれないか頼んだけど

2週間しか遅らせられないと言われて予定の2週間後に案件に入ることに

今思うと本当に最悪のタイミングで折ってしまったと思う

委託先の会社山手線某駅の近くだったのは幸いしたが

その某駅までどうたどり着くか悩んでとりあえず構内図を検索して地下鉄ルート確認

バリアフリー化のおかげかエレベータ階段を使わずにいけるルートがあった

ただルートが複雑で構内も距離があり、今まで全く通ったことのないルート

いきなりたどり着けるかに不安があった

そもそも今の住居が3階かつ狭い階段のみで階段上り下りの時点でしんどい始末

から最寄り駅(徒歩5分)にたどりつくのも厳しかった

地下鉄は無理と判断して初めはタクシーで通うことにした

ただでさえ新規環境だったため

初日が相当不安で、ストレスのせいか帰りのタクシー内で過呼吸になった

過呼吸経験知識もなく、救急車呼んでしまって

担当医者の方に相当冷たくあしらわれたのが本当に心につらかった

今苦しいからその治し方を聞いているのになんか精神的なものから

直すんだったら薬を出すしかない、薬出しましょうかとか

あきれ顔で言われたのを覚えている

(余談だが過呼吸酸素の取りすぎが原因なので

呼吸困難に感じるのだが息をさらに吸おうとすると悪化する

救急車内では深呼吸をするように言われたけど個人的には

自分のできる範囲で息を止めることを繰り返した方が早く治ると思う

webによると紙袋かぶせる方法は加減を間違うと窒息することがあるらしくやめた方がよいらしい

ちなみに上の原因と対応方法担当医は全く教えてくれなかった)

初日から本当に気分が沈んで今後やっていけるか不安しかなかったが

案件先では優しい人が多く、部屋に入るときに扉を開けて

待ってくださる人が沢山いてくださって暖かい気持ちになった

おかげでどうにかなりました、本当にありがとうございました

一人暮らしだった上に洗濯機がなくコインランドリー

使っていたため衣食に支障をきたしていた

家の中ではほとんど動けない

トイレにたどりつくのも松葉杖というつらい状態

外に買い物に行けるわけもなく

食料はネットスーパー生命線だった

持ってきてくださる人に感謝の念しかなかった

常駐先では昼を買いに行くのは難しく

初めは社内自販機に水を買いに行くのもつらかったので

からカロリーメイトと500mlのお茶大量購入してリュックで持ち込み

昼まったく動かなくてすむようにしていた

(そのうち慣れて水も食料も社内自販機でどんどこ買うようになった)

洗濯は全免荷の時代洗濯なしでのりきるために

ネットスーパー下着大量購入して外は汚さないように2~3回着回しつつ

2週間くらいためこんで親に来てもらって洗濯をお願いした

(かなり遠くにいるのだが無理して来てくれた、感謝しかない)

その後は2週間くらいためこんで1/3荷重かけられるタイミング

洗濯物のかご(10kg?)を背負って自力洗濯を始めた

一度できれば大体何とかなったのだが

一回だけ階段を二、三段くらい上ったところでバランスを崩し下に落ちて

と思ったことがあった

背中のかご→尻もちの順に落ちる感じで事なきを得た

3階エレベータなし+コインランドリーという悪条件もあったが

松葉杖で完全一暮らしするのは困難だなと思った

タクシーは1日あたり往復10000円弱かかり金銭にしんどかったのと

しづつ新環境に慣れて精神的に落ち着いたこともあり、

案件に入って2週間(骨折4週目とちょっと)くらいか

地下鉄で通うようにした(定期で1ヶ月8000円弱)

それから東京地下鉄を2ヶ月くらい松葉杖で通ったが

その間に少なくとも10回以上は席をゆずられた

普段普通に歩いているときは皆誰にも関心がないように見えていたか

こんなに席をゆずられるとは思っておらず驚いた

譲られるたびにかなり暖かい気持ちになった

おかげさまで今も生きてますありがとうございました

サポートをもらったときは必ずお礼を言うように気を付けていた(と思いたい)

電車では譲ってくれた人を覚えておいて自分が先に降りる場合は改めてお礼を言うことを心掛けた

返せるもの感謝しかないし(お金を返してもドン引きだし)

少しでもサポートしたこと気持ちのよい体験となって

今後自分以外の松葉杖とか車いすの人に

席を譲ってくれる人が増えてくれそうな振る舞いをしたかった

今はもちろん完治して、普通に歩いて生きている

今後松葉杖の方を見かけたら、今度は自分が譲る側になりたいと思う

(今コロナ電車に乗る機会がないが)

最近車いす乗車拒否された話題が上がっていたので

昔を思い出してこの日記を書いた

北風と太陽ではないが、周りに不愉快や反発を生みそうな方法でなくて

もっと周りがサポートしたい、サポートしてよかったと思える方法

社会を変えていくことってできないのかな、とちょっと悲しく思った

でも自分に思いつく案は車いす骨折した女の子日常系マンガぐらいしかないんだな

どなたか描いて下さらんかなー

=============

余談

ギプスはかゆみとの闘いがやばい

厚紙を切ったものかいたり

かゆみ止めスプレーを使ってみたり

それでも不十分で地獄の時を過ごすことになる

だがその地獄の後、ギプスを外せた直後は

足は非常に敏感になっていて

かくと本当に気持ちがよい

本当に気持ちがよい

(本当に気持ちよかったので二回書きました)

これやばい、なにこれと思いながら1時間くらいかいてたか

この気持ちよさを皆一回味わってみてほしい

骨折は味わわないでほしい

だれかこれ共感する人いないか

と思ってぐぐったらアトピーの人でそうなっている人がいた

分かるー

でもアトピーは大変そうだな・・・

完治する方法見つかったらいいな

2021-04-03

田舎初段とは

ホッテントリ話題になった記事がある。

 → Twitter で医師を拾ってきて Google のソフトウェアエンジニアにするだけの簡単なお仕事 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3

 

これに噛みついたブログ記事ホッテントリになった。

 → 優秀さについて | 川口耕介のブログ

 

「超優秀な人間が、地方の劣った人間を見下すな」という趣旨だ。

元の文章に「田舎初段」という言葉が出てくる。素人よりは段違いに上手だが、その道のプロから見ると桁違いに下手、という真ん中を指して揶揄した言葉だ。頂上感が自尊心のコアになっている時に尊大田舎初段を見ると、本物はどういう事か教えてあげるために、ちょっと捻ってみたくなる気持ちはよく分かる。

 

  ̄ ̄

聞く方は羽生名人田舎初段を捻り潰すのを見るような後味の悪い感じがしてしまものだ。

羽生名人はそんな事をしなくていい。あなたの優秀さはそんな事をしなくたって周りの人に伝わっているか大丈夫ですよ、と言いたくなる。

 

まったく低レベル曲解なので、呆れてしまう。元記事ブコメも、同趣旨理解が多いようだ。しかしそれらはすべて誤読である。では、正しくはどう理解するべきかを示そう。

 

田舎初段」という言葉意味は、「井の中の蛙大海を知らず」というのとほぼ同義である。ただしそれに「自惚れ」「過信」という意味が加わる。

 そして、その言葉で示されるのに典型的な事例は、「素人よりは段違いに上手だが、その道のプロから見ると桁違いに下手、という真ん中」ではない。つまり、「二流」や「一流半」ではない。

 では何かというと、たとえば菅首相だ。

  ・ グループ集団)のなかでは傑出した能力の持ち主だ。

  ・ 自分はすごく頭がいいと自惚れる。

  ・ まわりの人間がみんな馬鹿に見える。

  ・ 専門家馬鹿だと思って、専門家の言うことを聞かない。

最後の一点に限っていえば、はてなーの好きな「トンデモ」という用語に当てはまる一種だ。しかも、自惚れの度が強い。

 こういう人間が、周囲の反対を押し切って、「緊急事態宣言の解除」とか、「GoTo イート」とか、「ふるさと納税」みたいな自己流の方針を貫徹する。そして、そばにいるエリートが反対すると、そのエリート左遷する。他人の言うことを聞かないのが絶対的に正しいと信じている。

 これが「田舎初段」の典型だ。

 

ここまで言えば、わかるだろう。元のブログ記事は、「二流の人材を侮辱している」のではない。「一流の人間たるもの田舎初段になってはいけない」というふうに、一流の人間に向かって「戒めの言葉」を示しているのだ。

なにかの分野では一廉でも別分野では田舎初段に容易になるということです。

学者とかでも、他分野に友人が十分にいれば、そう踏み間違えないが、孤独ならばどんどんおかしなことを言い始めます

これを止められるのは、かなり簡単に狂うことを意識していることと分野を超えた人間関係があることが揃っている場合くらいでしょう。

このブレーキが壊れると簡単おかしくなります

普段から様々な分野の学者と話し合っていると、およそまともではない専門家意見ネットで飛び交っているのがよく分かります

要は、教育を受けた人たちでさえ、仲間とお茶をしていないのです。そしてそれを見抜くのはとても簡単です。

 

ここでは田舎の二流人間批判されているのではない。一流の専門家批判されているのだ。どう批判されているかというと、一分野に偏ってタコツボ化した専門家だ。そういうタコツボ化した専門家が、

 「なにかの分野では一廉でも別分野では田舎初段に容易になるということです。」

の事例となるのだ。

 

たとえば、Wikipedia英語版にも掲載されるような、非常に優秀なプログラマーがいる。

  → https://en.wikipedia.org/wiki/Kohsuke_Kawaguchi

 

こういう超優秀なプログラマーでさえ、日本語をまともに理解することができず、見当違いな批判を書いてしまう。自分の分野からちょっとはみ出ると、まともに理解することもできなくなってしまうわけだ。これこそ、元記事で「あってはならない事例」として示された例だ。

 

 ――

 

ついでに、はてなー根本的な誤解を示しておく。

記事を「超エリートの自慢」「頂点に上り詰めた人が他人を見下す」「狭い領域で頂点に立って自惚れている」というふうに受け止めるのは、勘違いだ。

では、どう受け取るのが正しいか? 

 

記事では、普通の人々は、まともに視野に入っていない。それらは言及外であって、良いとも悪いとも言っていないし、見下してもいない。もともと視野に入っていないのである

視野に入っているのは、エリートクラスの人々だけだ。そして、そのなかで、どういうふうにあるべきかを考えている。

そのとき、彼自身は、自分を「エリート」とは考えていない。むしろエリートの中の落伍者」と考えている。元記事のそのまた元記事になった人もそうだが、「東大理3からプログラマーに転じた」という経歴らしい。これは、医学の道でも、プログラマーの道でも、どちらでも大成しなかったということだ。筑駒や理3の卒業生の中では、(やや)落ちこぼれ組に入る。

 はてなー中では、「グーグルに勤務して年収 3000万円」というのは、「凡人社会頂点にいる」というふうに見えるのだろう。だが、筑駒や理3の卒業生の中では、医者としてもプログラマーとしても大成しなかったというのは、(やや)落ちこぼれ組に入るのだ。

 ちなみに、私の知人(同級生)の多くは、国立大学教授理研研究員として大成している。世間的には超一流の肩書きを持つ。そういう仲間と比べると、今回の人々は、頂点どころか、(やや)落ちこぼれ組というしかない。威張れるのは、年収だけだろう。(公務員研究者は、年収が高くないので。)

 

記事を書いた人や、そのまた元記事を書いた人は、非常に優れた才能の持ち主だ。(後者高校時代数学オリンピックに出たらしい。)しかし、その生まれ持った才能を生かすことには失敗しているのである。才能は素晴らしいが、才能を生かすことには失敗したのだ。

 そして、そのことを、私は批判しているわけではないし、侮辱しているのでもない。「人生選択肢で道を間違えたね」と感じて、「可哀想に」と憐れみを感じるだけだ。「私も道を一歩踏み間違えたら、こういう無駄人生を送っていたかもしれない」と感じて、自分幸運を感じることもある。

 

蛇足

たぶん、道の選択を間違えた人と、成功した人との違いは、周囲の人々の影響の差だろう。周囲に素晴らしい人がいれば、道をあやまたずに、正しい道を進むことができる。そして、そういう機会のなかったエリートには、同情を禁じえない。

 私はグーグルプログラマーなんかにならないで済んだが、それは本当に幸運だった。(そしてそれは、人生最初に、素晴らしい女性との出会いがあったからなんだ。そしてまた、高校時代に、素晴らしい教師を知りえたからでもある。それは優しい親切な教師ではなく、星一徹のような鬼教師だったが。)

 

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