はてなキーワード: グローバリズムとは
同性婚合法化について、合法化前は宗教的保守や無知者を中心に反発を受けるけど、合法化した後は、その二者を除いて一般の反発は急速に鎮静化していく。これは一般人の生活にはほぼ何も影響がないということがわかり、目立った変化も感じられないということが明らかになるからで。
前例として先進国を中心に各国で証明されてるこの点においては日本の認識は何週遅れているんだということになる。
ようやくこの地点までたどり着いたねとも思えるけど。
社会のインフラや技術発展に対し、人間の価値観が全く追いついていないということはしばしばあるけれど、日本においてはインターネットやジェンダー、グローバリズムに関しては顕著で、それを縛っているのは曲がりなりにも昭和期の高度成長期~バブルまでの特異な経済発展と平成以降の衰退期の顕著すぎる差があると思う。
単純に「あの頃は経済的にも良い時代だった」「だから当時の価値観や社会制度を維持しよう」「変に変えようとするから不景気だし衰退しているんだ(根拠は特にない)」という単純極まる(男性的な主観の)ノスタルジーに過剰なまでに蝕まれている感。
エリート主義はポピュリズムよりもはるかに大きな民主主義制度への脅威である。
カナダから見ると、民主主義を重視する人は、フリーダムコンボイよりもダボス会議の方を心配する必要がある。
ダボス会議は、億万長者、大富豪、ハイテク企業経営者、政治家、有名人、官僚など、世界のグローバルエリート3千人が毎年集まる会議で、スイスアルプスの超高級でアクセスが困難なスキーリゾートで開催される。
1971年にドイツの経済学者クラウス・シュワブによって創設され、当初はビジネス会議として開催されていたが、シュワブの執拗な宣伝により、毎年開催される世界的なおしゃべり大会に成長し、愉快であると同時に憂慮すべきものとなっている。
滑稽なのは、世界のエリートがプライベートジェットや特権階級の繭から現れ、消費量を減らして二酸化炭素排出量を減らすことで地球を救う方法を説いていることだ。
しかし、一般人の暮らしぶりを全く理解しないエリートが、世界の問題の多くを自分たちが作り出したのだからそれを解決する方法も知っていると思い込むと、必然的に奇妙な政府政策につながる、恐ろしいアイディアの世界的インキュベーターなのだ。
例えば、パンデミックは、風力や太陽光発電で近代工業国を動かす「グレート・リセット」の理想的な瞬間だったという、彼らのばかげた考え方がある。
これは、いわゆる「グリーン」エネルギーに執着するあまり、エネルギー安全保障の重要性を忘れてしまったために、世界中の国々が今必死に化石燃料エネルギーを獲得しようと躍起になっている現在の現実とは対照的である。
一般市民の生活について何も理解せず、傲慢にも何がベストかを知っていると考えるエリートたちの年次総会を非難すべきであり、このエリートの関係者に対する疑いの目を向けて良いだろう。
近年のポピュリスト的、あるいは破壊的な政治運動のほぼ全てに共通するのは、こうしたグローバリズムに対する疑念である。 まともな人間は、こうした「グローバリスト」が自分たちの利益にしか関心がないとわかっている。
東浩紀が指摘しているようサピエンス全史やホモデウスで言われれいる諸々の問題を人類は解決したと思いこんでた
映画、アベンジャーズエンドゲームでは何か問題があってもグローバリズムでなんとかなるみたいな文脈は数年で過ぎ去った
でもでも間違いなく彼らの本心はずれていてそれがSNSで分解されてしまっている
それだけでない、親の世代と違って死ぬ可能性、底辺に落ちる可能性が増えた
だけど今とこれからを大切にして生きていきたい
でも少なくとも帰り道を少し変えてみるだけでもちがうんじゃないかなと
自分人身にいい気聞かせている、楽しく生きようって
終わりは思ったタイミングでは多分起きない
たぶんグローバリズムの競争と国民全体を幸せにすることって相反することがあるんやな
国民が自分の生産性を上げて1人あたりのGDPを向上させることを幸せだと思うならまあ相反せんが、能力主義になったらパヨクがイキり始めるってアメリカが証明してもうたし
対海外でもっと競争をしかけたらええんちゃうと思うんやけど、その場合は貿易の交渉がいるというか、自分たちが関税撤廃するだけでなく相手にも関税撤廃してもらわなアカンと思うねん
それでTPPとかやって失敗しとったし
アホひろゆきは「自給自足って馬鹿だと思うんですよねー」とかいうとったくせに「アメリカにITを頼るのって搾取されると思うんですよねー」とか矛盾しとるし
ま、でも比較優位にない国内産業はどんどん滅びてもええんやないかな
じゃあ滅びた産業の人たちはどうやって暮らすんやっちゅー話やが、そこはベーシックインカムやろ。この点はひろゆきたんに賛成やで
死刑制度の是非とかポルノ規制とか移民政策とグローバリズムを推し進めるべきかとか
人権問題にからめることはできるけどこういうのっていろんな宗教的価値観とか社会体制によって全く結論は変わってくると思うんだけど、
こういうの全部W杯だのオリンピックだのに持ち込んで人権パフォーマンスして問題ないってこと?
それとも「我々が判断するセーフな人権パフォーマンス」と「アウトな人権パフォーマンス」があるってこと?で、その判断は我々が行いますと。
例えばイスラム教徒側が欧米諸国に敬虔なイスラム教徒の信仰心を踏みにじるなとかパフォーマンスしたらそれは人権問題じゃないからアウトってなるのかな?
偽善者リベサヨはチョロいから新自由主義グローバリズムの洗脳にコロっと騙される。
ちょっと考えればすぐわかることだが新自由主義の移民政策こそ白人至上主義のレイシズムであり現代の奴隷制度。
これ強烈に思ったのは、去年イギリスのボリスジョンソン首相がコロナになって入院してアジアだかアフリカだかの移民の看護師にずいぶん世話になったとかいう話で
偽善者リベサヨどもが「移民反対のボリスジョンソン首相もこれで少しは改心したかな(ニチャァ〜」とか気持ち悪いこと言っててキモすぎてゲロ吐いた。
偽善者リベサヨどもはその移民の祖国の病人の命はどうなってもいいんだろうな。
アジアやアフリカの貧しい国から優秀な労働者がより賃金の高い先進国に流出し、先進国はより安い賃金で労働力を買い叩くべくアジアやアフリカの貧しい国から移民を集めようとする。
そしてアジアやアフリカの優秀な看護師は先進国の上級国民のためだけに働き、祖国の貧しい人々は国内の医療従事者がみんな先進国に移民したので医療を受けられずにタヒを待つのみ。
これが偽善者リベサヨの望むグローバリゼーションだ。
こういうグロテスクな白人至上主義の搾取構造に反対したら「レイシスト」なんだそうだ。
貧しい国々の人々の命を救えと主張することは「差別」なんだそうだ。
難民もだ。
そうなると難民という名の安い労働力を確保できなくなるから偽善者リベサヨは戦争や貧困が無くなってほしくないわけだ。
だからリベサヨはみんなテロ組織や独裁者が大好きで擁護しまくっているのだ。
まさか俺以外誰も気づいてないって事はないと思うが、あのくっせえ難民ブームが起きた2015年以降、世界中の偽善者リベサヨは誰も「戦争反対」とか「アフリカの貧しい子供たちを飢えから救うために寄付しましょう」とかいっさいがっさいピタッと言わなくなったよな?
安倍さんの訃報のニュースが飛び交っている。あまりみたくないニュースだ。酒でも飲んで忘れたいとも思う。でも生活をしていたら見ずにはいられないから、ある程度自分の中で安倍さんに対しての考えていることを文章にしておきたいと思う。これはメンタルを安定させたいがための行為である。
「グローバリズム」の最大の擁護者であったのが安倍晋三であったことは皆さんもご存じのことかと思う。グローバリズムは国内および国際的に格差を助長し、むしろ資本主義の健全な発展に資するものではないと批判されるものであった。国際的な自由ではなく、国内の国民を第一に守ろうというのが世界の潮流であった。とにもかくにも批判され、時代遅れの、周回遅れである「グローバリズム」を馬鹿の一つ覚えのように推し進めていたのが安倍さんであった。野党の時代にはTPPを反対していたのに与党になったらTPPを推進しまくってアメリカが離脱しても条約を成立させたのが安倍政権であった。FTAを各国と結ぶことは単純な善であるとして成果と喜んでいたのが安倍政権、乃至その路線を継承する自民党政権であった。この鄙びた、古く、異臭さえただようグローバリズムを無邪気にも支持していた。だがそんな打ち捨てられた、惨めな、正しくないグローバリズムにも、利点があった。脆弱な、強力でない、不安定な、ただ一つの利点があった。それは。
経済的結びつきが戦争を抑止するという話は第二次世界大戦後から注目された。古い話であった。WW2の反省をもとに生まれたのが現在のEUの前身であるECだった。この取り組みはある程度機能した。なにせ、ドイツとフランスとイギリスとスペインが何十年も戦争をしていない。こんなことはヨーロッパではありえなかった。民主主義国家であって、経済的結びつきがあり、適切な安全保障がなされていえば世界平和は実現できるのだと皆が夢想した。それは夢だった。どれだけ経済的結びつきがあろうと、独裁国家であれば個人の考えで戦争を起こせてしまうというのは当たり前のことだった。それでもWW2の敗戦国であるドイツと日本はグローバリズムを推し進めた。
戦争で負けたものにしか分からない教訓というものがあった。それは孤立してはならない、ということだった。自国の利益を差し出してもつながりは維持すべきものだと学んでいた。安倍さんは色々な人と「友達」になるのが得意だった。「友達」に利益誘導するのが得意だった。それは癒着、腐敗、法の軽視、人治主義であった。
その方向は世界平和をいつでも向いていた。
そうしたかったらそうしたのかは知らないが、安倍さんは世界平和に貢献していた。
日本の偉大なリーダーだったかは分からないが、世界の偉大なリーダーだった。
安らかに眠ってほしい。
日本企業が日本以外の海外に投資したりするのを規制するしかないのではないか?
海外に現地工場を作って、現地の人間を雇うことを禁止とまでは言わないが、ある程度の制限を掛ける。
2021年末の時点において、日本の対外純資産は411兆1841億円だったらしい。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA26B630W2A520C2000000/
日本人の賃金が上がらないのは、日本企業が海外に投資して海外の人達の賃金が上がっているからでしょ。
だったら「アンチグローバリズムだ」と批判されようとも、海外投資を制限するしかない。
日本企業の言い分はわかるよ。
【シン・ウルトラマンのネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】
現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。
ところで、その感想や叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの。
別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体は全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロースの名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミの言葉をネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味の考察をちょっぴり披露させてほしい。
1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学や思想が「西欧の文明における思考と、アジア・アフリカ・中南米の未開文明の思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術や文化の面での進歩史観や優越感、啓蒙思想や資本主義と結びついて植民地主義や覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身の人類学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後の思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想にもつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。
内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明が進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明的思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義、特に西欧の文化を中心とする思考、科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。
「文化を構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているかを研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。
ザラブにしろメフィラスにしろ、コミュニケーションの初手は「自分の科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感と無力感……謂わば絶望によって人類を心理的に支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。
物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷、植民地、後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。
宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定を行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。
使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマンの意思や感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステムを自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から『文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。
そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人、他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。
逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドなメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力や政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。
しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類の歴史の悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通の地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン。
自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンをヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったからなのだ。
結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。
というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがリピアくんの人格形成や思想信念の確立に寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロースの思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。
そもそもリピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明は構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。
文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。
・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品に意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ
・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ
以上
そうだよねグローバリズムとかクソだよね
k8sとかwebフロントに限らず広範に科学技術全領域の進歩が2010年で停止している 正確には20世紀の終了と共に終了したのだが graceful stop で10年遅れて主電源遮断に至ったため続いているように見えていたもの 二十世紀内はグローバリズムと軍産複合体(笑)への投資が民生品に移行するモデルがこれ以降の未来における標準の技術開発モデルだと考えられていたが今では二十世紀という短い特異な年代だけの事象であり十九世紀以前のモデルへの復帰が起こったという主張もある
フロントエンドとかいうコンサルティングと美観デザインだけの世界からそれを感じ取った増田の能力には目を見張ると賛じたいがフロントエンドとかいう左クリックパチンコ業界は滅びてくれと感じている人は俺だけではないと思う