はてなキーワード: ときとは
三振アウトの決まり事として「捕手が球を正規に捕球したらアウト」となってて
要は三振したときにワンバンだったり捕手がボール落としたりすると三振でアウトにならないので一塁に間に合えば走者になれるってこと
なるほど、ありがとうございます
現状VRと呼ばれているものがVirtualとは程遠いものだと理解できたので「仮想現実」とは呼び続けますがこれをVirtual Realityと呼称するのをやめようと思います
「Virtualの意は"Almost particular things"であり日本語における"仮想"ではない」という事実が呈示されたとき、現在VRと呼ばれているものに対して解釈する方法は「"仮想現実"という解釈が正しく、これに"Virtual Reality"という名称を付けるべきではない」か「"Virtual Reality"という解釈が正しく、これに"仮想現実"という名称を付けるべきではない」しかないと思うのですが、そのスタンスの差で増田とはわかりあえないなと思いました
暑さ寒さもガンズアンドローゼズっていうけれど、
秋分の日を境に
いや前後と言っても言い過ぎではないぐらいの過言だけれど
だいぶ朝晩は涼しくなってきたわよね。
まだまだ昼間は暑いので汗かいたのが冷えてそれで風邪をひくパターンが多発する的な秋模様。
朝のラジオで48−48です!って言ってたのに
事務所に来たら50−50です!って
この間で状況変わってるのかよ!って思っちゃって、
私もその秋刀魚で試合運びをやるなら通勤中に焼き秋刀魚定食を食べなくちゃいけないしかも2人前よ!
そう重ねて考えると到底達成できない記録の凄さってのがよくわからるわ。
って私はそんな具合でお休みを満喫している今回は秋の連休はゆっくりしちゃうぞ!エイエイオー!ってやってるわけ。
そんでそれはそれで、
つーか!
あれよ例のスプラトゥーン3のことだけど、
グランドフェスティバル終わってクマサン商会のバイトスケジュールが、
本当に気が向いたときにバイトして欲しいギア貰えばいいわ!って思っていたけど、
今回からバイトスケジュールごとで報酬ギアも変更になったので、
私もいつでもヘ・リコプターに乗って飛び込んでバイト会場に飛び込み前転で挑めるようにシフト表をチェックしているのよ。
忙しくない?これ結構2〜3日ごとでスケジュール変わるから本当に小まめにチェックなのよ。
バイトのブキの支給ブキが火力が弱すぎるときぜんぜんバイト達成できなくて難い!ってなってるけど、
バイトの内容もマイルドになってきたから最後の3WAVEまで行けるようになったわ。
あと使い慣れていないブキを使うときも立ち回りがポンコツすぎるので、
うまくシャケが倒せないのよ。
そんなこんなで
つーかつーかよ!
今回から金銀ウロコも報酬の一部としてゲットしてもらえるようになったので、
よーし!私も今まで金銀ウロコでしか交換できないギヤやプレートを張り切ってゲットするぞ!ってなったけど、
達成条件のハードルが遥か向こうの馬が秋に天高く飛ぶ高さより高すぎるわ。
なかなか付け焼き刃では達成できない本気で挑まないとなせない金ウロコよね。
ゲソを稼ぐって大変だなぁって思ったわ。
こんな面持ちでヘリコ・プターに乗り込んでいるのよ。
一生バイトでも!って思ったけど、
あれレギュラーバトルでもらえるブキの熟練度がもらえないので、
それはそれで普通のバトルもやんないといけないし、
私すっかり忘れていたけど
あれだけ始まる前はションテンあがりまくりまくりすてぃーだったのにも関わらず
サイド・オーダーもその熱意すっかり落ち着いてしまっていたわ。
久しぶりに遊ぶとつーか
ユメエビのオトシモノを交換するためのシンジュを稼ぐための手段になってしまっているわ。
あれたまに30000ゲソがあたったりするので、
グランドフェスティバル終わって更新も終了で私暇になるかと思っていたけど、
逆にぜんぜん忙しいじゃない!忙しすぎるわ!
またうかうかしていると
何かしらに交換しないと期限が迫ってきちゃうわ。
鬼気迫る危機!
なにに交換しようかな?って迷わない?
ゼルダの新しいやつを交換したいしーって
いまゼルダの新しいやつって言うと
私の中では2つあるので、
本当のゼルダの伝説の方じゃない方の『ティアーズオブザキングダム』方で、
なにに交換するか迷うわよね。
そう考えるとやっぱり秋だなぁって深々と深まっている秋を感じるのよね。
今後どのぐらい伸ばせるか!挑戦よね。
いきなり出鼻をくじくの如くタニコーの五徳で焼いた秋刀魚なら美味しいのかな?ってよぎるけれど
それは言い訳に過ぎないわ。
秋刀魚が美味しかったとしても一喜一憂せず一喜って言っても沢村一樹さんの一樹じゃない方の一喜なので、
まだ記録が2−2ってのが
ぜんぜん期待させないなんか凡記録ってところが期待を裏切るわ。
自分を裏切ってまでそんなことはしたくないけれど、
しっかり食べぬいていきたいと思うわ。
どこまで記録を伸ばせるかってところよ。
うふふ。
お昼と朝ご飯を一緒にしようかなって思いつつなのんびりモードよ。
ブランチをキメに街に繰り出してみようかしら?
考え中ね。
まだまだ大活躍の水出しルイボスティーウォーラーってところかしら。
こればっかりはまだまだ欠かせないわ。
昼間はまだまだ暑いので
水分補給は
しっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://support.apple.com/ja-jp/120642
要するに「バッテリーの接着剤は、イオン性液体を含んだ接着剤を使ってて、低電圧を加えたら簡単に剝がれるよ」ってやつだね。
https://youtu.be/6udZCdR00io?si=B8uFJ4FnPWVDJx_e&t=410
iPhoneのバッテリー交換する人は、たいてい接着テープで躓くんだよ。
テープ切っちゃって、無理矢理剥がそうとしてバッテリー傷つけて発火させたりする人も結構いる(笑)
iPhone16のバッテリー交換は、従来に比べたら全然ラク。
修理業者にバッテリーごときで持って行く必要ないだろうね。AmazonかAliExpressでバッテリー交換キット買って、自分で交換するわな。
↑これさ
女性の労働環境の不遇を訴えたときに否定できない場合に使われる常套句なんだけどさ
育休使えばすぐ女性と同じ待遇になれるのに何言ってんだろって思っちゃう
現状維持するだけで平均的な肉体をもった男性は稼げる状況なんだから変えるメリットが薄い
育休使わないのも社会的価値が落ちるとわかっているから使わない
結局男性は、女性と同じ待遇より酷使されるけど女性より優遇される状況を選んでいる
それなのに女性の不遇を訴えると男性も差別されていると訴えるのは卑怯な振る舞いだ
育休は法律。妻がフルで取得していようが夫もフルで取得できる制度だ
女性ばかりの職場に男性が入るのも同じことだという人も必ず出てくるが
どんな業種であれ労働時間が確保される人は重宝される
今まで何も考えずに子供の頃からずっと同じ痛み止め(ノーシンピュア)を買ってた
こいつはやべえ!って痛みの時用にロキソニンsプレミアムも買ってた
頭痛生理痛はこの2つでずっと済ませてたんだけど、飲むと胸がドキドキして気分が悪くなるのは生理のせいかなと思ってたけど、よく考えたらカフェインのせいだったわ
自分はカフェイン苦手なのでお茶もコーヒーもエナドリも日頃から1滴も飲まんからカフェイン摂取したときの感覚をすっかり忘れてたけど、今朝薬飲んで具合悪くなってからふと「この感覚!大学の試験勉強のために無理してレッドブル飲んだときと同じだ!」と気づいた
30年も生きてきて、ようやくだよ
気づくのおせ〜
そんで カフェイン含まれない 痛み止め で検索したらめちゃくちゃ普通に売ってるやん〜〜〜!
なんだよ〜〜!教えてよ〜〜!
今持ってる分使い切ったら、カフェインなしのを買うことにするよ!!
身体に合うといいなぁ
iPhoneSafariで別画面選択するときに左上が増田で、右上が双葉、左2がトランプゲームで右2が色々検索するためのGoogle、
そこから下がフリーエリア、としてるんだけど、これ画面の順番が変えられないので何かのはずみで増田を消してしまうと一番下になってしまい普段の生活スタイルが変わるのがほんまにウザイ
Virtualの誤訳である「仮想」はもうそろそろ言い換えるべきである。
声を大にして言いたい。
俺はもう事実上と言っていく。仮想記憶のことも「事実上記憶」もしくは「バーチャルメモリー」と言っていく。仮想記憶とは死んでも言わん。
仮想は「事実でないことを仮にそう考えること。仮定しての想像」という意味である。
反実仮想とは「事実に反することを想定し、仮に想像すること」という意味だ。
「仮想」という言葉はVirtualの意味の真逆であるということ。
Virtualの意味の本質は「実際そう考えること」「事実上そうだと考えること」であり「ほとんど事実(厳密には違うけどね)」である。
たとえば「いつも私ばかり家事しててこれじゃ私家政婦みたいじゃん」というとき、これは「Virtual 家政婦」と表現できる。
「鼻毛出てますよ」「え?! いやこれは鼻毛ではないんですよ。なんか黒い染みが鼻についてて…でも鼻毛出てるみたいに見えますね」というとき、これは「Virtual 鼻毛」である。仮想鼻毛ではない。
「Xって最近もうほとんど2chと変わらないですよね」というとき、Xは「Virtual 2ch」である。
Virtualを仮想と翻訳しはじめた当人ですら、誤訳であると間違いを認めている。
時代ゆえ仕方なかったと思うが、それでも擁護できないほど酷い。真逆だからだ。
yellowgreenを「赤紫」と訳したぐらい酷い。それが今も続いているんだ。
俺たちは黄色と緑色の中間色のことを「赤紫」と呼ばされているようなものだ。
これについて「それで慣れてるからしょうがない」と言う人間もいるようだが、耐えられている人間は感性がおかしい。
こどものころ「バーチャルな世界で遊んでけしからん」と親に言われたことがある。
自分はそのとき「親は、バーチャルな世界のことを空想だと思っている?」と強く感じた。
親は、ICTに詳しいわけではなかった。だが、バーチャルという言葉は知っていたし、仮想という言葉も知っていた。
バーチャルがよくわからん者にとっては、バーチャルはけしからんものなのだ。
「なんでもかんでもバーチャルって。遊びじゃねえんだぞ!現実見ろよ!」という話である。
Virtualは仮想じゃない。だが「架空」の意味で使われていることがあまりにも多い。
そして今後もどんどんVirtualが増えていくはずだ。英語圏で新しいVirtualのものが出るたびに、日本では架空になっていく。
VRだって空想じゃないのに「架空現実」の意味で考えられている。
違う。「事実上の現実」「実質現実」「本質現実」「ほぼ現実」のことである。
でもVRに来るやつは幻想を求めていそうだ。Vtuberもそうだな。幻想を求めている。
どう考えたって「事実上YouTuber」「本質YouTuber」じゃない。あれは麻薬方面に近い思考を感じる。
「幻想YouTuber」「架空YouTuber」だ。架空のキャラのようなものだ。あんな人間は現実には存在しない。
Virtualが「虚」のものだと思われている。
すべてが虚の上に乗っていると。
虚ではない。事実上である。「物理世界はそっちなんだが、事実上こっちが本質だよ」である。
真に仮想なのは自分の目で見えるものだけがすべてだと思っている人間の頭だよ。
名前変えたぐらいで変わるわけないと思っている人間も多いと思う。
だが変わる。
「幻想バーチャル」「荒唐無稽バーチャル」「非現実的バーチャル」
「あてずっぽうバーチャル」「推測バーチャル」「憶測バーチャル」「幽霊バーチャル」
「夢幻バーチャル」「錯覚バーチャル」「事実と違うバーチャル」「空虚バーチャル」なのだ。
だが言い換えたあとは違う。
「実際バーチャル」「事実上バーチャル」「実質バーチャル」「真バーチャル」
「理論バーチャル」「実態バーチャル」「現実バーチャル」になる。
今後はVirtualなものが増えていくんだ。
今後はNon-Virtualなものについて仮想って言いまくってミーム汚染してやる。
仮想社会のバーチャルバカ(仮想一般人)たちを混乱させていくぜ。
考え方としては、今まで無標だったものにはすべて仮想とつけていい。仮想ってついていたものはVirtual(=事実上)な。
今後Virtualを仮想って言ったやつのことも、バーチャル仮想人って呼ぶ。
そもそも仮想じゃないんだよ。仮想という語をどれだけVirtualに合わせても「仮」という漢字と「想」という漢字が強すぎる。
「yellowgreenはもう赤紫って呼んでるんだから現実見ろよ。yellowgreenは赤紫ね」って言われて「えーーー???いや黄緑やん???!」って思わない?
あなたはyellowgreenを黄緑だと理解しているからいいかもしれないですけどね、赤紫だと思ってしまっている人たちが大勢いるんですよ!!意図的に色弱の人を作り出してる状態ですね。事実上ね。
Virtualは仮じゃないし想像でもない。
それならば「事考」の方が正確。「事考記憶」「事考通貨」「事考水」「事考機械」「事考サーバー」のなんと正確なことか。
言葉は、最初にパッと見たときの印象が重要だと思う。とくに辞書を引かない人や言葉の意味を深堀りしない人にとってはますますそうだ。
たとえば「類似」「レプリカ」「再現」にはネガティブなイメージは少ない。だが「似非」「擬い物」「贋作」「模造品」は「偽物」の意味が強くなる。
仮想をVirtualの意味で使っていこうというのは、「贋作」を「レプリカ」のように使っていこうという主張だ。
だが漢字は強すぎる。どれだけ自分の中でわかっていたとしても、その漢字の主張から逃れることは難しい。
「じゃあ新しい博物館には贋作を作りましょう」と言われたときにすごく嫌な感じを受けないだろうか。そのぐらい漢字は強い。
ブコメ見たけど、仮想の意味を正しく使っている人でも「事実はそうじゃないけど、実際そう考えることができること」という理解の人が多いと思う。
これは日本語・英語の問題もあると思うけど、厳密にはこれは違う。バーチャルには正しいが。
「仮想」をそう捉えている人は、バーチャルをバーチャルに理解していると言ってもいいだろう。だが厳密には理解していないはずだ。
「実際そう考えることができること(まあ細かくいうと現実や事実はちょっと違うんだけど)」というのがより正しい。
単なる語順の問題のように見えるが、いうならば存在の順番が違うということ。存在感が全然違う。
「任意の整数xが存在してそのxは範囲が2から10」であって、「範囲が2から10であるような任意の整数xが存在する」わけではないのと似ている。「範囲」や「2から10」や「整数」はxより先に存在できない。
「事実はそうじゃないけど」が先に来るともうあとは何言っても夢になる。「ふーん。事実はそうじゃないんだ。この話終わりね」のような感触だ。
「違うけど、そういうふうに考えることもできる」じゃないんだよ。「違わない」んだよ!!!違うけど。
関西弁の「知らんけど」に近い考えでいてほしい。
邦画が暗い。
邦画だけじゃなくてなんていうか全体的に暗い。
電車乗ってても顔死んでるやつ多くないか。たまにハンカチーフ落とした人に「ハンカチ落ちましたよ」って言ってる人を見かけて「おおすごい。人はいいものだ」と思うときぐらいしか希望がない。
明るくない。真面目すぎるぞお前ら。
普通のことしか言わないじゃん。誰かがなんかふざけて、未来こうなったらよくねぇ?!っていう発想出すとすぐ現実持ってくよね。
もっとジョーク言ってくれよ。魂からひねり出したジョーク。あと荒唐無稽でもいいからおもしろフィクション作り出してくれよ。
エンタメですら現実逃避みたいなの多いけど、現実に即した未来志向でエンタメ作ろうぜ。過去とか安定とかやめろもうやめろって。飽きたよ飽きた飽きた。
光り輝くファンタジーないんか?
「あーーーーーーーー生きててよかったああああああああああああーーーー!!!!」って思えるコンテンツが少ないんだよ。
大事なのってそういうコンテンツ1つ1つじゃなくて、全員のなんかそういう雰囲気なんじゃね?
たとえばさあ、おっぱいおっぱいって言ってふざけてたらフェミニストがやってきておっぱいおっぱいってひどくない?って言われたとするじゃん。
そのときに「はああああああ??!おっぱいおっぱいって言って何が悪いんですかあ〜〜〜?!」ってマジメに返すやつ多すぎる。何こいつら。
そのときに「ちんこちんこ!!!!ちんこ大切断!」とか言ってくるフェミニスト戦士たちと戦うちんぽ騎士団みたいな発想ないよね。
「勉強教えるときに、公式に当てはめてとか言いがち」「会社の描写でコピー云々が多い」みたいな話、はてブとか棘で定期的にバズるのなんなんやろ
・「だから取材せんとあかんな」と「いやそこまで細かく気にしなくてよくね?」勢の二項対立や、「言うて俺の職場ではまだそういうのあるぞ」みたいな個人体験談で気軽に論争に発展できる
辺りかね
https://anond.hatelabo.jp/20240922103720
もうグダグダと言い訳並べててみっともないったらありゃしない。お前はどうせ放火事件のときに「今後○○(任意のタイトル)の続編は見られないかもしれない」って考えたクチだろ。そうじゃなきゃこんな記事書けないよ恥ずかしくて。
故人や退職者の名前をズラッと並べてさも「私は京アニのことが大好きです」面してるけど、お前は結局「京都アニメーションの作るアニメ」が好きなのであって「京都アニメーション」自体はどうでもいいんだろうが。
夜9時、カズキが眠りについた後、家の中には静寂が訪れた。
しかし、その静けさの中で、リビングにはスマホの画面をタップする音が断続的に響いている。
夫はソファに横たわり、スマホを操作している。妻もまた、ダイニングテーブルの椅子に座り、同じようにスマホを凝視していた。
彼女の視線は画面の中のSNSに釘付けだ。友人たちの投稿やコメント、次々と流れる他人の生活に触れ、時間を忘れてスクロールし続ける。
母親として、妻としての役割を一旦棚に上げ、ただ画面の中で過ぎ去る時間に身を任せる。育児という責任はすでに頭の片隅に追いやられ、彼女は虚構の世界に浸る。
カズキが泣き声をあげても、彼女は反応が鈍い。夜中に子どもが寝室から小さな足音を立ててやってきたときも、彼女はスマホの画面から目を離さない。
父親は、ちらりと子どもを見ただけで、何も言わずにまた画面に目を戻す。結局、カズキは二人の間に挟まれ、静かにソファに座って彼らの顔を見上げたが、誰も何も声をかけることはなかった。
家族としての絆はもはや形骸化しており、親子の間には実際の対話や交流がほとんど存在しない。
ただ、スマホの明かりに照らされる無言の時間が過ぎていく。それはまるで、彼らが現実から逃げるために自ら作り出した、無感情な牢獄のようだった。
数年前、彼らが「マッチング」された日のことを思い出す。
政府主導の新たな社会政策が大々的に発表された時、孤立し、結婚を諦めていた弱者男性と女性が、一度に大量にマッチングされ、結婚を促進されるというプログラムだった。
そこには理想の未来が描かれ、少子化対策・経済的な安定・社会全体の調和を目指すという美辞麗句が並べられていた。
彼女はその時、仕事に追われ、将来の見通しに不安を抱いていた。
孤独な生活の中で、社会の期待や周囲からの無言のプレッシャーに押されるようにして、参加を決めた。
彼もまた、社会的に疎外され、職場での孤立感に耐えきれず、希望が薄れていく中でこのプログラムに乗り込んだ。
彼らが最初に出会ったのは、淡々としたマッチングイベントの会場だった。まるで品定めされるように、テーブル越しに数分間だけの会話を交わした。
しかし、そこでのやり取りは極めて表面的なものだった。互いに特別な印象を持つこともなく、ただ社会的な期待に応えるための形式的な時間が流れた。
彼女は彼に対して特別な魅力を感じることはなかったが、経済的な安定や社会的な孤立を避けるためには「結婚」が必要だという思いに駆られていた。
彼も同様に自分の未来に対する不安や孤立感から、この結婚が何かの救いになるかもしれないと考えていた。
彼らの結婚は、愛情や感情的なつながりを伴わないまま始まった。
結婚式は小規模なものだったが、それでも形式的に行われ、家族や親しい友人たちが集まった。
笑顔を作り、記念写真を撮り、社会的には「成功」と見なされた。しかし、二人の間にはほとんど会話がなく、結婚という大きな決断に対する感情も曖昧なままだった。
彼らは新婚生活を始めたものの感情的な絆は深まることなく、時間が経つごとにお互いの存在が重荷になっていった。
子どもが生まれることで何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったが、実際には彼らの関係をさらに複雑にするだけだった。
子どもは彼らの生活に新たな責任をもたらしたもののその責任を共有する意識は希薄だった。
互いに育児の負担を押し付け合い、疲れ切った日々の中で、二人とも現実逃避にスマホの世界に没頭するようになっていった。
こうして、建前だけで作られた家族の絆は、日に日に薄れていった。
子どもが何を感じているのか、何を求めているのかに対して、二人は気づこうとしない。
育児という責任はあくまで「社会的な役割」であり、愛情を注ぐことはなく、ただ義務感だけが残っていた。
カズキは、そんな家庭の中で日々を過ごしながら、両親の愛情を感じることなく成長していく。
無言の時間と無関心の中で、彼の心の中に小さな孤独の種が静かに芽吹いていた。
カズキは5歳になり、ついに小さなランドセルを背負って学校に通い始めた。
彼が通う学校は、政府の弱者マッチング政策によって生まれた子どもたちが集まる場所でもあった。
同じように、家庭の中で愛情や関心を受けることなく育った子どもたちが大勢集まり、学校の教室には独特の空気が漂っていた。
教室は一見すると普通の小学校と変わらない。先生が黒板に向かい、子どもたちは机に座り、ランドセルを下ろして教科書を開く。
しかし、そこにあるのは静かな孤独の空気だった。クラスメートの多くは、家庭での愛情やケアを十分に受けておらず、どこか無感情で無表情。誰も他人と積極的に話すことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような雰囲気が漂っている。
カズキもまた、その一人だった。教室の隅に座り、他の子どもたちとあまり目を合わせることなく、無表情で机に向かっている。
先生が何かを質問しても彼はただ小さくうなずくか、返事をすることなく視線を落とすだけだった。彼にとって学校もまた家と同じように、感情のない無機質な場所になっていた。
クラスメートたちも同様に、家庭での愛情を知らず、感情を抑圧されたまま育った子どもたちだった。
友達同士の会話はほとんどなく、遊び時間ですら誰かが楽しそうに笑うことはほとんどない。まるで、大勢の子どもたちがそれぞれの小さな殻に閉じこもっているかのようだ。
授業中、カズキは先生の話をぼんやりと聞いているが、心の中では何かが欠けていることを感じていた。
家では両親から十分な会話や接触を受けていないため、彼にとって他人との交流や信頼関係の築き方がわからない。クラスメートもまた、同じように孤独な存在であり、互いに心を開くことができないため、自然と静寂が教室を支配していた。
昼休みになっても、誰かと遊ぼうとする子は少ない。カズキは、ランドセルの中に入っているお弁当を一人で静かに食べる。誰も彼に話しかけず、彼もまた、誰かに声をかけることはない。彼の周りでは、他の子どもたちも同じように無言で食事をしている。カズキはその無表情な顔のまま、スプーンで一口ずつ弁当を口に運んでいく。
家でも学校でも、カズキは孤独を感じているが、それを言葉にすることはできない。
彼の心の中には常に空虚さがあり、何かが足りないという感覚が消えることはない。しかし、彼にはその感情を表現する手段がなく、ただそれを胸の奥に押し込めるだけだ。
学校で友達を作る方法も知らず家では両親と感情的なつながりがないまま育ったカズキにとって、周囲の世界はどこか冷たく、無意味に感じられることが多い。
クラスメートも同様に自分たちの孤独を抱えており、互いに心を開くことができない。
それは、家庭の中での愛情不足が原因となり、感情表現や信頼関係の築き方を学べなかった子どもたちに共通する問題だった。
放課後になると、カズキはランドセルを背負って黙って帰り道を歩く。
家に帰っても両親との交流は期待できず、ただまた同じ日々が繰り返されるだけだ。
彼の頭の中には、誰とも交わらない日々が続き、心の中にある小さな孤独の種が、静かに大きく育っていくのだった。
カズキの学校では彼のような子どもたちが多数を占めているため、クラス全体がどこか感情のない機械的な集団のように見える。
彼らは互いに関心を持つことなく、先生が指示するままに動き、誰も積極的に自分の意思を表現しようとはしない。
孤独感や無力感が漂う教室では、笑顔や楽しさ、友情といった感情が希薄で、日常は淡々と過ぎ去る。
カズキは15歳になり中学を卒業して高校に進学するか、あるいは早々に働きに出るかという選択を迫られる年齢に差し掛かっていた。
しかし彼の中には将来に対する明確なビジョンや目標はほとんどなく、家族との感情的な疎遠さや学校での無感情な日々が彼の意欲をすっかり失わせていた。
家庭環境も依然として冷え切ったままで、両親から進路についてのアドバイスや励ましがあるわけでもない。
父親は今も不定期な仕事を続け、母親も相変わらずパートの仕事を掛け持ちしている。
彼らの生活は経済的に安定しておらず毎月ギリギリの生活費でやりくりしている。
家族全体が経済的な困難に直面していることは、カズキにとっても避けられない現実だった。
カズキは学校での成績も特に優秀ではなく、勉強に対する興味を持つこともなかった。
周囲の同級生たちも同じように、家庭や社会からのサポートをほとんど受けることなく育ってきたため、将来について真剣に考える者は少なかった。
クラスのほとんどの生徒は、進学よりも早く働いて家計を助けることを選ぶか、非正規の仕事に流れていくのが現実だった。
カズキもその例外ではなく社会に出ることに対する不安と無関心が入り混じった状態だった。
彼の家族は彼がすぐに働きに出ることを期待していたが、それは経済的な理由からであって、カズキの将来を心配してのことではなかった。
両親は息子がどのような仕事に就くかに関心を示すことはなく、ただ「家計の足しになるならそれで良い」という態度だった。
カズキ自身も、将来の夢や目標がないまま、やがては自分も両親と同じように、不安定な職に就いて日々をやり過ごす未来をぼんやりと受け入れていた。彼の心には「どうせ自分は何も変えられない」という諦めの感情が根強く存在していた。
成長したカズキが社会に出たとき、彼が直面する最も大きな問題は、まさに経済的な不安定さだった。
彼は学校を卒業してすぐに安定した職に就くことができず、非正規雇用やアルバイトを転々とする生活が始まった。
日本全体では弱者男性や女性が社会の周縁に押しやられ、正規雇用に就くことが難しい状況が続いており、カズキもその波に飲み込まれていた。
カズキの収入は低く生活費を賄うのがやっとで、将来的な貯蓄や投資などは夢のまた夢だった。
家賃、光熱費、食費、そして時には両親からの経済的な支援を求められることもあり、彼の手元にはほとんど何も残らない。
彼の労働は、社会に必要とされるが正当に報われることのない単純作業が多く、心身の疲労が募る一方だった。
また、カズキは家族からも社会からも十分なサポートを受けることなく育ったため、将来に対する不安や経済的な問題に対処する力を持っていなかった。
彼は、経済的な問題だけでなく、感情的な孤独や自己肯定感の欠如にも苦しみ続け、ストレスが重なっていく。
カズキが直面するもう一つの大きな問題は、社会との断絶感だった。
彼は家庭でも学校でも十分な愛情や支援を受けられなかったため、人間関係の構築やコミュニケーションに対して強い抵抗感を抱いていた。
仕事でも職場の人間関係にうまく溶け込めず、孤立したまま日々を過ごしていた。
こうした孤立感はカズキにとって大きなストレスとなり、結果として職場でのモチベーションやパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていた。
彼は仕事に対する満足感を得られず、ただ生きるために働くという消極的な姿勢に陥っていた。
彼のような若者たちは社会全体に増え続けており、同じように家庭環境や経済的な困難、そして社会的なサポート不足に苦しんでいる。
多くの人々が非正規雇用に追いやられ、低賃金で働くことを余儀なくされ、将来に希望を見出すことができないまま、現実と戦い続けている。
カズキは、社会との断絶感に押しつぶされながらも、弱者男性と弱者女性のマッチング政策によって20代前半でユウコという女性と結婚した。
両者とも愛情や幸福を求めることなく、ただ社会の仕組みに従い自分たちの未来に対して諦めを抱いていた。
彼らの結婚生活は形式的で感情的なつながりは希薄で、ただ「結婚している」という事実だけが彼らを繋ぎ止めていた。
ユウコはカズキと同様に愛情のない家庭で育ち、社会との接点をほとんど持たない女性だった。
彼女もまた孤独を抱えたまま仕事に就き、カズキとともに経済的な不安を分かち合うことなくただそれぞれが生きるために必死で働いていた。
カズキは低賃金の非正規雇用に押し込まれ、ユウコもまたパートタイムの仕事を掛け持ちする日々。二人の間に交わされる会話は少なく、家の中には沈黙が漂っていた。
カズキとユウコの間に早くも子どもが生まれ、彼らはその子を「タケル」と名付けた。
しかしカズキ自身が経験した孤立や経済的困難は、さらに厳しい形でタケルに受け継がれることになった。
タケルは幼少期から十分な食事も満足な環境も与えられずに育った。
家には物が溢れ乱雑なままで整理されることはなく、学校では友達を作ることもできなかった。
カズキとユウコはどちらも仕事に追われタケルの世話をする時間がなく、彼は放任されるように育っていった。
タケルが中学を卒業する頃にはすでに家庭での居場所を見失い、社会からも完全に疎外された存在となっていた。
彼は学校を卒業しても就職先が見つからず、社会の隅に追いやられるようにして犯罪スレスレの生活に足を踏み入れていた。
タケルのような若者はこの時代には増え続けており、彼らは生き延びるために小さな詐欺や盗み闇市場での売買に手を染めていたが、それらすらもうまくいかないことが多かった。
タケルは盗みや詐欺を何度か試みたが、成功することはほとんどなかった。
彼が属する社会の底辺は同じような境遇の人々で溢れており、競争は激化していた。
彼が盗もうとした小さな金品はすでに別の誰かに奪われていたり、詐欺を試みる相手もまた騙され慣れていたりするためうまくいかず、むしろ危険にさらされることの方が多かった。
ある日、タケルは仲間とともにコンビニ強盗を計画したが、あっけなく警察に察知され失敗に終わる。
彼の仲間の一人は逮捕されタケル自身はかろうじて逃れたものの、失敗の連続で心身ともに疲れ果てていた。
彼は犯罪ですら成功しない自分の無力さに絶望し、社会の中で何の価値も持たない存在だと感じていた。
タケルのような若者は、もはや社会の一部を構成する主要な層となっていた。
経済的な困難や家庭崩壊、教育の欠如がもたらす無気力な若者たちが犯罪に手を染め、失敗を重ねながらもその場しのぎで生き延びていた。
街には、そうした「タケルたち」が溢れ、どこに行っても犯罪が起こりそうな張り詰めた空気が漂っているが、実際には成功する犯罪すら少ない。
仕事の機会は減り、低賃金の非正規雇用や闇市場での労働を強いられる若者たち。
犯罪に走るがすべてがうまくいかず、どんどん貧困の深みにはまり込んでいく。彼らは家庭でも社会でも愛情を受けることなく、常に孤独と無力感に苛まれながら、社会の底辺で苦しみ続けていた。
タケルはその典型的な一人であり彼もまた未来に希望を持てず、犯罪の失敗と絶望の中で、ただ何とかその日を生き延びるだけの生活を続ける。
カズキが直面した孤立感や経済的困難は、さらに悪化し、次世代にわたって連鎖的に続いていた。
タケルが20代に入った頃、彼が育った社会には新たな「弱者男性・弱者女性マッチング」の仕組みが再び広まっていた。
この制度は表面的には自由意志による選択として進められていたが、実際には経済的な不安や社会的な孤立に直面する多くの若者にとって、結婚を通じて「安定」を得る以外の選択肢がほとんど残されていなかった。
政府はこのマッチングを「未来への一歩」「パートナーと共に新たな人生を切り開くためのチャンス」として宣伝し、若者たちに積極的に参加を促した。
制度そのものは強制ではなく形式的には自由参加であったが、現実的には低賃金の非正規雇用や Permalink | 記事への反応(1) | 01:21
プレステ5廻りで急激な値上げとかProの異常な価格とかが話題になっているが、事業継続は大丈夫なのかと疑ってる。
記憶用ではあるが光学メディア周りの工場も畳んでいるし、ピックアップレンズの製造も中国に売却する動きになっている。
しかも何故か本体価格を値上げしている。ActivionとZenimaxの買収阻止も失敗して慌てて買収したソフトハウスは巨額を通り越した損失を出している。
メディアは本体販売の好調を殊更強調し、なぜかXboxの不調報道をセットで行っている。まるでハイエンド系ゲーム業界そのものにうま味はないって言いたいようだ。
日本語がなかなか聴き取れなくで、コミュニケーション取れなかったり(異国にきてるんだからしょうがないよね)
店員さん同士でおしゃべりしてて、なかなか呼びづらかったり
そんなインドカレー屋さんいろいろ行ったけど
今日のインドカレー屋さん、お気遣いいただいて、気持ちよく食事できました(味はもちろん旨い)
帰るとき
「どうもナマステ~」
と言われた
丁寧感出るね
某政党の総裁選びの中で、とーだいやらひとつばしを地方に移転させるとか言っているらしい。
みなさんお軽薄とかいろいろといってますが、これは、おそらくは脅しなんでしょう。
要は東京教育大学ー>筑波大学のことをおそらくは想定していて、あのときにやったことをもう一度やってやるぜっていうことでしょう。
それに気が付かない学者のみなさんってどうなんだろうとおもってしまうけど、、、
(もちろんそんなことがいいといっているわけではないけど、一応本人たちはそういう前例を想定していると思ってます、ということ)
「おれもいきなりドアしめたのはたいどわるくてひととしてまちがえてたかもしれないけど、おにいさんもひとがしつもんにこたえてるときにけいたいいじってるのはどうなんですかね。」
って言おうとした「ぼ」のところで
どこに「ぼ」が・・・?