はてなキーワード: ときとは
プレステ5廻りで急激な値上げとかProの異常な価格とかが話題になっているが、事業継続は大丈夫なのかと疑ってる。
記憶用ではあるが光学メディア周りの工場も畳んでいるし、ピックアップレンズの製造も中国に売却する動きになっている。
しかも何故か本体価格を値上げしている。ActivionとZenimaxの買収阻止も失敗して慌てて買収したソフトハウスは巨額を通り越した損失を出している。
メディアは本体販売の好調を殊更強調し、なぜかXboxの不調報道をセットで行っている。まるでハイエンド系ゲーム業界そのものにうま味はないって言いたいようだ。
日本語がなかなか聴き取れなくで、コミュニケーション取れなかったり(異国にきてるんだからしょうがないよね)
店員さん同士でおしゃべりしてて、なかなか呼びづらかったり
そんなインドカレー屋さんいろいろ行ったけど
今日のインドカレー屋さん、お気遣いいただいて、気持ちよく食事できました(味はもちろん旨い)
帰るとき
「どうもナマステ~」
と言われた
丁寧感出るね
某政党の総裁選びの中で、とーだいやらひとつばしを地方に移転させるとか言っているらしい。
みなさんお軽薄とかいろいろといってますが、これは、おそらくは脅しなんでしょう。
要は東京教育大学ー>筑波大学のことをおそらくは想定していて、あのときにやったことをもう一度やってやるぜっていうことでしょう。
それに気が付かない学者のみなさんってどうなんだろうとおもってしまうけど、、、
(もちろんそんなことがいいといっているわけではないけど、一応本人たちはそういう前例を想定していると思ってます、ということ)
「おれもいきなりドアしめたのはたいどわるくてひととしてまちがえてたかもしれないけど、おにいさんもひとがしつもんにこたえてるときにけいたいいじってるのはどうなんですかね。」
って言おうとした「ぼ」のところで
どこに「ぼ」が・・・?
きのう思い出したこと。
女子が多めの工業高校にいたとき、いろいろな企業の人と話をしていたけど、むこうはそもそも工業高校に女子がいるとは考えておらず、資料を見せながら機械や電気・電子を勉強している女子がいることを話すと、とても驚いていた。
「とにかく男子」「男子なら誰でもいい」とよく言われていた。実はだれでも良くはなくて、背が小さかったり、やせっぽちの子や、気の弱そうな男子はいろいろ理由をつけて断られたけど。
電気工事、通信工事、エアコン設置、家電の修理とかはずっと人材不足で、いわゆる氷河期の時には男子が誰もとれないところが、「女子でも」と言って採用してくれたけど、話を聞いたら4月の入社当初から「女の子はやめた方がいい」と退職勧奨、道をゆく女の子の体型や容姿がいいとか悪いとか、好みだとかそうじゃないとかの同意を求めたり、本人へのセクハラ発言も頻繁にあったそうだ。その子はどうしても自分で働いて自立しなければならない事情があり、大分我慢したが、結局その会社はやめてしまった。彼女は高校時代に第二種電気工事士を取得してたから採用してもらえたんだけど、いまはそれとは全く関係ない仕事をしている。名の知れた会社の工場に就職した女子も、女性に慣れない職場の男子からセクハラを受けて心を病んでやめて帰ってきた子がいます。
会社の大きさは色々だったけど、女子を採用してくれた会社の人の話では、特に通信工事で個人宅を訪問するときに女子がいるととても助かると言われていた。通信工事の場合、数名でチームを組んで訪問するけど、そのときに最低一人女性を入れると、家庭で迎える立場の女性が安心できるようだと言っていた。
女子を採用して、活用法がわかってくると女子でも、となるし、その後は女子だけで工事のチームを組みたいと言っていた会社もあったので、そういう会社には電気工事などの希望をしている女子を推薦するようにしていたが、かなり最近になっても、「女子が入ってこられても、トイレとか着替えの設備もないし、どうしていいかわからないから男子で」と言われることはよくあった。そういう会社の方がずっと多かった。
どうして女子が工業系の仕事をしないのか、といわれても、希望があっても採用されない現状がずっとあった。電柱に登りたい女子も、電気工事をしたい女子もずっといたけど、会社からはいらないと言われてきた。会社見学を申し込んだら「見学しに来るのはいいけど女子は採用しないですよ。」とはっきりいわれたこともある。その後に男子の希望が出たら手のひら返しをされたり。
最初から採用されないことがわかっているところには、生徒を推薦しないので、結局業界に女子は増えないし、これまで男性ばかりの職場に入った女子が変にかまわれて心を病んでやめるとかあると、そういう会社は、もう紹介しないですよ。
「だれでもいいです」とは言われるけど、「この子にこの仕事できるのかな?つづくかな?」と心配になるレベルでも、男子なら即採用、女子はかなりレベルが高くないと採用されず、「なかなかやるね」と思ってももらえないというのが、いまでもある。出来る子が心を壊されてその後に働けないような状態にされるのは、送り出す側としてはとても辛いことでした。
もちろんうまく行く子もたくさんいて、いまでも元気に働いていたり、職場でパートナーを見つけた子もいる。いい会社もたくさんあるけど、そうじゃない会社はもっとたくさんあるなと思っていた。
今は工業ではないところにいるけど、ついこの間、転勤する間際のころまでそんな感じだった。
これまで「いらない」って言ってきたのに、「なんで来ない?」とか言わないでくれよって感じ。都合良すぎるでしょ。
野党が主張してきたことをずっと否定し続けてきたくせに選挙のときだけ野党を真似した政策を訴えてるんだぞ。
意味のない会話中身のない会話ってあるけど、それがなんか良かったりする。晴れ女雨男とかの話を除いて。
数年前、自分は晴れ雨男女エピソードがなぜかすごく苦手なことに気づいた。日常会話カテゴリの中で一番嫌いだ。
映画の記者会見で繰り広げられる話No. 1ではないだろうか。なぜこんなに嫌悪感を持つのか少し考えた。
天候を操れる人間なんていないし、その場所にたくさんの人がいるのにも関わらず自分(特定の人)だけが天候に干渉したという考え。
そしてそれを話す人も心の底から本気で天候操り人間がいるなんて思ってない。多分ここが自分の中で重要で、違うってわかってるかつ大して面白くもないこの話を持ち出す意味が理解できないから嫌いなんだと自己分析した。
「おいおいこの中に雨男雨女がいるんじゃないか?」とか喋り出したら終わり。そのあと「私は晴れ女だ」とか会話が続きさらには過去の天候エピソードに続くともう最悪。ラジオ聞いてるときにパーソナリティの人がこの話し始めた時ちょっと残念に思ってしまった。
でもこの手の話って異様に盛り上がるし何より話す人が多い。「今日いい天気ですね〜」みたいに、天気って比較的誰でも平等に感じることができて話題にしやすいからかな。
趣味の場で初対面の相手に「仕事は何をしているのか」と尋ねるべきか迷っている。
自分自身、趣味の場で仕事の話をあまりしたくないし、相手がもし自分の仕事が好きでなかったら嫌な気持ちになるかもしれない。
とはいえ、ずっと仕事の話に触れないとどこかよそよそしい気もするし、何も考えずに気軽に聞いてもいいのかもしれないとも思う。
キャバクラではこちらから仕事の話を切り出さず、相手が話題にしたときのみ乗るのがマナーらしい。
みんなどうしてるか、よかったら教えて。
最終日前日に鍛冶師に修正が入ってリスナーバトルが発生してた話。
最終日前日、グローバルランキング上位は農家と漁師がほとんどだったところに、突如大幅に数字を離してトップに現れた鍛冶師。
これに関して可哀相、不憫、バフかけすぎなどなどお気持ちが発生した。
中でも農家に関しては実質別ワールド隔離みたいなもので、ほとんどがソロだったのでお気持ち大量発生しても仕方がないと思う。
そこで立ち上がったのが鍛冶師リスナー。
鍛冶師だってがんばってる、みんなの協力があってトップがあるなどのご意見。
お気持ちは私が見た範囲では鍛冶師など叩いてなく、運営に対する不満だったわけだが、それが自分の推しが叩かれてる!と思ってしまったんだろう。ここまではわかる。
私が気になったのは「嫌なら転職すればいいじゃん」これである。
最終日前日に言う言葉じゃないだろ。
なにより稼ぎや経験値に不満があった人は最終日前日までに既に転職を終えてる人がほとんどだと思うし。
正直なところ、「うわ!なんかジワジワ追い上げてきてる!やばい!」のフェーズがもっとあれば少しは違ったんじゃないかと思う。
明日で終了かぁとか言ってる中で突然ぶっ飛んだ数字を叩きつけられたらそりゃ可哀相の声もでる。
実際ここで話題にあげられてた方ではない配信のコメントでも、ちょっと可哀相的コメントを散見したので。
で、この「可哀相」に対して過激派の方が不快感を示し、どうにか可哀相派を改心もしくは黙らせようとするわけです。
鍛冶師やめろ!とか空気読め!とか言われてるわけじゃない。
十分頑張ってたよとかお疲れ様!とか労いの言葉が多くなってきたところに。
何よりわざわざ該当単語を検索してまで突撃しているのがこ、こえ~。と思った。
同じ気持ちの人いないかな的な検索ではなく、反対意見は潰さなきゃ!で検索することってあるんだって驚いた。
バフかけすぎ等の明らかな不満と違って、可哀相や不憫はあくまで該当者への感想。
何のことも誰のことも叩いてない、配信者さんよしよし(ノД`)ヾ(゚Д゚ )くらいの感覚。
恐らくそれが、あー!〇〇ちゃん泣いてるじゃん!ちょっと男子謝りなさいよー!のアレに見えたんだろうなと。
だから攻撃されてる!潰して消させないと自分の推しが傷ついちゃう!と思って突撃してるんだろう。
でもこのタイプの人たちって逆の立場だったら黙っていられるのか?
どうしてどっちの気持ちも各々の感想としては正しいのに当事者を差し置いて勝手に潰し合おうとするんだろう。
もしそれでどちらかに何かがあったとき、悲しんだり株が下がるのは当事者なのに。
比較的近年だとテトリスからの落ちもの、カーマック先生のBSPツリーからのスキャンラインによるWolfenstein 3DやDOOM、
BSPから領域分割し、ポータルからのPVSで描画するQuake、今はマシンパワーが向上して力技でもなんとかなってしまってるけど…😟
そもそもPongがあり、ブロック崩しになり、日本側でブロック崩しのブロックがウネウネ左右に動いたり、ボールを砲台から発射した方が面白くね?
みたいな発想からブロック崩しのルールを改造してインベーダーになり、それがゼビウスなどの2Dシューティングゲームというジャンルとして確立する
パックマン、いわゆるドットイーターもそうだし、マッピーもドットイーターであるが、トランポリンによる上下階の移動、ドアで敵のネコをやっつける、
スクロールしないと先が見えないため、横移動がかなり博打要素がある、など単なるドットイーターというのともかなり違う
倉庫番はやはり凄い
プログラミングができる人はすぐ作れると思う
プログラミングができない人も、倉庫番を作れるように挑戦してみると良いと思う
ゲームのルールにしろ、アルゴリズムにしろ、こんなに単純なのになんて効果が凄いんだ、なんでこんなに面白いんだ、という感動を味わってほしい
寧ろ、誰でも到達しうる仕組みでありながら、思いつかなかった、目からうろこ、というアルゴリズムが個人的には素晴らしいと思っている
昔はゲームエンジンがUnityやUnrealみたいに確立したものはなく、自分でゼロから書いたりしていたわけで、
そうなると物理エンジンも書かなければいけないわけだけど、適当でいいかげんな打撃系を書いたりしたものである
今のゲームエンジンではそうないが、いいかげんなので、何かの間違いでキャラクターがぶっ飛んでいったりしてしまうのである
ゲームを面白くするコード、コアの部分というのは、本当に一画面に収まるようなものであった気がする
それこそ、倉庫番なんてそうだろう
考えてみれば、昔は今までになかった新しいジャンルのゲーム、というのが登場する余地があった
もちろん、インベーダーがギャラクシアンやゼビウスになったり、倉庫番がフラッピーになったり、模倣や改良がメインであることは現在も変わらないが、
現在は新しいジャンルのゲーム、新しいルールの発明、ということはほぼ皆無であろう
しかし、テトリスを初めて見たときの衝撃のようなものを、もう一度味わいたいとか、できることなら自分で作ってみたいぐらいの気がする
みんながコピーを作っているのなら、みんなは仕事でゲームを作っているわけだから、お金にならなければならないわけだけど、
趣味で作るなら、尚更、市販されているようなゲームのコピーを作るのはバカげているのではないか
いや、学ぶは真似ぶというのは正しいのだけど、いわゆるインディーズなら、新しいルールを発明したいものである
考えてみれば、マインクラフトも新しいルールを発明したゲームのような気がする
Notchもマインクラフトをどこかの企業に所属して開発したわけではない
彼の経歴は空白が多い気がするし、なんとなく生活保護をもらっていたとか、フラフラしていた時期があるんじゃないかという気がするし、
そういえばハリーポッターの作者の女性も生活保護だった気がするし、
どこか社会をドロップアウトしたアウトローならば、やはり市販されてるゲームのコピーを開発しても駄目だ
ごめん。説明が足りてないし、指摘として完全に間違ってたわ。
元増田も書いてるように「小学校に侵入した奴が発達障害ではないか?」というのは元増田の推測やん?
「元増田が追い込まれたときに自分も同じ様な行動とりかねない」というのが根拠やと思うんやけど、追い込まれたときに異常な行動するのは定型の人も同じちゃうかな?(まぁ普通の人はそこまで追い込まれること自体少ないと思うけど)
要するに、俺が言いたかったことは発達障害当事者であっても安易に他人を発達障害者呼ばわりするのは辞めた方がいいんちゃうか?ということ。
はじめに断るが、俺は性的嗜好がナチュラルである成人男性である。以下の文章に性的マイノリティの方々を揶揄したり侮辱するような意図は一切ないことを了承していただきたい。
以前まで自慰を行う際は、一般的な内容のもの、つまりは男性対女性の構図が主となる内容の△▽のみを視聴していた。もちろんそういった△▽は、主な視聴者層が99%男性である。それゆえ撮影の目的も男性の欲望を満たすためのものとなるため、一方的に女性側がかなり男性に施すような内容のものが多いような気がする。もしくは、男性側が自身の好きなように女性を扱うような内容である。例えば、主観モノはその最たる例だと思う。説明するまでもないかもしれないが、主観モノは男性側の視点で女性を撮影したものであり、手軽に没入感を摂取することができる。さらには女性側が男性を悦に浸らせることに必死に動いてくれる感も演出でき、ある種の支配感も手に入れることができる。これまでの嗜好を振り返ってみると、個人的によく好んでこの系統の作品を見あさっていたように思う。しかし好んで見ていたからとは言って、それが完璧なものであったとは言い切れない。例をあげるならば、あの画角でのキスシーンはかなり不自然に映ってしまう。主観モノでなく第三者視点で撮影しているものでは、男優のキス姿がもろ映り込んでしまう。この現象に不快感を覚える視聴者も少なくないと思う。ならば主観モノではそれが克服できたかと思いきや、残念ながらそうではない。女優が顔を近づけるのと同時に、左上の角から急に男優の口が映り込んでくる。今までは撮影方法上仕方ないものだと割り切って、見て見ぬふりをしていた。女優の顔の影で画面が覆い隠されるのならまだしもそこに男優の右顎の影が映り込む、この時の自身の興奮に入り込んでくるわずかな違和感こそが、自慰の質を見えないところで蝕んでいた正体だったのだと、今では思う。結局男性対女性の構図では不可避のキスシーン問題によって、知らずのうちにキスに対する態度が自分のなかで腐っていたのだと思う。それを裏付けるように自身の性生活のなかでも、これまでキスの重要性があまり理解できないまま、とりあえず順序の初手として相手にキスしていたと今では振り返る。
先ほど、とある△▽を視聴した。具体的な作品名は伏せるが、とある女性がナンパして声をかけた女性に話をもちかけ、最終的に行為に持ち込むという内容を全3・4パターンにわたって収録したものであった。この作品が俺にとって初めてのレズもの作品であった。今まで何となく自身の嗜好が妙に変化してしまいそうで見るのを避けていたが、何の気なしにFANZA TV(△▽のサブスクみたいなやつ)をサーチ中に目に留まったため、視聴し始めた次第である。なぜなのか理由が自分でもよくわからないが、この作品は入りから一度もスキップしなかった。今考えるに、この現象は天の啓示の前触れなのだったのだと思う。なんだかんだで屋内のパートに移ったそのあと、そこは驚くべき場面の連続であった。もちろんお互いがキスし始めるのだが、まずそこでその絵面の透明感に驚かされたのである。男優がいないというだけで、こんなにも見やすくなるのかと。普段嫌なものとして目を背けていたものに対して、何の嫌悪感も抱かなかったのはこれが初めてだった。2人がキスしている場面に対して、一切の澱みなく心を開いている自分がそこにはいたのである。今までのキスシーンは観づらい、不自然なものだという固定観念が一瞬でひっくり返された。ちょっとずつ激しくなる唇の開き方が、徐々にナンパされた側の女性が心を開きはじめたのを表しているという、よくよく考えれば当然だけどいまいち実感していない事実と感覚がようやくここで真に理解できた。これまでの慣例の中で、なぜキスが行為の中での始まりとされているのか。今までなんとなくのまま受け入れていた流れの最初のステップの存在意義を初めて理由と共に受け入れることができた。その理解に至った瞬間、これでもかとキスが神秘的なもののように目に映り始めた。
一般的な△▽との最大の違いは、キスシーンの長さである。普通の△▽の場合では一通りキスが終わったあと、次のステップに移ることがほとんどである。それ以降もキスはちょちょっとする程度で、それよりももっと激しく、視覚を刺激するような内容に進んでいくのが常である。しかし、レズものはそうではない。行為が始まって終わるまで、ずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぅっとキスをしているのである。ナンパした側の女性が妖艶な言葉遣いで相手を甘えさせながら互いに服を脱がしあう際も、相武しあう時も、ピークを迎えるときも一切2人の唇が離れることが無いのである。この記述は本当に誇張していない。一部の読者のなかではこれだけ長時間キスシーンを観ていて飽きないのか、という疑問の声もあがるだろう。これに関しては断固として否定させていただきたい。キスを長時間行うことによって、ナンパされた側の女性の心に徐々に安心感が芽生え始め、恥の感覚がほんの少しづつ薄れていく。それと同時に緊張してこわばっていた表情筋が緩んでいき、むしろそこから一種の満足感が生まれていく。作品では、50分ほどかけてその模様が微細に変化していくさまが描かれている。あなたはこの過程を本当に最初から最後まで見届けたことがあるのか。見終わったあと、一本のドキュメンタリを見終えたぐらいの読後感が心に生まれた。その読後感は、ナンパされた側の女性が最終的に得た満足感が、視聴者である私と共有された結果生まれたものなのだと思う。傍から見ている側ですらこの満足感を得られるのであれば、じゃあ当事者になればどれほど大きな充足感を得られるのだろう。こう思った瞬間に、自身の今までのキスへの態度を改めざるを得なくなった。自分が成長できるチャンスがこんなところに眠っていたとは。本当にこの世の中は知らないことだらけだということを思い知った。