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はてなキーワード: かわいいは正義とは

2018-04-12

お前らが「かわいいは正義」とのたまうたびになあ

ブサイクな私の醜い本能が「かわいいを喰い殺せ」と叫ぶんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

2018-03-21

anond:20180321002047

ラップやにこラップなら全然気にならない

かわいいは正義とは言ったものでそういう方向性お茶目としてのラップパートは許しやす

逆にかっこよくしようと入れてるっぽいのは鼻につきやす

2018-02-19

かわいいは正義

イケメン正義

金儲けも正義

でも、

その正義で人を殴っていいか

そこには慎重になってほしいんだ。

2017-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20170407204552

かわいいは正義ってやつじゃない? そんなに深くまで考えないでしょ

2017-03-31

人は見た目が100パーセント

タラレバ』に『人は見た目〜』など、『逃げ恥』なんてクソ食らえってドラマが続く。

ぶっちゃけ世の女性にかけられた、ゆりちゃんが解こうとした呪いはあまりに強力で、たかだか1クール程度で消え去るものじゃないしな。

結局人は見た目が100パーセントなんだ。

年齢、化粧、体型、ファッション

自分がどれだけ人を見た目で判断していたか最近あることがきっかけで気付かされた。

ひまだったら読んでくれ。


きっかけは、友人(男)に「絶対うから」って紹介されて渋々ある人に会ったことなんだけど。

しかに私にはい恋人はいない。

が、そいつに「彼氏ほしい」なんて言ったことないし、なんでかごり押しされて心底意味わかんねーって思ってた。

けど、実際会ってみたら普通に「いい人」だった。

価値観も似てるし、性格もいいし、少しでも惹かれたことは認める。

が、彼はファッションに興味がなかった。

会った当日もグリーンレーベルで揃えた、みたいな無難な格好だった。

片や増田は春用にと買っておいた花の刺繍ブラウスお気に入り帽子なんてかぶっちゃって、

並んで歩くと、お互いがお互いの服のせいで浮くっていう不思議で最悪な状況ができあがった。


この時、一瞬だけタラレバの倫子と同じことしてないか自分って思ったんだ。

「もしかしたら彼は早坂さんで、出世株かもよ?」って。

けどな、もう一人の自分が言うんだよ。

「お前は吉高由里子じゃないし、脚本家でもないし、そもそもKEYくんなんていねーのわかってっだろ」って。

(すぐにドラマ自分人生重ねようとする癖いい加減やめたい)


話を元に戻す。

私は友人たちがどんな服を着ていても気にしない。

派手だろうが地味だろうが奇抜だろうが無難だろうが、みんな自分の好きな服を着ればいい。

自分が魅力に思っているのは中身だし。

そう思ってた。

けど、違った。

そもそも、自分の周りにはおしゃれに興味がある/気を使う人しかいなかったことに気がついた。

全身Supremeのスケボー馬鹿だったり、スニーカーオタクだったり、『ポパイ』の熱狂信者地方都市出身)だったり。

あと、たとえ最初ダサくても、おしゃれな人たちと一緒にいれば必然的におしゃれになるもんだと思う。

(※ただしその人たちと一緒にいたいと思った場合に限る)


おしゃれっていうのは進化なのかもしれない。

ダサい状態からそうじゃなくなること。

おしゃれな人っていうのは、色、丈、TPOとかの絶妙バランスを汲み取れる人のことだと思う。

あることを知ってしまったら、もう知らなかった状態には戻れないように、

そのバランス感覚を身につけたら、もうダサい状態には戻れない。

そうやってダサい人がおしゃれになっていくのをたくさん見てきた。

オセロで黒に挟まれた白が黒くなるみたいに。

もう一つ気がついたことがある。

おしゃれな人に面と向かって「おしゃれですね」って言わないし、頭いい人に「頭いいですね」とは言わない。


それ言われるってことは、たぶん「あなたとはそれ以外話すことがないんです」って言われてるのと同義だと思う。

(けど「かわいい」とかは言うね。「かわいいは正義」だもんね)

申し訳程度に彼は服を褒めてくれたけど、「いやおま絶対思ってないだろ」って顔で言われた。

しかにいい人だったけど、自分は向こうにあわせて無難な格好しようとは思わないし、向こうをおしゃれにしようとも思わない。

まり、向こうの色に染まりたい/こっちの色に染めたいと思うほど、好きにはなれなかったわけだ。

よってお付き合いを申し込まれたけど丁寧にお断りした。

わがままかもしれないけど、恋人として自分の隣を歩くのは、間違ってもチャオパニックで買ったボーダーのロンTを着る人ではない。

グリーンレーベルとか無難ブランドは、自分にとっては逆に地雷だったりするんだと学んだ)

友人は私がファッション好きだって知っていたはずなのに、なんでファッションに興味ない男なんてしょうかいしてきたんだろう。

結論として、恋人候補は異性から紹介されないほうがいいな笑

(まあ同性でも「そいつが選ばなかった人」って思うと「んー」とはおもうけど…)


追記:

トラバブコメ見て、タイトルを「おしゃれはオプションじゃなくて前提」にすればよかったと激しく後悔。

2016-12-21

ドラマのみくりを、原作と同じように特に美人でもない平凡な容姿女性が演じてたら

好きの搾取だの何だの言っても「ブスの癖に生意気だ、死ね」で終わってたんだろうなー

かわいいは正義

ついでに百合と風見の関係も「BBA気持ち悪い」で終わってたと思う

原作だと百合は50代の設定でそれに違和感がない程度の容姿に描かれていて(目の下に皺がある)、風見は若いチャライケメン

あれも石田ゆり子の美貌と若々しさあってのものだよなー…

2016-07-30

コンビニで乃出来事

キムチをね買ったわけですよ

そしたらバイト女子校生らしき子がキムチの容器を縦に袋に入れるわけですよ

汁が漏れたら他に買ったもの台無しですよ

顔見たらかわいかったので文句わずに店をでましたよ

かわいいは正義なのは本当なんですね

2016-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20160423144812

ちょとだけ言わせてほしい。A子の容姿についてしか書かなかっただけで、「容姿しか見ていない」になるのはちょっと言いすぎやしませんかね?

あのですね、確かに容姿についてしか元増田は書かれていないけれど、特筆すべき点ということで書いただけで、A子が好きな食べ物だとか、バンドだとか、そういうことを買いてどうなるんでしょう?

ついでにいうと、ブックマーカーの皆様方が思うより、女の世界において、容姿っていうのはかなり強い影響力を持ってると思う。

男性もね、中学くらいまでは価値観未分化で、「いけてる/いけてない」の二分法で、一種カースト制度だと思う。

スポーツが出来る子は、足も速いし球技も出来て、クラスの中心で、ヤンキーモテるとは言わないけどヤンキーが多かった。

ファッションとしてのヤンキー、主流派のたしなみ、みたいなもんだったと思う。

とにかく、そういう「いけてる」とそうでない人たちという、カースト制度があったのを憶えてる。

でも、高校も後半、大学になるころには、価値観分化していって、一絡げに「スポーツが出来る」じゃなくて、「野球が得意」「サッカーが得意」っていう風に細分化して、「ピアノうまい」「歌が上手い」「数学が得意」っていう文科系や理数系の長所も異性の魅力として認めれらるようになって、たいていの男子は多少なりとも異性として誰かの目に留まるようになっていったでしょう?

誰もが誰かのオンリーワンになれる。

お腹の膨らんだ頭頂部が寂しいオジサンだって結婚してるでしょう?

一方で、女性はね、10代の頃も20代の頃も30代になっても、「女子」という競技の中でしか勝負できないじゃないですか

その中の優劣でしか評価されないじゃないですか

それでもって、女子という競技においては、容姿は最強。

顔の造形は佐々木希のような端正さ、ジブリ映画主人公のような好奇心を秘めたまなざし陶器のような白い肌、ガラスで出来てるような光を反射する爪。

存在感のある胸、くびれた腰に、細くしなやかな脚。

一挙手一投足はおろか、瞬きの時のまつげの揺れ一つで、空気を変える。

自販機ジュースを選ぶ姿が、神様奇跡みたいに見える。

そんな子がいたら、それは容姿についてまず描写してしまますよね?

かわいい子は逆にいじめられるっていうけど、それは男性が考える嘘だと思う。

沢尻エリカ佐々木希はいじめられっ子にはならない。

かわいいは正義

本能的に、叩けない。

から、やっぱり容姿について書くのは、別に不当なことじゃないし、だからといってそれが責められることでもないと思うんですよ。

女子力がない女子が生き抜くためには、しぐさや化粧のテク女子力をアップさせるか、敵の少ない戦場勝負をしていくしかない事情もあると理解できませんか?

男性バリエーションが豊かになるので(中学のように「いけてる/いけてない」だけじゃなくなるので)、女子からみた取りあいは少なくなるけど、男性からみたら、一番きれいな子と、それ以外というふうに見るでしょう?

自分を受け入れてもらうことだけで、相手を愛するとか受け入れるという発想が皆無になってしまうことが今でもある。

異性に全く相手にされない時代呪縛で、それがひょっこり顔を出したとき、それに気づいたときのハッとする感覚、それは特別なことじゃない。

かなりの女子が持ってる。

以上、さいたまおっさんたわごとなんで、忘れてください!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2016-04-18

A「僕ね素晴らしい名言を生み出したいんですよ」

B「かわいいは正義とか?」

A「すんばらスィー名言ね!」

2015-10-02

艦これ金剛型が推される理由が全くわからない

4隻全て改二まで上げて改修MAXにして久しい自分から言わせれば「あいつらの育成はテキトーでいいよ」という感じ。

というか、彼女らの育成を頑張るくらいなら、そのコストビスマルク大和型に振るべきだったと、前回のイベで痛感した。

通常海域必要とか知らん。てか改二にしなくても普通に大丈夫でしたが?

オールマイティに使えるとか、それ器用貧乏の言い換えだろ。


そして肝心のイベでは夜戦能力ダメ過ぎるのが致命的。火力しょぼいし避けないし。

よく金剛型メリットとして言われる「使いやすさ」とやらも、夜戦能力問題で帳消しだと思う。

連合艦隊かつ雷巡抜き編成で最深部MAPという局面で、ビスマルクがいないとなると必ずこいつらを組み込まなきゃいけないのが非常に不満。

資材ばかり食って、本当にまともに動いてくれたのを見たことがない。


それでも金剛型の育成は戦艦の中では最重要とか言われてるんだから、本当に意味がわからない。

確かにビスマルク大和型も、入手・育成と凄まじいコストを費やすことになるけど、それを乗り越えてでも揃えないといけないでしょ。イベント地獄を味わいたくないなら。

面倒ということで後回しにすると、ツケ払いに結構な利子がついてくる典型的パターンだろう。

それでも推すって、かわいいは正義()な人ですか?

2015-05-22

かわいい…」

そのつぶやきで後ろを振り返ると厳ついとび職の兄ちゃんがいた

ビビりつつ原因を探すと背中にいる1歳の娘がレジで精算中ずっと兄ちゃんに手を振ってたらしい

誰にでも手を振るのは恥ずかしいのでやめてほしんだけど…やはりかわいいは正義

2015-02-12

リラックマかわいい

今棚にリラックマぬいぐるみ置いてるんだけどむちゃくちゃかわいい

振り向くとこっち向いててむっちゃかわいい

かわいいは正義

ここまで書いて思ったけどコリラックマだった

かわいい

2015-01-28

萌え絵美少女はいない

最近エロゲからコンシューマー移植された作品をやっててふと思った。

立ち絵見てるとヒロイン全員特に文句なくかわいいんだけど、テキストで「美少女」と言われても個人的になんかしっくりこない。

なんでだろーと思ってたんだけど、そういや自分萌え絵女の子見て「かわいい」とは思っても「美少女」とは思わない。

なおかわいい女の子は大好きだ。美少女も好きだ。

ぼーっと考えていたら、なんとなく、自分にとって萌え絵は「かわいさ」の結晶であって、その「かわいさ」というのは「美」とは違うように感じられるからかなと思った。

かわいさって、そもそもあらかじめ、受け取る側にとってのハッピーさを内包しているような気がする。かわいいは正義って、その意味ではだいたいあってる。かわいさは、それだけで受け取るものポジティブ感情をもたらす。

一方美少女はそうではない。美はそのもので力ではあるがそこに付随する意味はその使われ方で決まる。後光のように輝くかもしれないし呪いのようにどす黒くなるかもしれない。あるいは全然使われなくて残念なことになるかもしれない。

かわいいけど悪魔」はギャップ萌えになるけど「美少女だけど悪魔」だといや、だけど、じゃなくね?って思う。

萌え絵女の子はみんなかわいい。だけどだからこそ私にとっての美少女存在しない。多分美女も。美人はありかも。

べつに優劣の話ではなくて私の中の枠組みの話である

わーすっきりした!と思ったけど、実は発端のゲームの絵は私にとっての「かわいさの結晶としての萌え絵(最近ときんモザの絵すごいかわいいと思った)」というタイプではないのでヒロインかわいいけど美少女って言われると違和感ある問題はあんまり解決していなくて、どっちかというと私が女で、美少女とか美女は顔の造作もあるけど物語内の演出によって形成される印象でキャラ付けされるという少女漫画手法になじんでいるせいのような気もしてきた。

あと私の萌え絵定義範囲が狭すぎる可能性。

http://anond.hatelabo.jp/20150128202616

かわいいは正義」って基本的二次元美少女念頭に置いた言葉だと思うのだが。

少なくとも自分にはそれを現実世界適用する発想はなかったわ。

かわいいは正義

ってまじで思考停止だと思うんですよ

苺ましまろは本当におもしろくて可愛くていい作品です

この言葉のいい意味でのラジカルさが今の自体を齎しているがまったくこの言葉自体責任はない


ぶこめの指摘で気づいたが、今回の話でいう女の子、とはすべて三次元の話です

二次元女の子に対しては全くもって言及していません

私の記憶が正しければ、あくまエクスキューズ付きで、ネタで、露悪的に使う言葉だったはずだ

マジっぽくこれを言ってるひとは、

「私は性器ものを考える、全身性器といって差し支えない人間です。女の子ものしか思ってません!」

という宣言だってことを自覚した方がいいとおもう




この言葉は誰もしあわせにしない

どんなに可愛くとも、パーフェクトに自分の美を認めている女の子はいない

佐々木希だってきっと満足はしていない

そして美の判断基準において公然若さ、というものが重視されてる以上、

思春期を終えた頃から、美は日々刻々と失われるものであることを、誰しも甘んじて受け入れている

多かれ少なかれそこには絶望しかないだろう

もうカジュアル一般人女の子を消費するのまじでやめた方がいいと思う

世の女の子可愛いを過剰に意識し、崇め、可愛くないと悪であるという認識をもって生きている

最近よくいるアイドルメイドさんなどの可愛い女の子が好きな女の子、は、

可愛い女の子になりたいかどこからか学んだ消費の仕方を真似てるだけであると感じてる

ある



あなた可愛いからいいのではなく、あなたであることが素晴らしいのだ

ひとの外見についてあれこれということは下品でださくて卑しいことなのだ、という大前提が教えられてないひとが増えている気がする

それをわかっていないと、過剰に自尊心の低い女の子が育つ

ダメな男の人に夢中になりやすいのはこの手のタイプ

よくまとめられているような、ブスすぎてつらいよう(キメ顔自撮りパシャーアプリ加工済み)に、

多くの人は「思ってねーだろw」と揶揄する

でも実際問題あいうことをする子って過去に外見をばかにされたり、汚ない言葉で罵られたりしたことがある子が大半だと思う

そういう子ほど他人の外見を気にしなり、自分他人を比べたりする

過剰に美しい子と友人になりたがったり、過剰に自分より美しくないと判断した子と居たがったりする

私は美しくないとよく判断されるのでそういう子は嫌だな、という気持ちがないといったら嘘になるが

同時につらい目に遭ったんだろうな、とも同情する

生来美しい子は他人のことはあまり気にしない子が多い気がするのだ


このまま露悪的に「外見がいい方がいいに決まってるじゃないか」などと世の中が進めば、まさにディストピア

人類進歩人間の知性、モラルなどという言葉がばかみたいになる

行き着く先は差別迫害に溢れる世の中だ

役に立たないもの、すぐれていないものは居なくていい、という世界

まああまりにも飛躍しすぎているかもしれないけど

可愛い正義ではない

可愛くないこと、そして「ブス」は罪でも悪でもない

自分を軽んじる理由にもならないし、他人あなたを傷つけていい理由にもならない

外見の美しさは人間価値を左右しない

愛は消費ではない

愛されることはものになることでない

人間は道具じゃない

その大前提を、若い子たちに伝えたい

追記。

可愛いは見た目のことに限らない。

内面や行動、愛嬌やしぐさのことも含め、言うのだ。

というようなブコメしていただいた方々。

まったくもってその通りだと思います

是非、容姿可愛いに囚われている女の子が居たら、そう教えてあげて下さい

2015-01-26

イスラム国人質事件にあまり興味がない

なんか連日報道されてるけど、あんまり興味がない。

おっさんが二人死んだところでほんとどうでもいいことだし。

あんたらだれよって話。

もっと感動的な話とか、悲しい過去とか掘り下げてキャラ立ちすればまたちがうけどさ。

日本人は毎年資本主義によって3万人が自殺に追い込まれて殺されてるわけだが。

シュウカツで自殺する大学生だって二桁はいるんでしょ。

二人の十分生きたおっさんが死のうが知ったこっちゃないし、なんでこんな騒いでるのかよくわからない。

いや、これが10代美処女だったらぼくもかわいそうとは思うんだよ。

でもおっさんからなあ。完全に自己責任でしょ。

「○○ちゃんを救う会」とかいうさんくさい団体とかよくあるけど、あれには億のお金が集まるよね。

ほんとアホかと思うけどでも、まあ○○ちゃんはかわいいからまあそういうこともあるのかなって思う。

でもおっさんが死にそうだから寄付してくれって言っても完全スルーだよね。

何が言いたいかっていったら、かわいいは正義ってこと。

2014-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20141028072053

かわいい女の子になりたい」と思わない人の人生は、それだけで救われている。

かわいいは正義美少女は神なんだよ。

2014-09-26

自分の顔が気持ち悪すぎて死にたいと思いつづけてついに30歳になったが死ねない

中学校時代ずっと顔のことでいじめられていた。だれからも「変な顔w」と笑われていた。ぼくがどんなに努力しても「でも顔は変だよねw」といわれて終わってしまう。小学生時代は走るのが速かった。運動会リレー選手だった。でも結局ぼくは「変な顔のやつ」でしかなかった。「ヘンガオ」や「怪物くん」があだ名だった。中学時代高校時代も学年トップレベルの成績だった。でも「変な顔のやつ」でしかなかった。いったいどうしたらいいのかわからなかった。だれもぼくを認めてくれない。

これはもう東大に行くしかないと思った。でも落ちて、結局地方旧帝大に行った。そこには絶望しかなく、もうすべてがいやで、むなしくて、かなしかった。

ぼくはなぜか大学時代イケメン」「ハンサム」「かっこいい」といわれるようになった。まったく意味がわからず、これが社交辞令というやつか、まったく世の中歪んでいるなくらいの認識だったが、それは完全な確信をもってそう思うのだし、ぼくはどう見てもおかしな顔で、いまだに毎朝エレベーターの鏡を見て落ち込むわけなのだ(あとで説明するがぼくはい障害者向けの作業所に通っている)。

なんども鏡で確認する。どう見ても奇形だ。骨格がおかしく、人間に見えない、なんだろうこれは、ペンギン? それともピスタチオ? 鏡を見るたびに落ち込む。鏡を見てこれはひどいと思ったらもう外には出れない。ひたすら寝込む。引きこもる。そうやって大学5年が終わった(大学にいけなくて1年留年したのだ)。

つのまにかぼくはメンヘラになっていた。大学1年からその傾向はひどくなったかもしれない。大学5年目は卒論を書くだけだったのでなんとか卒業はしたが、もちろん就職活動などはしていない。じつは大学4年目に就職活動をしたのだが、もうまったく完全に頭が真っ白になってしまって、どうしようもなかった。ぼくはわけのわからないことをくちばしっていただろう。それ以来トラウマで、大学卒業実家に帰ってきて、就職活動を親に迫られるとぼくはパニックになってしまって(過呼吸になって呼吸困難になる)、身動きできなくなっていった。どうしたら他人に認めてもらえるのかぼくにはまったくわからないのだ。ぼくは「変な顔のやつ」だ。それはもうどうしようもない。どうしようもない状態からいったいどうやってだれかにぼくの価値を認めてもらったらいいんだ。それはまったく完全に究極の難題だった。死について考えてぼくはよく小さなころからパニック状態になっていたが、まさにそれと同じ現象が起きた。考えが及ばない、まったくの未知、理解範囲外、それは神、神だ! だが神なんかいない! 神の姿なんてぼくらはだれもわからない、というより神に姿があったらそれはおかしいのであって、ぼくにとって、《就職活動他人自分価値を認めさせる》という儀式というものは、まったくの神秘であって、考えの及ばない、彼方の彼方にあるほとんど魔術的な妄想とでもいうべきもので、一般企業で働くということは完全に奇跡のわざでしかなく、それも実現不可能の絵空事、定義の及ばない、ことばの射程の外にある、まったく完全な神秘だった。しか世間人間はみんなそれをあたりまえのようにこなしているという事実がぼくに重くのしかかってきて、それは絶望ということばだけでは言い表すことのできない、とてつもない、ある重層的な空虚陳腐言葉で言えば、そうだ、まさにそれは「世界の終り」だった。そう、世界は終わってしまったのだ。ぼくには理解できない、おそらく認知すらできないなにごとかがこの世界では行われていて、ぼくはそこに存在するだけの強度をそなえていない、おそらく世界脆弱性とでもいうべき……、異端! おお! すばらしい! 圧倒的少数にして弱者! 愚者であり賢者! ぼくにはもうこの物質世界は見えていない。文字通り超然としている。だがなんだ、超然としているというのに、ぼくはこの物質=顔にこだわっているではないか。ぼくの精神は完全にこのけがれた体から離脱しているというのに、しかしぼくのトラウマはまだ完全に顔にとらわれていて、むしろ顔こそすべてであって、かわいいは正義であって、ぼくは美少女が好きであって、いまだに勃起するではないか! なんなのだこれは。とらわれている! この世界に! ぼくはこの世界で認められたかったのか、それともこの世界否定たかったのか、いやちがう、ぼくは自分自身否定されたことによって、まさに自分自身否定される世界というもの肯定することによって、ここに自分存在確立たかったのであり、だがそれは自虐しかなく、自滅でしかなく、まさにこの自縄自縛のなかで、どうしようもない破滅的な未来へ向かってぼくは生きてきたのであった。だが、それも考えてみると、結局、死にたいという欲望に突き動かされたものしかなく、しかしいざ死のうと思うと死ねず、しかし死のうという意志のものが生きることを肯定するなにかとなっていたのであり、もはやなにがなんだかわからない状態で、結局ぼくは精神科受診することになった。

精神科というものはまったくわけがからない。まともに話したのは最初の診察のときだけだ。投薬治療をつづけてきたが、まったく改善は見られない。投薬治療だけでは無理ともちろん医者はわかっていて、カウンセリングも並行してやっているのだが、いや、しかしだね、臨床心理士といっても、しょせんぼくより頭の悪いひとなわけだ。ぼくがひたすらこの世の不正不正義や不条理について語っていったところで、ぼくの真向かいに坐っている、この美女はなにか理解しているのだろうか。ホメロスオウィディウスプラトンについて話していたときホメロスも知らなかったのだが、これは大丈夫なのだろうか。いやしか美女お話できたのだからよしとするか、というかそのひとはぼくを捨ててさっさと結婚してしまって、いまはもうカウンセラーやってないっぽいのね。まったくね、なんなのかね、結局口だけというか、そりゃカウンセラーにはカウンセラー人生があるわけだが、こっちだって人生かけてしゃべりまくっているわけでね。ぼくはいってやったよ。あなたのことが大好きです、幸せになってくださいってね。うん。そうだ。彼女幸せになったのだからぼくは泣いて喜ぶべきなのだろう。でもなんなのだろうねこのむなしさは! ぼくは結局利己的にすぎないが、自分がしあわせになりたいのだよ。しあわせになりたいよ。しあわせってどういうことなのだろうね。いや、もしかしたらいまの状態もしあわせなのかもしれない。障害基礎年金をもらっていて、医療費には困っていないし、両親はまだ生きているし、むしろあんなに厳しかった父親も……、ぼくは彼に虐待とまではいかないのだろうが、幼少期かなり暴力を振るわれて、ちょっとトラウマになっている。まあだからといってアダルトチルドレンというわけではないのだが。むしろいま父は仕事退職してかなりやさしい性格になっている。父があんなにぎらぎらしていたのはまったくくだらないあの世界の滓とでもいうべき労働のせいなのだ。まったくこの世は腐っているね。でもとにかく両親はやさしい。ぼくはまったく役立たずで、そりゃ洗いもの掃除くらいはするが、だからといって、妹みたいに金を稼いでこないわけでね。

就労に向けて頑張りましょうという。ぼくは作業所に入った。B型ではなくて就労移行だ。一般企業での就労? それってどんなものなのだろう。ぼくは最低賃金事務系のアルバイトを体験してみたことがあるが、そこは一日でやめた。そこのババアの指示がまったく理解できなかったため、ここで働くのは無理だと感じたからだ。あれはぼくがおかしかったのだろうか。支援者にはそういわれた。ぼくがおかしかったのだと。おまえに歩み寄りの気持ちが足りないのだと。でもぼくは真剣に真面目に全力で全身全霊を込めてやっていたのだ。しかし、その初日というか、唯一働きに出た日だが、そこをしきっているババアは朝いってもそこにいず、アルバイト女性スタッフがぼくにいった。こんな感じでこんな感じのを作ってください、とね。いや、ぼくは大学卒業後まったく社会に出てなかったわけで、こんな感じの資料をつくれといわれても、いや、そりゃあね、見本があればぼくだってエクセルくらい使えるから、作れるんだが、その見本がないので、その指示、つまり「見やすいように作ってくれ」の「見やすいように」というのがどういうものなのかがまったくわからないわけだ。それはこちらの頭の中に知識として入っていないわけだから。そしてぼくに職歴がないというのはわかっているはずなのに、そういうことを要求してくる。それなので、ぼくは自分にとって見やすいように作ったのだが、それはちがうという。だったら見本を見せろと返す。見本はないという。なんだそれは。ここの職場はいままで同じような資料を作ったことがあるだろうに、そういったノウハウの蓄積といったものはないのか。ないという。なんだそれは。もう意味がわからない。そしてぼくは悪者にされた。ぼくは積極的に説明を求めた。人と話すのは苦手だし、さらに人に話しかけるなんてことはほとんどもう中学以来したことがなかったというのに、そのぼくが、そうだ、障害枠ということでやっているのに、そのぼくがやっと話しかけたのに、不完全な情報を断片的にしか与えてくれない。なんなのだこれは。この資料をもとに作ってください、といわれる、だが、作っている途中にその資料が不完全だということがわかる、なので、ぼくはこの資料だけではつくれないので、もっと正確な情報をくれという、そうすると、なぜだかわからないが、いやいや出してくる。意味がわからない。というか、最初からちゃんと資料を用意しておいてくれないと、いちいちこっちが催促しないといけないのか。なんなのだ、この非効率仕事は。指示するなら、完全な指示をしてほしい。こっちは最低賃金でやとわれている、それも障害者枠でやとわれているクズなのだ。そのクズ創造的な仕事をもとめないでもらいたい。わけがからない。これが社会。これが社会。おそろしい。そもそもなんで入って初日のぼくがそこの常識みたいなものを知ってると思っているんだ? あまりにも想像力がなさすぎないか? なんでぼくがそこの常識、たとえばA班とはどこでなにをやっているどういった人間たちの集まりだということ、そういうものをどうして入って初日のぼくが知っているという前提で話が進んでいるんだ。おかしくないか。どう考えたっておかしい。しか支援者はぼくにコミュニケーション能力がなかったせいだなどという。それはちがうだろう。ババアコミュニケーション能力というかもっと大雑把な意味での能力問題だ。管理し指示を出す側の人間がしっかりしているべきじゃないのか、しか障害者枠で、職歴なしで、やっとここで社会復帰のためのちょっとした労働をさせてもらいますみたいな人間に対してなぜ的確な指示を出さないのか、ぼくにはまったく意味がわからない。その職場空気読んでやってねってそんなのわかるわけがないだろう。3ヶ月や半年そこにいればその場の空気ルールというものもわかるだろうが、入って初日に、どうしてそういった超人的な想像力要求されるのだろう。それは理不尽じゃないのか。そしてそれを理不尽と感じるということがぼくの甘えだと論破される。これはおそろしい。思ったよりも、社会は遠いところにある。いったいどうすればいいのか。社会というもの理不尽だとみんな嬉しそうに言う。腐ってやがる。

作業所に行くと、○○さんは高学歴だし、なんでもできるよね、だからどんどん面接受けようぜみたいなことになっている。たしかハローワークでGATBというテストをやったところ、一番高い数値は160近くあったし、ほかもおおむね130を超えていた。向いてる仕事というのがそのテストでわかるらしいのだが、困ったことに、ぼくに向いてない仕事はない! なんだそれは。この役立たずが! なんでもできるということはなにもできないということだ。ひとは制限があるから頑張れる。無限にひらかれていては神秘主義者になって終りだ。

なにもぼくは自分天才だといいたいのではない。東大には受からなかったし、ネットで例のIQテストをやると138しかでない。こんなもの天才でもなんでもない。ちょっと平均より頭の回転が速いだけだ。中途半端、それがぼくに与えられた称号。といいたいのだが、だが、ぼくの顔は中途半端どころではなくどろどろに崩壊していて、もはや人間ではなく、だが、作業所にはダウン症のひとたちもいて、そういうなかにいると、たしかにぼくはそういうひとたちの一部ではいられるのだけど。でも世間はぼくらを人間とはみなしていない。障害者は殺せ! 隔離せよ! という。生きる価値がないという。

ああ、たしかにそうだ。ぼくらには生きる価値なんてない。でもなぜか生きている。みんな死にたいはずだが、でも生きちゃっているものしょうがないのだから、結局生きている。

さて、どうやってこの顔と向き合っていけばいいのだろう。結局ぼくは自己肯定感をもてずにいるわけだ。結局それなのだ自分に生きる価値があるとだれかが、家族以外のだれかが認めてくれれば、それだけできっと見える世界は変わってくるのに。見える世界を変えるためには努力しなければいけない。しか努力方向性がわからない。ぼくは存在のもの否定されている。能力についてなら努力でかえられるだろう。性格についてならある程度の矯正は可能だ。しかしぼくの顔は! どうしたらいいのか。そういうわけで、ぼくはしばらく口をすぼめて生活していたことがあった。口をすぼめることによって、見える顔が多少変わるからだ。ぼくはそれによってマシな顔になったと信じていたのだが、まわりのひとたちはおかしからやめろという。マスクをしていたら、マスクをはずせといわれる。なぜなのか。

露骨容姿差別存在する。容姿差別はなぜか問題にならないが、かなり重大な問題なのではないだろうか。ブサイクだとなぜいけないのだろう。奇形だとなぜいけないのだろう。

破壊衝動に身を任せてはだめ、テロなんてやっちゃだめだからね、と医者にいわれている。たしかにそうだ。もちろんぼくはそんなことできないだろう。せいぜい机をぶったたいて自分骨折するくらいだ。むなしい。でもすべてをぶっこわしてやりたい気持ちはたしか存在する。

2014-08-27

かわいいは正義

よく犬を拾う。

拾った時は飼い主さんが探していないかその場所で1~2時間一緒に待ち、結局飼い主らしき人が見つからなかったら、

動物愛護センター保護している旨の電話連絡をして、保健所にも同様の連絡をして、最寄の交番に届け出る。

交番会計課の人に犬の写真を撮ってもらったら、保護する旨を了承してもらいそのまま動物病院へ。

動物病院ではマイクロチップが入っているかいないかの確認と、体重推定年齢・健康状態を診てもらう。

マイクロチップが入っていればAIPOに照会するんだけど、今まで拾った犬でマイクロチップが入っていた子は一匹しかいない。

健康状態に問題がなければ取り敢えずノミダニ予防を行って、自宅に連れ帰る。

そして体重推定年齢など獣医師から聞いたヒントになりそうな情報を伝えるために、動物愛護センター保健所に再度電話連絡。

ちなみに警察には追加情報の連絡は行わない。

以前それらを伝えたところ「あ、そういう情報はいらないんで」と言われ、「でも飼い主さん照会のときのヒントになりませんか?」

と提案したんだけど、「書く項目がないんで、いいです」と言われてしまったため。

で、あとは飼い主さんが見つかるまで保護し続ける。

脱走などの「迷い犬」は大体1週間以内に飼い主さんから行政に照会があってお家が見つかり解決するんだけど、中には「捨て犬」もいて

そういう子は当然1週間経っても2週間経っても何の連絡もない。

1週間経って行政に照会が入っていない場合は、もしかして捨てられた?という嫌な予感を抱えつつ、探し方を知らない飼い主さんも

いるから…という動物愛護センターの方の言葉を励みにこちから飼い主さんを探す。

保護場所近隣の動物病院グルーミングサロンへの照会と「犬保護してます」的な貼り紙の掲載依頼や犬の散歩をしている方への聞き込みを行う。

併せてSNSで犬を誤って逃がしてしまった人がいないか、探している人がいないかチェックする。

1ヶ月経って飼い主さんが見つからないときは、もう捨て犬色が濃厚になる。

だけど、迷い犬捨て犬は落し物扱いであから、3ヶ月経たないと所有権が私にうつらない。だからどう考えても捨て犬だろ、と思っても

1ヶ月の時点では里親を探すことは出来ない。(これは以前警察から指導されたこと)

から3ヶ月間自宅で保護を続ける。私自身も犬を飼っているけれど、うちの犬はいときメンバー増加・卒業に慣れっこのようだ。

遊び好きの子には積極的にかまいに行き、緊張している子やちょっと人間不信の気が見られる子にはそっと寄り添う。犬同士のコミュニケーション能力すごい。

3ヶ月経ちついに飼い主が現れなかった時は捨て犬認定をして、動物病院健康診断受診後、里親を探す。

これまでに知人への打診はし尽してしまったので近隣動物病院への貼り紙インターネット上での募集を行う。

ボロボロの状態で何日もさ迷っていた子、段ボールに入れられて公衆トイレに捨てられた子、足が3本しかない子、耳が聞こえない子、人間不信の子、基本は懐っこいけど人の手を異常に怖がる子、

クレートに入れられた状態で置き去りにされていた子(ちなみにこの子は火傷をしていて、クレートの中と回りにはロケット花火カスがあった)など、特徴や詳細をちゃんと書いて募集する。

もちろん保護している3ヶ月の間に出来るだけのケアはしているけれど、肉体的ハンデはどうにもならないし、根深い心の傷は多少改善しましたぐらいに持っていけるのがやっとで、里親になった

方には相当の苦労があるだろうから最初から情報開示して、それでもお迎え頂ける方を探す。

でも顔の可愛い子には多数の応募がある。むしろ健康で人懐っこいけど不器量な子にはほとんど応募がなかったり時間がかかったりする。

この間、小型犬でとても器量のいい子の里親募集するに至った。小さくて美人さんだけれど心に傷を持つ子で結構人間不信。私には大分懐いてくれたけど、散歩中など他人に目を

合せられると怖くて脱糞してしまうような子。

の子は色んな人のご協力で元の飼い主さんを探し当てることが出来たのだけれど、ずいぶんと犬の尊厳無視した飼育環境だったようだ。度の行き過ぎた躾と称した暴力もあったみたい。

元の飼い主さんは飼育放棄を表明したのでそのまま私が保護をした。

不憫な目に遭ってきた可哀そうな小さな犬。里親に応募して下さった方はみなさんは言う。

「不憫でどうしても放っておけない」「愛情を知らずに育った子を包んであげたい」「行き場のない犬を引き取りたい」「可哀そうな犬を一匹でも救いたい」

複雑な子でもご理解を頂けて、とてもありがたい事だと思う。皆さん懐が深くて優しいなあと思う。

でも本当に行き場のない子は10歳以上のハイシニアだったり、たくさんの治療費がかかる病気を患っている子だったり、不器量な子なんだよね。特に最後

かわいければそれだけで引く手数多

トイレ成功率も高く、健康で人犬問わず誰にでもフレンドリーでも不器量な子は選んでもらえない。

動物愛護に関心があるんです可哀そうな子を幸せにしてあげたいんです、としきりにおっしゃる方に、保護して里親が決まらないまま1年が経った子もいますよ、と写真を見せると

一瞬引くんだよね。それでやんわりと拒否の姿勢を示してくる。そして私はそれにちょっと傷つく。可哀そうな子を幸せにしてあげたい…ってなんなんだろうなあと思う。

どんな犬でも里親さんが見つからなかった場合は家でお迎えすることも覚悟して保護をしているので、仮に里親さんが見つからなくても動物愛護センターに連れていったりはしないんだけど、

家にも面倒を見れる限界というものがあるので、出来れば多額の治療費必要な重い病気を患っている子や、12、3歳以上の高齢犬をお迎えしたいと思う。

病気を持っている子や高齢の子は「普通の子」に比べて時間も手間もお金もかかるので、里親さんが決まりにくいし、環境の変化に耐えうるだけの体力がなかったりする子もいるので。

から健康で十分家庭犬としてやっていける素質のある子は積極的里親さんを探すのだけれど、顔のかわいい子は難しい心を持っていても、多少高齢でもたくさん応募がある。

だけど、不器量な子にはほとんどお話しはこない。とてもいい子なのに。

「誰かの大切な犬」なれない子。ただ不器量に生まれたばっかりに。

2013-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20070306105010

正直に「かわいいは正義!」と言い切れる男性に対し、女性場合はなかなか建前を崩さない。

「男は女に容姿差別されてるんだよ!女最悪!」ってのは受け取り方が間違っていて、女の建前が不誠実というか小賢しいというか、汚らわしく見えているのでしょう。

正しくは「理性、知性、人間性の問題として俺を批判しているようだが、結局の所、金と容姿次第なんだろ。ダブスタやめろや!」と言いたいのではないかと。

実際には、容姿差別されるのは圧倒的に女性ですよ。あと年齢ね。だからこそ建前が発達するんだろうけど。

で、書き出しに戻って人類の滅亡までループします。

2013-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20130208082536

こいつのトラバ

「応援」を「性的対象として見た時に支持するかしないか」と書き換えると

異様にしっくり意味が通って怖い

追記:

何だか誤読されたっぽいん

実際に書き換えて追記しておく

紛らわしくてすまんね

これは大間違い。

かわいいは正義。美形の言うことが正しい。

からこそ昔っからスタンダード物語では二枚目が主役張ってたわけで。見た目が発するメッセージってのは、ものすごく大きい。

設定上おばさんである必要があったとしても、ビジュアル的におばさんだと性的対象として見た時に支持されにくい。

たぶん、おばさんには「おばさんらしい綺麗さ」みたいなものが共通認識としてないからだと思う。

少年には少年らしい理想的なビジュアルがあって、おっさんにはおっさんらしい理想的なビジュアルがあるのに対して、

おばさんにはおばさんとしての理想形がなく、若作りして少女理想形に寄せるしかない状況だと思うのな。

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