『タラレバ』に『人は見た目〜』など、『逃げ恥』なんてクソ食らえってドラマが続く。
ぶっちゃけ世の女性にかけられた、ゆりちゃんが解こうとした呪いはあまりに強力で、たかだか1クール程度で消え去るものじゃないしな。
結局人は見た目が100パーセントなんだ。
年齢、化粧、体型、ファッション。
自分がどれだけ人を見た目で判断していたか、最近あることがきっかけで気付かされた。
ひまだったら読んでくれ。
きっかけは、友人(男)に「絶対合うから」って紹介されて渋々ある人に会ったことなんだけど。
が、そいつに「彼氏ほしい」なんて言ったことないし、なんでかごり押しされて心底意味わかんねーって思ってた。
けど、実際会ってみたら普通に「いい人」だった。
価値観も似てるし、性格もいいし、少しでも惹かれたことは認める。
が、彼はファッションに興味がなかった。
会った当日もグリーンレーベルで揃えた、みたいな無難な格好だった。
片や増田は春用にと買っておいた花の刺繍のブラウスにお気に入りの帽子なんてかぶっちゃって、
並んで歩くと、お互いがお互いの服のせいで浮くっていう不思議で最悪な状況ができあがった。
この時、一瞬だけタラレバの倫子と同じことしてないか自分って思ったんだ。
けどな、もう一人の自分が言うんだよ。
「お前は吉高由里子じゃないし、脚本家でもないし、そもそもKEYくんなんていねーのわかってっだろ」って。
(すぐにドラマと自分の人生重ねようとする癖いい加減やめたい)
話を元に戻す。
私は友人たちがどんな服を着ていても気にしない。
派手だろうが地味だろうが奇抜だろうが無難だろうが、みんな自分の好きな服を着ればいい。
自分が魅力に思っているのは中身だし。
そう思ってた。
けど、違った。
そもそも、自分の周りにはおしゃれに興味がある/気を使う人しかいなかったことに気がついた。
全身Supremeのスケボー馬鹿だったり、スニーカーオタクだったり、『ポパイ』の熱狂的信者(地方都市出身)だったり。
あと、たとえ最初ダサくても、おしゃれな人たちと一緒にいれば必然的におしゃれになるもんだと思う。
(※ただしその人たちと一緒にいたいと思った場合に限る)
おしゃれっていうのは進化なのかもしれない。
おしゃれな人っていうのは、色、丈、TPOとかの絶妙なバランスを汲み取れる人のことだと思う。
あることを知ってしまったら、もう知らなかった状態には戻れないように、
そのバランス感覚を身につけたら、もうダサい状態には戻れない。
そうやってダサい人がおしゃれになっていくのをたくさん見てきた。
もう一つ気がついたことがある。
おしゃれな人に面と向かって「おしゃれですね」って言わないし、頭いい人に「頭いいですね」とは言わない。
それ言われるってことは、たぶん「あなたとはそれ以外話すことがないんです」って言われてるのと同義だと思う。
(けど「かわいい」とかは言うね。「かわいいは正義」だもんね)
申し訳程度に彼は服を褒めてくれたけど、「いやおま絶対思ってないだろ」って顔で言われた。
たしかにいい人だったけど、自分は向こうにあわせて無難な格好しようとは思わないし、向こうをおしゃれにしようとも思わない。
つまり、向こうの色に染まりたい/こっちの色に染めたいと思うほど、好きにはなれなかったわけだ。
わがままかもしれないけど、恋人として自分の隣を歩くのは、間違ってもチャオパニックで買ったボーダーのロンTを着る人ではない。
(グリーンレーベルとか無難なブランドは、自分にとっては逆に地雷だったりするんだと学んだ)
友人は私がファッション好きだって知っていたはずなのに、なんでファッションに興味ない男なんてしょうかいしてきたんだろう。
(まあ同性でも「そいつが選ばなかった人」って思うと「んー」とはおもうけど…)
追記:
それは「人を見た目で判断している」と言うより 「人は同類同士でつるむ」「趣味嗜好が合わない人とは付き合えない」ってだけじゃなかろうか
「自分は見た目だけで人を判断してます」がなぜ「人は見た目が100パーセント」というタイトルになるのか理解できない
その人に似合っていたら別にいい。 色彩感覚だけは、譲れないけど。 彼氏がお洒落すぎて、わたしの大好きなワンピースけなされたから、悔しいw
君の瞳は1万ボルト http://anond.hatelabo.jp/20170331162845