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2022-11-03

ちんぽはしゃぶられるより、しゃぶる人間になりなさい

マザーテレサ珠玉名言集より

2022-10-30

将棋は次の100年へ進めるのか

将棋は崇高な文化である棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負けが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味将棋同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこからまれ珠玉棋譜に魅入られたもの達が価値見出し、やがて国が誇る文化ひとつとして昇華した。

…したはずだった。

人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである

世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである

棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。

昔は新聞テレビ国民情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマン専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父父親文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞将棋の強い親となり、国営放送積極的であった。そういう時代があった。

人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。

あれから随分と時が経った。新聞テレビだけで満足する時代は終わった。家長けが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディア父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士存在は、意義を問われることとなる。

新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生放映権を売った。

どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるとき道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主地球侵略しに来たことによって、それは加速された。

メシアAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革意味していた。向上しようとするもの必死に縋り付くもの諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。

そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。

繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。

ひとつひとつの力は小さいが、集まれ世論をも左右するファンダムコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。

滅ぶのはファンダムコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。

ファンダム集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的倫理観のある発言ではないからだ。

文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体一般市民人生必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。

将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。

将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。

身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士存在自分将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。

どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダム暴走することも、形勢を有利にはしない。

匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、

会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。

大学生20歳で女で初段免除待ちだ。

棋士40歳で男で七段だ。

経営者で60歳で男で町道場三段だ。

主婦で50歳で女で駒の動きしか知らない。

この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化からだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)

何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい

将棋を次の100年へ。

それぞれが考慮する時間だ。

2022-10-27

anond:20221026194833

有名コスプレイヤー 月に一度の危険日中出しオフ会 まり

このシリーズ基本的微妙なんだけど、これだけは良かった。

キモいおっさんオタクの竿役がみんな楽しそうだし、女優も「キモい(笑)」とか言いながらノリノリででコスプレSEXしてくれる。優しい世界に浸れる珠玉の1本だよ。

2022-10-17

anond:20221017102215

アニメうる星やつらって、クソエソードも沢山あるんだけど

語られるのは面白くて何度も見返したエピソードとか、自分が気に入ったワンカットとか、そういう話なんだよな

新旧比較されるとして、5年放映した作品珠玉の部分と、細かいところが比較されるだろ

同じようなクソな部分は旧作にもあったよなとか語られずに

2022-05-10

エロ画像保存フォルダを全削除した

下記のまとめを見て思い出した。

本棚を見た学生から先生、これ全部読んだんですか?」と聞かれるが案外重要な問いだと思うのでこう答えている - Togetter

https://togetter.com/li/1884182

先日HDDの整理をしていたら、自分でも完全に忘れていた「秘蔵画像フォルダ」を発見

数千枚もある中身を見れば、「ああそういえばこんな画像も保存したような気がするな…」というくらいの記憶

当然「実用的」で自分の好みのものばかり珠玉ラインナップなのだが、結局一度も「使って」いない。

そもそも存在すら忘れていたのだから使うわけがない。

動画だってそう。せっせとダウンロード保存したものなんかほとんど観ることはなく、FANZAストリーミングが便利だからそっちばかり。物理円盤なんか論外。

ネットに触れたことによって始めた習慣が、ネット進化によって既に廃れているというスピード感

以前、HDD故障によって「お宝動画ドライブ」が丸ごとサルベージ不可になって悲嘆に暮れたことがあったが、今になって思えばあんSD画質以下の粗い動画リアルプレイヤーファイルとか)なんていまさら見るわけないので、全部消えても特に支障ないのだった。

そういうわけで、全て削除してスッキリした。

今後もあらゆるものにおいて収集癖を出さぬよう、気をつけたい。

2022-03-30

スラムダンク大人になったら「モテ男必至の人物」3選

スラムダンク大人になったら「モテ男必至の人物」3選 本当にモテるのは流川でも仙道でもない…!?

2022.03.30

スラムダンク大人になったら「モテ男必至の人物」3選 本当にモテるのは流川でも仙道でもない…!?の画像

画像は『SLAM DUNK 完全版』(集英社)第11巻・書影より

 90年代の『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載され、少年少女たちの心を熱くさせた井上雄彦氏の『SLAM DUNK(スラムダンク)』。言わずと知れた珠玉の名作だ。

 ところで『SLAM DUNK』といえば、アイドル級のモテ男たちがたびたび登場するのも見どころのひとつ。湘北の流川を筆頭に、山王工業の沢北、陵南の仙道など、女子たちの黄色い歓声を浴びまくるエースたちに憧れた読者は多いはずだ。

 たしかに彼らはそれぞれ類稀なる才能を持った魅力的な人物である。ただし、それはバスケットにおいては……の話。年を重ねてみると、女性男性を見る視点も変わってくるものだ。

 そこで今回は『SLAM DUNK』の登場人物で、大人になったらモテ男になるであろう人物勝手ながらお届けしたいと思う。

海南大附属高校「神 宗一郎」

 まずはじめに“モテ男認定”をしたいのが、海南大附属の長身スリーポイントシューター「神 宗一郎」。

 湘北の赤木、陵南の魚住、同じ海南大附属の牧、山王河田など、ごついゴリラ顔or渋いおじさん顔の登場人物が多い中、神の繊細なルックスには単純にひかれるものがある。そして189センチ、71キロのすらりとしたモデル体型は、細マッチョ好きの女性にはたまらない。

 しかし、神がモテるであろう理由は外見だけではない。もともとセンター志望で海南大附属に入部した神。ひょろひょろとした体型のため、体格の良い牧や高砂などのチームメイトにふっとばされる日々が続き、高頭監督からセンターはとうていムリ」と指摘されてしまう。

 高校生には酷な言葉だ。しかし、その日から神は1日500本のシューティング練習を欠かさず努力し、押しも押されぬ全国レベルの名シューターに成長する。

 穏やかな容姿から想像もできない内に秘めた闘志と粘り強さ。困難があっても即座に対応できる決断力。相手チームを分析する冷静な洞察力。後輩の清田をかわいがる面倒見の良い先輩感。実際にこんな男性がいたら、女性が放っておくはずがない。

湘北高校「木暮 公延」

メガネくん”と桜木花道から慕われる湘北の副キャプテン木暮公延は、ルックスバスケットスキルにおいても、正直、主役になれる存在ではない。だが、実は『SLAM DUNK』の陰の立役者であり、誰より大人の男だと筆者は考える。

 流川桜木など、優れた才能を持つ後輩たちにいずれポジションを取られることが分かっていながらも「湘北は強くなる」と、チームのためを思って成長を喜べる器の大きさ。いつでも優しく親身になって後輩に指導を行う姿。また、キャプテン赤木を根っからポジティブさで支え続ける忍耐力。湘北バスケ部を潰しに来た不良の三井に向かって「根性なしのくせに何が全国制覇だ…」と、物怖じせずに言い放つ勇気も持っている。

 そして、忘れてはいけないのが、インターハイ出場がかかった最後試合「湘北vs陵南戦」での活躍大事局面で、きっちりスリーポイントを決める勝負強さもあるのだ。木暮が個人練習をしている風景はあまり描写されていないが、毎日コツコツと練習してきたからこそ、大一番で力を発揮できたことが想像できる。

 さらには、部活に没頭しながらも成績優秀。とにかくデキる男なのだ社会人になった木暮の姿を、ぜひとも見てみたい。

■翔陽高校「藤真 健司」

 最後は、翔陽の選手監督である藤真健司を紹介したい。強豪・翔陽の歴史の中で唯一1年生の時からスタメンエースの座に君臨する実力、さらさらヘアーで童顔の甘いルックスなど、もともと十分に女心をくすぐるポイントを持っている藤真。

 そんな彼の最大のモテ要素は、エースであり監督という重責を担った、デキる男ぶりだろう。どのような経緯で翔陽の監督になったのか具体的には描かれていないが、専任監督がいないからこそ、やむを得ず監督の大任を引き受けたのかもしれない。

 エース監督という特別感。普通だったら、同世代からのやっかみがあってもおかしくない。しかし、藤真が試合に出場するだけで、花形をはじめ大柄な選手たちが一気にまとまり、チームの士気が上がる。

 さらに、翔陽の男子部員たちが藤真のプレイに熱い声援を送り、一生懸命応援をしている姿を見る限り、同性から絶大な信頼を得ていることが分かる。これは偏見かもしれないが、たとえば山王工業の沢北のように実力はあってもナルシスト気質だと、同性からはあまり好かれない気もする。彦一の姉、相田弥生が藤真に対して目をハートにしていたが、そのあたり彼はまさしく「要チェック」な存在なのだ

 学生時代スポーツのできる身体能力が高い男子に惚れる女子は多い。しかし、大人になってみると、やはり内面の良さがモテにつながるのは必至だ。今あらためて『SLAM DUNK』を読み返したら、昔とは違ったキャラクターが気になってくるかもしれない。


完全にこの人の趣味で草

2022-03-04

発売日にいそいそと買って読んだBLと、がんばって少しずつ読んでる非BL

ボーイズラブアンソロジー Canna』vol.82

 偶数月の末日頃発売。電子版は基本的に翌月の10前後に発売なのだが、今回は4日発売と、いつもより早かった。今回も私の推し作家・座裏屋蘭丸先生はお休みだ。ひぃん。しかし『Daria』で連載中の『コヨーテ』が佳境なので仕方ない……。再来月まで待てがんばる……。

 そして今回は前号で最終回を迎えた、『 鴆(ジェン)  天狼の目』(文善やよひ)の記念特集が紙本版にはドドンと入っているはずなのだが、電子版には文善やよひ先生コメントまでひっくるめて一切掲載されていない。悲しい。なんでそんなに電子派を冷遇するの……。Canna公式Twitterによれば、特集記事のほかに各鴆シリーズの第1話も一挙再掲載されているらしい。

  鴆シリーズ獣人鳥人ものという、BLの中でも特殊ジャンルではあるけれども、とても漫画の上手な作家さんの描いた漫画で読みやすいので、BL初心者ジャンル不問で漫画好きの人におすすめ個人的に好きかと問われると、微妙なのだが……(単純な好みの問題)。

 ということで、 鴆特集電子派の私には読めないので、それ以外の掲載作の感想をば。


ブランクコード』第1話(サノアサヒ)

 新連載きた! バンドマンBL主人公性的トラウマ持ちでしか感性が周囲とズレていて浮きまくる系の人。ゆえにすっかりメンヘラに成長しており、おそらく攻めであろうバンド仲間(ベース担当)に面倒を見られてなんとか生きてる感じ。

 1話目なのでなんとも言えないが、バンドマンBLというと『ギヴン』という超人作品存在がよぎるので、チャレンジャーだなと。


『ヤクマン♂』(アオネ)

 去年の暮れ辺りに完結した『ヤクヨメ♂』のスピンオフ作品。ヤクヨメ♂の攻め・いわおの子分的な人のツレが主人公タイトル主人公職業漫画であるためにバクマンみたいになったようだが、かといって主人公ちゃん漫画稼業に励んでいる描写があるわけではない。カップリングが替わってもなお、作者の例のあの性癖てんこ盛りに盛った内容である。まあ幸せそうでなにより♂♂♂

『さかさまのマーチ』(柴田文)

 読み切りパン屋×米屋幼なじみBLエロはない。ピュアラブ系。絵柄が『この世界の片隅に』のこうの史代先生的なふんわり系で、ストーリーにも尖ったところはない。最初から最後まで可愛くほわほわしていた。たぶん、二次創作しかBLを知らない人の漠然と思う「BLってこんな感じ」に近いんじゃないかと。なごむ。


逃避行じゃあるまいし』中編(タクアン)

 逃げる相手を追うのが好きな男×逃げ癖のある男。あ、攻め受けこれで合ってるかな?

 前編から間が空いてしまったので、どんな話だったっけな……。出来れば短い話は毎回掲載されるといいんだけど、BL読みにおいては短気は損気だ。

 絵柄がリアル寄りでがっつりと大人の男同士のゲイものって感じ。

 フラッととんずらをこく方もこく方もだが、昔とった杵柄とコネ相手の居場所特定してくる奴もだいぶヤベェ。もはや犯罪だし。でも追う方からターゲットはびびりながらもちょっと嬉しそうに見えたらしい。うん、それって幻覚じゃないかな。



『積み木の恋』第3話(漫画 黒沢要/原作 凪良ゆう)

 今となっては一般ジャンルでも大人小説家BL小説家でもある凪良ゆう先生の人気作品コミカライズ版。世間知らずの坊っちゃん医者×詐欺師

 毎度思うけど、凪良ゆう先生小説は大部分が心理描写に費やされているし、分かりやすくてノリのいい文体が魅力なので、それを絵で見せられてもなぁ……という感じ。いくら上手い絵でも。凪良ゆう先生小説が好きだが『積み木の恋』は未読の私としては、ただ原作を読みたくなるだけ。凪良ゆう先生を全く知らない人が読んだらどう思うだろうな? 一読してスルーかな。

 まあ、コミカライズ担当漫画家が悪いんじゃなくて、いくら出版不況小説が売れないからってこんな企画立てちゃう編集部がよくないんだ。

 

『 鴆(ジェン)』特集は冒頭に書いた通り電子版には載っていないので、省く。

侵略! 宇宙猫チャン!』第7話(元ハルヒラ)

 ゲイカップル・いまぢとほづつみの家に猫に擬態した宇宙人のサンが転がり込んできて、地球侵略の為の情報を得るためにいまぢとほづつみの暮らしを観察しているという話。

 痴話喧嘩回。今回はサンの出番が多くてよかった。自転車をこぐいまぢの後頭部に貼り付いているサンの後ろ足がとってもキュートサンは中身が宇宙人なだけあって人の心を解さないかと思いきや、人間の夜の営みをガン見で観察した結果、恋愛アドバイスができるまでに成長してしまった。すごい猫だ。釈迦に説法感のあるアドバイスだったけれど。

 ラストの引きが強い。これは続きが気になるぞ……。


『ジャルディニエの愛した毒花』第14話(椛島リラコ)

 旅人×猫耳獣人旅人のオルは癖の強い城塞都市国に入国するなり引ったくりに遭い、無一文身元不明人になってしまう。なり行きで働くことになった、猫耳獣人ばかり売っている娼館で、美しい娼夫アコニと出逢う。

 ハーレクインのような美麗な絵とストーリーしかBLである意味がもはやなくないか? というほどに娼夫達の見た目が女性的。

 今回はあまりストーリーに進展がなかったな……。オルが重大な決断をしただけで(それが「進展」というやつなのでは?)


BLACK BLOOD』第7話(琥狗ハヤテ

 サイボーグ×人間酸素濃度のやたら高い星に来た元軍用サイボーグが、植物調査研究をしている人間の護衛だかお守りだかを担当する話。

 もはやハードボイルド可能性はすっかり消し飛んでしまった……。人の心を薄くしか持っていないサイボーグが、ワンコキャラ人間に恋してしまい、誰が見てもほわほわと浮わついているという話。これは温かく見守るしかない……。正直、もっと渋いのを期待してたのだが。山なしオチなし意味なし略して「やおい」まさにこれ。


『嘘つきな愛を買う』第6話(ポケラふじ子)

 オメガバース作品政略結婚人身売買中間みたいなカップルなんだけど、買った方の攻めは受けの事を好きなわりに受けの愛を信頼してはおらず、買われた受けの方は実は真っ直ぐ攻めを愛している。猜疑心故に素直になれない攻めと、惚れた弱みで腹を割って話すことが出来ずに攻めの顔色をびくびく窺い続ける受けの、ディスコミュニケーションぶりが、読んでて非常に辛い。

 現代的な人権意識家庭内の前時代的な価値観による閉塞感のギャップえげつない。ていうかこれ完全にDVじゃん。受けの人全力で逃げて!

 ……と思うんだけど、逃げねんだよなぁー。それでも攻めを愛してるからってよー。

 そんな古風なストーリーなんだけど、今回は実在の最新型避妊薬「インプラノン」が登場する。えっこれもう認可されてたっけ? と思わずググってしまった。マッチ棒くらいの長さの筒の中にホルモン薬の仕込まれ避妊薬で、二の腕の皮下に埋める。三年くらい避妊効果が続く。飲み忘れリスクがないので、99%くらいの確率避妊効果があるそうだ。

 そんな文明の利器を受けの人は良かれと思って攻めの人と相談せずに独断使用してしまう。そしてそれが新たな修羅場を生む。

 あのさぁ、そんだけの行動力があるなら事前に攻めの人とよく話し合おうよ。とも思うけど、攻めは攻めで支配欲と嫉妬の塊で受けとの約束をあっさり覆してくるやつなので、話し合ったところで受けにとって良いような流れには、ならないんだなあ。

 今時こういうストーリーはただ只管に辛いばかりなのだが、このギチギチに古風なDVカップルがどのように軟着陸するのか(Cannaからバドエンではない、と信じたい)、興味はある。

スリピングデッド』第9話(朝田ねむい)

 『嘘つきな愛を買う』のDVカップルでがっつりテンションを落とされた後で、今度は陽気に? サバサバしたディスコミュニケーションカップルのやつですよ。ゾンビ佐田×マッドサイエンティスト間宮日常BL

 前回、一泊温泉旅行(+一泊)にて、恋バナで盛り上がった佐田間宮佐田の独特な恋愛観……実は世間一般でいう所の恋愛というもののべたべたしているところが苦手で、それよりセックスの出来る友達くらいの距離感で人と付き合えるといいなと思ってる(間宮と付き合いたいとはミリも言っていない)……を聴いた間宮は、じゃあセックスしよう(もう友達から)と提案(という名の強制)をしてきて、佐田ピンチ

 『スリピングデッド』上巻のレビューには「受けの間宮がだいぶ無理。これで萌えろと言われても」的なことが書かれていがちなのだが、主人公佐田にとっても間宮はかなり無理だったというのには笑った。正直に「たぶん無理……」と言ってしまBLの攻め様ってどうなのw

 そんな佐田に好かれようと一生懸命間宮がとても可愛かった。まだ3月なのに可愛い受けオブ・ザ・イヤーが来てしまったぞ大変だ。思いがけない佐田の行動にびびった時の間宮が、死ぬほど驚き怯えた時のハムスターみたいに両手を胸の前で縮こめて目を見開く姿が可愛くて可愛くて可愛くて可愛い

 一方、佐田はといえば間宮がツンツンしまくりながら無茶な要求暴言暴挙をぶつけてくるのに案外律儀に応える体でいて、最終的には首尾よく間宮丸め込んでちゃっかり自分の身を守り切るところが、学校先生って感じだった。お前そういうとこやぞ……。

 もはやゾンビ物とは? って感じのストーリーで今回は特に息抜き回色が強かったが、次回からはどう話が転がって行くのだろうか。ずっと間宮純愛ネタばかり描かれる訳じゃないだろうし。もうすでに単行本1冊ぶんくらいの分量は書かれたわけだし。既刊が「1巻」ではなく「上巻」なので、あと1、2話で完結して下巻が出るか、1回くらい休載して中巻が出るかかな。

 男同士でがっつりド派手に致しているところが見たい人には物足りないんだろうけど、大人恋愛漫画としてとても面白いので私は好きだな。

以上でCannavol.82の感想はおわり。



長野まゆみ偏愛耽美作品集』(長野まゆみ編)

概要

 耽美SF少年愛BL小説家長野まゆみ先生が十代の頃に心ふるわせた珠玉小説随筆詩歌のなかから耽美入門に相応しい全26作を精選。全作品長野先生コメント付き。巻末に解説もあり。


 目次を見渡すと錚々たる顔ぶれに眩暈がするけど、幻想文学好きは必ず履修する作家ばかりだ。

 が、私は現代幻想小説はわりと好きなんだけど(長野まゆみ先生のほか、川上弘美先生金子先生今村夏子先生とか)、明治昭和前期の幻想小説はあまり得意ではないんだよなあ。三島由紀夫は『潮騒しか読んだ覚えがなかったし、泉鏡花戯曲海神別荘』しか読んでいないという体たらく。なお内田百閒は開始十行で寝落ちした。

 そんな私が、いくら長野先生ファンからって、本作品集を買っても最後まで読み切れるのか、甚だ疑問だ……。

 では、頑張って読めたぶんだけ。

孔雀』(三島由紀夫

 トップバッターからパンチの利いた人選でやばい

 遊園地で二十七羽ものインド孔雀が殺される事件があって、その重要参考人富岡の家に刑事が訪れる。富岡はただ前日に公園孔雀達を長時間眺めていたというだけで犯人ではなさそう。だが富岡家の応接間の異様さと、壁にかけられた美少年写真のことが、気になってしま刑事だった。


 冒頭を数行読んで、長野まゆみ先生文体がよく似ていることに驚いた。もしも著者名を伏せられたまま読んでいたら、長野先生が書いたものかと容易く信じそう。文体が似るほど三島由紀夫に影響を受けていたとは。『潮騒』を読んだ時は、似てるとは思わなかったけどなぁ。

 かつては美少年だったことを誰にも信じて貰えないほどに老いた男が、孔雀の羽の輝きに魅せられる。(孔雀の羽の色は色素で染まったものではなく、羽の構造が光を反射したものなので、永久劣化しないのだ。)何者かの起こした事件により、孔雀の美を完成させるには死が不可欠だと気づいた男は、自分こそが事件犯人ではないのかと妄想をし始める。

 ラストシーンは男の美への執念が具現化したみたいでぞくりとした。

『蔵の中』(横溝正史

 雑誌象徴』の編集長・磯貝が出勤すると、先ほどまた蕗谷から電話があったという。蕗谷というのは筆書きの原稿を持ち込んだ美少年だ。日頃からどんな無名作家の書いた作品でも必ず目を通すことにしている磯貝は、さっそく蕗谷の小説『蔵の中』を読み始めた。

 冒頭は蕗谷の自伝風で、亡き姉との思い出を書き綴ったものであった。だが、姉の死後に蔵の中に独り引きこもるようになった主人公とある楽しみを見出だした場面から物語は思わぬ展開に……。


 『偏愛耽美作品集』のどこら辺が「偏愛」なのかといえば、美少年が登場するものばかりをピックアップしているところで。さすが長野先生なだけあって。

 無名作家小説『蔵の中』と現実出来事交錯し、やがて殺人事件真相を描いてゆく、と見せかけて……。という現実虚構入れ子状になっていてしかもその境界曖昧な感じ。長野まゆみ先生の『左近の桜』に受け継がれているよなぁ。

 蕗谷が女装にハマって鏡の前で表情を作るシーンがとくに印象に残った。

美少年』(岡本かの子

 山の手に生まれ育った令嬢のとく子は、眼病の治療のために下町病院へと入院する。その病院の近所には時春という下町っ子でぽっちゃりめの美少年が住んでいて、しばしばとく子を遊びに連れ出すのだった。

 縁日の夕にも時春はとく子を呼び出し、つれ回した。あまりの美しさにどこへ行ってもモテモテで人気者の時春がわざわざとく子を連れ回す理由は見栄のためと、とく子は見抜いていた。とく子の令嬢然とした着物姿を見せびらかすために時春は彼女の手を引くのだと。そこに本心からの労りや思い遣りはない。

 時春はとく子を火事現場の跡地に連れ込んだ。「君にほんとうのことを聴いて貰う」と時春は言うが……。


 顔が美しいのが唯一の美点の少年。美しい顔はそのままで素顔ではなく見栄の一部となってしまい、その口から出てくる言葉の全てが人の気を惹くための嘘っぽくなる。美しい顔というのは実は醜い顔と同じく異形の一つなのだ

 時春の見栄っ張りを女の子の目敏さで見抜いてしまうとく子だが、時春の美貌の下に隠れた本当の孤独の寂しさには触れようとしない。そんな憐れな話。

 ラストシーンで、時春の本心ちゃんととく子が見抜いていたというのが明かされるのが切ない。なんかこれじゃ、時春死んじゃってよかったみたいじゃん……。



はぁ、まだあと23作品もある……。これを私はあと何百年後に読み終わるんだろうか。しか岡本かの子の次は泉鏡花だし。開始数行でうっ、苦手かも……と思い、もう数日放置している。

2022-01-26

anond:20220126161900

トップページで見かけてから20分かけて生み出した珠玉の一行レスかもしれないじゃないか

2022-01-01

おみくじは、「大吉」かどうかが重要じゃないぞ。

あけましておめでとう

皆々が我に詣でた後、おみくじを引く光景を見ていつも不思議に思うんだが、

箱をジャラジャラ振ってリズムを取りつつ、我に向かって必死に「♪大吉がっ♪出ますっ♪ようにっ」と願う奴が居る。

あれは、全くもって何の意味があるのかのぅ。

もちろん、我に「一年幸せ」や「無病息災」を願うのはよくわかる。

しかし、「大吉」を願うなんてどうかしとるぞ。「大吉」かどうかは、そなたの性根を見て我が判断することじゃ。

例えば、占い師に「良い運勢出してくださいよ」と言って得られた結果に、そなたは信頼を置けるのかのう。

いや仮に、その場のちょっとの願いで運勢が変わり、思い通りの「大吉」を得られたとしてどうなるんじゃ。

そんなボラティリティを持つ結果であれば、例えば帰り道で容易に「大凶」に変わり、犬の糞でも踏みそうなもんじゃろう。

(「なーに、ウンがつく」ってか。やかましいわ。)

それに、「大吉」が出て喜ぶ奴もいまいちわからんのう。まあ、皆々の喜ぶ様子は見ていて悪い気はせぬものの。

そもそもおみくじとは運勢を測るリトマス試験紙みたいなものなんじゃから、嬉しいも何も無いじゃろう。

その人に「大吉」が出るのは、その人が既に大吉に値する運勢を持っているから出るだけのこと。

から見れば、くじを引く前から結果は決まっている。

宝くじのような偶然で出てくるのはない。偶然で結果が変わるのであれば、我の居る意味が無いじゃろう。

我の存在に関わることなので、二度繰り返すことにする。おみくじの結果は偶然ではなく、我の力じゃ。

から宝くじの当たりみたいに嬉しがられると、我は不思議気持ちとなる。当たり前のことになぜ喜ぶのかと。

それはあたかも、レモン汁にリトマス試験紙を入れて赤くなったと喜んでるかのように見える。中学生か。

それより、「大吉」だの書かれた運勢の下にある我の記したエッセイをしっかり読んでもらいたいももんじゃ

大吉」かどうかは我の頭にビビときてパパっと答えられる簡単お仕事だが、

エッセイの部分は我が1年かけて必死に考えた珠玉の品々なんじゃからな。毎年考えるのも大変なことよ。

から、そのエッセイを読んで欲しいがために、エッセイ通りの一年を送ると、運勢以上の幸せが得られるようになっているぞ。

ちなみに、それらしいことを言っておくと、そのエッセイ毎日生活の参考にして初めて、その「大吉」という運勢末長く成立するわけじゃ。

その点では、おみくじなども世の中の啓発書のひとつだと考えるとよろしい。

行動を変えるきっかけとして、現在運勢を表示しているだけに過ぎぬ。おみくじと啓発書の違いはそれだけじゃ。

おみくじの書かれている運勢も、生活習慣病の指導をする際に血圧の値を示すようなもので、

別に血圧の値が重要なわけではない。だから、先に述べたとおり「大吉」を喜ぶ必要はないわけじゃ。

から、「大吉」をただ有り難がって引き出しにしまっておくだけでは何の意味も無い。

まり、我のエッセイを何度も繰り返ししっかり読むのじゃ。

そんなわけで、我の啓発書兼エッセイ重要性を力説したところで、この男もすなる増田というものを終えることとしよう。

それでは、よいお年を…始めてくだされ。

2021-10-27

意味が分かると泣ける珠玉名曲槇原敬之わさび

2021年10月25日に先行配信が開始され今日CDが発売される、槇原敬之の復帰作『宜候(ようそろ)』。

引用という形式ですが、考察として歌詞を書き起こしている都合上、このエントリはすぐ消します。)

こんな素敵な曲なのにネット上でも思ったより反応が薄いのが驚いている。

一方で、仕事中にもかかわらず号泣してしまうほど刺さってる人も居る。俺のことや。

歌詞提供しているのは、尾崎豊村下孝蔵玉置浩二浜田省吾プロデュースしている音楽プロデューサー須藤晃。

説得力のある歌詞歌唱力で人々を魅了してきた。

槇原敬之わさび

https://www.youtube.com/watch?v=vjyQTWT-Oe8

マッキーの静かに語りかけるような独唱

歌詞が伝わりやすいよう、敢えて伴奏ピアノだけという最小限のスタイル

まずは何も言わず配信サービスで聴いてくれ。冒頭35秒だけでいい。

話はそれからだ。

https://ssm.lnk.to/Yosoro

ジョジョを読んだことがない者は幸いである。

これから読むことができるから。」 ーー詠み人知らず

同様に、まだこの曲を聴いたことのないみなさんも幸いである。

私は普段歌詞考察歌詞解説といった野暮なことは一切しない。

その作品出会った際に各々が感じた時のフィーリング気づきこそが宝物だと思っているからだ。

たとえ善意でも、ネタバレによって公式意図と違う形で聴き手に伝わってしまうのはファンとして本意ではない。

ましてや、私個人解釈というフィルターを通すと全く違った風景で見えてしまうだろう。

説明しよう!」と割り込む人は、その作品に邂逅した時の感動を減らし自論を押し付けしまうことになるかもしれない。(本稿の私のことである。)

例えば、誰かがジョーク飛ばして周りが笑ってるのに

「今のは何が面白かったの?」と解説を求めると白けてしまうだろう。

しかしたら自分の前では二度とジョークを言ってくれないかもしれない。

自分の頭や感覚理解することに意味があるのだ。

ガルパンおじさんが「ガルパンはいいぞ」としか言わないのは、単に語彙力が足りないからだと思っていた。

しかし、実際に観てみるとそういった優しさからだったのだと今なら分かる。ガルパンはいいぞ。

だが、この忙しい現代社会

皮肉なことに、日々の仕事や家庭生活真剣に向き合う人ほど

こういった曲のテーマが届かないものである

また、曲の背景に想いを馳せるためには少しばかり教養必要となる。

なので、歌詞考察一助となれば増田冥利に尽きる。

(YOASOBI「夜に駆ける」の原作小説タナトスの誘惑」を読んで納得して

感銘を受けるタイプ歌詞考察厨はぜひ聴いてほしい。)

以下、歌詞引用

ネタバレ厳禁な方はここでブラウザバック推奨。

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「どちら様かは存じませんが

そのサングラスやめなさい

悪い輩(やから)に見えたら損よ

その目を私に見せなさい」

ばあちゃん 俺に微笑みかけて

かすれた声で叱ったよ

出会いと別れを 繰り返し

「もう慣れたわよ」と言ったけど

「やっぱり一人は つらいか

誰かの傍にいなさいね

ばあちゃん遠くの空を見て

さな声でつぶやいた

「夢なんて叶わぬうちが花だけど

かに明日を待ちなさい

待ってるだけでは駄目だから

行きたい場所を目指しなさい」

「橋の袂で声かけられて

いかんざし褒められた

あの日の私が一番綺麗

忘れられない思い出よ」

ばあちゃんはにかみ謝った

「ごめんなさいね こんな話」

「毛皮も指輪も 押し入れの中

どこに置いたか 忘れたわ

一度ハワイに 連れてってくれ

息子に頼んでみたけれど

伊勢神宮さえ 行けなくて

膝が悪くて 行けなくて」

「先頭に立たないように気を付けて

争いごとは やめなさい

じゃんけんぽんは あいこでしょ

いつまでたっても あいこでしょ

「今度訪ねてくれるなら

土産にお寿司を持ってきて

どちら様かは存じませんが

これも何かの縁でしょう

白身の魚に烏賊と蛸

わさびを抜いてくださいね

人生は思うようにはなりません

それでも希望を持ちなさい

神様なんていないけど

わたしはずっとわたしでしょ

変わっていくものを嘆くより

変わらぬものを愛しなさい

笑う門には福来る

あなたはずっとあなたでしょ

あなたはずっとあなたでしょ」


-------------------------

さて、以降は2回以上聴いた人に読んでもらいたい。

答え合わせをしましょう。(抜け・漏れ解釈違いがたくさんあるはずなので、どうかコメントで補足お願いします。)

歌詞の大部分が、お節介な性分の認知症の「ばあちゃん」が孫(孫と認識されていない)に向けて語りかけるセリフである

叙述トリックで多用される「信頼できない語り手」の可能性も考慮せねばならない。なんせ認識が歪んでいるのだから。)

一見すると(前半はともかく)後半は思い出すままに過去を語ったり、

人生の先輩としてアドバイスを始めたり脈絡が無いように思われる。

しかし、言葉ひとつひとつに含蓄や温度感があり何故か聞き流せない。

出会いと別れを繰り返し」:記憶を失う(別れる)→自己紹介出会い)のループを指すのだろう。

後半で自分の孫に「どちら様かは存じませんが」とまた語りかけるので、「ばあちゃんまたボケとるわ!」とツッコんでしまう。

「やっぱり一人は つらいから 誰かの傍にいなさいね」と語りかけられても、

「ばあちゃん、いま孫がそばにおるんやで…」とさみしくなってしまう。

認知症祖父母介護した経験がある人は共感できると思う。


ところで、こういった違和感がないだろうか。

ハワイに行けなかったら妥協点で伊勢神宮が来るのおかしくない?

・というかハワイに連れて行ってもらいたかったら息子より先に夫に頼めよ

唐突な「じゃんけんぽんはあいこでしょ

・孫のことは何度も忘れてるのに、若い頃に口説かれたことは「忘れられない思い出よ」?

・なぜサングラスをかけるだけで「周囲から悪い輩(ヤカラ)と認定される」と思い込んでいるのか?

グラサンといえばローランの民からすれば陛下象徴と言っても過言ではないだろう)

こういった違和感や疑問を紐解き、一本の補助線を引けば、

ハマらないと思っていたパズルピースが繋がり、この歌詞全体像が視える。

「ばあちゃん」は若い時の戦争経験を語っているのである

「ばあちゃん」は戦災未亡人戦没者遺族であったのだ。

それを前提にもう一度聴いてほしい。

「先頭に立たないように 気を付けて

争いごとは やめなさい」

この歌詞が異様に生々しく感じないだろうか。

まるで親しい人が先頭に立ったせいで亡くなったかのような物言いである

じゃんけんぽんは あいこでしょ

軍艦じゃんけんの掛け声「せーんそっ(戦争)」を嫌ったのではないだろうか。

「グー・チョキ・パー」は「軍艦朝鮮ハワイ軍艦沈没ハワイ地域もあるらしい)」に置き換えられている。

小学校の時に「不謹慎だ」と先生に叱られた人もいるのではないだろうか。

実際、その後にお土産としてお寿司を細かくリクエストしている割に、「軍艦巻き」は入っていない。

「一度ハワイに 連れてってくれ

息子に頼んでみたけれど

伊勢神宮さえ 行けなくて」

→夫が居ないので息子に頼んでいる。おそらくハワイで亡くなった(と聞かされており、真偽は不明)。

そもそも、「ばあちゃん」は太平洋地名ハワイぐらいしか知らない可能性も高い。

なぜなら当時のメディアは時の政府の統制下にあり、大本営発表検証せず偏向報道をするプロパガンダの道具となっていたからだ。

国威発揚のため、日本軍勝利事実以上に喧伝し、大敗事実隠蔽する構造であった。

真珠湾奇襲の報道は大々的に宣伝したので、その印象が強いのではないか

さて、ばあちゃんハワイに夫を弔いに行きたいが、それが無理ならせめて国内で、

ということで日本全国最高位の神社である伊勢神宮にお参りしたいわけだ。

戦後世代にとっては戦没者を祀るのは靖国神社というイメージが強いが、

戦前世代にとっては伊勢信仰普通であったようだ。現在神社本庁の本宗は伊勢神宮

(ちなみに作詞須藤晃は富山県出身槇原敬之大阪府高槻市出身。)

「夢なんて叶わぬうちが花だけど

かに明日を待ちなさい

待ってるだけでは駄目だから

行きたい場所を目指しなさい」

→これは解釈が分かれるところか。素直に歌詞通りに受け取っても良い。

膝を悪くしてしまい二度と夫の弔いという夢が望めなくなってしまった悔恨にも解釈できる。


「橋の袂で声かけられて

いかんざし褒められた

あの日の私が一番綺麗

忘れられない思い出よ」

→孫(俺)のことは何度も忘れるくせに、「忘れられない思い出よ」。

その理由は、夫と過ごした時間が少なく他に思い出が無いからではないか

日常的に赤いかんざしを身に着ける習慣はないと思われるので、

お見合いで精いっぱい着飾ったシチュエーションが想定される。

貧乏ながらも家族が増えて幸せな将来を予期していたところ、

戦争が始まってしまい夫が徴兵されたのだろう。


・「毛皮も指輪も 押し入れの中」

財産が毛皮と指輪しかない。おそらく夫からの贈り物。

・「サングラス=悪い輩」というばあちゃん先入観は、

GHQ連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの印象によるものではないか

「変わっていくものを嘆くより

 変わらぬものを愛しなさい」

→生きている人より、亡くなった夫への執着を感じないだろうか。

・「あなたはずっとあなたでしょ」

ここの「あなた」は孫(俺)に語っているように見えるが本当にそうだろうか。

夫に似た孫の姿を通して、

過去の思い出の姿の夫に、

あなたはずっとあなたでしょ」と語っているように感じる。

ここにきて思い当たる

「その目を私に見せなさい」と言われサングラスを外し、孫の目を見る描写

ここでばあちゃんは若き日の夫を思い出す。

それをきっかけにこの歌詞セリフのような回想が始まったのがこの曲じゃないだろうか。

タイトルが「ばあちゃん」じゃないのは、一人称が「俺(孫)」に固定されてしま

ばあちゃん感情移入できなくなるからじゃないだろうか。

「ばあちゃん」に感情移入させたいので、

メインディッシュにもなれず世の中の隅っこで苦い人生を送ってきた「ばあちゃん」の象徴として「わさび」がタイトルとして選ばれたのだろう。

わかる。俺もわさび抜きの人生がいい。

2021-10-24

anond:20211024005629

ミホヨの原神はアニメ調の美麗なオープンワールドを一人で気ままに探索できる本当の意味で素晴らしいゲームですぞ

ただしマルチプラットフォームながら任天堂からは出ていなくて(switch版の噂はあるがサービス開始1年経っても動きなし)

モバイル版はAppleGoogleお墨付きを受けているものスマホでやるには最新機種でも厳しいくらいの性能要求なので

PCかPS5を持っているならおすすめですぞ

ガチャ自体はあるけれども普段ソシャゲをやらない、なんならソシャゲ嫌悪感を持ってる人にこそ勧めたい思慮深い作りで

昨今のソシャゲタイトルの中で最もリッチ体験ができると言っても過言ではない珠玉ゲームですぞ

補足しておくとマルチプレイ可能ではあるものの基本ソロゲーなので課金自己満足しかなく

自身の育成度合いに合わせて敵もある程度まで連動して強くなるので強さの為に課金する必要は薄く、マイペースで遊べます

2021-06-15

anond:20210615203244

huaweiはさすがに中華ガジェットマニアオタクももう勧めない

ここ数年はXiaomiがアツい

特にもうすぐ発表、発売される日本版Mi 11 Lite 5Gはめちゃ軽くておしゃれでパワフルな、近年で稀にみる珠玉製品から

買い替え時期ならぜひ手に取ってみるといいぞ

4万4千くらいからで中華スマホとしては高く感じるかもしれないが、値段分性能も一回り上がってるし、同価格帯のiPhone SE中古iPhoneを買うよりは遙かに楽しめるだろう

2021-04-16

anond:20210416135635

奇跡で偶然、曲が作れるなら、聞いててみたいもの

randで音符並べたら、偶然曲になるっていう発想だろ

人生をかけて作ったけど1曲しか作れなかった。でも、10年20年努力したんだ1曲のために 珠玉の1曲ではなく

馬鹿適当に作ったら、偶然ヒットした1曲というものがあるなら、俺も聞いてみたい

2021-03-13

anond:20210313045027

なんかすごくわかる。

自分場合は金の貸し借りはしないようにしているのでちょっと違うのかもしれないが、

手助けをすると、手助けをされた側はむしろ

それに対する負の側面、恥の側面というところを隠したがるため、

それがネガティブな行動や心理につながることは多々あると思う。

たとえば技術や知見によって他人を救った場合、それまでの自己のやり方を否定されるため、

それを容易に受け入れられず、人はネガティブになることは何度も目にしてきた。

ましてカネの場合ならそれは顕著なのではないか

すべてではないが、傾向としてローレベル自己解決ができない人に多い性質だと思う。

まあ自己解決ができる人だったらそもそも他人に力を借りないのだが。

たまにこういう珠玉のようなエントリが見つかるからすばらしいな。

2021-03-11

anond:20210311115329

簡単でわかりやすアドバイス簡単だ というひとが今のご時勢の主流だと思う。

難しい技術アドバイス増田無料でせよ。

かなり、割がよく、無償で出し続けた気がする。AKB以前からずっと、偶然たまたま通りすがり、そういいつづけられたけれどね。偶然できる程度のアドバイス。まぁ、そうかもね。私にとっては必死珠玉の助言。

2021-01-29

anond:20210129122315

珠玉大事研究成果とかも1000円札1-2まいで売って、ハンバーガ食べておいしい。っていう世界

から、らっきー億単位の金なんて、簡単にもうけられる、よのなかちょっとしたコツだよという人が湧いて出る。

10億以上の商品ラッキーなどあるわけがない。

2021-01-04

anond:20210104135225

それはたまにきちがいさを感じる

100件に1件くらい珠玉情報があるからいいね

2020-12-18

anond:20201218181048

なんで「起こる」対象カップル発生イベント限定されてるんだ

人生もっと多様なイベントに溢れてたはずだろう

そのカップル発生イベントに関してだってそこに挙がってたやつらが知りもしないような珠玉シチュエーションを君ならエロゲーとかで体験してるんだろう

自我なんてまやかしなのだから体験に貴賤などないぞ

リアルカップル発生イベントに執着する必要はない

好きな場で好きに生きろ

2020-11-24

anond:20201124105208

流行ってるのもだいたい好きだし

流行ってないのや既にサ終や打ち切りなっちゃったけど珠玉作品だと思ってるやつもいくつかあるな

それなりにオタク歴が長いからな

mixi時代からSNSとかほぼ登録しただけで大して投稿しないスタイルから

SNSキュレーションを頼りに情報収集する癖がついてる最近の人は話題性依存が大きいのかもね

2020-11-18

なろうトレンドと音圧競争

いまのなろうトレンドを見てると、音楽界にあった音圧競争的なものを感じられてならないね、というお話です。あ、そう感じただけで結論はねーです。

前段――なろうトレンドのこと

ウェブ小説サイト小説家になろう!」は、日本でも有数のページビューを抱える化け物サイト。そこでは雨のあとでもないのにタケノコニョキニョキニョキニョキ生えてくるような状況。なのでそこを勝ち登るためのメソッドがどんどん研ぎ澄まされてってます

これについて雑に現象を収斂すると「長文タイトルタイトルでどんな内容かを明示する)」「テンプレ化(人々が楽しみたい物語類型に従ったストーリーテリング)」の二つになるでしょうか。特に後者やばいものすごい勢いで物語たちが生まれるってのは、新陳代謝、練磨の速度もそいつに伴ってきます。更に、ガンガン系やエース系、後は各紙のウェブ連載漫画などには、かなりその影響が波及している印象もあります

が、この流れって、どこまで続くんでしょうね?

音圧競争と、その終焉

と言うのも、音楽業界に似た流れがありました。それが上で書いた、音圧競争です。

音圧ってえのは、簡単に言うと「同じボリュームで、どれだけ音が大きく聞こえるか」の指標です。音楽製作ってな、容量の決められた箱の中にどんなものを入れるか、みたいなところがあって、その箱の中により多く物を詰め込めると、それだけ音圧がでかくなります

人間、好ましい刺激があると、もっと強い刺激を欲するもんです。音楽場合、まさにこの「音圧」こそがそれ。でかい正義。分かりやすい。そして、途中はすっ飛ばしますが、デジタル化で、めっちゃ詰め込みやすくなりました。スコップで穴掘ってた人間に、突然ショベルカーが与えられたぐらいのアレです。

ただね。結局、限界があるんですよね。

どんどんと曲の音圧が上がっていく。すると入れ物にギチギチになっていきます。そこに遊びがなく、息が詰まってくる。

もともと、音の大小ってのは静かなところがあってこそのハデハデしいところです。音圧競争の激化によって生み出された曲たちは、「ぱっつんぱっつんで、メリハリがない」と一部で嫌われるようになりました。その流れの末、 YouTube では「音圧でかけりゃいいってもんじゃねえぞオラ」てきな方策を打ち出します。一定以上の「音圧」がある曲が、強制的に音量を落とされるようになったんですね。このへんの具体的な内容はこちらに。

G.C.M. RECORDS

YouTube自分他人の曲が何dB音量を強制的に下げられているか調べる方法

https://www.gcmstyle.com/youtube-gain-check/

これによって、一定以上の音圧を稼ぐことに意味がなくなりました。リンク先によれば、他の音楽再生サイトもこの流れにしたがっていきます。かくして音圧競争には終止符が打たれ、 「適切な音圧」の枠内で音楽たちは戦いを繰り広げるようになったわけですが。

これがね。いまのなろうトレンドの進み方にかぶる感じがして仕方ねーのです。

なろうトレンドの「進化

この辺の与太話を書こうとした動機。それは、めっちゃなろうトレンド研究してらっしゃる方、「うっぴー/ライトノベル作法研究所」さんのこのツイートを拝見し、んん? と思ったことでした。

>> You Tubeで昔のエロゲプレイ動画を見たら。 ・展開がダラダラと劇的に遅い ・主人公下げ。ヒロイン下げなどのストレスがちょこちょこ挟まり、すぐにこれが解消されない ・無駄と思われるシーンが多い。 エロゲ人生バイブルですが、現代のなろう小説いか進化しているか、わかりました <<

https://twitter.com/ranokenn/status/1328484670778920961

うっぴーさんは別のツイートで、なろう作品では「共感させ、大活躍させて、すげぇと言われて、ざまぁすることが超重要」と説かれています。つまり感情移入できる主人公が強くて、活躍して、ムカつくやつをやっつけて、称賛される。ついでに言えばモテる。それをいか物語の骨子とできるか、が「なろうで勝ち上がるために」重要だ、と仰るのです。

主人公アゲが作中でなされればなされるほど、読者は高揚する。なので、それをより端的に、継続的提供し続ける。そういう作品が、勝つ。更に言えば、「長文タイトルで」どのような方向性主人公アゲがもたらされる物語なのかを、余すところなく語る。

ここで、主人公アゲを「アゲ圧」と呼びましょう。 

月刊少年漫画誌の作品などは、「エピソードボスを倒す」というアゲ圧マックスポイントを作るために、途中ではアゲ圧を下げます主人公ピンチ、初戦の敗北、回想シーン、などですね。これらを積み上げ、エピソードボス撃破、及び後日談というアゲ圧マックスポイント、いわゆるカタルシス演出する。

っが、なろうではこの悠長なやり方が通用しません。一定以下のアゲ圧となると、読者の離脱が発生するそうなのです。ゆえに、常にアゲ圧の高さをキープ、なんならほぼ全編クライマックスくらいの状態を作るようにせねばならない……のだ、とか。

その精華が、うっぴーさんのツイートに現れているように思うのです。よりスピーディーに、より劇的に、物語を組み上げる。なるほど。けど、それってどこまで行っちゃうの?

おわりに――つまり、なんにも言ってない。

「なろう系」を提供する総本山小説家になろうは、レギュレーション違反以外のことで作品には介入しないのを旨としています。となれば、YouTube が見せたような「いい加減音圧競争やめーや」的介入はありえない。なろうトレンドバブルの崩壊は、自然発生的な形になるんでしょう。

ただ、ならそれがどんな形で発生するのか? また、バブル崩壊後の作品分布はどのようになるのか? こいつについては、自分みたいな半端者ではまったく想像もつかんのです。

以上の話、あえて結論を申し上げれば「おいおい、そのうちなんかおもしれーこと起こりそうだぞ、どーなのよ」となりますでしょうか。いやー、人類たのちい!

以後文通コーナー 20201119 11:52

あら反応いただけて嬉しい。文通させてね。

一番多いのはこれよね。

うっぴーは信用しないでください。

信じてないですよ。どちらかと言うとこちらも批判的な立場です。ただし全否定しません。「なろうという戦場最先端近くにいる人たちを見ている」ことはすごくて、でも「それを語る氏のメガネ」は曇ってる。そう言う立場でいる中で、無双モテすげぇざまぁという感情を揺さぶるのが「なろうトレンド」という氏の発言には説得力を感じてます。油断するとすぐ否定的言説になるから、敢えてアゲ基調で書いてるけど。

ついでに言っとくと「真に受ける」じゃなくて「分析通りの状況になってる」から言及してるわけであって。今のなろうのランキング眺めてみ? うっぴー氏の分析どおりだし、あとキモいから

テンプレ物語ほとんどが成り立っているから、パクリテンプレの境目はどこにあるんだろう?と思ってしまう。

「お前の作品ロミオとジュリエットパクリだ」とか言われても「はいその通りです」としか答えようないものねー。読んで「パクり元に対してシリアスか」になってくるのかなって思うけど、正直わからん

転生悪役令嬢もの

すげーいっぱいあるよね。ランキングにずらずら並んでるのを見て正直引いてる。

マンガ人間が出てるから全部パクり

然り、然り。

元増田の知り合いです

ラノベ読者はバカだ】

このテーマね。申し訳ないけど、他ならないうっぴーさんが回答してるよ。「なろうは時間つぶし、暇つぶしに見る人が多い。こういう人たちは、たとえどれだけ頭がよくても、あまりものを考えずに読めるものが欲しい」ってね。

もと発言者を信用するかどうかはさておき、このテーマのものは興味深いと思ってるよ。

書く方も読む方も面白いんか?って傍から見て思う

これ、俺も正直よくわかんない。けど「書きたいものを書いてウケないよりも、書きたくないものを書いてウケたほうが嬉しい」って言ってる人もいるし、そうなんじゃないかな? 

音楽的なメロディ楽曲構成とは関係ない

せやな。だからその辺の話してないやろ? 「目立つとかってだけ」の話しかしてない。

タグクラスタで分割し、総合ランキングではなく人気クラスタランキングクラスタランキングを目立つようにすれば、ジャンル多様性が生まれてくれないかな。

というかそもそもガチで読みたい」人ははじめっからランキングなんぞ頼んねえだろうよってゆうね。そしてガチで読みたい人なんてさらっと読みたい人に較べりゃ圧倒的にパイが少ない。そんな人が求める作品なんざどだいランキングになんぞ上がってこねーでしょう。

なろう系の珠玉金剛コンテンツを長く楽しんでいると、

奇遇だね、俺もあなたの「珠玉金剛」って表現気持ち悪い。まぁ合わない人同士、ここは距離を置いときましょうや。

音圧競争と並べるところにセンスを感じる

ありがとう技術論云々以前の、こういう感覚的な部分って決して見過ごしちゃならないものだって思うんだよね。

アダルトビデオ進化と同じ

人間、よりわかりやすく、より刺激の強いものを、ってどうしてもなるよねー。

文字の羅列から得られる快楽を極限まで最適化した結果なんだろうな

ぐんぐん圧縮され過ぎて、そのうち新規参入の人が見たらただの奇形物にしか見えなくなるんじゃないかなって思ってる。ていうか正直俺には今のなろうトレンドって奇形物の集まりしか見えない。

アゲ圧高すぎるとなんかさめる。

わかる。転スラ読んでギブアップしたのもそれ。

文通コーナー2 20201119 19:35


蛸壺化

その表現があったかー。なるほど。

最新話に追いつくと急に冷めてしまって読む気が無くなる

謎の圧力さらされて疲弊するんですね、わかります。確かにそういう作品多い。

写真分野の過剰レタッチ問題レベルエディタのあるゲームでやたら即死だらけにしちゃうのも同根だよね。

「限られた範囲で、いい塩梅で」ってのは、まぁ確かに簡単に実現できるもんでもないしねぇ……。

うっぴーだろお前派の皆さん

わかるー。オールアナッシングのほうが楽だよねー。余計なこと考えなくてすむし。じゃあその方向で、ご自由にどうぞ。

なろう圧? の方

こっちの書きたかたことが一切伝わってないのはわかりました。

タイトルだけで終わるくらいまで先鋭化すると面白いね(心にも無い)

もうありそう(こなみ)

文通ちまい。構ってくれてありがとう

2020-10-10

anond:20201010182604

映画=娯楽って考え方がもうどうなんだ

今はアホみたいに大量の制作費・宣伝費をかけてメディア支配しなくたってYouTubeとかのネット上で配信自体はできるしそうすることでセレブではない一般人でも映像製作で戦えるようになってきた

別に映像に限らんでも、ゲームアニメ漫画なんかでも映画が描くレベル匹敵するかそれを超えるような珠玉ストーリー体験を与えることができるだろう

2020-09-24

anond:20200924092523

よく読んでほしいんだが「中華製品日本メーカーよりすばらしい」なんて大雑把なことは一言も言ってない

日本メーカー価格帯によっては珠玉製品を生み出してるし、例えばハイエンドワイヤレスヘッドホンではSONYに敵う製品世界のどのメーカーも出せてないだろうと俺の情報収集力でも感じている

中華ガジェットをメインにレビューするサイトでもそれに関してはSONY評価している人もたくさんいる

俺が言ったのは特定ジャンルで小規模でも優れた製品が生み出せる構造的な土壌があってすごいんだよなあマニア心をくすぐるよなあという事を言っただけで、それを日本disと読んだのは君の自意識の為せる業だ

2020-09-11

(続き)精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた

前回はこち

https://anond.hatelabo.jp/20200904203318

増田の皆さんのコメントには考えさせられた。

ビジネス本を根拠として、娯楽を健全と不健全に分けるのは余計なお世話とか、「人間」と「作者という存在」を同一視するのは不健康とか、コンテンツ精神的に健康/不健康で断ずる行為はよくないなどの意見をいただいた。

特に、「私自身が敵意を持って何かを貶めたい意図を持っているので、記事のもの精神的に不健康である」という意見には唸らされた。

それでは、精神的に不健康作品コンテンツの続きをどうぞ。

今回は個別作品を取り上げる。





ゲーム

 一般販売されているゲームで、自分クリアしたことのあるものに該当はなかった。

 やはり倫理基準があるので、人権侵害をメインに扱ったゲーム審査を通りにくいし、そもそも売れないのだろう。

 それに、私がここに書かなくても、「グロ 残虐 ゲーム」などの単語でググってもらうと、有志がそういうコンテンツを紹介しているページに易々と辿り着くことができる。

 なので、今回はフリーゲームを取り上げたい。フリゲは主に個人制作するものなので、その人の心の健康がありありと現れる。考察にはうってつけだ。

 以下に紹介する。できるだけネタバレはしない。

タオルケットをもう一度(1~3)

 かなしみホッチキス氏の代表作。

 見た目はほんわかしているが、中身はエログロ特にグロ)。見た目はMOTHER2のような暖かい印象を受ける。

 プレイを初めて1時間以内に、このゲームの異常性に気が付くことだろう。気持ちが悪いタイプの異常性ではなくて、続きが気になるタイプの異常性だ。 

 ネーミングセンスが独特であり、作中の随所に現れる。

 どこが精神的に不健康なのかといえば、ストーリーの救いのなさだ。特に2。1と3は、グロ展開を挟みつつも笑えて感動できる物語なのだが、2はとにかく救いようがない。

 特にラストステージ。人によっては恐怖で進めなくなる。ニコニコ動画の実況プレイ動画にも、「怖すぎて〇〇さんの動画に来ましたwww」といったコメントが並んでいる。

 私自身も当時は震えた。深夜1時頃にクリアしたのだが、翌日にあった英語の演習でミスを繰り返したのを覚えている。

 あの時の私は、恐怖を感じていたんだろうか?

 違うと思う。あのラストステージというのは、ぱりぱりうめというキャラクターの抱える苦痛嫉妬絶望や愛や夢が、画面を通じてプレイヤーを殴りつけるとしか言いようのない展開だったのだけど、その感情に心を揺さぶられたのだ。だから涙が止まらなかったのだと今では思う。

・いりす症候群!

 ゲームサークルであるカタテマによるパズルゲーム

 大学生4人(男2女2)が旅行に行く。そのうちの一人が入巣(いりす)京子旅行先で楽しんでいる途中、事件が起こって1人ずつ行方不明になっていく。

 パズルゲームでの得点によって物語分岐する。バッドエンドだと、いりすが友人を したのを示唆するEDになる。高得点を取ると、行方不明は友人たちによる仕込みであったことがわかる。サプライズ誕生日パーティーをしたかっただけなのだ

 プレイを続けていると、ゲームフォルダ内のデータが少しずつ置き換わっていることに気が付く。テキストファイル画像データが現れたり消えたりする。

 最後までプレイすると、いりすのキャラクター性や、旅行について考えていたことや、男側の主人公であるうーじの抱える闇が明らかになっていく。

 いったいどこが精神的に不健康なのかというと、〇〇と見せかけて、実は〇〇でした!みたいな展開の連続であり、特にその裏側に残虐性(しつこいようだがネタバレはしない)が潜んでいる。

 以前の作品である愛と勇気かしわもち」でもそうなのだが、プレイヤーを悪い意味ビビらせることに全力を注いでいる。

 プレイヤーの心臓に冷たい何かが突き刺さって、心臓が凍り付いて、血管が破裂するような恐怖を味わわせることに作者は快感を覚えているのでは?と邪推せざるを得ないほどに、このゲームプレイヤーを驚かせてくれる。

・ドキド文学部!

 数あるフリーゲームの中でも最大級の――精神的に不健康作品だ。

 ゲーム冒頭の説明にあるように、精神疾患の人や未成年絶対プレイしてはいけない。一般の人にもおすすめできない。やっていいのは恐怖を快感に変換できる人だけだ。

 体調がおかしいと思ったら、プレイしている最中でも中止すべきだ。例えば、2周目に入ったあたりで、「ここで止めたら負けだ」とか、「モニカ、てめーは絶対○す」などの感想を抱くかもしれないが、それでも途中でやめるという選択はありだ。

 作者、特に2周目の恐怖演出担当した人間の悪意が突き刺さってくる。どのような理由でも説明できないほどに悪趣味演出だった。

 プレイしている最中に感じたことがある。

「このゲームを作った人たちは、学生時代に苛めや虐待などのひどい目に遭って、社会に恨みを持つようになったんじゃないか? だから、こんな残酷ゲームを作って社会復讐しようとしたんじゃないか?」

 私はそう推測した。

 「違う。このゲームは高い評価じゃないか」という意見もあると思うが、典型的確証バイアスだ。別の言葉で言えば、コミットメント一貫性

 プレイヤーは、恐怖と戦いながら数時間~数日をかけてゲームクリアする。敵だと思っていた存在は、自分のことを(以下略)。ハッピーエンドではなかったけど、恐怖に打ち勝ってこのゲームクリアできた。俺はチキンじゃない!

 終わり良ければ総て良しという言葉がある。悪趣味演出にどれだけイライラしたとして、最後までクリアしてしまった後で、このゲームプレイした時間無駄だったと認めることはできない。

 そんなことをすると自分愚か者だったことになる。だからこそ、個性的ゲームだったね、just monicaだったねと高い評価を与えることで、自分の考え方と行動に一貫性をもたせようとする。それがこのゲームが高く評価される理由ひとつだ。

 今までにないタイプゲームだったのは間違いない。ホラーゲーム好きな人にとっては珠玉一品だったと思う。私も、このドキド文学部!に評価を投じた。★4つだったと記憶している。



小説

 読んでいて苦痛を感じた作品トップ3を紹介する。

悪徳の栄え

 名前だけは聞いたことがあると思う。エログロかと言われればそのとおりだ。

 この作品は、上下巻の約700ページ(しか行間ほとんどない)に渡って以下のような展開が続く。

ジュリエット(とその仲間たち)が乱痴気騒ぎを起こして一般人を強姦したり殺したりする

②騒ぎの最中かその前後パートで、ジュリエット(とその仲間たち)による哲学論議が行われる

ジュリエット(とその仲間たち)が不仲になって仲間を殺す。あるいは新しい仲間を作る

 特に①②の割合が高い。

 エログロ小説世間では見られているが、実は哲学小説だ。作者であるマルキ・ド・サド貴族出身でありながら、変態行為が露わになって逮捕→投獄というパターン小説を書き始めたタイプの人だ。

 この小説が有名になった理由ひとつは、サド自身社会に対して抱いていた恨み(今でいう反社会性障害?)から生じるエログロ描写の反面、その知性や教養から精緻に描かれる人間社会に対する哲学的な理解の鮮やかさが奇妙なほどマッチしていることによる。

 哲学的な描写の例として以下の例を挙げる。主人公であるジュリエットの序盤の師匠であるデルベーヌ夫人の科白だ。この小説キャラクターは喋りの量が半端ないドストエフスキー並みだ。

 ※一部のみを抜き出した。この場面の文字数引用箇所の軽く数倍はある。

「まあ!」とあたしはデルベーヌ夫人に申しました、「それではあなたは、御自分の評判などどうなったってかまわないほど、無頓着でいられるというのですか?」

「そのとおりよ、あなた。本当のことを言うとね、あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。そして評判がよいと知れば、まあそんなことはないでしょうけれど、きっとがっかりするでしょうね。いいこと、ジュリエット、このことをよく覚えといてちょうだい、評判なんてものは、何の役にも立たない財産なのよ。あたしたちが評判のために、どんな犠牲を払っても、けっして償われはしないのよ。名声を得ようと躍起になっている者も、評判のことなど気にかけない者も、苦労の多い点ではどちらも同じよ。前者はこの貴重な財産が失われはすまいかといつもびくびくしているし、後者自分の無関心をいつも気に病んでいるの。そんなわけで、もしも美徳の道に生えている茨が、悪徳の道に生えている茨と同じほどの量だとしたなら、いったいなぜこの二つの道の選択にあたしたちは頭を悩ますのでしょう、あたしたちは自然のままを、思いつくままを、そのまま素直に信用していればよかりそうなものじゃありませんか? P.16

 今時の心理学の本に載っていそうな感じではある。アドラーの『嫌われる勇気』に通じるものがある。

 悪徳の栄えで論じられている思想ニーチェハイデガーに通じるものがある。この世に存在し続けるものに重きを置いている。

 私にとっては面白い小説ではなかった。万人にお勧めできるものではない。というのも、哲学的な論考はあるものの、残虐な場面や、人間的に醜い描写が多く登場するからだ。

 今のコンテンツでいえば、『ダイナー』が一番近い。ダイナーを哲学的な内容にすると現代版の悪徳の栄えになる。

 私が読むのをやめようと思いかけた場面のひとつを挙げる。ジュリエットが、師匠の一人であるノアルスイユという金持ち気持ちを打ち明けるところだ。

 ※上を含めて、引用箇所を探して打ち込むのに2時間半もかかってしまった…いずれにしても引用が多すぎる。これで最後にする。

「おお、 ジュリエット、おまえはまだ全部を知ってはいいからそう言うが……」

「なら全部すっかり話してください!」

「おまえの父御さんや母御さんのことだがな……」

「どうしたと言うんです?」

「生かしておいてはおれのために都合が悪かった……息の根を止めてしま必要があったのだ。で、二人ともばたばたと死んでしまったのは、おれが彼らを自分の家に招いて、ある飲物を飲ませたからだ……」

 ぞっとあたしの総身に冷たいものが走りました。だがすぐに、自然があたしの心の奥底に刻みつけた、極悪人にふさわしいあの無感動な冷静さで、あたしはノアルスイユを正面からじっと見据えながら、「人非人! 何度でもこの名を繰り返してやりたい」と叫んでおりました、「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております

「おまえたち一家殺戮者でも?」

「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」 P.57~P.58 

 ノアルスイユはジュリエットの父母を殺している。そのせいで、裕福だったジュリエット修道院に送られて貧しい生活を送り、やがては売春宿で働くことになった。

 その原因を作った張本人であるノアルスイユに対してこのような言葉を出してくるところに、この悪徳の栄え醜悪さを感じた。読者をダークサイドに送り込もうとしている。

 物語の中で悪事を働く人間の基本になっている考え方のひとつに、「悪事をする人間自然有益である」というものがある。考え方自体はとんでもないのだが、文学者翻訳を務めている関係でやたらと格調高い文章になっており、それが読者の心に響いてしまう。

 年末年始を使って上下巻を読んだのを覚えている。今では読むべきではなかったと後悔している。

隣の家の少女

 前回の記事ブクマコメントにこういう意見がある。

同意しない。そもそも残酷作品」の多くは「読んで心が痛い」という理由で人気がある。

 いわゆる鬱小説というやつだ。心が痛くなるコンテンツ。とにかく痛い。この本も読むんじゃなかった。アマゾンで高評価がついていたので出来心で買ってしまった。

 この小説のいったいどこが精神的に不健康かといえば、「いたいけな少女をいたぶること」を主眼に置いているからだ。

 アメリカ田舎町に暮らす主人公のデイヴィッド(12)。ある日、隣の家に住んでいるルースのところに、両親を亡くしたという快活な美少女メグ(13才以上)が妹のスーザンと一緒に引っ越してくる。デイヴィッドはメグに心を奪われる。ザリガニ釣りから始まって、次第に仲を深めて、お祭り観覧車に一緒に乗る。花火が綺麗、みたいな描写だったのを覚えている。

 「はい終わり、ここで終わり!めでたしめでたし

 という言葉脳裏をよぎった。まだ未成年だった頃、某動画サイトにアップされていた『true tears』というアニメを見ていた。眞一郎と乃絵が仲睦まじくしている様子を見て、ほかのみんなが一斉にこのコメントを打ち込んでいたのを思い出した。

 この小説は、読者に精神的な苦痛を与えることを目的として、メグに対してありとあらゆることをやってのける。

 メグは何でもされる。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、何でも揃っている。

 巧妙なのは、このメグというのが優秀設定のキャラクターであることだ。

 運動神経は抜群で頭がよく、そのうえ美少女ときている。いわゆる利発キャラ。例えば、虐待が始まってすぐの段階で地元警察相談に行っている。普通の子どもはこういう行動を取ることはできないだろう。

 実際、一度はルースの家から脱出成功しかけるのだが、障害持ちのスーザンを気に掛けるあまり失敗してしまう。

 ルースやその子ども達から虐待さら苛烈になるが、デイヴィッドはただ観ているだけだ。傍から虐待されるのを眺めるばかりで何もできない。親に相談しようとするも、恐ろしくてできない…

 この小説を読んでいる間に心が相当削られた。品性下劣という感想を抱きながらも、最後まで読まないといけない気分になっていた。悔しいが作者の勝利だ。

 今回の記事を書くにあたり、隣の家の少女について調べたところ、ネットフリックス映画があるらしい。今度見てみることにする。

路地の子

 作者である上原善広の父を主人公に据えたノンフィクション小説。ということになっている。物語というよりは、作者が精神的に不健康な例だ。

 あらすじとしては、牛の解体場で働く上原龍造が、自らの腕だけを頼りに食肉業界経営者として成り上がっていくというもの

 昭和時代の話なので、解放同盟共産党右翼ヤクザが出てくる。彼らと渡り合いながら、少年だった龍造は成長を遂げてゆく。

 問題なのはノンフィクションと謳っておきながら創作であることだ。

 作中では、実際に存在した人物名前や経歴が書き換えられている(ex 作者の父の名前は龍造ではない)のみならず、解放同盟支部の結成年や支部名その他、多くの事実に誤りがある。

 作者と新潮社解放同盟から怒られた。出版である新潮社HP謝罪文を出している。作者である上原氏もnote反省文を書いているが、はっきりいって反省していない。

 路地の子の誤りを指摘することを目的としたネット記事もある。

https://kadookanobuhiko.tumblr.com/post/167512723599/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%96%84%E5%BA%83%E8%B7%AF%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80-%E2%91%A0

上原善広路地の子』を読む

 巻末のところで実父に関連して、自分の来歴や、元嫁や兄について語っているのだが、なんというかもう、ツッコミどころが満載なのだ。本編を読む前にこれを読んでいたら、一生読むことはなかったと思う。

 ※個人情報その他の関係で、ここに詳細を書くことはできない。上のネット記事には詳細がある。

 最後

 逆に精神的に健康作品コンテンツについて考えてみた

 https://anond.hatelabo.jp/20200911212405

2020-08-11

anond:20200729233400

あえて問う

これを聞けばヨルシカ絶対ハマるよ!逆に合わなかったらヨルシカ合わないから効かないでいいと思う

というような珠玉にして最高の踏み絵となる一極はあるかね?

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