はてなキーワード: 少年少女とは
上には上がいる。上を見ておけばお前も雑魚だしだいたいの周囲も雑魚。
こういうとき漫画家としての活動を終えようと思う人がいるんだろうなと思ってる。まあそれも人生だ。
もう嫉妬も何もできなくなって少しだけ残ってた創作意欲も削がれちゃって、絶望という名の諦めを与えてくるのがトップランナーというものだ。
逆に青山が意外に頑張っていて「青山先生でもこうなんだから俺もっと頑張ろう…」みたいな人も多く出てくるだろう。まあこっちのが多いと思う。
芥見とかだったら「うわああこいつと戦うの嫌だぁ」となりそうだけど青山レベルまで行くともはや仏と思ってる人も居るかもしんない。しらんけど
多分だがこの放送を見て漫画家を目指す少年少女もいるんだろうなと感じる(まだ放送されてないので脳内プロフェッショナルを見ている)
だからお前も今の漫画家の夢を諦めて次世代の子供に夢を託すこともできるだろうし。
でもまあ、色んなことあるけど生きろよ落ち込んでる漫画家たち。
諦めたくないんだったら諦めるなよ。
周りの全ての人間より、私は悪い意味で1歩前を進んでいる感覚がある。
「楽しそうだなぁ、二度と無い時代を楽しんでほしいな〜」
と微笑ましく眺めたことは誰もがあると思う。
この間は老夫婦が楽しそうに話して食事をしているのを見て、いいなぁ、あんな風に誰かと楽しげに食事をしていた時もあったなぁ、と感慨にひたってしまった。
人生の先輩に失礼だし、普段私と食事を取っている人達にも失礼な話だけれど。
ありとあらゆる人生における「喜び」の概念を享受できる時代が、私はもう過ぎ去ったのだ、という認識がいつの間にか形成されていた。
もうそれはもはや、人生を終えて天国かどこかにいるかのような心持ちに近い。
喜びを得られる時代は過ぎ去った、不可逆なものであるとどこかで確信めいている。
不幸せな訳でもなく、楽しみがないと嘆くでもなく、それを通り越して、喜びがないことを受け入れている段階に入っているようで。
けれども、別に死のうとかじゃなくて淡々と、週間天気を気にして洗濯物の計画を立てたり、歳をとるとシミになるって言うしね〜と最近の日差しの強さを気にして日焼け止めを買ったりしている。
死にたい人間は年老いた時のことを考えながら日焼け止めを買わんだろう、たぶん。
でも冷静に客観的にこの心理状況があまりよろしいものでは無いことも理解している自分がいて、これからもきっと楽しいことあるよ!なんて自分を鼓舞してみたりするが、なんだか自分にお世辞を言ってるみたいでどうもしっくりと来ない。
私は、青春時代どころか、人生そのものを、心のうちでは卒業していた。
・オタク加齢あるある(生活が忙しくて没入できないとか「物語」の主人公の少年少女青年の年齢から外れて刺さりにくくなってる)もあるんだけど
それに加えて
・原作でクソデカ感情や深い関係がある以外の組合せ以外にハマれない(=顔カプ・捏造カプにハマれない) しかし腐った層にあからさまに媚びてるのが感じられるのは全然惹かれないという心がふたつある
なおかつクソデカ感情深い関係がありつつ腐媚臭くなかったとてキャラにハマれるかも微妙な確率
捜索範囲が狭いだけでドラマとか映画とか小説とか探せば多いのだろうが時間気力がない
Twitterのセンスが信用できる腐った奴らのタイムラインがざわつくまで待つ
今後無くはないんだろうが
枯渇がすごい
私立中に進学する最大のメリットは、ユニークな個性が育ちやすい点だと思う。
公立中の子たちは、能力の高さを感じることがあっても、強い個性や自己主張にいまひとつ欠ける印象を受けることも多い。
令和の公立中の現場はわからないが、それなりに荒れていた自分の公立中の環境を思い出すと、尖った個性が表に出にくい環境というのは何となく理解できる。個性的であることが何よりも求められるこれからの社会において、これは結構まずいことだと思う。
その点私立中の子たちの話を聞くと、面白いし、大人であるこっちが、へーってなることも多い。
そういう個性が許される環境があるのだろうし、そういう個性を持った友人と関わることで、自分自身も個性的であることを目指すようになるのかもしれない。それはとてもうらやましいことだと思う。
一方、公立中のメリットは、自信がつきやすい環境であることではないか。
選抜されたメンバーからなる私立中の中では埋もれがちな子であっても、公立中ならばそれなりに「できる子」と周囲から見られて、何かと頼られたり、一目置かれたりする場面も多くなる。
それ故のやっかみもあるのかもしれないが、それでも自信、というのは幼い少年少女にとって、成長にとっての最大の原動力であるわけで。
もちろん私立中の中位以下の子たちも、中学生全体で見ると優秀なレベルにはあると思う。でも人間は自分の半径数メートルでしか自分を評価できないわけで、周囲と比較して自己を過小評価してしまい、能力を発揮できないケースはかなり多いのではないか。
あと、勉強頑張ったときの校内順位や偏差値の伸びも、公立中の方が大きいですよね。
では大学進学にとって、どっちが有利なのか、という話。
世間的には、私立中に行く方が圧倒的に有利、と思われているのだろう。確かに最難関の大学に行きたいのであれば、そのとおりと言うしかない。
だが個人的な意見としては、公立中で得られる自信は意外と侮れないし、その自信を武器に結構な大学に合格する子は少なくないように思う。
・謎の施設
・急に飛ぶ時間
・やたらポエミーな独白
・世界の闇(ニチャァ)
ストーリーは一本道で「悲しい運命(ニチャァ)」に主人公たちは立ち向かい、そして「心の勝利(キリリ」を手に入れてメリーバッドエンド。
うーん。
要素を混ぜ過ぎだよね。
謎のルールとの戦いがしたいなら「車輪の国」にすべきだし、臓器提供メインならエンジェルビーツ、悲しい運命を受け入れるながれならNarcissusやAIRみたいな感じの方が良いと思う。
なんだかなあ。
結局さ、海外はエロゲ文化がまともに発達してないから、この程度のerogamespace中央値70点を過大評価しちゃったという話でしょ?
なぜそう思うかというと、女性の恋愛スタンスを考えると、まず受け身であるということだ。
待つということに意思の強さが関係するかもしれないが、彼女らは別に待つ必要もない。
もし、意志の強い女性がいるとすれば、この戦略に支障をきたすことになるだろう。
最初にアプローチしてきた男性を良く思い、待つ間に良い男性からアプローチされる可能性があり
それを意志の強さによって逃すことになるだろう。
男性は反対に良くアプローチしなくてはならない、それは意思の強さに関係してくる。
そう考えると、女性の漫画では、意思の強さは男性の漫画より弱くでる可能性がある。
もちろん、女性が男性を描くときに意思の強さを女性が持たないものとして描くのであれば、それは別であるが。
女性が漫画で伝えたいことがあると思うが、少年ジャンプでは昔から友情、努力、勝利と言われたと思う。
私は男性なので、基本的には男性向けの漫画を好んで読んでいるが、読んでいるなかでは、意思の強さを良好的に描いた漫画が多いように思う。
女性向けの漫画は、断片的にしか読んでいないので感覚で書くが、
意思の強さはあまり全面に出てこない。(というよりバトル漫画やファンタジー漫画がそもそも少ないように思うが。)
そこではつまりいかに決断すべきではないかということを長々と書いている。
男性が読めば、それは美徳ではないが、決断をしないための決断というのがループ構造で描かれる。
だがもちろん時間が進み、結果として何らかのストーリーが進行する。(それが良い結果か、悪い結果のどちらでもあっても、決断しないことによってもたらされたものだ。)
根本的な価値判断のレベルで、女性向け漫画は男性向け漫画と異なるのではないかということを思ったので書いている。
その中で、男性向け漫画は女性にも読まれるが、女性向け漫画は男性にはあまり好ましく読まれない。
(もちろん、女性に男性向け漫画が手放しで喜ばれているとは思っていないが。)
それは男性が思う美徳を、女性は美徳とは思わないという問題によるものではないかという点を想像したからだ。
ただその逆は成立しているのは、空想の世界であると認知するために使用されている可能性がある。
そう考えると、女性向け漫画にファンタジー作品の少なさにある可能性の方が高い。
何かが支障となって、意思の弱さをそのまま空想の世界に持っていけない。
女性向け漫画は受け身の漫画になってしまうため、ジャンルは考えないといけない。
時間によって外部との接触によって漫画が進行する作品が非常に相性が良さそうだ。その間はずっと主人公は決断できずにいるような漫画になる。
最終的な決断を私たちは待つことになるだろうが、女性向け漫画では恐らく決断しないことが最終回になり、それが良い漫画の証になるだろう。
(もちろんそれは打ち切りではない。男性から見えれば逃げであるが、女性から見れば完遂である。)
女性は恋愛については受け身の戦略をとるが、全てが受け身というわけではない。
衣食住については金を稼がなくてはいけない、子育てについてはもっと積極的にかかわる必要があるかもしれない。
そうなってくると意思の強さは美徳となっていくのかもしれない。
もちろん、これは反対にも言える、つまり何を美徳とするかは現時点でどのような境遇にいるか、どのように利益を享受しているかによってくる。
確かにアンインストールって単語浮いてるよな、すぐ理解できない
クラムボンみたいに詞や文章で関係の薄い言葉を入れることで、詞自体を考えさせる装置としての役割もあったのかもしれない
敢えて考えるなら、アンインストールて「一回ダウンロードして展開したものを、アンインストールによって全部消去する」っていみだろ
世界観として、数多くある平行世界同士を戦わせて、平行世界を減らすってものがある。それ自体をアインストールに見立てたのが最初だろうな。
そして戦う少年少女も、自分のそれぞれの日常や人生に向き合って、消化していってから戦うってストーリーだから、その過程もアインストールに見立てているんだろう。
ぼくらののOP主題歌「アンインストール」は当時ネットで流行ったので、本編は知らないけど歌だけ知っているという人も多いだろう
ED「Little Bird」はOPと同じく石川智晶が歌った
歌詞は「道しるべとなる枝をくわえて その足下に落としてあげよう 向こう岸にいるあの子が迷わぬように」から始まる
原作半ばでのアニメ化のため途中からオリジナルルートに突入したが、原作ではその後にEDの歌詞が逆輸入され、作中で歌われた
15人の少年少女(うち14人は中1、残り1人は小4)が、未知の巨大ロボットと契約し、謎の巨大な敵が現れるたびにパイロットとなって戦う
なぜ15人も必要とするかといえば、1回駆動するごとに1人の魂をロボのエネルギーとして消費するからで、毎回子供たちが死んでいく
通常ロボットアニメのロボは数十メートル級だがぼくらののロボは500メートルで、デカイので普通に戦うだけで市井の人たちをガンガン踏み潰してしまう
「ロボとの関係は子供たちだけの秘密」ということにしていたが、戦闘5回目ぐらいで軍人の娘が耐えられなくなって父に全部打ち明けて子供たちは政府の監視下となる
ぼくらのの舞台は日本だが、アメリカへ反乱を起こして自衛隊ではなく日本軍に変わっている世界である
歌うおっさんは軍人であり、30代ぐらいで優しいお兄さんという感じで戦闘に随行し、子供たちの世話を焼く
おっさんは「アイドル防衛隊ハミングバード」を見たのがきっかけで軍人になり、若干アニオタの気質がある
後ろの方の戦いで、敵はロボットに多数の針のようなものを刺す攻撃をした後で飛んでどこかに消えてしまった
やがて、敵はハワイ沖にいることがわかった
針をGPS装置みたいにする能力によってロボの位置をマーキングした上で、遠距離からロボをレーザービーム攻撃する作戦だった
ロボ側にもそういう能力はあるが敵をマーキングできてないので一方的に攻撃を受ける
「コックピット内と外への瞬間移動が可能」「戦闘中パイロットは外へ逃げられない」「パイロットは近しい人をGPS装置みたいに遠くにいても認識できる」
このようなルールの上でおっさんが立てた作戦は、パイロットの世話を焼く近しい人であるおっさんを敵のそばに瞬間移動させ、おっさんの位置を目印にしておっさんもろとも敵をビームで倒すというもの
そうしておっさんは、露骨なマーキングではなく調査班のようなふりをするために他の軍人数十人と共に敵の足元に飛ばされる
おっさんたちを殺さないといけないことに苦しむパイロットのもとに、「なにかのアニメの歌」を歌うアニオタのおっさんの声が通信で聞こえる
それが「道しるべとなる枝をくわえて その足下に落としてあげよう 向こう岸にいるあの子が迷わぬように」で、その歌と共におっさん死亡
もう一度アニメ化してこのくだりをやってくれ
KPOPに日本人は舐められている。ということ。
韓国アイドルの少年少女達はレッスン以外の教育をまともに受けていないので、失言や外国に関する無知からくる失言失態で、しょっちゅうやらかし、謝罪する。
最近ではNew Jeansのメンバーが旧正月がどうたらとか、韓国の麺料理を知らないと言っただけで、謝罪している。
New Jeansは日本にも度々来ているが、その時の写真をあげて、「our short trip to sushi land」とXに投稿している。
「寿司ランド」である。これについては全くの謝罪も釈明もない。
ボディーガードが空港でファンを強く押したくらいで謝罪するのに!
BTSの原爆Tシャツについても、実はいっさい謝罪はしていない。
一方、TWICEというグループの台湾人が台湾国旗を持っただけで、中国に対して謝罪している。
日本はただの狩場、猟場。