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2013-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20130715104444

といっても自民党系の国会議員は除くんだけど、

マンガで、「日本国初代大統領 桜木健一郎」っつーのがある。

このマンガが世に出たのは1998年からなんだが、この中で、

どっかの軍隊日本に攻めてきて、警察自衛隊が応戦に向かう途中で、

国民財産権と緊急出動がぶつかったとき国民財産権が優位に立つ現実

登場人物が頭を抱えるシーンがあるのよ。

だいたいその時期あたりに、

そういう戦争規模でなくても、消防車救急車が、違法駐車が原因で立ち往生してしまった場合でも、

違法駐車車両を撤去・移動したら、かなりの確率勝手に動かしたほうが裁判で負けて、多額の賠償金を支払わないといけないパターン社会問題で言われているんだけど、

そういう現状ってやばくね?→国民財産権だってそういう緊急時は制限されるべきじゃないか

という声に対して、左翼連中とか強度の個人主義者は危機感を募らせているんだよ。

その流れで連中は96条改憲反対なの。

2013-07-05

さっきみちばたの駐車場にやせこけた老人(ジョガースタイル?)が寝ているのをみつけてこの気温と湿度のなかで。熱中症死ぬ気かーって。

あいろいろ手当的なことをして最終的に救急車に乗ったとおもう(近所の看護婦さんなどがきたのでみとどけずに場をはなれた)んだけど

おうちーをきいてもわからない。ありがとうすみませんって。

あやまりたくなるのもわかるけど(見ようによっては普通よっぱらってる人っぽくもあった)、

あやまるならこの昼間にアスファルトにねてちゃだめー

2013-06-23

包茎クリニックって必要

はっきり言って僕はかなり重度の包茎だった。

いわゆる真性包茎ってやつで、皮とかだるんだるん状態。

包茎存在を知ったのが高校生の頃で、まあここらへんはみんなも多分同じだと思うけど、例に漏れず僕も自分包茎かどうか気になった。

ショックだった。

全く剥けない。

亀頭とやらが5mmと確認できない。

はっきり言ってすごく悩んだ。ずっとネットで解決策を探してた。

たまに「手術しなくても慣らしていけば大丈夫」なんて情報を見かけたけど、大概そういう奴は平常時には剥けたり、勃起時でも半分くらいはいける奴なんだ。

当時の僕は一番小さくなってるときでも全く剥けなかった。

一度思い切ってえいやっと一気にいったことがあるが、瞬間、激痛が走り、リアル救急車を呼ぼうか迷った。

手術は怖い、第一恥ずかしくて親に話せない。

慣らすったってここまで酷い前例が自力で正常に剥けるとこまでいった情報も出てこない。

絶望したね。

でも諦めなかった。本当に少しずつ、少しずつ、ゆーっくり剥いていった。

たぶん勃起時でも全部剥けるようになるまで2ヶ月くらいかかったと思う。

最初は痛かった。ヒリヒリとスースーの中間みたいな感覚で、指だろうが水だろうがちょっとでも触れると「あひぃんっ!」って声が出た。

当時付き合っていた女の子とそういうことになったときのことを考えたら、痛みも我慢できた。(結局その機会は訪れなかったけど)

「もういけるんじゃね?」と慢心して、少し無理に全部いってみたこともあった。戻らなくなって焦ったんだよなあ。

そんなこんなで時間はかかったけど全部剥けるようになった。そん時の嬉しさったら、もう言葉に言い表せないね

もちろん「剥けるようになった」までで、皮が縮んだわけじゃないから、基本被ってることには変わりない。

けどセックス普通にできるし、感度も全く問題ないと思う(早めだと思うけど)

そんなわけで、もし安易にクリニックだとかで切っちゃおうとか思っている人がいたら、ちょっと頑張ってみてほしい。

ちなみに僕の恋人は余った皮で遊ぶのが好きだ。

2013-06-19

暑い季節にボディクーラー

まりにも暑くて不快なのでOXYのボディークーラー買ってみた。

塗るとスーっとして涼しくなりさらさらパウダーも配合されてるのでベタつかなくなる。夏の必需品

主に血液がよく流れるところに塗ると効果も増してひんやりする

首筋や腋、腕や足の関節などが特に効果がある

男性諸君は経験があると思うがキンタマ暑い

ここも血液がよく流れてるので冷やすと体が冷える

生殖能力を保つのにも冷やすことはいいそうだ

海外とあるベンチャーでは冷やすパンツを開発中だそうで50ドル寄付すると試供品が貰える、みたいなことやってた。

早く製品化されることを望む

本題

キンタマ血液がよく通る。冷やすといい

これだけ条件が揃ってるんだからボディクーラー塗ったよ

袋の裏に塗ったよ

おお、冷えてきた

ッッタイ!イッタイォオオオオオウウ!!

悶える!

悶絶する!

効き過ぎて痛い!

風呂場飛び込んで洗い流したよ

けど取れない。痛さが引かない。

泣きそうになったね。救急車呼ぼうかとも思ったよ

30歳男性、玉袋にボディクーラーを塗って救命救急に担ぎ込まれる

ドラマでもありえねーよ。この患者の応対する江口洋介の顔が見たいよ

ボディクーラーの注意書きにアンダーラインつきで

『皮膚の敏感なところに使用しないでください』

って書いてあったわ。敏感なところってどこだよ。言えよ。言っちまえよ

眠気をこらえながら勉強してる男子学生にはタマキンボディークーラーお勧めするね。一発で目が覚めるよ。しかも寝れない

彼女と約3年半同棲したものの、解消することになってしばらく実家に戻ることになり、

以前より危惧していたことが現実になった。

同棲前、それまで20余年暮らしていた実家同棲中に引越したことにより、

実家に戻るってもそれまでの実家ではなく、全く馴染めない。

しか引越し前の実家政令都市玄関駅前で、衣食住と無い店は無いレベルの便利さだった。

今の実家は車こそは必要ないものの、ちょっとした買い物にも自転車がないと厳しいし、

衣住関係になると結局は元いた実家の駅まで電車で出なければいけない。

同棲してたとこは自転車バスさえあれば衣食住はどうにかなった)

そして実家には40近くなって定職にも就かずずっとゴロゴロしてる年の離れたアホ(兄)がいて、

しかも相当なDQN喫煙厨。もちろん仲は悪いが部屋がないので同じ部屋に入れられる。

自分は煙アレルギー的なものがあって、副流煙どこか残り香だけでも長時間嗅いでいると喉が腫れ上がってしまい、

声が出なくなったり熱が出る。(友人らに禁煙カラオケから徹カラに無理やり連れてかれて、

結局途中からみんな吸い出して倒れて救急車で運ばれたこともある)

もちろん自分が戻ることになってもタバコを止めるわけがない。

加えてうちの母親は考えが古くエアコンは禁止(扇風機ですらグチグチ言われる)、

寒かろうが暑かろうが虫が大量発生してようが窓を閉めるのも禁止、

アレルギーあるにも関わらず蚊取り線香もくもく。そして常に父親と声上げて言い争っている。

でも一番つらいのは孤独なこと。

同棲中は自分友達らと遊びに行くと、上京していた彼女友達もいなく一人になるので行かないで欲しいと言われ、

彼女友達が出来るように自分友達を紹介したりしたけど、自分とは合わないとか、もう会いたくないとか、

自分から積極的に行こうとしないので結局共通の友達は作れなかった。

そして彼女を一人にしないために友達らと遊びに行く機会は減り、自然と皆とは疎遠になってしまった。

今回同棲解消するのも、仕事ブラックだし友達も出来ないし都会は肌に合わないし、

地元に戻れば友達いるから戻るって理由。あと付き合ってるのも情だしっていう。

自分から都会には合わせようともせず、友達自分から作ろうともせず、

彼女をなるべく寂しくさせないように頑張っていたのに情だって言われ、

こっちが友達もいなくなって孤独になってからそんな理由で戻るんだ、って思った。

情になった時点で言ってくれれば、寂しいとか言われても友達と遊んでたよ。

同棲してたとこにそのまま残ろうとも思ったけど、住んでても色々思い出して逆に辛いし、

実家も辛いけど少し貯蓄も増やしたいし、目標額まで行ったら住みやすい街に早く引っ越そうと思う。

2013-06-16

なんか本質的に似たものがあるような気がするコピペ

助産婦が出来損ないをキュッとシメ死産扱いにするっていうのは、復活させていいと思うんだよね。

うちのひいばあちゃんが産婆やってたんだけど、産婆として最初のお産立ち合いで生まれたのが、

今で言うダウン症だったようだ。

ひいばあちゃん、当時20歳、躊躇うことなく先輩に教わった通り〆たそうだよ。

ひいばあちゃんいわく

「生かしといても、畑耕すわけじゃなし、兵隊できるわけじゃなし、読み書きソロバンするわけじゃない。

そういうのは穀潰し言うてな、養うことはなかったんよ」

庶民は大体こうやって死産扱いしたそうだ。

ただ金持ちだとたまに殺さず生かしといて、これがハイパー池沼化、村の娘を襲ったり、

お女中さんが飼い主に監禁されて池沼の性玩具にされたり、ということはあったそうだ。

実際ひいばあちゃんが立ち会ったお産で一番悲惨だったケースが池沼絡み。

戦中のケースだけど、12歳の女の子池沼レイプされ続けて妊娠

堕胎も出来ずひいばあちゃんが呼ばれて立ち会うも、

女の子出血と痛みに耐え切れず死ぬわ、何とか取り出した赤ん坊は、一目見て異常な奇形だったので、

その場で処分したそうだ。

この12歳の可哀相な女の子を両親公認でレイプしてたのが、この女の子の5つ年上の実の兄。

ひいばあちゃん、割と温厚な人だったけど、こんとき人生で一番激怒して、

「17年前にワシがこんゴクツブシを〆てやる言うたんを、やめさせたんはおのれら夫婦じゃ!

なぜあのときワシの言う通りにしなかった!今からワシがあの出来損ないを処分しちゃる、それが産婆の責任じゃ!

連れて来い!」

って池沼飼い主を怒鳴り付けたらしい。

まあ結局池沼はその後土蔵に 閉じ込められて、10年くらいで死んだみたいだけど、

ひいばあちゃんは多分このケースのせいで死ぬまで知的障害者全てを忌み嫌ってた。

オレのばーちゃんもオレのかーさんも、ひいばあちゃんに「出来損ない産んだらワシに言え。

始末してやるから安心しろ」言われてたってさ。

でもオレ、ひいばあちゃんは間違ってないと思うんだよな。うちのクラス池沼♂とかみてると、

こんなん生きてる価値ないだろって思う。

67 名前: 水先案名無い人 03/11/29 00:15 ID:Nbqv6SNS

横浜での話だったと思う

中学生くらいの男の子母親信号待ちをしていた

見るからに大切に育てている息子

でもマザコンチックであったり、教育ママ的でもなく、

微笑ましい関係が見ただけで判る、そういう親子

信号待ちをしていた親子に車が突っ込んだ

車は息子だけを轢き、母親呆然と立ちすくんでいた

周囲の人々が、車の下敷きになった息子を助け出し、救急車を呼び、

辺りは人々が取り囲み騒然とした

息子の腕はちぎれ、足は関節がいくつも出来たように折れ曲がっている

その顔は苦痛に歪んでいる

助かるかどうかは判らないが、とりあえず今は生きている

すると母親が突然叫んだ

「殺しましょ、ね、殺しましょ。このまま生きていても苦しいだけだし、

腕もどっかいっちゃったし、足も変だし、殺しちゃいましょうよ、ね、ね、ね!!」

周囲の人々に訴えかける。

救助活動をしていた市民母親に「お前それでも母親か!」と言っても

「殺しましょ。もう一回車で轢いてよ!」

その後は救急車が来て、どうなったかの顛末は判らない

2013-06-14

1年半前から、もうすぐ60歳になる親父の様子がおかしい。

 

穏やかな性格だったのが、突然怒り出すようになった。

家族足音がうるさい、ドアを音を立ててしめた等の些細なことで激昂する。

そして、他人の悪口を決して言わない人だったのが

暇さえあれば悪口を言うようになった。

病院でも少し待たされただけで受付のお姉さんに怒鳴りつけたりする。

人間関係もうまくいかないらしく、職場趣味あらゆるところで

喧嘩してきてしまう。

脳がやられているのではないか、と思い

1年前にうまく言いくるめて脳ドッグを受けさせたが異常なし。

先月、職場で倒れて救急車で運ばれた。

血圧があがりすぎたらしい。

幸いにもその日のうちに帰れたが、念のためにもう一度脳ドッグ受診した。

それもやはり異常なし。

しかし、倒れてからの行動は増々悪化している。

今は、家にいるときテレビリモコンを手放さずテレビの前から動かない。

他の家族がしゃべりだすと

「おぉーこのラーメンうまそうだなぁ」

「こんな温泉行ってみたいなぁ」

などと、大きな声で遮るようにテレビと会話をはじめる。

食事も自分の分が食べ終わると、他の人の皿に箸を突っ込むようになった。

まるで子供のようだ、と思う。

心配だが、気持ち悪いとも思ってしまう。

以前と違う奇怪な行動をすべてメモして、父のかかりつけの病院相談に行った。

そこの医者は、父の幼なじみでもある。

メモをすべて読み終わった医者

「私はあなたのお父さんを昔から知っているけど、あの人は昔から変わりものだった。

今の行動は、何か病気というわけではなく単に老化してきてるだけでしょう。

誰でも老化すると、その人の本質的な部分が露呈してくるものですよ」

と言っただけだった。

本当にそうなのか?と思う。

更年期障害か、精神的なものなのか、はたまた見つからないだけで脳に異常があるのか

なんでもいいから、病気であってほしい。

2013-06-13

いま一度、自分の弟について真剣に考えてみなよと思う

http://anond.hatelabo.jp/20130613094716

俺の弟は障害者である。重度の自閉症だ。

増田の弟がどのような障害を持っているのか具体的に書かれていないけど、だいぶ手がかかっているようなので、きっと俺の弟と似ているんだろう。

俺の弟は、奇声、へんてこな挙動自傷他傷(かみつき)など、誰しもどこかで一度は目にしたことがあるだろうと思われる障害児だ。

ほかにも生卵をぶちまけたりうんちがリビングにころがってたり錠剤を1瓶のん救急車を呼んだり色々あった。

増田の弟もきっとそんな感じだったんだろ。

~~~

こんな弟が家庭にいると、家庭生活スムーズに運ぶわけが無く、心身ともに疲労する毎日である

それなのに俺は、自分若いころは弟の相手は基本的に両親に任せっぱなしで、俺は俺の学生生活を満喫することに甘んじていた。

増田幸せを実現しようとするのと全く同じように、自分大学受験恋愛趣味に頑張った時期があった。

でも将来のことを考えると、親が老衰したとき、弟はどうするんだろと頭を悩ませたりした。

ようするに理想現実に板挟みされた状態だった。それが大学生までの俺である

俺も弟を恨んだことはある。

平穏な家庭をめちゃめちゃにしやがってとか、友達を家に招けないとか、そういういろいろなことでストレスがたまった。

やはり増田と同じように、俺の両親も弟のおかげで仕事を制限せざるを得なくなった。

まあでも、そんなのは、小さな問題だったかなと思う。いまではね。

乗り越えるんだよ、そういうのは。


~~~

増田は障害児の周りを不幸にすると結論付けた。

いや、手はかかるよ。そりゃあね。

でもさ、これは俺が思うことだけど、家庭が幸せになるか不幸になるかというのは、障害者の有無ではなくて、

そこの家族がどう考えて生き抜いていくかということにかかっているんじゃないかと。

だって俺の家庭はなんだかんだでハッピーだし。

ハッピーと書くととても軽く捉えられるかも知れないけど、俺の両親も俺も、障害をごく自然ものであると受容している。

それに、障害を持っている家庭の両親(特に母親)って、意外に元気にしてるんだぞ。

~~~

で、増田はどうなんだろ。二十年以上生きてきても、弟を"お荷物"としか思わないのか。"私の幸せの実現を遮る邪魔者"なんだろうか。

俺が増田の文章を読んで感じたのは、増田自分の弟にちゃんと向き合ったことがないんじゃないのかということだ。

そして、この先も向き合うことはないのかな、と。もういい年らしいし。

そうであれば本当に哀しい。

これはほんとに不思議に思うことなんだけど、障害を持った弟とそんだけ暮らしていれば、それがどうしようもないほどのやつでも、

愛情を持つものだと思っていた。

でも増田はこんな文章を投稿してしまう。

"家族から自由と金自尊心を奪う"。

弟に目を背け続けるのか、向き合うのか、それは増田次第だけど、

このまま自分理想を追求していっても、ずっとどこかで(街で障害児を見かけるたびに)もやもやが残っていて、

結局幸せになれないままなんじゃないかなと思う。

逆説的だけれど。

家族幸せが実現されていないのに、自分だけ幸せを得るなんて妙だな。

~~~

障害児を産むのが怖い について。

トラバにもいくつかコメントがあるけど、俺も概ねそれに賛同する。

まり、降りかかる苦難は避けられないということである

(”降りかかる不幸”とは言わないところは個人的なこだわりである。)

だれにだって人生どこかで巨大な苦難に出くわすものだろうと思うし、それに遭遇したらなんとか生き抜くしかないだろ。

障害児を産むのは怖い、いやそうかもしれないけどさ、人間なんだし生まれるときは生まれるよ。

殺すのか、見捨てるのか、それは増田勝手だけどさ。

やれ中の上の容姿だの、やれ国立大生だの、それなりの企業だの・・・

まず自分の弟について真剣に考えてみたらいいと思う。

自分出産についてはその後じゃないかな。どうだろう。

~~~

最後に、俺について。

大学4年のある朝、夢を見た。

具体的な内容は覚えてないけど、弟が出てきた。

目を覚ましたら、涙がたくさんあふれてた。

そのときに、自分の弟のような人と関わる仕事に就こうと思った。

今は特別支援学校障害者の生徒と生活してる。

みんな素直で、頑張って生きてます

2013-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20130606083651

現場急行中の救急車消防車を襲撃するらしいな、彼ら

それくらいに社会鬱憤が溜まってるんだろう

2013-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20130528010020

死んだほうがいいかどうかは個人の判断なんでどうでもいいが、無関係の他人に迷惑をかける死に方はしないでくれよな。ラッシュ時の人身事故とかマジかんべん。

それと、おれも昔、死んだほうがマシという気持ちでいたとき交通事故あい背骨を折ったが、道路に横たわって救急車を待ちながら「これで死ぬのはかっちょわるいなー」と思ったことを書いておく。

まあおれの覚悟が足りなかったせいかもしれん。

2013-05-25

救急車で受入れ拒否されないためには

病院の内情をちょっと知っていた私がコメントしますよ。

 救急現場危機感 搬送先確保に知恵絞る自治体  :日本経済新聞

 http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55355200T20C13A5NNSP01/

当たり前なんだけど、なるべく受入れ拒否されたくなかったら、かかりつけの病院必要

病院からすれば初診は断るしかなかったりする。

普通病院は夜間はレントゲン病理検査もできない。つまり初診だと、患者に関するデータなしで対応しないといけない。特定の薬とかにアレルギーもあるかもしれない。運び込まれたときに既往症じゃなくても、遠くない過去にその病院検査等受けていれば、データゼロではないのでマシ。

当直の医師も限られる。当直がある場合内科系・外科系がひとりずつはいるんじゃないかと思うが、来た患者自分の専門であるとは限らない。整形外科医が脳外科見るのは難しいし、その逆もしかり。自分の専門じゃない、データもない、という状況で患者を受け入れるのはリスクが高い。受け入れたのに、後で医療裁判になったり、なんて考えると、飛び込みの患者を受け入れるリスクはとりずらい。

それと、運び込まれたのが既往症じゃなくても、普段かかっている患者なら追い返すのもどうかな、という判断が働かないとは言えない。

2013-05-09

姉が近所のおっさんに付きまとわれてる

姉が急病になって急に倒れました。

めまいがすると言っていたら急に倒れて、呂律がまわらない感じ。

これって、脳とか深刻なやつじゃないか?と家族テンパる

救急車を呼んだのだけど、運悪く家の前の路地違法駐車があって救急車が入れん。

姉まじどうなるんだと思ったら、父が車の窓をたたき割って、ペンチでなんかやったと思うと、「車後ろから押せ!」と言われ。

サイドブレーキをを壊したのか? なんか動かせて救急車が入れました。

無事に姉は搬送されて、しばらく入院したけども無事に後遺症もなく回復しました。

で。

その後、例の車の所有者から連絡があって、まあ結構壊れていたらしい。

まあ違法駐車はいえ壊したのは親父だし、修理代を渡してなんとか示談は済んだようだ。


それが4年前にあった話な。

先月、親父が新車を買ったんだ。

そしたら4年前に車を壊されたおっさんがさ、それを知ったみたいなのね。

そしたら連絡があってさ、

新車を購入するなんて当時のことを反省していない、車を壊された私の心がすごく苦しい。傷つけた」

と言ってきたわけ。

いやいや、示談すんでるやん、とお父さんは正当化するわけで、それは当たり前だと思う。

でもまだちょっともめています

で、先週が親父の誕生日でさ。

あの時親父のおかげで一命を取り留めた姉が、親父のために何をしようっていろいろ考えてさ。

まあ料理とか作ってお祝いしたのね

お父さん、あのときありがとう、って。

それもどこで知ったのか例の車のおっさんがさ。

親父があんなことしたのに、なんでお前はおやじ感謝なんかしてんの? って、家の前でいきなり言われたそうな。

まじ怖がっていた姉がかわいそう。



靖国参拝問題について

http://anond.hatelabo.jp/20130509095142

2013-05-06

仏教あんまり関係ねえ

なぜなら自分の気に食わないヤツ、貶めたいヤツに不幸なことが起こったとき、「因果応報」という言葉以外に「天罰」という言葉も使われるからです。天の裁きですよ、元増田さん。神による、正義の鉄槌です。

私も難病を発症して、自宅で倒れてそのまま救急車で運ばれて入院したとき、ベッドサイドで仲の悪い親から「分かったでしょ?これは天罰だよ」(ニッコリ)と言われた経験があります

彼らが何を言いたいのかというと、ようするに「ホラ見たことか!」「自業自得でしょザマァwww」と言いたいのです。

「お前が嫌いだ、お前が不幸な目にあって嬉しい(でも自分けがそう思うのは心細いし、まるで自分悪人みたいなので、神様とかもそう思ってることにしよう!)」と言いたいのです。

だってさ、悪いことしてない、そういう心覚えのまったくない人間がいますか?

誰にでも因果応報天罰は当てはまりうる。そんな、さも「それらしい」だけの曖昧言葉を真に受けて傷つくのは馬鹿らしいよ。

というわけで、たとえ仏教思想が滅びても、仏教メジャーではない海外引っ越しても、元増田の悩みは解決しないと思います

http://anond.hatelabo.jp/20130506073530

2013-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20130422164741

横だけど、救急車呼ぶほどでないとしても、救急外来のある病院電話して、自力で行きなよ。その方がいい。

頭痛吐き気はよくない。大したことないと思ってても脳で何かおこってる可能性あるし。

どうもなければ「大したこと無かった」って後で笑えばいいんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20130422162243

流石に増田できる段階で救急車呼べねえw

ちょっとググったんだけど位置がデコだし拍動感もあるし単なる片頭痛の類かもわからん

付き添いに来れる人もいないしとりあえず当面市販の痛み止めでしのぎたい

http://anond.hatelabo.jp/20130422162305

うまく言えないんだけど、例えば「熱があってそれが頭と胃袋それぞれに作用して頭痛吐き気になってる」ってんじゃなくて、「頭痛が高じて吐き気に転化してる」っていう感覚がある

風邪かな、初めてなったかビビってしまった

http://anond.hatelabo.jp/20130422162049

怖い怖い怖い

病院行ってくれ

脳出血の可能性がある

取り越し苦労なら笑い話だからいか病院行け

誰かに付き添ってもらえ

無理そうなら救急車呼んでもいいよ

2013-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20130408114008

他人から渡されたクッキーを食べるか

増田本音

まりあまり良く知らない人間・もしくは知らない人間から渡される手作りは、本来気持ち悪いものだと思っている。

(あまり良く知らない人間と、知らない人間をごっちゃにしているのはちょっと大雑把すぎるんではないかと思うが)

まり人間不信なのだろう。

捨てずに食べてほしいと思うのは自分が、クッキーを持ってきた女の子と同じ立場になる可能性があるから

ジェンダー云々はたぶんこじつけ

郵便物勝手に開けて支払日をカレンダーメモる女はありか

  • うちのお母さんはやってたよ派
    • 昔の専業主婦はみんなそうでした、彼女もそんな感じでありがたいです信頼してるよハート
    • その彼女超便利じゃん楽でいいわ
  • うちのオカンはやってたが彼女がやるのはちょっと引くな
    • 彼女は他人でしょ。まぁ結婚したらいいけども。
  • いやいやありえないよ派
  • その女どういう魂胆なの?派
  • 財産調べてんじゃね?派
  • その彼女というのは本当に実在しているのでしょうか派

結婚しているならともかくと書いてあったので、まぁ一般的な反応だと思われる。特にジェンダーバイアスは感じられない。

男女入れ替えても彼氏が~とかはなしされたら引くわ。でもえーいいなーという女がいることも容易に想像できる。

まりこの感じ方は個人差、あるいは育った環境の違いなのだ

男性危機感の無さ

男性であるがゆえに危険あいにくいので危機感がない、というのはジェンダーバイアスと言うよりは体格差の問題だと思われる。

また日本は割りに治安がいい(場所によるが)ので、危険に遭遇しにくいという環境にある。

少し前に「海外に行く時に気をつけたいこと」みたいな記事がホッテントリしていたが、日本人男性はああいうふうに海外危険地域に行く以外に危機感を養う場所がない。

危機感を小さい頃から育てていないので、危険な目に少しでも遭うとスリマンセルとか言い出したり、レーザーを所持しておこうなどとピントの外れたことを言い始める(レーザー照射して相手を逆上させるくらいなら防犯ブザーならしたほうがよっぽどいい。最悪の事態がおきても救急車パトカーに居場所を教えることができるし)

元増田に関しては端的に言うと

挙 げ た 例 が 悪 い。

ほいで、本音とか言いながら

こじつけようとして自分で混乱しているだけだろう

ジェンダー問題

女なら~だが男だと…の件。たしか痴漢の問題みたいなのはあるが、一般的な男性痴漢被害に対して懐疑的、たちが悪い場合AV脳なので、

男性が被害にあった場合相談者として男性を選ぶとひどい目に合いやすいが、これは女性も同じ。

女性女性相談した場合はそんなにひどい目に合わない。男性に話をすると火病られたり、嘲られたりなどしたという話はわんさかある。

どちらかといえば、クッキーを焼く男子の肩身の狭さみたいな方がジェンダーバイアスである

なおジェンダー問題に触れるとなぜか、みんなが男女平等意識を持たねばならないみたいな崇高な思考を持ってしまう人が一部にいるが、

ジェンダーフリー性差別から解放であって男女平等ではない(一部には含むが)。

したがってみなが男女平等意識を保つ必要はないし、個々人にそれぞれジェンダーバランス存在するが、それを否定する必要もない。

どちらかと言えば個人の個性を尊重するほうが大事だ。

たとえばひどい例ではあったがクッキーを喜んでしま男子たちもそれはそれでそういうジェンダーバランスを持っているので、それを否定する必要はない。というか否定すんな。

また、郵便勝手に開けるのは社会的にはどうかとは思うが、両者に合意がとれているのなら問題ない。むしろ結婚した後は女が管理すべき!とかいいはじめたらそれはジェンダー問題である(なぜなら専業主婦がその役目を担っていたが現代ではその役目はすでに失われつつあるからだ。すべてのおんなが専業主婦になりたいわけでもないし)。

タクシー代として約2億4千万円の公金を支給

北海道滝川市の元暴力団組員の夫婦らによる生活保護不正受給事件では、不正を疑う機会が何度もありながら、市は積極的な行動を取らずにタクシー代として約2億4千万円の公金を支給し続けた。なすべきことをなさない「不作為」がまかり通った過程を、関係者の証言や裁判記録から検証した。

(中略)

滝川市内にも13の診療科を擁する市立病院がある。約85キロ離れた札幌市北海道大学病院へのタクシー通院は本当に必要だったのか。幹部職員は「北海道ナンバーワンと認める北大病院医師の判断が非常に大きかった」と語り、当時の担当者かばった。

(中略)

夫婦タクシー代が月に2千万円近くに及ぶこともあったのに、事務所長は「まあ、救急車並みの装備を付けたタクシーだったので、移送費については妥当というふうに考えていた」と語った。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130407/crm13040722320009-n1.htm

妥当くそも、算数もできないのかって話。

一般的な介護タクシー計算してみると、

http://kaigo.c-dp.co.jp/

14,000,000月額
466,6671日
233,333往路
194,444割増分を減算(/1.2)

2,000ヘルパー2名
1,000介助
1,000寝台
1,000吸引器
189,444

770初乗り1.6km
188,6741メータ120円で1,572メーター分288m*1,572メーター=452,819km

片道450キロ北海道をほぼ横断できるよ!

往復900キロ。これを毎日欠かさず!

毎日10時間以上車の中にいないと無理。しか夫婦別々で乗ってる。

貸切にすれば、30分4,240円だから12時間借りて10万ちょい。ま、それも北海道横断往復しての値段だけどねw

小学生でもおかしいって計算できるレベル。これで妥当とかないわ。

2013-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20130402135139

お前って、夜車が来ないとわかってる横断歩道信号無視したことないの?

そう思って信号無視して轢かれて死んだ奴はいっぱいいるよ。

あと

そう、こういう奴が出世しないw

とか言ってる奴が、新入生に無理やり酒飲ませたりして救急車騒ぎを起こしたりする。

2013-03-26

《89》 「専門医がいないので」と救急車が断わられた。納得できなくても……

http://apital.asahi.com/article/sakai/2013032500005.html

 

この問題については、発言する医師に熱血な人が多いせいか知らないが、

「僕らも専門外の救急を受け入れなきゃいけないと思ってます! でも司法が許さないんです!」というような論調ばかり見る気がする

しかし実際の所、司法判断がどうであれ、専門外の病態医師としても診たくない

少なくとも僕はそうだ

この酒井ドクターだって、以前まったく専門外である幼児心肺停止を受けてしまって、恐ろしかったと書いている

僕が同じような状況に置かれて、尚且つ専門の医師ヘルプが無かったら、たとえ家族や本人が許しても、

「専門の人に診てもらえば、もっとましな治療が受けられるのに…」と罪の意識を覚えることは間違いない

そういうのが嫌で、僕は救急指定病院を辞めた

 

しか現実問題として、ここまで極端な例ではないが、夜間救急をやっていた時は似たようなことがしょっちゅうあった

そういう時は、救急から問い合わせを受けた時点で「専門の医師は居ませんがよろしいですか」と患者に確認してもらっていた

一応自分対応可能かどうか(この場合は最適な治療ができるという意味ではなく、朝まで持たせられるという意味)、

救急隊の報告から判断してもいるが、何しろ実際に診てみるまで本当に対応可能な病態かは分からない

まあ口約束など訴訟になればほとんど効力は無いのかもしれないが、自分に対する気休めである

しかし一方で、そんな自己欺瞞を用いてまで無責任ベストでない治療を引きうけている自分に、また嫌悪感が募る

まともな知識もない癖に病人を囲い込んで重症化させるトンデモ代替医療と、僕との間に、どれほど差があると言うのだろう?

 

そういう意味では心タンポナーデ事件のような判決は、むしろ僕のような医師の恐怖感に正当性を持たせてくれたと思う

見当違いの治療をして助かる命を損ねてしまう恐怖を押さえてまで、救急を受け入れるのは問題であると明言してくれた

かめた訳ではないが、内心「やはりそれは間違った行為だったのか」と感じた医師は多いのではないだろうか

からこそ、ほんのわずかな数の判例を以て、多くの医師の行動が変わってしまったのだと思っている

2013-03-24

田舎会社就職する新入社員

田舎会社ヤバい。

こいつらどうかしていると思いつつも、そこで上手くやっていくための方法何となく分かってきたので、

文章にまとめてみたい。

4月からそういった会社に運悪く入社してしまう方々の参考になれば幸いである。

私は東京会社で5年間勤務後、実家事情退職出身県に戻って再就職した。

再就職先の会社が、東京会社とあまりにも違っていた。

そのヤバさと、田舎会社の連中と上手くやっていく方法を挙げていく。

なお、私が以下に書くのは、以前の会社と今の会社の2つを比べただけなので、

一般性に欠くことを了承して欲しい。

さらに言えば、田舎と限定的に書いたのは多少"釣り"の意図も含んでいる。

会社場所関係なくヤバい会社存在すると思う。

● 陰口がヤバい

何よりまずみんな陰口が大好きだ。

良い噂が広まることは稀、悪い噂は半端ないスピード拡散する。

仕事ミスしようものなら、次の日には何故か別チームの先輩が知っている。

気に入らない同僚への揚げ足取りも頻繁に行われるため、

例えミスをしていなくてもちょっとしたことが悪い噂として広まってしまう。

しかも最悪なのはマネージメントをすべき立場人間が加担していることだ。

役職があるにも関わらず、誰々がウザイとか言って仲間内ヘラヘラ笑っている。

陰口と通してチーム内の結束を高めているようだ。

そう言った上司に気に入られる方法は簡単だ。

自分も陰口に加担すれば良い。

陰口は悪いことだという正義心を捨て、ただ第三者を悪く言うことに快楽を覚えるようになれば、

上司に気に入られ、ゆくゆくは出世に好影響を与えるはずだ。

私は絶対にそんなことしないけど。

● 話題がヤバい

雑談飲み会で話題になるのは、パチンコ風俗、と時々、嫁の愚痴だ。

特に飲み会がヤバくて、私は入社10回程度飲み会に参加したが、それ以外の話題はほぼなかった。

パチンコで3万勝った」、「5万負けた」が会話の入り口だ。挨拶代わりだ。

そこから「勝った金で風俗行ったわ」「店はどこどこの…」と話が発展する。

さらには、若い頃は給料の半分を風俗につぎ込んでいた話や、酔って川に飛び込んで救急車で運ばれた話など、

よく分からん武勇伝が延々と続く。それ前の飲み会でも聞かされました。

まあこの流れってどこの会社でもある程度同じだとは思うが。

私としては何一つ面白くない。

まあ、笑うところでは空気読んでちゃんと笑ってるけど。

あと質問して話を広げたり。全く興味ないけど。

たまに私の趣味の話を振られて割りとクリエイティブ趣味とか受け答えするんだけど、

他の連中には金を使わない趣味楽しいとは思えないらしく、きょとんとした顔になり、

5分後にはまた下ネタトークに戻っている。

で、2時間と5000円を失う代わりにストレスタバコ匂い二日酔い頭痛が残る。

このつまらない飲み会を楽しくする方法も簡単だ。

自分パチンコ風俗趣味を持てば良い。

給料の何割かつぎ込んで話のネタを作る。

そうしてこちらから話題を振って盛り上げられれば、飲み会でも良い話相手として重宝される。

私は絶対にそんなことしないけど。

スキルがヤバい

スキルアップ?何それ?な空気蔓延している。

仕事以外の時間は金を使って楽しむのが基本的スタンスだ。

家で◯◯の勉強してます、と言おうものなら、頭おかしいんじゃね?と言われる。

というか言われた。

英語をちゃんとした発音で話そうものなら、何故か笑われる。中学生かよ。

また先輩達は自分入社何年目かを異様にアピールする。

そんな何の努力もなしに勝手に積み上がるものでアピールされても…

他にアピールできることは無いんですか?

平均的なスキルさえあれば問題ないと見なされるし、

上司より高い能力があると、かえって悪く思われる。

上に書いた陰口の対象になる同僚というのは、皆スキルが高かった。

そういった人達揚げ足取りの対象になってしまう。

からそんな会社に入ったのなら、スキルアップなんてやらなくて良い。

金と時間の浪費こそが美徳だ。

下手に成長して上司にアピールするしまうとかえって不利益だ。

ただし、揚げ足取りや陰口のスキルは好まれるのでどんどん伸ばして欲しい。

私は絶対にそんなことしないけど。

● 以上、私が感じたこの会社のヤバさを列挙したが、もちろん良い所もある。

離職率はとても低い。(他に転職先がないからかも…)

・基本的には仲が良い。(仲間になりさえすれば、自分立場が危うくなっても助けてもらえる)

社員食堂のメシがうまい

● かなり愚痴っぽくて汚い書き方になってしまったが、私が言いたいのは、

その会社人達と上手くやっていくためには、自分の信念を多少曲げる必要があるよということです。

で、仮に上手くやっていけなかったとしても転職とかの選択肢もあるよということも忘れないで欲しいです。

最初就職した会社に我慢してずっと行く必要なんてありません。

なお、私はこの会社を既に辞め、現在は別の会社に勤務しています

東京会社ほどではないが、良い環境仕事させてもらっています

2013-03-21

娘が事故に遭った。

先日、息子が私のパソコンYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。

その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前叫び続けた。現場事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。

私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。

収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。

話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカー警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署から加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。

帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。

事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分スケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか

帰宅後、今回の事故新聞に載っていることを知った。加害者報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞Web記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。

あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去事故加害者被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者しかからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。

様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。

以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。

2013-03-20

娘が事故に遭った。

先日、息子が私のパソコンYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。

その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前叫び続けた。現場事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。

私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。

収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。

話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカー警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署から加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。

帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。

事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分スケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか

帰宅後、今回の事故新聞に載っていることを知った。加害者報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞Web記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。

あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去事故加害者被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者しかからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。

様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。

以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。

娘が事故に遭った。

先日、息子が私のパソコンYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。

その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前叫び続けた。現場事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。

私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。

収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。

話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカー警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署から加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。

帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。

事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分スケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか

帰宅後、今回の事故新聞に載っていることを知った。加害者報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞Web記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。

あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去事故加害者被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者しかからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。

様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。

以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。

娘が事故に遭った。

先日、息子が私のパソコンYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。

その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前叫び続けた。現場事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。

私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。

収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。

話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカー警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署から加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。

帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。

事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分スケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか

帰宅後、今回の事故新聞に載っていることを知った。加害者報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞Web記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。

あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去事故加害者被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者しかからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。

様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。

以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。

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