はてなキーワード: 指導教官とは
目で見て達成感があったし、また読みたいと思ったときにはファイルを見返していた。
あと、自分は読んだ論文一覧をbibtex形式でテキストファイルにまとめていた気がする。論文書くときはそれをincludeして参照すると参考文献欄には引用したものしか出てこないんじゃなかったっけ。
当時から自分が読んだ論文とそのまとめをブログにさらしている人は普通にいたけれど、後で見返すのにはいいかもしれない。
それが恥ずかしいなら、テキストファイルに論文ごとのメモを書いておいて全文検索できるようにインデックスを設定するとか、自分しか見られないように権限を設定してクラウドに保存しておくなりがあるかもしれない。
ぶっちゃけ指導教官に出していた週報に読んだ論文のまとめを書いていたので、実質に自分がやっていたのはテキストファイルにまとめを書く方法なんだけどさ。
無理して進学して病んでも指導教官に面倒かけるから、それなら思い切って今相談した方がいいと思う。3択以外の選択肢を知ってたりするかもしれないし。
私も好きだと思って進学したら病んでしまったので、がんばってね。
勉強できない どうしよう
勉学に対する志があるわけじゃなくて、コロナのせいで資格の実習がふたつ被っちゃって、留年すると奨学金が止まっちゃって、奨学金が止まると授業料免除が受けられなくなって……
とにかく色んなバグのせいで進学するかひとつ資格を諦めて単位を無駄にするか留年してお金がかかるかの三択に迫られて、進学を希望している
一応単位を落としたことはなくて、GPAは高くも低くもない 頭の出来は悪くない方だったはず ものを理解するのは得意だし、本を読むのに抵抗がないから勉強が苦しかったことは一度もなかった
どうしたらいい? 教科書を開くのが辛い、英語を読むのが辛い、指導教官の顔を見るのが辛い、なんならメールを開くのが怖い
卒論も進まない、勉強も進まない、進学どころか卒業する自信がなくなってきた
そもそも大学に行けてないから資料も相談する時間も調査時間もお金も何もかも足りない
でもここで止まるとせっかく今まで面倒を見てくれた指導教官や院の先輩になんと思われるか、と思うと勉強もできていないのに進路を変えられない
辛い
親は高卒で、相談できない。生きるためのお金はくれるから悪い親じゃない 。ただ勉強するための資金は自分で稼ぐべきだという考えの人で、私はバイトをして授業料を免除してもらう必要があるだけ
勉強したくないよ
でも本当はこの分野好きだったはずで、もっと勉強したかったはずで、資格だってちゃんと取りたいはずなんだよな。そんなことなかったのかな
どうしよう 死にたい
数学者になるような人は、1学んで10修める人です。彼らは、実例を計算したり、同値な言い換えを考えたりしている内に、誰に教わらずとも独自に現代数学の概念を再発見したり(場合によってはオリジナルな結果を発見したり)します。たとえば、テイラー展開を考えている内に自然に解析接続の概念に到達するとか、連立方程式を考えている内に行列式の概念を独自に発見するとかです。
これはそれほど難しいことではありません。数学が好きな人が普通にしているようなことを習慣的にしていれば、いくつかあるものです。つまり、具体例を考えたり、別証明を考えたり、定理を一般化してみたり、仮定を除いて反例を作ったり、と言ったことです。そもそも、数学者は既存の論文に無いオリジナルな成果を出すのが仕事なのですから、これは何も特別なことではありません。
逆に、いつまでも「教えてもらう」という態度では、数学者になるのは明らかに厳しいでしょう。むしろ、上に書いたようなことをするのは当たり前であって、「指導教官の出す課題に取り組んでいれば、困難なく数学者になれる」などと思う方が異常ではないでしょうか。
ところで、こういうことができる人というのは、一日に何時間くらい数学を勉強しているのでしょうか。この答えははっきりしています。
「寝る時間以外ほぼ全部」です。
数学者になるような人のほとんどは、数学が楽しくて仕方なく、気がついたら数学に没頭しているような人です。机に向かって本や論文を読むだけが数学の勉強ではありません。彼らは食事中だろうと入浴中だろうと一途に数学のことを考え続けています。
正直、「数学を勉強しよう」なんて意識している人は、あまり数学者に向いていないと思います。世の中にはもっと楽な道があるのですから、そちらに進んだ方が得です。国立大学の教授なんて、就職倍率は何百倍もあり(それも東大等の中でも極めて優秀な人材の中で)40代後半になってやっとなれるのが普通なのに、年収900万かそこらです。大企業や外資系企業等に就職する方がよほど理にかなっています。
数学者になること自体は、そんなに「天才」でなければいけないということはありません。
があればなれるんじゃないでしょうか。誰でもなれるとは言いませんが、天才である必要はありません。数学の世界での天才というのは、もっと常軌を逸した人たちです。
日本の大学生の多くは、大学に入ったら何も勉強しません。40人のうち約半分が、1〜2年生の勉強にすらついて行けず、以降はギリギリの成績で単位をなんとか取るだけで、何も身に付けずに卒業していきます。
数学で最新の論文が読めるのは早くて学部4年の後半、ふつうは修士1年の後半から2年です。したがって、それまではセミナーで教科書の講読をします。このただの「読書」が、最低限の水準でできるのは、40人中10数人です。最低限の水準とはつまり、
等です。あとの30数名は、セミナーの体を成していません。数学者を目指す場合、まずこの「同学年の上位10数人」に入り込めるかどうかが1つの肝になります。まあ、これは普通に勉強していれば余裕できます。
昔は、この上位10数人だけが大学院に行き、そのうちの半分くらい(全体の上位1割くらい)が学者になったようですが、今は(少なくとも私の周りでは)もっと厳しいです。ポスト自体が少ないのと、大学院生のレベルが下がったので周りに吊られて気が緩むのが原因のようです。
ここ数年、博士号を取得中とか、その後のテニュアのポジションが取れなかったとかで
いかに博士課程に進んでアカポスに進むのが最低最悪かというエントリをよく見かける気がする。
確かに、若手研究者の現状は前よりも悪くなっているんじゃないかとは思う。
自分は博士号取得後に任期付きアカポスになり、無事テニュアのアカポスになった。
周囲の教員や研究者は、みな人柄もよく頭もよく、話していて面白い人ばかりだ。
これまでは研究ばかりが重要だと思っていたけど、教育へのやり甲斐も実感した。
アカデミアは、働き方も自由、PIになればこれをやれと仕事を命令されることもない。
大学事務が非効率と感じることもあるけど、お互い仕事でやってるんだから仕方ないなと思ってる。
何よりも、自分の好きな研究を自分の好きなようにできる自由がある
給与はそりゃ自慢できるほどいいわけじゃないが、卑下するほども悪くない。副業もできる。
うちはダブルインカムで配偶者も稼いでるので、家計は余裕がある。
結婚できない、という説もみかけるけど、
知り合いのアカデミアの同世代の中で結婚していないほうが珍しい。
自分が優秀だったからこういう環境にいるといいたいわけじゃない。
素晴らしい職業なのに、最近あまりも夢がないエントリばかりだなと思ったから。
自分のまわりでは、研究者としての能力が足切りレベルだったか、
競争社会には向かない性格だったか、ないしは単に人間として付き合いにくい奴がいなくなったと思う。
業績があっても付き合いにくかったら、当たり前だけど長く付き合う同僚や部下としては願い下げだろう。
でも教育者に向かない嫌味なやつは選ばれない。
目を引くような業績がたとえなくても、
同僚や共同研究者としてやっていきたいと思う楽しい人や、研究テーマに引きがある人は残ってると思う。
もちろん他にやりたいことがあってアカデミアを去った人もいると思う。
そういう人は新しい道を気持ちよく進んでほしいし、
自分ができなかったことをやってくれていると応援したい気持ちがある。
辛く悔しい思いをしたという人がいるのは間違いない。
子供が博士課程に進学したいと言ったら応援できるのか、と書いてあったとある投稿を見るまで、
アカポスは最高だなと思いながら、こういうことを書くなんて思いもしてなかった。
嫌味だと受け取られるかもしれないし。
伝えたいことは、学級の道は楽しい。向いている人には楽園だと思う。
少なくとも自分のまわりは、文理問わず任期なしの職に転換した人の方が多いです。
自分の子供の職業選択についてああだこうだ言うつもりはないが、
もし、子供が将来学者になりたいと言ったら、もちろん応援します。
仕事でプログラムを書くけれど、プログラミングを生業としているかというとちょっと抵抗があるな
結局、ご縁があったとしか言いようがないな。自分で選んできたというよりも神の手に導かれたというほうがしっくりくる。
計算なんて人間がすることじゃないというのがそのころの主張だったので、プログラムに宿題をやらせることを思いつき、計算はそちらでやるようにする。
大学に入ったら、ほかの科目がからきしダメで、唯一使い物になったから、でもしかで情報系の学科に進む。
一時期数学系に行こうかとした瞬間もあったけれど、人気研究室にお試しで面接を受けに言ったら合格と言われ、流されるままに情報系の研究室へ。
ただプログラムを漫然と書くのが嫌なんだと主張すると、指導教官から研究の為にプログラムを書いていると宥められ、学位を取って就職。
学部3年の終わりごろ、周囲の友人が就職の道を選ぶなか、俺は院進を決めた。
院進を決めた理由は…何だっただろう。
研究活動を一度経験してみたかった。もっと学びたかった。就職活動が嫌だった。TAの人が優しかった。もし自分が研究に不向きだったとしても、(学部時代の成績が良かったので)まぁ2年くらいなんとかなるっしょ、と思って決めてしまった。
当時はそんな自分の浅はかさを薄々自覚しつつも、得意の楽観視をキメることで、「大学院生活が失敗に終わる自分像」から目を背けていた。
その研究室に同級生や先輩はおらず、学生はなんと俺一人だけという環境。(博士課程の学生なら何人か居たが、非常にとっつきにくかった)
なので分からないことは指導教官に聞くしかなかったのだが、これが最初の挫折ポイント。学部までの授業は席に座って聞くだけのいわば受け身でいい。しかし、研究は誰かが手取り足取り教えてくれる訳ではなく、自分で行動し、分からなければ質問に行かなくちゃいけない。
研究室に入ったばかりで分からないことすらわからなかった俺には、指導教官の顔色を伺いながら質問に行くのが辛かった。せめて同級生か先輩が居てくれたら、ちょっとはマシだったかもしれないが…その研究室を選んだのは自分だし。がんばって新しい環境に慣れながら、がむしゃらになって駆け抜けた。
そして、沢山の恥ずかしい失敗(マジで思い出しては消えたくなる)や挫折を重ねながらも、指導教官の手取り足取りなご指導のおかげで成果を出すことができ、なかなか満足いく形で大学を卒業した。
やってよかったなと思った。(成功したのは9割指導教官のおかげたが)
その一方で、研究に対する拒否反応がじわじわと膨れ上がってきているのも感じていた。
コロナが流行り、今年度から研究室には行っていない。面倒でつらい発表ごともなく、進捗も求められない生活は非常に心地がよい。
いままで騙し騙しやってきたが、自粛がずっと続けばいいのにと思っている時点で、俺はやっぱり研究なんてやりたくないのだ。
自粛の終わりが近づいているのが憂鬱だ。気がつくと涙がとまらなくなる。
どうして俺は大学院なんか来てしまったのか。ちゃんと考えて進学するべきだった。やっていれば興味が湧くだろうと安易な考えで進学したことを悔やむ。
何かと理由をつけて辞めれたら、心が一瞬楽になるだろうが、周りに全てを打ち明ける勇気はない。
いまだに俺は論文の読み方も分からないし、発表もド下手くそだ。なのに上達する努力はしたくない。疲れた。やめたい、やりたくない、やめたい、そればかり考えているクズだ。
論文を読もうとしても、資料を作ろうとしても、すぐに意識が明後日の方へいってしまう。
ここまでにしよう
とりとめなく気持ちを書いていたら、少し気分が軽くなった気がする。
カンファレンス3日目の最後の発表と4日目の冒頭で、カリフォルニア大学サンディエゴ校の数論学者キラン・ケドラヤが望月教授がABC予想の証明にこのフロベニオイドをどのように用いようとしているかを説明した。彼のレクチャーにより、望月教授の手法において何が中核を成しているかが明らかにされ、それまでの時点で最も意義深い進展となった。望月教授の博士論文の指導教官であったファルティングスは、ケドラヤの講演が「インスパイアされるものだった」とメールに記している。
「ケドラヤの講演は、そのカンファレンスにおける重要なポイントでした」と出席したスタンフォード大学の数論学者のブライアン・コンラッドは語る。「その日たくさんの人に連絡しました。こんなテーマがケドラヤの講演で話されたから、明日とても興味深いことがわかるだろうってね」。ただ、結局は、そううまく事は運ばなかった。
いとこは、母親に手取り足取り宿題や予習復習などの家庭学習をやらされてて、できない宿題にヒステリー起こしてオンオン泣いたり母親が替え玉で宿題やったりしてたけど、over30の今はろくな職歴のないアルバイトのオッサンだよ
子供の頃は成績上位でそれなりに自慢できる大学に入ったけど、ゼミが始まったあたりでドロップアウトして中退&ヒッキー人生だよ…。ゼミの課題発表で恥をかかされたって怒ってたよ…準備してない自分が悪いのにさ。指導教官に謝ってもう一度チャンスをもらいなよって言ったけど先生が悪いの一点張りだったよ…。今は放射脳とミソジニーを罹患して、親戚が集まる酒席でだらしなく酔っぱらってミソジニーを垂れ流して親戚からも鼻つまみになってるよ…。30過ぎても顔が赤ん坊みたいなんだよ、責任感とかが感じられない表情で頬はいつも少し下の方がふくっと膨らんで、泣き出す前の幼稚園児みたいな顔で、ひげのそり残しがあって…。見てらんないよ…。
私ちゃんは良い大学でて良い仕事についていいわねって叔母に言われるけどさ、アンタがあんだけ甘やかしてりゃスポイルされるよ!って話だよ。全部母親におぜん立てされて生きてきちゃったから自発性とか責任感とかゼロだよ…。バイトに行っちゃ1か月もたたずに首になってるよ…バイトの時間に起きられなくて母親にキレたりするらしいよ…。泣かれてもさ、知らんやん自業自得やん、って思うよ…。
今までROM専だったんだけど欲が抑え切れなかった。日記の代わりに適当に書いていきたいところ。
今日対人の心理系実験やってたら参加者さんが割とドストライクで連絡先聞きたい!とか思ったけど何も出来ず。
指導教官とか実験に参加してもらった方とよく付き合ってたらしいんだけど、どうやったらそんなアクティブになれるんですかね…。
大学院入ってから研究やらバイトやら修論実験やら学会やらで彼女を探す以前に女友達とも男友達とも遊べず若干悲しみ。
学費も家賃も当たり前だけど全部自費だし他の大学院生どうやって生きていってんのか…。
たまにいる大学院で学生結婚してるやつとか本当何者なんだよ…。
まぁこういうマイナス思考とかぐちぐちいうのやめないと何も始まらないんですけどね!!!!!!
P.S. ああいうの言っといて何だけど実験参加者に個人的な連絡先聞いたりするのって倫理違反なんじゃとか思ってたりするんですがどうなんですかね。
あ、公認心理師も取りましたが、心理師より心理士表記のほうが何となく好きです。
「師」って強そうすぎる。
ネットワーク会議に出たり、セミナーの講師や企画運営もしています。
心理士として
相談者を怖がらせない。
を目指しております。
カウンセリングは、カウンセラーが相談者の問題を解決してあげることではなく、
相談者が解決の糸口を見つけて、それを実行するために伴走するようなものなので、
というのが前提としてあるわけですが。
一般的には「悩みを解決してあげる」のがカウンセリングと思われがちですが、
そんな魔法のようなことはできませんよ。
自分で動いて行ける!と思える程度の後押し。
素晴らしい人におんぶにだっこで丸投げしたいを刺激しない程度の後押し。
カウンセリングについて語ると長くなるので、
考えたいんですけど、考えているんですけど
一般的な職場のメイクって、ほぼほぼキリっと頼もしそうな感じ、みたいですよね。
ちょっとそぐわないと思うんです。
心理士って。
信頼はできるけど親密ではなく、依存も(できそうに)ない距離感。
だからいわゆるバリキャリなメイクは心理士っぽくないわけです。
頼もしすぎるし、印象に残りすぎる。
今度は色気が問題になるんですよ。
別職種の友達に「モテメイクは?」と言われたので、調べてみましたが、
すぐ「蒸気肌」とか色気につながってしまうんですよね。
ほぼすっぴんみたいな感じで…。
そう、たしかに「美しくなくてもいい」わけですけど、
今のところ、印象にそれほど残らなくて、
自分がボチボチ納得できる程度のお化粧のポイントをまとめます。
私はブルベ冬です。
普段もそんなにきりっとしたくないので。
顔が派手なので、アイメイクしなくてもいいぐらいなんでしょうけど、
アイメイクが好きなので、いい感じの妥協点を探し続けています。
最近はラブライナーのバーガンディブラウンが優しそうで好きです。
細めに入れて、目じりは伸ばさないです。
でもやっぱりアイラインひかないほうがいいのかなぁ…。
NOメヂカラ。
アイシャドウはグラデーションであまり色味を感じさせないように、
ヌーディな感じ。
やっぱり研究中です。
いわゆる「愛されメイク」みたいに入れたほうが、
多分塗らないほうが、印象に残らないんでしょうけど。
ビューラーでは上げません。
少しでも目力を弱めるため…。
でも私、してなくてもまつ毛けっこう上がってるほうみたいです…。
チークは、斜めに入れないように。
色味は感じさせないぐらいがいいですけど、
クリームチークで、パウダーの下からじわっとぐらいがいいんだろうなーと思うんですけど、
キャンメイクのパウダーチークのスミレパープルが良かったですが、
私は本当にブルベなので、あまり参考にはならないでしょうね…。
幼くもならず、発色も強くなく、白くもならず、印象に残らない健康的な色味です。
艶=色気というより健康を目指して。
でもシェイディングは、輪郭に入れる程度です。
ノーズシャドーとかは違うなと思って入れてません。
ただ、口角にコンシーラーを塗って、
にっこり口に見えるように、は確定しています。
色はねー、難しいですね。
健康的には見えたい。
でも口紅でしっかりした色をしっかり塗ると、
しっかりして見えちゃうので、
なのでくすみピンクの色付きリップとかを今のところ使ってます。
フローフシ(今はUZU)の3℃が好きです。
健康的と言われやすい、コーラルピンクやオレンジは私には全然似合いません…。
今のところこんな感じです。
書いてて思ったんですけど、
メイクってどちらかといえば、他人の印象の残る方向性が強いのにもかかわらず、
私が目指しているのは、印象に残らないって方向なので、
そりゃあ難しいですよね。
でもカウンセリングは「カウンセラーの先生のおかげです」と言われたら失敗だと思っているので、
レミじゃねーよw
http://www.rikkyo.ne.jp/univ/araki/naraki/shirase/essay/sengo/sengo21.htm
1968年4月に東京大学大学院に入学して先ず困ったことは、履修科目届に指導教官の許可印をもらって来るようにと、大学院教務掛から迫られたことである。東京大学法学部の刑事法のスタッフは当時、団藤重光教授・平野龍一教授・藤木英雄教授の三人と、上智大学教授から駒場の教養学部に移籍していた松尾浩也助教授であった。
公務員試験の刑法分野で頻出する有名な理論提唱者に、団藤さんと平野さんという人がいるんだけど、二人とも昭和の東大法学部に所属していて、法学界のスターだったんだ。
字下げ増田さんもたまに団藤がどうとか言っている。
昨今痴漢に対する安全ピンについて議論が喧しい。安全ピンが過剰防衛なのかというと全くそうは思わないのだが、防衛の是非について論じるのはまだ良い方で、なぜか男女間の対立まで話を広げる人がいる。
男性全員が痴漢の味方だなどというのはそれこそ侮辱なので辞めてほしいし、男も性犯罪の被害に遭うことだってあることぐらいは頭の片隅に入れておいてほしい
例えば僕自身小学生のころ下半身を露出させたおっさんに繁みに連れて行かれそうになったし、そのように男児を狙った性犯罪は欧米なんかでは女児よりも多いという話だ。またこれは小学生のころ、塾の社会の先生が話していたので本当かは分からないが、その先生、おそらく40代の男性でスキンヘッド、結構いかつい風貌だったにもかかわらず、男に痴漢されたという。
また、加害者が男性のものばかりではない。僕の友人のイケメンは女性のストーカーに付きまとわれており、そのストーカーは大学にまで押しかけ、怪文書を彼の指導教官に送りつけたなんてこともあった。
このように男だって被害に遭うと述べることで、圧倒的に多いであろう女性の被害者を相対化しようという意図はない。僕が言いたいのはあくまでも性犯罪者は男女問わず敵足るべしということだ。とりわけ男子児童への性的虐待はもっと注目されるべきだと感じる。おねしょたは犯罪
家にテレビが無いから、社員食堂で垂れ流されているワイドショーだけが情報源なんだけど
去年の春 桜が満開の駅で、ピカピカの新卒だった俺はうずくまっていた
新生活を始めたくなくて、新しく暮らす街の駅に着いた途端動けなくなったのだ
本当はこんなはずじゃなかったのに
俺は当時 内定をもらった中で、一番有名でデカくてCMもよくやってる所に就職した
デカけりゃ潰れる事も無いだろう
一通のメールが届いた
詳細は割愛するが「数日間山奥で合宿」「携帯使用禁止」「外部には漏らさない事」
ネットでよく見るブラック企業研修 そのままの内容で一瞬頭がクラクラした
だけどもう卒業も目前に迫っているし
就職活動できる時期でもない
それに、山奥ってだけで内容は普通のビジネスマナーとか そういうものかもしれないし...そう誤魔化すうちに合宿の日はやってきた
「社会人としての心構えを作るために」新入社員は数日間山奥で叫び続け(特定出来ないよう詳細は省く)毎日毎日繰り返し訓練を続けた
夜は2人1組で宿泊部屋が与えられて、俺は真面目な眼鏡の男と同室だった
携帯禁止だろうが 外の世界の情報がないと気が狂いそうになったので俺は夜中いつも携帯を触っていた
付近にバス停は無かったが(独自のバスでここまで連れて来られた)4時間歩けば 交通機関にたどり着けるようだ
当初 眼鏡は気さくなやつだったのに、もう完全に笑顔が無くなっていたし、真面目な性格が災いしたのか 合宿の訓練での失敗を真剣に悩んで寝言で「すいません、すいません」と謝るほど病んでいて可哀想だと思ったのだ
俺の脱出計画を聞くと 眼鏡はすっくと立ち上がり部屋を出て行った
は????
俺が呆然としていたら 眼鏡はすぐに戻ってきた 後ろに指導教官を連れて
謀反者の俺をチクったのだ
俺は滅茶苦茶にしばかれた
肉体的にも精神的にもきつかったが
罵倒の言葉や行為より この状況にいる自分が惨めで ただ親に申し訳ないとそればかり考えていた
事が終わる頃にはもう日が暮れていた
一人で冷めた弁当を食った
合宿に行く前、家族は就職を祝って俺の大好物のすき焼きを作ってくれた
「よかったなぁ よかったなぁ」
「お前の良い所を見つけてくれる会社が絶対あるって 言っただろう?」
「立派な会社に入って 自慢の息子だ」
弁当に少しだけ入っていた肉を食って そんな事を思い出してしまい 俺は急に怖くなった
この合宿が終わったら俺はどんな顔で家に帰ればいいんだろう?家族はきっと笑顔で「どうだった?」って聞いてくるだろう
本当の事を話したらきっと悲しませる
ちゃんと嘘つけるだろうか
それが一番怖かった
耐えて耐えて 合宿最終日を迎えた
今までの俺たちを認める言葉を沢山投げかけて、もう20歳もすぎているのに 子供みたいに同期は皆泣いていた
久々に暖かくてうまい飯も出た
帰りのバスで「いい経験になったね」と口々に語り合う同期達の隣で 俺はぼんやりと外の景色を眺めていた
来た時には積もっていたはずの雪が すっかり溶けて無くなっていた
ようやく一人になって家に帰るまでの間
俺はずっと迷っていた
本当の事を話して就職を蹴るか
家族の顔を見た瞬間 きっと許してもらえると
そう思って 合宿の全てを話した
けれど俺の予想に反して 家族には認めてもらえなかった
そういうのは良くある話で、社会人とはそういうもので、多少の辛いことは乗り越えるべき せっかく大きな会社に入ったんだから、頑張りなさい そうやって励まされて励まされて
俺はやめる勇気もなくて、ただ鬱々とした気持ちばかりが大きくなって 入社日を迎えた
入社式では チラホラと空席を見かけた
俺のほかにも辞めたいと思った奴 やっぱりいるよなと安心した一方で、こんなにも(ほぼ全員)が辞めずに入社式に出ている事も異常だと思った
続きは後日書きます