はてなキーワード: 住宅とは
https://kobe-note.jp/n/n9629ec5abf7a
ここに書いていることは、おおむね同意。
これから本格的に、寒くなるのに時期が悪すぎる。
まるで老々介護だし、このままで持つとは思えない。
上下水道の復旧も住居も
一日だけのボランティアなどは、
集団移転をすべきなのか、
なんとかならないのだろうか。
マジで、みんなで何とかしてほしい。
自分は対して役に立ててなかったと思うし、
もどかしくて仕方ない。
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皆さんが、すこしでも考えてもらえて、うれしいです。
> どんな能力のボランティアがどこに入って何をするべきなのか具体的に頼む。
> 例えば私がボランティアに行っても上下水道の復旧とかできないのだが。
家については、今は片づけでなく(雪がふってしまったし。。。)
> で、どこの自治体もボランティアを受け入れるキャパないようだけど?
なので、近隣県の社協がまとめて入ってくるなど、
早急に受け入れ態勢を強化すべきと思っています。
地元の方とも触れ合えないのですが、
> 2次避難の希望者はどうやったら増えるのか、困りましたねえ
本当にそうです。
その時まで支えることが必要ですし、
と思っています。
ChatGPT4「韓国におけるミサンドリー(男性嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)の増加と過激化の原因は、社会的、経済的、政治的な複合要因によるものです。
ミソジニー(女性嫌悪)の増加は、特に若く教育を受けた技術に精通した男性によって推進されています。彼らは女性とフェミニズムを、高い青少年の失業率、急上昇する住宅価格、成長する経済的不平等など、社会的経済的困難の原因として非難しています。
これにより、女性、移民、性的少数者、障害者に反対する韓国のオルトライト運動が形成されました。これらの感情は保守的な政治家によって強力な公的な武器に変えられています。
また、女性への違法な撮影などのデジタル性犯罪が増加していますが、これらの犯罪に対する起訴率は低く、特に警察や司法システムにおける男性の支配が問題となっています。
一方、ミサンドリー(男性嫌悪)の出現は、普及するミソジニーへの反応の一部です。
女性の権利を擁護するオンラインコミュニティは、フェミニズムがミサンドリーと同義であるという誤解を生み出しています。ミソジニーに対抗するために設立されたウェブサイトMegaliaやWomadでは、時に過激な男性嫌悪の議論が行われています。
これにより、フェミニスト運動が本質的に過激で反男性的であるという誤解が生じ、ジェンダー平等のためのキャンペーンを複雑にしています。
したがって、韓国におけるミソジニーとミサンドリーの増加と過激化は、国の社会経済的および政治的状況に深く根ざし、フェミニズムの誤解と誤解によって悪化し、さらに権力、ジェンダー、経済的闘争のダイナミクスによって複雑にされています。」
この方を大雑把に「防災研究の第一人者」として、しかも御本人は「これから指摘することは、私の責任でもあります。」と述べているにもかかわらず見出しでは「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」とするのは、世論をミスリードしたい気持ちが見え見えで憤りを覚える。
記事を読んだとき、石川県の防災アドバイザーとしての自分自身の反省と読めたのでミスリードしているとは感じなかった。
室崎さん記事に対する一連の批判は、発災直後からの報道が、今回の地震津波の被害を想定外だとする世間の印象を色濃く反映しているように思える。
blueboy まったくトンチンカンだな。問題は初動でミスったことじゃない。初動のミスのあとで修正できなかったことだ。大量の一般車両が交通を渋滞させたのだから、車両の選別をして、渋滞を解消するべき。今も。
初動というのは、実のところ、災害時の緊急対応計画にかかれた想定シナリオ以外に動くのは難しい。発災直後の行政の状況というのは情報洪水であり、いちいち判断をしている人的・時間的な余裕はない。だからこそ計画が重要なのであり、初動は行政各部署が被害想定を部署別のタスクとして平素からいかに予習しているかにかかっているのだ。
したがって交通渋滞という点での初動のミスは、交通規制が計画にかかれていなかったことなのであって、あとで修正できたかどうかはほんとリーダーの資質によるという話でしかない。室崎さんの指摘は、現場での判断ミスではなく、計画の欠如という点にフォーカスしているということはまず抑えておきたい。そのうえで室崎さんは前例にないことが起こってしまったことに対する対処の提言をいろいろしている、というふうにみるべきじゃないかと思う。
例えば奥能登へは入らないように、としたが、石川県全体に入らないように受け止められたのではなかったか、もっと良い周知の仕方はなかったが、など。
と増田がいうように、情報発信に問題があったという指摘は重要だ。
石川県は能登方面への不要不急の移動は控えてといっているし、個人からの支援物資は、受け付けないといっているし、不通や片交だらけの道路で緊急車両の邪魔になるとわかって、一般車両の通行禁止が始まった、みたいなニュースもみる。こんな形で「やれないこと」ばかりを伝え、やれることを伝えない報道の仕方も、一般人にはできることはない、というムードを作っていると思う。この点では室崎さんの指摘に同意せざるを得ないと思ってる。
その一方で、増田が以下にいうように
ボランティアによる大渋滞は阪神・淡路大震災でも発生したが、それが大きな問題でありコントロールの必要があるとされたのは東日本大震災大震災以後。被災地に向かう車両に許可証を貼っていたのを覚えておられる方もいるだろうと思う。
これはその通りだと思う。また、数日前、鍵屋一さんもNHKで、一般の方々、今は待つときです、と強調していた。
しかし、では、肝心のボランティアのコントロールって、報道の側面ではどうですか。また行政はそれを明確に示してるだろうか。
どう活動すればいいか、があまり報道されないし、情報提供もされていないのが現状でしょう。
待つことばかりが印象づけられ、実際にいち早く現地入りして活動しているNPOなどもいるのにあまり報道されない。
1日の発生以来、自分がかつて泊まった宿などが心配で、関心を強く持っている一部地域の宿やお店などのSNSをずっとチェックし続けていたのだが、
一週間くらいすると、XXNPOの支援を受けて頑張ってます!みたいな投稿がちらほらみられ始めた。
なかには、発災から驚くべき速さで準備を整え、現地入りし、ニーズ調査を開始、物資を届けているNPOもあった。世の中には山岳救助なみの準備が必要とされそうな事態でも迅速に駆けつけるNPOがいると知ったのは個人的には希望だった。実績の多い「震災がつなぐ全国ネットワーク」や「RSY」だ。また被災者SNSで偶然「MAKE HAPPY」という団体を初めて知ったが、世の中、いざ鎌倉みたいに駆け付けられる団体がけっこうあることを心強く思った。
これらの活動はたまたま能登半島の特定の被災者(以前、北陸旅行で宿泊したことのある宿や酒蔵)に関心をよせていたから知りえたのであって、報道だけをみていたらわからないことだった。能登町や穴水町などで数多くのNPO支援団体の活躍が聞かれる一方で、奥能登まではまだまだ悪路でごくわずかの団体しかいけていない、という具合に、どのあたりに今現状、支援が進んでいるか、全く進んでいないかのぼんやりとしたイメージがみえてくる。
苦しんでいる被災者を目の前にして、「道路が渋滞するから控えて」ではなく、「公の活動を補完するために万難を排して来て下さい」と言うべきでした。
という室崎さんの考えは、災害対応のコントロールという観点からは暴論にみえるかもしれないが、一理あると個人的には思っている。情緒的な言い方をすれば、公けではない活動による突破、ブレイクスルーの側面を信じているし、実際そのインパクトは無視できない。
いや、むしろ日本の防災の理念というのは、法律上も公けというのは、自助、共助を補完するものなので、公助が整うまで待てという理屈は実はいびつだ。
ただ、室崎さんが指摘している処方箋が筋が悪いという指摘も確かだ。例えば
どんな被災地にも、スタンドプレーのように目立とうとする迷惑なボランティアはいます。そういう人たちに向けて、ブレーキとしてのメッセージが必要なのは分かります。
しかし、今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアラインとして示す方法もあったのではないか、と思います。
というとき、このボランティアラインというのが、どうにもその場の思いつきっぽく響いてくるのも確かだ。
かりにも室崎さんが防災アドバイザーであったのなら、すでに計画の中において方法論が確立され、いざというときに判断をしなくていいように、ボランティアのコントロールを行政のタスクとして、緊急対応計画のタイムスケジュール表に記載すべきだったと思う。それを例示としてしか示せないのは計画性の欠如だと思える。
そもそも、阪神の教訓というのは、発災直後の、行政部署別の個々のさまざまなタスクのタイムラインがなんらかの被害想定をもとに明確に決まっていなかったから初動が遅れた、という問題意識だったはずだ。目標管理型のタスク管理、これが阪神以来、災害関連死が問題となった中越を経て、東日本・熊本へとずっと教訓として積み上げられてきたはず。膨大な情報洪水で忙殺される発災後のリーダーシップには限界がある。現場の判断に時間をとられ過ぎてはいけない。だからこそ、刻々と変化する現場のニーズに翻弄される前に、計画において予め想定する事態(ニーズ)とタスクと何日後までに達成するという目標を明確にする、というノウハウが蓄積されてきた。例えば避難場所のトイレ整備ひとつとっても、発注から目標個数まで細かいスケジュールをあらかじめ想定しているのが防災計画だ。
室崎さんが、インタビュー記事の数日前、自身のSNSで以下のような提言をしているのは、まさにそういうところだ。
支援あるいは復興では、「残心補填」で先を見ながら必要な資源の事前確保をはかることがかかせません。救命救助のニーズが一段落した段階で、大量の消防隊が1週間後の今になって投入されているが、後手に回っている典型例です。今、何をしなければならないのか、3日後に何をしなければならないのかを考えて、必要な人材や資源を早めに送り込まなければなりません。孤立を解消する活動、震災関連死を防ぐ対応、瓦礫撤去整理の活動、被害事態を明らかにする活動、住宅再建に向けた判定と相談業務などが急がれます。
この段階で、「一般」の定義が上から目線でされているのが気になるのですが、「緊急部隊の邪魔になるので、一般支援者やボランティアお断り」というメッセージが、声高に叫ばれています。その結果として、劣悪な避難所の支援や隅々まで物資を届ける活動が疎かになり、再建や復興の相談に乗ることも疎かになっています。ようやく、昨日から自衛隊の食事の提供が始まりましたが、避難所のケアや被災者の相談を自衛隊や消防隊にしていただけるのならいいのですが、・・。
保健衛生、瓦礫撤去、物資配送、被災相談などの対応をはかるには、経験や技能を持った専門的ボランティアを積極的かつ戦略的に受け入れる必要があります。いまこそ緊急援助隊のみ優先の発想を切り替える必要があります。
この点では、初動の遅れ、というのは計画が必要なタスクを想定不足だった、ということだ。緊急対応計画の不備という問題に跳ね返ってくる。
室崎さんが阪神の教訓がゼロになった、と自省するとき、それは室崎さんが指摘する初動における情報収集体制のみならず、ボランティア活動のコントロールについて計画面での想定の甘さも検証される必要があるのだろうと思う。しかしながら、指摘されていることは至極真っ当なことだし、経験に裏打ちされたことばかりだ。
しかし、問題は室崎さんの自省として書かれたからどうだとか、室崎さんが第一人者かそうでないか、なんてことではない。
死ぬほどどうでもいいことだ、と思っている。ああこれはないな、とおもうところはあっても室崎さんの言葉から光るエッセンスをくみ取れば十分なんだよ。
ブコメには反応するつもりはなかったけど一点だけ。
氏の「業績一覧」には著書や論文の概要があってボランティア関連の著作や研究もあるんですが、意図的にスルーしておられるんです?
「阪神・淡路大震災後の被災生活の実態と問題点を明らかにするとともに、被災者の支援に立ち向かったボランティア活動の実態と教訓」
「阪神・淡路大震災後の復興住宅においては、ボランティアや生活援助員さらには民生員などによる被災者や高齢者の新体制」
「地震時におけるボランティアなどの支援組織の果たす役割を世界の主要な地震のケーススタティ」
災害発生直後の救助救援ではなく、ボランティアが入れるようになってからの、しかもメインは更にもっと後になってからの研究であることがわかると思う。
非常時にインフラ確保がまともに出来る最低ラインを下回った田舎は「工業専用地域」に指定して住宅を建てるのを禁止するべきだった。
そうしていれば孤立する住人が出てくることはなかったはずだ。
工場の当直職員等に多少の孤立者は出るだろうが、人数が少なければ対応の難易度は大きく下がる。
まず「労働するだけの能力が既に失われている人間」が存在しないというのはかなり大きい。
自力で避難活動をすることが出来る割合がかなり高くなるはずだ。
介護や補助を必要とする人間が少なくなれば、それだけ救助活動もスムーズになるだろう。
更にはその職員を救うことにインセンティブを持った組織としてそれぞれの企業が存在するというのも見逃せない。
自治体だけでは動きが悪い状況でも、会社という組織であればまだ動きがよくなるというもの。
工場の現状について急いで確認しなければならないというインセンティブのもと、その状況を最もよく知る当直者の救助は優先度特大となろう。
そもそもの話が「行政の力が大きく弱まっているような地域」に人が住み続けたのが間違いだったのだ。
こんな所からはさっさと住民を追い出し、工場で辺り一面埋め尽くしてしまうべきだった。
僕の趣味はウォーキングで近所の川の土手を40分ほど歩いている
15年前から歩いているが、うちは田舎で周辺には古い大きな家が多かったが、この15年でその家が取り壊され
その場所に5~6件くらいの分譲住宅が建てられるという感じでどんどん新しい家が増えていき
人口が増えたのもあるが、近年ウォーキングがいいと言われるようになって歩く人が増えたというのもあるんじゃないかと思う
川の土手っていうのは、増水対策で両側に木が植えてあったりして
自然が結構あり1年通して歩いていると季節の移り変わりが感じられたりして楽しいんだよね
ただ人が増えてきて少し歩きづらくなってきたから最近は近所の山に登ったり
真面目に働いて、株や投資信託で積み立てた。
たぶん積み立てた原資は2000から3000万くらい、それが膨らんだんじゃないかな。
あと、子供名義のジュニアNISAが2人合わせて1000万くらいある。
なので、2000から3000万が7000万くらいに膨らんだイメージ。
親は生きてる。
そこそこ裕福だったから、車を買う時と結婚式を挙げる時と子供が生まれた時と、数十万から数百万単位でけっこう貰った記憶がある。
その頃からかなり持ってたんだけど、親は年収500万くらいじゃ厳しかろうって思ってたみたいで。なんやかんやでトータル500から1000万くらい累計でもらってるんじゃないかと思うけど、正確にはわからない。
投資のリターンは、リーマンショック、311、コロナ等々、安く買えるタイミングに恵まれたおかげ。
それに自分が社会人になった頃から、2013年までは株や投資信託の税率がバカ安で、全ての取引がいま騒いでるNISAみたいなもんで、それも幸運だった。
なんで、まだ3000万くらいローンがあるよ。
元増田です。
たぶんだけども、社会保障って持ち家あり夫サラリーマン妻専業主婦ってのを想定してる。
もしかしたらサラリーマンではなく、農家の嫁みたいなのを想定してるのかもしれない。
中高年寡婦加算とかいう、年おいた女は再婚もキツいだろうからという加算金があったりして笑う。
そんなわけで、想定したモデルに合わないと、こんなんじゃとても暮らすにはキツいっていう支援が足りないケースや、なんでこんなもらえるの?ってケースも起こり得る。
住宅が持ち家じゃないと厳しいのはそのとおりかと。低所得者だと公営住宅に優先的に入居できるようになるので、安いところに引っ越せばいいと思う。逆に、5000万くらいで買ったマンションが近隣の相場が値上がりして、中古で売っても1億くらいになるってケースで、夫が死んで団信で住宅ローンが吹き飛べば、マンションを売っぱらい田舎に越せば余裕の生活ができると思う。住んでれば相続税は掛からないし、相続してすぐ売れば譲渡益課税が取得価格の特例が効くから得だよ。
こういう制度ってギリギリを保証するためのものだから、蓄えがなかったら色々諦めないといけなくなると思うけど、諦めればまあなんとかなる程度には助けてくれると思う。
良く分かって無いんだが、義捐金って何に使われるの?
そこに義捐金が足されたら単に使われる税金が減るだけで、税金払ってるのは国民だから
逆に義捐金が集まったから増税しません、ってなったら義捐金払ってない高額所得者は丸儲けだよね
個人の住宅修繕や企業の工場修繕なんかは地震保険と税金ベースの補助金があるはずで
地震保険入ってない人への補償へ義捐金使ったら、地震保険に入ってる人がバカを見るよね
ベーシックインカム的に全員に一律配るとしても、それは補助金なりがやることだからやっぱり税金なのでは?
非常時に人や物資が不足するからボランティアや支援物資は意味があるとよくわかるんだけど
入間川や柳瀬川、新河岸川はあるが、川のところは低くなっているが、川から離れれば高くなっている。
地震はどこでも起きる可能性があるが、津波の心配はない。高い場所なので、洪水、川の氾濫の心配もない。
(小川はいたるところにあるので、ポイントポイントで氾濫する場所はあるけども)
川沿いなど土砂崩れの場所はあるけれども、それ以外は平坦な場所で崩れそうなところはない。
駅前などは住宅密集地があるが、ちょっと離れればスッカスカなので、交通は不便だが大規模火災の心配は少ない。
あるとすれば、富士山噴火で火山灰、直下型地震で被災(これは日本中どこでもそう)、竜巻(発生件数と被害範囲を考えれば稀中の稀)くらいかなぁ
田舎は道路が少ないから、その道路が土砂崩れや陥没すれば簡単に陸の孤島化する。
都市部であれば、いくつも道路があるからいくつかの道路が被害にあっても大丈夫。学校の校庭のグラウンドがいくつかあれば支援物資を空輸してもらう回数が増える。
報道で観た倒壊した家って瓦屋根ばかり。地震の揺れに加えて上にある瓦が重くて倒壊した。
2018年の胆振東部地震で札幌市は震度6を記録したが、揺れで倒壊した家はなかった。
今回倒壊した家が多かったのは瓦が重いから。重い瓦を支えつつ震度6前後の揺れに耐えるのは厳しい。怖くて住みたいとは思わない。
災害のことを考えて住むところを決めるなら、ある程度人口がいる都市部で非瓦屋根住宅が良い。空から支援物資を運べる大きい校庭がある学校の近くなんか良いな。
能登半島を襲った地震の被災住宅に侵入してミカンを盗んだとして、石川県警は5日、愛知県刈谷市の男子大学生(21)を窃盗と住居侵入の疑いで現行犯逮捕
5日午前8時40分ごろ、石川県輪島市内の住宅に侵入し、ミカン6個を盗んだ
ミカンを持って出てくる大学生に付近住民らが気付き、その場で取り押さえ近くにいた警察官に引き渡した
その爺さんは1970年代末にその戸建てを買って00年代に売っぱらって今は下丸子のタワマンに住んでいる。
築地の戸建てを買った時は新聞配達をやっていたと言っていた。バブル期にタクシー運転手に転向したらしく今年で35年目だという。
新聞配達員の若造が銀座駅徒歩圏内の戸建てを地上権ではなく所有権付で購入した事実に俺は仰天したが、爺さん曰く
「築地って言っても同じ築地の中で富豪しか買えないような家と貧乏人しか買わないよう家が分かれてた。
銀座だって八重洲だって赤坂だって六本木だって昔はそうだった。
今と違って、どの家も値付けが恐ろしく高いなんてエリアは駅から遠い高台ってパターンだった。山王とか池田山とかな」
逆に当時、とにかく都心にあって駅近で安い戸建てが安価で放置されてたのはなんでなんだろ。
当時、現代人の感覚で「この値付けはおかしい」って直観できる人がいなかったのはなんでだろ。そんな難しいことか?
また、当時はたまプラや新百合ヶ丘の分譲住宅にエリートサラリーマンや医師や実業家が殺到する一方で、
武蔵小山や大崎や門前仲町や木場なんかが「貧乏くせえ街(笑)住みたくねえ」で歯牙にもかけられてなかったようだがこの感覚も到底理解できない。
当時をこの感覚でいた人はなぜそういう価値観でいたのか今だとどう振り返るんだろうか。
本当に昨今の住宅相場しか知らない俺からしたら定価の30倍くらいの金払ってたまごっちを購入することと同じくらい理解不能だ。
今なんて例えば、月島に建つ、再建築不可の、地震が来たら一発で崩落しそうな、見るからに寿命がきてるようなあばら家でも15坪もあれば中古で軽く7000万円くらいするというのに。