はてなキーワード: 人口ボーナスとは
何億万回も言われてることだけど、少子化は急激に人口増加曲線をした国なら絶対に起こる現象で避けようがない。
そもそも急激な人口増加をしたこと自体が国としても、生物学的にも異常なことだったのであってそれを維持させようという考えがナンセンスである。
問題は少子化がどの急降下のラインで留められるかということで、それをするためには人口ボーナス期にボーナスが永遠に続くこと前提で定められた社会構造をなだらかにしていくことしかできない。
そういうことを無視して成長期が永遠に成長していくものという幻想を前提にしている思考回路こそが時代遅れであり、それをしている限り社会問題は絶対に解決しないことを自覚するべき。
真面目に解説すっぞ。
日本の人口が増えた時代は高度けーぜぇ成長期ってやつで、けーぜぇが成長してたってこたーつまり日本の資産に相当するモノの値段がうなぎ登りになってってたぞ。
株価が値上がりするってのは、今でゆうビットコインとかと同じだな。ぶっ殺すぞ、じゃないぞ! 注意しろよな!
直接の相関はないんだけれど、人口が増える国って〜のは俗に人口ボーナスと言われて生産性も上がりやすいから経済も成長すんだな!
だから、赤ん坊は銀の匙ではなく木の匙を咥えて産まれてきたとしても、その木の匙が最終的に金の匙を買える位に高騰するから問題なかったんだな!
子供が減れば、相対的には相続財産は少なくなった子供に集中すっぞ。バブル期に集めた資産が最終的に少なくなった子孫に集中するよな!
ただ、元がキャピタルゲインで支えられた資産だとしたら、はんてぇの現象もまた発生するんじゃねえか? ってのは忘れちゃならねえって爺ちゃんが言ってたぞ。
土地も株も、相対的に価値が無くなる事ってのがあり得るんじゃねえのかな? 人口が少なくなるとよ!
そこんところ、角度とか踏まえつつ考えて見てくれよな!
もう言い尽くされてることかもしれないけど、
少し前の時代に、親が子供に「勉強して良い大学入って良い会社入りなさい」と言い続けていたのは社会全体の利益でみると明らかに良くない事だったと思う。
(個人の利益を見る場合にはそうひどくもないだろうし、今も言い続けられていることかもしれないけど)
なぜなら、良い大学入って良い会社に入った連中の大半は、最先端の研究をするわけでもなければ業務の収益性を上げるわけでもなく「良い会社」の中で官僚的な仕事につくのが定番なわけで、さらにそこから転職することもあまりしない。そんなところに、わざわざ能力が高い(訓練に耐えて結果を出せるという意味で)人間をアサインする意味は皆無に近いと思う。「真面目な人間」をアサインしたい、というのが本意(誰のかはともかく)かもしれないけど、結果としてもっと実働部隊にすべきだったエース候補をわざわざ官僚にしてるという意味で勿体無いにも程がある。
(会社という組織の都合上、適性をみて営業に回す場合もあるだろうけど、社会全体でみればゼロサムに近い行為に人材を突っ込むのはけっこう損失だと思う)
研究・商品開発・マーケティングに最優秀人材を突っ込み、さらにそこに「定住させない」ことが社会全体としてのメリットの多い人材登用だと思うのに、それが出来ているのは会社が創業時の勢いを保っているところ(かつ経営者か誰かに見る目があるところ)のみ、というお寒い状況だ。
優秀な人材を後方に回して意味がある組織というのはただ一つ、軍隊だと思う。兵士は消耗するから優秀な人材は参謀を含む後方に回す、という状況であれば合理的な判断だろう。やはり戦後、軍の真似をして組織運営をした会社が多数あったとしか思えない。(そして兵士は消耗品というのがブラック企業につながっている?)これを止めさせられなかったのは監督省庁の怠慢なのではないか。人口ボーナスが消えた瞬間うまく行かなくなるのが目に見えてる運営を日本中がやっていたわけだから制止をすべきだったと思う。
ひるがえって冒頭の「家庭での奨励行動」に戻ると、
おそらくは個人レベルの収支だけをみて「良い大学入って良い会社」を言っていたのだろうから、それ自体は矛盾していない。問題は、それを皆が行うことによる合成の誤謬めいたものについて、個々の家庭レベルでは全くフィードバックがかからなかったことにあると思う。
(加えて、会社の方にまともな人材活用の体制が存在しないことについて想像が及んでいなかったこともあると思う)
であれば、これも全体が見えている文部省なり通産省なり(むかしの時点の話なので旧名称)がブレーキをかけるための動きをするべきだったのではないか。これについては縦割りの弊害に加え、通産省の伝統的近視眼がアカンかったように思う(強いニュアンスを出すためここだけ関西弁)。農業的観点で、毎年どれだけの人材が輩出可能で、それぞれどの程度活躍してくれることを期待するか、というような分析があれば、人材を無駄遣いするところに突っ込ませるような家庭の性向は、役所挙げて早期に改めさせようという動きがあるべきだったのではないかと思う。
じつは是正の動きがあったのか、なにかファクターを見落としているのか、そもそも前提に誤りがあるのか、教えてくださいエロい人。
(もちろん一部は適切に活用されていたであろうしというのは分かっています。マスをなるべく有効活用するという観点の話です。
あと何でも役所に頼るのはおかしいというのも分かるけど、昭和の日本で社会の利益について動けたのが役所以外にどこがあるのかというと…)
こっちはさ、この人工オーナスの日本で必死に妻子を養うために働いていてさ、休日だって子供たちとなるべく一緒に過ごしたいからいっぱいいっぱいなのよ。
例えばね、今年はさ、仕事納めがかなり大変でさ、皆んな疲れ切っていたんだよね。例年だったら「良いお年を」って言ってくれるスタッフも、いつも通りの「お疲れ様でした」だったよ。俺は、そんなことはあぁそういえば自分が言いそびれちゃったな、と思うくらいなんだけど、礼儀とか常識とかを振りかざしてくる奴はさ、それを常識がないとかなじるのと同じようなことをしてくるんだよ。
基本的に自己中なんだよね。相手の状況とか何も考えず、自分が生きてきた経験だけが日本古来からの伝統みたいに勘違いしている。
お互いの幸せについて建設的にコミュニケーションできない人間とは極力最低限の付き合いで済ませたい。
人口ボーナスだっただけの話なのに個人の力で成し得た成功体験だと勘違いしている団塊の世代には痛い人間が多い。
そもそも論として、なぜ少子化がいけないかというのは永久的に人口が増え続けていかないと維持できない社会制度が人口ボーナス期に作られたせいであって。
永久的に増える人口が前提なんてねずみ講と同じなんだからむしろ減少傾向にあることの方が大きな流れとしては正しいんだけどな。
今の年金制度なんて、先に振り込んだ人のところにあとから振り込んだ人のお金が入るんだからねずみ講以外のなにものでもないじゃん。
仮に今強制的に子供を増やす政策(女性の人権を前時代的に抑圧するとか、結婚を強制させるとか)して増えても、他の国が開発したAIとか先端機器が輸入されてきて結局人あまりになって逆移民政策(日本から海外への移住者を促進する)させられる未来が見えるけどねー
なるほどー
私は現行の婚姻制度そのものに否定的な意見を持ちますし、そもそも「結婚」と「少子化対策」を相容れさせようというのがパン好きな人が増える中で田園拡大を目指すような滑稽な対策のように思えているのでその点がまず出発点として相容れないのかもしれませんね(パン屋さんや米農家に恨みはありません)。
高齢者や明治期の価値観から前進がない政治家にとっては、子供とは
「適齢期の男女が」→「婚姻をしたのち」→「妊娠・出産をして」→「家族全員で育てていくもの」
というロールモデルを前提にしていたと思うのです。
しかし10代の妊娠や、おそらく眉をひそめるでしょうが不倫や婚外子ができたとき「望まないから廃棄する」という安直な結論になってしまうのはひとえに「金が無いから産めない」というところに行きつくことになります。
理想的なデキ方をしていない子供を排斥すべき、というのは人口ボーナス期にはありでしょうが、現在において強固に守るべきことであるかというのは疑問に思えるところです。
「恥をかくくらいなら死ぬ」というのは日本の戦時中のごくありふれた価値観でしたので、あるべき子供のつくりかたにこだわって人口消滅していくのもよいのかもしれませんね。
ですが、本気で少子化に対処したいと思うならば、明治期以降の価値観に限定した「子作りロールモデル」から脱却すべきでないかと思いますね。
繰り返しますが私の意見は極論だと思っていますし、おそらく自民党政権下では絶対に実現しないこととわかっています。
ですが「あるべき姿」という社会モデルを維持しようとするために、滅亡の道を選ぶことが本当に正しいことかと敗戦を経験した日本国民としては思ってしまいますね。
ちょっと大げさな言い方になってしまいましたが、中絶と貧困の問題は国家の存亡というところまで関わる重大な問題(の一端)であると私は確信しています。
俺達の国の主要人口層もかなりの年季が入ってきた。
死もお近づきになってお荷物になってきたけど、発言力だけはあるので面白くない。
同僚の介護していた両親も他界したらいしけど、後日談で「正直助かった」と感想をもらった。
・団塊の世代が若かった頃は人口ボーナスで楽々発展して、自分たちの価値を過信する
・技術者を冷たくあしらっても金が舞い込んできて楽に儲かると思い込んでるので、国の技術力が全く育たない
・団塊の世代が年をとるにつれ競争力も衰え、人口ボーナスの効果が減ると同時に、今までの冷遇で技術職研究職の人気が無くなっている
日本の人口は2100年までに5000万前後まで低下するので、それに伴うマイナスの人口ボーナス(負の経済成長)が今後延々と発生する予定になっている。
これを避けるには人口が減らないようにする政策が必要で、その有力な対策のひとつが労働者の4割を占めるようになった非正規たちの賃金の改善である
(現状では非正規の多くは生活保護水準であり、家庭を持てる状況にない)。
けれども政治に期待はできない。経営者にも期待はできない。労働運動もダメだ。言ってみれば詰んでいる。
しかしひとつだけ手はあり、それは消費者運動である。経営者にプレッシャーをかけ、株主を納得させるレベルでの消費者運動である。
たとえば、ワタミやすき屋がなぜ苦境に陥ったのか、原因はさまざま考えられるものの、その大きな理由のひとつに不買があったと思う。
なぜ不買が生じたのか、その理由をここでは問わないが、消費者による不買が、結果として大打撃を与えたのは否めない。
さて、消費者団体が仮に次のようなメッセージを発し、多くの人が賛同した結果、
既存店売上げが他社との相対比で前年マイナス3%になったらどうだろう?
「コンビニA社に不買運動を仕掛けます。最低賃金による労働をはびこらせた元凶です。時給に著しい改善が見られるまで不買します」
その上でコンビニA社に「時給を上げてみてはいかがですか? そうすれば不買運動をやめますよ。ワタミみたいになりたいですか?」と
消費者団体が働きかければ、経営者は態度を考えるようにならないだろうか。
この消費者運動を成功させるためには、大きくみっつほどポイントがある。
企業に対して明確な不買メッセージを発すること、大企業をターゲットにすること、同時に多数の企業への不買は行わないことの三点である。
メッセージを明言する必要があるのは不買の効果を知らしめるためで、大企業を対象とするのはその後の運動をやりやすくするため、
同時に多数をターゲットとしないのは不買効果を高めるためである。
なお、この不買運動に希望があるように見えたならば、政治運動や労働運動のような過度の積極性が不要であり、
http://anond.hatelabo.jp/20150925021728
ただそれは悪いことでもなかろう、
女性は結婚しないと生活保護に頼らざるえない、というよりはブスな独身女性も生き延びることができる社会の方が良い。
という点でフェミニズムの功績はある。 ただ「年収高くて結婚したい女性」からすると面倒な時代になったよね。
いやほら同棲してる男が結婚に踏み切ってくれない恋愛至上主義とか。自分の給与が上がってなんだか男性が頼りなく見えるみたいな
あと、これおもしろかった。男女格差が埋まると不可逆的に少子化が進行する、というね。
http://crossacross.org/ky/?Tradeoffs+among+gender+equality+and+birth+rate
女性の上昇婚をポリティカルコレクト的にNGとするのか、というと多分フェミニズム的な観点では許さないだろうな、とは思う。
やはり弱い女性が、という観点で上昇婚はしかたがない(許容されるべきだ)みたいなスタンスになりそう。
あと女性の地位が向上し、かつ、出生率が下がってない、というのは移民の要因が大きい。
この辺はEUの移民による人口ボーナスみたいな状況が、イスラム教徒との不和などで停滞、移民に対してシビアになって収束すると明らかになるんではないかな、と思ってる。20年くらいしたら明らかになるんじゃねーかな。
なあにが、供給曲線をぎりぎりまでシフトさせて利益を生むことを目指し~、だよ。この供給力過剰需要不足の時代に何を言うとるんだ。
いいでしょうか。需要も供給も相乗的に成長する成長時代と、労働人口が漸減する供給制約のせいで需要をまかなうことができないインフレ時代との間には、成長期に築いた供給能力がいっぱいあるのに需要が停滞してしまう移行の時代があります。
これは、ほうっておけばデフレ不況の時代となりますが、見方によればこれは、神から与えられたチャンスの時代だと言えます。「人口ボーナス」と言う言葉がありますが、それにならって言えば「供給力過剰ボーナス」の時代です。
すなわち、無からおカネを作って財源にして財政支出でばらまいても、悪性のインフレにならずに景気が好くなるだけという、夢のような時代なのです。
これは、将来の人手不足の高齢化時代に備えて、今のうちに高度福祉国家のインフラを築いておけよと、神様が与えてくれたチャンスと言えると思うのです。
ところが日本はこの貴重な夢のような20年を、デフレ不況を放置して無駄に過ごしてしまったのです。死ななくてもいい人を無駄に自殺させ、多くの家庭を壊し、多くの人の暮らしを破滅させて過ごしてしまったのです。
聞き手も歌い手も第二次ベビーブーマーで層が厚く、またベビーブーマーが幼少時に受けたピアノの習い事の成果が、
90年代に結実した格好。
http://anond.hatelabo.jp/20130223005242
しかし、90年代のような「音楽人口ボーナス」は、今後は望むべくもない。
若年人口が半減し、ピアノ購入が7分の1になる、ということは、音楽才能人口が14分の1になる、という計算。
このままでは日本音楽界は「お先真っ暗」であるが、21世紀、さらに22世紀の日本は、
1990年代の音楽黄金時代の「遺産」で、細々と生きていく、というスタンスで、別に構わないのでは?
新たにプロの音楽家を育てなくても、音楽義務教育を全員に施さなくても、別にいいじゃん。
当時(90年代)の豊富なJ‐POP作品を何度もリピートするだけで、結構豊かな音楽生活を送れるし、
というか当時の音楽作品全部聞こうとすると、一生あっても足らない。
「他に正業持っていて、趣味に90年代音楽を聞く程度」という人だと、一生かかってしまう)
因みに90年代で、1年間に発行される音楽CDが年間2万種類だったと記憶している。
この中にはクラシック、ジャズ、洋楽、演歌など、J‐POPカテゴリ外の音楽もあるだろうが、
恐らく90年代1年間でJ‐POPはその中の10%、2千種類はあっただろう。
で、仮に2100年生まれの人が、「1990年代J‐POPに目覚めて」、
15歳から「毎日1種類の90年代アルバムを聴く」としても、聴き終わるのに
55年間かかる、つまり70歳になってやっと聴き終わる。
まさに「一生掛けなければ、90年代J‐POPは消費できない」のである。
あと思ったのは「音楽って、経年劣化がしにくいコンテンツだな」ということ。
歌詞の内容は、多少古びることがあって、「ポケベルが鳴らなくて」というコンテンツに対して、
「ポケベルって何?」と突っ込むことはあるが、基本的な男女の情愛とかは経年しても変わらないし、
メロディーはそもそも経年しても変化しない。
だから数百年前のコンテンツであるクラシックも、現代に通用している。
静止画コンテンツ(マンガ)、動画コンテンツ(映画、テレビドラマ)だとコンテンツが経年劣化しやすい。
トレンディドラマなんかは、90年代の一時期でないと理解されない、支持されないコンテンツだったろう。
だから、経年劣化しない90年代J‐POPというコンテンツを「遺産」として、今後の日本はしっかり活用していっては?
なんのデータも見ないで,知識なく想像ですが、安直なストーリーですが考えます!!
wikipediaの薬価差益の項参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BA%E7%99%82%E5%A0%B1%E9%85%AC
A郡とB郡の相乗効果
将来が暗いニュースや、若者が辛い時代になると言う世論も多いけど、良く考えたら悪い時代では無いんじゃないかと考えた。日本のバブル時代や、バブル中の国と比較すれば、もちろん見劣るし夢も萎む。
日本はすでに人口オーナス(人口も減り、老人が増え働き手が減る)であり、成熟国に入っている。
人口ボーナスがあり、発展が途上の国と幸せのあり方を、一緒に考えてはいけないのでは。
ガンガン物を手に入れて幸せになる時代ではなく、持っている物を楽しむ時代であると感じる。
もちろんバンバン働いて、金や物も手に入れて幸せになることも正しい。
ただそれを、バブル期や発展途上国のように、絶対的な物差しとしてはいけないと考えた。
約2010年の日本人が普通(8割ぐらいの人は)に持っている物は、
・贅沢はできないが、安心で好きな食べ物やおいしい食べ物を入手できる環境
・ガードマンはいないけど、安心して外出でき夜中でも襲われることのない日常
・100%保証ではないけど、安心して通院できる医療制度や腕利きの病院
・費用負担はあるけど、十分使えるパソコンに、自由なインターネット環境
・住んでいる地区にもよるけど、お金をかけなくても楽しめる観光や旅行や遊ぶところ
・他にも、漫画、アニメ、映画、SNS、2ch、はてな、Amazon を嗜む環境etcetc
は大体の人が持っていて、無駄遣いしなければ月10万あれば、この暮らしができる
(例:家賃5万、デリカ250円×3=750×30=22500、ネット3000円、その他10000円、貯金10000円。かつかつで)
月10万なら、資格や能力が何も無くても、特殊な問題を抱えていなければ、ある程度
年齢が越えていても、コンビニ等の働き先は、いくらでもあるんじゃないかと。
さらに8割以上の人は、18万以上稼いでいますよね。
何も無い人が、簡単に月10万稼げる国は、世界でも少ないはずで、
いやいや、今の時代はつらいよ。原発、老人介護、医療、年金etcと、これから大変だよ。
患者150万人のうち15万人が死亡。
世界恐慌に加え、冷害・凶作、昭和三陸地震や津波が続き、身売り、欠食児童、行き倒れ、自殺などが激増して悲惨な状態
生活はどんどん制限
生活はどんどん制限
3500人死亡
約30万人が死亡
日本は300万人が死亡
今は戦争も日本ではないし、食べ物はあるし、病院もあるし、すごい良い時代だ。
人口ボーナスがあり、発展が途上の国の幸せのあり方だったと思う。
これは悪くない時代だったはず。
で僕らは、獲得する幸せは感じないけど、1950年代の人が、全力で手に入れた物を
僕達が今後いきる世界は、今あるものを十分に楽しんで生きれば良い。
つか、ネットがあると、それだけ十分楽しめるよねって話でした。