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はてなキーワード: 九州とは

2018-03-17

anond:20180317095451

道後温泉街の風俗九州の子から、道後に行かず九州に行ったほうが良いよっていう読み物

道後温泉人生を考えた

年末の話だが、急遽まとまった休みを取れることになり、独身貴族の私は当てもなく道後温泉へとジェットスターで飛んだ。

人生で2回目の道後温泉だったが、一人で来たのは初めてだ。

コンパクト温泉街道後温泉本館を中心に世界が成り立っている場所だ。

3日間滞在したが、温泉は例に漏れずとても気持ちよかったし宿もいい感じだった。

また道後はしっかりとした風俗街が形成されており、しっかり3回登楼した。ひとり旅の寂しさもあり、九州から出稼ぎに来ている子に3日連続で通った。

他には何にもしなかった。ただ道後にいるだけで満足なのだ

ただ平日の半分くらいは仕事対応に追われた。どれだけ引き継ぎをしたって、無数の顧客存在を隠すのは無理だった。休暇を伝えていても関係ない。

旅の最終日の夜、実家から妹の誕生日を祝った写真が送られてきた。そこに写っていた親父の髪は真っ白だった。

今、私は32歳。これまではレールから外れないように一生懸命やってきたつもりだが、少し外れても良いのかなと思いはじめた。

仕事心配をせずに、この旅ができたらどんなに幸せだったろうか。実家ももっと気楽に顔を出せるだろう。

楽な仕事なんてないと言われるが、少なくともONとOFFを切り替えられる環境はある事はこれまでの経験で知っている。

今の仕事は常時ONの代わりに、ソコソコの給与をもらっているが、それで良いのだろうか。

そんなことを思った道後温泉一人旅だった。

仕事ことを完全に忘れてられたのは、風俗にいる時だけだったのは内緒だ。

2018-03-15

[]2018年3月14日水曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
012919395150.363
17613272174.676
2294010138.352
316146391.460
4112166196.959
5122590215.8128.5
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111291175091.154
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162381426259.941
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201261050483.445
211511302386.236
2211021256193.251
2314115989113.460
2998314342104.951

2018年2月17日投稿数が多かったみたいだけど、今日のほうが多いかもしれない。

多すぎて何をそんなに議論してたのかわからない。東京芸大東京大学生生活に興味津々だったのだろうか。ホワイトデーとかあんまり柄じゃなさそうだし。

追記

頻出名詞

人(319), 自分(269), 女(158), 男(152), 今(145), 話(140), 増田(125), 女性(117), ー(115), 人間(111), 問題(103), 前(97), 仕事(95), 社会(95), 同じ(84), 普通(75), 好き(75), 痴漢(71), 安倍(70), 気持ち(69), 日本(67), 関係(67), 子供(64), 気(63), 男性(62), 昔(61), 必要(60), 被害(59), 相手(58), 理解(58), 感じ(57), 金(56), ~(56), あと(56), 個人(54), 時間(52), 言葉(50), 人生(50), 最近(49), 頭(48), こんな(48), レベル(48), 他(47), 意味(45), 子(45), 結局(44), 生活(43), 全部(43), ネット(43), マジ(42), 会社(42), 存在(41), 家(41), 結婚(41), 一番(40), 結果(40), 一緒(39), 理由(39), 責任(39), 時代(38), 周り(38), 目(38), 鹿(38), 自由(37), ゲーム(37), おっさん(37), 可能(37), 場合(37), 手(37), 他人(37), 友達(36), 国(36), 大学(36), 親(36), 現実(36), 全員(35), 勝手(35), 嫌(35), 経験(34), 声(34), 行動(34), 顔(34), 漫画(34), 当たり前(34), 世界(34), 情報(33), 政治(33), 障害(32), 最初(32), 無理(32), 今日(32), 確か(32), ダメ(32), https(31), 政権(31), 簡単(31), 自己(30), 絶対(30), 実際(28), anond(28)

頻出固有名詞

増田(125), 安倍(70), 日本(67), キモ(25), 東大(23), 自民党(19), 財務省(19), 森友(19), 東京(18), 韓国(14), 麻生(11), アメリカ(10), ホーキング(10), 京大(9), 昭恵(8), 民主党(8), 佐川(8), 晋(8), 北朝鮮(8), 九州(7), 中国(7), 自民(6), 田中(6), 大阪(6), 昭和(6), ドイツ(6), 欧米(6), キツ(5), Twitter(5), 厚(5), 中東(5), 近畿財務局(5), カス(5), イギリス(4), セブン(4), どん(4), 京都(4), タイ(4), iPhone(4), 広島(3), 愛知(3), 小泉(3), ブー(3), Amazon(3), DQN(3), ウン(3), Google(3), ょ(3), 佳(3), 大元(3)

2018-03-14

卒業旅行海外に行く友達

わたし卒業旅行オール国内だった。九州北海道、どちらも楽しかったし、充実していた。

反対に友達の行き先はほとんどが海外だった。バリフランスイタリアイギリスアメリカ韓国台湾インドタイなどなど。中には数ヶ国旅行に行っている友達もいて、単純にお金があってすごいなあという感想だった。

国内からといって後悔してるわけでもないのだけれど、どこか劣等感を抱いている自分がいる。だけどいくら仲の良い友達はいえ、何泊も、それも言葉も通じない知らない土地に行くのはストレスたまるだとか、疲れるだとかそういうことばかり考えてしまう。結果的に3泊4日程度の国内旅行でよかったと思うのだけど、キラキラした友達写真を見ると自分はああなれないんだという気持ちを抱いてしまう。

やだなやだな〜〜もっと明るく生きたい。

関西人東京北海道以外の東日本をよく知らない説

関西にいると不思議滋賀より東の情報ほとんど入ってこない。

仕事や遊びに東京は行く人が多いし、北海道旅行に行く人が多いから、この2つに関する情報は割と入ってくるけど、じゃあそれ以外は?となると……。

関西より西の四国だとか、九州だとかの情報は割と入ってくるんだよね。少なくともこの県は、どういう観光地があって何が名物かくらいは最低限知識がある。もちろん行ったことのない県についても。

でも東日本となると、その知識すらない。埼玉とか岩手とか、ガチで何が名産でどんな観光地があるのか全くわからん西日本だと島根鳥取レベルですらわかるのに、本当にわからん。

やっぱりテレビとかで流れる情報って、関西だと西日本情報に偏ってるものなのか。なんとなく気になった。

増田生活は本当に病むから気をつけたほうがいい

増田を書き始めると、せっかく匿名日記なのに返信が気になるのは、当たり前です。

なんせ、そこらのブログより見られる回数が多いのです。

せっかくメモ程度に始めたのにもかかわらず、いつの間にか反応を求めています

誰もそんな恥ずかしいことは口にしませんが、そうやって自分のせいで人間不信になって、はてなに来れなくなったり仕事をさぼって解雇になる給料泥棒は何十人もいます

 

それでも、匿名という、同列のスタートラインを信じて四六時中日記を書く増田は、病むほどにアクセスします。

だってブコメがついてるかもしれないもん。ブコメがついたら頃合いを見計らってセルクマしたり、誤字確認します。

病むほどに訪問回数は上がります。病むほどに日記を書かないと、おもしろい奴らには太刀打ちできないのです。

東北の某校で無敵を知られたクラスの人気者も、九州男子を蹴散らし女子人気をかっさらった彼女も、ここではただの増田

そんなレベルは、ブクマカ御三家(誰?)のツッコミにたじたじになるのです。

 

はてブから出てきた増田は、匿名ダイアリーというものに強い憧れを抱いていたんですね。

特にホッテントリで見る増田はとても面白くてギラギラしてて・・・

ブコメがいっぱいに乗った日記、お洒落表現とかドラマで見るドロドロ恋愛ネタに、ただ漠然といいなぁ素敵だなぁと胸にトキメキを馳せておりました。

ところがどっこい、現実はそんなキラキラしていません。

自信を持って投稿した長文はスルーされ、気軽な発言には罵詈雑言適当なこと言った時に限って伸びるブコメ

増田という街は、そういうところなんですよね。

実際、はてな匿名ダイアリーに対しても大きな憧れを抱いていました。その理由はやはり「バズったら注目されるから」というのがあったと思います

そういう理由でここにきてしまったので、憧れの理想現実の差に髪が抜けました。

書いたからと言って自分日記ホッテントリに入るわけでは無かったからです。

大切なのは自分が将来何になりたいかであって、増田は通過点でしかないということを身にしみて感じています

 

これを書いているのは、はてな歴15年のおっさんです。

この年になるといろいろなものを見てきました。

キラキラしていた増田が、国家公務員試験を上位で合格し、某省で組織防衛に身も心もさいなまれたという暴露日記スルーされる姿も。

誰もがかなわないと思った研究者が、研究に疲れ果てたタイミングで引っ掛かった男に身も心も搾取され、売春でその彼に貢ぐようになってしまったという日記炎上したのも。

勉強ができたから、当然のように理学部物理学科に進学しあるいは司法試験に受かったのに、その後漏らした報告をした増田の姿も。

 

18歳の時に初投稿した増田が、そういう風にして、堕ちていく姿をたくさん見てきた。

きっと彼らも、キラキラして見えたけど、増田にいた四年間に何か病むことがあって、そうして社会に出たときに、ブコメしか追求することができなくて、不幸せになっていったんだと思う。

 

下には下がいる。

そして、一つの物差しで「下」を計ろうと思うと、全体として自分が如何にあればブコメをもらえたのかということが分からなくなってしまうのだと思う。

日記面白かったがゆえに、ブコメ物差し人生幸せになれると思い込まされる。

そして、自分よりバズってる数多の秀才出会ったが故に、もっと下に行きたくて投稿して、結果、はてなへの過剰適応で世の中に適応できない若者を量産する。

 

 

それがはてな匿名ダイアリー

anond:20180314010647

よく九州修羅の国

みたいに言う人がいるけど

修羅の国北九州だけで福岡市天神)はもう違うし

渋谷東京 みたいな田舎者しかない

東大学生生活は本当に病むから気をつけたほうがいい

東京藝術大学の学生生活は本当に病むから気をつけた方がいいを読んで思うところがあったので書きます

皆さんは東京大学を知っていますか?知っていますよね。

百数十万人の同い年に生まれ子供のうち、3000人くらいしか入れない大学です。

そこに入るには、日本トップクラス学力を要するといわれています

芸術よりも、お勉強の道を選ぶ人は多いので、まあ、入学するには最難関の大学の一つですね。


東大に入ると、せっかく東大に入ったのに自信がなくなるのは、当たり前です。

なんせ、駿台模試とか東大オープンとかで、自分の点数(440点満点で220点くらい)から見ると理解困難な点数(330点とか)を取っていた秀才リアルに目の前にいるのです。

人の学力をけなすような低劣な人格だったらまだ溜飲が下がるってもんですが、そういうのに限っていいやつなんだな。

そういう秀才を目の前にして、ひがんで屈折してしま自分の、人格的な弱さと、その根底にある学力の弱さに涙した東大一年生は何百人もいるはずです。

誰もそんな恥ずかしいことは口にしませんが、そうやって自分のせいで人間不信になって、大学に来れなくなったり第二外国語をさぼって放校になる駒場生は何十人もいます


それでも、学力という、偏差値という唯一の物差しを信じて人生18年生きてきた東大生は、病むほどに勉強します。

だって進振りがあるんだもん。教養の平均点を偏差値に置き換え、平均点の優劣で人生が決まると思って勉強します。

病むほどに点数は上がります。病むほど勉強しないと、同級生秀才たちには太刀打ちできないのです。

東北の某県で無敵を知られた秀才君も、九州男子を蹴散らし英語無敵を謳われた彼女も、ここではただの一東大生。

そんなレベルは、男女御三家(武蔵を除く)やツッコマには掃いて捨てるほどいるのです。


田舎から出てきた東大生は、東京というものに強い憧れを抱いていたんですね。

特にテレビで見る東京はとてもお洒落キラキラしていて・・・

クリームがいっぱいに乗ったパンケーキ、お洒落ブティックとかドラマで見る東京恋愛に、ただ漠然といいなぁ素敵だなぁと胸にトキメキを馳せておりました。

現実は、そんなキラキラしていません。

実験し大教室に通う毎日と、倒しても倒しても出てくる自分より賢い同級生の前にひれ伏す毎日を過ごします。

東京という街は、そういうところなんですよね。

実際、東京大学に対しても大きな憧れを抱いていました。その理由はやはり「日本トップ国立大学から」というのがあったと思います

そういう理由大学にきてしまったので、憧れの理想現実の差に心を痛めました。

日本トップの授業があるわけでは無いし、合格たからと言って自分学力日本トップになるわけでは無かったからです。

大切なのは自分が将来何になりたいかであって、東大は通過点でしかないということを身にしみて感じています


これを書いているのは、40代おっさんです。

この年になるといろいろなものを見てきました。

キラキラしていた秀才が、国家公務員試験を上位で合格し、某省で組織防衛に身も心もさいなまれ書類の書き換えの何が悪いと言い放つ姿も。

誰もがかなわないと思った研究者が、研究に疲れ果てたタイミングで引っ掛かった男に身も心も搾取され、売春でその彼に貢ぐようになってしまった姿も。

勉強ができたから、当然のように理学部物理学科に進学しあるいは司法試験に受かったのに、それらの職が本来求める対人調整能力がなかったがゆえに、人生で唯一得意な受験勉強で食ってくために予備校講師になった姿も。

18歳の時に知り合ったキラキラした秀才が、そういう風にして、堕ちていく姿をたくさん見てきた。

きっと彼らも、キラキラして見えたけど、東大にいた四年間に何か病むことがあって、そうして社会に出たときに、単に幸せを追求することができなくて、不幸せになっていったんだと思う。


上には上がいる。

そして、一つの物差しで「上」を計ろうと思うと、全体として自分が如何にあれば幸せになれたのかということが分からなくなってしまうのだと思う。

勉強が出来過ぎたがゆえに、勉強物差し人生幸せになれると思い込まされる。

そして、自分より勉強ができる数多の秀才出会ったが故に、もっと上に行きたくて勉強して、結果、勉強への過剰適応で世の中に適応できない若者を量産する。


それが東大

2018-03-11

anond:20180311213856

それら程ではなかったとはい九州も偉い事になってたんだが、まー忘れられてるわな

2018-03-06

anond:20180306161500

九州と違って台風まり来ないし

冬は寒いが雪はほとんど降らない

anond:20180306155941

福岡九州南側→あったかい と思われがちだけど福岡って日本海側なんだよな・・・

けんちん・F氏に対するあれやこれや。

前回の記事

けんちん・F氏の文章が面白い その1

けんちん・F氏の文章が面白い その2

から 今日までの抜粋

1/20にこれ。


んで2/1にこれ。


で、今日3月6日。一ヶ月経っても結局なんもなかったという話です。

竜頭蛇尾大山鳴動して鼠一匹


別に批判反論自由から返事返ってこないのは良いんだけどさ、

まあ、個人的に感じるのは「その程度の覚悟だったのかな」ってことで。


僕は、様々な勘違いをしていたようです。(感想

勘違い1 けんちん・F氏は思ってたほどご意見番とかじゃなかった。

当然バイアスはかかってる上での発言ですけど、演劇人大体「もう皆けんちんさんの理論破綻してる事くらい知ってるよ~」みたいな意見しか聞かなかったんですよね。

好意的引用・紹介してるのが、薙野信喜さん以外は自分視点から確認が出来なかった。

薙野さん、よかったらこからもけんちん君と仲良くしてあげてね。

勘違い2 けんちん・F氏は自分で言った約束を守れる人じゃなかった。

自分で「勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。」って言ってくれたのに

その後何の反応もなかった。残念です。

勘違い3 けんちん・F氏は自分に甘かった。

団体とか演劇人が音沙汰ない事に対してスゲー鬼の首取ったかのように怒ってたのになぁ。


個人的感想ですけど、結局、九州演劇腐ってるおじさんは界隈を変えたい!っていうより

ポリコレを振り回すのが楽しかっただけなのかなーっていう思いです。


ご本人が

「本人も、またその周囲も、「市原は今、これこれこういうことをしていますよ」という情報発信をしようとしないから、

結果的に先日の日記に書いたように、「雲隠れ状態になってしまっている。当然、これは意図的にそうしているのだろう。」

とか

「だから今、演劇人殆どダンマリを決め込んでいる状況は、一「観客」の立場で見ていても、

腹立たしいし、情けなくてたまらない。他人事じゃないよ」

みたいな事を仰っていたので

きっと、きちんと理論立ったセクシャルハラスメントの実情とか実名込みの裏事情だとか

主語を拡大しないきちんとした批判とかをしてくれるのだろう、と楽しみにしてたんですけどね。

たまに更新される日記twitterからソシャゲアニメでウッキウキしてる様子しか伝わってこなかったですね、残念。

マギレコが楽しそうで何よりです。


結果的に、「僕の知り合いの演劇人は~」と業界人ぶってみても、

現実を見つめてみれば何者にもなれない悲しいおじさんが一人ネットの片隅で、

気が向いたときだけ「九州演劇界は腐ってる!」って駄文投稿するだけだった、という。


でもってこの騒動に関しては(多分)終わりです。もう書く事ないもん。

ま、劇団やら業界批判すんのは自由ですけど

今後記事書く時は脳内ソース現実がごっちゃにならないようにしてくれよな。

2018-03-04

anond:20180304232742

全部、その古株の上司のいうことの受け売りなんだが、指輪邪馬台国のころの奴国王が鍛造したものらしい(奴国博多のあたりにあったと考えられていて、九州北部沿岸考古学的にも我が国の製鉄の黎明期の遺構・遺跡が集中しているところなんだ)。

奈良盆地邪馬台国ヤマト政権の伸長に対抗するために、奴国王は南方との交易の中でレガリアとして鍛造した。その際は卑弥呼と台与がなんとかしたんだろうとのこと。

でも歴史の節目節目に指輪の持ち主が現れて、そいつが天下取ると最終的には古の奴国王が復活しちゃう

現代に復活すると、国会召集衆議院解散した時とかに明仁が押す「御名御璽」の印が、「漢委奴国王印」にとって代わられてしまうんだってさ。このように、世界支配されてしまう。

平成も終わるし、早く捨てに行った方が良いって言われた。

で、わかると思うけど、ピナツボ火山で鍛造したから、ピナツボ火山に捨てないといけないらしい。これは幕末探検家松浦武四郎も『撥雲余興』にそう書いているんだって

2018-03-03

夫婦喧嘩を見て育った

普通の家ってなんだろう。

私は自分の家を普通の家だと思っていた。むしろ大学まで行かせてもらって、その上生活費も出してもらっていたのだから、すごくいい家庭である。憎まれるほどいい家庭だ。

でも、昔から夫婦喧嘩が絶えなかった。

子供暴力をふるうことはなかったが、父は母を叩いて殴って蹴って踏んで罵倒していた。母は金切り声の叫び声をあげてわんわん泣いていた。物心ついたときから家はこの状態だった。

記憶してるなかで一番はじめの夫婦喧嘩は、3歳くらいの、まだ市営住宅に住んでいたときだ。

夜遅く、母は洗濯物を畳んでいて、私は母のそばテレビを見ていたと思う。車の音がして父が帰ってきた。母が玄関まで鍵を開けに行くと、酔っ払った父が家の中に入ってきた。私はなぜかすぐにコタツの中に潜って隠れた。父と顔を合わせたくなかったんだと思う。あと、酔っ払うと絶対喧嘩になることを知っていたからかもしれない。私は真っ暗なコタツの中で息をひそめていた。しだいに口論になっていくと、突然父が怒鳴り声を上げる。いつもここでびっくりしてしまう。本当に突然大きな声で怒鳴るのだ。そしてバシッと叩く音が聞こえる。何度も叩く。母はその度に「もう!やめて!やめてよ!!」と甲高い声で泣きながら叫ぶ。ドカドカと殴る音になると「やめてーーーー!」と母の絶叫が聞こえる。私はコタツの中でずっと震えていた。隠れているのが見つかったら私も同じ目にあってしまうと思っていた。喧嘩が終わると、まだ興奮がおさまっていない父の口から漏れるシーシーという息と、母のすすり泣く声に変わる。怒鳴り声か金切り声はだんだん慣れていくが、すすり泣きの声だけはいつまで経っても心臓がぎゅっと掴まれるような痛みを感じる。

両親はほとんど毎日喧嘩していた。父がいない日は心からホッとした。母が私を寝かしつけたあとに父が酔っ払って帰ってくると、ドスドスという足音とひどい喧嘩で起こされた。それでも布団にもぐって怯えながら寝たフリを続けなければならなかった。母をかばたことは、たぶんなかった。

次に記憶があるのは、小学校の高学年のときだと思う。父は自営業を始め、母は事務を手伝っていた。工場に隣接されるように建てた一軒家には自分の部屋がつくられた。

仕事は忙しく、夕飯はいつも11時くらいに食べていた。共に自営業を始めたことで、喧嘩レパートリーが増える。母も気が強い方なので、父に対して仕事意見を言うが、父は「口出すな」「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」「黙っとけ」と応戦する。「くらすぞ!!」と拳を振り上げ、しだいに喧嘩ヒートアップする。プロポーズだと笑われてる九州方言だけど、聞くと少し複雑になる聞きなれた言葉

また始まった...と呆れながらテレビを見続けた。うしろで行われる喧嘩が聞こえてないようにじっとテレビを楽しむふりをしていた。怒鳴り声で音なんか聞こえないのに、ずっとその場に固まったままテレビを見続けた。喧嘩が始まると、その場から動いちゃいけないという気になるのだ。トイレに行きたくても、立ったその瞬間に「聞こえてません知りません」のフリは解けてしまうと思っていた。自分の部屋に戻りたかったけど、その場から逃げることはなんだか卑怯だと思っていた。母を助けないくせに。

怒鳴りながら暴力をふるう父と、泣きながらやめていたいと泣き叫ぶ母と、テレビから目を離さな子供。今考えると異常な光景だった。すぐうしろで母が泣き叫んでるというのに、見ないふりをしていた。

その日はなかなか喧嘩がおさまらなくて、近所迷惑だなと呑気に考えていた。その時、怒り狂った父がとうとう台所から包丁を持ってきた。この時の光景はずっと忘れないと思う。父は「ころすぞ!」と怒鳴りながら泣きじゃくる母に向けて包丁を何度も振りかざすまねをしていた。母がその時やめてと叫んでいたのか、刺せばいいでしょと反抗していたのかはもう覚えていないけど、ただ包丁を母に向ける父の姿から目が離せなかった。

頭の中で「終わった...」と考えていた。父が母を殺して、両親をどっちも失うことになって、どうやって暮らしていけばいいんだとまで考えていた。その喧嘩はなんとか父が冷静を取り戻して終わったが、ずっとこの喧嘩のことは忘れないだろう。

父は交友関係が広い人だった。外に出ると、何度も友人や知人に明るく挨拶をする姿を目にする。外での父はとてもいい人だった。明るくて面白くて輪の中心にいるような人だ。私に対しても優しくて少し甘い普通父親だった。だからこそ、その二面性がこわくて気持ち悪かった。

父の友人は私に「いいお父さんでしょ?」とにこにこしながら聞いてくる。私はいつもなんと言っていいかからなかった。

やがて反抗期に入った私は父とまったくしゃべらなくなっていた。そこまでは良い。よくあることだ。しかし、私は母に対してひどい態度をとるようになってしまった。母を小バカにするような口はまるで父のようだった。私の中で無意識に「母にはひどい態度をとっていい」という意識が生まれていた。今考えると、父の母に対する態度の影響が出ていた。

大学に入って地元を離れることになった。簡単には両親と会えない距離だ。そこで私は一人暮らしのあまりの快適さに感動してしまう。怒鳴り声も暴力もない、近所迷惑も考えなくて良い生活は本当に心地よいものだった。

そして、両親が今まで不自由なく育ててくれたことに自然感謝できるようになった。夫婦喧嘩記憶だんだんと忘れていった。

でも、正月や盆に帰るたびに夫婦喧嘩日常的に行われていた。私は理由をつけて帰らないようになっていった。

大学にいる間、たびたび友人間で両親の話題をするようになる。もちろん良い部分だけを話した。そうすると友人の中でうちの両親のイメージは「優しくて天然なお母さん」「面白くてちょっと寂しがり屋なお父さん」という理想的な両親になる。私も誇らしかった。「私の両親は良い人なんだ」と思うことができた。久しぶりに帰ると、そのイメージは壊され、やるせなかった。

うちは普通の家庭である、と思っていた。喧嘩が少し多いだけの、普通の家庭だ。でも、親元を離れて暮らす中で、あれは普通ではなかったかもしれないと気づいていく。夫婦喧嘩包丁は振らないし、「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」なんて言葉は出てこないらしい。

大学卒業して地元に戻ってきた私は、いまだ喧嘩を続ける両親に向かって言った。「夫婦喧嘩がほんとに嫌だった、辛かった。喧嘩するのもうやめてほしい」と伝えた。父は笑って「どこの家もこんなもん。だいたい喧嘩じゃなくてじゃれてるだけ」と言った。情けなくて、もう何も言いたくなくなった。

夫婦喧嘩について調べていく中で、「面前DV」という言葉があることを知った。直接子供暴力を向けなくても、夫婦喧嘩子供精神DVを与えるというものだ。たしかに辛かったが、私はあんまり精神DVを受けたとは思っていない。なぜならいつも知らないふりをしていたからだ。母がどんなに泣き叫んでも庇わなかった。でも面前DVを受けたという話の子供はほとんど母を庇っていた。怖かったとはいえ、自分が情けなくてたまらなかった。

今では大人になり、父の言い分も母の言い分も理解できるようになった。仲裁に入るようになった。ずっと離れていたためか、暴力をふるう姿はあまり目の当たりにすることはなくなった。母方の祖父と共に暮らしているため、怒鳴り合いだけに抑えているのかもしれない。職場では、従業員の前でも怒鳴り合いの喧嘩をしている。人のいないところでまだ暴力をふるってるのかもしれない。

そういえば、病気で目が見えづらくなってきたのに配達に行かせるのよ、と母にこの前愚痴られた。なんでもないただの愚痴のように言われた。一歩間違えば事故を起こすというのに、「父は昔からそんな人だったのか」と改めてショックを受けた。

仲裁をしていく中で、私の意見なら父はちゃんと聞いてくれるということがわかった。母も「あなたの言うことなちゃん聞く耳つのよ」「あなたから言ってよ」と言うようになった。

私が言わなければならないということはわかっているし、母を庇おうとしなかった負い目もあるため私から話をすることが増えた。しか口論になって、怒りを滲ませた父の表情を見ると、恐ろしいと思ってしまう。白目のところが赤くなっていくのだ。次には拳が飛んでくるのではないかという考えがよぎる。

離れたら穏やかに暮らせると思う。だけど、私がいない間の両親の喧嘩想像すると苦しい。いつかどちらかが殺してしまうのではないかとずっと思っている。

私に対しては優しい父への接し方がいまだにわからない。

2018-03-02

初めて日本に来た時にできた友人が消えた

過去に戻れるなら絶対にしないことや言わないこと、誰かにもう一度会えるならその人に言いたいことや聞きたいこと、許しが貰えなくても知りたいこと。この世の中、後悔が多い。

だって、いくつもある。

2014年2月。まだ大学生の私は留学東京にいた。日本語が下手くそで、ギリギリ会話ができるレベルだった。友達ほとんどいないせいで、どこに行っても大体一人だった。あの日もそうだった。

好きなアニメは大きなイベント東京にあったので、本を買いに行った。緊張で誰にも声を掛けられなかったが、楽しい一日だった。本がたくさん買えて、それを読むのを楽しみながら、帰りの準備も始めたが、せっかくだから、もう少し歩き回ろうと思った。最後の一巡りだったから、もう何も買わないと思ったが、あるスペースでとても興味深い同人誌を見つけた。

普通なら、作者さんに声を掛けないのに、表紙の絵が素敵で、ぱらぱらと見た内容も面白そうだったので、ちょっと勇気を出してテーブルの後ろの2人の女性に話しかけた。

怖かった。人見知りだし、自分日本語ダメだったし、伝えたいことさえ知らなかった。しかし、その2人の女性はとても優しくて、私が外国からたことを知ったら様々な質問も聞いてくれた。片言の日本語で何とか会話できて、泣くほど嬉しかった。つまらない私とこんなに丁寧に話してくれるとは、信じられなかった。

名前”は「かん」と「くもこ」と教えてくれて、また話したいと言ったら、メールの連絡先も教えてくれた。LINEツイッターがないから、ここにメールを送ってくださいと。

帰ったら、一生懸命日本語メールを書いて、送った。礼儀上「いつでもメールしてね」と言ってくれたと思ったので、本当に返事が来るとは期待してなかった。でも翌日、返信が来た。

まさか、と思いながら読んで、ずっとニヤニヤして、笑いが止まらなかった。

なんと優しいメールだったことか。丁寧に書いてくれた言葉があまりにも素敵で、嬉しかった。

そのメールから、かんさんとくもこさんと話がたくさんできた。大阪に住んでいるのに、その日はわざわざ東京まで来て、イベントに参加した。実は大阪もその日、同じようなイベントがあったが、それを知らなかったせいで東京に来てしまった。しかし、それは多分運命だった。知っていたら、東京にも来なくて、私達は会わなかっただろう。

私より8歳年上の彼女達は私にとって、もう2人の姉のようだった。

2月出会いからずっとやり取りをして、私がアメリカに帰ってしま8月の前にはたくさん遊んだ旅行も一緒に行って、私も何回も大阪を訪ねることをした。

偶然会った人とこんなに大切で親しい友人になれるなんて、今まで期待したこともなくて、本当に幸せだった。

私の文句や弱音を聞いたり、落ち込んでいる時は優しく応援したり、困っている時はできる限り手伝ったりしてくれた。出会たこからずっと、そしてアメリカに帰った後でもそうだった。ずっとそのままでいられると信じていた。

お別れは切なくて、辛かった。私がいつかまた日本に戻りたいと分かったかんさんとくもこさんは「これは最後じゃないから、また日本に会える日まで頑張ってね」と言ってくれた。

うん。分かった。頑張るから、待っててください。

2014年8月上旬に、アメリカに戻った。

2016年9月

大学から卒業した1年間後。色々な事があったが、奇跡的に日本仕事ができた。今回は大学生の頃とは違って、東京ではないけれど自分の夢を叶えた。また日本に戻れた。

離れても応援しながら待っていてくれたかんさんとくもこさんとは10月にまた会えた。良かった…。2年が経っていたが、何も変わらなかった。3人で気軽に話したり、笑ったり、泣いたりできた。

短い一日だったが、また会えて幸せだった。

そしてほぼ一年前のこと。2017年3月

九州旅行に行きたいとかんさんとくもこさんに伝え、私のわがまま春休みに2泊3日で行った。でもその時は私達3人だけではなくて、くもこさんの同僚とその同僚の友人も一緒に5人で行った。私はその2人を知らなかったので、彼女達と上手くやっていけるか心配していたが、かんさんは「私とくもこさんもいるから、大丈夫ですよ!」と安心させてくれた。

大丈夫だと思った。かんさんとくもこさんがいれば、何とかなると。でもそうはならなかった。

知らない2人と性格が合わなかったし、四六時中日本しか使えなくて言いたいことも上手く伝えられなかったし、4人の会話にもほとんど参加できなかったし、ストレスが溜まった。時間が経てば経つほど、イライラしてきた。私は機嫌が明らかに悪くて、本当に子供のようにわがままだった。

楽しい旅行のはずだったのに、最後の日、私はほとんど何も話さなかった。誰にも声を掛けこなかった。私をほっといた方がいいと思ってくれたのかもしれない。かんさんとくもこさんに「大丈夫ですか?」と聞かれた時に、「大丈夫です」としか答えられなかった。あの時、嘘をつくことしかできなかった。だって、くもこさんの友人が好きじゃないなんて言えなかった…。

帰りの新幹線の中で、4人の向こう側で一人で座りながら、寝るふりをした。私の態度はひどくて、わがままで、バカみたいだって、誰よりも分かっていたのに、気持ちが切り替えられなかった。その時、その気持ちを全部解き放てばよかったのに…。

皆さんと別れた後、かんさんとくもこさんに謝りたかった。東京に戻る前に、もう一度会って、面と向かって謝りたかった。しかし、「ごめん、今週末は忙しいかちょっと難しいです。○○さんがまた大阪に来るときにご飯を食べに行こうね?」と断られて、会えなかった。

あの時は知らなかったけど、それはかんさんとくもこさんから最後の連絡だった。

春休みが終わり、仕事に戻った。罪悪感で4月下旬までかんさんとくもこさんに連絡していなかったが、その時彼女達はちょうど引っ越し中だと分かった。何もなかったふりして、気軽なメールを送ったが、返事がなかった。もしかしたら忙しいせいでメールを書く時間がないのだろうと思ったので、気にしなかった。

でもまたメールしても連絡が来くて、違和感を感じた。やっぱり。その時のことを怒っているだろう。

いても立ってもいられなくて、謝りのメールちゃんと書いて送ったが、返信がなかった。

4月は一回。5月は一回。6月は一回。7月は二回。

何回も、何回も送ってみたが無駄だった。

なぜ?それを知りたい。いつも優しくて、親切なかんさんとくもこさんはなぜいきなり消えてしまったのか?私はあの時、そんなにひどいことをしてしまったのか?何をしてしまったのか?私達の3年間の友情が壊れた罪は何だったのか?ねぇ…。一度だけでもいいから、また連絡してその理由を教えてくれませんか?

本当に大阪にかんさんとくもこさんを探しに行きたかったが、新しい住所も知らなくて、メールの連絡先しかしらなかったせいで、何もできなかった。

2017年12月新年の前。

今回こそ、最後メールを送ろうと思った。そうしたら、やっと解き放てるだろうと信じていた。送ったら、諦める。

その嘘は誰のためについたのだろう?

1月下旬、ふと思い付いた。手紙は前の住所に送っても、郵便局は新しい住所に転送してくれるはずだ。私のバカ!なんで今まで思い付かなかったの!早く思い付いたらよかったのに!

転送してくれる時期は一年間だけだからギリギリ間に合った。

一生懸命手紙を書いた。一年間の気持ちをできるだけ込めて、謝りの手紙だった。ちゃんとかんさんとくもこさんのところまで届くのか、返却されてしまうか、不安でいっぱいで手紙を送った。

一ヵ月が経ち、その手紙は戻ってこなかったが、返事もない。

結局、その手紙はどこの誰に届いたかからない。

このお話は、幸せな終わりにしたかった。

実は何かトラブルがあって、かんさんとくもこさんが私のメールを貰わなかったとか、ずっと私のことを待っていてくれたとか、そう言いたい。でも私がそれをどのように信じたくても嘘なので、言えない。

1月下旬に他に思い付いたことが一つ。かんさんとくもこさんの電話番号を知っている。しかし、それを知っても役に立てないだろう?

本当に私のことが嫌いにならば、こんなにしつこく連絡したら、迷惑だし困らせてしまう。そもそも電話を掛ける自信がない。

あぁ、もしかしてひどい事故に巻き込まられたら、それを言い訳にしてかんさんとくもこさんに連絡できるなんてひどい考えも何度もした。

私は本当に、本当に情けない。かんさんとくもこさんが恋しくて、会いたくてしかたがない。

また会いたい。ちゃんと謝りたい。許しなんて請わないから、せめて私が何をしてしまたか、教えてください。

それを知ったら、私は、多分、やっとあなた達のことを忘れられるから

2018-03-01

今日思ったこ

新燃岳噴火したと気象庁が発表した。

2011年1月に爆発的な噴火が発生し、2017年10月にも噴火している。

妄想と思われてもしょうがない事だが、

「巨大カルデラ噴火」や「破局噴火」が起きるのか?と思う人もいなくはないだろう。

日本では過去12万年の間に18回起きているという(『月刊地球』、2003年11月号)。

まり、約6700年に一度は破局噴火が起きていた計算になる。

日本最後に起きた破局噴火は、7300年前に鹿児島県南方沖で海底火山(鬼界カルデラ)が

巨大噴火したケースであり、前述のように、この噴火によって九州で栄えていた縄文文化が壊滅した。

http://tocana.jp/2017/01/post_12021_entry.html

地層というのか堆積物というのか、調査によって判明しているのだから

過去に有った事実として間違いない。

今日以降、破局噴火が発生する確率は高いのではないだろうか。

宮城蔵王山噴火群馬白根山噴火鹿児島新燃岳噴火自然災害が続いている。

当然ながら人間はこの自然災害に対して何もできない。

ただただ逃げるしかない。

2018-02-28

anond:20180228123012

行きたい!!

関東人だけど、お魚もお菓子も、九州うまいものがいっぱいあるね。九州スーパー刺身も美味しいもん。

2018-02-26

anond:20180226121717

自分地域だと男は60過ぎたらわしって言う人多いし、じゃって語尾に付ける人も普通にいる。ちなみに九州

地域によるのでは?

2018-02-19

anond:20180218222626

何か解るTwitterフォローしてる九州の既婚者さんも共働きで家の事全部やって偉そうにされてめちゃくちゃ大変そうだ。

その人も九州の人だからか、両親も共働き家事母親が全部やってたからそこに反感は無いけど、家具組み立ては父親がやってたのに夫はそれもしないと不満が控えめだし。

九州男子 結婚検索したら したくない 後悔などがくっついて来るのも解る男の低クオリティっぷり。

2018-02-18

https://anond.hatelabo.jp/20180218173209

トラバにお前が男を見る目がないだけだというコメントがやたら多いが、

九州だと確かにクズ男率が高いから単に元増田が悪いだけとは言い切れない。

2018-02-16

anond:20180216135402

ポプラってどこ?って思ったら

中国地方を中心に関東北陸近畿九州店舗展開している。なお、かつては四国にも進出していたが、2015年2月に完全撤退している

だな。ごめん、関東地区なんだよな。

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