はてなキーワード: パンチパーマとは
俺は創〇3世だ。
「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と小さい頃から親に言われ続けていた。
両親の言うことに何の疑問も持たず、小・中学生の時は友達や恋人を会合に連れて行き、お経の唱え方を指導したりした。
それからは、自宅にピンク色のスーツを着たパンチパーマの男が父を訪ねてきたり、巻き舌の男から電話がかかるようになり、居留守をしてるだろうと怒鳴られたりもした。
父親は「バブルで破滅した人あるある」に漏れず、ヤバい先物取引業者にハマっており、あちこちから借金もしていた。
辛い記憶のせいか前後がイマイチ覚えていないが、その人に俺が呼び出されたから、父親が逃げた後のことだったんだろう。
支払った記憶もないし、どう切り抜けたかは全く覚えてないけど。
言葉通り、俺にとって天と地がひっくり返るようなショックだった。
だって生まれた頃から、両親はもちろん祖母や親族も全員「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と言っていたからだ。
今思えばそれは、何の経験も持たない子供の俺にとって「親」というキーワードが「ご本尊様」に置き換わっていただけだったと思うけど。
それからの俺は、他人に自分に足りないものを見つけては落ち込む日々を過ごしている。
“学会さえやってりゃいい”という世界で生きてきた俺にとって、普通に生きていくための哲学がなさ過ぎたのだった。
30代までは世間知らずさや若さの勢いや体力で、何とかごまかして生きてこれた。
そうやってごまかしながら生きることで、俺は学会を失った事件にずっと向き合わなかった。
10代の頃に崩れた世界を作り直さず、ただただ不信感と怒りに溢れた感情の中で、友人や恋人からの愛情もすべて裏切ってしまった。
40代になりごまかしが利かなくなってくると、こうした歪みが浮き彫りになってきた。
常に役に立たないといけないという強迫観念に悩まされ、何者にもなれない自分が怖い。
結果、今は一人ぼっちで手元には何も残っていない。
そろそろ終わりが近づいているように感じている。
カルト元信者のオフ会やらグループの記事を見かけ、同じような悩みを抱える人達に聞いてほしいと思っていたが、ネットで探しても見つからなかったのでここに書き捨てる。
暗い話をして悪かったな。南~無~
東日本で20数年を過ごしたあと、1年前に大阪に引っ越して来ました。
大阪(関西)に住んで色々と思うところがあったので、備忘代わりに書いて置こうと思います。
そのまま。はじめて新大阪駅について「これから大阪で頑張るぞ!」なんて思ってJRに乗り換えようとしていたら、エスカレーターで後ろから歩いてきたおじさんにスーツケース蹴られて泣きそうになりました。私にとっての大阪の初印象は、最悪。
②満員電車で詰めない
東京の中央線ってめちゃくちゃ混んでるじゃないですか、でもみんな慣れてるからちゃんと駅に着いて人の出入りがあると何となく全体が最適化されるようにポジション取るんですね(そんな気がします)。
朝の御堂筋線は(中央線比べて)そんなに混んでません。でも絶対にみんな自分のポジションを動かない。
詰めろや!入り口で突っ立ってるなや!
あと阪急は夏にエアコンちゃんと回してください。暑過ぎです…。
パンチパーマのおばちゃんが店番しながら観光客にちょっかい掛けてくる、そんなイメージを持っていた時期もありました。パンチパーマの大阪のおばちゃん、どこにいるんでしょう、情報お待ちしてます。
④外国人が多い
関西経済を語る上でインバウンド観光客の寄与は欠かせませんよね。とはいいつつ、本当に外国人客が多い。なんばとかもはや異国の地を旅している気分になりません?私はなります。
あの辺、あんまり日本らしさとか大阪らしさとか感じないけど、みんな何を楽しみに来てるんだろう…?金龍ラーメン??たこ焼き??
あのごちゃまぜで雑多な感じが好きっていうなら、私も同じですけれど…。
ただまあ、リピートする程来てくれるっていうのは、何はともあれありがたいことです。
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
これを読んで昔のことを思い出したので吐き出す。
僕は地方出身で大学進学と共に東京に来てそのまま東京で仕事をしているが、中学生のときに低学歴の世界と高学歴の世界の溝を感じた時の話。
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僕が勉強を教えた友達Tは小学校から同級生で中学も同じだった。田舎ではよくあると思うが小学校、中学校は家から近い公立校に通う人がほとんどで、そもそもそれ以外の選択肢があるのかはよく知らない。
Tの母親はスナックを経営していて、父親は何の仕事をしていたかは知らないが見た目はパンチパーマにゴツい金のネックレスをしているような明らかに普通の人ではない感じの風貌だった。Tは小学生の頃から金髪で緑のランドセルを持っていてなかなかに個性的だった。いわゆるDQNな家庭だったんだと思う。
Tは学校の成績はダントツに悪かったが、PCとかゲームにはめちゃくちゃ詳しくて、Winnyで音楽や映画やゲームをひたすらダウンロードしたり、ゲームボーイのマジコンを買って色々なゲームを入れたりしていた。小学生のころからよくゲームをしにTの家に遊びに行っていて、中学生になってからはTママのスナックで営業時間外であればカラオケをやってもいいと言ってくれていたのでよくTママのスナックに入り浸っていた。Tと一緒に遊んでいた他の友達には不良っぽい奴らもいたが、Tは見た目こそ不良っぽさはあったが体は細くて華奢だし暴力的なことは何もなかったし、どちらかというとオタク気質なタイプだったと思う。
その頃Tも含めた何人かの友達と僕は同じ美容院に通っていた。そこの美容師の人はちょっと意識高い系な感じで、一時期「次のテストで目標の点数をとったらご飯を奢ってあげる」というのを言ってみんなで勉強しようとなっている時期があった。中学生の僕らはまだ純粋で感化されやすかったので僕もTも他の友達もモチベーションが高まっていた。
その美容師の人から「Tに勉強を教えてあげなよ」と言われたことがきっかけで、僕の家でTと2人で勉強することになった。
TはPCとかゲームに詳しいことを知っていたし理系の方が好きそうだったのでその日は理科をやることにした。僕が持っていた教材の中から簡単そうな単語を埋めるだけの小テストが載っているページを選んで「まずこの10問を答えを見ずに全問正解できるようになるまで何回もやろう。途中で分からなかったらすぐに答えを見ていいから。」って決めてやってもらうことにした。
最初はちゃんとやってくれるか少し不安だったけど、Tはすぐに静かになって集中し始めた様子だったので僕は安心して自分の勉強をしていた。
そこから2時間くらい時間が経って「全問正解できた!」とTが言った。その時のTはすごく嬉しそうな表情をして「勉強っておもしろいね!」と言ってたのがめちゃくちゃ記憶に残っている。
結局3時間くらい一緒に勉強して、Tはめちゃくちゃ疲れた様子だったのでその日はそこで終わりにした。
Tの集中して勉強をしていた様子を見て、ちゃんと勉強すればもっともっと伸びるのにと思った。その日にやった問題は簡単なものだったし3時間もかけてやるのは遅すぎるのかもしれないが、Tはまだ勉強のやり方を知らないだけだし進みの大小は関係ない。
そこで別の日に僕は「同じ塾に入って一緒に勉強しようよ」とTを誘ってみた。Tは勉強の面白さに気づいたからか乗り気になってくれてまずはTママに聞いてみることにした。Tママは少し困惑した様子ではあったけど否定はせず「お父さんがいいって言ったらいいよ」と言ってくれた。
その日たまたま父親がTママのお店に寄ることになっていたようで、そのままの流れで一緒に父親にお願いすることにした。Tママの反応が悪くなかったこともあり、きっと父親はOKしてくれるだろうと期待していた。
しばらくして父親が来て、Tは父親に向かって「塾に行って勉強したいんだけど」と言った。
その父親はすぐに「塾~!?お前が勉強なんかしてどうすんだ!バカはバカなりに生きろ!」と一蹴し、いそいそとまた出かけて行った。
しばらく僕もTも呆然としていた。
その後TやTママと何を話したのかはよく覚えていない。
その一件があってから僕とTが2人で勉強することは一度もなかった。
高校に行ってからは付き合う友達も変わったのもあり疎遠になり連絡を取ることはなくなったし、高校生の間に2~3回くらいしか会わなかったと思う。
それから数年後、成人式に出るために地元に帰った時にすごく久しぶりにTに会った。いま何してんの?という話になり「東京の大学に行ってるよ」と話すと「東京の大学って東大!?」みたいな冗談を言っていた。その他はあまり覚えていないが、たわいもない話しかしなかったと思う。
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Tの父親に塾に行かせてもらうようにお願いをしたとき「そもそも勉強したいと言って親が止めることなんて有り得ないだろう」と僕は楽観的に考えていた。当時の僕は自分が恵まれた環境にいる事に気づいたおらず、自分の環境だけの当たり前を「世の中の全ての人の当たり前」だと思い込んでいた。
僕に向けてそれを言われたわけではないが、この言葉は僕の中に今でもずっと響いている。
Tは勉強のやり方を知らないだけだった。僕がTに教えたのは「答えを暗記すれば問題に正解できる」という極めて当たり前のことだった。
どんなに苦手な科目であってもひたすら答えを暗記すれば比較的短時間で80点くらいは取れるようになるというのを僕は自分の経験から知っていた。それと同じことを学校の先生も教えてはいるんだろうが、Tはそれを理解することも実践することもなかった。
たった3時間程度でさえもそれができるようになるまで付き合ってくれる人が周りにいなかった。
問題を正解できてもその達成感を分かちあえる人が周りにいなかった。
勉強をやろうと言ってくれる人が周りにいなかった。
そして偶然勉強の面白さに気づくチャンスがあった時に「勉強をしてみたい」という気持ちをサポートしてくれる親がいなかった。
TはゲームやCDをたくさん持っていて新しく発売したものもすぐに手に入れていたし、塾に行かせてくれなかったのは経済的な問題ではなかったと思う。
Tの親はブランド物や貴金属にお金をかけたりゲームやおもちゃはいくらでも子どもに買い与えていたが、塾に通うための1〜2万円を払ってくれることはなかった。
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自分にはTに低学歴の世界と高学歴の世界の溝を越えさせることはできなかった。
しかし仮にあの時に塾に行けたとしてもただ挫折させるだけの結果になっていたかもしれない。僕も結局Tのサポートをいつしか諦めてしまったわけだし、そこまで強い気持ちでTに勉強をさせたいというわけではなかったんだと思う。
誰かの人生の選択に責任を持つことなんて到底できないし、ただただ未熟な中学生の身勝手な思いつきでTを振り回してしまって申し訳なかったとも思う。
彼が本気で勉強をしたいと思ったなら塾に行かなくても勉強はできるし、父親に何を言われようと行動をしていたはずだ。
でも、だからといって行動することを本人のやる気だけに求めるのはあまりにも酷すぎる。
高学歴の人であっても強い意志を持って人生の選択をしてきた人が果たしてどれだけいるだろう?
僕は偏差値60くらいの理系の学部を卒業した。東大京大や海外の大学を出ていたり博士号まで取得した人などと比べれば個人的にはとても高学歴とは言えないが、日本全体で見れば僕も高学歴に分類されると思う。
そんな僕が勉強をやり始めたきっかけを考えると、勉強をしなさいと親に言われたからやっただけだった。兄弟が塾に行っていたからという理由で親に言われて同じ塾に通い始めただけだった。
いつしか勉強をすることが自分事になり自発的に勉強することができるようになったが、最初のきっかけは親に同調しただけだ。そこに「高学歴の世界に行く!」なんて強い意志なんか一切存在していなかった。
「高学歴の世界」にいる人たちは自分の強い意志があったから勉強をして大学に行ったのだろうか?
Tと同じ環境にあったとしたら果たして同じように高学歴の世界に行けたのだろうか?
僕は今エンジニアとしてIT企業で働いている。周りには高学歴で優秀な人がたくさんいる。
もしTがあれから勉強を続けてプログラマーになっていたとしたら、この世界を知っていたら、彼はどうなっていたのだろう。
今でもたまに当時のことを思い出す。
地元にいるとしたら田舎は結婚するのが早いし、もしかするとTには子どももいるかもしれない。
この先Tが自分の子どもに「塾に行って勉強したい」と言われたら彼はその子に何て言うんだろう。
あの日のTの父親と同じように「バカはバカなりに生きろ」って言うんだろうか。
もしそんな日が来るのであれば、Tは彼の子どもには違う返答をしてくれると信じたい。
地蔵は「地蔵菩薩」。道端によくいる、坊主頭の仏像がお地蔵様だ。地獄を始めとした六道を行き来して迷える魂を救済してくれると言われる。それが転じて道祖神として道を守る仏様として道端によく置かれている訳だ。
釈迦は言わずと知れた仏教の開祖であり、悟った人=仏陀である。信仰の対象としては「釈迦如来」と呼ばれる。
釈迦が分類される「如来」は「悟りを開いた人」であり、像容としては、肉髻と螺髪、つまり頭頂部が盛り上がったパンチパーマみたいな大仏ヘアで表現される。
地蔵が分類される「菩薩」は「悟りを目指し修行中の身」で、髪を結って宝冠を被り持ち物を持つ姿をするものが多いが、地蔵の場合はそうりょのように坊主頭で錫杖を持つ姿で表現される。
明確にコンセプトを作った上でやってることを何で否定してくるんだろうな
やあ、久しぶり、ふと思い立って君に手紙を書きたくなった。元気かな?元気じゃないよね、絶賛学校に行きたくない感じだよね。クラスメイトからの心無い言葉で気持ちも髪型も滅茶苦茶だよね。あ、髪型は元々だったね。
僕は今年27歳になるんだけど君に残念なお知らせが3つあるんだ。
1つめは、髪の毛を毛根から変える技術はまだ出現してないってこと。無根拠に思ってたよね「俺が20歳ぐらいのころにはそういう技術が出てる」って。残念ながら君のいる時代から14年たっても出ていないんだ。でも縮毛矯正は傷みにくくなったし、良いアイロンも出てるよ。あっ、君はまだアイロンの存在を知らないよね。ヘアアイロンっていって髪をまっすぐに伸ばす器具なんだけど、来年あたり君もつかい始めるよ。でも、君の連珠毛の酷い縮れ毛と多汗症と不器用さで大して使いこなせないんだけどね。関係ないけどハゲの治療は進んでるよ。毛髪再生治療の実用化を2020年頃までに目指してるんだってさ。凄いよね。
2つめは、君は14年経った今でもこのコンプレックスから脱却できていないってこと。君は来年から縮毛矯正をかけ始めるんだけど、それが手放せなくなって14年立った今でもかけ続けているんだ。吃驚だろう。そして君は最近人の目がとても気になるようになってきたよね。君はクラスメイトから髪質をいじられ、心無いいじりで笑われ、だんだん人と一緒にいることが辛くなってきたよね。コンプレックスのせいで無駄に人の目につくようになったよね。遺伝要因と環境要因で君はSAD(社交不安障害)をこじらせるようになるんだ。27歳の男が未だに中高生の笑い声が聞こえる度に嫌な気分になり動悸がするんだよ。未だに人の目が怖くて怖くてたまらないし、人付き合いを避けてるんだ。そうすることが心の平静を保てる唯一の方法なんだ。悲しいけど、14年後の君はこんな情けない姿になっているんだ。
2つめの時点で察しがついてるだろうけど、3つめは未だに彼女いない歴年齢なこと。高校生にもなれば彼女できるって思ってたろ?吃驚だよね。あ、そうそう、高校には無事進学できたよ、近所の馬鹿高校なんだけど先生から「受かったのが奇跡」って言われたぐらい中学卒業時の君の成績は酷いものだった。君は高校生になると3か月に1度のペースで縮毛矯正をかけるようになり縮れ毛を積極的に隠すようになるんだけど、君が高校に上がる頃には既に性格が暗くなっているんだ。昔みたいにヘラヘラ笑ってると心無いいじりの対象になってしまう恐れがあったからね。だから髪質を馬鹿にされることはないけど、髪質に怯えるようになるんだ。「〇〇君って矯正かけてる?」ってクラスメイトの女の子に見抜かれた時の恐怖とパニックは、きっと君と僕にしかわからないよ。縮毛矯正のお陰で、君はグロメンから雰囲気フツメンぐらいにはなれたんだ。そのお陰で好意を持ってくれてる女の子は2、3人居たみたいだよ。でも、この頃になると君は彼女欲しいなんて余裕はなくなるんだ。女の子やリア充(今の時代では陽キャラっていうらしいよ)の笑い声が凄い怖く感じるんだよ。「キモい」って言葉がすべて自分に宛ていい放たれてる気がするんだ。いや、実際何度か言われてるんだけどね。教室にいるだけで挙動不審になるのを隠すのが精いっぱいなんだよ。君はこれから先ずっとずっと、人の目に怯え、自信を得ることも承認欲求が満たされることもなく、擦り減りながら生きることになるんだ。あ、君は卒業間際女の子に告白されるんだけど、君は自分がどういう行動にでたかわかる?振っちゃうんだよ。何故かっていうと「天パがバレて嫌われるの怖いから」だよ。だって、子供にも遺伝するしね。髪質にいい思い出なんて何一つないもんね。
悪いことばかり書いてごめんね、さらに悪い事を書くと、僕はこれから先の君に対するアドバイスが何一つ浮かばないんだ。坊主にすれば髪と無縁の生活が送れるけど、おそらく君には髪への強い拘りが深層心理に隠れているんだと思う。だって、髪に本当に無頓着なら坊主にしてるもんね。まあ、面長で壊滅的に坊主が似合わない顔っていうのもあるけどね。ちなみに僕は今、縮毛矯正をかけたり、短髪の時はハードジェルで固めてパーマ風にしてるよ。それでも酷い縮れ毛だから、パンチパーマみたいになっちゃうけどね。
君はこの先髪について思い悩むだろう。家族からは「髪ぐらい」といわれたから周りに相談しようにもできないないし、解決の糸口が見当たらないんだよね。どう頑張っても毛根から直毛が生えることのない君は学習性無力感に陥る。14年経った今の僕は、お世辞でも「良い大人」とは言えないし、「体だけ大きくなった子供」みたいな感じなんだごめんね。精神的に酷く打たれ弱い27歳になってしまったんだ。正直周りから「社会のクズ」って言われているような、そんな生き方を今は送っている。けどね、君はこの髪のお陰で一つだけ良い長所を身に着けたんだ。それは「他人の容姿を絶対に馬鹿にしないこと」なんだ。君は普通の人よりも自分の容姿でひどく悩んできた。だから自他の容姿にとても敏感なんだ。これから先、君の身の回りの人が他人の容姿を笑うことがあるけど、君はその流れに乗っからない人間だよ。ちっぽけなことに聞こえるかもしれないけど、それは立派なことだし、今の君だからこそ学び取れることなんだとおもう。近所の顔に疾患があるおばさんがいるよね?一昨年亡くなっちゃんだけど、生前に分け隔てなく挨拶してくれる若い子は近所に君しかいなかってっ言ってたよ。学生のうちは辛い思いばかりしたけど、君のボロボロになった感性は微量ながらも誰かをちょこっとだけ幸せにできる力をもっているんだ。
正直、今の君は生きててもしんどいだけだって思ってるよね。ネックにならない普通の容姿に産まれたかったって思ってるよね。僕も未だに酷く息苦しさを感じたりするんだ、この齢で情けないよね。僕は君のことを救うことはできないけど、今なら君の心がわかる。誰も君の辛さを理解してくれないけど、僕は理解できるよ。
今日、電車で君にそっくりな髪質の中学生を見たんだ。暗い表情と自信のなさげな猫背と制御不能な剛毛連珠毛の縮れ毛は紛れもなく中学1年生の僕だった。君がこれを読むことはないだろうけど、世界で少なくとも僕だけは君の気持がわかるよ。
大叔父の話だ。
豪放磊落な職人で、昔はパンチパーマに紫のサングラスをしていた。
大叔母に聞くと、いま68歳だと。
一昨年あたりから外見が急に変わり、老人というよりは幽鬼のような顔になり、自力では動けなくなっていた。
68歳、人によっては全然元気で、人生を楽しむ時期らしい。現に同い年の俺の親父は元気にバレーボールをやっている。
にもかかわらず、大叔父は来月100歳になるうちの曾祖母(大叔母の母)よりも年をとって見えた。
昔、太かった腕は枯れ枝のようになって筋肉はほとんど溶けてしまった。
厚ぼったい唇もなくなってしまった。
大叔母は俺に微笑んで状況を説明しながら、大叔父の手をさすり、やがて耐え切れずに泣き崩れた。
すでに先月から会話もままならなくなり、本人の体力も先日罹患した肺炎で尽きてしまったということで、現在は透析も行えない。
そして、今後も再開はしない。
ともかく、大叔母は圧倒的に間近に迫った大叔父の死に向き合いながら病室で寝起きをしている。
不可避の事象ではあるけど、長年連れ添った亭主の人生の幕を引く、あるいは幕引きを了承してしまった大叔母の心中も察するに余りある。
*
昭和50年代半ばの北関東で、市内の小学校まで片道12kmをバス通学していた。東野(とうや)バス。
いまでも、あの当時、のっていたバスのナンバーと特徴はよく覚えている。
…だと、スロットに手をかける人が少ないから、塗装の剥げるのが遅い。11-28と11-29, 11-32, 11-34がこれに該当した。海星女子学院のおねえちゃんたちは定期か回数券が多かったみたいだ。おれもそのころはふさふさしていた。
ワンマン掲示は、これなんかがイメージに近い。ただ、ぼくが乗っていたのはこれじゃない。写真は、おそらく2代目か3代目の11-34号。
ハードタイプ(うまく説明できないんだけど、かまぼこをつりさげるみたいな感じ)と、ソフトタイプ(半透明の薄いボード)がある。この、ソフトタイプのクールないで立ちが、子ども心に何とも恰好よくみえた。
土曜日、宇都宮東武発の時刻、12:25が海星、12:30が東高橋益子、12:35が水橋真岡。(これははっきりとは覚えていないなあ…)
たまに寝過ごして、終点の真岡や益子まで連れていかれて、そんなときは運転手さんが運賃を請求するのでもなく、おしゃべりしながら戻りのバスで運んできてくれた。パンチパーマにサングラスの杉山さん。「ため」を作らない、めっぽう軽快な変速と走りで、鬼怒大橋の上で65kmを出したのが、ぼくの知る最高記録。
ほんとにみんな世間で言われているようなくだらないものだと思っているのだろうか。
宗教団体や個人についてはもちろん批判すべきことは山ほどあり得るのは確かだと思う。
だけど根本の宗教性だとか、神の概念のような宗教のあつかう形而上学的な意味は現に存在するよね。
史実に限定しても古代ギリシャの昔から哲学として研究されてきた立派な知の分野だと思うのだけど。
実際に世間の考える宗教が、世界創ったヒゲの生えた古代ギリシャ人みたいな服来たおっさん、もしくはパンチパーマの像や紙に欠かれた文字に現世利益のため祈る、みたいなイメージだけだとしたら現代人の精神の貧しさに絶望。
宗教が人間の営みとして核心的で欠くことのできないものであることを理解している人ってほんとはある程度いるでしょ?
でなければ哲学も歴史もおよそ人文系の学問全て理解できないよね。科学に関しては形而上性に気づかなくても物理的側面だけでなんとかなるから要らないかもしれないけど。
この前、とあるJRの駅から電車に乗ろうとホームに上がったら、ものすごい剣幕で怒鳴りまくってる人がいた。
見ると、頭パンチパーマの40代くらいのおっさんが駅員につかみかかる勢いで何事か怒鳴っていた。
そのうちに警察官が数人やってきて囲まれてた。
その数週間前に会社の近所にあるセブンイレブンでこれまた凄まじい音量の怒声を店長に対してあげる、いわゆるガテン系のおっさんを見た。
理由はよくわからないが、店長はそのおっさんに何事か注意しに行ったらしい。
「オドレは誰に向かってモノを言うとんねん!!!」みたいな。
キレっぷりが前述のパンチパーマのおっさんと同様半端なかった。
さらにその一か月ほど前、どういわけだかとあるホームレスのおっさんが、駐車禁止場所に車を止めようとした人に注意してその人からこれまたそれらに匹敵するかそれ以上の勢いでぶちギレらえてるのを見た。
それらのどれもが、いったんキレたらなかなか腹の虫がおさまらないのか、わりと長々と剣幕が続くのである。
ともかく超絶ガラが悪かった。
あるいはまた、結構昔になるが、とある中華料理店で食事を楽しんでいたところ隣のテーブルから「おい!店長出てこい!」と突然の怒声。
ざわざわしていた店内がその怒声で一瞬に静まり返るほどだった。
聞けば、ある料理の量が前より少なくなっていたように思ったらしい。
聞いてて気分が悪くなる言い草だったし、食事も楽しめなくなったのでバカバカしくなってさっさと店を出たのを覚えている。
こういった、なんというかいきなり沸騰するようなキレ方をする人たちって結構世の中には多くて、いったいこういう人たちは頭の中どうなってんだろう?って思う。
なんていうか、気に入らないことがあると即座にぶちギレる感じっていうか、周りの事なんてなんも気にしないっていうか。
今は親元を離れて一人暮らし中。
当然父の記憶は一切無い。
中学生の頃、母の机の引き出しを開けてみたら父に抱かれた私と思われるの写真が出てきてそれを見た記憶はある。
母には聞いていないが、背景は高校を出るまで住んでた家だったし、母の引き出しにあるってことは俺と父親で間違いないだろう。
ちなみに父はパンチパーマで少し怖そうな感じだった。
父を探そうと思ったのは、大学に入ってから子供は絶対にほしくないと言う俺に母がやたら俺に結婚して子供を作れと言うようになったことから始まる。
俺が子供はいらないと言う度に母はもう一度子育てをしてみたいと俺としては考えられないような返事を返される日々が数年間続いた。
母が大変な苦労をして俺を大学院まで進学させてくれたことを考えると、子供を育てるくらいならむしろその分母親に自由は余生を送ってもらうとか、
自分自身が子供に縛られずに生きたいから子供は絶対にほしくないと常々母に言ってきた。
ただ、先日実家に帰った時に母が俺に言った言葉が引き金を引いた。
"子供が居なかったらあんたが死んだときに誰が相続人になるんだ?"と。
正直俺としては死んだ後の世界なんて気にしたこともなかった。
親戚の誰かの手に渡るんだろう程度に考えていた。
でもよく調べてみたら俺に子供が居ないと俺の遺産は父を含めた俺の両親(生きてれば)とその兄弟が手にするらしい。
母はそれを危惧していたんだと思う。
これまで俺は今まで一人っ子として育てられてきた。
俺が死ぬときに両親が生きているなんてなかなか考えられないから、もしかすると俺には兄弟が居るのかもしれない。
異母兄弟かもしれないけど。
そんな感じで、もしかしたら俺に兄弟が居るのかもしれないと思うと父を含め彼らが今どこで何やってるのか気になるようになってしまった。
で、今日ネットサーフィンしてたら父の戸籍謄本を取れると知った。
父の手掛かりは名前、それと当時住んでいたであろう住所。
父の名前は、俺のへその緒の入った木箱に書いてあったのを見て知ったし、
住所は、何だったか忘れたけど俺の住民票が必要になって俺の本籍地が全然記憶にない住所だったからそれを父の手掛かりかもしれないとメモったのが残っている。
つい最近住民票を取ったたときには俺の本籍地は高校まで住んでいた家の住所になってた。
メモってて良かった。
ちなみにmixi全盛期に父の名前を探してみたけど見つけられなかった。
Facebookが流行りだした時にも探してみたけど同姓同名の人がいっぱい居て見つけられず。
どんな返事が帰ってくるのか楽しみだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110520222218
よく少年犯罪が取り沙汰されてたし
自らも他の世代に比べてキレル確率が高くて暴力的かもしれん、と思った。
でも、団塊世代の人に若い頃の話聞いたことがある。
その話にカルチャーショックを受けた。
例えば、街に繰り出す時はヤンキーから恐喝されても大丈夫なようにいつもお金を靴底に隠してたとか、
ヤンキー集団が車両の一部を占拠してたときは、5M四方は乗客がいなかったとか
ケンカを売られないようにするためにパンチパーマを当てようか悩んだことがあるとかw
でも、今そういう思考になることすらない
素行の悪い少年はどの時代もいるが、身の危険を感じる瞬間は多くの人にとってあまり多くはない
少年犯罪の世代別の比率を比べても下の世代ほど検挙の比率(発生件数ではなく)が低い。
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm
下の世代ほど大人しく
上の世代ほど気が荒いのかもしれない
担当者が部長とかで最終決定が社長、だったら部長の個人的意見は無視していいことの方が多い。ほぼそう。
前小さい会社がお客だった時、担当者がバブリーな社長(胸毛濃そうな日焼け男。パンチパーマ気味)だったけど
そういう感じで揉めに揉めて、納品した直後に向こうでバッキバキに直されたことあるぜ!
そこはその後、バッキバキのまま運営している。URL貼って見せたいぐらいだ。
自分がまず満足しないと、モノ買わせるのも嫌になっちゃうタイプの人っているよ。
「自分のサイトに誇りを持てば、ショップ運営のモチベーションは自ずから高まる」って
どっかで書いてる人がいたけど、それの我が侭版なんじゃねーの?
元増田は、制作会社の仕事としては正しいけど、社長さんに対しては失敗だったんじゃないか?
気が重いだろうけどさ、自分のことも振り返って、社長さん懐柔できるといいな。
ただそれ、実績としては結構な身になったんじゃない?
新規開拓の営業トークとか信憑性増すよ。いいこともあるって。
頑張れ。