はてなキーワード: アカデミックとは
急に起業やベンチャーを増やすためにリスクマネーを増やせばいいんだみたいな言説が増えまくってる。
それにしても痴呆患者の資産をリスクマネーに使えっていうのは頭くるってるとしか言いようがない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebdd2f6378d0df9b9e8f3de7a5d9b5e4fea8c968
リスクマネーなんか余裕資金と、本当に案件の吟味と、たずなをもっての制御なしにやったところで詐欺師の温床にしかならない。
そもそも詐欺師をどう取り扱うか?の制御ができないからこそ、たまたまちょっと運が良くて事業がうまくいった小金持ちが真っ当なエンジェルになろうとしても、闇に失望し辞めるのがリスクマネーの世界だろう。
そんな状態で痴呆患者の資産を、いったい誰が、どこに投資するのか決めんの?痴呆になるのは自己責任だからそんな奴の財産は守る必要ないし、世界を救うために使いつぶせってか?
そもそも新自由主義はリスクを完全に評価できるという幻想を基に成り立っている。だけども実際は新自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら企業が保身に入り、金をため込み設備研究投資をしなくなる。
金をため込むから経済が落ち、設備研究投資をしないから競争力が落ちていく。例として1930年世界恐慌、1990年日本バブル崩壊、2008年リーマンショック、そして2020年コロナショックも起きるだろう。
バブル崩壊は日本単独の大規模経済危機だったため、日本一国だけが競争力が駄々下がりで、IT半導体の大敗北につながった。
それから本当に萌芽に過ぎるもののリスク評価なんてものもできない。難しい数学を使えばできるみたいな幻想を基に難しい数学でオブラートに包むことはする。だけど数字の一番底は思い付きと鉛筆舐めなめだから難しい数学を使ったって無意味な結果しか得られない。
大規模経済危機後の新自由主義はただずるずると敗北を連なるだけだ。だが起業やベンチャーはまあアホ一人が歩みだせば一応創業率として数字にはできるから煽る。ましてや奴隷や、ただ同然での事業の種が生まれれば万歳だからなおさら煽る。
種を作ったやつは報われない。絶望的に弱い存在だから奪いにかかったり嵌め込みにかかわるから。
そのように実際は芽が出る前に土足で荒らしまわり、せいぜい他の起業やベンチャーを増やすための餌としてメディアだけには出させ、そして捨てるだけだろう。
もともと新自由主義はケインズ主義が政府の肥大化に伴い硬直化とイノベーションが起きない。財サービスの供給が細りインフレになるということの批判として生まれた。
だが実際を見れば新自由主義社会の1990年以降の現代の方がはるかにイノベーションは起きていない。1990年以前の日本はソニーや京セラなどメガベンチャーが生まれている社会だった。
なぜなら弱い奴をそのまま萌芽の段階でほかのすでに金を持ってるやつのいけにえに供するだけだから。解決案がないから、情や使命感を煽り、麻痺させて突撃させることしかできないから。
ケインズ主義が日本に導入されたのは第二次大戦後のことである。それ以前の日本は自由主義の時代。
例として挙げられるのが資源も時間も与えずに、精神論ばかり煽るだけの牟田口廉也のインパール作戦。新自由主義の連中が起業煽りをするのはインパール作戦の再来にしか見えない。
リスクマネーなどビジネス投資のリターン評価は売上以外ありません。しかし往々にして萌芽であればあるほど投資とリターン評価に係る、期間、費用、想定収益が読めません。むしろ読めないからこそ失敗したときに石が投げやすくて便利♡
リスクマネーに金を出すというのは期間、費用、想定収益が読めないか、あからさまに鉛筆舐めなめだとわかってる案件にどうやって金出すかって話。
ただ一つ言えば、萌芽研究は「科学成果」とは売り上げとは別軸での評価ができる世界。そして受け皿として大学や公的研究所を使えば金の使途ぐらいは制御できる。まああまり細かくやりすぎるのも問題だが。
リスクマネーというのは基礎・萌芽研究投資の金と、運営費交付金としてのアカデミックポスト拡充以外ありません。
むろん政府の関与以外の何物でもないから新自由主義の政府が何もしないのが望ましいという連中は嫌うのだろう。だからアホをはめ込むようなことばかり叫び言い続ける。
儲ける最後まで自分が確実に権利を持てる状況じゃなしに頑張ったって本当に「無駄」
という前提があるので、起業系の銭を基にはハイテクスタートアップは生まれませんし、当てにしてはならないと思うね。
まあするもんじゃないわ。一億歩ぐらい譲ってアカデミックで「研究成果」が成果になる状況で研究成果を積み重ね、商売展開可能性を探る。
そのうえで研究者側が協力者を選り好みできる強い立場になったら起業として歩みだすということになると思う。
基礎研究に金を出さんというがさ、企業当てにするのは間違ってるよ。企業は自分の企業のために金を出すのであって、第三者は正直どうだってもいい。
しかし第三者がすでに研究を公費などで深めていて、組む企業を選り好みできる状況であるなら、他に組まれるのが嫌だからと待遇をよくする。
逆接的に日本全体でもしテック起業とやらを増やすとするとするならば、公費として萌芽・基礎科学に金を出す、人を増やすということになると思う。
ま、現状では起業はするもんじゃないと思うね。アカデミック自体も超レッドオーシャンだから。
成長欲だとか情だとか色恋感情だとか自体、他人が他人をはめ込む道具だと思う。一度嵌め込まれてしまったら報われない苦しみの地獄しか残っていない。
一億歩譲って確実にもうかるか?じゃないとならん。でないと本当に地獄見るだけだ。やらずにサラリーマンしてたほうが一億倍幸せ。
横だが、努力は報われるし、絶対に守る気持ちとかさらっと言えちゃうってのが、体制はボロボロだが根性でなんとかなるししろっていう日本型ネオリベに見えるんじゃないか?
むしろ周りの救いはなにもないが、自己責任で根性でなんとかしろ!というのがこの30年だった。
バブルが崩壊して、企業が保身に入り金の周りが致命的に悪くなり設備研究投資もしないから産業も劣化しつつある。
じゃあお偉方は何をしたかというと、特に頭の足りないやつを起業だーポスドクだーイノベーションだ根性だーといって煽り、しばき倒すだけ。
起業やアカデミック周りには大量の死体の山が築かれている。こんな日本のもとでは手堅く確実に金を得られ、自分のみを守れる道を選ぶのが正解だと言える。
そこで夢みたいなことを言うから、中身のない空虚な夢を叫び危ない道を歩むということで日本型ネオリベと言われたような気がする。
ブルーオーシャンなんてないよ。
銀行、総合商社ルートが正しいとは思えん。売る商品ないじゃない。総合商社で扱ってた代物なんて自分の商売で売らせてくれないよ。総合商社の看板で扱わせてもらってただけ。銀行に至っては全く商品とは縁のない生活。
本気で軌道に乗せようと思えば商品と顧客よ。だけど思い付きと現実は往々にして違うからすり合わせが必要なんだけど、起業の立場では一刻も早く売り上げを上げることを求めるからすり合わせなんかできない。
一億歩ぐらい譲ってアカデミック側に行けて科研費とかで研究とヒアリングを積み重ねた結果。だけど、今時アカデミックに進むこと自体がレッドオーシャンだし。
これについては全く同意。しかも現実知らんのに親が太かったとか、たまたま運が良かっただけの奴がハーメルンの笛吹き男みたいになって、うまくいかなかった奴を自己責任でののしり放題の世の中には反吐が出る。
アカデミックをあきらめた博士号保持者の記事が目に留まったので、運よく大学に残れた側のエッセイを書く。小さなころから科学者になりたかったんです、なんていう大学教員を見ると、眩しくてクラクラしちゃうんだ。すまんな、憧れもなく大学教員になってしまって。
僕は少年時代に、科学者に対する憧れというものがほとんどなかった。ニュートンとかガウスとかアインシュタインなんかの伝記を読み漁ったりして、心惹かれるものがあった。だけど、それは自分が科学者になりたいという憧れとは少し違って、科学者は仮面ライダーやウルトラマンのように現実と断絶した世界にいるヒーローのようだった。
大学に入ると、教員たち講義を受けて、ずいぶん大学の先生は楽しそうだと思った。あとでわかるが、それは誤解だった。ただ一人、すごく楽しそうに熱く語る先生がいた。専門を簡単に説明する。それでいて奥が深い講義だった。僕はその講義に夢中になったが、周りの学生からは評判が良くないのが不思議だった。こういう先生なら、なってみたいかもしれない、とぼんやりと思った。
僕は研究者というよりは科学ファンだった。自ら新しい科学を切り開くということに、それほど魅力を感じなかった。それなのに、大学院へ進んだのは「もっといろいろなことが知りたい」という一言に尽きる。このセリフは厄介で、一見すると科学者適性がありそうだが、実際は逆だ。「ただ自分の興味が向くことを、気の赴くままに知りたい」という僕のような人は研究者に向かない。いったい僕は何になればよかったのだろう。大学院生としての一番の幸福は、図書館の薄暗い書庫に顔パスで入り、紙が焼けているのにピンピンしていて、全く手を付けられていないような文献を読むことだった。だから、論文が書けず苦労した。今もしている。研究者の世界は手を動かす、アウトプットをするのが貴ばれる。研究の世界に飛び込むことは少し違和感を覚えたが、もっと良い場所もなかったので居続けた。卒業したいので、しかたなく研究した。
学会で一流の知性に出会うのは、本当に楽しいことだ。僕にとってはスターのライブであり、学会の懇親会で大物に研究の着想を聴いてみることほど楽しいことはない。
大学院から、学位記と一緒に追い出されるように飛び出し、一つ目の職場に就職した。就職が上手く決まらなかったので、ダメなら別の業界に行こうと思っていた。だけれど何とか職場が見つかった。そこへ行った理由は、この業界にいれば、また暗い図書館での心躍る体験が、いつかできるかもしれないと、不純な希望を持ったからだ。着任した先では、学力が酷かったけれど、教員は博士号持ちの熱血教師ぞろいだった。教員たちの教育に対する熱いパッションを聞かされて、なぜだかすっかり気持ちが冷めてしまって、他に居場所を探した。転職するためには、論文が必要だったので必死に研究した。欲しがりません勝つまでは、を地で行くスタイルで無理をした。体調を崩して大病してしまった。
なんとか次の職場を見つけ、落ち着いている。学生時代の環境を思えば、ここの学生は世界が狭くかわいそうだと感じることもあるが、一つ目の職場と比べればだいぶましだ。すべては相対的だ。転職して、自分の時間が増えたのでぼちぼち研究している。いつか解明したいテーマも懐にしまっている。いつか、は来ないので少しずつチャレンジしている。だけれども、ほとんどの研究時間は一日も早く給料を上げたい、そう思って不純だと思いながら心の血を流しながら論文を書いている。僕は興味が散発的なんだ、だから論文がこれほど憎たらしく感じられるんだと思い続けている。
博士号取ったのに大学教員にならなかった氏が言うように、大学が残念な場所であるとは認める。成績不良の学生を面接したときは、部屋に一人残って泣いてしまうこともある、僕が。これから、教員の仕事どうなっちゃうんだろうかって悩みつづける。実にこの業界はジリ貧だ。だけれど、大学教員以外に僕のふわっとした欲求を満たせる場所を知らない。雑用を投げてくるスーパースプレッター同僚もいるが、傷付きやすい僕を大学以上に放っておいてくれる職場を知らない。
文科省も大学経営陣も学生も同僚もみんなクソだ。クソだけれど、僕はそんな奴らの戯言を骨抜きにしながら、今の場所に居座ってみようと思う。僕の興味と幸運の続く限り。
研究者にもなれない、だが学生を思いやる教育者にもなれなかった。一人でいたいから、学内政治家はもっとごめんだ。いったい僕は何になればよかったのだろう。
わざわざ「.」とか「,」を使うヤツ、イラッとする😠
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なんで今更変えないといけないんだ
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(なにいってんだこいつ?)
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😔 < はぁ〜・・・
結婚を考えていた年下の彼氏が就職、地方配属され(東京から3時間半くらいのところ)3年くらい帰ってこないらしい。私は3年後、アラサーなわけだが信じて待っていいものか。
彼氏は2歳下だ。
付き合って1年半。
そんな矢先に地方配属のお知らせ。
配属先はなかなか遠く、社会人の身であればそうしょっちゅう私のいる東京にも来られないだろう。
3年は戻って来られないらしく、その後も東日本各地を対象とした配属ガチャがつづくらしい。
配偶者がいる社員には月2回分家族に会いに行く交通費が支給されるとのこと。
結婚しよっか〜といったものの、増田のうつ病が治って元気になったらねと言われる。
(彼がかなりの精神的な支えだった)
いっそ別れよっか……といったものの結婚してほしいと思っているし付き合っていてほしいと言われる。
うわーん私だって別れたくないしそもそも離れたくないよ〜〜〜〜〜
まあ結婚なんてしなくてもいいのかなあ
彼は本当に私を救ってくれて、彼がいなかったらとっくに自殺してたと思う
離れたくないなあ
科学技術予算は皆財政出動の一つなんだが?企業じゃリスク取れないから。
iPS細胞もオプジーボもLEDも萌芽の時代は科学技術予算からでている。
成果が出たのも本庶教授はともかく、山中教授はほぼもうアカデミックポストやめようかと思って最後の公募にかけようかという瀬戸際だし、天野教授は結果が出なくて悩んでるただの博士の学生だった。
金積んだところで萌芽の山中教授や天野教授を捕まえられなかっただろうし、高額給金なんか取れる状態じゃなかったよ。
「政府しかリスクの高い科学技術研究をできず、リスクが高いゆえに無駄になったものも多いが、千に2つ大ホームランを当ててる。」
がただしい。
フェミが、弱者の女性を差別する強者の男は悪、という武器を手に入れて暴れていたら、同じ武器を手に入れたトランスにやり返されているのが面白い。
女性のための武器を使ってやり返しているのが男体持ちのトランスで、やられているのが女体持ちという、フェミからしたら理不尽極まりない状況だろうと思うと最高に面白い。
フェミと一括りにしちゃったけど、アカデミックなフェミはさすがに賢くて、女性が男に勝つために設定したゲームのルール(弱者ほど正しい)では女性よりも弱者なトランス相手には勝ち目が無いと判断してすぐに降参してしてしまった。彼/彼女らアカデミック・フェミは、トランス女性を受け入れない低偏差値ツイフェミを差別主義者と罵る内ゲバごっこを楽しむことに決めたようだ。これも面白い。
(アカデミック・フェミなのに、トランスの権利と女性の不安がぶつかるなら、私はあくまで女性の不安に寄り添う、と論文まで書いた某先生は偉い)
(https://note.com/ever_blue/n/n16ed7c79b534 をよんだという話)
声優にしろ漫画家にしろとても険しい道で、しかしそこを一度選んだものがドロップアウトするにはまともな人のふりをしなおす才能が必要なのである
「金を払われる側になったことがあるんだからエリートじゃねえか自慢するなクズ」という下から目線の反論というよりルサンチマンをぶつけるもってこいの藁人形扱いだったり
「anond.hatelabo.jp/20200211033150にしつこく粘着していってやったとおり漫画家や声優を絶対にサラリーマンより下にみるな(ただし消し逃げ)」というなぜか中から目線の反論だったりが想定されるところである。
始めたことをやめてまた始めるには人一倍の勇気が必要であり、この人はたまたまその勇気やまともなひとのふりをできる才能が今あるのだから尊重すべきだ。
ただし私がいいたいことはこの2つのどちらとも違う。心配だな、である。
ウエメセといわれそうだがあえていうと、文系のアカデミックポストに女性差別が存在しないなんて思わないほうがいいのである。ポスドク自殺女性の話がネットで盛り上がった通りである。
大学に行くことでお金を払う側、客に一度もどったのである。ここで切ってしまうとまた若いものいじめといわれそうだがまあもう少し聞いてくれ。
平成以降に生まれたネイティブネット世代は金という光ファイバ回線を通じて支払いができる交換価値がどんなものより大好きである。
金があればアイチューンズカードが買え、ポイントに引き換えて好きな曲や漫画が買え、握手券つきCDもおしばいのチケットも(争奪戦にはなるが)買え、親に仕送りをしていい顔をでき、結局、金で好きな人を独占できるからである。平成世代にたとえば現物で支払いをしたらおそらく2秒後にはメルカリである。
そして労力を金に買えることも大好きである。
ところが、労力を金に変える手段は大幅に電気とコンピューターに奪われたのである。
むかしはそろばん(珠算)が正確にできれば統計や経理という職が用意された。
昔は英検1級所持者なら海外とファクシミリをやりとりするという職が用意されていた。
たった50年ほど前である。そうやって就職した人はまだ現役で生きているし、なんならあなたの上司になることもある。
しかし今職を探すあなたは就職しても「エクセル」「グーグル検索」「グーグル翻訳」「グーグルマップ」より深く職場に溶け込むことはもうないだろう。
グーグルは無料でなんでもやってくれるのだから、給料を払って人間にやってもらおうという人はいない。
運良くまだ手つかずのそろばん世代が上司になっても、金を払うとなると人間はよく調べるもので、
「こんなのグーグルで調べたらちゃちゃっとできるでしょ」と(自分はできないくせに)平気で言うのである。
だから、あなたたちにはまともな職はない。絶望しろ。といいたいのではない。そうではないのだ。
そうでなくてもインフルエンザで、お風呂のヒートショックで、普通ならひっかからない低い段差でこけて足を折って寝たきりになったのが原因で、
人は毎年何万人も死んでいるのである。私もおそらくそんなつまらない理由で死んでしまう。
その最後のとき、私はおそらく、若いあなたたちだけでも生きていてくれてよかった、と言うのである。
乞食になることを怖がらなくていい。自分は他人の金にすがっているとおもわなくていい。
なんなら生活保護だって障害年金だって、どんなお金だってあげる。
災害災害、自粛自粛と肩身の狭いまま大人になったあなたたちは本当にかわいそうだし、もらえるお金はもらっていいのだ。
その上で、堂々と胸を張って、プライドを持ってやりたいことをしなさい。
マジレス:目的意識(SNSやメディアで大暴れしている議論が成立しそうにないアカデミア業界の人が視界に入りませんかそうですか)
2019-01-30
日本の自称中道(あるいは自称保守)/日本の自称リベラルが集まるインターネッツですか?っていう
そこでは「また差別を煽るようなクソ記事書きやがって」みたいなカキコミがあったり
特定の組織集団のみ意識が高く有能とか妄想でしかないので当然やね
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アカデミックな場がない
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アカデミズムっていうのはその全く逆で、ある程度の資格を備えた人間だけが参加することで、会話の質を担保する。
いや、実際には有意義な話をしている場所は普通に日本語でもあるのだけど、そういう議論が成立してるってことは、誰もが自由に参加している訳でもなんでもないってことなので、つまり元増田がちょっと検索したぐらいでは辿り着けない。
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誰もが自由に参加している訳でもなんでもない
(でも誰でも参加出来て真面目)
フェミ社会学者の千田先生がターフの記事で叩かれてるの見て思った
別にフェミ思想が嫌って話ではなくて、少なくとも私なんかでは反論が思いつかないレベルの論理立てをして欲しいっていう話
アカデミックなところにいた事がないから分からないけどそもそも「書くぞ!」と決心してから実際に発表するまで早過ぎないですか?普通そんなものなの?でも千田先生にとってトランスジェンダーとかの分野って専門外なんだ、だったらもう少し調べてから書こうってならないものなんだろうか
学者様は研究でお金もらってる以上私たちにはできない議論をしてもらわないとご飯食べる資格ないんじゃない?学者という存在に対して私は厳しすぎるんだろうか
ポスドクで様々な成果をあげて栄転する人もいれば、そううまくはいかず、アカデミックを辞めてしまう人もいる。
何が両者を分けているのか考えてみる。分野にもよるが、ある程度は共通していると思う。どちらかというと理系寄り。
→これは大きい。採択されるということは有望な研究者という証にもなるし、研究費をもらいながら自由に研究できるので、成果もあがる。
→ネットワークが広がるので、共同研究などに発展しやすいし、顔を知ってもらえるだけでやはり違う。機会を活かせるかはその人次第だけれど。
→ホワイトなラボで、自由な研究時間があるのはやはり強い。ブラックだととてもとても大変。
→博士課程と同じような研究を続けていては先細りする。博士課程を始めてから5年くらい経つと、世界の研究の動向も変わる。また、同じ分野で出せる成果もだんだんとインパクトが減ってくる。ポスドクで新たな研究に取り組めないと、今後取り組むのはもっと難しくなる。
以上を全部満たさなくてもいいが、全てを満たしていない人は、やはり厳しい。
今よりも若くてエネルギーに満ち溢れていた工学部に通う大学生のとき、かわいい女の子のイラストが描きたくて練習してた。
嘘、能書きばかり調べていて全然絵をかかなかった。ワコムのペンタブ買ったのに。
自分自身が思う最高のシチュエーションで最高のキャラクターを描きたいと思っていたんだけど、デッサンがクソ過ぎてダメだった。
当初の予定としては10年後、立派な趣味としてオカズの完全自給自足を目指していた。
結局絵を描くことは辞めてしまった。
いま、いろいろあって駆け出し研究者としてひっそりと生きている。
かつてイラストの能書きで学んだことが研究者としての論文書きにちょっと生きている。
研究室の学生に雑談として話すわけにもいかないので、ここに吐き出してメモしておく。
論文も同じ。とにかく書くこと。こんなの出したら恥ずかしいとか、まだ表に出せないと思っていたらネタが腐る。
あと、書くことにブランクを空けるとリハビリに3倍の時間がかかるので毎日少しでいいので続けるほうがいい。
書けば書くほど書きたくなるし、書けるようになるゾ。
論文もイラストも師匠と決めた人の作品を見ながら習作を作っていくといつも新たな発見がある。
こんなときはこんな言い回しするのか、とかふむふむなるほどと思いながら書くのが楽しくなる。
尊敬するお師匠様(指導教員ではない)の論文はときどき模写したりする。
この言い回しカッコいいな、惚れ惚れするな僕の論文でも使おうとなる。
論理が破綻して「文章のデッサン狂ってるな」というのが何となくわかってくる。
そして、文章の「アタリ」がうまく決まればさらさらと書いていくと破綻しない文章が書ける。
ごくまれに全国大会の1ページ論文を文頭の「はじめに」から初めて参考文献まで一気に書ききるときがあって、それがすごく快感。
プロのイラストレーターが眼からペンでいきなり描き始めてササッと迷いなく描き上げるってきっとこんな感じなんだろうなと思う。
論文ってアイデアは奇抜であってもよいけど、書き方は厳密に「アカデミックの文法」に従わないとトンデモなものになってしまうので、萌絵の文法に従ったイラストに似てるなと思う。
キャラクターって既存の記号の積み重ねだよね。そこに隠し味としてオリジナリティがあると光る。
イラストレーターにとってのイラスト、同人作家にとっての同人誌は研究者にとっての論文と同じなのかもしれないと思う。