2020-05-26

なぜ博士号をとったか大学教員になったのか

すまん。書き出しで結論を言うと、自分でもよくわからん

アカデミックあきらめた博士号保持者の記事が目に留まったので、運よく大学に残れた側のエッセイを書く。小さなころから科学者になりたかったんです、なんていう大学教員を見ると、眩しくてクラクラちゃうんだ。すまんな、憧れもなく大学教員になってしまって。

僕は少年時代に、科学者に対する憧れというものほとんどなかった。ニュートンとかガウスとかアインシュタインなんかの伝記を読み漁ったりして、心惹かれるものがあった。だけど、それは自分科学者になりたいという憧れとは少し違って、科学者仮面ライダーウルトラマンのように現実と断絶した世界にいるヒーローのようだった。

大学に入ると、教員たち講義を受けて、ずいぶん大学先生は楽しそうだと思った。あとでわかるが、それは誤解だった。ただ一人、すごく楽しそうに熱く語る先生がいた。専門を簡単説明する。それでいて奥が深い講義だった。僕はその講義に夢中になったが、周りの学生からは評判が良くないのが不思議だった。こういう先生なら、なってみたいかもしれない、とぼんやりと思った。

僕は研究者というよりは科学ファンだった。自ら新しい科学を切り開くということに、それほど魅力を感じなかった。それなのに、大学院へ進んだのは「もっといろいろなことが知りたい」という一言に尽きる。このセリフは厄介で、一見すると科学者適性がありそうだが、実際は逆だ。「ただ自分の興味が向くことを、気の赴くままに知りたい」という僕のような人は研究者に向かない。いったい僕は何になればよかったのだろう。大学院生としての一番の幸福は、図書館の薄暗い書庫顔パスで入り、紙が焼けているのにピンピンしていて、全く手を付けられていないような文献を読むことだった。だから論文が書けず苦労した。今もしている。研究者世界は手を動かす、アウトプットをするのが貴ばれる。研究世界に飛び込むことは少し違和感を覚えたが、もっと良い場所もなかったので居続けた。卒業したいので、しかたなく研究した。

学会で一流の知性に出会うのは、本当に楽しいことだ。僕にとってはスターライブであり、学会の懇親会で大物に研究の着想を聴いてみることほど楽しいことはない。

大学から学位記と一緒に追い出されるように飛び出し、一つ目の職場就職した。就職が上手く決まらなかったので、ダメなら別の業界に行こうと思っていた。だけれど何とか職場が見つかった。そこへ行った理由は、この業界にいれば、また暗い図書館での心躍る体験が、いつかできるかもしれないと、不純な希望を持ったからだ。着任した先では、学力が酷かったけれど、教員博士号持ちの熱血教師ぞろいだった。教員たちの教育に対する熱いパッションを聞かされて、なぜだかすっかり気持ちが冷めてしまって、他に居場所を探した。転職するためには、論文必要だったので必死研究した。欲しがりません勝つまでは、を地で行くスタイルで無理をした。体調を崩して大病してしまった。

なんとか次の職場を見つけ、落ち着いている。学生時代の環境を思えば、ここの学生世界が狭くかわいそうだと感じることもあるが、一つ目の職場と比べればだいぶましだ。すべては相対的だ。転職して、自分時間が増えたのでぼちぼち研究している。いつか解明したいテーマも懐にしまっている。いつか、は来ないので少しずつチャレンジしている。だけれども、ほとんどの研究時間は一日も早く給料を上げたい、そう思って不純だと思いながら心の血を流しながら論文を書いている。僕は興味が散発的なんだ、だから論文がこれほど憎たらしく感じられるんだと思い続けている。

博士号取ったのに大学教員にならなかった氏が言うように、大学が残念な場所であるとは認める。成績不良の学生面接したときは、部屋に一人残って泣いてしまうこともある、僕が。これから教員仕事うなっちゃうんだろうかって悩みつづける。実にこの業界ジリ貧だ。だけれど、大学教員以外に僕のふわっとした欲求を満たせる場所を知らない。雑用を投げてくるスーパースプレッター同僚もいるが、傷付きやすい僕を大学以上に放っておいてくれる職場を知らない。

文科省大学経営陣も学生も同僚もみんなクソだ。クソだけれど、僕はそんな奴らの戯言を骨抜きにしながら、今の場所に居座ってみようと思う。僕の興味と幸運の続く限り。

研究者にもなれない、だが学生を思いやる教育者にもなれなかった。一人でいたいから、学内政治家もっとごめんだ。いったい僕は何になればよかったのだろう。

  • 学者目指してるマーチの大学1年生って感じの文書 まあお疲れやで 学者めざすんやったら文章の勉強もせえな 論文書かなあかんでな

  • うんち

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