はてなキーワード: きっことは
たまに寝る前の絵本やらが長引いて9時のドラマが始まってしまうとなんかすごく悪いことをしている気分になったものだ
そのときに選んでた定番はカガカガっていうやつで、キモくて全然面白くなかったし好きでもなかった
あ、でもカガカガが自分のしっぽを焼いて食べるところはうまそうで好きだった
あとかこさとし系だな
からすのぱんやさんとかだるまちゃんとてんぐちゃんとか
なんでかっていうと、あれ小物がたくさんでてくるから、どれがいい~?みたいな話で読み聞かせの時間引き延ばせるんよね
小物がたくさんでてくるといえばタイニイ・トゥインクルのふしぎな ともだちもだな
いろんなサンタやらプレゼントやらが出てくるから時間稼ぎにはもってこいだった
好きな絵本よんでもらえばよかったのにねえ
あとはなんか韓国?の絵本でやまたのおろち倒すみたいな絵本でめっちゃ血が吹き出たりしてて情操教育上めっちゃキライだった
あとは~かかととつまさきが前後逆についてる人間がでてくる未開のジャングルみたいなとこの話がこわかったなあ
ああ思い出した
ガラシとクルピラだ
あとすきだったのはー
やまこえ のこえ かわこえてっていうきつねのきっこシリーズだな
はじめてのおつかいは保育園にある絵本めっちゃぼろぼろになってたなあ
こんとあきよんだのは保育園後期だったけど、タイトルの意味がわからなかったわ
あとタイトルの意味がわからんくて地味に覚えてる(好きとかではない)のは、「おとうさんをまって」だな
にほんごおかしいwwwとケラケラ笑いながら親に話した記憶がある
ぐりぐらのホットケーキとサンタクロースの家にいくやつは家にあったから何度もよんだなあ
妹がアレルギーあってホットケーキ実際につくるとかなかったから、よつばがほんとうらやましいわ
あと覚えてるのはー
保育園でドリトル先生アフリカ行きをよみきかせしてくれてたんだけど、誰か女性が犬のジップにキスするシーンで、ジップがそれをすごく嫌がるんだけど、そこでみんなが笑ったのを覚えてる
あと家で読み聞かせしてもらったので長くて印象的だったのはたつのこたろうだなあ
イワナってそんなにうまいものなのか・・・と生唾を飲み込みながら聞いていたよ
ああ子供に戻りたい
早く死んで転生したい
山本一郎の風向きが変わったのを見ていて、今から10年ほど前のことを思い出していた。
当時はツイッターはまだなく、ブログブームは落ち着いて、もちろんヤフー個人なんてのもなかった。
そして、その中で山本一郎は新時代の書き手として、何やらすごい人というブランディングを確立していた。
多額の借金をDELL株で返済した天才投資家。一生分の資産は投資で築いたから、会社経営やブログは遊びでやっている。
今みたいに炎上ネタを暴くみたいなスタンスではなかったが(そもそも炎上するようなネタが当時はネットに転がっていなかった)、あたかも政財界を暗躍しているかのような書きぶりと、ネット民丸出しの面白全部な振る舞いがウケていた(後発の匿名掲示板を煽ったり)。
何が本業なのかは今と同じように明かしていなかったけど、「大っぴらに書けないようなすごいことなんだろう」と思っていた。
ホリエモンとフジテレビを仲介しただの、月9のゴーストライターをやってるだの、別名でライトノベルを書いてるだの、明言せずにいろいろほのめかしてさ。
当時を知らない人は今が全盛期だと思っているだろうが、実は今よりも10年前の方が勢いがあったのよ。
雑誌の連載を5、6本持っていて、本もコンスタントに出して、深夜テレビのレギュラーをやってたり。山形浩生や宮台真司が彼と対談して持ち上げていた。今よりもマスメディアは山本一郎の「設定」に乗っかっていたよ。
それがマンションを丸ごと買ったという発言が吹かしだったことがバレて、ほかの経歴にもメスが入り大炎上。ネット民の支持を失った。
当時はブログのコメント欄が開放されていたのだけど、記事を更新するたびに大荒れ。雑誌も連載もどんどん打ち切られていって、一本もなくなってしまった。当時あった公式サイトに連載の一覧が載っていたのだけど、それが減っていくのを微妙な気持ちで見ていた。
ネットの評価は「裏で暗躍するすごい人」から「中小企業を経営している売れないライター」に変わった。
そこから数年、山本は明らかに低調だった。記事を書いてもはてブには上がってこないし、雑誌やテレビにも出てこない。ネットでの存在感は皆無で、はっきり言って「終わった人」扱いされていた。
風向きが変わったのは2009年ごろ。山本がツイッターを本格的にやり始めたころだ。当初は「懐かしい人が出てきたな」という扱いだったけど、そこで頭角を現し始めた。
それに合わせて、ブログもはてブを集めるようになり、かつての調子を取り戻し始めた。
だが、明らかに変わったポイントがいくつかある。大きいのは自分の暗躍をほのめかさなくなったことと、資産について何も言わなくなったことだ。
自分が突っつかれないように注意しているようだ。ちなみにかつて挙がった経歴詐称などの疑惑には何も反論していないし、認めてもいない。
こうして炎上ネタをリークを交えつつ面白おかしく書き立てるという芸風で再び地位を確立した。ツイッター時代とマッチしたのだと思う。
しかし、再び風向きが変わってきた。このまま行くと、かつてのように存在感をなくすだろう。あるいはきっこや上杉隆のように信者に囲まれてカルト化するのだろう。
今回の復調は、しかしかつてのように雑誌の連載を持ったり本を出したりには至っていない。おそらく、前回「騙された」と思った人たちは彼を避けているだろう。
元2ちゃんねるの管理人、ひろゆきが特徴的だ。かつては相棒のように目されていたが、いつの間にか仲違い。ひろゆきはたびたび、山本を「嘘つき」だと明言している。最近出たテレビでも「嘘つきが儲かる世の中ってどうなんすかね?」と暗に山本を受け入れるネット社会を批判している。
今後の山本がどうなるかはわからない。しかし、素性は怪しいけれど、第三者の立場から切込む人、という立ち位置の自由さで信頼を得ていた人が、その立ち位置を疑われてしまったら、なかなか信頼を回復できないだろう。
三たび山本が復活するには、今まで頑なに公開していなかった本業を明らかにするしかないだろう。どこと取り引きをしてどんなことをしているのか。それは等身大の山本をぜんぶ出すことだ。これは山本の今までのネット活動のツケだ。それを払いきれるのか、あるいは消えるか。山本の明日はどっちだ。
道なき道を切り開く時よ!
なんかSuperflyデーと言うことで、
月末最終金曜日には
ガンガンSuperflyのレコードかけまくるってキャンペーンがもうすぐ始まるらしいわよ。
経済産業省が推し進めるらしいわ。
まあ、私には関係ないけど。
でもさ、ラジオの時のSuperflyちゃんって声が可愛くって
そんなわけで、歳末よね。
紅白の歌う人歌う曲も決まったみたいで、
金爆が3年連続出場で3年連続同じ曲をやるのを期待していたのに残念だわ。
あ、さっきのスーパーフライ間違っちゃってたわ。
スーパーフライじゃなくて
でも、そんなのできっこないわよねー。
うふふ。
あと、お口直しにミックスサンドも
ポメロとホワイトグレープフルーツとの交配種でとにかくデカイの!
デカイ柑橘系って酸っぱいイメージが幼少の頃から離れないんだけど、
あの、田舎に生えてるばかでかいみかんってあれなんなのかしら?
やったら酸っぱいやつ!
だから、もうこれも超絶酸っぱいと思ったのよ!
ジュジュジュって果汁を搾って、
今日はクイックで
炭酸割りよ。
な、なんとめちゃ甘くて美味しいじゃない!
むしろ柑橘系の酸っぱさをもっとちょっとは欲しいわねってくらい、
あまいのよ、
ちょっと街で見掛けたら試してみてよ。
美味しいから~。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!おー!
ある程度なら仕方なく受け入れるさ。
投票しなかったとか、投票の義務を怠っておきながらその責任から逃れようとするのはおかしいからね。
私は反対派だ。て、政治家同様、そんなの証明できっこないからいくらでも言える。
ただ、ね。
納得がいかないとするならば。
全くもって静まってしまっているけど、腹切なよ。
その上でなら、仕方なく了承するさ。
国はあれこれ金使わない方策を練る前に国民同様国が導いた結果として受け止めてよ。
平等の名の下に一定率の負担が行き渡るなら、結局貧困層が喘ぐだけじゃないか。
試算は22兆円。納税者や世帯で割るとどんぶり勘定30〜40万円くらい?
原発の道を決めた方の収入では毛ほどかもしれませんが、痛手を被る人もいる。
いい加減、この茶番の幕を下ろしてほしい。
ああ眠い。
こないだ道南で割りのいいバイトがあったので何個か組み合わせて道南出張の旅をやってきた。
イカ食ったり、夜景見たりそれはそれでとても楽しかったのだが、うわさで松前病院崩壊という話があったので偵察してきた。
もちろん松前は以前から行ってみたい土地の一つであり、松前城博物館の展示物はとても興味ぶかく満足いく旅であった。
まずは通り一遍の松前観光を終えて、なんとなくそこらへんでランチ。
人もいないがさすがに海鮮はうまいなーと寿司をほうばりつつ、大将と世間話をしてみていくつかわかったことがあった。(当方は自称歴史好きサラリーマン)
いわく
・やめるとかなんとかいってるけどまぁもう関係ない、どうせ函館行くから。
ぐらいのこと。
まずはこの地域のこの規模の病院を維持するのはとんでもなく大変なことだということを地域住民(すし屋の大将をn=1で代表にして申し訳ないが)が
全くといって理解していないこと。
しかも木村院長のもと「全科診療医」として(これはこれで異論も無いわけではないが)とりあえずは何でも診ますという姿勢を貫いていること、これがどれだけ
大変なことかを理解していない。とりあえず診ますということは診たものに関しては紹介もふくめて最後まで面倒を見ることに他ならないと思う。
それを「専門外」ですから、という一言で片付けられて自分で函館まで連れて行って一から病院を当たる苦労を肩代わりしているなんて想像もついていないんだろう。
そこにはやはり、この過疎の土地で「他でも生きていけるよそ者の技術者」が「自分たちの税金で高級をとって」、「盲腸すらろくに見れない」というゆがんだ認知があると思う。
アッペの手術なんて比べ物にならない恩恵を受けているにもかかわらず 函館の年収1000万円でアッペのオペができる医者>>>>松前に単身来て年収1500万円で何でも診てくれる医者という
認識になっているのは、だいぶ愕然としたけどなんとなく聖地というか日本の僻地に全般してみられる認識なのかもしれない。
ブログとかつらつらと拝見するに、「よそもの」が「高い給料とって」、「地域の事情も知らずに」、「きれいごとばっかいって」、「われわれの日銭が入る貴重な機会をつぶしてる」
みたいな認識なんだと思うし、その認知の歪みを是正するなんて、今5-70代の松前のオピニオンリーダーに求めても、ぜーったいに無理に決まってるので
粛々と撤退するほか無いんだろうなーと思うし、正直ここが崩れたら救急医療の道南ドミノ大会が盛大に開催されるに決まってますので近づかないにしかず、という聖地ならではの
景色が繰り広げられることだと思うことですよ。
あ、なんか七人中四人しかやめないなんて報道ありますけど、地域枠の後期研修医とその御守り役が残るだけなので、来年には医者ゼロだと思いますよー。
さすがに道庁もこんな聖地に虎の子はもう送らないと思います。どっとはらい。
追記 報道見ると研修医さん10月で別のところいけるんですね、よかった。で、やめるの三人というと院長と後期研修医と、子飼いのERさん?後の人どうするんでしょうね。あまり残るとも思えませんが。
できないの間違えなんだけど、
専業主婦になりたいなーなんて思ったこともあるけど
とくに姑に気に入られる術を持たない
子供も産みたくない、育てらんないし
こういう家督主義的な結婚は産まないのに専業なんてできっこないから結局
できないししたくない、いやできない
ああ介護は確かに食いっぱぐれはないだろうけど、
翌朝、僕はもう童貞ではなくなっていた。
さらに十月十日後、保育園が産まれた。児童福祉法の要件をつつがなく満たした、天使のような認可保育園だった。
保育園はいつも僕のあとをついてまわり、「パパ、パパ」と抱きついて戯れた。
「パパのバカっ! もう知らないっ!」
保育園が最近僕を避け始めた。というか、露骨に嫌うようになった。
「あー! パパ、また一緒にしちゃって!」
保育園が両手にそれぞれ異なる下字をもって風呂場から飛び出してくる。
左手には『所』、右手には『園』。身体は「保育」の二文字状態。
「もー! パパ、また『所』を洗濯カゴのなかに入れてたでしょ!? 私は『保育園』だって何度言ったらわかるの!? 児童相談所と間違われたいの!? そうなったら困るのパパなんだからね!? パパなんだからね!?」
二度繰り返した。本気で怒っている。
僕は伏し目がちに言った。
「どっちでもいいから、早く下をつけなさい……」
「どっちでもいいってどういこと!?」
「どっちでもいい……って? どっちでもいいって何!? 私の名前なんかどっちでもいいってこと!? 私なんてどうでもいいってこと!?」
「違う……違うんだ……」
「違わなくないでしょ!? パパは私のことなんか嫌いなんだ! いつもギャーギャー大騒ぎして迷惑な保育園なんかもういらないって思ってるんだ!」
保育園の顔は涙と鼻水でぐじゅぐじゅに濡れている。
僕も泣き出しそうになる。どうすればいいのかわからない。
「そんなことない……そんなことはないんだよ……」
バン、と居間のドアから飛び出し、そのまま玄関を突き破って保育園は――あいかわらず、すっぽんぽんで「保育」状態のままだったが――雷のような激烈さで家を飛び出していった。
僕はうろたえた。
わかっていたはずだったのに……でも。
「どうしたの? すごい剣幕だったけれどあの子」
妻が寝室から眠たげな目をこすりながら出てきた。
彼女はうなだれる僕と開け離れたドアを見比べながらやがて「ああ」と合点いったかのように頷いた。
「しょうがないよ」と彼女は僕の頬を穏やかになでる。「頑張ったけど、しょうがなかったんだよ」
屋内へふきつける夜の寒風が、取り残された僕と彼女を責めるように苛む。
結局、無理だったのだ。
僕らに保育園を殖やすなんて、未来を繋ぐなんて最初からできっこなかったんだ。
「また殖やしましょう」
「保育園を?」
「いえ、今度は葬儀場を。
あれらは産むだけなら簡単だから。
それと老人ホーム、老健、介護施設、養老所、そういう子をどんどん殖やしましょう。
絶対に必要とされる子だけを産みましょう。あなたや私のように、必要とされる子だけを。
どう応えればいいのかわからなかった。
「……顔を洗ってくる」
僕は妻を残し、風呂場の洗面台に立った。
泣きはらした眼と一番上の文字を洗う。
顔を上げると、濡れそぼった「刑」の字が鏡に映る。
情けない二文字の男。
少子化少子化いってるくせに一方では、安定した経済基盤も無いのに産むな、はありえないじゃん。
それに、夫婦2人ともまともに働いて、その上子どもをまとも育て上げることなんか物理的に絶対不可能。
親を子育てから解放することなしに、安定した出生率の増加はないからww。
生まれた直後から24時間体制で保育する体制が整えば、親はすぐ職場に復帰できる。
妊娠期間を健康に過ごせればキャリアも半年弱も途切れることはない。
24時間保育であれば、子どもに時間や思考を割かれず思う存分働ける。
子どもとは週に1回程度仕事が休みの日会えるようにする。その時、愛情をたっぷり与えてやる。
保育所では子どもの個性に合わせた教育を徹底する。勉強好きな子には勉強させて、
そうでない子にはその子の特徴を生かせる勉強をさせて社会に役立てる大人になるようにすればよい。
思想だって赤ん坊から家族を切り離せば、いろんな差別を助長するような
家系制度やら家父長制とか男尊女卑みたいな考えだって一掃できる。
イクメンって言葉が流行っているのか知らんが、一刻も早くこんな言葉は爆破させろ。
こっちは好きでやっているのに、保育園のママ友に「あなたの旦那さん、家事育児をやって凄いよね。さすがイクメンね」とか褒められたとする。
それを聞いている妻が「あなたは褒められて良いわね。私も色々やっているの何にも褒められないよ」とか後でぶつぶつ愚痴をこぼす。
しらねーよ、こっちはイクメンで褒められるためにやってるわけじゃねーよ。
ママ友は良かれと思って褒めたのかもしれないが、全く逆効果だから。
すげーありがた迷惑。
こんな言葉いらん。
だいたい政府が掲げているイクメンプロジェクトとか見てるとひでーよ。
「趣味は家族、特技は育児・家事、仕事は子育て支援」(30代男性 2児の父)
とかもう見てらんない。
父親はどこにいったんだよ?
そんなことしてるから、子供とお友達関係になったり、子供が自己中になっていくんだよ。
そんな上っ面な問題だけをみて、お前は将来を見据えてるのかと問いたい。
まるでキャリアアップから脱落したのが自分的に許せなくて、上っ面だけのイクメンに逃げているように見えるんだよ。
妻がキャリアアップしても構わん。
どっちかが収入元にならないと後がないぞ。
あと、最近、家事育児の見える化とかで夫婦で分担しようぜってのがネットで流行っているが、あれもやめろ。
共働きしてるなら、子供が生まれる前に、どっちが家事育児を優先してやるのか決めておけっての。
また逆でもいいんだよ。どっちかがやれば。
夫死亡だよ。
いい加減目を覚ませよ。
「なに、こんなことも出来ないのか!」と妻に怒られる始末。
いきなりスーパーマンでもなったかのように最初からうまくいくわけがない。
ただでさえ、妻のほうがお腹にいる赤ちゃんを抱えながら1年間のアドバンテージがあるのに、無理だっつーの。
日本のイクメンと、海外のイクメンでは捉え方が全然違うんだよ。
そもそも、女性は男性が育児するのが当たり前という考えが間違ってる。
逆でも良いんだよ。
そして、しっかり責任持てよ。
そして、女性としては期待からかけ離れてるから、不満爆発って流れよ。
ストレスが余計に貯まるだけ。
俺もおっぱいあるけど、赤ちゃんに見せてもちょっと触って「ぷいっ」てされて、何の役に立たないから。
ほんと悲しいし、悔しいよ。
これほどおっぱいがあったらと思ったことはない。
生まれたばかりの赤ちゃんの世話は妻のほうが効率が良い、間違いない。
ここばかりは、「妻、よろしくお願いします」って頭下げろ。
そして、妻のマッサージとかしてろ。
まあ、ここまで言っておいて何だが、夫が家事育児を下手くそでも良いから一通りできるようになっておくために、
妻が病気の時に困るんで。
「小保方さんは今回、酸性溶液に浸すことで多能性の細胞を作ったが、酸性溶液という条件を発見する前、いろいろな刺激方法を模索していた。私は、小保方さんが作った細胞が多能性を持っているかどうか、マウスを使って判定する実験を2010年7月頃から手伝った」
——なぜ、手伝うことになったのか。
「小保方さんが博士課程の3年生で米ハーバード大に留学している時、共通の知人から『多能性の判定を手伝ってほしい』とメールが届いた。刺激だけで多能性を獲得するのは動物ではあり得ないというのが当時の常識。だから、ハーバード大では誰に頼んでも判定の仕事を手伝ってくれる人が見つからず、若山に頼めば何とかなると頼んできたようだ。最初は『できるはずがない』と思ったが、あり得ないことを試すのは自分も好きだったので手伝った」
「判定の手法は、緑色に光るマウスが生まれてくれば多能性がある、光らなければない、というもの。当然、最初は全く光らなかった。同様の共同研究を私に持ちかけてくる人は多いが、一度失敗を伝えると、たいていの研究者は引き下がる。でも小保方さんは違った。だめだったと伝えると、更に膨大な量の実験をして失敗の原因と次の作戦を考え、『次は絶対いけるのでお願いします』と別の方法で作った細胞をすぐ持ってきた。普通とは違う熱意を感じた」
——小保方さんの情熱を見て、当初の「できっこない」が「もしかすれば」に変わった瞬間はあったか。
「なかった。情熱はあってもおそらく無理だと思っていた。彼女はまだ若いし、若い頃の失敗は後々のためには良いと思っていた。今回の発見は、それぐらい常識を覆す研究成果だ。2011年末頃、緑色に光るマウスの1匹目が生まれた時は、小保方さんは世紀の大発見だとすごく喜んでいたが、私はそれでも信じられず、『どこかで自分が実験をミスしたせいでぬか喜びさせてしまったかも』と心配だった」
——今や全国のヒロインとなった小保方さんに続く若手研究者は今後出ると思うか。
「彼女は次元が違い、難しいかもしれない。小保方さんのように世紀の大発見をするには誰もがあり得ないと思うことにチャレンジすることが必要だ。でもそれは、若い研究者が長期間、成果を出せなくなる可能性があり、その後の研究者人生を考えればとても危険なこと。トライするのは並大抵の人ではできない」
思うところがあって,自分を構成する大要素・小要素の明文化を行った。たとえば『仕事・趣味・交友関係』の大要素の下に,それぞれ3~4の小要素(高学歴ワープアな自分の仕事の場合,研究員の仕事(有期雇用)・副業・自営業(フリーランス)の三つ)書き出してみて思うのは,プライベートの趣味については一生腰を据えて取り組めるものばかりだけど,仕事についてはそうじゃないんだよな。というか現代,そうじゃないひとの方が多いと思いのではないか。
広い視野でもって将来のリターンのために現在のリスクをとるやり方がいいでござるよ,というのを度々知人から勧められ,納得する面もあるのだが,しかし一方でリターンが期待される時期まで足場があるかどうかが見通せない場合は小規模の挑戦しかできっこないというのが現実としてあるんじゃないかな。
結局生涯に渡って身を助くのは,身に付いた技術と客観的な実績しかないという当たり前の結論に行き着くのであった。芸は身を助くってか。
パンフレットのことを書いた増田だけど、ごめん、うろ覚えで書いたのでソースとしては不確かかも。
帰ってきて家の中ひっくり返してみたけどパンフレット見つからなかった。
代わりに雑誌「MOE」2014年9月号のマーニー特集号が出てきたのだけど、
この中の米林監督インタビューでは、鈴木敏夫Pから「日本で」という注文だったみたい。
宮崎駿監督も瀬戸内を舞台に、みたいな方向でイメージ案を出してきたとのこと。
あと、孫引きになるけど、
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/arrietty/link07.htm というサイト(たぶん個人の?)に
『Brutus』2010年8月1日号の宮崎駿氏へのインタビュー記事によると、(現状では)原作通りイギリスを舞台にしては描けなかったためとあります。すなわち、「泥臭い、田舎臭い、100年以上前のイギリスを舞台にしても日本人ができっこない」ことに加え、「麻呂(米林監督)も何も知らない」からという要因を指摘しています。中途半端に勉強しても「ゲタ履いて畳の上を歩いているような映画」になってしまう恐れもあるので、とてもイギリスを舞台には出来なかったというようです。また、宮崎駿氏は、「日本人の今の観客はもうヨーロッパへ気持ちが向いていない」とも述べていて、日本の観客向けに作るのであれば、日本を舞台にした方が良いという判断につながっているのではないかとも思われます。
と書いてあった。