翌朝、僕はもう童貞ではなくなっていた。
さらに十月十日後、保育園が産まれた。児童福祉法の要件をつつがなく満たした、天使のような認可保育園だった。
保育園はいつも僕のあとをついてまわり、「パパ、パパ」と抱きついて戯れた。
「パパのバカっ! もう知らないっ!」
保育園が最近僕を避け始めた。というか、露骨に嫌うようになった。
「あー! パパ、また一緒にしちゃって!」
保育園が両手にそれぞれ異なる下字をもって風呂場から飛び出してくる。
左手には『所』、右手には『園』。身体は「保育」の二文字状態。
「もー! パパ、また『所』を洗濯カゴのなかに入れてたでしょ!? 私は『保育園』だって何度言ったらわかるの!? 児童相談所と間違われたいの!? そうなったら困るのパパなんだからね!? パパなんだからね!?」
二度繰り返した。本気で怒っている。
僕は伏し目がちに言った。
「どっちでもいいから、早く下をつけなさい……」
「どっちでもいいってどういこと!?」
「どっちでもいい……って? どっちでもいいって何!? 私の名前なんかどっちでもいいってこと!? 私なんてどうでもいいってこと!?」
「違う……違うんだ……」
「違わなくないでしょ!? パパは私のことなんか嫌いなんだ! いつもギャーギャー大騒ぎして迷惑な保育園なんかもういらないって思ってるんだ!」
保育園の顔は涙と鼻水でぐじゅぐじゅに濡れている。
僕も泣き出しそうになる。どうすればいいのかわからない。
「そんなことない……そんなことはないんだよ……」
バン、と居間のドアから飛び出し、そのまま玄関を突き破って保育園は――あいかわらず、すっぽんぽんで「保育」状態のままだったが――雷のような激烈さで家を飛び出していった。
僕はうろたえた。
わかっていたはずだったのに……でも。
「どうしたの? すごい剣幕だったけれどあの子」
妻が寝室から眠たげな目をこすりながら出てきた。
彼女はうなだれる僕と開け離れたドアを見比べながらやがて「ああ」と合点いったかのように頷いた。
「しょうがないよ」と彼女は僕の頬を穏やかになでる。「頑張ったけど、しょうがなかったんだよ」
屋内へふきつける夜の寒風が、取り残された僕と彼女を責めるように苛む。
結局、無理だったのだ。
僕らに保育園を殖やすなんて、未来を繋ぐなんて最初からできっこなかったんだ。
「また殖やしましょう」
「保育園を?」
「いえ、今度は葬儀場を。
あれらは産むだけなら簡単だから。
それと老人ホーム、老健、介護施設、養老所、そういう子をどんどん殖やしましょう。
絶対に必要とされる子だけを産みましょう。あなたや私のように、必要とされる子だけを。
どう応えればいいのかわからなかった。
「……顔を洗ってくる」
僕は妻を残し、風呂場の洗面台に立った。
泣きはらした眼と一番上の文字を洗う。
顔を上げると、濡れそぼった「刑」の字が鏡に映る。
情けない二文字の男。