2016-04-16

保育園を殖やしましょう、と彼女は言った。

 翌朝、僕はもう童貞ではなくなっていた。


 さら十月十日後、保育園が産まれた。児童福祉法要件をつつがなく満たした、天使のような認可保育園だった。

 保育園はいつも僕のあとをついてまわり、「パパ、パパ」と抱きついて戯れた。


 さらに十年十ヶ月後、保育園は十歳になっていた。


「パパのバカっ! もう知らないっ!」

  保育園最近僕を避け始めた。というか、露骨に嫌うようになった。


「あー! パパ、また一緒にしちゃって!」

 保育園が両手にそれぞれ異なる下字をもって風呂から飛び出してくる。

 左手には『所』、右手には『園』。身体は「保育」の二文字状態

「もー! パパ、また『所』を洗濯カゴのなかに入れてたでしょ!? 私は『保育園だって何度言ったらわかるの!? 児童相談所と間違われたいの!? そうなったら困るのパパなんだから!? パパなんだから!?

 二度繰り返した。本気で怒っている。

 僕は伏し目がちに言った。

「どっちでもいいから、早く下をつけなさい……」

「どっちでもいいってどういこと!?

 しまった、と後悔したときにはもう遅い。

「どっちでもいい……って? どっちでもいいって何!? 私の名前なんかどっちでもいいってこと!? 私なんてどうでもいいってこと!?

「違う……違うんだ……」

「違わなくないでしょ!? パパは私のことなんか嫌いなんだ! いつもギャーギャー大騒ぎして迷惑保育園なんかもういらないって思ってるんだ!」

 保育園の顔は涙と鼻水でぐじゅぐじゅに濡れている。

 僕も泣き出しそうになる。どうすればいいのかわからない。

「そんなことない……そんなことはないんだよ……」

ウソウソウソ!!!


 バン、と居間のドアから飛び出し、そのまま玄関を突き破って保育園は――あいかわらずすっぽんぽんで「保育」状態のままだったが――雷のような激烈さで家を飛び出していった。


 僕はうろたえた。

 保育園はどこへ行ってしまったのだろう?

 なぜ僕はあんバカなことを言ってしまったんだろう? 

 保育園なしの生活なんて考えられない。

 保育園なしに、僕達の家庭に未来はない。

 わかっていたはずだったのに……でも。


「どうしたの? すごい剣幕だったけれどあの子

 妻が寝室から眠たげな目をこすりながら出てきた。

 僕は言葉に詰まる。どう説明すればよいのか。

 彼女はうなだれる僕と開け離れたドアを見比べながらやがて「ああ」と合点いったかのように頷いた。

しょうがないよ」と彼女は僕の頬を穏やかになでる。「頑張ったけど、しょうがなかったんだよ」


 屋内へふきつける夜の寒風が、取り残された僕と彼女を責めるように苛む。 

 結局、無理だったのだ。

 僕らに保育園を殖やすなんて、未来を繋ぐなんて最初からきっこなかったんだ。


 彼女あくまでやさしい。

「また殖やしましょう」 

保育園を?」 

「いえ、今度は葬儀場を。

 火葬場や墓地も殖やしましょう。

 あれらは産むだけなら簡単だから

 それと老人ホーム老健介護施設養老所、そういう子をどんどん殖やしましょう。


 小学校幼稚園が産まれたら、嬰児のまま縊りましょう。

 そういう子らは必要でないもの

 その場合だって墓地必要だわ。

 絶対必要とされる子だけを産みましょう。あなたや私のように、必要とされる子だけを。

 始まり必然ではないけれど、終わりだけは絶対なのだから


 僕は彼女を見つめたまま、呆然としていた。

 どう応えればいいのかわからなかった。


「……顔を洗ってくる」

 僕は妻を残し、風呂場の洗面台に立った。

 泣きはらした眼と一番上の文字を洗う。

 顔を上げると、濡れそぼった「刑」の字が鏡に映る。

 情けない二文字の男。


 そういえば、パンツ保育園にとられたままだった。

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