はてなキーワード: 顰蹙とは
(こちらは地元の先輩女性やお友達多数で、相手はいつもぼっち、オフで3,4回顔合わせした程度。)
「自称・増田さんと大の仲良し」と言いふらされ、私の友人にグイグイ近づいて、
顰蹙の片棒を担がされるところだった「まるで親友みたいなふるまいの女性」話もあります。
リア友「え?すっごいなかよしだって彼女言ってたので、増田さんの友達だからと思って我慢してたのに!」
と言われて泣きそうになったことあり。怖かった。
A男は高身長のイケメン。武士のようにストイックで寡黙でエヴァンゲリオンが好きで頭がいい。黙ってるだけで女が寄ってくるモテモテで彼とセックスしたい女が山ほどいて、A男の家に何かと理由をつけて行く女が後を絶えない。
B男は普通身長のブサイク。パワー型コミュ障で、周囲を白けさせる。この間もろくに話したこともない部内一の巨乳の女になぜかアクセサリーをプレゼントする形でいきなり告白したが断られ、逆ギレしてさらに周囲の顰蹙を買った。
C男は低身長のブサイク。コミュ力の権化で、留学生の白人美女と数年来ラブラブなのに、今もモテモテ。この間同じ授業で同じグループワークをしたら、俺この作業やっとくよ!と一番めんどくて厄介で誰もやりたがらない作業を笑顔で引き受けてくれて惚れそうになった。
別に私は従姉妹の彼氏が籍を入れなかったのを責めたいわけじゃないのですが何か?従姉妹だって籍を入れて結婚してくれる相手を望んでいるならその人と別れて別の人を探せば良かっただけの話です。
むしろ親族の前で籍を入れないことを明言したのは立派だと思います。のらりくらりと同棲を長引かせることもできたのに、あえて彼女の親族の顰蹙をものともせず自分の意志を宣言したのですから。従姉妹のお婆ちゃんは激怒したそうですが、「女はお嫁に行ってなんぼのもん」の世代の人ですから古い価値観に合わせる義務はありません。
彼氏と従姉妹が両方納得していれば籍なんて入れても入れなくてもどっちでも良いのです。ただ、元増田は結婚願望が強いようなので、「相手のプロポーズなんか待ってるとそのままオバさんになっちゃうよ」と言っておきます。
>自分で熟慮し、行動でき、なおかつ確固たる意見を持てる
これは何も女性に限った話ではなく、現実に生きている人間なら誰しもそういうものです。
人間なら誰でも熟考して行動でき、なおかつ個人の意見や意志を持っているというのならその通りなので、「自分の知っている作家方が生きている人間を描くのが苦手そうに見える」と言っているならそうかもしれないのでそこは同意します。超能力者でなければ人間の内面なんて正確に見抜けたりできませんし、人間が人間を正しく理解しておらず故に本当に生きている人間を完全再現できないのは当たり前ですからね。
ところで、人間なら誰でもそうである特徴を性差のように強調して語る口ぶりは、すこし刺々しく感じ顰蹙も買いやすいと思いますから、無用な喧嘩を避けたいなら言い方を変えるかせめて強調するような言い回しにするのはやめた方がいいと思います。
※注意→ジャンプ+の漫画「食べる女」及び一部のグルメ漫画に文句言ってるだけなので、好きな人は読まないでね
先日、ジャンプ+の漫画「食べる女(原案:アホ太郎/作画:伊藤いーと)」(https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156688999970)のコメント欄が荒れに荒れた事件があった。
匿名をいいことにコメント欄を荒らすような人間の民度がたかが知れてるのはもう分かっていたけど、その火元の「食べる女」を実際に全話読んだが、まあ唸ってしまった。悪い意味で。
これは確かに、少年誌(ジャンプ+をそうカテゴライズするのが正解なのかは不明だが)の「グルメ漫画」として連載したならば多くの読者から顰蹙を買っても不思議ではない。だからといって、自分が不快だったという理由でコメント欄に小学生レベルの暴言を書き込むのは勿論お門違いではあるけれども。
自分なりに「食べる女」が気に入らなかった点を箇条書きで書き出してみた。
・食べ方が汚い。圧倒的に汚い(ご飯粒をポロポロこぼす、アイスキャンデーを必要以上にベロベロ舐め回す、ヨダレ垂らす、迎え舌、「んふっんふっ」と声を上げながら食べる、口の中に食べ物が入ったまま喋る、食べ物で頰を膨らませる)
・キャラクターの表情が過剰、包み隠さず言えば情事を連想させる(目を潤ませ顔を紅潮させる、唇が色づく、さっきも言ったけど迎え舌)
・食べてる時の擬音が汚らしい(「んちゅっ」「くちゃっんちゃっ」「ぴちゃ」「ぶぼぼっ」など)←個人的にはこれが一番キツかった
と言った具合に、評判の悪いグルメ漫画ではもう見飽きたほど定番の評価が並んだ。
総括すると「汚い」「下品」であり、Twitterで感想をサーチする限り批判ツイートの大半がこれを占めていた。
特に話題となっている8話では女性上司とラーメンを食べるのだが、スープを飲んでいる時に「ぶぼっずっ ぶぼぼっ ぶ ぶはっ ぼぁ」という擬音が鳴る(原文ママ)。いやそうはならんやろという感想を抱く。汁物をこんな音を立て啜ってたら噎せてるのかな?逆流してんのかな?と心配になる。
あと「ぼぁ」て。どう食べればそんな音が出るんだ。描いてる時に疑問に思わなかったのだろうか?
ついでに個人的には、食べてる時の擬音の書き文字がモロ18禁だなと思った。
それらを除けば絵は綺麗だし、登場する女性はみんな美人で料理も美味しそうに描かれている。
(でもぶぼぼっと音を立ててスープを食べてたりカレーをガツガツ食いご飯粒を吹きながら大声で職場の愚痴を言ってると、どんな美人も台無し)
率直に表現すれば「食べ物をエロく食べる美少女・美女」というコンセプトはもう時代遅れなのではないかと思う。
普通の感覚で言えば食と性(下ネタ)は融合させるべきではない。だって食事中にウンコの話されたら嫌だろ。テレビ見てても芸能人の人が食べ方汚かったりクチャラーだと嫌な気持ちになるだろ。
グルメ漫画は「おいしそうな料理の絵→ぱくっ→もぐもぐ→おいしい!」の循環で充分ウケるだろう。てかそれでいいじゃん。なぜわざわざ変化球で行こうとするのか。
ぱくっ。もぐもぐ。で食事の描写はそれで済むじゃん。「きゅんっ!」「ぞくぞくっ…」「じわぁ……」とかもう食の何を表現してるのかわからない。
グルメ漫画の金字塔とも言える「孤独のグルメとか見てみろ。至ってシンプルだぞ。変な汁飛ばさないし五郎さんの顔は常に平静だし。
と、まあこう「嫌われるグルメ漫画の法則」を一つずつ丁寧に踏んで歩いている印象を受ける「食べる女」は、最早「無駄に性的なグルメ漫画に対する暗的なアンチテーゼ」なのではないかとすら深読みしてしまう。
頰を紅潮させて食べる美女、色づいた唇、変な擬音、飛び散る汁と米粒……。
地雷グルメ漫画の要素をこれでもかと詰め込んで融合し、「最強の地雷グルメ漫画」として少年誌に君臨し、それを読んだ読者の反応を観察するという壮大な実験……
……とでも妄想しないと、令和にもなってこんな学習能力の無い漫画が出てきた事実に絶望しそうになってしまう。
その点「不倫食堂」(著:山口譲司)でそういった批判をあまり目にしないのは(あくまで所感)、シンプルにハナから「主人公がエロい女と美味いもん食ってセックスします」というのを作品のテーマとして明言していることが大きいのではないかと思う。
その前提があるから食べてる時の女性の唇にトーンが貼ってあっても、まあそういうものかと納得できる。
予めそういう読者層を限定すること(そういうのを読みたい人だけが読む)で上手くゾーニングできてきるので、読者の大半の需要を満たすことができているのではないか。
あと食事シーンがそれなりに豪快であるものの、そこまで汚らしくないというのもある。
なので、「食べる女」もティーンズ系の少年誌ではなく青年誌もしくは成人向けで、最初から「エロに振り切ってます!」と開き直っていれば、ここまで炎上することもなかったのでは…?
「汚く飯を食い散らかす美人の女」が性癖の紳士による楽園となっていた可能性も否めない。
……いや、どうだろうな。擬音汚いし。ぶぼぼってラーメン食べるし。
わからん。もう難しいことわからん。お腹空いたな。晩御飯食べてきます。それじゃ。
ちなみに自分がオススメしたいグルメ漫画は「人魚姫のごめんねごはん」(https://yawaspi.com/gomennegohan/)です。
ついでにおまけ
「ジャンププラスの『食べる女』が最後までコメント欄が荒れていた - Togetter」(2019年9月27日)https://togetter.com/li/1409466
20年アメリカで働いて、アパート・タウンハウス・戸建てと住み替えてきました。
一気に全部書く気力が多分ないのでちょっとずつ更新するつもりです。
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地域はアメリカ本土の左上の方、ノースウェストです。もう少し北に行くとカナダです。
そこの大都市近郊に住んでいました。
大都市までは車でフリーウェイに乗って10分から20分てところです。渋滞じゃなければ。
シリコンバレーなんて地獄のような住宅価格と聞くけど実体験としては書けない。ので書きません。
いわゆるSingle Family House。自分が居た地域ではこのタイプが上がりだけど何度も買い換えて引っ越す人はいます。
子供が居なくなれば小さい家に買い換えるしそのときは足腰が弱っているから平屋が人気。
新築より中古を買うのが一般的。というか新築だけでは需要が満たせない。
家を売るとき、よほど何かなければ買ったときより高く売れます。
自分の場合新築で買って約10年後に売ったけど50%増しで売れました。しかもこれ相当売り方が下手糞だった。(売れる季節を逃すしほんの数百ドルカーペットのクリーニングををケチったせいかかなり見込み客が減った)。
住んでたのは特に贅沢な家じゃなくて
家の床面積は大体270平方メートル。感覚的には平均よりちょっとだけ広いかなと。土地はおよそ780平方メートル。土地は狭いほうです。
フロントヤードに芝生が張ってあって、バックヤードも最初は芝生だったんだけど手入れが面倒でウッドデッキとレンガを敷き詰めたスペースに変えてしまいました。工事に2万ドルぐらいかかりました。
フロントヤードも最初は自分で芝を刈ってたんだけど忙しくなって手抜きになって周囲の家から顰蹙を買ったので業者を入れて週一で刈ってもらってました。1ヶ月で$200ぐらいだったかしらん。
クローゼットが付いてる。個人の部屋になる。カーペット敷きでした。
一部屋6-8畳ぐらい?
あとアメリカのベッドは意外と小さめ。背が高い人は足が飛び出るんじゃないか?
玄関を入ってすぐの左手にありました。ドアがガラス入りで中丸見え。カーペット敷き。8畳ぐらい。
いわゆる居間ですね。リビングルームが来客用でファミリールームが家族用となってると。
トレンドはリビングルームの縮小、ファミリールームの充実。そりゃ家族だんらんの部屋の方が大事だよね
カーペット敷き。
暖炉あり。停電したらこの暖炉が命綱です。あ、ガスを燃やすタイプでした。
もともと寒い土地柄(北海道と同じ緯度)なので暖房しか必要なかったんですが、地球温暖化の影響で最近暑くなってきたんで、冷房をつける人が増えてきました。既に家に備え付けてあるセントラルヒーティングにのっかる形で各部屋を冷やす感じです。$5,000ぐらいから。
年々冬の嵐も激しさを増してくる、つまり長期の停電が増えてきたということで、自家発電装置を備える人が増えました。
簡単なやつなら$1,000しないで買えるしそれで暖房が効いて明かりがともるならいいよね。
寒い土地柄なのに一旦停電すると暖房が使えなくなります。暖房の燃料は都市ガスなのですが燃焼の制御回路に電気が必要みたい。これは本当に死活問題です。凍死しちゃう。ですが、暖炉が広く普及しているので凍えるところまではいかずにすみます。
ところがお湯はずっと使えます。給湯の主流は温水器です。燃料はガスですが電気回路で制御されているにも関わらず。なぜなんだろうとあるとき気になって調べたら、温水器の制御回路にも電気は必要ですが最近の温水器は「温度差発電」で電気を作るんだそうです。給湯器の中のお湯と外から供給される冷たい水の温度差で発電するというわけです。
十年一日のアメリカの家電ですが、これだけはなかなかやるなーという。
ちなみにお金持ちは湖沿いのお金持ち専用なエリアに家を買います。たいてい中古です。めちゃでかい家だし高いけどな。
知り合いに数人いました。何度か御呼ばれしたけど豪邸ってのは豪邸よ?すごいよ。
ちなみにお金持ち専用の市まで作っちゃって(またそれは別の話)。
需給が逼迫しているのでどんどん高くなっているようです。
また気が向いたときに続きを書くね。
https://twitter.com/shin36865027/status/1170717721203376131
ちなみにこれは女性が勘違いしているのではなく、男性が自分の望む通りの女性ではない女性を指して「あいつは勘違いしている」と感じるだけの話であり、男性性特有の女性のモノ視が前提にある。
https://twitter.com/87g0841/status/1170676616277590016
「現実の女はクソww女装レイヤー、ネカマ、バ美肉の方が可愛い」とか、女装タレントの「流行に振り回されてる勘違い女に物申す」って風潮もあるけど、
男目線で男の為にアピールしてる女装家達と違って女は自分のモチベーションを上げたり楽しむためにやってるんだから男の好みじゃなくて当然なんだよ
https://twitter.com/87g0841/status/1170676617619722240
もし女が同じ外見で同じことを発言してもブス、勘違い女、ババアとか罵倒だらけになるだろうけど、男だからって前提があるからちやほやされてるだけ。
なのに本人は「女を装うだけでこんなに注目されるんだから女ってイージー」って勘違いする
https://twitter.com/87g0841/status/1153202822759870464
女装の男性レイヤーが「女じゃないのに女より可愛くなれる自分が好きすぎて女装してる。どこまで女だって騙せるかが楽しい(大抵喋ると声が低くてバレる)」って言ってて
https://twitter.com/disney_12176/status/1170707241655136261
女性に容姿の良さを求めているのは男 と男中心社会なのに、女装コスプレをして「下手な勘違い女より、男だけど女装してる私の方が絶対可愛い」とか言ってるのすごいな。
https://twitter.com/rubisco_tca/status/1170629703406718976
いわゆる『女装』している男性が「その辺の女より可愛い」ってわざわざ女性を見下す発言するの悲しいよね。
『女性』のジェンダーロールを見にまといながらゴリッゴリの女性蔑視をぶちまけるその様は本当に精神を抉られる。
ルッキズムの再構築をやめろ。
https://twitter.com/fbgno000336/status/1170838604756553729
黒塗りにドレッドヘアでいかにもな格好した白人が「そこらの純黒人より黒人らしい!勝った!」とか言ってたら顰蹙買うだろうに「女」で同じ事をやって批判されたらブス婆の嫉妬wwwって言われるの不思議だな。
https://twitter.com/sikakuno/status/1170396493531893761
それを「◯性装」と呼ぶのをやめて下さい。
誰でも纏っていい装いなら、それはもう「女の」じゃないですよね。
私自身の経験に基づけば、商品貨幣論は小さな集団では確かに成り立つ。
無論、歴史的な価値が生み出される経緯が商品貨幣論で説明できるとは思わないが、貝貨のように債券として機能しないものが存在していたことも事実である。
Twitterに書くには長すぎたので私の小学校高学年時代の経験を書く。
私が小学校高学年の時は珍消しゴムのトレードが流行っていて、各々の価値基準に基づいたレートで物々交換が行われていた。
香りのついた練りけしをはじめ、フィギュアのような消しゴムや、機能性押しの消しゴムも人気だった。
私は牛乳キャップを使ってコマを作るのが好きだったから、よく消しゴムを買っていってキャップと交換してもらっていた。
しばらくすると牛乳キャップには何枚かで消しゴムと交換可能な程度の価値があるという認識が学年中に広がった。
交換用に消しゴムを買うのにもお金がいるので私は作ったコマを牛乳キャップ何枚かと交換しだした。
私のコマは人気で、私がより多くのキャップを欲したこともあり、一番多いキャップを出した人とコマを交換することにした。いわゆるオークションである。
ところが牛乳キャップの入手手段は限られていたため、入札額にも限度がある。
すると持っている珍消しゴムを売りに出す人、新しいコマを買うために古いコマや作ったコマを売る人が現れ、牛乳キャップが珍消しゴムと交換する以外の価値を持つようになった。
元々コマに興味が無く、消しゴムに飽きた女子は好きな男の子に牛乳キャップを独占的にあげたりしていた。
しばらくすると、コマや消しゴムを牛乳キャップの形で保持する人が出始めた。学年内に流通しているコマや消しゴムは目新しい物の価値が高く、古くて見飽きた物は価値が下がる傾向があった。つまり飽きたなら価値があるうちに牛乳キャップに交換して持っておく方が良い。そうこうする内に消しゴムやコマのブームは去り牛乳キャップは交換券として機能しなくなったが、価値あるものと交換した牛乳キャップは誰も捨てなかった。
この時点で牛乳キャップそのものが貨幣価値を持ったように思う。
月日は流れ、自作カードのブームが来た。担任が自分で作ったカードなら学校で遊んでも良いという発言をしたためである。
UNOを皮切りに遊戯王やデュエルマスターズなど当時はやっていた各種カードゲームを学校で遊ぶため、私含め工作好きな2、3人がパックを手作りしてキャップと交換した。
トレーディングカードゲームの類はある程度枚数が無ければデッキを組む楽しさが味わえないため、かなり苦心してカードを大量生産した。パックで出たデッキに不要なカードはやはり牛乳キャップでトレードされ、各々デッキをくみ上げていた。なお、肝心の私は自分のデッキを顰蹙を浴びない程度に自作できるので、得たキャップの使い道は殆ど無かった。
またしばらくしてカードゲームに飽きた私は、パックを作りつつも今度はルーレットを始めた。キャップ工作が廃れ、毎日給食から供給されたことで大量に増えて消費先のないキャップを、大量に消費してやろうという考えだった。段ボールと画鋲で作ったルーレットでも中々中毒性があり、はまる人が出てきた。
大量にキャップを持っていた私はルーレット一回につきレートに応じたほんの少しの手数料を取って、掛け金の合計から足りない分は自分のキャップを出すという形にした。これが恐ろしい発明だった。ルーレットは全員負けることが少なくない上に主催者である自分は絶対に一定の手数料が入ってくる。キャップは消費するどころかどんどん増え、ジャンキーたちの要望により高レートルーレットの開催が増え、さらに儲かり、顧客は借キャップをし始めた。高利貸しや融資を募る人、親が儲かることに目をつけてカジノを始める人が発生し、授業の合間の休憩時間の教室は狂気のカジノだらけになった。
このあたりは最早脱線しているが、要は最初は消しゴムの交換券でしかなかった牛乳キャップが消しゴムトレード文化の衰退に伴い、消しゴムの価値を吸収し、それ自体で価値を持った訳である。
さらにカジノという、価値を物の購入以外で消費する文化が発生したことで、価値の維持に消耗品が必要なくなった(消しゴムやコマは消耗品なので、交換券としてのキャップが価値を持ち続けるためには常に新しく消しゴムかコマが存在する必要がある)。
つまり結果として、物々交換➝金の交換券としての兌換紙幣(貨幣)→金との交換の保証が不要な不換紙幣(貨幣)と商品貨幣論が実践されたように見える。これが私の経験である。
小学生程度の知性でこのありさまなので、当然長い歴史の中で小さなコミュニティにおいて商品貨幣論的過程で貨幣が価値を持つことは十分に考えられる。貝殻には装飾といった需要があったことを考えれば、貝貨が牛乳キャップ的過程で普及してもおかしくはないだろう。商品貨幣論でよく説明される金が扱いづらいから兌換紙幣が生まれたというような説明を用いずとも兌換紙幣が発生しうるという話でもある。
余談:
・毎日給食で供給されるキャップがあるにも関わらず、過度のインフレが起こらなかったのは、私のような銀行的振る舞いをする人やため込むのが好きな人がいてキャップをため込んでいたからである
・カジノ時代になると、資金が付きそうになったギャンブラー銀行家が他人の預金を使ってギャンブルをしたため、微妙に信用創造的なことも行われていた
・高利貸しがいる以上破産はするが、破産者には多少恵んでやるという暗黙の了解があったため、破産しても1、2週間程度で復活できた
家事能力や親の干渉もあるだろうが、それ以上に問題になってくるのは「金銭感覚」だ
この金銭感覚のなさが滲み出てきた結果こそが実家暮らしが結婚できない最大の理由だろう
二桁万円するバッグや財布を「飽きたから」とかいう理由で毎年買い替えたり
イベントのたびに天井までガチャ回したりとかなりエグい金銭感覚である
しかし無限に浪費し続ける女と比べ男の場合浪費の先が車や高級時計や家電など、長期間保有し続けるものが多いので三十代になるころにはある程度浪費「しきってしまう」傾向がある
単純に労働時間が長いから使う暇がなくなるからかもしれないが…
なんにせよ男も一人暮らしより浪費傾向があるのは確かだ
ここで実家暮らしの諸君は「俺はちゃんと貯金してるし、実家暮らしだから浪費してるマヌケと一緒にしなくいでくれる?」と思っただろう
だがある意味実家暮らしの貯金というのは「預金残高を増やすことに浪費している」のだ
一人暮らしでは無理なペースで貯蓄している人間はその(一人暮らしや核家族では困難な)預金残高(増加ペース)をもとに正常な金銭感覚が身につかない
結婚に必要な正常な金銭感覚というのは収支のバランスを考えて生活できる能力のことであり
収入の殆ど全てを支出してしまう生活も、貯蓄に回す(回すことができてしまう)生活も決してバランスがとれているとは言えない
「支出」は別の(貯蓄を含めた)「支出」を圧迫するものであるという感覚や
また、自信で生活費を払うという経験は、人間が生きてくためにかかる費用の「相場」を知ることができる機会でもある
金銭感覚やそういった相場観の欠如は、昔総理大臣がカップ麺の価格について相場と離れた発言をし顰蹙を買ったように、どうしても言動の節々にでてきてしまうものなのだ
もちろん実家暮らしでも正常な金銭感覚を持っている人は大勢いるだろう
しかしながら、一人暮らし経験者と比べるとどうしても欠如している人間が多い
これは俺の推測だが、実家暮らしに感じる家事ができなさそう(=生活能力低そう)という感覚の正体はこの金銭感覚の欠如なのではないだろうか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1377379
出来上がった既存の人気キャラに人を選ぶリアルなこと言わせてファンの顰蹙買うのは「創作における表現の自由」とは全く関係ないけどな
でも出来上がった既存の人気キャラに人を選ぶエロいことやらせてファンの顰蹙買うのは「創作における表現の自由」と関係すると思ってるのか…
ってなブコメだらけだな
いやほんと、何でここまでダブスタになれるんだろう?
誰もがエロ同人見て喜ぶと思ってんのか??
しかもそれは作者本人がやってる遊戯王のケースと違って赤の他人が勝手に著作権違反でやってるわけで
「遊戯王はコナミとか集英社とか他も権利持ってるからー」ってのもいるけど
それにしたって文句言う権利あるのはコナミや集英社だけだよね?
ってかお前らは何一つ権利持ってないよね?
悲しい夜が多い。
泣きたくても泣けない。叫びたくても叫べない。ただ、悲しい。
恋人がいなかったり、しばらく誰とも付き合っていなかったり、誰とも性交渉をしたことがないことを、恥ずかしいとは思わない。しかし、コンプレックスではあるのだろうと思う。
最近僕は、自分自身の小さな変化を自覚するようになった。僕は、確実にだらしなくなっている。
誰からも尊重されていなくてそれが普通だと思い込むと、「だれも僕を見ていないのだ」と考えるようになってくる。そうなると、ひとりで家に居るときの行動が、だんだん粗雑になってくる。
トイレの扉を閉めずに用を足すようになる。
床に落ちた食べ物を平気で食べるようになる。
窓が全開でも裸で部屋を歩き回るようになる。
どうせ誰も見ていないから。
どうせ誰にも気に掛けられていないから。
しかし、それに慣れてしまうと、古い友人に会ったときにマナーに欠ける振る舞いをしてしまうことがある。
この前は、テーブルに落ちた食べ物を手で取って食べてしまい、顰蹙を買ってしまった。
昔は、子どもの頃は、そんなことしなかったはずなのに。
まずいなと思った。
僕は、いま、負のループの中にいる。
恋人がいないことを恥ずかしいとは思わないけれど、だれかと恋愛できたらいいなと思うし、家族がいる生活も楽しそうだと憧れる。
でも、もう無理だと思う自分もいる。
自信とか、そういう類いのものではない。
恋人がいない時間に比例して、僕の守りたかった高潔さが失われていくのを感じる。
この前、少しショックなことがあった。
ひとつ年上で幼なじみの女の子に、久々に会ったときのこと。その女の子が、僕のことをまるでマスコットのように扱ったのだ。
「かわいいねーー」
最初は気にならなかったけど、何度もそれを繰り返すから、気づいた。
この人は、こんな風に自分を守る術を身につけたのかなと。
都会で生きていく術を身につけたのかな。
彼女は何一つ、本当の事を言わなくなっていた。
それは良いとして、つまり、マスコットのように僕を扱うのは、彼女の中で僕の扱い方がわからないからではないだろうか。僕が異質だからではないだろうか。
勘違いかも知れない。いや、きっと勘違いだし考えすぎなのだということは分かる。卑屈からくる被差別的感情なのだろうとも思う。
幼なじみとの久しぶりの再会をこんな風に考えてしまうこと自体が、コンプレックスの裏返しかも知れない。
恥ずかしくないというのもウソかも知れない。
恥ずかしくないと思っていることは本当だと思っているけど、それも違うのかも知れない。
ただつらいのだ。理解されないこと。昔と、少しずつみんなが変わっていくこと。
僕は昔と変わらない。恋人を作らない、誰かを滅多に好きにならないことがそんなにおかしいだろうか。小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も、僕はずっとこんな性格だった。
なのに、なぜみんな、僕を理解できなくなるのだろう。
昔と同じだよ。昔と同じように接してくれれば良いんだ。何も変える必要はない。
ただ悲しい。
自分がだらしなくなっていくこと。
そして、みんなが大人になっていくこと。それによって僕に対する接し方が変わっていくこと。
悲しくてたまらない。