悲しい夜が多い。
泣きたくても泣けない。叫びたくても叫べない。ただ、悲しい。
恋人がいなかったり、しばらく誰とも付き合っていなかったり、誰とも性交渉をしたことがないことを、恥ずかしいとは思わない。しかし、コンプレックスではあるのだろうと思う。
最近僕は、自分自身の小さな変化を自覚するようになった。僕は、確実にだらしなくなっている。
誰からも尊重されていなくてそれが普通だと思い込むと、「だれも僕を見ていないのだ」と考えるようになってくる。そうなると、ひとりで家に居るときの行動が、だんだん粗雑になってくる。
トイレの扉を閉めずに用を足すようになる。
床に落ちた食べ物を平気で食べるようになる。
窓が全開でも裸で部屋を歩き回るようになる。
どうせ誰も見ていないから。
どうせ誰にも気に掛けられていないから。
しかし、それに慣れてしまうと、古い友人に会ったときにマナーに欠ける振る舞いをしてしまうことがある。
この前は、テーブルに落ちた食べ物を手で取って食べてしまい、顰蹙を買ってしまった。
昔は、子どもの頃は、そんなことしなかったはずなのに。
まずいなと思った。
僕は、いま、負のループの中にいる。
恋人がいないことを恥ずかしいとは思わないけれど、だれかと恋愛できたらいいなと思うし、家族がいる生活も楽しそうだと憧れる。
でも、もう無理だと思う自分もいる。
自信とか、そういう類いのものではない。
恋人がいない時間に比例して、僕の守りたかった高潔さが失われていくのを感じる。
この前、少しショックなことがあった。
ひとつ年上で幼なじみの女の子に、久々に会ったときのこと。その女の子が、僕のことをまるでマスコットのように扱ったのだ。
「かわいいねーー」
最初は気にならなかったけど、何度もそれを繰り返すから、気づいた。
この人は、こんな風に自分を守る術を身につけたのかなと。
都会で生きていく術を身につけたのかな。
彼女は何一つ、本当の事を言わなくなっていた。
それは良いとして、つまり、マスコットのように僕を扱うのは、彼女の中で僕の扱い方がわからないからではないだろうか。僕が異質だからではないだろうか。
勘違いかも知れない。いや、きっと勘違いだし考えすぎなのだということは分かる。卑屈からくる被差別的感情なのだろうとも思う。
幼なじみとの久しぶりの再会をこんな風に考えてしまうこと自体が、コンプレックスの裏返しかも知れない。
恥ずかしくないというのもウソかも知れない。
恥ずかしくないと思っていることは本当だと思っているけど、それも違うのかも知れない。
ただつらいのだ。理解されないこと。昔と、少しずつみんなが変わっていくこと。
僕は昔と変わらない。恋人を作らない、誰かを滅多に好きにならないことがそんなにおかしいだろうか。小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も、僕はずっとこんな性格だった。
なのに、なぜみんな、僕を理解できなくなるのだろう。
昔と同じだよ。昔と同じように接してくれれば良いんだ。何も変える必要はない。
ただ悲しい。
自分がだらしなくなっていくこと。
そして、みんなが大人になっていくこと。それによって僕に対する接し方が変わっていくこと。
悲しくてたまらない。
うるせえ
anond:20190713105726 もっと統計とか使って自殺率で語れよ ネナベは自己表現力がとてつもなく低いな 論理的な解決策も示せないし
その発言はブーメラン過ぎないか
一人暮らしではトイレのドアはむしろ開けてた方が良いらしいで 閉じ込められたら一発アウトやからな (クソリプ)