はてなキーワード: 鉄砲とは
後から考えると、いずれ第三次はてな大戦が起こることははてな村の運命でもあった。平和をかき乱すきっかけとなったのは、netcraftがオフ会を開催したことであることは言うまでもない。
「はてブオフ会」と「はてな村反省会」という2つの勢力が存在するため、その対立によって村の平穏が脅かされると心配する向きもあったが、残念ながらその予測は見事に的中することになる。
盛況に終わった「はてブオフ会」の一週間後、はてなの古参が集まり「はてな村反省会」が開催された。議題はいかにしてnetcraftの台頭を抑えこむかに終始し、強硬派と穏健派とのあいだで議論が紛糾した。打ち上げでは「村の本流は反省会にあり!」というシュプレヒコールが鳴り止まず、強硬派が主導権を握ったことは明らかだった。
あまり知られてはいないが「はてな村反省会」は以前からnetcraftを弱体化する活動を続けている。一例として村長であるkanoseはnetcraftのブログに1ブクマも付けていない。もちろんkanoseは強硬派の中心メンバーである。
こうした敵対行為にnetcraftはようやく気付き、部下のコウモリに命じた。「kanoseをお気に入りにしたまま非表示にしろ。今すぐにだ!」
はてなブックマークではお気に入り登録したまま非表示にすることが宣戦布告の証となる。こうして第三次はてな大戦が始まった。
「こちらにはotsuneという切り札があるが、それだけで勝てるだろうか。もっと若い兵隊が必要だ。命を落とす覚悟を持った鉄砲玉が」
そこでnetcraftは「ヒマそうなはてなブロガーをなんとなく集めてみたオフ会」に参加。ショッカーは企みを見ぬくことなく、netcraftと同盟を結んでしまう。
「こうも簡単にはてなブロガーを味方にできるとは勝ったも同然。時代は変わるのだ!」
手斧が飛び交う戦火のなか、はてな民は疲弊し、権力者に翻弄される日々を送っていた。
「オフ会同盟に加わると、はてな女子からカラースター付くらしいぞ」
「ビッチやおばさんなんてどうでもいい。村を作ったのは反省会だ。歴史の積み重ねが大事なんだ」
「なんだと、おまえは老害の味方か。絶交だ。お気に入りにして非表示だ」
抗争に巻き込まれ、はてな民は一人また一人と消えていった。
こうした村の惨状を見て、ある30代のはてな女子はこんな感想を抱いたという。
なぜはてなの人は争い憎しみあうのでしょうか?村の権力なんて一円にもならないのに。やっぱ近寄らんとこ。
ほなね~( ^ω^ ) /
そして馬防柵に阻まれ敵の鉄砲隊で壊滅するんですね
私が子どもだったころに行った川の対岸で遊んでいた頃に空き缶がたくさんあっていっぱいタバコとか捨てられていたんですけどそこに太陽がキラキラ当たってお菓子とかおもちゃとかペラペラの卵みたいな大きな石がアスファルトに転がっていて鉄砲の弾が私の頭上をジンライムの瓶でプラスチックの頭がからっぽになった。
下ネタとチューインガムの頭でコントロールされたおもちゃに信じられないほどのアイスとお酒がいっぱいライト模様できらきらしてて僕が信じられない魂の判断力が弱ってるしおまんことかやっぱりいっぱい信じられない
それで頭の中もがいてコップいっぱいの@@@@@@@@@@死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
とにかく自分が一番大嫌い
明日冷たいコップの角でやっぱりいっぱい信じられない孤独孤独肛門開いてキャップとかカードとかたくsなn大きな開ききったいろいろいろいろいろいろいろが頭の中いっぱいからすん声とか聞こえていらいらする
わーーーーーーって叫びたい
Portalの解説
謎の実験施設のようなところから脱出するのが目的のパズルアクションゲーム。
主人公は青い球と黄い球の二種類の鉄砲を打つことができ、青い球を壁に向かって打つと、青い壁が
そして、青い壁と黄色い壁は繋がり、空間を超えて行き来できるようになる。
例えば、部屋の向こうに行きたいんだけど、小さい穴しかなくて通れないみたいなときは、
その穴の向こうの壁を黄色で撃ち、手身近な壁を青色で打つと、部屋の向こうにワープできる、みたいな感じかな。
加速度とかも物理演算されてて、落下しながら、黄色と青色を打ち分けて、じょじょに加速度をあげながらジャンプしていくステージが僕はお気に入り。
一部の空母娘が使っている弓から、弓道に興味を持った人が読んでくれればなーという感じです。
さて、艦これはDMMのゲームである以上、18歳以上しかプレイできないのですが、同人から興味持った学生もいると思うので(あと大学生もいるだろうし)、まず学生向けのお話。
結論から言うと、もし学校に弓道部があるなら、そこに入るのが一番。
弓は教えられたことを身につけるために、ある程度の回数は反復練習しないとなかなか上達しないので、毎日放課後すぐに弓を引ける環境が最高なのです。
ちなみに道場はアメリカ空母も真っ青の開放型格納庫状態なので、防暑・防寒に注意して快適な弓道ライフを送ってください。
若いからといって、何でもかんでも気合いと根性だけでどうにかなるほど現実は甘くないので、「努力より工夫」をキーワードにするといいかもしれません。
あとは「意味もなく年長ぶる間抜けな先輩には気をつけろ」「先輩になったからって小天狗になるな」というのも重要ですが、これはまあ部活全般に言えることなので。
次に学校に弓道部がない人や学生じゃなくなった人向けの話。むしろこっちが本題。
学校で弓道が出来ないとなると、社会人向けの弓道サークルに入ることになるのですが、「生意気だと思われないよう年長者は敬え、できれば可愛がられろ」だけでは済まない、ちょっと初心者が入りにくい所を解説。
弓道というのは、弓を引く技術である「射法」と、弓を持った時の立ち振る舞い全般を規定した「礼法」によって成り立っています。
それで問題になるのが礼法。
社会人弓道は一般的に礼法偏重で、初心者に教える場合も礼法から入る傾向があります。
初心者にしてみると
「弓を習いに来たのに、今日は弓も持たずに座り方と立ち方・歩き方しかやらなかった」
「弓は持ったけど、取り回し方ばっかりで、いつまで経っても矢を放つところを教えてくれない」
とはいえ、これを習得しないと先に進ませてくれないと思うので、ひたすら覚えてしまうしかないのが現実。
もちろん全く使わないかと言えばそんなことはなく、昇段審査とかでは覚えているのが前提ですが。
では何故そこまで礼法にうるさいのか?
そもそも弓道は明治年間に生まれた歴史の浅い武道で、女子の礼法に至っては戦後に作られた新しいもの。
そんな弓道の成立時に問題になったのが
「鉄砲が登場し武器としての歴史を終えて久しい弓を、武道として続ける意義は?」
というもので、その回答が今の弓道の、あらゆる流派のごった煮状態に近い「射法と礼法の融合」だったと。
とはいえ、そんな哲学的命題に興味を持って入門する初心者はまずいないと思うので(オイゲン・ヘリゲルでも読んでいれば別ですが)、最初は
「的に当てるスポーツだもん、当たらなかったら面白くないじゃん」
くらいのノリでいいと思います。
それにいくら礼法偏重だって、いざ試合になれば的中数が全てだし、審査にしたってある程度段位が上がれば「当たって当たり前」が要求されるわけで。
まあ礼法は、歳を取って思うように当たらなくなった時でも、ライフワークとして弓を続けるための予習くらいのつもりで学べばいいんじゃないですかね。
これは竹弓といって、弓が武器として活用されていた頃からあるというか、弓も矢も元はといえば竹製なんです。
しかし現代弓道では、安くて壊れにくいグラスファイバーの弓にジュラルミン製の矢が主流で、竹弓竹矢を若いうちから使っている人は殆どいなかったり。
射撃やボウガンやダーツ、吹き矢等を想像した人はごめんなさい。
いわゆる人力で弓を引いて的に当てる、言うなれば弓系スポーツネタです。
弓系スポーツでは、数百人に一人くらいの割合で、必要な技術をあっという間に吸収する、まさに弓を引くために生まれてきたんじゃないかみたいな人に出くわす。
ではそのまま試合や審査でみるみる結果を残すのか・・・と思いきや、そうなる前にあっさりやめてしまう。
彼らに言わせれば
「弓なんて単純、というかグーッと伸びていってピッと離すだけの動作の、何が面白いのか理解できない。そんな簡単な動作に他の人が苦労しているのが信じられない。しかも苦労しているのに入れ込むのはもっと分からない」
確かに弓の引き方は、相手の出方による駆け引きも絡んでくる他のスポーツに比べたら、動作的には決まり切っている。
むしろどんな場所、どんな体勢からでも同じ動作をこなし的中させる技術と言っていい。
普通に立った状態、野山を駆けたりスキーで滑走した直後の心拍上がりまくり状態、競馬の追い込み並に疾走する馬を駆る状態、座った状態、伏せた状態、色々あるけど。
その核になる部分を苦もなく体得できてしまえば、あとは何もないと思うのも無理はない。
なので、そのまま行けば国体やオリンピックを目指せそうな、天才的人材が居着かないと。
もちろんこれは射法の先にある、弓を引くことの意義まで、うまく教えていくことが出来ていない、指導側の問題も大きいとは思う。
元来、弓は非常に強力な武器ではあったが、鉄砲が登場した数百年前に武器としての歴史は終わってしまった。
そこでスポーツとして再定義・再構築された弓をやることの意味は・・・という話に向き合っていくことになるんだけど、ちゃんと教えられてますか?みたいな。
武田信玄が「生まれて初めて海を見て、感動興奮する」シーンがあった。
鉄砲材料を入手するため、海路の出入り口を押さえたい(=駿河へ進出したい)というくだりもあった。
つまり、海を見たい、海港を獲得したい、という欲求が、武田家の領土獲得欲求になっていたのでは?とある。
この辺の欲求は、帝政ロシアが海港を欲求して南下したのに通じる。
で思ったのだが、戦国時代江戸時代は勿論、明治以降も、戦前までは
「山梨県人・長野県人では、海を見たことがない庶民が多数派だった」のではなかろうか?
先日「長野県人は戦前は滅多に海の魚を食べてなかった、海の魚の名前も知らないだろう」と投稿したが、
「そもそも海を見たことないんじゃないか?」とも思った。
もし海を見たとすれば、「徴兵されて、大陸へ送られる過程で見た」という程度じゃないかと思う。
さすがに現代では、義務教育課程での修学旅行なども普及しているので、山梨県人長野県人でも、
で、実は大陸国家である中国などでは、「海を見たことがない」という中国人が、今でも多数派らしい。
海南島に「中国のハワイ」と呼ばれるリゾート地、三亜があるが、ここには「生まれで初めて海を見たい」という
また、沿岸部の上海・天津などでは「海を見たことがある」という市民の方が多数派だが、
「海から昇る太陽」は見たことがあっても、「海へ沈む太陽」は見たことがない。
なので、彼らにとって、日本の「海へ沈む太陽」が見れるスポット(例’大阪湾)などは、抜群の観光スポットらしい。
同様に、アメリカ50州の中でも、内陸州で生まれ育った人には、今でも「海を見たことがない」人間が結構いるらしい。
恐らく、インドでも内陸(デリーなど)の方では、「海を見たことがない」インド人が多数派なのではないか?
そう考えると、実は、人類全体の中でも「海を見たことがない」人の方が、多数派なんじゃないか?という気がしている。
いまの日本社会がうまくいっていない、経済がまわっていないという現状認識を前提にする。
「企業や資産家などの収益(収入・所得)が増えれば社会全体が底上げされる」という論理が成り立つためには、その収益が末端にまで循環しなければならない。つまり、企業や資産家が篤志家で、給料や社会保障が充実していないと、末端までゆきわたらない。
バブルまでは給料が右肩上がりだった。年金支給も高額で、いまほどは寿命が長くもなかったし子どもが儲けてきてくれたから、比較的、末端にまでゆきわたっていた。
いまは、末端にゆきわたっていない。その構造的な破綻が、日本社会の失敗の原因だろう。少子高齢化も進んでいるし、俗に言う「ブラック企業」というのがある。
この構造的失敗を直さないかぎり、いくら上の収益を増やしても、問題は解決しないと思われる。
「ブラック企業」だとか職場いじめ(パワハラやセクハラ等も含む)も、企業が収益を維持し増やそうと異常に必死であることが主因だと思う。やってもやっても収益が上がらなかったり、倫理的・コンプライアンス的にアレなことをしないと収益が出なかったりするなかで、それで従業員のケツを叩くことで売上を出そうとしているわけだから、待遇もよくなければ、職場の人間が精神的におかしくなってイジメが常態化する。
日本社会のいわば「封建構造」は、上が儲けているだけではなくて、下にたくさん与えないと、機能しないはずだ。
ところが、日本人の痛々しい気質なのか、自分の上ばっか気にするところがある。だから例えば、企業は機関投資家や外国人投資家の御機嫌をうかがい、また、いまの政府も外国人投資家の御機嫌をうかがっている。
それで、上ばっかにシッポ振っているから、下に与えない。
国民は必死こいて働け、カネ稼がない奴はダメだと、いわば国民が兵士だと思っているような発想はまた、靖国神社にみられるような国家のために国民が命懸けるのを肯定する発想と共通している。こうした発想も、日本がいまだに封建社会であることのあらわれで、民主主義社会だったらこういう発想は出てきづらいものだと思う。民主主義社会だったら、つまり国民ひとりひとりが主権者で、ひとりひとりが国だと思っていたら、国民をまるでコマか鉄砲玉か歯車かなんかみたいに扱う発想は出てこない。
いずれにせよ、成果出して儲けた奴が勝者だとか、負けた奴が悪いだとかいう、自由競争社会の論理と、封建社会の論理とは、本質的に共存しえないのではないか。その共存しえない矛盾した二枚舌・ダブルスタンダードを放置している、むしろ開き直っているのがいるくらいだから、いまの日本は救われないのだと思う。
欧米人は、日本人に、「武士道」だのなんだのと、オリエンタルなものを、東洋の神秘(苦笑)みたいなものを求めるらしい。太平洋戦争などで命懸けで戦闘をしたり特攻をしたり(つまり自爆だ、自爆攻撃)した理由も、武士道だだのなんだのと言う。切腹だの自決だのという面がやたらと強調されている。
しかし、日本兵が命を捨てた理由は、武士道なんかではなくてむしろ、儒教なのだと思う。
例えば、「天皇は国家の家父長なのだから、天皇のために粉骨砕身、命を懸けるのは当然」という理屈が出てくる。また例えば、「男は妻子や父母・兄弟姉妹を護衛するものなのだから、戦場に赴いて命を懸けて戦うのも当然」という理屈が出てくる。
欧米人(とりわけ英国人など)が「武士道」だとか言うときには、騎士道が念頭にあるだろう。その騎士道というのは本質的には、主君と騎士の間の契約でできていて、個人の論理である。
それに対して儒教というのは、個人の論理ではなくて、家・血族の論理、個人ではなく全体の論理である。儒教の価値観というのは、時空を超越している。個人の観念も、現在の観念も超越する。個人の観念から跳躍したところに価値観があるから、個人を捨てて尽くすのも不可解ではない。過去現在未来という時間の壁も跳躍してしまうので、自分ひとりの人生どころか、何十年後でも何万年後でも先の発想をする。(儒教というのはそもそも例えば、先祖から子孫の血族代々を通じることで不老不死になる(永遠の命を得る)という発想だ。)おそらく、国歌の「千代に八千代に」のような時間感覚もその発想から来ているのだろう。
実際には、国家や社会というのは、個人の集積でできている団体だ。家というのも、家族ひとりひとりの集積でできている。だから、全体のために個を捨てろというのを強調して偏向すると、結果的に全体も破綻する。自滅だ。
ただ、現行憲法ができるまでは、日本国の主権者は天皇だった。民主主義国では主権者国民であり国は国民で構成される団体なのだが、国民主権でなく天皇主権だった当時の日本では、極端に言えば、国民はコマ、鉄砲玉だということにまでなりかねない。だから実際に、多くの人が命を懸けて、そして、死んだ。我々は、同じ国家の家族を、仲間を、死なせた、殺した。
作品によって複数・単体が違ってくる場合が多々あるのでメジャーそうな感じで配置。
シリーズ | 小 | 小範囲 | 中 | 中範囲 | 大 | 大範囲 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | メラ | ギラ | メラミ | ベギラマ | メラゾーマ | ベギラゴン |
FF | ファイア | - | ファイラ | - | ファイガ | - |
BOF | パダム | - | パダーマ | パダーマ | パダメーマ | パドラーム |
女神 | アギ | マハラギ | アギラオ | マハラギオン | アギダイン | マハラギダイン |
DQ2ではギラが単体だったけど3でメラが登場したことによって、範囲化。
そして起こったメラギラ問題。
閃熱魔法系=ギラという事になった。
そしてメラゾーマに「ゾーマ」が含まれるのは何か理由があるのだろうか。
そしてこれのおかげで主人公・嫁・息子の編成となり、娘だけラストバトルに連れて行って貰えないDQ5、悲しみの象徴。
1に於いてパダメーマという魔法が存在したことを思い出したBOF。
ていうか1は8人の仲間で7番目に魔法使いが入るため、今までベギラマ止まりだった攻撃魔法が一気にギガデインクラスまで追加され、
移植版だと効果がガイドで表示されるけど最初そんなんなかってん…。
パダーマは作品によって単体の時と複数の時がある。
マハとくっつくと、英語の発音みたくアが消える所が言語っぽくてかっこいい。
シリーズ | 小 | 小範囲 | 中 | 中範囲 | 大 | 大範囲 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | ヒャド | - | - | ヒャダルコ、ヒャダイン | - | マヒャド |
FF | ブリザド・ウォータ | - | ブリザラ・ウォタラ | - | ブリザガ・ウォタガ | - |
BOF | レイガ | - | レイギル | スーレイ | - | グレイゴル |
女神 | ブフ | マハブフ | ブフーラ | マハブフーラ | ブフダイン | マハブフダイン |
ヒャダインだけ敵全体となっている。
多分これに習ったのがBOF1のスーレイだがその後消えました。
ていうかレイガ、レイギルときてちゃんと氷っぽいのに、なんでそこでグレイゴルなんだよ。
でも、1のときのスーレイとグレイゴルのアニメーション効果がかっこよかった。
ていうか水攻撃って言われても困るよね…水鉄砲みたいにして攻撃とかもでない限り。
あ、FF3だと単体・グループ・敵全体と選んで魔法入れることもできたよ。
ブフの由来は多分吹雪なんだろう。
シリーズ | 小 | 小範囲 | 中 | 中範囲 | 大 | 大範囲 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | - | - | - | ライデイン | ミナデイン | ギガデイン |
FF | サンダー | - | サンダラ | - | サンダガ | - |
BOF | - | バル | - | ババル | - | バルハラー |
女神 | ジオ | マハジオ | ジオンガ | マハジオンガ | ジオダイン | マハジオダイン |
全体攻撃みたいなイメージが強い雷系。
FFではファイアとブリザド系よりちょっとだけ高等魔法として扱われていること多し。
結局、1以降は全体攻撃でバル<ババル<バルハラーという活用に落ち着いた。
ジオはなんか雷っぽい響き。
ジオンガが腕を振り上げて暴れている獣っぽくて強そうで好き。
シリーズ | 小 | 小範囲 | 中 | 中範囲 | 大 | 大範囲 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | - | イオ | - | イオラ | - | イオナズン |
FF | - | - | - | - | - | メルトン |
BOF | - | メガ | - | ドメガ | - | ドギガ |
女神 | フレイ | - | フレイラ | - | フレイダイン | - |
ギラ系をココにもってきてもいいような気がしないでもない。
(デボラはどうなってるか知らない)
FF6ではメルトンをガウに使われ全滅した懐かしい思い出。(敵味方全員にダメージ)
メギガーとかメマガとかあったのを検索してようやく思い出した。
割と爆発っぽい響きだぞ。
ついでにここに核熱とか入れた。
でもペルソナ1だとここに範囲としてメギドが入ってくるのだった…。
もうやめて!!
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20130904/1378297680
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Rootport/20130904/1378297680
思うところが多かったので、何点か書いておく。すばらしい元記事を書かれたRootport氏に感謝したい。
法律は全くの門外漢だが、戒告のような処分があることからも、充分に刑罰の一形態に相当すると考えられると思う。
ましてや不特定多数から罵詈雑言を浴びせられるなど。連鎖的に引き起こされる社会的地位の損失も含めて考えれば、私刑と言わざるを得ない。
ゴム鉄砲を撃つ側の想像力の欠如。地面に埋められた罪人の首に、民衆がのこぎりをチョットずつ引いていくのと同じ。誰も致命傷を与えるほど引いてないが罪人は死ぬ。罪悪感を分散させているだけだ。
システムの問題だという向きに対しては、システムに振り回されるなと言いたい。システム的に許されているから罵詈雑言を書き散らしても良いということはないだろう。
漠然とした感覚で申し訳ないが、冷蔵庫に土足で入ったという問題について当人に対して送られる非難のmentionは、100件程度が妥当かと思う。何か言及しようとする側は、この範囲を意識して、受け手のキャパシティーを超えるようなら言及を避ける、といった意識を持って欲しい。人によって問題の大きさの感じ方は異なるだろうが、少なくとも無条件無制限に責められる謂れはないはず。
ネット社会は未だ黎明期で、正しい使い方は誰にもわからない。だからこそ、起こる結果が現実と比べて極端に悲劇的にならないよう、参加する全員が強く意識する必要がある。少なくとも今は、そういう時期なのだと思う。
Twitterには出来ることはあるだろう。単純に、平常時に比べて極端にmention数が跳ね上がったことを検出して、保護するようなシステムを作ることは簡単なはず。mentionを送る側に「このツイートの受け手は炎上中で、これ以上の言及は大きな心理的負担を与える可能性が有ります。それでも送信しますか?」といった確認をとればよい。
#まとめブログは、なんかもう、どうしようもないのかなあ。ひろゆきがやったように個別に圧力をかけていくしか方法が思いつかない。あれだってどれだけ効果があったのかは不明だし。
なるほどね、実際はどうかは分からんけど、一応関係あるっちゃあるわけね。
で、結局、両者とも一番下っ端ライターをちょん切ってバイバイ、って感じか。
鉄砲玉にさせて、後は無視するっていう最低パターンに両方共してるんでもないような。。。
さらに言えば、両社が共謀して、下っ端ライターを餌に炎上宣伝したとか、超ゲスバーしてみる。
(流石に無いだろうけど、結果的に、両社とも自分は傷つかずに良い宣伝になった感じにみえるな。
両者とも社長の対応はきちんとしてる様に見せてるし、悪いのそのライターとかだけ、みたいになってるし、
結果的に、ウェブ発注するのは実際"どっち"がいいの?っていう2社択一になってるし。。。ま、実際現状そうなのかもしれないけど。)
〜 http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol14.html を読んで感じたこと。
父は木挽町で生まれ泰明小学校、銀座中、塾高から慶應大学に行った。
だが、父は木挽町が好きなようで本籍はいまでも木挽町だし、僕も生まれた時から初詣は家族揃って鉄砲洲に行っている。
また、父と仲の良い小学校の同級生はいまでも銀座で店を構えてる連中が多く、父は今でもスーツは銀座の同級生に仕立ててもらっているようだし散髪も同じくである。
目白駅から祖父の家まで行く目白通りは、いまでも好きな道の1つである。
母から地元での話はあまり聞いたことがなく、言うのは学校の近所の話だったり、就職してから出来た友人の話の方がよく聞く。
僕はと言えば生まれたのは小石川で、その後、馬喰町、恵比寿、一番町、南青山、東麻布と都内を転々としている。
転々としているのは父の気まぐれだと思う。同じ町に住んだのは一番長くて7年程度だった。
また小学校から大学まで私立なので同級生も皆、住んでいる所がバラバラだった。
家が近所の奴もいたが、多くは電車で数十分で、遠い奴は葉山とか佐倉、三島などもいた。
住んでる所が一緒、ではなく学校や習い事、塾が一緒という点でのつながりしかない。
たしかに、今でも出身校の近くを通る時、弁当屋の親父は元気かなとか、
授業抜け出して行った定食屋はどうなったとか考えるし、
南青山のみゆき通りに外国のブティッグが増えたなあと、変化したことに感慨があるし、
軍艦パジャマは相変わらず下品だなと、逆に変わっていないことに安心感みたいなものはある。
でも、それぞれに取り立てて愛着がある訳でもなく、それに昔から転々としていたから、
いつの間にかよく通っていた店や建物が、久々に行ったら無くなっているというのも当たり前のことだ。
また、ある種の観光地の近くに住んでたこともあり、田舎者に囲まれて育ったこともあり田舎者に対して特段の思いも無い。
そもそも田舎者とは要は東京者に対するヨソ者という感覚だけれど、僕には地元が無いのだから田舎者という概念を持ち得ない。
東京は本当に巨大で、とてつもないマチの集合体だと思う。
よく地方の人が「マチに遊びに行く」という意味での「マチ」が東京には無数にある。
白金台の裏の方のお屋敷ばかりのあの空気、後楽園の雑多な仲にも昭和的なにおいがある空気、一番町は空気がキリっとしているし、麻布は昔からの重みを感じる。
マチの空気はそうそう変わらない。(表参道の同潤会を壊したのは駄目だと思うが)
東京とひとくくりにするから、毒を浴びるんだと思う。地方出身者にレイプされた気になるんだ。
一段落して覗いてみれば、あきれた。まだ一人で続けてんのかお前?
一段落お疲れ様です。何の仕事か知らないけど。今は日本なんですよね???
手短に書きます。
・バナーナゴーホームは差別発言だと理解できたようなので、今後、自慢気に使うのは辞めて下さい。妄想だとしたらそういうことなんで、気をつけて下さい。
・あなたがどんな卑劣な環境にいたか知りませんが、バナナと言われて笑っていられる様な職場でまともな職場はありません。
同じレベルのことを黒人に言ったらどうなるか考えれば分かるでしょう?
流石にバナーナゴーホーム裁判は見たことありませんが、人種差別での裁判はいくらでもあります。
http://www.reuters.com/article/2011/11/02/us-alabama-taliban-toyota-idUSTRE7A104620111102
http://www32.ocn.ne.jp/~everydayimpress/New_Folder/article46.htm
http://www32.ocn.ne.jp/~everydayimpress/New_Folder/article19.htm
これで、バナーナゴーホームは別に良いだろう、論破だ、というなら、もういいです。頑張ってください。
・その白人が実在であればあなたのことは嫌っていますので、今後連絡を取らないほうが良いです。相手にはいい迷惑です。
・「自由」についての論議は簡単なものでないので私には結論できませんが、
少なくとも周りに殺人は自由だ、罪さえ償えば良いのだ、と言ってる人が居て、どうでも良い相手であれば、距離を置きます。
ヤクザの鉄砲玉が正しい、と言うわけですよね?そんな人とは付き合えません。
殺人も自由だ、罪を償えば良い、と言うのが本気なら、できればそのまま引きこもって出て来ないで下さい。社会に悪を及ぼします。
差別発言も、自由だ、だから自由に言う、と言った人間とは付き合えません。
どうぞ、卑劣な人間達の中で罵り合いながらお互い、見下しながら生きていって下さい。