「責任能力」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 責任能力とは

2018-08-29

結婚難しい

俺、今までモテたことなんてなくて、齢30を目前に初めて彼女というものができてもうすぐ半年くらいになるんだけどさ。

会うのは月に2回くらいでいいかなぁとか(同じ県内だがわりと遠距離)、だんだんと冷めていってる自分がいて怖いんだ。

多分、今の彼女と別れたら、結婚ってものがほぼ俺の人生関係のないものになるんだろうし、あーやっぱり寂しいってなるのは予想できるんだけど、結婚ってハードル高くない?彼女子供も欲しいらしくて、将来結婚して子供ができた場合の話なんかされると、愛する人のために頑張りたい!なんて微塵も思えなくて、責任負うのくそだるいなぁってどうしても思うのよ。

犬とか猫とか可愛いとは思うけど、毎日餌やったり病気になったら病院に連れて行かなきゃいけないとか考えたらそんな責任能力ないなと思って飼えないんだけど、そんなこと思っちゃう人間結婚できる気がしないんだよなぁ。。

俺がクズすぎるのか、好意を向けられたことに浮かれてて実はあんまり彼女のことが好きじゃないのか、まあその両方って可能性は高いんだけども、こういう気持ち抱えて彼女と会うのは辛いのでとりあえず文章にしてみました。

2018-08-25

刑罰って「将来の犯罪被害を減らせるか」で決めれないのか?

https://togetter.com/li/1259890

とか見てて思うんだけど

刑罰って感情を晴らすためでも、被害者加害者のためでもなく、将来の犯罪を予防するためにあるべきじゃないか

から責任能力がないか減刑」とか意味わからんかったし。被害者側の気持ちってのも他人には結局推し量り切れないと思う。

だったらいっそ刑罰を「将来の犯罪被害を減らすためのもの」と割り切ればいい。再犯可能性を減らすのに効果的なら、懲役でも死刑でも経済活動制限でも投薬でも、なんでも柔軟にやったらいいじゃないか

「この罪は重い。判例も鑑みて懲役〇年」とかより「この犯罪再犯可能性が高く、更生施設によるケアでも低減が難しい。よって懲役〇年と投薬」のほうがはるかに納得感があるだろ。数字統計か何かで決めれるだろうし。

金の亡者には経済的制限を、性欲異常者や粗暴者には投薬や筋力低減を、あらゆる自制が効かないなら社会からの隔絶を。これより合理的方法ってないんじゃないか?なんでやらないんだ謎すぎる

2018-08-24

女子高生コンクリ事件犯人再犯

少年法って何なんだろうなあ。責任能力が当時はないッテなら、大人になってから取ればいいのでは?とか思うんだけど。どうやって身柄確保するねんとか問題はあるけど、大人になってから死刑なり終身刑でええやん。そう思うとやっぱ死刑って必要だよね。

2018-08-22

子どもにも責任能力はある

から少年法悪法だし、

同時に甲子園に出場して肩を壊しても、それは自己責任から周囲には責任はないと言える。


何か異論ある?

anond:20180822204014

解離性同一性障害だったため責任能力限定的」という判決が出た例は既にある

さすがに2審で取り下げられることが多いようだが

2018-08-21

anond:20180821165252

魂の殺人理論の行き着く先という気がする。

死んだ人間責任能力はない、とすると諸権利制限する蓋然性が生まれるわけだけど…

2018-08-11

ブクマカレベルが低い

コミケ体調不良者がでてキャッキャしているクソみたいなブクマカがわんさかいて気分が悪いか反論する。

責任能力のない未成年教育的な意味で参加する行事であるところの甲子園と、

大の大人愚行権行使して自分意志運営、参加するコミケが同じ扱いなわけがないだろう。

これを批判するならあれも批判しろ、っていうアホな言説にはまっとうに反論することができる。

反論できないとき自分政治性、偏りに気づいたほうが良い。まあ今回の場合反論できるやつだ。

ところで気になって調べたんだが、コミケの参加は18禁じゃねえのかよ。これはあかんわ。18禁もしくは保護者同伴にしたほうが良いな。

俺様はひとの非難をするのが目的でなく、より良い結論を出すのが目的から自分の間違いも認められるのだ。偉いだろう。

2018-07-29

健常者と知的障碍者との婚姻禁止すべき

anond:20180729132529

1.パワーバランス

大人子供に対して一方的支配力がある。これは健全関係ではない。

子供関係を解消したくなっても、大人強制力を持つの子供意思無視して関係を続けることができる。

知力だけでなく筋力でも劣り、一方的に利用されやすい。

介護者と被介護者の間でも一方的支配力があるし、介護者が強制力を持つから障碍者意思無視できる。

2.子供意思決定能力

例えば5、6歳の子供がどれだけ自分物事を知って判断できるだろうか。

そしてどれだけ判断責任能力があるだろうか。実在の子供を思い浮かべて欲しい。

5、6歳の子供と同等の知能の障碍者には性的判断能力がないと考えるべき。

3.統計的犯罪性の高さ

小児性愛者と関係を持った子供レイプand/or殺害される率が際立って高い。リスクが高すぎる。

介護者が知的障碍者レイプする事例が頻発していることから、これもリスクが高すぎる。

https://anond.hatelabo.jp/20180729093940

お互い責任能力がある大人から、というのは良い基準なんだが、

それでも近親婚と重婚はどうするか決めなきゃいけないんだよなあ。

君らは婚姻の可否条件について線の引き直しを国家要求している。

から俺たちも線の引き直しについて議論している。

線を引き直すなら、なぜ線を引き直す必要があるのか。

引き直すとしたら何を基準に引き直すのか。

そもそも今までの線は何を基準に引かれていて、それは妥当と言えるのか、

という点を明らかにしていかないと新しい線を引くことはできないだろう。

「小児婚や動物婚はNG。なぜなら、相手責任能力判断力意思伝達能力に難があるから

でも同性婚は、大人同士なら責任能力判断力意思伝達能力問題が無いのだからOK

という理屈はかなり筋が通っている。

ただ、それを基準とするなら、近親婚もOKだし、重婚OKという事になる。なぜなら、双方に責任能力判断力意思伝達能力問題が無いから。

それでOKなのか、という話になる。

また、責任能力に難がある、いわゆる知的障害者や薬物依存症患者結婚していはいけない事になる。

じゃあ今度は、それならなぜ現在婚姻制度知的障害者や薬物依存症患者でも結婚して良い事になっているのか。

それは妥当性がある事なのかを検証しなければならない。

近親婚は閉ざされた環境での強制につながる可能性があるからNG、という話になるなら、

次は、じゃあ義理兄弟姉妹間の婚姻が認められているのはなぜか、それは妥当性があるのか、という検証必要になる。

また力関係強制につながる可能性があるという理由で認められないなら、

利害関係のある人同士が結婚する事は認められていいのか、という点を検証する必要が出てくる。

利害関係が強くて事実上拒否不可能である人同士が結婚しても良くて、強制される「可能性がある」だけの近親婚が禁止されて良いのか、という話にもなる。

同性愛病気じゃない」と主張するのは自由だし、それについては某国会議だって異を唱えてはいないだろうが、

結婚という制度の話になれば、話は別だ。

どこまで認め、どこからは認めないのか。そこに線を引くのがなぜ正当と言えるのか。

君らが要求してるのはそういう話なんだから、当然ペット婚や機械婚が許されるのかという点も同じまな板の上に乗るさ。

そうは思わないか

anond:20180729093940

小児性愛LGBTとは同列に語れない理由

1.パワーバランス

大人子供に対して一方的支配力がある。これは健全関係ではない。
子供関係を解消したくなっても、大人強制力を持つの子供意思無視して関係を続けることができる。
知力だけでなく筋力でも劣り、一方的に利用されやすい。

2.子供意思決定能力

例えば5、6歳の子供がどれだけ自分物事を知って判断できるだろうか。
そしてどれだけ判断責任能力があるだろうか。実在の子供を思い浮かべて欲しい。

3.統計的犯罪性の高さ

小児性愛者と関係を持った子供レイプand/or殺害される率が際立って高い。リスクが高すぎる。

もちろんごくわずかの例外がある可能性はあるが、新しく制度設計するなら
例外を含めたら制度が成り立たない。

これらの明確な理由があるので、「偏見先入観に基づいた不当な扱いをする=差別」では無いとはっきり言える。

2018-07-26

anond:20180726183605

老人に搾取されている若者

若者は老人に搾取されていません

なにかあれば自己責任

責任能力がない人もいます

成功する未来が見えないオリンピック

成功しますよ。招致した段階で成功まで確定です。テロが起きれば話は別ですが。

約束された増税

もともと上げるとしていたもの先延ばしにしてあげているだけですね。政府の皆さんには、夏休みの宿題先延ばしにしてもいいことなんて何一つないと進言したい。

ましてや、宿題が消えてなくなることなどありはしません。

まともに貰えるかわからん年金

あなたが貰えることはないと思いますよ。あと30年ぐらいはあるかも知れませんが、国民少子化解決する意志が見られないので、細々と運用するぐらいならスッパリと辞めてしまえばいいでしょう。

どうせ絶対安楽死なんて認められないだろうし。

尊厳死議論に値しますが。いつでも誰でも楽に死ねるという権利はないでしょうね。

更に子供がいたら昨今の学校での問題(教育方法の是非、組体操エアコン警察不介入PTA等々)もあるし、明らかに不幸でしょ。

とりあえずはてな的には子持ちの家庭は千葉市にだけは住まないということでコンセンサスが得られたようですよ。

子供の命に予算を割けられない弱小自治体市場原理に従って粛々と淘汰されるといいですね。


というわけで日本の将来はあなたが思ってるよりは安泰ですよ。

2018-07-15

anond:20180715201032

法律で決まってるからしか

法律がある理由は、未成年への背的虐待搾取を防ぐためで、

双方合意であっても未成年は正常な判断責任能力が欠けているとみなすの

大人に騙されている可能性を優先して禁止となってるんじゃなかったっけ

2018-07-11

anond:20180711065612

計画性あるからたぶん普通に有罪になると思うけど

もし本当に責任能力なしって鑑定されたら「低能の中ではそうなんだろうなw」って担当医にキレるのかな

2018-07-08

anond:20180707215321

アホか?完全にパヨクの主張そのまんまやんけ

死刑確定なんだから詐病うんこ食ったり人前でオナニーしたしりする以外に死刑回避の道はない

だって麻原の立場なら同じことするし

100人100人人前でオナニーすんだろ

詐病絶対するってなかで、責任能力があるか判断ってのがまともな思考能力のある人間の態度

それをパヨクうんこ食ってるから人前でオナニーしてるから精神崩壊してるって、自分がアホですって自己紹介してるようなもん

二度とはてなに書き込むな畜生

2018-07-07

国家意思としての麻原の死刑

 実名でやっているブログツイッターもあるのだが、そこで書くと炎上しそうで怖いため、増田で書くチキン野郎です、どうもすいません。

 さて、まずはこのまとめ。

https://togetter.com/li/1244367

 ブコメでは江川さんを称賛する声が多い。だが、正直に言えば、麻原の処遇に関して江川さんはわりと冷静さを失う感じがする。

 そもそも精神鑑定に関していえば、「行われていない」というデマが流れているというよりも、「まともな精神鑑定が行われていない」という疑問を呈している人のほうが多いのではないだろうか。

 麻原の精神鑑定については、西山医師による鑑定が行われ、「訴訟能力あり」ということになっている。しかし、その一方で、正式な鑑定ではないものの、複数精神科医面談の結果、訴訟能力なしと主張している事実はある。

(参考)

https://diamond.jp/articles/-/8876?page=2

https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/63db65c218a5ee890796ceededb22c87

 上記以外で仄聞するエピソードと併せて考えると、麻原の精神拘禁によって崩壊したのはたぶん事実なのだろうとは思う。「詐病」と判断するには無理がありすぎる。

 だが、麻原の精神崩壊したということになると、とても困る人がいる。それは特定の誰かというより、日本という国家のものなのだろうと思う。

 もし仮に、麻原が「心神喪失状態に陥ったことを認めてしまうと、法律的に彼の裁判処罰が難しくなってしまうからだ。

(参考)

刑事訴訟法314条

被告人心神喪失状態に在るときは、検察官及び弁護人意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪免訴、刑の免除又は公訴棄却裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。」

刑事訴訟法第479条

死刑の言渡を受けた者が心神喪失状態に在るときは、法務大臣命令によって執行を停止する」

 だが、言うまでもなく、麻原は戦後最大のテロ事件の首謀者だ(個人的にはその点に関して疑いはないし、これ以上の「真相解明」にも正直まったく興味はない)。その麻原を裁けないとなると、日本法秩序に対する信頼が根幹から揺らいでしまう。いくら法律的にできない」と言っても、世論はまず納得しないだろう。麻原およびオウム幹部処刑することは日本国家意思だったと言えるのではないか

 「そんな法律は変えてしまえばよい」と言う人もいるだろうが、これは法律における根本的な思想ルール理解している者だけが責任処罰対象となる/理解できない者は対象とはならない)に関わっている問題なので、そう簡単はいかないのではないか愚考する。

 ともあれ、上記刑事訴訟法抵触することなく、麻原を死刑にするためには、麻原に「訴訟能力」「責任能力」があるということにしておかねばならない。だからこそ、形式的精神鑑定をやっただけで終わらせた。しか病気でないことになっているので治療もしない、ということになったのではないか

ここから蛇足だが、小坂井敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)には、次のような一節がある(p.157)。

自由から責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけなければならないから、つまり事件のけじめをつける必要があるから行為者を自由だと社会宣言するのである。言い換えるならば自由責任のための必要条件ではなく逆に、因果論的な発想で責任概念を定立する結果、論理的要請される社会虚構に他ならない。

 要するに、こういうことだ。何か事件が起きたとき社会には大きなストレスが発生する。誰かに責任をとらせ、「落とし前」をつけることで、そのストレスを軽減させなくてはならない。だから、その誰かには「その事件の原因となる行動をしない自由があった(=したがって責任がある)」ということにしておかねばならない。行動しない自由があったか責任が生じるのではなく、誰かに責任をとらせるために、そのような「自由」があったことにされる、というのが上記の指摘ということになる。

 この指摘を今回の件に応用するなら、麻原に「訴訟能力」や「責任能力」があったか裁判死刑になったという理解は必ずしも正しくない。そうではなく、死刑にしなくてはならないから「訴訟能力」や「責任能力」があったということにされた…という疑念が拭いきれない。

 もっとも、その是非については、判断はしない。国家の存続にはそういうフィクション必要だ、という考えも理解できないではないからだ。ただ、それでもモヤモヤした感は残る。

 そういう気持ち悪さが、今回の一件には、ある。

(追記)2018/7/9

https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180708-00088579/

 江川さんのこの記事で、「詐病」とか言っている人がいるけど、この記事でもやっぱり2000年代初頭の話までしか書かれてない。これ以外の詐病を疑わせる記事も、逮捕当初から2000年代初頭までの時点での話しかない。そこから15年以上の期間があるなかで、麻原の精神状態に変化があったとしてもなんらおかしな話ではない。実際、上でリンクを貼っている加賀さんの面談2006年のものだ。

 上で述べられている刑事訴訟法規定は、「犯行時点の精神状態」ではなく「裁判死刑をする時点での精神状態」に関わるもの。したがって、犯行時点において麻原の精神状態責任能力が認められるものであっても、関係ない。

 個人的には日本法制度がそうなっている以上、麻原の死刑もやむを得ないとは思うが(そうでないと他の死刑囚とのバランスが取れない)、「麻原を死刑にしなくてはならない」という発想から、多くの人の事実認識が若干おかしくなっているのではないか、ということが気にかかるだけの話。

https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c34aa02a0f1770deebaa5ceafe30c3b0

さらに追加)http://www.aum-shinsokyumei.com/2018/06/03/post-416/

id:blueboy詐病」だと言いたがる人は、たとえ命がかかっていようとも、糞尿垂れ流しの強烈な悪臭が漂う空間で、汚物まみれの布団で寝る生活20年耐えられるかどうかを想像してみれば良い。無論、麻原の「宗教者」としての精神強靭さがそれを可能にしたと考えることもできようが、それでは麻原を凡庸な俗人とみなす詐病論」の人物描写との整合性がなくなる。むしろ、麻原が凡庸な俗人だからこそ、長期にわたる収監と死への恐怖によって精神に異常をきたした、というほうが説明としてはよほど合理的だと考える。

誰が死刑批判できるか

駐日欧州連合と各国の駐日大使が「日本死刑執行されたことを受けた、現地共同声明」を発表した。

https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48047/node/48047_ja

私は、死刑制度はすでに「ある」ものなので、存在を疑ったことがないタイプ人間である。多くの人が通勤時に信号を受け入れているように、人を何人も殺したことが確実と思われる者は死刑になると考えて生活している。

ただし、このような駐日欧州連合と各国の駐日大使の声明についてはモヤモヤとしたものを感じてしまう。なので、彼らの主張が本件に当てはまらない点と主張の欺瞞を明らかにしてみたい。すでに「偉い人」によってナンセンスとされている議論かもしれないので、皆さまの叱正も乞いたい。

過誤の存在

声明文には『どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑場合は不可逆である。』と書かれている。しかしながら、オウム事件刑事裁判において、犯罪事実行為自体は争われておらず、弁護側から反論は主に責任能力だった。したがって、本事件については冤罪ということはないように思うし、本事件について冤罪を疑うレベルの懐疑心の持ち主は日常生活を送ることは難しいだろう。また、「じゃあ、過誤じゃなかったらどんどん死刑にしてもいいの?」と反対論者に聞いても絶対に賛成しないのでこの主張は本質的でない。

犯罪抑止効果

より説得的な意見は、同声明文の「犯罪抑止効果がない」という箇所である。例えば、人権団体アムネスティは、「科学的な研究において、『死刑が他の刑罰に比べて効果的に犯罪を抑止する』という確実な証明は、なされていない」と主張している。さらに同団体は、以下のようなデータを示している。

1981年死刑廃止したフランス統計でも、死刑廃止前後で、殺人発生率に大きな変化はみられません。韓国でも、1997年12月、一日に23人が処刑されましたが、この前後殺人発生率に違いが無かった、という調査が報告されました。また、人口構成比などの点でよく似た社会といわれるアメリカカナダを比べても、死刑制度廃止していない米国よりも、1962年死刑執行を停止し、1976年死刑制度廃止したカナダの方が殺人率は低いのです。(http://eumag.jp/feature/b0914/)」

しかしながら、ここでは統計的な手法によって科学エビデンスを示していないので、主張は信頼性が低い。要は、死刑制度について賛成派も反対派も明確な科学エビデンスを持ち合わせていない。つまり犯罪抑止効果については、仮説によって類推するしかないのだ。その点、わが国の法務省の主張は明瞭(もちろん皮肉だが)。

刑罰犯罪抑止力があることは明らかであり,刑罰体系の頂点に立つ死刑に抑止効がないというのは説得的ではない。(http://www.moj.go.jp/content/000076135.pdf)」

事件に当てはめていても、(報道から)1審で死刑判決を受けたとき麻原は「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだことが知られており、宗教的インセンティブから罪を犯したものでさえ死刑対してコスト認識していたことがわかる。

誰が死刑批判できるか

ここまで、駐日欧州連合の主張が少なくとも本事件に当てはまらないことを論じてきたが、一般的に「死刑は残忍で冷酷であり、」誰に対しても行うべきではないという主張もある。この点については私も賛成する点もあるが、所謂おまいう案件でもあり主張は欺瞞に溢れているように思う。ここでは、EUに加盟しているフランスチベットダライ・ラマ法王の二つの行動に着目したい。

例えば、駐日欧州連合が「欧州における死刑廃止の取り組み」として紹介しているフランスである(http://eumag.jp/feature/b0914/)。フランス2015年11月ISISによる同時多発テロ対象となったことは、記憶に新しい。(事実として)フランス空軍は、1週間も立たないうちに、ISIS首都とするシリア北部都市ラッカ空爆している。そこには、過誤の議論も抑止効果議論もない。

これに対して、もう一人の死刑廃止論者の意見も紹介しよう。こちらは、2007年のサダムフセイン死刑に反対したダライ・ラマ法王声明である(http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070118_sdm.html)。チベット中国による人権自治侵害に晒され続けているが、法王は「私は、中国敵対などしていません。私が目指しているのは、チベット自治確立することです。」としている。法王は、フセイン死刑に対して「とても悲しいことです。大変、悲しいことです。」と表明している。

ここまで紹介したら、欺瞞なく「死刑批判できる人」が誰か明確になっただろうし、この問題日本が取る立場も見えてくるように思える。「国連人権理事会普遍的・定期的レビュー(UPR)の枠組みにおける勧告」なんて知らない。

2018-07-06

死刑=人格否定

だと思ってる。だって責任能力のない人間には死刑を及ばせられないんだから

そういう意味でも自殺島みたいな日本法律が及ばない島に放逐して野垂れ死に

(もしくは鳥獣ハンターみたいな人に狩らせる)とかでええと思うんやけどなあ。

今の状態だと死刑執行官負担掛け過ぎなわけでしょ。

2018-07-01

でも低能先生責任能力なしで無罪になって

はてなアイルビーバックする可能性もあるんだよな

2018-06-28

anond:20180628151720

全然魅力ないというか知らなかったし知る必要も感じない。

トピシュはネカマにしてもちゃん女性に親身になってくれてた。

あと女性が読んで鼻につかないのは勝間さんくらい。

(一応言っておくと名前くらいは存じ上げてましたが、チラ見してフーンくらいの存在です)

キョウモエの人とかのほうがまだ見たい記事もたまにあった。

男性臭いブログでもちゃんとしたブログ部分的に読める。

マウンティングでもなく地位が言わせるようなわざとらしい正論でもなく、

普通に言いたいこといってちゃんと読める記事があればよかったのになと。

 

はげっくすとトピシュさんはやっぱり、自分弱者場合自衛手段への興味にすごく答えてくれてたと思う。

ああこういうのは他人からみるとそういう話になるのか。気を付けよう。

とか。

 

いつも過剰攻撃してる人はかかわらなきゃいいし

距離をつめてきたら通報すればいい。

ハゲックスもトピシュも、自分にとっては、

世の中の汚い部分への耐性をつけられた。

ブログ発言普通生活とを続けようと思うと、

読んでおいたほうがいい、勉強になるブログだった。

 

あーっ更新がないだけで本当になんだか寂しいんだが。

読者が団体訴訟損害賠償請求するとしても刑法がおわってずっと後なんだろうし、

責任能力とか賠償能力とか全部ないないいって逃げる無敵の人だもんな。

2018-06-24

曖昧論理不安を煽るのは詭弁です。

詭弁のガイドライン(詭弁の特徴15条)

例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合

あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…

「犬を哺乳類扱いするそんなリスクなんて誰も負いたがらない。犬を哺乳類扱いすることで問題が起きた時あなた責任能力は無い。それなのにあなたは犬は哺乳類だと主張するなんて、はっきりいってあなた無責任だ。」

もちろん上記発言反論でもなく、ただの詭弁です。

自分自身の主張は安全側だが相手の主張は問題が起きるかもしれない、そう言いたいならきちんと上記発言者本人が説明すべきです。

それなのに、「自分自身の主張は安全側、相手の主張は非安全側」このように無条件に、根拠なく位置づけることで、それでもなおその主張(この例なら「犬は哺乳類」)を「敢えてする」根拠を求めるのです。

曖昧論理不安を煽られたら、同じ論法を返すことが出来ます

「犬が哺乳類では無いだなんて、そちらこそ危険だし、最悪の場合は「デタラメを吹き込むな」と訴訟を起こされる事すら想定される。」

このように、どのようにもこじつけられる時点で議論とは呼べません。

このような煽りゲーム有害論などに多い気がします。

2018-06-22

マジで分かんないから教えてください。

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000130069.html

 TBSテレビバラエティー番組お笑い芸人路上で連れ去る撮影をしたところ、110番通報が相次ぎ、警視庁が本当の事件として捜査していたことが分かりました。

 警視庁によりますと、先月22日、東京渋谷区恵比寿路上で「男の人が車で連れ去られた」と110番通報が相次ぎました。警視庁誘拐の疑いで捜査したところ、車はTBSテレビバラエティー番組水曜日のダウンタウン」が使っていて、番組関係者事情を聴いたところ、お笑い芸人男性を連れ去る企画だったということです。警視庁は混乱を招いたとして関係者厳重注意しました。

 

この件、悪質ユーチューバー交番前で覚醒剤に見せかけた白い粉入りの袋を落として逃走し、警察官に追跡させた件(http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/235405)と、法的にどう違うんでしょうか?

番組演出である点、犯罪ではないが犯罪をほのめかしている点、警察捜査をし、業務(か強制的公務)を不当に妨害している点、など、共通項がたくさんありますが、

実際には前者は厳重注意後者偽計業務妨害罪で40万円の罰金刑(上訴中)と違いが出ています

 

考えられる違いは、番組制作者が法人個人の違い(つまり責任能力)、駅前交番前かの違い、くらいでしょうか。

どうも法の公平さより世論の納得感を重要視しているように感じてしまい、不信が募ります

どうかご教授ください。

2018-06-20

刑罰って「将来の犯罪被害を減らせるか」で決めれないのか?

責任能力がないか無罪 とか意味わからん被害者側の気持ちってのも他人には結局推し量り切れないと思う。

だったらいっそ刑罰を「将来の犯罪被害を減らすためのもの」と割り切ればいい。再犯可能性を減らすのに効果的なら、懲役でも死刑でも経済活動制限でも投薬でも、なんでも柔軟にやったらいいじゃないか

「この罪は重い。判例も鑑みて懲役〇年」とかより「この犯罪再犯可能性が高く、更生施設によるケアでも低減が難しい。よって懲役〇年と投薬」のほうがはるかに納得感があるだろ。数字統計か何かで決めれるだろうし。

金の亡者には経済的制限を、性欲異常者や粗暴者には投薬や筋力低減を、あらゆる自制が効かないなら社会からの隔絶を。これより合理的方法ってないんじゃないか?なんでやらないんだ謎すぎる

2018-06-16

anond:20180615123703

こんな計画的犯行底辺コピーキャットでは無理だろ。

せいぜい新幹線自分より弱そうな女にナタ振り回すのが限界

裁判

2009年11月26日に初公判が開かれた[12]。検察から被告人パソコン履歴存在したウィキペディア日本語版記事「厚生事務次官[13]」、「横尾和子」のページへのショートカットレンタカー会社などを下調べしたフォルダなどが犯行準備の証拠として提示された。また、供述調書では1995年地下鉄サリン事件2008年6月秋葉原通り魔事件に関して、「恨みに思った奴だけをピンポイントで狙えばよく、一般の人の命を狙うなんて許せない」、「相手組織なのか個人なのかを考え、組織であれば下っ端を狙っても意味がない」と独自殺害論理を展開していた[14]。厚生事務次官家族も狙ったことについては、当初は迷っていたが、山田洋行事件守屋武昌防衛事務次官の妻が逮捕(後に不起訴)が報道されたことを受け、「マモノ家族マモノ」として自己正当化し、厚生省幹部家族殺害を考えるようになったとした。

被告人起訴事実を大筋で認めた上で、「山口家族ターゲットとあるが、ターゲットにはしていない。吉原の妻は抵抗したとあるが、抵抗をしておらず命ごいをしていた。元社会保険庁長官家族ターゲットにし殺害機会をうかがっていたとあるが、事実ではない」とした。吉原夫人殺人未遂については、「命乞いをしたことプライドが高い元次官の妻として不自然と考え、家政婦ではないか」と殺害を留まったと述べた。また、犯行も、「愛犬の殺害をした厚生省幹部マモノであり、殺害をすることは正当である」と無罪を主張した。

2010年3月30日さいたま地裁判決公判が行われ、「犯行は残虐で、社会に大きな衝撃を与えた刑事責任は極めて重い」として求刑通り死刑判決が言い渡された[15]。被告人責任能力妄想障害)が問題視されていたが、さいたま地裁責任能力はあったと指摘した。その上で、「被告人宅配便変装するなど犯行計画的」「更生は期待できない」とした。被告人判決を不服として即日控訴した。2011年12月26日、東京高裁死刑判決を支持し、控訴棄却した[16]。判決理由で「被告人が主張する『愛犬のあだ討ち』という動機筋道において特段飛躍はなく了解できる」とする一方で「被告人動機動物殺処分に限らず、国家行政への怒りや不満から官僚らに対する殺意を抱いたことにある。被告人が主張する動機である『愛犬のあだ討ち』については、公判無罪を主張する計画の中で口実として脚色した疑いが強く、重視するのは適切でない」とした。被告人判決を不服として上告した。

2014年6月13日、最高裁第2小法廷山本庸幸裁判長)は一審・二審の死刑判決を支持して被告人の上告を棄却した。これにより死刑判決が確定した[17]。

2017年平成29年9月22日現在[18]、Kは死刑囚として、東京拘置所収監されている[1]。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん