はてなキーワード: 疑似科学とは
何年か前の話。
そこはそんなに偏差値が高いわけでもなく、東京にあるわけでもないので当たり前だが、
日本の権威みたいな偉い教授やメディアに出るような有名な先生もおらず、棒読みでレジュメを読み上げるような講義ばかりで退屈だった。
そんな中で、僕は自然科学系のある先生の講義だけは好きだった。彼は授業がうまく、学生を飽きさせないように工夫していた。指定教科書は彼自身の著書だったのだが、上手く纏まっていて、一冊の読み物としても面白く感じた。
授業も終盤に差し掛かったある日、友達から「あの先生、ヤバい人らしいよ」と聞いた。気になって名前で検索してみると、出るわ出るわ…。疑似科学批判クラスタの槍玉に上がる○○を信じていて、自ら活動も行っているとの事だった。
教科書を読み返すと、確かに最後の方で唐突に現代科学に批判的な内容があって、なるほど…と思った。
でも、僕が知る限りでは、講義で扱っていた内容自体は正統な学問の範囲だったと思うんだよなあ。
先生の持つ自然科学の知識と疑似科学はいったいどういう形で繋がっているんだろうか?
僕よりも遥かに学識がある先生が肯定する疑似科学を「みんながおかしいと言っているから」否定するのってそれはそれで盲信なんじゃないのか?
そもそも、僕が教わったことの中にも疑似科学的なものが紛れ込んでいたのか…?
そんなことをいまだに考えてしまう。
東大医学部の面会交流論文が、話題となっている。http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
DVを行ったとされる父親との面会交流を行っている子どものほうが、行っていない子どもよりも、ひきこもりや抑うつなど、精神的問題、行動上の問題を抱えやすい、という論文である。
この論文は、フローレンス・駒崎弘樹氏が3月末にそのブログで、面会交流によって子どもの心が壊される、という彼の主張を裏付ける「エビデンス」として紹介したことを皮切りに http://blogos.com/article/215491/ 、4月末に行われた「当事者の声を国会へ」と題する衆議院第一会館での院内集会や、「「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会」による「第20回学習会 ハーグ条約と親子断絶防止法案」 http://jinkenkankokujitsugen.blogspot.jp 等でも取り上げられたようであり、さらに5月5日には産経新聞にも紹介された。
つまり、これは、現在、国会議員らによって提出が検討されている「親子断絶防止法」の策定を左右しうる重要論文である。
日本では、別居親と子どもの面会交流は、家庭裁判所が間にはいる場合、月1〜2回、4時間程度できれば良い方で、高葛藤や面会拒否が強い場合は月1回に2時間未満のことが多いと思われる (参考: http://oyakonet.org/documents/report_h2308.pdf )。DVがあったとされる父親であれば、その頻度・時間はさらに減少するだろうし、FPICのような第三者機関の補助を得て行うことがほとんどで、面会交流時にDVあるいはそれに近いような行為をすることは稀であると考えられる。父親も子どもを愛おしく思い会うでのあるから、短い時間の中ではその子どもを喜ばせようとすることが多いであろう。そのような状況で父親に会うだけで、本当に子どものひきこもりや抑うつの危険性が高まるというような因果関係が本当にあり得るのだろうか?
そこで、研究論文を読むことのできる有識者にこの論文を読んで学術的に評価してもらった。そうしたところ、この論文は、きちんとした学術研究のレベルに達していないひどい代物であるようだ、ということがわかってきた。
研究対象としている母親の数がわずか38名、面会交流を行っている子どもの数が19名、面会交流を行っていない子どもの数が30名と、この種の簡易なアンケート形式の研究としてはNが圧倒的に少ない。混交要因の統制が全くなされていないどころか、群毎の基礎的統計の記載すらない。各群の基礎的な数値(Demographic characteristics)が両群でまとめて書かれてしまっていて、分けて記載されていないのである。つまり、母親の学歴・収入、精神疾患罹患の統計値、離婚の有無、別居からの経過年数、子どもへのDVの有無・程度などが、各群で分けて記載されていない。加えて、両親間の葛藤の強さ、裁判・調停・審判などの有無、なども混交要因として示されるべきであろう。これらの混交要因候補の指標のうちいくつかについては、この程度の少ないNであれば、各群で偏りが出てしまうことのほうがむしろ普通である。本来、これらは分けて記載すべきなのに分けてないということは、これらのどれかで差が存在してしまっているので、それを意図的に隠蔽している可能性もかなりあると推定される。対象の被験者集団は非常にヘテロな集団で、僅かなサンプル数しか取得していないにも関わらず、これらの指標について群ごとに示していないようなものは、まともな調査研究と言えるレベルのものではない。
「面会交流を行っている子ども」が父親と面会交流を行っている頻度の平均が、なんと僅か平均2.2回/年。Nもたったの19名。そのSDが2.2でレンジが0.5回~6.5回/年。年間2.2回というのは半年に一回しか会わないということであり、年間0.5回の面会交流というのは2年で一回しか会わなかったということ。しかも、この研究では、DVをしていたとされる父親との引き離しからの平均年数が6.9年も経っているのである。仮になんらかのDVがあったとして、引き離し後に7年もたったあとの、そのような僅かな回数の面会交流が、引きこもりや抑うつのリスクを統計的に有意に上げることは、常識的に極めて考えにくい。
この研究は、質問紙を使ったアンケート形式のもの。回答を行ったのは子ども本人ではなく、DVを受けたと称している母親。最近のことであるので、当然、親子断絶防止法のことも知っている母親が多いであろう。回答者が研究の(政治的な)目的を知った上でバイアスのかかった回答をしている可能性があり、そのような可能性を排除するような工夫が全くなされていない。
方法によると、リクルートされた69名の母親のうち、8名が「精神疾患に罹患している」という理由で除外されている。除外されていない回答者の中にも精神に問題がある人がいるようであるが、除外の明確な基準は何か?都合の良い恣意的な除外なのでは?また、回答した60人のうち、22人が、「質問に全部回答できていなかった」という理由で除外されている。合わせると実に35%もの被験者が除外されているのである。このような被験者数がごく僅かの調査において、全ての質問に回答しなかった、という理由のみで除外することが許容されるのか?この研究では、各質問について統計解析を行っているのみで、それらの統計を行う上で、「質問に全部回答する」ということは全く必要とは言えない。つまり、除外する必要がない人を多数除外しているのである。これは、後付で、そのように除外することによって「有意差」が得られるからではないのか?
このジャーナルを出している出版社はいわゆるpredatory open access publisherに分類されている。以前、過去にどこかで発表された論文をたくさん集めて無断で掲載していたことをNature誌に報道されたこともあったり、意図的にでたらめな論文を作成し投稿された論文を掲載してしまったり、無断で研究者を編集長として掲載していたり、という前歴のある「ならずもの出版社」の一つ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Scientific_Research_Publishing 当該の論文を掲載しているOpen Journal of Nursingも編集長を調べると、教育しか行っていないような大学教員であり、責任著者としてはこの10年で1報しか論文を出していないような人である。このジャーナルは、医学生物学文献の権威あるデータベースPubMedにも、もちろん掲載されていない。この出版社のジャーナルではまともな査読がなされていない可能性がかなりあり、筆者らの所属大学を筆頭とする多くの日本の大学が、この出版社をうまく利用してしまっている事実が指摘されている。https://science.srad.jp/story/15/12/07/0554222/
上記の各ポイントは他の標準的査読が行われている科学雑誌では指摘されるのが当然であり、普通はこのままでは受理はされない。であるからこそ、このような出版社のジャーナルから発表している可能性が高い。
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以上のような深刻な問題を抱えている論文であるため、その有識者は、この論文の著者にデータの開示や、群毎の基礎的統計の提示を求めるなどの連絡を責任著者に対し行った。当初、責任著者からは何の返事も得られず、そのため、その責任著者の所属の学科長にも連絡を行った。それでも何の返事も得られなかったため、所属大学の「科学研究における行動規範に係る不正行為に関する窓口(本部)」に通報を行った。
文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf
「研究者に対して一定期間研究データを保存し、必要な場合に開示することを義務付ける規程を整備し、その適切かつ実効的な運用を行うこと」
を義務付けている。
「国立大学法人東京大学における研究活動上の不正行為の防止に関する規則」
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07410491.html
には
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とある。
当該論文は、国の立法に影響を及ぼすことを目的として各所で用いられているのであり、データとその解釈に科学的に正当な疑義が提出されており、また開示しない特別な理由もない以上、データ開示の必要性があるのは疑いがないところであろう。
つまり、この定義によると、再三のデータ開示の求めにも応じず拒否し続ける責任著者らが、この規則に違反しているとみなすこともできるであろう。つまり、この規則によれば、この論文の著者らは、ある種の不正行為を行っている可能性があることになるのである。
この通報後、窓口担当者らは、本件について医学部長らと議論し、その結果、この論文の責任著者はその有識者に回答のメールを送付した。しかしながら、その回答には、
・倫理委員会で承認された研究手続きを逸脱することになるのでデータは開示できない、
・混交要因の候補の変数について両群で比較した結果、有意差はなかった(実際の統計値の提示は全く無し)、
・その他は、科学者コミュニティーでオープンに議論すべきなので、当該Journalにletters to the editorとして質問せよ、
との主旨の内容があるのみで、リクエストや指摘の重要ポイントについては、実質的な回答は全く得られなかった。
その有識者は、4月26日にその論文のウェブサイト上のコメント欄に上記ポイントについて書き込みをした上、議論を行うよう著者にメールにて依頼を行ったが、著者らからは、5月9日現在、何の返事や回答も得られていないとのこと。
http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
著者らの誠実な回答と、著者らの所属大学による速やかで適切な対応が期待される。
その有識者は、こんなことを言っていた。
「科学の基本は「エビデンス」ではないのか?そしてその「エビデンス」とは、データそのもののことではないのか?そのデータがなぜ有識者にすら提示できないのか?連結不可能匿名化されたデータであれば提示はできるであろうし、すくなくとも重要な混交要因候補について各群ごとの統計数値のテーブルくらいは提示すべきではないのか?
データ不在で第三者による検証ができないような「科学」は、もはや「科学」とはいえないのではないか。それは控えめに言って疑似科学、さらに言えば、科学の名を借りたカルトである。そんなものに、国の立法が影響を受けること、そして多くの人々の生活が影響されることがあってはならない。」
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以下、5月15日追記。
「ブログの文章を読む限り、分析の妥当性をめぐる疑問のように思われました。そういうことを、「不正」などと言ってはいけないと思います。」
との指摘をツイッター上でいただいた。
しかし、このブログで指摘した不正の可能性は「分析の妥当性」についてではない。指摘したのは、リクエストに応じてデータを開示しないことについての不正の可能性である。
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とあり、これに違反しているのではないか、という指摘である。この点、ご留意いただきたい。
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以下、5月29日追記。
「東京大学大学院の研究グループが面会交流による子どもへの影響などを初めて調査した結果だ。」
「面会交流は子どもにとって良いことだと言われるが、DVがあった別居親との面会では、こどもたちは長期にわたり悪影響を受けている。」
などと、面会交流が子どもに悪影響を与えたと因果関係として紹介されている。
しかしながら、当該研究は単なる相関を調べた調査であり、しかも上記のように混交要因についてきちんと吟味されておらず、(仮にデータそのものが正しかった場合でも)因果関係については主張することは極めて不適切である。相関と因果関係の区別をしないという、基本的な誤りをおかしているといえる。
以下、6月28日追記。
春名氏による当該の論文サイト上での回答を受け、親⼦ネット、中部共同親権法制化運動の会、親⼦断絶防⽌法全国連絡会などが連名で、東京大学の窓口に不正疑惑の申立を正式に行った。
「全国連絡会は構成団体及び杉山弁護士、石垣臨床心理士と連名で「春名めぐみ 東京大学大学院医学系研究科准教授」の論文に対する下記申し立てを同⼤学科学研究⾏動規範委員会に対して行いました。」
生物学者ではないが、血液型っていうのは抗体の種類なんだからフェノタイプと関連があるのは当たり前というかほぼトートロジーだろう
で、血液型の性格診断が馬鹿にされるのは「血液型と性格の間に相関があるという根拠が存在しない」からじゃない
確かに君の言うとおり、「血液型と性格の間に相関がない」というデータは存在しないかもしれない
もしそうだとすると、それは個人的にはあまりにバカバカしすぎて真面目に取り組む価値すらないだと思うけどな
だから「血液型と性格の間に相関がない」と科学の場で宣言することには語弊があるわけだ
(俺が調べてないだけで相関がないという論文も出ているかもしれない)
でも性格診断っていうのは、「A型が几帳面」だとか「AB型が天才肌」だとか、性格と血液型の相関を仮定したうえでさらに一段話をすすめているだろ
確かにA型が几帳面ではないという根拠はないが、同様にA型がサイコパスではないという根拠も、A型がおっちょこちょいではないという根拠もない
その中でA型が几帳面だというのはさすがに恣意的というかこれはまさに疑似科学だ
もし血液型診断が「あなたはA型ですので、あなたの性格は血液型の影響を受けているかもしれないし、受けていないかもしれない」と言うだけだったら誰も馬鹿にはしねえよ
B型です。(血液型性格判断には根拠がないという「情強のオレカッケー」の方には意味のない情報ですが。)
さて、「情強のオレカッケー」の方々は、おそらくネットでちょっと調べて「血液型性格判断には科学的根拠がない」みたいのをちょっと読んで「オレカッケー」になってしまったんだと思います。ですが残念ながらそれは情弱疑似科学の典型です。「血液型と性格に関連がないという十分な(生物)科学的根拠がある」と「血液型と性格に関連があるという十分な科学的根拠がない」とは全く別だからです。(もしかしたらオレカッケーの方々には理解できないかもしれません。情弱なので。)
血液型とフェノタイプに関連があるということに関しては少数ですが科学的と言えるデータがあります。例えば http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S002561961401043X 血液型と心疾患の感受性の関連を示した論文です。
血液型と性格に関連がないと言うためには最低限次の2つを合理的に説明する必要があると思います。
①心疾患のような生存に関連するフェノタイプに差があるのに、それが進化の過程で行動パターン形成に影響を及ぼさなかった理由。
②例えばA型とB型にフェノタイプの差がないのであれば、数十万年のランダム選択(淘汰圧)でA型とB型の数が同数になっているはずだがそうでない理由。
血液型と性格に関連があるという科学的なデータがない理由としては、そのコスト(数千万円✕数年)の割に、ビッグジャーナルには倫理的理由で掲載されないリスクがあるからでは?と思っています。情強の先生方、どうぞ上記2点の反証をお願い致します。
はてなで左翼論客が現れた2005年前後には、ネトウヨだって2chとその周辺のまとめブログにしかいなかった。
今で言うなら「疑似科学ビリーバー(=ネトウヨ)に対する疑似科学批判者(=サヨク)」くらいの感じだよね。
だから「ネトウヨが当たり前なのにどうしてサヨクなの?」という質問からしてまずピントがズレてる。
はてなダイアリーが論客に好まれてその中に左翼論客もいたのと、
まとめブログが生まれてそれを通して2chの中で醸成されていた嫌韓思想が一般にも広まったのと、
それはほとんど同時に起きたのだ。
彼らはブログブーム以前から個人サイトを持っていて積極的に情報発信をしていた。
そのためかブログブームにはあまり乗っからなかった印象がある。
このあたり、ネトウヨは失うものがない状態からアクティブに行動し、
http://anond.hatelabo.jp/20110602193012
福島は未だに復興されてなくてもはや避難先に根付いてしまった人たちもいるらしい
震災直後では火の海になった気仙沼が話題になったけど、こっちのほうは復興したのかな
って、調べてみたらインフラは概ね治ってきたみたいだけど産業は震災前の60%程度しか復興していないみたい
http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/608418.pdf
原発の方は、東芝が原発とLNGに大博打を張って結局半導体産業を日本から手放すという大失態をしたのが印象的だった
世界では再生可能エネルギーが続々とグリッド・パリティを達成しているのに何たる惨状
しかしネット社会ではこの状態になっても未だに「反原発は放射脳で疑似科学的」とか「再生可能エネルギーは役に立たない」とか悪評が目立つ
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
答えはYESだ。
ちゃんとした事実に基づいた理屈が提示されてはいるものの、それを把握して享受している人間は少ない。
疑似科学が蔓延したり、宗教を「宗教だから信じない」のもそのあたりが関係している。
だが、その程度の認識でも実生活に支障がないなら大した問題ではない。
もし支障が出たのなら、それはその体系が間違っているか、それを信仰している人間が間違っているか、まあ適当に考えておいてくれ。
それはフクの差し金だ。
他人の家で悠々自適に暮らしたいがため、オニを門前払いしたいのだよ。
いつまでもフクに居座り続けられても迷惑だから、早く追い出さないと。
いい質問だ。
後にこの雪女の子供が主人公となった妖怪バトルものは有名だが、あれはやや誇張表現が過ぎるな。
読んできた本(オールジャンルで何でもいい)を、グループに分かれてプレゼンし話し合う、みたいなのを定期的にやっている読書会。
この読書会には、毎回陰謀論・トンデモ系の本(ユダヤが世界を牛耳っているとか、ヒトラーの正体が実はどうこうとか)をプレゼンしてるおっさんがいて、この会の中ではキャラのたっている人のようだった(他の参加者から聞いた)。
そのときは、「ああ、ネタでこういう本を紹介して、自分のキャラづけをしてる人なんだな」と思った。
で、今回、初めてこの陰謀論のおっさんと同じグループになった。
陰謀論おっさんは、ある朝鮮起源説の本を持ってきて、その本に書いてあるという、やれナントカが実は朝鮮起源だ、ナントカが朝鮮起源だ、ってプレゼンしはじめるわけ。
私は陰謀論(とかデマ)には何の興味もないので、このおっさんの話は面白くなく、退屈だった。
で、陰謀論おっさんは、本に載ってる、前方後円墳と当時の朝鮮の壺の写真のコピーを見せて、「古墳と朝鮮の壺が同じ形をしている、だから天皇の起源は朝鮮にある!」って言うの。
そりゃ前方後円墳も壺も、▽の下に〇つけただけの簡単な形だから、偶然似ることくらいあるだろって吹き出しそうになった。
そのおっさんの話がひと段落して、私が意見を言う順番になったので、
「まぁ、本としては面白いと思いますけどね。ただ、学術的には何の根拠もないこじつけですよね。こういう説への批判本もたくさんありますし。まぁ、本としては面白いですよね」
と、私が感じたままの感想(一応、面白い説ですよね、とは言ったのでフォローのつもりだった)を言った。
「そういう批判的な意見を言うのはどうかと思うんだよね。これは本を紹介する会であって、ディベートとは違うでしょ。僕は、そういう批判的な意見を言われて読書会に来なくなった人を何人かみてるから、そういう批判的な意見を言うのははよくないと思う」
そのときに私は思った。「あ、この人ネタでやってるんじゃなくて、ガチで陰謀論信じてる人なんだ!」
いい歳こいて陰謀論みたいなのを信じている人を私は初めて見たので、ウゲェ…と思った。
私は陰謀論が嫌いだ。疑似科学も嫌いだ。ついでにスピリチュアルも嫌いだ。そしてそれを「信じている人」がそれ以上に嫌いだ。ネタで面白半分に信じてるフリをしているのならまだいいが、ガチで信じている人は、安易にわかりやすく面白い方にとびついているだけの、学術的、哲学的な知性と態度の欠けた人間であると思うからだ。
「陰謀論脳の頭弱い奴は、水素水でも飲んでろ」と内心思ったが、
「読書会はディベートとは違うから、批判意見を言うとカドが立つ」という意見はわからなくはない。
批判されて読書会に来なくなるのも、不本意な事だと私も思う。まぁ、本を批判された程度で来なくなる、というのはそもそも向いてないのだともいえるけど。
しかし、私はこういう「ただのデマ」をニコニコ笑ってじっと聞いていられるほど大人ではない。
たとえば『水素水の効用』なんて本をプレゼンされたら、即座に「水素水なんて飲んでるんですかぁ?H2OにHがつくとか中学化学やってないんですかぁ?」くらいの皮肉を絶対言うだろう。
陰謀論や疑似科学だけでない。百田尚樹や小林よしりんみたいなネトウヨ丸出しの本(嫌いなので読んだことないからしらんけど)をプレゼンする人がいたら、「この程度の本に感化されてるんですかぁ?」と軽蔑した口調で揶揄してしまうに違いない。
そしてそれを口にだしたら、場を険悪なムードにした私が悪者扱いされるだろう。
とにかく私は、こういう類の本を薦めてくる人にげんなりするのだ。
今度もし、またこの陰謀論おっさんと同じグループになったら、また陰謀論のトンデモ本を薦められその話を聞かなければならないと思うと、うんざりする。
そんなことを考えると、楽しみだった読書会の楽しみが半減した感じがする。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/08/110243
ここでいう前者二つとは、忍者とインド人であり、冒頭の文とあわせると、「アイヌ死ね」問題を忍者とインド人に置き換えれば、深刻な問題ではないことがわかるはず、という意見のことである。
そして、「アイヌ死ね」はヘイトスピーチであり、上記の意見が間違いであるという文章の趣旨からすれば、ゲーム脳によってこれらの差別的な誤った発想が生じてきた、ということを述べているのである。
そもそも「ゲーム脳」は疑似科学としての批判が強く、その概念の妥当性には疑問がある。
そのことを措くとしても、ゲーム脳は、ゲーム脳によって差別的な言動が生じるとか、誤った意見が生じるという概念ではないはずである。
上記の文章における「ゲーム脳」の使用法は、ゲーム脳の理論を認めたとしても誤りといえるだろう。
ゲーマーは、ゲーム脳であり、その影響によって差別的な誤った意見を持つようになる、というのは、ゲーマーに対する重大な差別的発言である。
そして、「ゲーム脳」による偏見などで、ゲーマー(もっと広く言えばオタク)が差別的な扱いを受けているのは周知の事実である。
凶悪犯罪について、他の趣味は無視されるが、ゲームが趣味の場合は、犯行との関連性が取り沙汰されるのはそのほんの一例である。
このような歴史的経緯からすれば、ゲーマーに対する差別は重大な問題があるといえるだろう。