はてなキーワード: 疑似科学とは
そりゃそうだよ、科学の基本は疑うことなのに科学的な立場から疑似科学を批判しているつもりの人たちが盲信的な態度だったら明らかにおかしいじゃん。
血液型性格診断はエビデンスがないから疑似科学だけど、虚構のタイトルのような事実があったとしたらエビデンスが示される可能性を疑うのが科学だよ。
そもそも、はてブにおける疑似科学ネタは、少数の専門家とそれに乗っかかるその他大勢という構図で、炎上現象とかと大差ない状況
終わる前に始まってすらない
今日の虚構のこれさ、http://kyoko-np.net/2016071201.html
タイトルの「「疑似科学信じやすい」9割はO型」が絶賛されてるんだけど、そんな実験結果が出たならこれまでことごとく否定されてきた血液型と性格の相関が示されたかもしれないってタイトルじゃん。
絶賛してる人は「血液型性格占いはエセ科学」っていうのを盲目的に信じ込んだまったく科学的じゃない人たちだよね。
それも込みでネタに乗っかってるって感じもしないし。
こいつらが大手を振ってエセ科学批判してるとか思うとげんなりするわ。
追記
ちょっとブコメもらったから追記しとくけど、別に虚構の記事内容について文句があるわけじゃないよ。
俺が気にしてるのはこっちhttp://b.hatena.ne.jp/entry/kyoko-np.net/2016071201.htmlのブクマカたちだよ。
idコールまではしないけど、人気ブコメが「タイトルが自己矛盾」とか「タイトルが秀逸」とか「出オチ」とかそんなんだし
タイトルだけでこういうふうに面白がるってことは、「血液型で区分すること自体」が疑似科学って認識ってことだよね?
いやいや、それは違うでしょって言いたいの。
血液型性格診断が疑似科学なのは「血液型で区分した結果、全然差異が無いのにさも差異が有るかのように言われるから」疑似科学なんだよ。
このタイトルみたいに「血液型で区分した結果、差が出ました」ってなったら疑似科学じゃなくなっちゃうかもしれないわけだよ。タイトルだけ見れば。
(urlで気づくし、記事内容も全く信頼に足るものじゃないのは当然としても)
だからタイトルが矛盾してるってことはないし、出オチってこともないし、むしろ滑ってるでしょと。
中身のオチは研究チームの人が血液型性格診断で考察してるとこだけど、タイトルの内容は単なる実験結果だよ。オチてないよ。
腸内環境の研究で寄生虫を腸内で飼っていたことで有名な某教授が
「シリカ入りの天然水が腸内環境に良い」と言っていて、俺はいつもの「○○水詐欺」だろうとバカにしていた。
そもそも、シリカってケイ素(シリコン)のことだ。なぜ電子部品に使われるような元素が健康に良いのだろう。
大学教授という肩書を使ってセコいビジネスしやがって、と義憤すら感じていた。
ところが、後日その発言に医学的根拠があることを偶然に知った。
植物は土壌から水を吸収する際にミネラル分も同時に吸収し、その一部が食物繊維の原材料となる。
以前から腸内細菌(善玉菌)が食物繊維をエサに成長することが知られていたが、
実は食物繊維に含まれるケイ素こそがエサになっているのだという。
というのも、腸内細菌は大気に酸素が満ちる前の原始環境に誕生した嫌気性菌の末裔であり、
その時代から岩石に含まれていたケイ素といったミネラルを養分としていたからだ。
つまり、シリカ入りの天然水は腸内細菌のエサになるということであり、プレバイオティクスの効果が期待できるというわけだ。
(アメリカでは水溶性シリカをサプリメントとして摂ることもあるらしい。効果があるのかどうかは知らんが)
いやー、ほならね、自分が作ってみろって話でしょ?
私はそう言いたいけどね。
こっちは! こっちはみんなを健康にするために水素水を作ってるわけでして、
いや抗酸化作用がいいかなぁーと思ってまぁ水素水作り始めたわけですけども、
そんな効き目がないとか言われたら、じゃあお前が作れって話でしょ、だと思いますけどね、ええ。
私はそう言いたい。うん……。
じゃあ自分がやってみれば?って話で、だと思いますけどね、ええ。
私はそう言いたいですけど。
まぁそりゃ水素水を、水素水の人気に嫉妬したり、妬んだりしている人はやっぱおると思うし、そこはしょうがないといえばしょうがないんやけども。
そのーキライ、水素水をキライな人と、えー水素水が好きな人、との共存が難しいなぁと思えば難しい。
どっこいどっこいですね、どっこいどっこい
もちろん俺も水素水アンチの人達と仲良くしたいんだけども難しい。
なかなかそーはいかんよね。なかなか難しいよね。
水素水アンチの人達と仲良くしたいと思っても向こうは俺を嫌ってるわけやから。なかなか和解は難しいよね。うん。
まぁ、まぁなんて言うんだろ。
仲良くする、水素水アンチの人達と仲良くするには彼らに優しく語りかけるしかないよね。
彼らにね、やさしく、やさーしく語りかけるしかないよね。
まぁそこが難しいといえば難しいねー。うーん。
今年で、私も、私は水素水で営業始めてから4年になろうとしていますけども。
ほんまここまでよく来たと思ってますよ。ええ。
さぁ、まぁなんていうんでしょうか。
仲良くやっていきましょうではありませんか。はい。
まぁ確かに、確かに水素水はさー、疑似科学っていいたくなるのは分かる、分かるけどさー。
言いたくても! 抑えることが大事やで。
グッと! 抑えることも大事やで。
それが大人への一歩やで。ええ。
大人っていうのはそんなこと、たとえ水素水がただの水だと思っててもいう、いわないからね、大人ってのは。はい。
我慢ですよ、我慢、我慢!
時には我慢!
これは大事です。
今後も水素水でやってきたいと思ってるし、水素水一本でやってきたいと思ってるし!
うん、それが俺の、活動の活力になると思うし!
もちろん水素水ファンのみんなも、まぁもちろん水素水ファンのみんなもねー、大事にしたいと思ってるし、
もちろん水素水アンチの人達とも仲良くやってきたいと思ってんだけども、なかなか難しいよね。そこが。
難しいといえば難しい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/956291
「騙されない自分」病だ。
ネトウヨもレイシズムもミソジニーもミサンドリーもまとめサイトも
twitterもはてブも増田も陰謀論も放射脳も疑似科学も文春もネタもマジもデマも何もかも
全部「騙されない自分」のイメージを求めた結果、陥穽にハマってしまっている。
何も進んで水素水を買えと言っているわけじゃない。
「騙されない自分のパブリック・イメージに固執している」ことだ。
みな賢くあろうとしている。それ自体はいいことだ。懐疑や相対化は視点として常に大事だ。
ところが、他人に賢く見せたい、賢いと認めてもらいたい欲、それがインターネットを病ませしまう。
人は「賢い自分」を見せようとするとき、かならず自分の面子以外のことに考えが及ばなくなる。その言葉は攻撃的になってしまう。
なぜなら、賢さとは相対的な概念であって、「賢い俺」が存在するとき、他の人間たちは必ず「俺よりバカ」に位置づけられるからだ。
こういう心理状態になるときほど、近視眼的で酷薄な人間はいない。
しかし、それならば賢しらに振る舞わなければ万事解決なのか。
違う。
そうなってしまったら、インターネットなどに利用価値はなくなってしまう。
我々はみな自分の賢さ、ポジション取りのうまさを見せつけるためにインターネットをやっているのだ。
見栄がなければネットではない。
では、どうすればいいのか。
ハンドルネームやIDを含む顕名制度をやめて、みな記号ですら無い完全なる匿名に帰ればいいのだ。
といっても掲示板はダメだ。集団化という別の暴力の温床となる。
では約束の地はどこに?
ここだ。
増田だ。
我々は群れない。我々は同化しない。我々は顕れない。
国会デビューをしたからといってtwitterアカウントを立ち上げるなどは、見下げ果てた所業である。
我々は存在しない。
我々に魂はない。意識もない。
騙すことも、ダマされることもない。
我々の書くことは「真実か、虚偽か」ではない。真実であると同時に虚偽である。
増田がウンコを漏らす時、その記事を書いた都内在住の誰かは実際に脱糞してないかもしれない。
書き手の人格は肉をもったリアルな誰かとは切り離され、一人の偉大な分裂症患者の名のもとに統合される。
増田。
私はあなたの名前を知っており、あなたは私の名前を知っている。
増田は増田を傷つけない。わたしはあなたを傷つけない。あなたもわたしを傷つけない。
「裁かれた者」サバカレーの使徒であり、「死を刻む名の者」しなもんの化身であり、「剥がす鬼」hagexの下僕である。あるいは水曜日の天使である。
わたしたちはあなたたちブックマーカーである同時に、あなたたちに相対する者である。
実名を捨てよ。
ハンドルネームを捨てよ。
twitterを、Facebookを、メルカリを、LINEを、Yahoo!IDを、amazonのアカウントを捨てよ。
そこは肛門。入る時はさまざまな形をとるが、出る時は常に同じ色形。
https://twitter.com/takfla/status/707014093299798016
Twitterのタイムラインを眺めていたら、こんなツイートが流れてきた。
水素水を売っていた会社が一部業務停止命令の処分を受けたらしい。
で、このツイートにある画像なのだが、少し前にネットを賑わせたH6Oのやつである。
今回、業務停止命令を受けたのは記事にもあるが「ナチュラリープラス」で、H6Oのほうは「秘鉱泉」という全く別の会社である。どっちもマルチではあるのだが。
ナチュラリープラス: http://www.naturally-plus.com/ja/jp/
秘鉱泉: http://hikousen-info.com/hikousentop.html
海外の疑似科学批判者は製薬会社とか臨床試験のエビデンス批判をかなり辛辣にやってるけど、NATROMと信者はまったくスルー
そのへんは偏ってるというか、底が浅いところだな
水素水みたいな疑似科学。これまでもあったしこれからもあるだろう。
こういうのは科学的根拠がない、と啓発することも科学者の役割だろう。「科学リテラシーの涵養」ってやつだ。
おい科学者よ。研究ばっかやってんじゃねーぞ。その成果を説得的に人々に示せないと意味ないだろ。
水素水信じてるなんて、頭痛の時に額に梅干し漬けるくらいのあれだぞ。全然世の中科学の世じゃねーじゃねーか。どうなってんだ。
モノばっかり進歩して人間の認識がまだまだうんこのままじゃねーか。
というかこういう疑似科学への心構え的なものは人文科学の範疇なんだろうか。
社会学とかの範疇? 「カルト」に捉われるシチュエーションなんかは大学の授業で習ったけど、疑似科学もそういう分野に近い気がする。
ビジネスとか教育とか色んな分野で言及されるマズローの「欲求段階説」。
人間の欲求は、生理的→安全→社会的→承認→自己実現の順で高まっていくってやつね。
で、この説をみんな人間心理の真実であるかのように珍重する風潮があるような気がするんだけど
(はてなでも承認欲求がー自己実現がーってよく話題になるよね)
別にこの説って科学的に証明されたわけでもなんでもない仮説に過ぎないし、
そもそもマズローってトランスパーソナル心理学というオカルトっぽい心理学分野の創始者でもある。
誤解を承知でいえば、謎の教祖様のお言葉を盲信してる社会状況ってヤバくない?
みんな疑似科学とかオカルト、新興宗教、酷いのになると伝統宗教ですら
胡散臭い怪しいものとして糾弾するのに、外国のオッサンの思いつきに過ぎない学説を
人間の真理であるかのように無根拠に信じ切っているのか謎過ぎる。
今回の一連のちょっとした騒動は、これが小学生の授業であるという背景に対して、過剰な期待があるように思います。
子供が自然の真理を学ぶ時間は、該当の子供においてまだまだ続きがあるのです。
例え教育の途上であっても、嘘を教えるのは教育上よろしくないと。STAP事件や疑似科学などを目の当たりすれば誰でもそう思います。
しかし、子供は知的生物としてはるかに発展途上であり、抽象的問題を理解するには、絶対的な知識も経験も足りていないのです。
だから段階を踏むのです。
I. 数学とは、科学とは、世の中の真理を追求する学問であり、
人間に都合よく結果や値を変えることはできない。
πは3にも3.14にもならない。
II. 仮説は検証とセット。検証できない仮説を設定しては行けない。
仮説に基づいた結果を解にしてはいけない。
実は義務教育はこれと同じことを結果としてしているのです。かつての西洋では同じ夜空を見ても、天動説と地動説がありました。それが様々な観測結果によって矛盾が知られ、徐々に地動説へと落ち着いていきます。
義務教育で振り返ると、あなたが指摘するように、物理で円周率を3.14と仮定することは間違いです。天動説で宇宙を観測するかのように、さまざま矛盾が生じます。そしてその矛盾を解消すべく、算数から数学へとパラダイムシフトが起こるのです。円周率を3.14で計算すると矛盾があるから駄目なのではありません。矛盾だからよいのです。証拠によって知的な態度を転換する準備が養われているとしたら、この義務教育はきわめて効果的です。
ここでいえるのは小学生に円周率を3.14と教えるのは、義務教育内で批判的に検証可能です。だから私は「379.94でいいじゃん」派です。
人類が何百年もの時間をかけて漸く得ることに成功したこの円周率を、「あ。3.140000でいいっすね」とか、たかだか小学校教諭の分際で勝手に変えることはできないのです。
逆に問いたいのは、小学校教諭の分際の「分際」とはどのような意味でしょうか?教育者は教える対象が小学生か中学生かで身分制度があるのでしょうか?それとも、研究者と教育者では身分の違いがあるのでしょうか?どのような研究者も必ず何がしかの教育者を必要とするという意味で、より優位なのは教育者のような気もします。しかし、実際は仕事として課題としている問題が違うと言うだけで、身分に違いはありません。たんに立場が違うだけです。それなのに、「分際」という言葉を使うのは、真に知的な態度なのでしょうか?
人の趣味に口出しするのも野暮なことだし、自分は信じられない、金は使いすぎるな、変なのに引っかかるな、ということだけを折にふれて軽い調子で何度も伝えておくだけでいいのではないだろうか。
しかし
これ理系感無くね?
遠方に住む実家の母親が、やれオーラソーマだのアデプトプログラムだの霊氣だの、スピリチュアル系にどっぷり漬かってて辛い。
母親は離婚後一人で自営業(サービス業)を営んでて自活してるが、副業としてスピリチュアルの伝道師的な事をしたり、本業のお客さんもそういう繋がりの人が多いっぽい。
交友関係もそういう繋がりの人が多くなってるだろうし、仮にやめさせられたとしたら今度は仕事や交友関係が上手くいかなくなる未来が待ってる。
これが江原啓之のように「搾取する側」になるなら、もう勝手にしてくれと距離を取れば良いだけの話だけど、順当に行けばカモられる側になるだろう。
既に大金を注ぎ込んでるかもしれない。
同じ問題抱えてる人はどう対処してるんだろうか。「母親がスピリチュアル化してしまった人の会」みたいな会合、相談できるサイトなどがあれば教えて欲しい。