はてなキーワード: 生活費とは
かと言ってこっちはこっちで地獄なんだよな、フツーにタカリしょ。お前の金で家買えよってなる
> 2歳下の彼女が実家のローンを払ってあげてるらしい😨 結婚したら彼女の実家に住まなきゃ😨
> とはならんやろ
> お前の稼ぎでお前が家借りて住むに決まってんだろ
> なんで徹底的にタカる気満々なんだ?
本来二人の生活費にするべき金の大半を実家に渡してんだから、その分自分たちの生活費は男にタカる事になる
実家も娘に寄生してるやべえ毒親一家だしその女やべえ結婚すんな逃げろの大合唱になるだろそんなの
でも、『増田が家(二人だけの新居)を買えばOK?』(https://anond.hatelabo.jp/20230910174049#)ってのもあって
よかったわ
その昔、私(放置タイプ毒親育ち)と友達A(毒親まではないけど放置寄り)とで、共通の友達B(過干渉タイプ毒親育ち)の話をしてて、同じ毒親育ちでも放置タイプと過干渉タイプは分かり合えないところあるよな、って思ったのをぼんやり思い出した。
AがBの事を
「大体自分が行きたい道楽系な大学行かせてもらって学費も生活費も出してもらって、今更私の親は毒でしたとか言われてもこっちははぁ?って感じなんだけど!」
って言ってて、同じくこっち(親の都合で進学断念)な私も同意しか無かった。
過干渉毒親エピソードもよく見るしそれなら放置の方がマシかもなーって思うとこもあるけど、
は多分一生思い続けるだろうなと思う。
結婚という新しいステージに進むこと、おめでとうございます。同居に関する不安や懸念は、多くの人が感じるものですので、まずその気持ちを否定しないでください。
メリット:
経済的な負担の軽減:家賃や光熱費などの生活費を節約できます。
サポート体制:何かあったときに家族が近くにいると、心強いことも多いです。
プライバシーの制限:常に家族が近くにいるため、一人の時間が取りづらくなる可能性があります。
コミュニケーションの問題:生活習慣や価値観の違いから、摩擦が生じることが考えられます。
明確なルールを設定:家事の分担やプライバシーの確保など、家族との共同生活でのルールを明確にしておくことが大切です。
コミュニケーションを大切に:感じた不満や不安を溜め込まず、適切なタイミングで相談することが重要です。
試験的な同居:一時的に彼の家に滞在し、同居生活を体験してみることで、実際の生活をイメージしやすくなります。
プライベートスペースの確保:自分の時間を過ごせる場所や趣味のスペースを確保することで、精神的なリフレッシュが期待できます。
最後に、結婚や同居は大きな決断です。自分の気持ちや考えをしっかりと彼に伝え、二人で解決策を考えることが大切です。不安や心配事は一人で抱え込まず、サポートを求めることも大切です。
話してるとついイライラしてしまってそのうち限界が来そうだから吐き出し。
今日もテレビのBSを見たかったのに地上波しか映らないって言って、俺の部屋のドアを延々と叩いてきた。
俺「それはその前にテレビを消した時にBS見てたからだよ。おばあちゃんさっきテレビ消す前地上波見てたでしょ?だから今テレビつけたら地上波だったんだよ」
祖母「そんなことはない!前はテレビつけたら最初からBSが映ってた!」
俺「それは分かった、とにかくリモコンのBSのボタン押せばBSになるから。」
もう説明するのが無理だと思って、とりあえず「リモコン押したらBS映るか試してみて」って言ってリビングに追い返した。
親戚との連絡、炊飯器の使い方、体重計の使い方、ゴミの捨て方、etc…
なんでもかんでもこの調子で全く説明を受け入れてくれないのに、質問ばっかりしてくる。
もう俺はどうすればいいんだ。
別居してる時はただのちょっと頑固なばあちゃんだと思ってたのに。
昔は好きだった家族をこんなに疎ましく思う自分にも罪悪感がある。
俺が家を出て距離を取ればいいんだろうかとも思うけど、
家賃やら光熱費やら1.5人分とかの生活費で2人生活できて両方の家から援助あったりもして家建てるんなら1000万ちょっと非課税で贈与してもらえたりとかっていろいろ特典あるやん
と思ったけどすまん追記
何なら同性と住んだっていい
周りが許すかは別として
生活費の内訳教えろやで
2023-09-05
専攻医とは、専門医取得前、初期研修医修了後から医師5年目までを指す。
今回過労死が報道された彼らと立場を近くする当事者として、今臨床現場に何が起きているか記載したい。
そもそも「働き方改革」で医師がほぼ度外視の扱いを受けているように、長年医者の働き方は異常な上にそれを黙認する空気がある。
私は入局1年目のとき、月の半分が当直だった。
当直とは夜勤とは異なり、朝から働いた後に、夜間の緊急対応も請け負う。2時間以上連続で寝られる事は少ない。もちろん、当直の次の日はまた日中の勤務に追われる訳だ。
その上通常業務は朝7時から夜は22時までにも及ぶ。つまり殆ど太陽を拝むことはない。
入局してから昼ごはんを食べた事など、初期研修医の接待以外では数回しかない。
当直でなくとも、異常。
これで給料が年収1億なら歯も食い縛れるだろうか。実際は無給医だった。つまり大学病院からの給料はゼロ。本当に零。(後に問題視され、県の最低賃金が出るようになる。人の命を預かるのに、最低賃金)
病院からは労働者としてみなされていないので健康保険にも入ってもらえない。国民保険に入り年金も自分で払うため、マイナス出費。
生活ができないので、休日や平日の夜間は外勤(いわゆるバイト)にいかなくてはならない。身体を休めたりリフレッシュに使うはずの時間が、生活費のための出稼ぎに消える。
医局の中はこういった働き方で人格を破壊された上司しか残っていない。(それともあの性格は元々なのだろうか)
少しのミスで出身地、性別、出身大学に関する罵詈雑言が飛び交う。
人のために生きたいと志高く医師になったのに、大学病院へ進めばこのような待遇が待ち受けている。
学生時代に一生懸命勉強してやっと医師になれたのにこんな所で辞めたら親に合わせる顔がないという葛藤、
同期達は同じ状況でもどんどん優秀になるのに、自分だけ取り残されていく葛藤、
患者さんや医学に一つも関係のない事象で追い込まれていく自分との葛藤、
「逃げればいい」と人は簡単に言うけれど、どっぷりと医局の中にいると視野は狭まり、まるで医局を辞めることが殺人に匹敵する大罪のように錯覚する。
忙しい日々の中、どこかへ相談しようにも一般的な相談窓口は仕事が終わると閉まっている。
どこへ逃げれば良いのか。
逃げようとした先輩同期達は、重罪者のように祭り上げられ2度と大学病院や外の関連病院に顔を出すことはない。
大学病院であれば、たくさんの症例を経験でき、早く一人前の医者になれると思ったのに。ただそれだけを想ってここまで来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
これを書いている私自身も、精神的な危機を感じている。だが、精神科に行く時間がない。
私の自殺がニュースになるのも明日かも知れない。いや、もしかして、私の大学病院なら揉み消しかねない。
医者は聖人でも鉄人でもない。ただの労働者だ。労働者としての権利が欲しい。
どうか、今回の報道をSNSの力で大きな問題にしていただきたい。
医者の労働環境が崩壊して、最終的に困るのは患者さんなのだから。
同じような労働環境が話題になって、私の現状を世に伝えるには今しかないと意を決して当直の合間に書いたのですが、ここまで心無いコメントが付くと思ってませんでした。
「私の努力が足りない」と言われているようで、根性論を掲げてなかなか現場が改善されない理由の一端を垣間見た気がして、もう人間にも人生にも絶望しました。
医者じゃないが、俺が学生していたころもおじいちゃんたちは「学生なんだから、お金を払って勉強させてもらう立場でしょ!」みたいなことを言ってたな。
その考えで言えば、学生なんだから研究をフルタイムでやって、生活費はその残り時間にバイトして稼ぐのが当たり前って考えになるんだろうな。
幸い、俺の先生は研究室の研究実績作っているのは学生たちなので、研究に専念できるように資金援助をするべきとの考えだったから、多少の給与は出てた。
研究に専念できるように研究室が学生を雇うのは海外の大学では当たり前だと当時先生から聞いたし、生活の為に研究時間減らされるよりはそっちがよほどいいと思う。
「学生なんだから、お金を払って勉強させてもらう立場でしょ!」みたいなのは資金援助を惜しみなくできる太い親がいる少数の学生が進学した時代にはあってたのかもしれない。
どっかしら金銭感覚バグってるんだろ。アホみたいに保険に入りまくってるとか、3ヶ月に1回必ず旅行してるとか、とにかく貯金しまくらないと不安で仕方がなくて生活費削りまくってるとか、世帯年収の8倍くらいのローン組んでるとか。あと子供の体験や教育に金の糸目つけてないとか。
専攻医とは、専門医取得前、初期研修医修了後から医師5年目までを指す。
今回過労死が報道された彼らと立場を近くする当事者として、今臨床現場に何が起きているか記載したい。
そもそも「働き方改革」で医師がほぼ度外視の扱いを受けているように、長年医者の働き方は異常な上にそれを黙認する空気がある。
私は入局1年目のとき、月の半分が当直だった。
当直とは夜勤とは異なり、朝から働いた後に、夜間の緊急対応も請け負う。2時間以上連続で寝られる事は少ない。もちろん、当直の次の日はまた日中の勤務に追われる訳だ。
その上通常業務は朝7時から夜は22時までにも及ぶ。つまり殆ど太陽を拝むことはない。
入局してから昼ごはんを食べた事など、初期研修医の接待以外では数回しかない。
当直でなくとも、異常。
これで給料が年収1億なら歯も食い縛れるだろうか。実際は無給医だった。つまり大学病院からの給料はゼロ。本当に零。(後に問題視され、県の最低賃金が出るようになる。人の命を預かるのに、最低賃金)
病院からは労働者としてみなされていないので健康保険にも入ってもらえない。国民保険に入り年金も自分で払うため、マイナス出費。
生活ができないので、休日や平日の夜間は外勤(いわゆるバイト)にいかなくてはならない。身体を休めたりリフレッシュに使うはずの時間が、生活費のための出稼ぎに消える。
医局の中はこういった働き方で人格を破壊された上司しか残っていない。(それともあの性格は元々なのだろうか)
少しのミスで出身地、性別、出身大学に関する罵詈雑言が飛び交う。
人のために生きたいと志高く医師になったのに、大学病院へ進めばこのような待遇が待ち受けている。
学生時代に一生懸命勉強してやっと医師になれたのにこんな所で辞めたら親に合わせる顔がないという葛藤、
同期達は同じ状況でもどんどん優秀になるのに、自分だけ取り残されていく葛藤、
患者さんや医学に一つも関係のない事象で追い込まれていく自分との葛藤、
「逃げればいい」と人は簡単に言うけれど、どっぷりと医局の中にいると視野は狭まり、まるで医局を辞めることが殺人に匹敵する大罪のように錯覚する。
忙しい日々の中、どこかへ相談しようにも一般的な相談窓口は仕事が終わると閉まっている。
どこへ逃げれば良いのか。
逃げようとした先輩同期達は、重罪者のように祭り上げられ2度と大学病院や外の関連病院に顔を出すことはない。
大学病院であれば、たくさんの症例を経験でき、早く一人前の医者になれると思ったのに。ただそれだけを想ってここまで来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
これを書いている私自身も、精神的な危機を感じている。だが、精神科に行く時間がない。
私の自殺がニュースになるのも明日かも知れない。いや、もしかして、私の大学病院なら揉み消しかねない。
医者は聖人でも鉄人でもない。ただの労働者だ。労働者としての権利が欲しい。
どうか、今回の報道をSNSの力で大きな問題にしていただきたい。
医者の労働環境が崩壊して、最終的に困るのは患者さんなのだから。
同じような労働環境が話題になって、私の現状を世に伝えるには今しかないと意を決して当直の合間に書いたのですが、ここまで心無いコメントが付くと思ってませんでした。
「私の努力が足りない」と言われているようで、根性論を掲げてなかなか現場が改善されない理由の一端を垣間見た気がして、もう人間にも人生にも絶望しました。
給料を上げたいんですよ。
当方33歳。そろそろ今の会社も10年ぐらい勤め上げてある程度のキャリアも積めたし、年収も600万まで頑張って上げたんだけど、足りないんですよね。
なぜかと言うと趣味が多岐に渡りすぎている上にどれも辞めるつもりが無いから。
600万って大体毎月の手取りは35万円無いぐらいなんだけど、大体毎月使い切ってしまう。趣味の割合は40%ぐらい、後は家賃とかの生活費。
日常生活で節約するネット代や食費とかはもう節約しきったので、あとは給料を上げるしかないんだよね。
今の会社で給料を上げてもらう交渉はしてるけど、めちゃくちゃ上手く行っても800万円ぐらいになるのは多分無理なんだよね。
となるともう転職しかないのか…?という検討に入っていて、今色んな会社を探し回ってる。
今の会社もすごい好きだしやってる仕事も楽しい、責任感もやりがいもあってお客様とも同僚とも仲良くやらせてもらってるんだけど、どうしても今の趣味を継続するためにはいくらでも給料がほしいんですよね。
転職するとしても多分うまいこと立ち回れるし、潤滑油の歯車なのでどの企業にも染まる自信はある。でも本当の理由は金なんだ。金をいくらでもほしい……。
私は新卒で入社した企業をたった2年で辞めてアカデミアの世界に戻ってしまった。
共感してもらえるとは思わないが、なんとなく聞いて欲しくて書いてみている。
分野は特定されたくないのでぼかす。
入社した理由は周りの多くが修士を出て大企業に就職してたから、お金もらって研究続けられるならそれでいいかと深く考えずに入社した。
元々研究が好きで就活時もR&D一本で就活していたので、結果的に見れば理想通りの進路だった。
最初の研修を経て研究職として地方の研究所に配属され、近くの寮(一人部屋)で一人暮らしを始めた。
しかし入社して半年程度で、自分の仕事に全く楽しみを見出せなくなってしまった。
まず研究について。
これは企業なので仕方がないのだが、入社時に希望していた研究テーマ(仮にAとする)と大きく異なる分野に関わることになった。
Aは就活当時に海外で研究が盛んになっている分野で、産業的に日本にも入ってくるかどうかというタイミングだった。
事実、私が入社したタイミングでその研究も立ち上がったのだが、残念ながら自分はメンバーではなかった。
正直、誰よりも興味があったし先行研究もそれなりに知っている自負があった。
勿論、新しい研究の立ち上げに加えて新卒の教育なんて大変なのはわかる。
ただ自分にとって真横でAの研究が行われるのを傍観し、全く異なる別のテーマに情熱を注ぐというのは正直かなり無理があった。
上司と話す機会もあったし私がその分野に強く興味があることは知っているはずだが、どうもその上司の育成方針からして私は何年経ってもその分野に関わることはないだろう事を悟った。
また入社時にはコロナが流行しており、半年たっても会ったことのない部署の先輩がいる程度に希薄な人間関係が出来上がった。
元々研究所はその特殊性からか人員移動がほとんど起きず、10年単位で同じ課にいる人がいる程度にはクローズドなコミュニティだった。
普段なら人付き合いは得意な方なのだが、その閉鎖性とマスク越しで想像し難い同僚の表情に勝手に畏怖してしまい、必要以上に気を遣う付き合い方を始めてしまった。
気づけば半年も経つ頃には人付き合いに対して過度に気を遣って自滅してしまい、人付き合いに楽しみを見出すことが出来なくなってしまった。
家と会社を往復して酒飲んで寝るだけの生活に終止してしまい、家族や友人にも会えずなんのために会社で働いているのか分からなくなってしまった。
また、自分の周りの方々を見ていると自分のキャリアがこの先どのように進んでいくか、人生が概ね見えてしまった気がした。
新卒で年収が400万、3-5年ごとに100-150万ずつ上がって、40代でもし課長になれば1000万超えるとか、そんな感じの年功序列が色濃く残る給与テーブル。
研究員は10年とか努めたら突然の辞令で研究員ではなくなり、別部署の主任になるのが大半みたいな。
大体三十歳前後に結婚して、近くに家をローンで買って、子供育てながらずっと勤め上げるみたいな。
恐らく多くの人から見たら幸せな人生なんだと思う。勘違いして欲しくないのは、私はそれを全く否定していない。
それでも自分には魅力的に映らなかった。
日本では取っても食えない足の裏の米粒とか言われているが、それでも私は研究に携わる上でいつかは博士号を取得したいと思っていた。
入社当時は社会人博士等も考えたのだが、会社としては肯定的ではなかった。
研究所にも関わらず職場では実務には必要ないという考えが主流で、事実博士号を持っている方々もそれに見合った待遇は全くなかった。
むしろ時間と金をかけているのにほぼ年功序列のため、同年代の同僚と加えて損しているような状況であった。
もちろん全ての会社がそうではないと思うが、私は博士号を良しとしない日本の風潮と会社に大変に失望した。
また別の理由として、人生で一度は海外で生活してみたいという強い思いがあった。
元々いつかは海外駐在をと思って会社を選んだが、入社してから研究員として駐在するというポジションはなく経理や営業がほとんどであることも知った。
それどころか会社で研究員を続けたら海外に行く機会はなくなり、10年も腰を据えればある日突然の辞令で研究員ですら無くなってしまうのだと理解した。
私はいつか研究から離れるにしても、少なくともその引き際については上司の裁量や社内政治の巻き添えではなく、自分の意思で決めたいと思った。
入社半年で上記のような数々のギャップを抱いた結果、海外で博士号を取るという決断に至った訳である。
どうやら博士号や欧米では十分に評価されるらしいとか、海外の大学院は授業料無料で生活費までくれると聞いたのが大きな理由だ。
よくも知らないのに受験して海外に来ているなんて、今思えばかなり無謀なことをしているように自分でも思う。
また研究の世界はどこまでいっても英語が公用語であるため、基礎的な学問を母国語で習得した上でなら英語で研究を遂行する能力も必要だろうと考えた。
幸い職場はホワイトだったので、勉強する時間は存分に確保できた。
主に米国の大学院に絞ったため、一年目の秋頃からそれに合わせて準備を始めた。
大学院留学には主にTOEFLかIELTSが使用されるため、私はIELTSを選択してオーバーオール7.0まで取得した。
GREとはGraduation Record Examの略で、米国の大学院を受験する際に要求されるスコアだ。
ただ近年では研究能力と関連がないという意見も多く、廃止される大学も増えてきている。
こちらも半年程度で目標としていた点数(Verbal 150, M170, AW4.0) に達した。
2年目の秋頃から書類を揃えて本格的に海外の大学院のPh.D.プログラム(日本でいう博士後期課程)に応募を始め、三校から合格をもらった。
自分のレベルに見合う中堅の州立大学をメインに受けたのでIvyのようなトップスクールではなかったが、それでも合格が来た時は本当に嬉しかった。
合格した中には修士時代に少し交流のあった先生からの誘いが含まれていて、これ幸いとそこを進学先に決定した。
反応は様々だった。
新卒で2年しか勤めてないのに辞めるのかとかなり叱責してくる上司もいて辟易したりもしたが、実際会社から見たらただの不良債権なので仕方ない。
そもそも会社辞めて海外に留学なんて叩き上げの管理職からしたら当てつけのように感じたかもしれないから、分かり合えないのは仕方ないと割り切った。
管理職ではない方々は割と優しくて、割と前向きに送り出していただくことが出来た。
大変に良い人が多かったので、コロナ禍でなければもっと良い交流を持つことも出来たのかなと少し残念に思った。
アメリカでの博士課程生活は大変に気に入っていて、現状は概ね満足している。
一度社会人を経験してみて履修する講義はどれも面白いし、大学生時代よりも自分に存分に投資できる時間を嬉しく思っている。
ただ給料が出るとはいえ大学院生なので、収入の面では下がってしまった。
現在の給与は年間で大体$25,000くらい、日本円だと350万円くらいかと思う。この額は多分アメリカの州立大学の大学院生の平均的な給与だと思う。
そもそも好きに勉強して研究するだけでお金が貰えるので、自分にとっては天国である。
自分としてはむしろ授業と研究だけで350万貰えるのに、フルタイムで苦労して働いて400万しか貰えなかった日本の大企業やばない?と若干思うところもある。
まあしかしアメリカの田舎なので物価は安めだが、日本の時と比べると生活費は上がってるので前より余裕はない。
大学院としては年間$30,000(約400万円)の学費免除を経済支援の一部としているので、それを踏まえると待遇は上がったかと納得している。
アメリカでは博士卒が民間に就職した場合、自分の分野では平均$80kから100kは貰えるそうなので、給与の面ではJTC時代を大きく上回る算段となっている。
周りをみても外国籍が特に問題なく就職しているので、日本の博士卒の就職難というような問題はこちらでは無縁のようだ。景気さえ悪くならなければ大丈夫だろうと思う。
幸いビザ問題はとある理由でクリアできる目処があるため、卒業と現地就職を目指して今後も研究に励むつもりだ。
海外生活も日々新鮮に感じることが多く、自分にとっても成長を感じる機会が多くて楽しく過ごせている。
生魚や焼き鳥が恋しいが、日本食材自体は売ってるので思ったより食事が辛いということもない。
元々人付き合いは好きだが、上下関係や気遣いは得意ではないので大分ストレスに感じていたように思う。
年功序列は自分には向いていない制度であったし、自分の意志を介在せずに自分の処遇が決まっていく組織というものにに耐えられない性分でもあった。
それでも日本の大企業に入社してみた経験自体は確かに生きていて、培ったマナーであったり規律等は学生上がりが多くカオスなアメリカの大学院生活でも大変に役立っている。
自分は別にアメリカを礼賛しているわけではないが、少なくとも私のような青二歳の外国人にも挑戦すれば機会が与えられて、能力があれば高い給与が貰える可能性があるのだとすれば、これは私にとってのアメリカンドリームに違いないだろうと思う。ドリームというほど上振れてもないけれども。
同じようなことで悩む若者がいたら、少しでも参考になれば嬉しい。
ようやく9月
今年もなんとか逃げきれそうだ
毎年今年こそはもうあかんと思いつつなんとかなってる
はじめにそう感じたのは7年前だな
都会で底辺スレスレで生きてきたけどまだチャンスはあるはずと思いながら生きてきたが
田舎の年寄りの面倒をみるためにUターンしなくちゃいけなくなった時
もうこれで一生チャンスとの接点はないなと絶望の中実家に帰った
実家に帰ってから色々あってなんとか自分一人の生活費は稼げるようになったけどその仕事もなんだかずっと怪しい
説明出来ない理由で最後の職を辞めてから、就職活動ができず、貯金を食いつぶして生活している。
ふと気づいたら、この生活なら年金が出るまで貯金で生活出来る計算になった。
立て続けに呼ばれたりするときつすぎる
3ヶ月先の予定なんてだいたい決まってないし断る理由も見つからないし断ったら申し訳ないしで局行くんだけど…
友達のことは好きだし結婚とはめでたいことだろうからお祝いしたい気持ちはとてもある
でも結婚式やドレスに全く興味がないから、行っても特になんの感情もわかずに帰る
おめでとうとは思うのだが、結婚や結婚式という儀式にとにかく関心がないんだと思う
ご飯は美味しい
そして、ご飯とかもろもろで実際ご祝儀3万でも足りないのはわかっている
わかってるんだけどさあ…
あと結婚する予定ないから返ってこないんだよなあと思う浅ましい自分もいる
別途お祝いはするから