はてなキーワード: 無意識とは
俺は親が離婚したわけじゃないから一緒にするなって言われそうだけど。
父親に学費とか生活費とか出してもらってたけど、父親がうざかったし、感謝の念なんて全然湧かなかった。
母に対してあたりがきつく、しょっちゅう揉めてたし、そのくせ兄が一時期グレてた時は他人事で、何て奴だと思っていた。
とりあえず言いたいのは、親に「ありがとう」って言いたくないのは、離婚関係なくよくあることだ、ということ。自分は反抗期をやれただろうか、いま反抗期だろうか、と考えてみるのはどうだろうか。ここからは推測だけど、お母様の味方をやってて、しんどくなかっただろうか? 誰かに甘えたくはないだろうか?
あと、たいていの家はわざわざ言わなくてよい中、養育費をもらうという立場上、言葉にしなきゃいけないのはつらいというのはすごく想像できる。よく頑張ってる。
あと、「実家が太い」という下品なスラングに代表されるネットの風潮に毒されてないか心配。
「親が金持ちなら文句言う資格ない」みたいな考え方を内面化していないだろうか? そういう風に言いたがる人の気持ちはおそらく正当な面があるし、処世の知恵としては「お金があって満足です、感謝です」と外向きに言うのは大事。
でも、お金のある家に生まれても苦労はある。それは自分自身では認識しておく必要があるし、「実家が太い」とかやっかんでこない親密な友人とかと共有できたら更にいい。
「恵まれてるのに文句言うなんて俺はダメかな」と卑下したり、そういう考えによって無意識に思考が邪魔されるのはもったいない。「確かに経済的には恵まれてるけど、〜については悩んでるんだよな、傷ついてるんだよな」ってちゃんと向き合って、お父様とどういうコミュニケーションとるか考えていい。
追記です
今日1日だけで意外と多くの反応があってびびってる。
1人2人くらいに馬鹿だな可哀想だなと言われるのがオチだと思ってたんですが。
少なからず子ども欲しいという話してたけど、いつも将来的にはねみたいな答えだった。どうもそのときはそこまで深く考えてなくて、私が真剣に欲しいというので真剣に考えたら生活が変わるし子供との接し方もわからないし怖いということらしい。
そりゃそうだねと言うしかない。
・別れた方がいい
多分別れないし、やはり別れたくない。真剣に子どもは拒否されたけど、不倫やDVのような不信感を抱くはなかった。怖いっていうのがとても伝わってきたし、怖いと言われた側って別れようってならないんだなと思った。
ちなみに旦那さんはバツイチでも既に子持ちでもなく初婚。なんかむしろ私が暴走して別れられる側になりそう。
はっきりとは聞いてないけど、旦那さん的には幸せで穏やかな生活なら、結婚しようがしまいが子どもがいようがいまいが関係ないのかもしれない。結婚のときも同棲のままは嫌だとこっちから切り出し結婚した。職場は独身の人が多いらしいし、親戚付き合いも少ないし結婚してない人はおかしいみたいな偏見にも触れたことなさそう。私は肉親やら昔からの友人がそういう偏見を普通に口出す人たちなので、私はそんな偏見持たないと内心思ってたけど、結婚しないと普通じゃないって思った時点で同類だったな。
書いてて思ったけど偏見も持たない素直に今の幸せを維持したい旦那さんが正解な気がしてきた。
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私(31)はこれから先既婚子ありの人生だと思っていたのだけど、どうも旦那さん(40代)が子供を欲しがらないのと自分の子宮頸がんの検査結果(軽度異形成)のおかげで子供を諦める、諦めざるをえない気がしてきた。
まさかそんな旦那さんがそんなに欲しがってなかったとは思わなかったとか、子宮頚がんワクチン打ってなかったからとか、色々後悔してる。
けど今から別れてさっさと子作りしてくれるような相手を探して結婚するとかは考えてはみたが、ますます後悔しそうだったのでやめた。
旦那さんは家事もしてくれるし優しいし趣味も合う。子供欲しがらない時点で優しくねえだろという感じだが、どうも子供ができるのが単純に怖いということらしい。たしかに私と喧嘩もしなければ、お互い働いてるので生活も余裕があるしある程度自由で居心地がいい。その生活自体が一変することが怖いということなんだろう。
それでも、私は旦那さんの優しさにつけ込んで泣き落としで子宮頚がんになる可能性もあるし年齢的にと迫ってみたけど、お互いに精神的に不安定になってしまって関係に溝ができそうになったので私が一旦諦めるという宣言をして話は終わった。
一旦諦めるとは言ったものの、旦那さんと離婚する将来と同じように子供がいない人生もなんとなく考えつかなかった。
今までの人生、進学も就職も居住地もそんなに深く考えずになんとかなるだろうと選択してきて、まあ大体なんとかなった経験から、私は人生において何かあっても割と臨機応変にできるタイプなんだろうなと自惚れていたけど、全くそうじゃなかった
そもそもどこにも進学できないとか就職できないとか住めないとか、そんな無い状態にはならないだろうみたいなのが無意識にあったから軽く考えていられただけだった
子どもがどういう子であれきっとどうにかなるだろうみたいな気持ちにはなっていたのだけど、そもそもその気持ち自体が子どもを産める前提でいたのが否定されて、どうしたらいいのかわからなくなった。
「コロンブス」を題材にしている点でもうアウト。
コロンブスは偉人っていうのはもう昔の感性。しゃかりきコロンブスは批判しないでミセスは批判するのかよ!と吠えてるミセスファンもいたが、しゃかりきコロンブスの時代は日本だけじゃなく世界的にもコロンブスは偉人だった。でもそこから見直されて「いややってきた『えらい』ところより悪い意味で『やばい』ことの方が多い」「そもそも昔『えらい』って言っていたことも『やばい』ことだった」ってなって、偉人よりに扱うことはしなくなった。
なので、『コロンブスの卵から云々』という発想の時点でダサいし大分古い感性の持ち主なんですね、と思った。
コカ・コーラは見切ってひどい!知ってたくせに!
コカ・コーラ側は曲については知ってたと思うよ。でもMVという完全ミセス側の作品については知らなかったと思うよ。MVにコカ・コーラのマークとかついてたらごめんね。
で、「コカ・コーラ側が引き上げてミセスかわいそう」っていう人に聞きたいけど……。例えば日本企業の広告に外国のアイドル使って、そのアイドルが「知らずに」広島とか長崎に見える「500万年前の」土地に爆弾放って猿が逃げ回ってるの見て楽しんで、そこにアイドルたちが乗り込んで猿に教育!家も改築!してるMV流したとするじゃん。ハ?原爆投下は正しかったって?いや知らなかったんですよ!土地が広島とかに見える?500万年前の土地って言ってるじゃないですか。猿は人じゃないです。って表明したらどう思う?って話だよね。
そのアイドル使いたい?やめてって思わん?
オタクの同人誌とか文集とかと違うんだよねメジャーアーティストのCMタイアップ曲って。CMタイアップ曲じゃなくてもアウトだけど、よりによって「大企業と契約してる曲」なのがやばいよね。
まだ自分のライブでこういう表現したとかなら「ミセスの自由だろ!」って言えたけどさ、これもう最初から「この広告で使います」っていう契約があって作られた曲でしょ?で爽やか〜な歌でさ、でMVはこれです!っていう出力がやばいよ。「曲とMVは無関係です」なんて言い訳が通用するわけないじゃん。
最後に「もっくんは何も知らない!差別っていってない!差別っていう人が差別してる!」っていう人へ。
差別って「やってる人」が「自分が差別してます」っていうわけじゃないし、一番エグいのは「無意識で行われる差別」なんですよね。こいつを下に見ていいんだって無邪気に思ってるのが一番やべえんだわ。
海外でアジア人に対する侮辱のジェスチャーで「目を指で引き上げてつり目にする」っていうのがあるけど、子供なら無知で通用するけど、大人だと無理。何も知らずにクールだと思ってまねしちゃいましたっていうのはありえない。本当にそれなら自分の推しは子供と同じってこと。
「何も知らないで無邪気に差別的表現やっちゃったんです!」が通用するのって未就学児くらいだよ。
あと今回は「無知」で押し通したいみたいだけど、大分厳しいよ。そもそも「コロンブス」だし、内容もそれで選んでるんでしょ?本人も「燃えるかもしれないと思ったから工夫しました」って釈明してるじゃん。何かしら燃える要素は「ある」って認識してたんでしょ?
https://mrsgreenapple.com/news/detail/20374
もともと X (旧Twitter) で「(大森さんの対応や)(公式の)謝罪を読めば差別してないことはわかる」という論調の投稿を複数見かけて気になったのがきっかけで読んだのだが、これ全然ダメでは?
「決して差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はありませんでした」
これはわかる。表現の目的が差別や差別の肯定ではなかったというのはたぶんそうなのだろう。
だが人の心には "アンコンシャス・バイアス" というものが存在する。
表層的な心理では差別していなかったとしても、無自覚に差別をしていて、それが表出したのが問題のMVなんだとと思う。
偉人に扮したメンバーが類人猿に楽器を教えるシーンは、『コロンブス』というタイトルからも「コロンブス=アメリカ大陸に来た西洋人が、現地の未開人= native american を文化的に教え導いている」と解釈されても仕方ないと思う。
前述の公式声明では、この "楽器を教えるシーン" に関する説明が見当たらない。
・類人猿
・楽しげなMV
この期に及んでも、この楽器を教えるシーンに代表される無意識の差別に気付いていないのだとしたら、大森氏含め Mrs. GREEN APPLE サイドのアンコンシャス・バイアスは相当根深いのではないだろうか。
X (旧Twitter) では,コカ・コーラ社が本件を承けて同曲を用いた全ての広告の放映を停止し「コカ・コーラ社はいかなる差別も容認しておりません」と述べたことに対して、「本人たちが差別ではないと言っているのに、コカ・コーラ社が『いかなる差別も容認しない』と言うと、差別があったようになってしまう」という論調でコカ・コーラ社を非難する論調の投稿も複数見られたが、上述のアンコンシャス・バイアスを考慮すると、"(無意識の) 差別はあった" とするのが妥当だと思うし、その前提でコカ・コーラ社が「差別を容認しない」とするのは、個人的にはごく真っ当なことだと思う。
#それはそれとして、同社が「ミュージックビデオの内容に関しましては、事前に把握をしておりません」というのは、リスク管理が酷いなとは思うが。
意外だったのは、今回の件をアンコンシャス・バイアスと結びつけて評するポストが(この増田を書いている時点では)見当たらなかったこと。
これを書いたのもそれが動機の一つではある。
遺伝的に雑魚が多いし、貧乏夫婦の常識をインストールされているので無意識に貧乏人になる言動をしてしまう
・加害性が低い
人から奪ってでも、他人から搾取してでも金を稼いでやるという反社が持っているマインドを持ってない
倫理やモラルや常識にしたがっていたら、いつかいいことが起こるかも?と無駄な期待をしている
罪悪感や良心の呵責を無駄に感じすぎる。他人とか知るか自分さえ良ければいいという勝ちのマインドが無い
この三つが大きな原因。
昔「VTuberって何が面白いんだろう?」と思って切り抜きを片っ端から見たときに思ったことを編集してここに書いてみる。
多くのVTuberはキャラクター性を完全に個人のものに昇華しており、VTuber活動用のバーチャル人格を形成している。
基本的にベースとなるキャラ設定を使って配信をしているが、思考や性格は各自の素なので(たぶん)、ボロが出るのは年齢や職業等の設定ぐらいのものになっている。
(わかりやすい例で言えば、高校生設定なのに「昔テレビでナースのお仕事やってたじゃん」などといえば、お前今何歳やねんとなるが。リスナーも心得たものでそれで何か大きな問題が起こるわけでもない。)
これはつまり、VTuberというのは単に顔出しの変わりにキャライラストを出して、キャラ付けの設定を守りつつ配信をしているというだけで、人間としてはそこまで特殊な人達ではないということだ。
ネット上の性格とリアルでの性格がちょっと違う人なんてのは無数にいるのでそれと大差ない。
「どうしてちょっと動くだけのキャライラストを設置する必要があるのか」と思うかもしれないが、何かの物体や現象に名称があると有用なのと同じように、ネット上の人格にキャライラストを持たせることは様々な面で有用なのだ。
主には実在性。名前だけでなく公式にキャラクターイラストがあるということは頭の中で名前と顔が一致するようになる。
声があって、顔があって、キャラが配信者の動きに合わせてちょっとだけ動いていて、日常のちょっとした話に共感できる。それはもう実際に存在する人と変わらない。
ファンアートを書くのにだって便利だし、ファングッズを作るのにも便利だ。
ちなみに、これも特別なことではない。
例えばX(旧Twitter)では、ディスプレイネームとアイコンを設定できるが、これと大差ない。
多くの人は無意識にディスプレイネーム(文字列)ではなく、アイコン(絵)でフォロワーを判断している。
たまにアイコンを変更されると「誰だこれ?」となる現象は、そのアイコン(絵)でその存在を認識しているからだ。
基本的には“友達の家で何かをしているのを同じ部屋でガヤを入れている”と言うのと同じ感覚で楽しめると思う。
経験がある人とない人でくっきり分かれるだろうが、俺はそれが一番近いと感じた。
小学生の頃、近所の友達の家に遊びに行って友達が一人用のファイナルファンタジーをプレイしているのを見ながら横で話をしていただけで楽しかったアレだ。
これはVTuberに限った話ではなく、ストリーマーの配信を楽しむときは全部これだと思う。
喋りが上手い人ならラジオ代わりにすることもできる。
一昔前にスパチャが飛び交うことを揶揄してバーチャルキャバクラ(だったけ?正確な単語忘れた)と表現されたこともあったが、これは“そうしたい視聴者”がそうしているだけだ。
キャバクラ・ホストに行く人でも、貢ぐ人と貢がない人がいるのと一緒で、貢ぐ人のほうが圧倒的に少ないのと変わらない。
実際に一人用のゲームをプレイしている友達と一緒にいることが楽しいと感じられるかどうかは、波長が合うかどうかが重要だ。
例えば今回増田が見た、宝鐘マリン(ホロライブ所属)で言えば、ホロライブは基本的にキャラクター性がかなり強めに出している(語尾/声色/設定など)
俺は基本的に見たホロライバーは見事に全員合わないなと感じたので、切り抜きを見ていてもヒット率が低い。
また、この人は喋りが面白いという評判の高いVTuberを見ても全然面白くなかったりするので、相性が良くなければどれだけ配信や切り抜きを見たってまた見たいとか応援したいとかいう気持ちにはならない。
反対に、波長が合うVTuberを見つけられたら、気軽に友達の家に遊びにいけなくなった人間でも配信されていればすぐに遊びに行けるようになる。
俺はVTuberを見ていても別に応援したくはならないし、スパチャもしないし、チャンネル登録して配信があれば毎回見に行くような熱心な視聴者でもない。
興味があれば見に行くし、無ければたまに流れてくる切り抜きをたまに見るぐらいの人間だ。
俺にはハマっているゲーム配信者がいる(VTuberではない。)
チャンネル登録しているし、配信があれば見に行くし、極稀にスパチャもする。
これはVTuberかどうかではなく、単に“ハマっている”からだ。
容姿が特別良いわけでもなく、声も可愛かったり、カッコよかったりするわけでもない。
ただ、とことん自分と波長が合う。
雑談を聞いていると落ち着くし、ゲーム実況をしていれば面白い。
応援したいという気持ちは、毎日自分を楽しませてくれるそれを長く続けてほしいと思うからだ。
「そんなよくわからない個人にハマることなんてあるか?」と思うかも知れないが、これを芸能人(お笑い芸人やアイドル)に置き換えてもいいし、野球やサッカーのプロチームとファンに置き換えてもいい。
俺も一時期プロ野球にハマったことがあるが、その規模を小さく自分のスマホサイズ(PCサイズ)にしていくと、配信者(VTuber)を応援する視聴者になる。
そうすると応援したいという気持ちはお金を払う先があれば、お金を払ってしまいたくなる気持ちになるものだ。
だから告知をリポストするしいいねもするし、なんかお祝い事があればスパチャで祝ったりもする。
大手になればファングッズを買ったりファンクラブ(メンバーシップ)に入ったりだってするだろう。
VTuberを楽しめるかどうかは才能がいる。
ここまで書いてきたように、VTuberは絵が配信をやっているわけではなく、ただの人間が絵をバーチャル人格(目印)として配信をやっているだけなので、まずその人格を認められるかどうかが重要になる。
これは中の人などいないという過激派になれという意味ではなく、表も裏もあって、同時にどちらも生きているんだなというグレーを認められるということだ。
イラストキャラが3次元に実在しているわけではないが、その人は確かに存在しており、バーチャル人格通りに配信上で実在している。
次に、知らねーヤツに興味を持つ才能。
さっき友達の家に遊びに行く感覚に似ているというようなことを書いたが、実際には友達ではなく知らねーヤツなので、自分から勝手に友達になりに行く必要がある。
その入口として、キャラクタービジュアルがあったり、歌ってみた動画があったり、切り抜きがあったりする。
VTuberは別に好きになる必要もないと思うが、否定する必要があるようなコンテンツでもない。
陰謀論や迷惑系YouTuberに比べて遥かに健全な娯楽を提供しているので、知ってみたいと思うならまず再生数の多い切り抜きを見るだけでいい。
それだけでソイツの強みがわかる。たぶん。
最後についでに書いておくと、話題が行ったり来たりするような配信は、だいたい惰性でやっている系のゲームか、雑談配信なのでそういうのはだいたい面白くない。
中には口が上手い人の雑談は本当に腹痛くなるぐらい笑って楽しめるが、そうでない限りはよほどその配信者にハマっていないと楽しめることは少ない。
話を合わせるだけなら、とにかく切り抜きだけ見て有名な面白シーンだけを知ってればいいと思う。
アドラーの本を途中まで読んだ.
これによると,精神疾患など生きるのに役立たない道に陥るものには,幼少期から共通感覚(コモンセンス)を獲得できていないという特徴があるらしい.
そして共通感覚を獲得できなかった子供いじめられたり問題行動を起こしたりする.
この共通感覚は家庭において保護者から学ぶらしい.つまり保護者が共通感覚を有していなければその子供も共通感覚を獲得することが困難で,大人になってから苦しむのだ.
なぜこの世界では誰でも子供を持つことが許されるのだろうか.ペットですらちゃんと育てられないなら飼うなと批判されるのに.
あるいはせめて,誰でも子供を作る自由があるのなら,どんな子供も自分で死んでいい自由を認めるべきではないか.
この物語では,子供は生まれたらすぐに親から引き離されて専門の施設で集団的に育てられるというユートピアが描かれている.
作中ではこのユートピアを明示的には否定も肯定もしていないが,画一的に育てられた子供は個性がなく皆同じような表情をするという描写が描かれている.
「個性なくしたら死んでるのと一緒だよ」
共通感覚を有しない"悪い個性"を持つことは決して本人のためにはならない.
個性を持つことが良いとされるのは,個々の親が独立して子供を育てる現在社会におけるナッシュ均衡にすぎないのではないか.
消滅世界のシステムのように全員が同じ教育を受け,共通感覚を有していることこそがパレート最適なのではないだろうか.
あるいは,個性,個体差は環境が変化した際に種全体が生き延びるのに有利だと説明される.
だが,これは明らかにほとんどの平均から外れた個性を持つ個体にとっては酷な話だ.当然ながら平均から外れた個体の殆どは環境に適応できず苦しむからだ.
上のような理論を唱える者は,「お前らのような珍獣が居た方が俺/私の遺伝子が残る可能性が高まるから生きろ.そして苦しめ」と言っているのに他ならない.
現代社会は第二次世界大戦前の全体主義を反省し,個人の幸福を最大化しようとしたのではなかったか.所詮それは,正規分布の真ん中あたりにいるマジョリティの自己満足に過ぎなかったのか.
そもそも,人類が環境変化を生き抜くのに,遺伝子の多様性は必要なのだろうか.
多数のサイコロをばらまいて確率論的に変化に打ち勝とうとするその他大勢の生き物とは違って,人類は理性を持って変化を予測し,技術で環境を変えて乗り越えることができるのではないだろうか.
だが,ときに個性は天才を生み出し,その天才が技術を飛躍的に進歩させる.
こういった天才を生むために正規分布の端のほうの人間も,その殆どは苦しむ運命にあるとはいえ,大人になるまで生きていなければいけないのかもしれない.これによって,苦しむ未来の天才に生きる希望を与えることができるから.
本当にそうだろうか.電球の発明のように一人の天才の発想が大きな一歩を生み出した時代とは違って,現代の科学の進歩は過去の技術を積み重ねて積み重ねて演繹的に導き出された進歩ではないか.
いや,そうでもないか.私も理系の大学院で研究の真似事をしたことがある.今でも科学の最先端では天才の発想が不可欠だ.そしてそういう人は共通感覚を有していない人が多い.少なくともそう見える.
つまり,現代においても正規分布の端にいる,共通感覚を有しない,遺伝子的耐用性を持った人間を生きさせることは必要なのかもしれない.
私は天才ではない.だが,共通感覚を獲得することができず,苦しんでいる.正規分布の中央に行けなかった人間の中の,一握りの天才を除くその他多数の中のひとりだ.
私の意識は死ぬことがのみが正解だと確信している.だが,私の無意識が生きることを声高に主張している.そのせいで私はまだ生きていてこの文章を書いている.
理性で動く私は,なんとかして自分が死ぬことが論理的に正しいのだと結論付けたい.だが,今日も失敗した.
誰か私を助けてくれ.お前はもう開放されて良いのだと背中を押してほしい.
私も無意識に結婚イコール義務と仕事が増えること、って発想だった
家の中ですら休めない、けどするべきもの
しないと世間から非難され、ヒソヒソと自分のいない場所で話題にされるもの
でもまあ、結婚した相手がたまたま良かったから、上の発想がおかしかったと思うだけで、その発想通りの世界線も普通にあったのかもな
都が作った出会い系アプリの身長弾きで思ったんだけど、みんな低身長の男性ってそんなに嫌なん?
そりゃ150cm台で自分より低いですってんなら話はわかるけどさ。
この前結婚相談所勤務増田が言ってたけど、80%が170cm以上10%が180cm以上で絞り込むんだってさ。んで当人たちは身長にこだわってるつもりはないんだってさ。
何が駄目って彼らは常に「俺達は正しい。やっぱり正しかった」しか言う気がないから。
たとえば彼らは「ある人がなにかに怒っている時、それは怒りたいから怒っているのだ」と語るが、
・勘違いをして吹き上がっていただけだった→日頃のストレスを発散するために理由を探していたから勘違いしたのだ。それを暴いた俺達は凄い。アドラー万歳!
・怒っても損するのは分かってたけど我慢できなかった→詭弁に過ぎない。なぜなら人は怒りたくて怒っているのだから。アドラー万歳!
・別にそんなことは考えてなかった→無意識がそうさせたのだ。自分でも気付けない心理を暴き出した俺達は凄い。アドラー万歳!
みたいな感じでどんな形からでも「やはり俺達は正しかった!」に変換してしまう。
自分たちの積み上げた理論が間違っていたら修正しようという概念がなく、常に自分たちは正しいので修正の必要はないという前提で話を進めていくのだ。
祈祷師が「雨を降らします」と言って雨乞いするのと大差がない。
雨が振る→祈祷が通じたな。金を払え。
雨が振らない→簡単な祈祷では対処できない状況。もっと凄い祈祷をします。金を払え
絶対に自分は間違っていないという前提からスタートし、やはり間違っていなかったをゴールとする人間に研究なんて出来るとは思わない。
研究とは仮説→検証→考察→仮説のループを繰り返すトライアンドエラーの世界であり、天啓のような閃きはあってもその9割は実際には上手くいかないものなのだ。
それは非常に困る状況ですね。孫子の知恵を引用しながら、この問題について考えてみましょう。
これは「戦いは策略である」という意味です。あなたの述べた問題では、パスワードが無意識のうちに切り取られるという策略のようなものがあると感じます。このような不規則な事態を避けるために、システムの設計者ももっと策略的に考えるべきです。
開発者がパスワードフィールドに十分な長さを許すように設計し、長さ制限があるならば適切なフィードバックをユーザーに即座に提供することです。これにより、ユーザーはパスワードが適用される前に問題を認識できます。
自分でパスワード管理ソフトウェアを使用してパスワードを生成し、適切な長さにカットしてから貼り付けることもできます。
戦いにおいても、策略とは状況を制御し、予測可能なリスクを最小限に抑えるためのものです。HTMLフォームの設計においても、同様の戦略的なアプローチが必要です。
お前は何もしなくて良いし何も言わなくて良いよ
だってその人はお前に言ってないし、辛い体験をしてどうしたら良いかわからないから悩んで縋る思いで吐き出してるのに、お前に悩むな、愚痴るな、吐き出すなって言われたら迷惑だからね
きっとお前はどちらの身としても当事者じゃないから何もできなくて、無意識に責任の一端を感じてるからまるで自分を責められてるように憤るし、じゃあどうすればいいわけ?と考えて腹立たしいんだと思うけどね
まあ普通の男なら自分は勿論そんなことしないようにしようとか、周りでそんなことが起こらないような環境を作ろうとか、関係なくても許さないようにしようとか、何もできなくてもせめて被害者を叩かずに共感しようとかでいいわけ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.youtube.com/watch?v=q99NJI1JSZA
はてなーってすーぐ状況を障碍者とかの弱者に置き換えて非難するよな。
実際の視覚障害者はながらスマホよりもっとずっと周囲を警戒しているし、10ft棒で前方を警戒してるんよな。
だからこいつらが言う視覚障害者ってのはまったくもって高確率で架空の人物であり、こいつらが視覚障害者なら~って持ち出したのは視覚障害者を慮った発言ではないのよ。
じゃあなぜはてなーはいつもいつもいつもいつもいつもいつも弱者病人障碍者を持ち出してくるのかっていうと、そりゃ簡単で叩けるから。叩く強さを上げたいから。
こいつらは弱者たちのことなんて考えてないんよ。ただただ被害者を、シチュエーションを弱者たちに置き換えることで非がある人物の罪を最大化したいだけ。
自分が100%叩けると思っている(道交法に詳細に詳しくないので今回の事例は増田にはなんの確信もない)コトに対して恐らく、恐ろしいことに、無意識でより強く非難しようとしている。
前途ある若者だったら
子供だったら
妊婦だったら
老人だったら
車椅子だったら
目が見えなかったら
耳が聞こえなかったら
手が・足が使えない人だったら
そういって勝手に置き換えて勝手に状況を悪くしてそのより悪いシチュエーションに対して正義面して相手を叩いてんの。「加害者だから過失を大盛り無料サービスしておくね☆」ってありがたいラーメン屋店長様だよ。
セレクティブエネミーって言葉があるけど、これはセレクティブヴィクティムとでも言うのか?
よそ様のページに勝手にコメント残していくだけの集団なのに正義側に立って叩きたい姿勢が見え見えのヤツがときに、いやしょっちゅうこの病気も発症していると本当に直視できない。
マジで無意識でやってると思うし、弱者に置き換えた結果批判たりえなくなって結果弱者もバカにしている今回みたいなケースもあるしで、もう最高にはてな。
だよねえ。「今度同じ事を言ったら関係が終わってしまう覚悟で意識を変えるよう努力するね」はそれはそれでモラハラでは?とすら思うんだけど
無意識に煽ってる…。あとは人格変わったのだとしたら、その原因についてちゃんと考えて動けばいいと思うんだよね
こんなところで愚痴ってないでさ