はてなキーワード: 求めないとは
父親は大学院を卒業して働いている私が当たり前にキャリアを築いていくと思っている。
踏み込んだ話はしないけど、もしかしたら二人は私が当たり前にその二つ、結婚もキャリアも、どちらも手に入れるんだと思っている。
笑って平気なふりしながら苦しんで苦しんでやっと生き抜いてきた今なのに、これ以上求めないでよ。
1番の苦しい原因はあなた達なのに。
普通じゃない私が普通の道を歩くのはとてもとても難しいことなんだよ。分かってよ。
もうやだ。生きるのいや。
で、思うんだけど、他人の人生の選択に他人が「意味」を見出してジャッジすることからして変じゃない?と思うんだよ。子なし結婚が希望です、別居婚が希望です、ってさ、例えば90歳だけどタイ語勉強したいですとかと変わんないと思うんだよ。もう90で、老い先短くて使う機会もないだろうにタイ語とかマイナー言語学ぶ意味ある〜?ってさ、まあ意地悪なやつは言うのかもしれないけど、言わないじゃん。お前の人生だしまあ好きにやれよ。って思うじゃん?意味なんて求めないじゃん。なんで結婚になると、急に効率厨みたいな人が出てくるのか。「それなら別に同性でもよくない?同性婚すれば?」なんて、明後日のことを言い出すやつまで出てくるから地獄だよ
プライベートは極力ネットに触れないようにしようと思い、とはいえ連絡手段は必要なので、windows mobileが最適だった。
(ほんとうはapple watchがよかったけれどセルラーモデルはMVNOには端末していなかったので断念)
理由をもう少し。
iPhoneは充実しすぎている。
意志の弱い人に対しては、それだけで一日、もとい一生を、情報の洪水と掴みどころのない娯楽で終わらることができる端末だと思う。
自分の人生がスマホに搾取されて終了してしまう気がしたので今回の移行に踏み切った。
増田に書いたのは同じように感じている人の参考になればと思って。
というわけで、端末はこれ。
■「Windows 10 Mobileの新ハードは注力外」。Microsoft幹部が発言
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1085143.html
という記事がタイムリーで、出たけどサポートだけ続けてくれるのであればそれ以上は求めない。
さわりはじめた所感。
動きがもっさりしててはじめて触れたiPhone3GSを思い出す。
でも端末代は7千円程度なのでそれを考えたらかなりよく出来ていると思う。
嫁とケンカしてて、
確かに当てはまる事が多いけど、
その人たちのゴールって「自己愛」なんでしょ?
でもどうすりゃいいのかと「191自己愛性人格障害の自己治療と自覚を促す資料(http://mora110.blog.fc2.com/blog-entry-191.html)を読んだけど、
これって幸せになれるのかな…?
ーーーーー
・意地悪しない →当たり前。しない。
・悪口、陰口、告げ口言わない →これもしない。してないつもり。
・自惚れない →それほど自信ない。
・見下さない、駄目出ししない、こき下ろさない →これはダメ出し(問題点の抽出)も禁止なの?ある程度必要でしょ?問題解決のために。悪意は抜きで。
・他人の不幸を喜ばない →前に進まないのでやらないし。
・頑張り過ぎない →これはやり過ぎてるのかもと思ってハードル下げてる。
・物事を勝ち負けや優劣に絡めない →全部じゃないけど絡むのはどうするの?
・他人の欠点を探さない →探した訳じゃなく、ここが原因で揉めてる時はどうするの?
・相手や状況によって態度を変えすぎない →それは卑怯だしズルいのでやらない。やってないつもり。
・人のせい、世の中のせいにしない →それをすると解決しない。
自己愛行動心得
・他人の成功や長所で一緒に喜べるようにする →はい。そのつもり。
・「仕方がない」、「ま、いっか」、「人それぞれか」を前向きに口癖にする →それでは済まない時にどうするの?解決しないよ?
・自分の欠点を認めて笑えるようになる(逆に他人の欠点は笑わない) →コンプレックス自覚して笑ってるつもり。他人の笑うのは人間じゃないでしょ。
・『本心から』他人を褒めれるようになる →そうじゃなきゃ言わないよ。逆に嘘でも誉めるなら分かる。
・目に見える利益のない人間とも付き合ってみる(自己愛にとってそれ自体が利益です) →何が利益なのかが明示されてない。(まぁ損得勘定で付き合ってないのですが)
・人に何かしてもらったら感謝する、その感謝の気持ちをいつまでも持つ →普通に感謝もするけど、いつまでもって、どんだけ気を張って意識し続けなきゃいけないんだよ?!と。
・平凡であれ。平凡なことは大きな喜びとなりうる。 →上を目指すなってことじゃなくて、劣等感に支配されるなと受け取ろう。
・人と同じように、人間的に生きることは可能だ。しかも独自性を残したままで。 →アイデンティティーてヤツね。
・チームプレイをすると報われる。 →したいけど、できないチームもある。がんばる。
・いつももっとよくならねばではなく、人と同じでよい。そこに喜びがある。 →他人と同じって大量に変なの作る気か?と思わず、そこそこで幸せって思うことにする。わかった。
・一時の賞賛より、他人から長く尊敬されることをめざそう。 →直前↑のと逆のこと言ってないか?
・自分だけでなく他の人も大切な要望や意見を持っている。 →当たり前。そこを思って揉めてる。
・誰もが何か秀でたものを持っている。 →で、何がしたい(療法てなに?)
・自分の気分に責任を持つようにしよう。人の評価によって気分を左右
されるなら評価に頼っていることになり、抑制不能になってしまう。
→上の「他人から長く尊敬される…」てのは目指せ!で、こっちは強い心で他人の評価を気にするな!ってことなのかな?
ーーーーー
うー。まぁ、なんとかなるのかな。
これ読んでて相手が「物言わぬ」方のタイプなのかな?と思った。
沼が深い。
実はホントに苦しいし、なんとかしたいのだけれど。助けて。
40歳を過ぎた。
結婚はしているものの共働き非正規雇用(配偶者は正規雇用)で、子供はいない。
同世代は部下や子供を持って、責任ある立場に立って頑張っているのを感じるけれど、ふとした時に自分には何もないなーと思う。
責任無いだけに逆に責任がある感じに(このへんわかる人だけピンときてくれたら充分)押し潰されそう~ってなって、たまに投げ出して逃げたくなる。
そういう定期的落ち込みにうんざりしつつ、かといって正社員になるための努力も怠ってだらだら生きている。
大人として恥ずかしいと思いつつ、早死にしたいなーとか日々思っていて、中2かギャルかよ。しかし今更社会的な立場も積み上げられそうにないし、
子供でもいたら何か変わるんだろうか、とここ数年悩んできた。
人生への枷として「この子のために死ねない」「孫の顔が見たい」という感覚があればもうちょっと真っ当に生きられるんじゃないかと。
しかし、正直昔から子供にあまり興味がない。可愛い顔の子はかわいいと思うし、うるさい子はうるさい。血縁があってもなくても同様に見てしまう。
人1人育つのにかかるコスト、醜い容姿だった時にブサイクだと思わない自信がない、病気や事故の可能性、非行に走ったりサイコパス気質だったら…など、
自分の中では子供及び育児というプロジェクトは、リターンよりリスクばかり目につく。
なので、若い頃からやんわりと子供は欲しくないなと思ってきた。結婚するときも配偶者にそれは伝えて理解してもらっている。
というか配偶者も自分もオタクなので、理解というより趣味にある程度時間とお金を使える生活を維持するには仕方ないよねー、という感じなんだと思う。
お互い比較的富裕な方の家庭に生まれ育って、浪人の上大学まで出してもらっているのでもし子供を持つなら同じようにするべきという思い込みもある。
と、まとめられるくらいには「子供を持たない」ことで後悔しないように整理しつつも「自分の子は違う」「生まれてみれば変わる」という主張に対しては反論材料がなく、
(あるとしたら「生まれたけど可愛くないよ」しかないと思うので)いつか後悔する日が来るんだろうか、という漠然とした不安だけがあった。
しかし、拠り所の無さについて散々考えた結果、「“無駄遣い”することを人生の目的にすればいいのでは?」と思いついて、
悪くない考えではと思ったのでここに書いてみている
子供が欲しくても縁のない方もいるわけだし、生まれた人間が全員育つわけでもない。
虐待件数も(明るみになる分としては)年々増加していると聞くし、配偶者に何かあったら正直育てられる気がしない。
自分自身が親に「親の面倒なんて見なくていい」と育てられたので、多分子供にも求めない気がするし、
老後への投資としては、子育てってコスパ悪そうなので積立でもしたほうが良さそう。
とりあえず自分が生きている間なんとかなればいい、と思いきれると、政治とか環境問題もそんなに気にならないというメリット(?)もある。
それなら自分なりに働いて好きなものを買ったり外食したりして経済回していくことで社会と関わって生きるんでもいいんじゃないか?
好きな作品にお金を使って、コンテンツを支えてるんだーって自己満足を感じつつ、
安めの老人ホームなり老人シェアハウスに入れるくらい貯金も心がけ、だらだら生きることに罪悪感を感じないようにしようと思う。
こういう人が増えると少子化待ったなしだし、多くの共感は得られない意見だと思うけど、もしかしたら同じような誰かが楽になってくれたら嬉しい。
高校三年生の甥っ子が「進路めんどい」とうだうだしていた。「大学受験はかったるい」「専門学校でいっか」「とにかくどこでもいいから行け行け担任も親もうるさくて」。
なんでも聞いてくれるというお墨付きをいただいた私は傾聴に努めるけれど、心はふんわりと自分の中へと潜り込む。
自分の高校時代を思い返してみると確かに、あの頃は何をしたいかなんてさっぱりわからなかった。
姉(甥っ子の母)が優秀だったので何一つ問題なく高学歴ルートに入るのをなんとなく劣等感にまみれた目で見ていた。
周囲の目を気にしながらも、あの時なりにつくった理由(将来の夢?)を足かせに大学受験をしたことを覚えている。
妹は私よりずいぶんとハッキリとした夢を描いて一年後専門学校へ進学した。
弟は目的がなかったことと経済的余裕がないことを理由に高校卒業後働いた。
だから、大学と専門学校という最終学歴を持つこと、そして最終学歴を高校とすることのそれぞれの結果を家族内で見たことになる。
単にあるひとつのケースとして、だけれど。
大学は公立だったため学費は私立と比較すればかからなかったほうで、留年もせず卒業した私はその後一般企業に勤め、あまりのブラックさにうつ病を発症して退職、現在は専業主婦。病も軽度の時に救われたため、現在は幸せと言える。
妹は専門学校進学のために奨学金を借り、卒業後狭き門だった夢はそうそうに諦めてフリーターを続けるも奨学金返済が間に合わず実家に戻り、現在は実家の自営業を手伝う。彼女は彼女なりの幸せを模索しているみたい。
弟は飲食業のバイトを続けたのちに同社の社員に昇格、その後独立して自分の店を建てるもうまくいかずに店を閉め、その後はその経験をブログ執筆にあてて副業で稼ぎながら農家で修業中。彼も幸せ。
大学時代に学んだ授業は、驚くほど覚えていない。ただ、時間も惜しまず研究したこと、そこで出会った刺激的な仲間については今も良い糧となっている。全く別の業種についたが、あそこで出来上がったアイデンティティは大きい。
妹は専門学校時代を忌み嫌っている。理由は授業が入学前に説明されたものと違ったということと、専門学校自体の宣伝に自分の夢を搾取されたと感じたからだという。夢を叶えられなかったのは自分の才能がないからだ、と理解している。
弟はそんな私たちを横目で見て、一度お酒を飲み交わした際に「学費を払って何を学んでいるの?俺はお金稼ぎながらあほのように人生経験してるよ」と言ったことがあった。あの言葉は、忘れられない。
払った学費はなんだかんだで妹が一番大きいだろうか。
私は大学そのものに払ったお金よりもその他の交友関係に使った費用が大きかった。
夏休みの終わり、たくさんの高校三年生が、あるいはもっと若い学生たちが、進路に悩んでいるのだろう。
どの学校?偏差値は?親が言うからしょうがない、勉強めんどうくさい、これやりたい、あれやりたい。
ついこの前VALUの騒ぎを見て、あと今更ながら逃げ恥を見ていてぽつんと思ったことだが、やっぱりなんでも見返りがほしい。
なんでもだ。
というか、見返りを求めないで誰かの言いなりになって決めると不幸しか訪れない。
進学を選ばなければ自由な時間と労働から得る充実感、そして対価だろうか。
なんだか言葉で書けば書くほど薄っぺらくて、そんなもののために(というかそんなふわっとしたもののために)進路なんて決まるか、と思えてくる。
早く決めろ、どこでもいいから行け、という大人の意見は、まあ正しい部分もあるにはあるけれど鵜呑みにする必要はないと思う。
だからやってほしいことがある。ここからが高校三年生の甥っ子にも話したことだけれど。
まず、進学するなら学費を見てほしい。大学でも専門学校でも。それから、在学する年数も。
その上で、その学費と時間を投資して「何を買いたいのか」をハッキリ答えられるか確認してほしい。
その形は「夢(状態)」でもいいし、「将来の収入(物)」でもいいし、なんなら「たった一人の親友」とかでもいい。
つり合いのとれる見返りを自分で描いてほしい。
それがどうしてもできないんだったら、ちょっと高値張って無駄な買い物をすることになると思う。
それは、あとでわめいても、誰にも文句を言えないお買い物。
ちなみに財布が親だろうが、奨学金だろうが、自分ではない場合も確かめてほしい。
ということをつらつらと話した。
甥っ子は途中からうつむいて、「めんどーだよもー、ゆーちゅーばーになるー」と大声ではやしたてて言っている顔の表情は隠して見せなかった。
次にその下の人達の給料が増えるのかなと思ってたけどそうじゃないんだよね。
より早く、より安く、より満足してもらえるように。
利益はそっちへ使われる。
いつまでたっても生活は楽にならないんだな。
偉くなれば給料増えるって言われるかもしれないけど
下の人間のほうが人数たくさんいる。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
だが、学ぶべき教訓は「直せる内に直しておけ」である。
もちろん“直せる内”というのは、壊れている対象以外も包括しての話だ。
本当の意味での「動かない」とは、使う人間や求める人間がいなくなるときだと肝に銘じたまえ。
いい質問だ。
こう考えてみるといい。
その中にある“物語”を消費したいのさ。
だが、情報として消費するべきものすら物語を求めてしまい、結果として事実関係すら捻じ曲がってしまうことがあるのが厄介だ。
例えば秋葉原のヨドバシカメラで、Wii発売日にルイージが乱入したという有名なデマがあるよな。
実の所これは事件でも何でもなかったのだが、その当時のネットの書き込みで、とある人間がそこに物語を付与した。
それでも、彼らはその物語を持て囃した。
嘘だったとしても、大半の人間は痛手を負わないのなら尚更だろう。
そして、こういった精神が時に判断を鈍らせてしまうという好例だな。
今回、学ぶべき教訓は「リテラシーとは物語を求めないことである」といったところかな。
言うまでもないことだとは思うが、私の回答にリテラシーは必要ないぞ。
……我ながらしゃらくさいな。
私はジェンダーと人種の多様性を強く信奉している。またそのためにもっと努力すべきとも思う。しかしながら、ジェンダーと人種の平等な登用を達成しようと、グーグルはいくつかの差別的慣行を作り出した:
これらの慣行は私たちのバイアスが作り出した誤った仮定に基づくものであり、実際に人種とジェンダーの緊張関係を増加させる。私たちは上級管理職に私たちのやっていることは道徳的にも経済的にも正しいことだと説明されてきたが、証拠なしにはグーグルにとって取り返しのつかないほど害となりうる左派イデオロギー[7]を覆い隠すものでしかない。
私たちは皆バイアスを持ち、私たちの内的価値に反する考えを却下するために動機付けられた推論を利用する。右派が”神>人間>自然”という階層に反する科学を否定するように(例えば、進化と気候変動)、左派は人々の生物学的差異に関する科学を否定する傾向がある(例えば、IQ[8]と性差)。感謝すべきことに、気候学者と進化生物学者は普通右派ではない。不幸なことに、圧倒的多数の人文学者と社会科学者は左派寄りである(およそ95%)。このことは莫大な確証バイアスを作り出し、研究されてきたことを捻じ曲げ、社会構築主義やジェンダー賃金格差のような神話を維持する[9]。グーグルの左派的傾向は私たちをこのバイアスに対して盲目にし、その結果に対して無批判にさせ、また高度に政治的なプログラムを正当化する。
女性を弱者とみなす左派との親和性に加えて、一般に人間は女性を保護すべき対象とみるバイアスがある。前述したように、これはおそらく、男性が生物学的には使い捨てであり、女性が男性に比べ一般に協調性があり、同調性があることから進化したものだ。私たちには広範な政府とグーグルのプログラム、研究領域、女性を保護する法的、社会的規範があるが、男性が男性に影響するジェンダー問題について文句を言うと、ミソジニストで泣き言を言う人間とのレッテルを貼られる[10]。ほとんど全ての男女の違いは、女性の抑圧の一形態として解釈される。人生における多くのことと同じように、ジェンダーの違いはしばしば”隣の芝生は青い”の一ケースだ。不幸なことに、納税者とグーグルのお金は芝生の片方だけに水をやることに費やされている。
この弱者とみなされる者に対する同じ同情が政治的正しさ[11]を作り出す。それは議論を制約し、それらの原因を増やすために暴力と恥を利用する極端に敏感なPC権威主義者の自己満足である。グーグルが大学でみられるような暴力的な左派の抗議行動を抱えているわけではないにしても、TGIFミーティングと私たちの文化における頻繁な恥辱は同様の沈黙、つまり心理的に安全でない環境を作り出した。
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さらに分割。
幸せな生き方をするために、「見返りを求めるな」などとよく言われる。
しかし見返りを期待しない行為などそもそも存在し得ないのではないだろうか。
たとえば、見返りを期待することせずしてビジネスは成り立つまい。
投下資本以上の収益(=見返り)が期待されないのでは、ビジネスは存続できない。
その結果、場合によっては多くの人が路頭に迷い、不幸になる。
それでもなお「幸せに生きるために見返りを求めるな」と言えるのか?
ビジネス以外の場面でも同様だ。
せっかく意を決して譲ったのに何らかの理由で拒否されたら、いかなる人であっても残念な気持ちになるだろう。
譲るほうは「座って少しでも楽になってもらえれば」「喜んでほしい」などの「見返り」を期待しているからこそ、その思惑やアテが外れて残念な気持ちになるのだ。
見返りを求めないなら、そもそも席を譲ろうなどと考えもしないだろう。
それでもなお「幸せに生きるために見返りを求めるな」と言えるのか?
ちょっとうろ覚えで悪いけど、ほら、議員が妊娠して「職務放棄か」なんて発言があったとかなかったとかでニュースになったじゃないですか。
コメント欄をいろいろ見ると、議員を擁護するというか「祝福すべき」という論調が多いように感じたんです。
正直ちょっと驚いたというか、僕の意見とけっこう違っていて、僕はけっこう「任期中に妊娠とはいかがなものか…」という意見に近いんですよね。
僕、33歳の男で、特に女性蔑視とかフェミとか、左翼だとか右翼だとかはなくて、中立的な考えをしているつもりだったんですけど。
なんかいつの間にかマタハラ野郎になっていたのかなって気がして。
僕だって日本の少子化を憂えていて、出生数はどんどん上がっていった方がいいと思ってますよ。
だから一人の日本国民としては妊娠はめでたいことだという思いはあるんです。
だけど、もっと小さな規模で見て、一人の国会議員とその議員に投票した・仕事を託した一人の人間として、妊娠出産することで僕が期待していたパフォーマンスをちゃんと発揮できなくなってしまうんじゃないかという不安もあるんですよね。
まぁ僕はあの議員に投票したわけではないので仮定の話なんですが。
辛くて大変じゃないですか。体も頭も重いし、時期によってはつわりもひどいんでしょ。
今までと同じように仕事で成果を出すって非常に難しくないですか?
電車の中で立ってるのも辛くなる人達が、仕事では変わらず成果を出せるんですか?
出産後も今までと同じ時間と集中力で仕事に取り組めるんですか?
まぁ今回は国会議員だから妊娠出産の経験が良い方向に働くこともきっとあるんでしょう。だから仕事の成果に関しては僕の心配は少し過剰なのかもしれないですね。
でももっと身近なところで女性の妊娠出産を考えた時、どっか自分とは関係ないところでやってくんないかなって思いはどうしてもあるんですよね。
僕、零細企業勤めで、採用についてそれなりの権限持ってるんですが、若い女性採りたくないですよ。
妊娠したらパフォーマンスは落ちるわ、任せられる仕事も少なくなるわ。
産休・育休で休みを与えなきゃいけないし、休ませた後に引き続き雇用しなきゃいけないんでしょ。
子供の体調がーとか言われたら仕事ほっぽりだされても文句言えないし。
妊娠出産ってとても素晴らしくて偉大なことだとは思いますけど、それを行うには余裕のある環境が必要であって、それは国や家族が負担してほしい、職場の同僚や会社にそれを求めないでほしいという気持ちもあります。