はてなキーワード: 懇願とは
早稲田行きの荒川線がほとんど空っぽなまま夜の王子駅に入ってくるのを見ると、東十条の夜を思い出す。
真夜中に電話をかけてくるのはだいたい振付師で、出ると必ず「寝てた?」と聞く。こちらが寝ていたとしても別に対応を変えようとはしていない。挨拶がわりに今どこと聞くと、永福町のアパートからかけていることもあれば、聞いたこともない名前の街にいることもあった。
新潟の燕市から夜中の二時過ぎにかけてきた日、東十条にクルド料理のレストランができたのと振付師はいった。半分寝ながら「ああ、ああ」と返事しているうちに、翌週の夕方に同行することになっていた。
レストランは駅近くの雑居ビルにあった。細い階段を登ると、青い壁に赤を基調としたタペストリーがかけられ、トルコ製らしいランプが天井から吊るされた店内は薄暗かった。
二人とも果実の蒸留酒を飲みながらピーチ味のシーシャを吸って馬鹿話をした。振付師は蔦の模様がついたノースリーブのワンピースを着て、耳には銀色のチェーンピアスが揺れていた。
「ね、知ってる? カニコーセンの人」
「カニコーセン?」
「あの、小説の」
「小林多喜二?」
「……?」
「お客さんの事務所の子がね、今度カニコーセンの舞台に出るからって、マネージャーさんが招待券くれて。で、帰りに駅ビルで原作の文庫本買って、バスの中で読んでたのね」
「読んだんだ。どうだった?」
「やばかった。いろいろ。で結局、タキジって殺されちゃうんだよね」
「うん、遺体の脚を見るとね、釘か畳針でグサグサ刺した痕だらけだったんだって。いったいどんだけ憎まれてたんだっていう」
「あの人の書いたものが、それだけ当時の警察機構を動揺させた、ということでもあるのかもね」
「30歳だよ。タキジ死んだの。今の私たちよりも若かったんだよ。それでどれだけの仕事をした? どれだけの人に影響与えた? タキジが生きてる間にカニコーセンは何か国語にも翻訳されて、世界の人が読んでるんだよ? あの時代だって、今だって、20代でそれだけのインパクト出せた作家って、そんなにいないんじゃない?」
「うん、いないだろうね」
「燃え方が足りない」
「足りない?」
「もっとたくさんの人に、私が伝えるはずのことを、私の仕事で、全力で伝えたい。そのためには死に物狂いでいまやってなきゃいけないのに、なにやってるんだろって、思うことがあるんだよ。もう無我夢中で、身体が自分の熱で焼き切れて無くなってしまうくらいに、全力でやってなきゃいけないはずなのに、私はまだなにもやってない」
「毎日家と会社を行ったり来たりしてるだけの僕からすると、日本中を飛び回ってるきみは、ものすごく燃えてるように見えるんだけど」
振付師は無言で何度も頭を振った。と思うとこちらの手を取って、荒々しくかぶりつく犬のような真似をした。
東十条の商店街には縁日が出て、りんご飴、ヨーヨー釣り、プラスチックのお面が裸電球の光を反射していた。振付師は金魚すくいの水槽を見つけると、やりたいと言ってその前にしゃがんだ。出張が多いのに世話できるのかと聞くと、預けるから大丈夫だもんと言った。
西日暮里のホテルに入ると、洗面所のシンクに水を溜めて、小指の先ほどしかない緋色の魚が入ったビニール袋を静かに沈めた。そうするのが金魚にとってよかったのか、二人ともわからなかったけれど、ホテルの部屋に篭っている間に死んで欲しくはなかった。
その後のことはよく覚えていない。いつも通りだったかもしれないし、もっと強く噛んで欲しいと執拗に懇願されたのはそのときだったかどうか、また別の時だったか、いまとなってははっきりしない。
そのときの金魚はいまだに元気で、振付師が熊本に一か月行ってくるといって置いていってから、結局預かりっぱなしになっている。冷蔵庫脇の水槽で年を追うごとに肥えて、握りこぶしほどの大きさになった。
このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組は歴代のヒットソングを流し続けている。
私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代にうんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。
この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。
歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。
2005年のヒットソング、レミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日のラブホテルの天井をだんだんと思い出させる。
中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。
私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。
中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校のトイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園やトイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。
一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園やトイレでパコっていそうなのに、処女なのだ。
私は心底情けなかった。親からも毎日公園やトイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggのアニマルトークを読む日々が。
そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林で初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。
それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。
高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかった。バカだからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。
だからといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。
そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点を数学で叩き出した。
それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価がオール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいつしか「高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである。
そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校は鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。
選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OBが受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校はギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。
しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。
その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。
私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。
私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか。誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。
いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験の相手が改札の向こうから現れる。
周りの女の子たちには、インターネットで出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。
振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。
すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。
道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。
それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルのロビーに入ってからだった。
男は「どこでも良いよね」と言って光るボードのボタンを押すと、小さな窓から鍵を受け取り、エレベーターのボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。
部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。
男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔で宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。
その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生の男の子に告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。
タバコの匂いとシャンプーの香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテルの天井を、私はぼんやりと見つめていた。
別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手だからか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。
私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験の感想は見つからず、モヤモヤした。
それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MVの演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験の感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。
そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンのボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験の感想としてしっくりくるものだったのだ。
揺れる長い髪やかすめた天井、宮崎あおいや最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。
聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンのボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ。
天井をぼんやりと見つめている間に、音楽番組は10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。
このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組は歴代のヒットソングを流し続けている。
私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代にうんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。
この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。
歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。
2005年のヒットソング、レミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日のラブホテルの天井をだんだんと思い出させる。
中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。
私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。
中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校のトイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園やトイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。
一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園やトイレでパコっていそうなのに、処女なのだ。
私は心底情けなかった。親からも毎日公園やトイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggのアニマルトークを読む日々が。
そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林で初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。
それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。
高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかった。バカだからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。
だからといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。
そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点を数学で叩き出した。
それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価がオール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいつしか「高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである。
そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校は鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。
選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OBが受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校はギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。
しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。
その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。
私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。
私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか。誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。
いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験の相手が改札の向こうから現れる。
周りの女の子たちには、インターネットで出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。
振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。
すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。
道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。
それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルのロビーに入ってからだった。
男は「どこでも良いよね」と言って光るボードのボタンを押すと、小さな窓から鍵を受け取り、エレベーターのボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。
部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。
男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔で宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。
その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生の男の子に告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。
タバコの匂いとシャンプーの香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテルの天井を、私はぼんやりと見つめていた。
別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手だからか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。
私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験の感想は見つからず、モヤモヤした。
それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MVの演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験の感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。
そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンのボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験の感想としてしっくりくるものだったのだ。
揺れる長い髪やかすめた天井、宮崎あおいや最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。
聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンのボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ。
天井をぼんやりと見つめている間に、音楽番組は10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。
だいぶ前(多分数年前?)、確かTwitterで流し読みしてそれっきりになってしまった話を探している。知っている人がいたら情報が欲しい。
ヤクザに売られた女性の話。話をまとめるのが不得意であるのとうろ覚えということもあり箇条書きで覚えている事を挙げてみる。
・投稿主は店番をしていて、ふと入ってきた年配の女性が自分の身の上話を始める。という始まり方。
・女性の両親はヤクザから借金をしていて、度々取り立てに遭っていたという。
・ある日、取り立てに来たヤクザが提案をする。このまま借金を返し続けるか、借金をチャラにする代わりに娘(女性)を嫁に寄越すか。両親は娘を売ることに決めた。
・それから女性はヤクザの妻として生活を始める。舎弟?は気さくに話しかけてくれるが打ち解ける気にはなれなかった。
・ある日、ヤクザ同士の紛争が勃発。夫に「お前はクローゼット?の中に隠れてろ。絶対に出てくるな。」と言われる。外では銃や喧嘩の音、怒号が飛び交っている。
・紛争が終わり、クローゼットから出てこれた。「もうこの生活に耐えられない。離縁してくれ。離縁が無理なら今すぐ殺してくれ」と夫に懇願する。
・夫は離縁に承諾。離縁後の生活に困らないようにと家や車などを用意してくれる。
・離縁後は日舞か茶道か芸事を嗜んでいたので教室を開くことで収入を得ることができた。
・両親の居場所も教えてくれたが、自分を売った人なので今更と思い会いに行くこともなかったので両親のその後は知らないまま。
・あれから再婚する気は起きずずっと独り身のまま。今となってはドラマか映画を見ていたような気分だ。
パパとも風情がよ
テメェら自覚ねぇだろうけど
この非国民が!
こちとら
そりゃ誰だって外に出たくなる
百歩譲って気持ちはわかる
①マスク②お友だちに合っても遊ばない③30分だけ④帰ったらうがい手洗いを条件に
渋々連れてった
まぁ、人、ヒト、ひと!
150人くらいの人
多くは外周路を歩いたり
キャッチボールをしたりだが
冒頭のようにパパ友同士でキリンビールなんか
あおっちゃっててるわけ
もうね、バカかとアホかと
てめぇみたいな輩がいるから
子どもらを見る羽目になるんだよ
その危険さ加減を
何やってるかしらねぇけど
せめてユニフォーム脱いで飲めよ
万が一コロナが出たら、
なんだかやるせねーなー
いけすかねーなー
そう思って踵を返して
速攻で公園を後にしたけど、
家に帰ってやり場のない怒りにモンモンモンとしている
なんなんだろーこれもー
はよねな
パパとも風情がよ
テメェら自覚ねぇだろうけど
この非国民が!
こちとら
そりゃ誰だって外に出たくなる
百歩譲って気持ちはわかる
①マスク②お友だちに合っても遊ばない③30分だけ④帰ったらうがい手洗いを条件に
渋々連れてった
まぁ、人、ヒト、ひと!
150人くらいの人
多くは外周路を歩いたり
キャッチボールをしたりだが
冒頭のようにパパ友同士でキリンビールなんか
あおっちゃっててるわけ
もうね、バカかとアホかと
てめぇみたいな輩がいるから
子どもらを見る羽目になるんだよ
その危険さ加減を
何やってるかしらねぇけど
せめてユニフォーム脱いで飲めよ
万が一コロナが出たら、
なんだかやるせねーなー
いけすかねーなー
そう思って踵を返して
速攻で公園を後にしたけど、
家に帰ってやり場のない怒りにモンモンモンとしている
なんなんだろーこれもー
はよねな
良かれと思って回してくれたのであろう「新型コロナウイルスに関する最新情報を、医療関係者から聞きました!」っていうLINE。
読み進めると、新型コロナウイルスは熱に弱く、27-28度で死滅と書いてある。
……?じゃあ体内に入った時点で死ぬじゃん?
とりあえず書いてあることのソースを調べてみようと厚生省のページを見ても何も無く、ググってニュースに搾ってみても何も出てこない。SNSを見ると拡散されている。
って訳で送ってくれた相手には何も言わずに、もちろん拡散することも無く終わろうとした。
しかし残念なことに、親から同様のLINEが入る。あの人の事だ、これが真実だと思い込んだのだろう。仕方なしに信憑性が低いことを伝えると怒っていた。
夫は39歳で公立中学の教員をしている。子供はいない。クラスの担任をやらされる年度とやらされない年度があり、
担任をやらされている年度は、家に帰る時間が19時をすぎたり、土曜か日曜にサービス出勤したり確かに大変そうではある。夕食時は仕事の愚痴を聞いてあげるのが定例だ。
私としては絶対に辞めてほしくない。本音を言うと今より生活水準が落ちてしまうのを恐れている。
夫の年収は600万ほど。都会の人から見れば39歳で600万は少なく見えるかもしれない。だが地方では上流なほうだ。
地方でこれくらいの給与が見込める民間企業なんて電力会社系列か銀行ぐらいしかない。あるいは大企業の地方支社か。
教員免許ぐらいしか資格のない39歳がそれらに入れるはずもなく、今より待遇が悪くなるのは明らかだ。
なんだかんだ夫は土日休めている。前述の通りサービス出勤はあるものの、これは誰かに強制されているわけでなく仕事を期限までに終わらせるために、あくまで自分の裁量でおこなっているものだ。数時間ほどで帰ってくるし。
ところが地方の民間企業というものは完全土日休みの会社がかなり少ない。
私は独身だったころ転職経験があるのだが、転職サイトに掲載されている会社は隔週土曜休みばかりだし、ハローワークでは完全土日休みを条件に検索すると、業界未経験者OKな求人はごっそり消える(夫は教育業界自体が嫌で他業種に行きたいと言っている)。
"夫が仕事辞める"などのワードで検索すると「仕事続けて精神病むくらいなら辞めてもらったほうがいい」だとか「辞めて収入減った分家計のやりくりを頑張りましょう」みたいなこと言ってるサイトがヒットする。
まあもともと稼ぎの少ない人なんならそう気楽でいられるかもしれないが、私は夫の経済力に惹かれている面があるので、もし転職して低収入になったら夫を好きでなくなってしまうかもしれない。
それともまさか転職すらしないつもりじゃないだろうな?私の手取り月収15万にすがりたいのだろうか?なんで一回り年上の男を養ってやらにゃならんのだ。介護かよ。
とはいえ私にも反省すべき点がある。私は3勤3休のシフト休みの会社で働いていて、平日が休みになるのだが、夕食をつくることと洗濯機を回すぐらいしかろくに家事をしていなかった。
家の掃除は土日に夫がやっていた。ゴミ出しも私より早く起きて出勤する夫にまかせっきりだった。
土日に夫がしっかり休めるよう、私が平日休みの間にあらゆる家事を済ませておくべきだったのではないか。
民宿の泊まり込みで夏休みにうぇーいしてくる連中の相手が仕事内容で、
時々、男同士で喧嘩や、レイプまがいの事件もあったりしたが、それ以外は平和だった。
誰かが餌付けしちゃったようで、また餌でもくれるのかといった顔をしてやってくる。
痩せてかわいそうなので、時々飯をあげていた。
そのうちの赤いネガネのふちをしたオタクっぽい女の子が一人が犬嫌いだった。
僕は彼女が好きになった。
晩ごはんをたべてから、浜辺でふたりきりになって盛り上げっているところにその犬がやってきた。
女の子は犬が気になって仕方がなくないようで、ちらちら見て、
なんとか犬をやってほしいと懇願してきた。
犬をどうにかして。お願いどっかへ犬をやって。ああ、犬が怖くてしょうがないということだった。
僕はその辺にあった流木を片手に近寄った。
犬はまた餌でもくれるのかとおもい、
無邪気に、はーはーと舌をだして僕に近づいてきた。
若さとは性欲のことだと思う。
犬を殺って欲しいから、犬を殺るのだ。
鈍く頭蓋骨が折れる音と、波の音がかさなって目の前の死んだ犬が現実のものじゃないような気がした。
急に怖くなったのか、そそくさと逃げていった。
昔付き合ってた人。
実家に菓子折り持って挨拶に来たけど、結局自分は浮気相手だった。
本命の彼女というひとから電話越しで罵声を浴びせられて、彼の家に置いてあった私物はハサミでズタズタに切られて捨てられたらしい。
(本命が家に来るときは押入れの中に全部押し込めていたとのこと)
仕事だからと言われ会えなかった12/24も、本命の彼女とホテルでディナーをして、25日の夜は私がケーキを持って彼の家に出向いて食事を作った。
彼曰く「増田ちゃんは彼女がいてもいいからといって体の関係を懇願した」らしい(と本命彼女に聞いた)
告白は彼からだったし、周囲の友人にも緘口令をしいていたらしい。
両親は激怒していたが、私は呆然として泣くだけしかできなかった。
その彼から久しぶりに連絡が来た。
本命彼女と結婚するはこびとなり当時のことを謝りたいのだという。
「当時は自分のことばかり考えていた。子供だった、ごめん」と。
以下私の返信。
「許せないです。人として最低な行為をしたくせに虫が良すぎる。
自分の気持ちを楽にするための謝罪でしかない。存在すら思い出したくない。
正直お前のような人間のクズも、真相知ってもなお罵倒してきた女もさっさと死ね。
それ以来まともに男性と付き合えなくなった。
彼からは「謝ったのに最低。人としておかしい」とだけ返ってきた。
あーやっぱこいつ最低だわ。
人生にターニングポイントと呼べる瞬間があるとしたら、私にとってそれはセンター試験だ。
10年以上前の1月、朝から雪が降っていた。東京だから滅多にないのに。そういえば去年も雪の日だったな、何かの運命かな、とぼんやり思った記憶がある。
***
勉強を全くしていなかったから当然の結果。でも、それまで順風満帆に走っていた「人生のレール」から脱線したというか、レールそのものが消失したような途方もない虚無感に襲われたのを覚えている。初めての経験だった。
国公立後期の不合格を見届けた後、親に懇願して浪人生となった。それからは、怠惰だった高校3年間を取り戻すかの如く、予備校で朝から晩まで勉強漬けの日々を送った。
心を入れ替えた、というと語弊がある。気を抜くとまた現れる虚無感が怖くて仕方なかった。眠る前に漠然とした不安に襲われる夜も幾度となくあったし、浪人生という以外に肩書きがない不安は常につきまとった。それらを紛らわすには勉強しかない、それだけだった。
見失ったレールの続きは、この大学受験の先できっと見つかる、そう愚直に信じて過ごした1年間だった。
***
迎えた2度目のセンター試験本番。
前日、私は例に漏れず緊張していた。布団に入っても「また散々な結果だったら?」と失敗する未来ばかり想像した。でも気がつくと熟睡していて、朝になって我ながらその図太さに驚くとともに、「もうなるようになれ」と吹っ切れた。
試験会場は大学の大講堂で、私の席は最前列だった。目の前の教壇には複数の試験官がいて、無駄に緊張したのを覚えている。でも、今思えば視界に他の受験生が入らないぶん、試験に集中できて良かったのかもしれない。
そう、後でわかることだけど、試験結果は控え目に言って上出来だった。各科目で凸凹はあったものの、総合では過去のどの模試よりも良い点数だった。
ただ、2日間の日程を終えた直後はそんなこと知る由もなく、とにかく安堵した。やりきったという達成感と微かな手応えもあった。そして何より、今日この日に実力を出し切れた「環境」に感謝していた。
そうだ、これは環境のおかげだと、なぜかそのとき唐突に悟った。あれだけ勉強してきたのに、自分の頑張りだとか、努力の賜物だとは一切考えず、今この場所にいることが全てだと感じた。
思えば1年前、両親が浪人を許してくれたことに始まり、予備校に通えたこと、長い間勉強に専念できたこと。応援してくれる人がいたこと。健康でいれたこと。今日、雪の中交通機関が動いてくれたこと。そして、無事にこの会場で受験できたこと。
どれも当たり前じゃないし、これを「運が良かった」の一言で片づけるのは勿体ない。私一人の力ではどうにもできない、有り難いことばかりではないか。
そんな当たり前のことに気付いて、私はいてもたってもいられなくなった。この感謝の気持ちを今すぐ誰かに伝えたい。そう思って、全科目が終わり皆が一斉に会場を後にする中、私は出口とは真逆の、試験官のいる教壇に向かった。
「2日間、お世話になりました。ありがとうございました」
「ああ、こちらこそ。帰り道、気をつけて」
https://anond.hatelabo.jp/20200116105352
去年、「働き方改革」の説明会あったけど、取締役から「お願いだから有給とって。手が繋がっちゃう」って懇願されたぞ。
この元増田さ。
会話録音して、さっさと労基に飛び込め。
結果、経営者の手が繋がろうと、首が飛ぼうとも、駆け込んだ社員の責任じゃない。
この会社も管理職も、労働基準法もわかってない、めちゃくちゃ恥ずかしい人たちの集まりなんだから。
自分は中小企業で管理職やってるが、部下に有給取らせないなんて言ったことがない。
むしろ、会社来たくなかったら、ズル休みで使っていいよって言ってる(部下は冗談だと思っているようだが、私は真面目だ)。
キミは自分の立場を理解していない。みんなキミを頼りにしている。そして誰も他に仕事をかかえる余裕なんてない。
キミが休むとみんなが困るんだよ。中でも一番困るのは誰か。それはお客様だよ。
納期が遅れるということはお客様への背信行為だよ。お客様から1日でやれといわれたらそれは何が何でも1日なのだ。お客様が困ると言ったら困るのだ。
恥ずかしくもなく、嘘言ってんじゃねーよ。
たった一人、社員が休んだだけで困らねーよ!
誰が死のうと生きようと、会社はどうにかなるもんだ!会社組織というのはそういうもんだ!
何も言わず納期が遅れるのはやばいけど、そこをコントロールするのは管理職の役目だろうが。部下に押し付けるんじゃねえ。
ごく普通の管理職なら、「こいつしかできない」仕事なんで作り出さない。
できる限り「複数ができる」仕事に変えるのが、管理職の仕事なんだよ。
鵜飼いみたく、いつも部下の首を絞めて仕事させればいいってもんじゃないよ。
それに、1日でできないものを1日でやれと言うクライアントは、飛んだブラッククライアントだ!
クライアントからの無理強いをなんでも受け入れるんじゃねえよ、バカタレ。
深刻な問題みたいなこと言ってるが、みーーーんな、管理職がコントロールすればどうにかなる話じゃねえか。
なに部下に全部押し付けようとしてるんだよ。
元増田、こんなの真面目に受け入れるな。
こいつは、お前や部下をコントロールしたいだけで、管理職としての責務をひとかけらも果たしていない。ドクズだ。
その会社は異常だ。異常な会社にいるから、世の中の「働き方改革」がおかしいと思うんだ。
鶏が先か卵が先か…って話だけど、
どうにかならんもんかね。
お前だよお前、10年前の俺よ。
何となく生きてきて、友達がいない訳じゃないけど、かと言って定期的に遊ぶ友人もいない、そもそも会いたいと思う知人が思い浮かばず、天気が悪いとか着ていく服が無いとかいうしょーもない理由で自分を納得させて、結局成人式には行かなかったお前。
お前は成人式に行かなきゃいけなかった、行ったら実は楽しいなんて甘い未来が待っている訳じゃない、お前は成人式のようなハレの日でも友達がいないということがどういう結果をもたらすのか、それを20歳で知っておかなければならなかった。
お前はFacebookで後から知ることになるが、お前が何となく仲良くしていたが心の奥で見下していたオタクたちは、成人式でも楽しそうに集まって、それぞれ卒業した後も定期的に飲み会を開いているぞ。
見てみぬフリをしていたクラスのいじめられっ子は留学して成人式なんて全く関係無いといった素振りで、完全に過去を捨ててすっかり違う顔付きで前を向いているな。
お前みたいな行くか行かないかすら迷っているヤツが一番ダメなんだ、何となく自分は大丈夫と思って新しい関係を築こうともせず、ダラダラと生き続けるんだ。
大学卒業後に就職しても何となく馴染めずにいるが自分では「当たり障りない」関係を築けていると思っているお前よ、お前は本当は職場で孤立していて、段々といないもののように扱われるようになるぞ。
そんなお前でも付き合っている女はいるな、数年後にお前はその女を妊娠させて結婚することになる。
でもお前は誰一人として呼べる人間が思いつかないせいで、相手の親すらも懇願するのに自分のプライドを優先して結局結婚式をしないことにするな。
後々にこのことが発端で始まった言い争いが激しくなり、誰もお前の味方をすることは無く最終的にお前は離婚することになる。
離婚する数年前には、お前は父親の危篤の知らせを聞くが貯金も無いせいで飛行機代が出せず、お金を無心できる友人知人もいないせいで夜行バスで行く選択肢を選び、たった数時間の差で親の死に目に間に合わないぞ。
そしてお前は昨年末に高熱を出して寝込むことになるが、タイミング悪くスマートフォンの充電器が壊れていて職場に連絡しないまま3日ほど無断欠勤をする。
快復して出社したお前は「遊んでいるのを見た」という根も葉もない無い噂を否定してくれる同僚や先輩を作らなかったせいで、あっさりとクビになってしまった。
お前は一人で生きれると思っているな、そもそも一人ではないとすら思っているな。
お前は成人式に行かなければならなかった、そこで祝い事の催しの中でも孤独に一人でいることのみじめさを、つらさを知り、何が何でも30歳までに自分を変えなければいけなかった。