はてなキーワード: 少子高齢化とは
http://anond.hatelabo.jp/20160324081950
少子高齢化で日本の国がなくなってしまうから、女は子供を産むべきだ
というのがまかり通るんだったらさ、
って言われて、あの校長は納得するんだよね?
少なくとも、これで「高齢化」は間違いなく解決するわけだからね。
老人に使う介護や医療費が減ってその分、教育や保育に使うことができるかもしれないしね。
遺産が入って子育て世代も共働きを無理に選択しなくてもよくなって、出生率も上がるかもしれないよ。
あの校長のダメなところはさ、自分は若手に椅子(と給与)を譲るでもなく再雇用で職にしがみついているのに
って丸投げしているところだと思うわ。
よく考えてみよう。
全ての女性が18歳で結婚して、20歳で一人目を産んで、22歳で二人目を産んで、下の子が高校か大学行くまで面倒を見てから自分も大学に行ったり就職したりしたらどうなるか。
大学入っても女性陣はみんな母親と同年代ってか、へたすりゃ自分の母親とキャンパスライフをエンジョイする羽目になる。
会社の新人配属で入ってくるのも女性はみんな子育てが終わったおばさんだけ。
キャバクラや風俗行っても女子大生がバイト感覚でなんてのは皆無でおばちゃんかダークサイドに片足突っ込んだような人しかいなくなるわけだ。
確かに理屈で言えば少子高齢化の解決は必要だし、そのためにはなるべく出産適齢期に産んで欲しいってのはその通りだが、そう言っている人たちはそれによって世の中がどう変わるか想像できてるんだろうか。
社会を変えるってことは、一部の人に負担押しつければそれで終わりってのではなくて必ず自分の生活にも少なからず影響が出るんだが、当然覚悟の上なんだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20160317035908
少子高齢化の進む日本は労働者人口が足りなくなってきてて、近い将来日本という国が偉いことになってしまう、だから政府も経団界も女性の活躍や移民などを想定してるわけで、「移民に寛容な俺」みたいな道徳性で話してはない
下層の人間としては経済状況を維持改善しつつ、税金を上げて社会保障を厚くしたほうが日本の沈没に付き合うよりまし
移民を考えないとじり貧しかないのだが、なぜか「現状のままでずっとやっていける」という感覚をもってしまってる、もしくは考えないようにしてるのだろう
そうなってしまうのは結局
移民による不安を回避するために日本のジリ貧化を選択してると言えるのだが、それに気づかないようにしている
問題を直視せずあらぬところに批判をし、注目を集め、よりいっそう問題解決から遠ざかってしまう
これはもう既に一般に広く認知された問題。 人口全体に占める子供の割合が低下し高齢者の割合が高まることで、様々な社会現象を引き起こしているのは周知の通り。 今や高齢者予備軍を含めた50歳以上の人口が5割を超え、社会保障費が国の歳出で大きな割合を占めている。 人口が多い分どうしても政策は高齢者優遇にならざるをえない。 数の理論(有権者の数からも)からすれば当然である。 新生児は数の点で弱者である。 昨今話題の保育園に始まる諸問題も、数の弱者でありかつ数年我慢すれば当事者が当事者でなくなることが大きな要因となって 今まで余り多くの声が政権に届くことはなかった。(届いていても優先されてこなかった) なので個人的には昨今の保育園問題が話題になっているのは歓迎している。 数の弱者が救われるためには、世の中の倫理感による救済しか無いからだ。 (もしくは正しく世代を超えた投資を新生児にしようという気運の高まりによる救済もある) ところで、数の問題という点で少子高齢化問題を最初に上げたが、本当に本質を理解している人がどれだけいるかは気になっている。 少子高齢化問題の解決方法を問うと皆口をそろえて「出生数をあげろ」という。 新生児が増えても生産労働人口が増え社会を支えるようになるまでは15年のタイムラグが有る。 もちろん、生産労働人口が増える以上に老人が減ればよいのだが、長寿化や国の手厚い保護によりなかなかそうはならないだろう。 少子高齢化問題は言い換えると「老人より子供が"相対的に"少なくなること」であり、つまるところバランスである。 つまりシーソーゲームであり、片方に新生児が、片方に高齢者が乗っている状態である。 そのバランスを整える際に「出生数を上げろ(要するに産めと強要される)」という考え方にあまりに偏重がある。 これが単純なシーソーゲームなら、多い方を減らせばいいという考え方が発生するのは自然のはずである。 もちろん、皮肉なことに、倫理観により増えた高齢者を減らす(殺処分する)ことができないから(法律的にも)、というのがまっとうな答えだが本当にそうなのだろうか? 社会のバランスを考えた時に、増えすぎた高齢者を養い続けることが果たして倫理観として正しいのだろうか。 無理やり生かされる高齢者のことを本当に思っているのだろうか。 増えすぎた高齢者という負債を負わされる何も知らない子どもたちのことを本当に思っているのだろうか。 未来にために子供を作ろうという貴重な夫婦のことを本当に思っているのだろうか。 甚だ疑問である。 事なかれ主義な国民性もあるので、そうなるのは仕方ない。 しかし、今本当に高齢者に生きろと言い続ける社会は倫理観からも正常なのか? これを今一度問う必要があるのではないだろうか。 日本には安楽死が認められていない。 子供や孫に、迷惑を掛けたくなくても自ら死を合法的にかつ経済的合理性を維持した状態で(誰にも迷惑をかけることのない方法を)選択することが、今の日本ではできない。 だから増え続けた高齢者は、子供や孫の世代に負債を残し続けることを強要される。 夫婦世代が子供を生むことを強要される以上に、高齢者は社会に対して負債を残し続けることを社会から強要されている。 今一度問う。 果たしてこれが、倫理的に、社会全体の幸福のためになっているのだろうか、と。 ここからは個人的な考えになるが、やはり増えすぎた高齢者を間引く事が可能な、間引かれることを自ら高齢者が選択できるような制度は必要だと思う。 具体的にはどうするか、だが、下記の2点を法で認めるだけで良いと考えている。 1. 医師による安楽死許可 (合法であることを国が確実に保証する) 2. 安楽死を選んだ老人の資産が相続される際、限度額無しの免税を実施 もちろんこれを悪用しようと考える人は少なからず出てくるだろう。 その抑止力として、医師による安楽死以外の安楽死には殺人罪を今までどおり適応すればよいだろう。 免税にした理由は、新たな生産労働人口世代に対し高齢者が多く所有する資産を移動させるためである。 新たな資本を得ることで、生産労働人口世代が子供を産みやすくするためである。 (もちろんこの免税自体に産めという強要が少なからず存在する) 一方で減らし、一方で増やす、これを推進することで社会の人口バランスを素早く調整できるのではないかという考えである。 バラマキには限界がある。個人の利益に訴求するこの方法が認められれば、より早くより短い期間で少子高齢化問題は解決し、 さらにその先も高齢者を減らしていくためのバイアスが個人レベルでかかるため、日本は再度経済復興できるだろう。 自ら死を選べない高齢者に救済を、無理やり生かされる以外の方法があっても良いのではないかと考える時期が目の前に来ている。 次の世代により多くを残せる方法を自分は選びたい。
《保育園落ちた、日本死ね!≫っていう投稿あったけどさ、あまりにも自己中心的すぎない?
今の日本はさ少子高齢化でこども産めっていうのに産んだらこどもを預けるところがなくて頭にくるのはわかるけどさ、政府だからって複数の問題を一気に解決できるわけじゃないじゃん。
あと衆院予算委員会で民主党の山尾志桜里議員がさ、総理を問い詰める形で質問したけどさ、ヤジにもあったようにそれが本当かも確認しないで本人にも会わないで出典も言わないで国会で取り上げるってのはいかがなものかと思うんですよ。しかも言葉が悪いことをさ「言葉は悪いですが、、、」って言って棚に上げてるじゃん。大人としてさ保育園落ちて日本死ねってまじこどもすぎない?中学生かよって。俺の周りでも日本死ねみたいな意味のわからないこと言う人いないから中学生未満か。(笑)
ここでジョン・F・ケネディ元大統領の名言を紹介したいと思います。
Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.
(国があなたに何をしてくれるのかを問うのではなく、あたなが国のために何をなすことができるのかを問うてほしい。)
育休中、ふと思う。
昔の日本で広く許された、圧力を持った価値観(行かず後家、クリスマスケーキ、男は家庭を持って一人前etc)や見合いなどの配偶者形成、配偶者以外との再生産が許される風俗などは、再生産を共同体の責務とするならばかなり強力で実効性があったのでは無いか。
個々人の幸福を追求することが許され、古くからの価値観を野蛮だと切り捨てたのは良いが、社会の再生産能力は落ちている。
個人主義的、自由主義的な社会では、政策により企業と個人へ再生産へのインセンティブを付与する必要があるのだが、
古い価値観を捨てる一方でそれを怠った結果が、超少子高齢化社会の原因では。
古い価値観が失せる時代、つまり再生産を社会の責務とするならば、政策により再生産のインセンティブを付与する方に舵をきるべき時代
社会の政策決定や企業の経営方針を決められる立場へ出世するのは、自身は再生産へ時間的リソースを割かずに、仕事を頑張った男性が多かった。
彼らの生存バイアスは今も多くの企業で当たり前の価値観として生き続けている。
多くの政治家や企業経営者に対し、彼らは30年後にはいないから未来を見越した選択をしないという批判はズレているのでは無いか。そもそも社会への認識がずれたまま、「良い方向へ」舵を切り続けた結果が今の社会ではないか。
国会での「日本死ね」対応を見ても、認識がズレたままなのだと思う。
1人の人間の生産と消費は大きく、人口が減れば能力の高い人材は減る。経済的にも人口を減らすのは得策では無いのだと思う。
子どもを持ちたい、育てたい各個人においても子どもを持つことのデメリットやリスク、コスト、障害が多すぎてまるで足枷だ。
そもそも子孫を残すことは共同体の責務なのか?
増田は激怒した。増田には政治がわからぬ。増田は、日本の国民である。子どもを産み、子育てし、社会に出て働いて、税金を納めてきた。しかして待機児童問題に対しては、人一倍に敏感であった。きのう増田は見事に保育園に落ちた。増田は一億総活躍社会で活躍できない。会社を辞めなければならぬのである。増田は、それゆえ、思いの丈を文章にした。書いているうちに増田は、日本の様子を怪しく思った。どうかしている。もう既に保育園に子は溢れて、入園しにくいのは当たり前だが、けれども、なんだか、待機児童問題ばかりでは無く、少子化問題全体が、やけにおかしい。のんきな増田も、だんだん不安になって来た。ネットで見つけたはてな匿名ダイアリーを開いて、何なんだよ日本、国が子供産ませないでどうすんだよ、と書いた。金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよと、語勢を強くして書き込んだ。
「子育て支援には、財源が無いのです。」
「なぜ無いのだ。」
「少子高齢化のためというのですが、オリンピックでは、無駄に使っております。」
「たくさんの金を使ったのか。」
「はい、はじめはエンブレムに。それから、国立競技場に。ほかにも、ウチワに。それから、不倫で辞任した議員の補欠選挙に。それから、賄賂を受け取った議員の調査に。」
「おどろいた。日本は乱心か。」
「いえ、乱心ではございませぬ。ただ、『保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねー。』というのです。」
保育園落ちた日本死ね!!! http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
保育園落ちましたわ日本おくたばりあそばせ!!! http://anond.hatelabo.jp/20160310225226
「少子高齢化の影響で地方を維持することが難しい」という話が出てくる度に、難癖をつけて地方の維持に税金を使わせようとする輩が居るが、それには以下の2種類の人間がいると思う。
都市の人間が納めた税金を地方に回したくないと思う人間が本当に対応するべきは2.である。地元住民とは手強さが違う。
地元の住民は、できてもせいぜいその選挙区の政治家に1票を投じる程度のことしかできない。政治家も自分の選挙区に予算を引きこもうとするだろうが、そもそもパイの大きさが縮小傾向である以上、予算獲得合戦をしたところで引き込める予算の額は減少する一方である。加えて、地方の維持が難しいと言っているのは要するに人口が減少しているということなのだから、一票の格差を是正するたびに地方の議員の数は減少していく。どうあがいても、人口が減っている地域の地元住民にかける税金は減少する以外に無いのである。これを避けるためには、住民は自身の母体を増やす…とまではいかなくても、最低限現状維持はしなければならない。それができるならば「限界集落」などというワードは生まれないはずであり、この名前がついた集落はもはや地元住民だけで問題を解決できない、ある種の限界を突破しているのである。
おうおうにして、こういう地方の住民は諦めモードに入っており、「途絶えさせたくない」とは考えていない。代々続く文化があろうと無かろうと、最後の住民がこの世を去れば、必然的に地域が静かに役目を終える。住民はみな高齢で、もうすぐ死ぬだろう。今すぐとは言わなくても、いつの日かインフラ整備のために投じる税金を断ち切られても、住民は仕方がないと考えている。ちょろいもんである。
一方で、地元に投資する人間は曲者である。旗振り役は地元出身者である場合もあれば、本社を東京に置く観光業界である場合もある。彼らはだいたい
であり、ぶっちゃけ地元の人間はいなくてもいい。強いて言うなら「町中を人が歩いていないと廃墟みたいになっちゃって廃墟マニア以外から敬遠されるからとりあえず出歩いてて」要因でしかない。ここでは、彼らの目的が「観光資源として利用して主導権を握るか中間マージンを搾取したい」前提で話を進める。
この場合に矛盾しているのが、彼ら自身は予め整ったインフラの上に事業を展開するのに、インフラを整備する予算は(地元の人間も払っている)税金から出ている点である。したがって彼らが初期投資をしてから回収できないまま税収が減ってインフラの整備が途絶えようともなると、彼らはものすごい勢いで反発する(自前でインフラを整えたり、税金を多く納めようとはしない)。その矛先は地方自治体や、下手をすると地元の人間に向く。具体的には、彼らは「景色を残したいのに」「地域に代々伝わる伝統を残したいのに」「この地域の産業を活性化したいのに」などとそれっぽいことを言い、それに協力しないことが悪いことであるかのように唱え、周辺から徐々に責めていく。地方の人間が協力しなくても、周辺の人間が「景色を残すためなら」「地域に代々伝わる伝統を残すためなら」「この地域の産業を活性化するためなら」と同情し、補助金などの税金を獲得してその場を凌いでしまう。そして投資した分が回収できたところで、景色を残すこともなく、地域に代々伝わる伝統を残すこともなく、地域の産業を活性化することもなく、「市場原理に基づいて」彼らは補助金という名の税金を返納することもなく退散するのである。
ところで「地方が途絶える」とはどういう意味なのだろうか。思うに、地方が存続している条件は「景色が残っている」「地域に代々伝わる伝統が残っている」「この地域の産業が活性化した状態が存続している」などの状態では無かろうか。上に2つのシナリオ(住民がいなくなって途絶える・地元に投資した人間が食い荒らして途絶える)を挙げたが、いずれの場合も結果的に地方は途絶えている。結果は同じなのだから、投じた税金の少ない1.のシナリオの方がマシとすら言える状況である。
まとめると
この文章は氏の文章を100%引用して作られている。何も足さず何も変えず穏当な部分のみを引用し一部文言の順番を変えた。
女性は男性に比べて気配り目配り心配りと言われるようなきめ細やかなことによく気づくので、顧客満足の発想は男性より豊かですし、「なんとなくそう思う。」みたいな男から言ったら理解できない勘というのも鋭いです。
今後少子高齢化は間違いないので、女性の労働力はもっともっと必要になります。しっかり特徴を理解し能力を最大化し国の発展に貢献していくべきだと思っています。理解し受容したらあとは褒めるくらいで一生懸命働いてくれます。その特徴の中でも大きく3つポイントがあると思っていますので紹介させていただきます。
1、口出す生き物
ある企画に対して「ターゲット」とか「ユーザーの気持ち」と言います。難しい話です。
「何のためにこの仕事に取り組むべきか?どのような意味があるのか?」の説明が必要です。雑な指示はしてはいけないのです。丁寧に意味を説明した方がいいです。できないならそもそも部下を持ってはいけません。
3、共感してと思ってる生き物
会話でつながりを感じて安心感や満足感を得るもの。焦らずに黙って聞く覚悟を持ちましょう。
股間の膨らみ皆さんも経験あると思うのですが、だってそういう生き物ですもの。いけませんいけません。
25歳独身女性の考えていること
「まだ仕事とか遊びとかやりたいことがある」
「でも年収1000万以上で身長180cm以上のイケメンが現れたら結婚してもいい」
「知り合いの○○さんは30歳で結婚したから私もあと5年は大丈夫」
あのな、25歳から5年間付き合って30歳になったのと
出会った時点で30歳、その女性が若くて美しかった10代20代の姿を知らない
どころか、さんざん他の男に食われまくってる
それを30~80歳の区間だけ養わないといけないって、どんな罰ゲームだよ。
そういう女性が30歳を超えたら、もう普通の人でいいとか言い出すが
・家柄が普通以上
1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2=1/1024しか存在しない
そんなスーパーマンが簡単に見つかるはずもなく
「これからの時代は男女でわけて考えるのではなく、性別ではなく、個々としてみないといけないから男女でマネジメントをわけるなんていうのはナンセンスだ。」
と自分に言い聞かせてきましたが、やはり男女は違うという答えに行き着きました。
僭越ながら女性のマネジメントについて書こうと思うのは、女性のマネジメントが得意というわけではありません。
ただひたすら逃げずに立ち向かったことにより見えてきたことがあるということだけです。
・女性を部下に持った数100名以上
・役員選挙投票紙の自由記入欄に「セクハラしないで」と書かれた票が2票(控訴したい)
こんなところです。
「今より前に進むためには争いを避けて通れない」とミスチルも言ってるしなー。と思って深く考えずに生きてきた結果ノウハウがたまりましたので一部公開したいと思います。
本題にはいりますと、女性のマネジメントで一番大切なことは女性という生物の特徴を知ることです。
ここが全てと言ってもいいと思います。
その特徴の中でも大きく3つポイントがあると思っていますのでそちらを紹介させていただきます。
女性は全員「何にでも言いたがりだが責任は絶対に負いたくない生き物」だと思っています。
いきなり香ばしいスタートですが女性はそうなのです。「私はそうじゃない女性をみたことがある!」という方はそれは股間の膨らみが胸部に移動しただけの中身は男だと思います。
で、皆さんも経験あると思うのですが、女性は上司のことを「あれができてない、これがよくない」と言いたい放題言っといて、「じゃああなたがやってよ」と言ったら「それは別の話です。」と突き返して来ます。
企画に関してもそうです。ある企画に対して「これだとターゲットには刺さらないと思うんですよ。」とか「ユーザーの気持ちになるとそこは重要じゃないと思います。」と言っておきながら「じゃああなたが総監督でやってよ。」というと「それは私の仕事じゃないと思います。」と切り返されます。
ここで大切なのがムカつかないことです。
亀が早く歩かないことにむかつかないように女性が責任を負おうとしないことにむかついてはいけません。
そこにむかつくから女性はマネジメントが難しいという話になるのです。
ふたつめは女性は数字だけでは一切燃えてくれない生き物です。男性は「何がなんでも1億円目指すぞ!」と言ったら頑張る人がいますが、女性は「数字を追うというだけで毎日燃えられる意味がわからない。」と思っています。「何のためにこの仕事に取り組むべきか?どのような意味があるのか?」ということの説明が必要です。
女性が活躍する会社をつくりたいのであれば雑な指示はしてはいけないのです。それを「女性はすぐに動かない。」とか思っている方はそのような生き物だと認識することから始めて、丁寧に意味を説明した方がいいです。丁寧に意味を説明できないならそもそも女性の部下を持ってはいけません。
3、解決しなくても共感してくれればいいと思ってる意味不明な生き物
男性は会話とは問題解決の道具であると考えていますが、女性はそんなこと少しも思っていません。女性は会話でつながりを感じて安心感や満足感を得るものだと思っています。昔グータンヌーボというテレビ番組があって、女性3人がただただ喋って同調しているだけの番組を30分流し続けていて、私はフジテレビのプロデューサーは気が狂ったのかとおもったら、まさかの高視聴率に溜飲を下げざるを得なかった覚えがありますが、男性からしたら無駄な会話は無駄ではないので、焦らずに黙って聞くという覚悟を持ちましょう。
・「で、結局何が言いたいの?」
・「じゃあ早くそうしたらいいじゃん。」
・「話が長くてまわりくどい。」
これらは『女性に対してのタブー三大用語』なので、これらを今後一切言わないようにしましょう。
皆様のまわりに男子校に女子をいれようとしているようなマネジメントしている上司に文句を言いたくても、言えない人はそっとどさくさ紛れにこちらをシェアするのもいいと思います。
女性は特徴を理解し、受容したらあとは特にすることと言ったら褒めることくらいでじゅうぶん一生懸命働いてくれます。
またよく面談で女性に泣かれて、「女性は泣くからずるいよなー。」とか「泣かれたらどうしたらいいかわからないよ。」という方もいらっしゃいますが、これも前提条件を理解する必要があって、女の子は「泣いてはいけない」と言われて育ってきていないので、泣きやすいです。ただそれだけです。
私は少年野球やってた時に自打球を足の小指に当ててしまい、泣くつもりなかったですが、涙がでてきたら監督に「男なのに泣いてんじゃねー!!」と怒鳴られましたがそういう経験をしていなく大人になっています。なので泣くのは仕方ないのでそう思ってあげましょう。
女性は男性に比べて気配り目配り心配りと言われるようなきめ細やかなことによく気づくので、顧客満足の発想は男性より豊かですし、「なんとなくそう思う。」みたいな男から言ったら理解できない勘というのも鋭いですし、地頭も良い人が多い気がするし、かわいいしで女性は能力は高いことだらけです。
今後少子高齢化は間違いないので、女性の労働力というのはもっともっと必要になります。しっかりと特徴を理解した上で能力を最大化し国の発展に貢献していくべきだと思っています。
これを読んだ女性から相当な攻撃を受けるとおもいますが、ただただ黙って大きく頷いて共感・受容・支持していきたいと思います。
片切真人
俺はアラサー。
なんかさ、今オナホールでオナニーしてて、「あ、これが俺の青年期だったんだ」ってハッとした。
オナホールとエロゲーとxvideosで青年期終了とか、どうしちゃったんだろ。
子供の頃は、通学路に落ちてるエロ本でワクワクしてたのに。カップラーメンやコンニャクでオナニーするんだぜ!みたいな話を信じていたり。ファミコンでガチャガチャやったり。
なんつーか、さとりの子たちの生活から比べてレベルも低い感じ。
でも、さとり世代は違うんだろう。
xvideosとファイル共有のエロゲーで義務教育を終わらせて、さっさと細マッチョな感じでH&Mや109なんか着ちゃって。ゲームも、バーチャファイターなんて目じゃないGTAみたいな街丸ごとバーチャル体験しちゃってさ。ネットで世界中の人間とゲームして。youtubeで世界中を観光して。音楽も文化も食物も知り放題しって。
なんつーか、もう子供の頃の教育の多様性や深さ、錬度が違うわ。
2chまとめでおっさん達の欺瞞やクソさをカルーク眺めて、ウィキペディァで世界の見取り図を得て。
しかも、彼らって、20半ばになったら、バーチャルセックスとか多分やってんだろう。少子高齢化とか言ってるけど、彼らの世代はうまくやるんだろうか。
なんつーか。勝てる要素が無いよね。
さとり世代って、多分ゆとりよりはるかに優秀だろう。無駄な時間をすごしていない。
老害になろうとゆとりが年金みたいな法律作ろうとしても、多分さとりのほうがうまくやるんだろう。
多分、時代が進むほど、環境がよくなっていき、ますますさとり世代が有利な世の中になっていく。ゆとりは実験台で疲弊していくだけ。
おいしいところ無いなーゆとりって。
終わってるわ。
早く楽になりたい、老害になって、競争関係なく儒教的に威張れるようになりたい。
あ、でも。俺らが老人になるときは、すでに儒教的な上下とかどこにも残ってない常態かもね。
終わってんなー。