はてなキーワード: 天罰とは
色々とすごいらしい。
でもね、彼女がもし日本ですごい人だったらあまり好きになれなかったと思うな。
なんか鼻につくと思うから。
あの人もすごい人だと思うんだよ。いやすごい人なんだよ。
でもね、もう鼻についちゃってるよ。心の鼻に。
繰り返し使われる「けしからん」って言葉、正直もう不快になっちゃった。
不快って事はつまり、化けの皮が剥がれて欲しいって思うんだよね。
天罰じゃないけど、何か痛い目に遭って消えないかなあと思うの。
一方でIT担当大臣は登さんがやれば良いのにとかのんきに思っちゃってる。
それについては本当に悲しいと思う。
「やった、オードリーの野郎(男扱い)偉そうなことばっか言ってたくせにこの有様だ。化けの皮が剥がれたな!」
と思ってるのかもなあ。
いずれにせよ、東日本大震災のとき被災者を天罰呼ばわりしたのを俺は一生忘れんからな
他人を国賊だの天罰だの呼ばわりしていた本人が今や一番国賊ではないか
言葉通り、恥を知れ、であろう
イシハラはモリに唆されたこともあるがオリンピック誘致の張本人
モリに言われたから名を貸しただけと言っても、連帯保証人だって名を貸したからには責任が伴う
そこからタケダとかJOCがIOCの白人にペコペコしたり浅慮に何でも承諾するのに業を煮やし、
ってったって、イシハラさん、そんな常識的な先が読めないバカじゃないと思ってたが、バカだったのか?
あまり言いたくないが、自分もちょっとは皇族と関係があると言えなくもない家系だが、
タケダとかその息子とか、あれはなんなんだ?
コムロとかもそうだが、日本の皇室を結果的に汚す行為も許せん、がまあそれは別として
イノセが当選したのは、イシハラが怒って投げてしまったオリンピックを継続するため、
それこそ電通なりスポンサー企業なり自民党政府なりが働きかけたからだ
当選したイノセはオリンピック誘致のため、関係者の関係修復に奔走するが、
というか、イノセは俺はヤクザも怯えるジャーナリストだとか自称していたが、
愛人とドライブ中に起こしたひき逃げを時効にしているという週刊誌記事が再掲されたり、
あれもまた、流石にここまでバカだとは思わなかった、という話であって、
某著名人の方の打ち立てたタイトルをお借りして申し訳ないですが、こういう話ってやっぱりいじめを"乗り越えられた"体験談ばかりだなと思って。いじめられた経験持ちで今現在"いじめの過去を乗り越えられていない"立場として、今いじめられている人に向けた言葉というか、といってもまあほとんど独り言のようなことを言いたいと思います。
自分は中学時代の3年間全校生徒からいじめられた経験があります。具体的な出来事はあげないけれどそのひとつひとつが今の自分を作っていると思います。悪い意味で。挨拶ができません。人前で話せません。怖いので。ありがとうもごめんなさいも言われるのが得意ではありません。それが本心ではないと疑ってしまうので。球技ができません。玉を当てられるのが怖いので。チームプレーや団体行動ができません。自分がいては足を引っ張ると萎縮してしまうので。小さなことです。小さなことだから、なんでこんなこともできないの、と言われます。余計つらいです。そういうの、自己責任なんです。いじめられた過去があって、で許されることじゃないんです。そこから変わらなきゃ、って言われることなんです。でもまあそうですよね。普通に挨拶しない人とかみんなと一緒に動けない人とか、迷惑ですもんね。
どう考えてもいじめられていない人の方が有利なんです。今いじめられているあなた。その経験は今後なんの役にも立ちません。だってそうじゃないですか?いじめられた経験が今後の人生の糧になるなんて言ったらいじめを肯定することにならないですか?だからもう、いじめられた時点でいじめられただけ損なんです。最悪です。死にたいです。今だって死にたいです。死なないのは死ぬのが怖いからです。死ねた人ってその恐怖に勝てたんだからすごいなあと思います。自分は多分今後も死にたいなあ死にたいなあと言いつつ死ぬのが怖すぎて死ねないままのうのうと生きるんだと思います。なんかそういうのすらつらいです。
今自分はいじめられていません。でもいじめられていた過去は何も解決してないし、ひとつも乗り越えられていないし、少しも許せていません。いじめから逃げることも、戦うこともできませんでした。だから毎日つらくて、死にたくて、まわりのみんなに死んでほしくて、のたうちまわってます。でもさ、それでも、人生楽しいです。そんなんでも、楽しいって思えることがあります。この世界は残酷なので。毎日死にたくても好きなアニメは面白いし、大人になってやっとできた友人とバカみたいな話してバカみたいに笑うの楽しいし、ごはんおいしいし、オナるの気持ちいいです。思えばいじめられているときもそうでした。いじめられてても読んでる漫画は面白かったし、お父さんの昔話聞くのが楽しかったし、ごはんおいしかったし、オナるの気持ちよかったです。それでも死にたいです。それでもつらいです。どっちかじゃないんです。良いことも悪いこともどっちもあって、悪いことの方が多いから死にたくて、でも死ぬのが怖いくらいにはちょっと良いことがあって、ここまで生きてきてしまいました。
今いじめられている人へ。あなたに、死んじゃ駄目だと自分は言えません。本当に本当に生きるのがつらくて、どうしても死にたいんだったら、それを止める権利は自分にはありません。だって自分も死にたいので。死にたい分際で他人の死にとやかく口出せません。でも、死ぬのが怖いって少しでも思うなら、死んでほしくないって思います。名前も知らない存在も分からないあなたに、自分は死んでほしくないです。自分もいじめられてたから。これから先生きてて、いじめを乗り越えられた人みたいな、まるで常人のような幸せは訪れないかもしれません。でも今死ぬのが怖いなら、死ぬのはちょっと待ってほしいんです。その先を何も保証できないけれど。怖いうちは、死なないでって、そう思います。自分が死ねないから他人にも死んでほしくないだけ?そうかもです。他人事だから死なないでなんて簡単に言える?それもそうかもです。それでもやっぱりどこかで誰かが死ぬのは悲しいから。とんでもないただのエゴだから、聞いてくれる人だけでいいんです。別に絶対自殺するなって話でもないんです。ただちょっと、痛いの怖いな、自分がいなくなるの怖いな、死ぬの怖いな、と思ったら、それは後回しにして、おもろい本あったら読んで、話せる人がいたらおしゃべりして、美味しいごはんがあったら食べて、いいオカズあったらオナって、そんな感じで、なんとかならないかなって思います。自分に言えることはそれだけです。長々とすみませんでした。どうかあなたの人生が幸せで、あわよくばいじめっ子に天罰が下りますように。
競馬って本当にクソだな……
ウマ娘のライスシャワー回を見たときも同じような気持ちになったけど、今はもっとその気持が強い
人間が勝手に競走馬をレースに出して無理やり無茶な運動させて、それで無理をさせて壊しておいてケチをつけるとか虐待にもほどがあるわ……
剣闘士を競わせて死にものぐるいにならなければ👎ブーイングをかましているのと何が違うんだ
なにが「ナマケモノ娘」だよ
なにが「くだされた天罰」だよ
読んだ時は「ほーん。ゴルシみたいな面白エピソードがあったんやなー」程度に思ってたけど、史実を知ったら愕然としたわ
菊花賞馬になったフクキタルだったが、古馬になってからは一転して、裂蹄や球節炎など蹄の病気に悩まされ、順調にレースが使えなくなり、勝てなくなった[5]。
5歳時には金鯱賞6着[注釈 6]、鳴尾記念8着、有馬記念13着と全て着外に終わった。
6歳時には京都記念2着、産経大阪杯2着となったが、春の天皇賞は7着、宝塚記念は5着に終わった。
そして、7歳時に金鯱賞10着を経て出走した2000年の宝塚記念8着後、調教中に右前浅屈腱炎を発症し引退。細川自身が個人所有するという形で種牡馬となった[5]。結局、菊花賞後、1つもレースで勝つことができなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/マチカネフクキタル より
面白おかしく脚色されたおかげでギャグみたいな空気に昇華されてるけど、やってること自体は単なる残酷ショーだろ
いくつもの不調を抱えながら頑張って走って、それでも「期待はずれ」「金返せ」「騙された」「福来る(笑)」ってかよ。
本当に不快だわ。
俺はウマ娘だけで十分!
一部の週刊誌などでは、高学歴だったことで逆に周辺住民の一部から馬鹿にされたりやっかみを受けていたとか
婿養子みたいな形でトンカツ屋を継いだから、義父との間で店の経営方針や調理方法などで確執があったらしいし
トンカツ屋を継いだことで学歴が無駄に高く見えてやっかまれたのでしょう
そう考えてみると、石原慎太郎は東日本大震災の被災者を天罰呼ばわりしたわけだけど、
無実の罪で島流しにされた?菅原道真公が雷神様になったとでもいいましょうか、
寧ろ、今回のオリンピックは、オリンピックを誘致した人たちへの天罰ではないか、
というわけで、
ちょうどその頃から祖母がボケ始めた。休日に祖母の家に来てくれと電話が鳴り、母が出ないので私が取り、仕事で疲れているから無理だと断っていた。
社会人1年目の冬、知らない番号から着信があったので出てみたら、祖母のかかつりけ医らしい。
母と連絡が取れないので、祖母宅にメモがあった私の番号にかけたらしい。
祖母の病状が悪く、一度見に来てほしいとのことだったので休みを取って行った。仕事が佳境だったので恐る恐るだった。
祖母はがんにかかっていたらしい。顔が酷く腫れ上がって明らかに弱っていた。
小学生の時は私をネグレクトした母の代わりにご飯を作ってくれ、父宅に住んでいた時も、私を呼びだして会う度にご飯を奢ってくれ、お小遣いもくれた祖母だった。酷い状態に涙が止まらなかった。医師の話も聞いた。
何回か通ううちに、私のことを祖母の妹の名前で呼ぶようになった。それがつらくて行くのをやめた。
祖母の親族と母に連絡するだけで自分の役目を終えたような顔をして、また仕事に行って休みは寝たり遊んだりする日々に戻った。
仕事が終わって自宅の最寄り駅に着いたばかりの私は、「疲れているので行けない」と返した。
祖母はそのまま亡くなった。連絡が来てからやっと自分のしてしまったことに気づき、熱を出して寝込んだ。熱が下がらないまま遺品整理の手伝いに行ったがまるで役に立たなかった。
葬儀の喪主は母だったが、やはり様子はおかしかった。親戚や父も含めて会食をしようとしたらしいが、場所を押さえてないので無理だった。八つ当たりされたので逃げ帰った。
小学生時代は祖母に育ててもらったようなものなのに、大学生にもなってお小遣いを貰っていたのに、なんで仕事で疲れたくらいであんなに簡単に切り捨てられたんだろう。自分はまともな人間だとばかり思っていた。おばあちゃんごめんなさい。
骨壷は母が持っていたが、どうも墓に入れるのを面倒がっていたので、私が行っている墓には祖母がいないかもしれない。墓越しに謝ることすらできない。
墓参りには線香しか持っていかなかった。あとは掃除だけして帰った。
祖母は私の着物姿を見て喜んでくれた。習字で金賞が取れなかった時だけ怒られたけど、私がもらった賞状やトロフィーをたくさん並べていた。
次は花を持っていった方がいいだろうか。祖母の好きな花も知らない。仏花は菊だったっけ?
私が死んだら祖母に会って謝れるんだろうか。
比較的楽しく過ごしているけど、ふと祖母のことを思い出す度に罪悪感で苦しくて涙が止まらなくなる。本当にごめんなさい。父と母に振り回されていた私をかわいがってくれたのに、報いるどころかネグレクトで返した。
言い訳しようと思えばいくらでもできる。そう思う度に自分の外道さに反吐が出る。仕方なくなんかない。疲れていたとか関係ない。祖母に比べれば大変なんかじゃなかった。休みには遊ぶ余裕があったのになんで行かなかったんだ。きっと私がそういう人間だからだ。屑だ。生きていていいのだろうか。父と母が死ぬ時も私はこうなんだろうか。私が代わりに死ねばよかったのにな。ごめんなさい。ごめんなさいと伝えられない。ごめんなさい。おばあちゃんは許してくれるだろう。こんな屑に優しくしてくれたんだから。
天罰を与えてくれ。
原発利権のNHK番組が話題になってたが、マヌケな国民を馬鹿にする最高の内容だったと思う。
10年後にやるってそういうことでしょ。逃げ切らせたあとの申し訳の程度の正義。本気だったら5年以内にやりなさいよ。そんなやついないからこんな国なわけだし沈むんだけど。
そもそも2度も核爆弾食らってる国が世界で類のない原発事故を起こしといて、
この国の連中がやってたことといえばSNSでの放射脳レッテルの殴り合いと、享楽に塗れた日常を取り戻すための間違った現場主義と制度設計の追認だけだった。だれもなにも考えちゃいない。朝4つで満足する猿ばかりだ。
脱原発を言いたいわけじゃない。原発は必要だ。でもドイツくらいの国民的な議論はしようよ。ドイツはドイツでいろいろクソだけどさ。
これなら天罰食らうのがお似合いだわ
https://toyokeizai.net/articles/-/414929?display=b
まず、私は自分が大別すれば「左翼」かつ「リベラル」の立場にあることを自覚している。左翼の定義やリベラルの定義の困難さ、特に現在の日本で「リベラル」が「左翼」の言い換えのように使われて混乱が生じていることは十分承知しているが、そのあたりに触れるといくら前置きをしても足りなくなるので、要するにここを見るような人間たちがイメージする「左翼」であり「リベラル」であると考えてもらえばいい。ただし、左翼かつリベラル、というように私はこの両者は区別している。区別した上でどちらでもあるということだ。参考までに、最近やってみた下記サイトのポリティカルコンパスでは、
https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php
という結果だった。これを見てもわかるように「左派」と「自由主義」(リベラル)は別軸である。混同している人は気をつけてほしい。
そういう一人の人間として、件のイシグロ氏の発言への感想や疑問を書いてみる。
まず、社会制度の大枠を議論したり決定したりする際に、感情より科学的なデータやエビデンスが重視されるべきだというイシグロ氏の意見には私も異論がない。陰謀論やフェイクニュース、似非科学や歴史改竄に代表されるような事実軽視は、それが誰によるものであれ批判したいと思う。私は左派だが、左派の中にこの種の問題がないとも言わない。
たとえば近年では、日本共産党などがHPVワクチン副反応被害者の立場に寄り添うあまり、反ワクチン的な言説を許してしまっている(自分で言わないとしても、運動内部のそういう言説をはっきり否定しない)ことを歯がゆく思っている。誤解している人もいるようだが、日本共産党は本来はワクチンに否定的ではない。HPVワクチンについても、むしろ導入を行政に要求したりしてきた。しかし副反応被害を訴える声が上がり、裁判になってその原告を支援する立場となると、原告側の科学的根拠が弱い言説に対しても必要以上に寛容になっているように見える。それが被害を訴える原告の「感情」を優先したためなのか、あるいは裁判や運動を進める上での利害を計算したためなのかはわからない。そのあたりは人によっても違うだろう。しかし現在出ている科学的検証の結果が原告側に有利ではない以上、主張はデータを軽視しつつ苦痛の強調など感情に訴えるものになりやすい。イシグロ氏が言う「科学的エビデンスより感情が優先される」問題として私が連想したのはこのような例だ。
この件で一応私の意見を言っておくと、副反応を訴える人にはなるべく広く補償を適用しつつ、HPVワクチン自体は普及を進めるべきだと思っている。副反応裁判の原告団体については、補償の範囲を広げる運動としては支持するが、同時にHPVワクチンの勧奨再開に反対したり、さらには反ワクチン的な主張をする人物が混じっているのが支持できない。また便宜的に日本共産党の名前を出したが、私は共産党員ではなく関係も薄い。共産党に限らずHPVワクチン訴訟原告を支援する左派系政党や団体に共通する問題として挙げた。
しかし多くの部分で、私はイシグロ氏の発言に同意できず疑問を感じる。そもそも現状認識が私とは大きく違うように思うからだ。たとえば次のような部分だ。
"小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラルや進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。リベラル側の人たちはこれまでも本や芸術などを通じて主張を行ってきましたが、そうでない人たちが同じようにすることは、多くの人にとって不快なものかもしれません。
しかし、私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術も必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味の多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。
リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです。"
ここは私には非常に疑問が湧くところだ。何よりわからないのは、いったいいつどこの世界で「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許」になったのかということだ。
イシグロ氏が住むイギリスのどこかにはそういう特殊な場所もあるのだろうか。まあおそらく、イシグロ氏が属するコミュニティの大半が教養ある「リベラル」で、そこでは「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」はほとんど目につかず、その声が抑圧され死に瀕しているかのように錯覚してしまったのだろう。しかしイシグロ氏自身が言っているように、アメリカでは半数近くの人が一時的にであれトランプを支持し、イギリスではブレグジット派が不正ではない投票で多数を占めてしまったのだ。「リベラルや進歩的な考えを持つ人たち以外の声」は十分に力を持ち、各国の舵取りに影響を与えている。
語ることがリベラルの専売特許に見える世界とは、イシグロ氏を取り巻く知的で文学芸術を愛する少数のインテリの世界のことでしかないだろう。イシグロ氏もそれを自覚はしているようで、だからこそ「縦の旅行」というようなことを言う。しかしその狭いインテリ業界での経験を一般化し、世界全体がそうなっているかのように語ることこそがまさにインテリの傲慢であり、相変わらずその狭さに無自覚な発言だとは気づいているのだろうか。
イシグロ氏と違い、私は左翼でありリベラルである自分のような立場が日本社会で主流になり、語る権利を独占しているなどと錯覚できたことは一瞬たりともない。たしかに近い考えを持つ人の集まる場所というものはある。しかしそういう場に足を運びながら、その場を一歩踏み出せば「世間」は全く違うのだと常に意識している。「縦の旅行」などするまでもなく、日本社会で「普通に」暮らせば、全くリベラルでない人、左翼を蛇蝎の如く嫌っている人、そもそもそういう言葉も、そういう違いがあることも知らない人などに電柱並みの頻度で出会うのである。
たとえば私は天皇制は廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間をランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇の問題については、過去に右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論の不自由を懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論の不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。
「自由民主主義」の社会を享受してきたと語るイシグロ氏は、部屋で文章を書くだけでなく、デモに参加し、街頭で語ったりビラを撒いたりしたことがあるのだろうか。それは自由民主主義を維持するための不可欠な活動の一つなのだが。やってみるとわかるが、街頭では温かく応援してくれる人だけでなく、口汚く罵ってくる人にも出会う。私の知人の中には、突然殴りかかられてけがをした人さえいた。手渡したビラを一目見るなり舌打ちして破り捨てる人もいる。私たちはその断片を拾う。それでも受け取ってくれるだけましとも言え、多くの人は避けるように通り過ぎていく。「自分とは違う世界がある」どころか、周囲の人の大半は自分とは違う考えだが、それでも少数者として声を上げていくことは無意味ではないはずだ、と私は自由民主主義社会で日々自分に言い聞かせている。
日本で左翼をやっていると、自分が投票した候補者が当選することも少ない。民族的、性的、その他さまざまなマイノリティの権利擁護運動に関わっていると、そもそも多数決に任せれば無視されるのが当然、そういう世界でいかに存在を認識させ、主張を届けるかというのがあらゆる活動の第一歩になる。言うまでもない前提だ。
上記のイシグロ氏の発言で何度読んでもわからないのは、「多様性」についてわざわざ「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味の多様性ではなく」と言っていることだ。これは何なのだろう。イシグロ氏はここで、「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」と「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」をあえて対立させ、前者より後者の多様性が重要であるように言う。前者の多様性と同時に、それに加えて後者の多様性も、というならまだわかる。しかし、少なくとも多数決投票で勝利したことのあるような「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」の声を「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」の声より優先して聞こうというような提案が現状の「多様性」をどれだけ高めるというのだろうか。
また、「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語る」という記述を読んで私が疑問に感じるのは、これはいったい誰が、どの立場から語るのだろうか、ということだ。翻訳の問題などもあるのかもしれないが、これを読むと、その人々の世界を外の人間が「誠実に」語ることのように読める。たとえばイシグロ氏のような作家がブレグジット支持者の内面世界を誠実に想像して描くというようなことなのだろうか。
しかしそれは、その傍で言われている「誰もが語る権利」と矛盾する。「語る権利」と言う時、マイノリティの運動の中などでは特に、当事者が自ら語ることを重視する。当事者の心中を非当事者が想像して代弁することは推奨されず、場合によっては本人の言葉を奪う行為として非難される。トランプ支持者やブレグジット支持者にしても、たとえばイシグロ氏のようにもともと思想的立場の違う作家がいかにも理解ありげに、「あなたはこんなふうに思っているのでしょう」とばかりにその思いを代弁したら多くは反発するのではないか。だから原則としては、その声に耳を傾けたいなら、非リベラルと言われる人々に語る場を保障し、自ら直接語ってもらうのが正しい。
その上でイシグロ氏は、そうして語る場を提供して耳を傾けた時に飛び出してくる言葉が、「○○○人はゴキブリ、この国から出ていけ」や「同性愛者は天罰を受けて死ね」だったり、静かな口調で確信に満ちて語られる「あなたがたは皆ディープステートに洗脳されているのです、ぜひこの資料を見てください」だったりした時にどういう反応をすべきか、どこまで現実感をもって考えているのだろう。この発言が単なる綺麗事に見え、それゆえ面白くないのはこのあたりの現実に何も触れていないからだ。
イシグロ氏は「誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と言うが、これは理想論、原則としては全くその通りである。しかし現在問題になっているのは、その「誰もが語る権利」を尊重した結果次々と湧き出してくる陰謀論やヘイトスピーチへの対処を現実的にどうするかということなのではないか。先日話題になったツイッター社のトランプアカウント凍結なども、この原則と現実の間で行われた苦渋の選択だった。こういうリベラルの原則と現実とのジレンマは、「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか」といった形で長く議論されてきたテーマでもある。それで言えば、トランプ陰謀論支持者に向き合いつつ、あえて寛容の原則に立とうと語る下の記事の方に私は感銘を受けた。
"「トランプの陰謀論」が今なお5000万人を魅了するワケ。『白人ナショナリズム』著者、渡辺靖に訊く"
https://finders.me/articles.php?id=2529
私はリベラルだが、この問題についてはここまではっきりと「寛容」に立つとは言い切れない。ヘイトスピーチ規制にも慎重派でありつつ、現実的にやむを得ないとも思っている。各国の法規制の方針を見ても、それぞれの背景に基づく大きな違いがある。現時点で何が妥当か判断しにくい難しい問題なのだ。「私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と書斎で言い放つだけでいいならそんなに楽なことはない。
また、いくつかのブコメが触れていたが、たとえばトランプ支持者が陰謀論を信じるのはそもそもイシグロ氏が言うような「感情優先」のせいなのかというのも疑わしい。選挙の敗北を認めたくないという感情が陰謀論を信じさせているのだ、というのはあくまでも外からの解釈で、本当に信じている人にとっては陰謀論は「事実」そのものだ。実際、陰謀論を広めている人はしばしば「まずは事実を知ってください」と言う。誤情報にさらされ、修正機会がないまま信じ込んでしまうという現象は特に感情がからまなくも起きる。平凡な思想を感情的に主張する人もいれば、陰謀論を冷静に信じる人もいるのだ。トランプ支持のような現象を「感情優先」として批判するのは、陰謀論やフェイクニュースのような誤情報の浸透をどう制御していくかという問題に対してあまり有効でないように思う。
ちなみに、トランプ支持者やブレグジット支持者に向き合ってその声を聞こうとした研究や取材はすでに数多く行われていて、下の記事のように日本の記者によるものさえある。
"トランプ支持者はなぜ熱狂的に支持しているの? とにかく彼らに会い続けた記者が、これからも語り合う理由"
https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20210208.html
イシグロ氏が自宅でなぜリベラルは非リベラルの声を聞かないのかとぼんやり嘆いている間にも、実際にトランプ支持者の家を訪ねて話を聞こうとしているリベラル寄りの人間は山ほどいるのだ。イシグロ氏は「リベラルが」ではなく「自分が」ご近所の非リベラルの声さえ聞いてこなかった、と言うべきだろう。主語を大きくしすぎてはいけない。
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「穢れ」という考え方がある
それは事故物件であったり、自殺した家系だったり、水子供養を怠ったり、時効になった殺人犯であったり、
つまり、今回のオリンピックの発端は石原チン太郎であるわけだが、そこから穢れていたのではないだろうか
その穢れが脈々と受け継がれ、コロナという悪運を引き寄せ、今の混乱にまで続いているのである
しかし、よくよく調べてみると、それは首を吊った死体の着物の帯が畳を擦る音であり、その穢れが脈々と受け継がれてきた、
アホーが今回のオリンピックは呪われていると語っていたが事実なのではないだろうか
今すぐ、私のような優れた霊能力者に相談することをオススメしたい
誰かがこのオリンピックの穢れを断ち切らなければ、今度は関係している日本全体が穢れ、日本全体が呪われてしまうのである
そして、これは帝都が霊的に護られていないということも関係しているのではないだろうか
東に青龍、北に玄武、西に白虎、南に朱雀の🐘を建造する必要があるのではないだろうか
帝都に巣食う鬼神を祓うために陰陽師の助けが必要な事態にすでになっているのではないだろうか
そんなことをトイレで考えながら踏ん張ってみたが、期待した💩は出なかった
便秘がつらい
2/22追記
コメントしてくれた人、ありがとうございます。全部読みました。
てっきり「嘘松はテメーだろ」とか「長文うざい三行で書け」とかでいっぱいになると思ってた。
他人の過去は言っちゃいけない強迫観念もあったので、読んでもらえたことで少し気持ちが軽くなったと思う。
本オススメしてくれた人、ありがとうございます。さっそく読んでみます。
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Twitterを何気なく見ていたら、昔消えたはずの知り合いの嘘つきがバズっていた。
今度メディア進出するらしく、恥ずかしげもなく顔まで出してやがるからすぐ分かった。
もう終わった事だからと封じ込めてた憎しみが溢れ出して止められない。
怒りでどうにかなりそうと思ってカウンセリングを予約したが、急遽行けなくなったのでここにすがる。
当たり前だが犯罪を犯すつもりはないので人物特定されそうな内容はぼかしている。
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この嘘つきには悪意たっぷりに青春時代をぶっ壊されており、そのことで恨んでいる。
「本籍はドイツ」「親は世界的に有名な芸術家」「家のベッドは親から前借りして買った100万のベッド」が口癖。
例えば「ドイツのどこ?」と言っても「今はもうない」等とかわされて、自分もおかしいと思いつつ踏み込まないでいた。
しかし人を馬鹿にするネタ(腐女子スラム街とか)明らかな虚言が増えてきて、嫌になった俺は少しだけそいつと距離を取ることにした。
すると嘘つきの態度が急変した。
別の友達に、俺がやってもいない噂を流したり、俺を会話の輪から外そうとしてきた。
とにかく長い期間やられた。俺に分からないよう周りと結託するなどとにかく狡猾だった。
挙句の果てには、俺の鍵垢に裏切り者を忍ばせ、スクショとともに「見てるよ^^」とまで送ってきた。
限界が来た俺はそいつの連絡先をすべて消し、翌日から無視するようにした。
自分は何も悪いことをしていないのに、友達との楽しい中学ライフを奪われた。
下った。
Twitterで虚言がバズったことに気持ちよくなってしまったのか、内容はエスカレートしていた。
「店でヤバい客にコップで殴られ救急車なう」みたいな内容だったのだが、あっという間に拡散され、店に連絡したという奴まで現れ、もちろんそんな事件は起きてなかったことがすぐ分かった。
そこからは流石インターネットというべきか、すぐにそいつの専スレが立ち、今は消えたがNAVERでまとめも作られ、一躍有名人になった。
虚言癖のヤバい奴として。
この一件で俺は「さすがに懲りただろう」と思った。
俺もいつまでも引きずっちゃいけないなと、思い出す度に苦しかったが、自分に言い聞かせていた。
そんな時にTwitterを復活させた嘘つきを見て、俺の努力が無駄だとわかった。
まだ相変わらず虚言癖は直っておらず、腐女子スラム街ネタの応用でバズっていた。
本気で信じてる人がたくさんいて、フォロワーもたくさんいる。
今すぐコイツの本名と昔のアカウント名を公開して、こいつ虚言癖ですよと叫びたい。
人の人生に悪意たっぷりの土足で踏み込んでおいて、平然と逃亡する奴なんですよと。
でもそれをしたら訴えられても文句は言えない。だから我慢している。
でもこいつは我慢しなくていいんだな。
さぞ気持ちよかろうな、人を叩いて称賛を得て報酬まで得るのは。
そう思うとどうしても怒りが我慢できない。
この書き込みを最後にして、この嘘つきとの思い出をこれまでにしたい。
ご清聴ありがとうございました。