はてなキーワード: 場違いとは
オリジナルBLを書き、エロいことはロマンチックな恋愛の延長にあるんやなと、とにかく素敵な恋に憧れてきた16年間だった。ロマンチックで完璧なイケメンとの恋でなければ身体を開いてはならないと思っていた。
周りはみんな結婚している。彼氏がいる。つまり処女はマジで私のコミュニティにいない。ロンリーである。ええ…。
私のプライドのために前述するが、彼氏がいなかったわけではない。20歳の時から街コンに励み、4人くらい彼氏がいた。顔も悪くはないと思う。会社を顔採用されたくらいだ。まあ、派手ではないし、田舎っぽいけど、メインターゲットであるジジババにはウケる顔。そういう顔。
自慰もしたことがない。これマジでムカつくんだが会う男会う男「週に何回するの?」とか言うがこちとらつい最近まで生理の血がケツから出てると思ってたくらいだ。マンコの位置も知らん。ちなみにマンコは開通してないがケツは開通してる。切れ痔で病院行ったら問答無用でぶち込まれた。「これが…病院モノでいきなりぶち込まれる受けの気持ち…!?」とか思った。そのくらいしか下半身使ってない。
性欲があるかないかと言われれば毎日エロ本見ないと眠れないから中学生男子並みの性欲はあると思うがいつも自分で書くエロ小説は無心で書いてるからそこらへんもわからん。
話を戻そう。
BLで育った頭お花畑処女だが、現実に攻め様はいないらしいと言うのを最近気づいた。少なくとも私には攻め様を捕まえる受けくんみたいな魅力はねえなとも気づいた。
とてもやばい。気付くのが遅い。
これに加えて地下ヲタである。イケメンとチェキを撮り、至近距離でちやほやされてきた(営業)のである。見た目が喪女でどこの現場でもあわあわしてしまうオバサン(地下ドルヲタの子はみんな優しい)の為「増田さん前列どうぞ〜楽しいよ〜」と前を譲ってくれる。そうなるとまあ目当てのイケメンは場違いな女が前列にいるもんだから認知してくれてもうチェキトークの時にハッピーになってしまうのである。
恋人に求める顔面偏差値が爆上がりするのである。ここまで残してきた処女をブスで捨てたくねえ(自分の顔見て…)と言う気持ちになるのである。ついでにそのイケメンとロマンチックな恋がしたい!となるのである。これは経験談ですがイケメンは大体クズですのでロマンチックな恋はできません。もし良いイケメンがいても彼女がいます。もし彼女がいなかったらゲイです。火の鳥先生も言ってた。
もうね、ここまでくると哀れ。
しかも実家暮らし無職なんですわ。ここちょっと複雑な事情があるから端折るけど、まともな仕事につける身体じゃなくなっちゃって、今はイベント以外はベッドの上で毎日薬飲んで安静にしてる。イベント行くなよ。ちなみにベッドの上で何やってるかって大体BL小説書いてるか読んでる。お前さあ…。
結婚したいと言う気持ちはある。BLみたいなロマンチックな恋愛をしたいと言う気持ちはいっぱいある。男にちやほやされるのも大好き。
でも、妊娠はしたくないからどうしても性行為は出来ない。反ワクチンだったのがファイザー不妊の可能性の話聞いた瞬間打ちに行ったくらいだ。虐待と親の不仲がトラウマで家族が怖くて作れない。結婚と恋愛は別なのにね。でも、もし避妊に失敗したらと思うと怖くて出来ないんだ。私はその子を幸せに出来ないし。だから一発目はロマンチックな恋の末に結ばれたイケメンとヤりたい。そしたら失敗しても後悔しないから。そのセックスに愛があるなら、それには中絶する金の価値はあるでしょ?
こんな暗い話が出来るわけない。
だからいつも男漁りをしている。大丈夫、私は普通、男に興味がないわけじゃない、大丈夫、だって恋愛はしたいもん。私はBLみたいな素敵な恋をするの。大丈夫。きっと幸せになれる。
彼氏には「増田さん俺に興味ないでしょ」って毎回振られるのにね。興味あるわけないじゃん。そっちが告白してきて、私は世間様に「私は普通です!!!!」って言いたいから、だから好きでもないのに付き合っただけなんだから。毎回申し訳ないとは思ってるよ。いつか好きになるかもって期待するよ。でもダメなんだ。恋人は自分の鏡って言うけど、「私ってこんなにブスに見えてるんだ〜」って彼氏の顔見るたびに嫌になるから。彼氏のことアクセサリーとしか思ってないだろ。
多分、ずっとこのままなんだろうなと思う。
BLのエロシーンは嬉々として見る癖に、AVには吐き気がする。処女はさっさと捨てたいけどイケメンがいい。
そんな私を憐んで友人が女性用風俗を紹介してくれた。並んだイケメン達を見て「性格悪そ〜」と言って1人で笑った。
性格が悪いのは私だ。
性根が治らなきゃ一生処女だと思う。
いつかイケメンじゃなくても良いから本当に好きな人ができると良いね。それで脱処女出来たら、多分普通の人になれるんじゃないかなあ。
まあ、現時点で地下ドルに貢いでる時点で何もかも終わりですが…。
見るのをずっと楽しみにしていた一作だった。
ある程度予想はしてはいたが、
都内の某TOHOシネマズはもの凄い数の人であふれ返っていて、
やはりこういう光景を見せられると少し気が滅入る。
で、映画が始まる10分ぐらい前に席に着いたんだが、隣が若いカップルだった。
男女とも20代後半ぐらいだろうか。隣に座った男から安っぽい香水の香りが漂う。
二人はなんだか会話がぎこちなく、まるで今日が初対面みたいな雰囲気だった。
(何かマッチングアプリの話をしていたので本当にそうなのかもしれない)
女の方はテンションがあまり高くない様子で、男の話に淡々と相槌を打っていた。
明らかに気まずい空気が流れており、男がポップコーンをハイペースでむさぼる音がそれを物語っていた。
共通の話題を探そうと必死だったのか、男の方が場内の客席を見渡して、女にその様子を実況し始めた。
やはり男女ペアで来ている観客が多いようで、さすがクリスマスだね〜なんてたわいのないことを話してた。
すると男が隣に座った俺を一瞥して、「なんか一人で来てるオジサンいるんだけどw」とボソッと女につぶやいた。
俺がハッキリ聞き取れたぐらいだから、わざと聞こえるように言ったのかもしれない。
こっちをチラッと見た女と一瞬だけ目があった。
女は少し吹き出して俺から目を逸らし、「やめたげなよw」と男の肩をポンと叩いた。
なぜかすごくつらくて、悲しくなって、自分がどうしようもなくみじめな存在に思えてきて、
映画が始まっても全く内容が頭に入ってこなくて、
あの場で笑ってなかったのは俺だけなんじゃないかと思うぐらい、あまりにも場違いだった。
急に顔から火が出るほど恥ずかしくなって、下を向き早歩きで駅に向かった。
映画を楽しんだ後はコンビニで酒とケーキでも買って帰るつもりだったが、
もうコンビニに行ける精神状態でもなかった。一刻も早く誰もいない部屋に戻りたかった。
部屋に入り、真っ先にぐしゃぐしゃになった半券をゴミ箱に捨てた。
大好きだったシリーズだけど、おそらくもう見ることはないだろうなー
可愛らしいビール腹のおじさんと、デートすることになった。「はあ……」
「なによ、その溜息は」
「いやさ、俺がこんな美少女と二人きりで出掛けるなんて……なんか場違いだなって思ってさ」
「自意識過剰ね」
俺は今、金髪碧眼の美少女こと『リリア・ダグラス』と一緒に王都を歩いている。
どうしてこうなったのかと言うと……。
◆ 時は遡り1週間前──。
俺達召喚された勇者達は王国から呼び出された騎士団長の話を聞いているところだった。
この世界には魔物という人類共通の敵がおり、奴らは人里に降りてきては畑を荒らしたり家畜を襲ったりと好き放題しているのだそうだ。
そして今回現れた魔王軍は今までとは比べ物にならないくらいの強さらしく、このままではいずれ人間の生活圏にまで侵攻してくる可能性があるとのこと。
そこで異世界より召喚した勇者達になんとかして欲しいというのが今回の依頼である。
しかし──。
「あのぉ……ちょっといいですか?」
おずおずといった様子で一人の女の子が挙手をする。
もう少しAIはおじさんを強調して❤
ぶいすぽ運営は八雲べにの代行をかばうためにリスナーにハイコンテクストな空気読みをさせないでくれ。
あのジェットは代行というか彼氏とか百歩譲って友達にやってもらったやつやん。
それをありのままに言うと、中の人の私生活の話になるから八雲べにを今後も活動させるために言えないのはわかるけど、なんでその有耶無耶を外野にやいのやいの言われてるのをリスナー側が受け止めないけないのよ。
RiotGamesもブースティングの時に運営と話して問題ないって言ってるけど、それはぶいすぽ含めたマーケティング面で飲み込んだのもあるだろうし、IPが変わってないからオフラインで操作された代行を突き詰めづらいというのもわかるよ。
たぶんRiotとしてもIP変わってなくてPC借りてやった代行を厳しく処罰したら、兄弟とか友達とかに1ラウンドだけ見本見せてもらったみたいな悪意無いやつまで全部厳しく見るのかみたいなややこしい問題になるからIPは変わってないとか言って有耶無耶にしたんだろうとも思うよ。
大会に出た海外選手が規約違反でBANされた件と比較して普通のランクでブースティングだの代行だのっていうのがダメの中でも重さがあるのもわかるよ。
わかるよ、V運営が演者を守ることも、Riotがマーケティング面だったり規約上はアウトだけどほんのりグレーがかったところまでぎちぎちにやらないとか。
でも二言目にはRiotが認めてます、ってそりゃ理屈は通っていると思うけど燃やしたいわけじゃないリスナーですらすっきりしないまま放置。
代行じゃないならこの間やったバロ配信でジェットやればよかったじゃん。
一ノ瀬がジェットやるからって意見が出るのわかってて一ノ瀬とバロやってるようにしか見えないって。
今日の20時からチーム分けだけど、たぶん八雲べにはジェット専の一ノ瀬とチーム組んで、「べにちゃんのジェット見たい」ってコメントが完全に場違いみたいな環境作るんじゃないかと思ってる。
復帰後初ゲーム配信のarkの時も一ノ瀬、なずちゃんとかのちゃんとしている組に入っていたし、保護観察みたいになってるじゃん。
ただブースティングについてはちゃんと釈明した運営がここについては配信で見せるって言ったから初回バロとかでジェットやってすっきりできると思ってたのに結局有耶無耶のままでRiot棒で黙らせてるだけじゃん。
政治運動において敵対者への嘲笑は時代や地域を超えて普遍的である。
SNSにおいても、特定政治家のみならず支持者や大衆への嘲りは、もはや見飽きた光景だ。
だがその効用は明らかとは言い難い。
嘲笑することは一見、敵対者への攻撃にはなるが、第三者の反応はまちまちだ。
一緒になって攻撃するか、逆に攻撃者への批判を呼び起こすか、そういった争い自体を忌避して場を立ち去るか。
とくに、最後の効果、つまり政治自体を忌避させる原因を、政治運動における嘲笑に帰結する分析もある。
支持を拡大するという目的にマイナスにもなりうるのにも関わらず、なぜここまで嘲笑が溢れているのだろうか。
社会学において支配関係を類型化した初期の学者であるマックス・ヴェーバーは、政治運動の上層部が運動員に与える精神的報酬のひとつだとしていた。
選挙活動などの強力な支配行動に人々を動員するには当然、従わない人間よりも多くの報酬が必要である。
しかし、(とくに猟官制の廃止された後の)民主主義では、大衆を動員するときに直接的な経済的見返りを与えられない。
それ故に様々な精神的見返りを与えることが必要であり、「嘲笑のための大義名分」がそれにあたるのだと。
この描像だと、嘲笑はあくまで精神的な見返りのひとつであり、怒りや復讐心の発散なとど同列とされ、そこまで重視はされていない。
政治家がトップダウンで操る戦術のオプションとして扱われている。
現代的な心理学の描像だと、嘲笑はもっと政治に直結したものだとみなされる。
そもそも、「笑い」という行為や付随する情動は、自他の思考や行動の間違いを指摘するために獲得されたと考えられている。
人は、社会的に正常な状態だと思いこんでいた状態が間違っていると発見したとき、その気付きに対して笑う。
自分が間違っていたと自分で気づいた場合には行動を改めるだけだが、重要なのはこれが仲間に、かつ攻撃的に向けられたとき(すなわち嘲笑)だ。
期待されている効果は、間違っていた人間が態度を改め、仲間に従うことだ。
だが、仲間の「間違い」に気づいたとしても、実際に正しいのは自分なのか、相手なのか。それはどうやって決まる?
社会的な正常さを決めるのは、群れの政治的力学だ。人間の原始的社会は単純な多数決でもないし、かといってリーダーや強者による完全な序列制でもない。
たとえば、強く序列が高い人間の笑いには追従の笑いをもたらす効果がある。これによって周囲から笑われた人間は態度を改める。
しかし、リーダーが明らかに間違っている場合には、群れの全員から嘲笑され、リーダー側が反省を強いられる場合もある。
場違いな場面で他人を笑った人間が、逆に間違いを笑われることもあるだろう。
このように、嘲笑とは複雑な政治行為の最も原始的な発露であり、人間特有の行動である。
無論、現実、とくにSNS上の政治言論における嘲笑はこの2つの描像の中間にあるというのが実際のところだろう。
特定の政党や政治家、言論人が嘲笑行動を種々の政治目的で扇動する場合もありうる。
そういった目的を持たない、無意識の笑いが政治シーンに影響を与えることもある。
ただ、そういった背景を無視して効果だけを見れば、ひとつほぼ明らかな事実がある。
嘲笑は多数派を固めるためだけに有効であり、それ以外の場合には逆効果になる、ということだ。
集団的に行われる嘲笑は、味方には精神的報酬をあたえ、仲間関係を確認し、支持を固めて動員する効果がある。
また、怒って反応する敵対者をあぶり出し、敵として認定することもできる。
日和見派のうち気の弱い人間には追従笑いを引き起こす。彼らはすくなくとも言論の場では逆らわないことが期待できる。
そして、何よりも重要なことに、それ以外の無関心層を遠ざける効果がある。
これによって、多数派の勝利を確定させる一方、少数派にとっては確定するのは敗北となる。
さて、ここから考えると、もしあなたがすでに多数派だとわかっている場合だけ、集団嘲笑戦略をとるのが合理的である
だが現実には、少数派が集団的に他人を嘲笑し、かえって袋叩きに合い、劣勢を固めてしまうという現象はありふれている。これは何を意味するか?
まず、自分が多数派か少数派かを判断するのは、大半の人間には難しい。
社会調査などの客観的な指標でなく、周囲の人間の意見を重視してしまうバイアスは容易には逃れがたい。
次に、感情を抑えてまでマクロに合理的な政治行動を行うほどのインセンティブは個人にはない。
感情が進化的な意味では合理的であったとしても、それは過去の環境に適応したものであり、現代政治における合理性とは相容れない。
これらはそもそも戦略的に振る舞えない個人がいるという問題だ。
が、真に重大なのは、この理由により「少数派に属している時、味方が嘲笑という不合理な選択をとりうる。そしてそれに対する良い戦略がない」ということだろう。
その味方は自身を多数派だと意識的あるいは無意識に考えている。
嘲笑に追従しないことは、対象を孤立させるシグナルとなるし、たしなめたり批判したりすれば敵対行為だとみなされるだろう。
よって追従することが局所的には合理的だが、それにより嘲笑は拡大し、多数派の敵対者や日和見派の目にとまり、敗北を拡大することに貢献してしまうのだ。
この問題にたいする回答は筆者の力量では思いつかない。
SNS上において政治言説をひろめたい、政治的に少数派であると考えている人々は、この現象に対応する戦略を考案する必要があるだろう。
首相枠ではなく○○省枠で。
当時、「桜を見る会」の招待状は1業種2通と言われていた。
自分が参加したとき、もう1通の招待状を受け取ったのは知人で、前年の叙勲者だった。
招待状には「平服で」と書いてあったので知人(前年の叙勲者)に相談すると「叙勲は正装だからモーニング・色紋付き。今回は準正装だから男性はダークスーツ黒革靴、女性は訪問着」とのことだった。
自分でも調べてやはり準正装が相応しいだろう、と思ったので用意した。
「平服って書いてあるんだからなんでもいいじゃないか」と思うかもしれないが、業界を代表して参加することになる……と思うとそんな訳にもいかない。
開園は午前なので、地方からの招待客のほとんどは前日からホテルに宿泊、女性はホテルの美容院で着付け、その後タクシーで移動というスケジュールになる。
皆、交通費以外にもホテル宿泊代やら美容院代やらタクシー代やらの出費が大変だったのではないだろうか。
自分も「この機会に○○を~」と薦められた。高額なものは断ったけれどそれなりに買ったものがあって結構出費した。
当日。
指定時間通りに門に到着した招待客は、自分も含めて、皆、スーツや訪問着などの準正装だった。
だが。
準正装の自分たちが園内に入ったとき、中はすでに「先に入った人たち」でいっぱいだった。
メイン会場に食べ物飲み物もなかった。どこかに残っていたのかもしれないが、自分が近づける場所にはなかった。
「なんだかおかしいな」感をさらに高めていたのは「先に入った人たち」の服装だった。
メイン会場で騒いでいた「先に入った人たち」の大半は言葉通りの平服だったのだ。
セーターにパンツ姿の女性もいた。まるで旅行にでも行くような格好だな、と思った。
だから、数年後、「桜を見る会」が問題になったときには「なるほど」と思った。
○○省枠で一度きりの招待状を受け取った自分たちより先に園内に案内された人たち。
普段着みたいな格好で我が物顔で騒いでいた人たち。
あの人たちは、当時の首相の安倍サンが招待した山口県の支援者だったんだな、本当にバス旅行でやってきた団体旅行の人たちだったんだな、と。
メイン会場は妙に騒がしく、自分が居るのは場違いな雰囲気のように思えたので、知人(前年の叙勲者)と園内を散策して門の外に出ると、公務員らしき人たちがレジ袋に入れた升を掴んで面倒くさそうに渡してきたのでまたびっくりしてしまった。
招待された客(大したものではないかもしれないけれど、一応、功労者と認められた人たち)に対する態度ではないなあと思った。
税金で飲み食いしようと思うからそういう目に遭うのだ、という人がいるかもしれない。
が、多くの人は「これも仕事のうちだ」と思うから数万円(人によっては数十万円)かけて支度をしたのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。
「桜を見る会」は、以前は素晴らしい催しだったのかもしれない。
地方競馬の園田競馬場。馬場は良。天候は曇り。枯山水をなぞるように、1051mのダートコースが広大な砂漠に見えた。
バイトに入っていない日の大学生は暇で退屈である。何せ授業はオンデマンド。大学に行く必要も、時間通りに授業を受講する必要もない。大文字焼きの如く絨毯の上で燃え尽きていた午前11時過ぎの私に、一本の電話が入る。
「今日、競馬見に行くって言ってなかったっけ」「それは土曜日の話ではないのか」
「地方競馬は平日開催なんだよ」
別に後の予定もない。何も知らないままノコノコと競馬好きの友人に連れられて、阪急園田駅に辿り着く。
競馬場へ直通する無料送迎バスは平日にも関わらず満席近かった。古臭いバスにロクデなしを詰め込んで、街中のバス停を次々に通過していく。曇空も相まって、車内からはデスゲームの香りがした。
山中に連れられることは流石になく、100円の入場料を支払いマスコットキャラがお出迎え。お土産屋さんや屋台もあるのに、どこか雰囲気が澱んでいる。休日のひらかたパークが天道ならば、園田競馬場は地獄道に違いない。ホームレスの様な格好の老人達、明らかに営業をサボっているスーツ姿の男性。人間も修羅も畜生も餓鬼も超えた地獄がここにあった。
そんな地獄で、しまむらで買ったウマ娘のトートバッグを肩にかけた私は、カープ女子も青ざめる位に場違いな人間だった。園田競馬のダートコースを前にして、競馬の馬券の買い方も知らない。
競馬ファンからすれば、きっとオアシスとも呼べる競馬場。私はそこで、砂漠を見つめ立ちすくむ。
友人には悪いが、競馬に興味を持つ事は出来なさそうな予感がしてならない。
ブコメや増田の反応を見ていて、乳揺れ=お家芸という反応が見られなかった事に、時代を感じて、一言書いておきたくなりました。
既に書いたように、ある時期のゲームにおいて、乳揺れはお家芸という認識が、少なくとも私にはありました。
ブコメで散見されたスパロボシリーズの乳揺れは、既に、乳揺れが(日本固有の)お家芸として定着していたゆえの表現だったのではないかと思います。
乳揺れが印象的だったと思える作品として、コナミのポリスノーツが最初に思いつきます。
まだまだゲームのメインユーザーが若い男性だった頃で、当時は、全年齢向けの健全なお色気として、乳揺れがあったように思えます。
近い世代にあった、トゥームレイダーシリーズは、乳が一切揺れない事が(狭い範囲では)話題になるぐらいには、日本のゲームでは、乳揺れがお家芸として定着していたように思えるのです。
だからどうだと言う話ではないのですが、乳揺れ=(お色気路線の)お家芸という認識からすると、それを公の場所に持っていくのは場違いだと思う一方で、自分としては(一種の)文化だと思っていたものが、そのように認識されていなかったというのも、何だか寂しくもあり、書いておきたくなった次第です。