はてなキーワード: 冗談とは
映画が好きだった。いや、大好きだった。
こんな事を言ったら蓮實重彦に怒られそうだ。でも、有村昆なら許してくれそう。
本当に映画が大好きだった。
映画館には年に百回以上行っていた。TOHOシネマズ、イオンシネマ、ユーロースペース、シネマカリテ、ギンレイホール、シネマヴェーラ、新文芸坐、早稲田松竹、地域の映画上映会……。
コロナ禍になってからは行ける機会がほぼなくなった。そして、映画館の経営危機のニュース。SAVE the CINEMA の募金が始まったらすぐに入金した。世界が元に戻ったら、毎日のように映画館に通おう。そう思っていた。
2日程度で終わると言われたが、私の場合は終わらなかった。どんどん悪くなっていき、事前に言われてた副反応以外の事が起こり続けた。
たまたまだろうと気楽に放置していたが、放置すればするほど悪くなった。1ヶ月目あたりから色々な医者に診てもらったが何もわからない。やがて、通院すら厳しい体調になった。家でほぼ寝たきりの生活。
それぐらいから初めてネットで調べた。本当に珍しいようだが、私のような人が相当数いるらしかった。みんな困っていた。診てくれる病院が無い。
どうやら最悪のくじを引いてしまったらしい。
ずっと映画のことを考えていた。
接種直後から首と肩の激痛が始まって「これじゃ映画館には行けないな」と思った。
九月の終わりには自宅ですら映画が観れなくなった。5分ほどで強い症状が出てきたからだ。どうやら映画はかなりの負担がかかるようで「二度と映画は観れないかもしれない」と思った。
それから映画を観なかった。何度も試して、身体の反応と映画が結びついてトラウマになるのが怖かった。
4ヶ月が経ち、いろいろな出会いがあった。
いくつかの症状は対症療法で苦痛が抑えられる事もわかった。ほぼ寝たきりに変わりはないが、症状をコントロールするための武器が増えた。
ふと、ネットフリックスを見る。
『チック、チック…ブーン!』が配信されている。ずっと気になっていたミュージカル映画。『RENT』を作ったジョナサン・ラーソンの自伝的舞台が原作だ。
ラーソン自身は35歳で早逝している。大動脈解離による急死。ウィキによると、正しく診断されていれば亡くなっていなかっただろうと書いてある。妙な親近感を覚えてしまう。
テレビからドゥーンという音が鳴る。懐かしいネットフリックスのSE。
手元のApple Watchを見る。心拍数は安定している。
映画が始まる。
これは持論だが、テレビやラジオと映画の大きな違いは「出演者のカメラへの意識」だ。もちろん、映画であろうと演者はカメラを意識している。だが、原則として「俳優がカメラを意識していないように見えている事」がその良し悪しに直結する。テレビやラジオはその点がもっと緩いのだ。多くの映画監督が「俳優は演技しなくてよい」と言っているが、これはある種逆で映画観客こそが「演技をしない俳優」を求めているのだ。
妙なこだわりを吐露してしまったが、要は映画独特の演技をしている人間を久しぶりに見ることができたのだ。
それだけで嬉しかった。喜怒哀楽を揺さぶるシーンでもないのに涙が流れる。流れ続ける。
手元のApple Watchの心拍数を見る。心拍数は安定している。
物語は続いていた。
『チック、チック…ブーン!』は90年代のニューヨークを舞台にしたミュージカル。美しいメロディとウィットに富んだ詞、そして優しい物語。
主人公の三十路前のジョナサンはミュージカル作曲家を夢見ており、彼の周囲には貧しい芸術家たちがいた。ダンサーの恋人、LGBTの広告マン、そしてHIVの友達。
HIVなので「やあ、今日のT細胞は順調だったよ」なんて会話が出てくる。ああ、似たような会話、今日SNSでもやったなあ。
観ている間、ずっと涙が止まらなかった。
観終わった後、鋭い眼痛とやや強い頭痛が長時間続いたが、幸いにもひと眠りしたら収まった。どうやら通して観るにはまだ早いらしい。
それから週に1回だけ、30分おきに休憩を入れながら映画を観るようになった。
途中で止めるなんて、以前の私なら映画への侮辱だと思っていたかもしれない。
でも、いいじゃないか。
ラーソンのミュージカル『RENT』に「SEASONS OF LOVE」という歌がある。
歌詞がなかなか興味深い。
525,600分、この人生における一年分の時間を人はどうやって測るんだろう?というような内容だ。
歌にはいろんな単位が出てくる。コーヒーを淹れた回数、笑った回数、喧嘩した回数。
自分も思い浮かべてみる。
Suicaを改札にかざす回数。
上司に怒られる回数。
後輩に冗談を飛ばす回数。
朝の散歩で澄んだ外気を吸い込む回数。
映画館に行く回数。
8月を境に数えられなくなったものがたくさんある。
何で測ればいいんだろう。何で測れば救われるのだろう。
でも、いい言葉だと思った。
例えまったく外出できなくても、これから何かを、誰かを愛する事は出来る。
そして、こうなってしまってから助けられた、たくさんの愛を数える事ができる。
決して今までの人生に負けてない。
消去されることもあります。ご了承ください。
書く構想を練れば良かったと思っているし、
冗談はここで半分にして
今日は応援している赤坂ドリブンズの村上淳プロに対する愛を伝えたい。
ドリブンズチーム内で今一番辛い思いをしているのではないかと個人的には考えている。
しかし、得てしてファンであっても伝えたいことがあり文章になるときは、
配慮が足りずに、なにかに対してネガティブになるということが避けられないこともある。
前置きが長すぎた。
素人の文章なんだ、6分以上の内容の濃いインタビューのようにではなく、
読む時間を短くできるように書いていきたい。
これを読んでいただいている方のほとんどは、
https://mj-news.net/mjpro/20210517158409
バラエティーでも登場することがある。
https://www.youtube.com/watch?v=izYdOatTec4
かなり辛い思いをしてきたのが伺えるし、ちょっと不器用なのかなと
人気があるというと
https://anond.hatelabo.jp/20211216105035
「大切に思っている人が大切に思っているものを大切に思う」
こんなこと言えるのカッコイイなと思った...
愛って技術だなと思って「愛するということ」という本が思い浮かんで
読み返したいと思った。
「あらゆるタイプの愛の根底にあるもっとも基本的な愛は、兄弟愛である。
私のいう兄弟愛とは、あらゆる他人にたいする責任、配慮、尊敬、理解(知)のことであり
ツイッターにおいては、ごく稀に誰もがチームや選手への愛が強すぎて荒ぶってしまう。
それが私でないときは「ちょっとまて!」と思いながらも、自分も冷静になれと心を鎮め、
そんな不器用な表現でも、心から愛してくれているファンであれば
「大切に思っている人が大切に思っているものを大切に思う」
ファンの応援で今期初トップのインタビューで泣いてしまうぐらいの村上淳プロをみると
まさにこれか。たぶんこれだ。これなんじゃないかな。と文章を書きたくなった今日なのである。
このくらいにしておきたい。
でも最後に言いたい。
毎週息子と遊んでいるこども館にちょっとした有名なお父さんがいるのね。見た目は小太りでいっつも同じパーカー着てる感じで頭はモジャモジャ。そのお父さんも毎週小学生の息子さんと遊びに来てるんだけど、毎回プラレールやら積み木やら工作やらおりがみやらを大人の本気レベルで作るし(大人が見てもメチャ凄い)、話も面白いから周りの子どもにも超人気があるのよ。コミュニケーションオバケ。
先週、世界地図の前で子どもたちと一緒に国探しゲームをやったんだけど(正しくはそのお父さんが世界地図の近くに立ってたら子どもたちが寄ってきた)、そのお父さん、マニアックな国とか凄い知ってるの。子どもも親もみんなすげーすげー言ってて。子ども館の職員の人まで驚いてて、そのお父さんは冗談みたいに「まあオジさんはモーリシャス人の友達がいるからね」「オジさん実はブルキナファソの人とお仕事したことあるんだよねフフフ」とか言ってんの。で、オジさん面白いねーみたいな感じでみんなそれ聞いてゲラゲラ笑ってんの。きっと頭良いんだろうなくらいに思ってたわけ。
んで今日、凄さが溢れかえった話があって、たまたまちょっと日本語がうまくない感じの外国の方(アジア人)が子どもを連れてやってきたんだけど、職員の人が対応に困ってる中、そのお父さんが英語でカットイン、ペラペラ喋って通訳してるの。すげーなあと見てたら、外国人親子の会話が中国語なのを聞くやいなや、いきなり中国語に切り替えて話しはじめるの。しかもちょっと話せるとかいうレベルじゃなくて中国語でお母さんがゲラゲラ笑ってるレベルで。。。職員さんもびっくりしてて、何で中国語喋れるんですか?って聞いたところ、「まあ中国人の友達がけっこう居るんでハハハ」とか言ってるの。もしかしてあんた、モーリシャスやらブルキナファソの言葉も喋れるんじゃないのこの人。。。。
よく結婚のメリット・デメリットなんていう話はあるけど、シンプルに話し相手がいつもこそにいること、話そうと思ったら話し相手がいつもいること、これだけでも大きいメリットだと思うよ。
しかもその話し相手は、自分のことをとても良く知っていて、概ね許容し合うことができる。
結婚前は「休みが長いと、声を出さない期間が長いから、休み明けに声が出なくなる」なんて冗談も半ば笑えない話だったけど、今は休みのほうがよく声を出している。
夫さん「きのう何食べた」愛読者だったりして。というのは冗談としても。
何かの本で「食べ物を美味しくする一番の調味料は背徳心だ」というテキストを読んだ記憶がある。
どんなにAが良いものだったとしても「BはダメだからAが良い」と言われるとAの良さがどんどん陰っていくようなあの感覚。
うまく落とし所がさがせるといいのだけどな。
焼き肉を食べに行ってもカルビなんて数切れ食べればもうギブアップするような歳になってからじゃ遅いので(50代の切実な訴え)、理詰めタイプのパートナーなら決まった曜日や日に食べたいものを食べさせてくれ(今日の仕事のご褒美…ってわけにもいかなくなるけど)とか”決まり事”にしてる人たちなら知ってる。
推し情報:ゲーム配信者 目元の顔出しをしていて、Vlogを投稿することもある。
複数人でプレイするゲーム配信にも参加することが多々ある。配信サイトの有料メンバー機能を使用して特典(メン限配信など)も実施。
先月、あるコメントに対して反応。
配信中などにおいてもう少しファンサービスを学んだ方がいいという(ある種冗談まじりの?)コメントに、「アイドルではないです」と発言し意見表明のための動画を投稿。
推しはアイドルのようなことを期待されるのは嫌だと言っている。
でも私はアイドルを見るのと同じように推しを見ていたと自覚している。
見方やコメントの仕方を改めないといけないのかと思ったけどふと思ったのは、
「矛盾すごない?」ということ
推しが「アイドル」として何を想像しているのかわからないし、そこに食い違いがあることは察しがつくけど、
https://twitter.com/kmovie/status/1468455515760238594
画像四枚の詳細
この例だと、『私作る人』に敏感な組織と、そうでない組織で対応が違っているという話になる。料理をする際に『女だから』『母だから』以外の理由を用意しておけば批判は回避できる。
雑談が苦手だ。
たぶん、うまい返しをしないといけない、相手が話しているのだからしっかり聞いてあげないといけないと身構えてしまっているからだろう。またそういうことができる人でありたいと思っているから、会話している際に自分の発言や所作、目線に気が合ってしまい、リアルタイムで内省しているので、もはや相手の話は聞いてないレベルである。そして汗汗となっている…。
特に冗談を言ってくる人に対してどう返事したらいいのか分からなくて、内心では漫画のキャラクターみたいに汗汗となってしまうよ。ただふふっと笑えばいいだけかもしれないけど、自分の笑い方って嘘っぽくなくないかな、おもしろくもないのにぎこちなく笑っててこいつ気持ち悪いなとか思われてないかなって、頭の中で考えちゃう。
あと飲みの席とか、相手が話してきてもほーん、とか、ふーん、はあ、としか頭の中に浮かばんのよ(困り)
私はちょっと発達障害的なところがあって(メンクリのカウンセラーさんが言うには健常寄り。国語は人並みにできるし、読書も好きだし、人の感情が読み取れないとかはないと思うんだけど)自分から会話の言葉が出てこないから、言葉を無理に捻り出してこないと冷徹無言マンになってしまう。
正確には今までの対人経験やテレビなどから人との接し方のパターンが蓄積されてるから、それらしいことをエミュレートしてるだけで(人間みんなそうやろって感じだけど)自分の中にある人との(本当の?)接し方を出せてない気がする。自分の口から出てくる言葉にぎこちなさを感じて苦しい。
だから私は人と過ごすのがすごく疲れるし、だれよりも友達がいない。猫は好き。
こうして久しぶりに文字にすると、Twitterで生きるのつらいなって連日つぶやいてた10年前となにも変わってないなって、苦笑と微笑みと自分への若干の愛おしさを感じました。
初増田どもでした。