はてなキーワード: 作詞家とは
これまで聴いた曲の中でもこれほどカッコ良い歌詞は他に見た事が無い。
作詞の 冬杜花代子 女史は他にも「超獣機神ダンクーガ」のOP曲「ほんとのキスをお返しに」など数々のアニメソングの作詞を手掛けたらしい。
へえ、知らなかった。しかもいかにもカッコ良い男の曲、というコブラの作詞を担当されたのが女性だったのか。ルパン三世のテーマの歌詞と同じで男性作詞家さんだとこれまで思っていた。
アニメ「スペースコブラ」はブルース・ウィリスの吹き替えに並んで野沢那智さんの演技を楽しめる良い作品だと思っている。まだ序盤しか見ていないが、いつかは最後まで見てみたい。
余談だが原作漫画「コブラ」は元々ジャンプ・コミックスだったらしい。自分はMFR MFコミックスという調べたら角川レーベルの廉価版でしか読んだ事が無かった。何か事情があって集英社を離れたのだろうか。
全く関係ないがこの「ロマン」を「口マン」と読み間違えてる人が居て下品だと感じた。パッと見では分からない事は分かるが、いきなり口マンという言葉を使う機会が果たしてあるだろうか?今のところ無いと思う。
この前、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグが現れ、著名人・芸能人が大量にそれをツイートした
その結果、これまで政治に無関心だった層も政治について考えるきっかけが生まれた
もしかしたら、著名人・芸能人のアクションによっては、社会全体の政治への関心度合いが変わるかもしれないと思わせてくれた
が、誹謗中傷についてはどうだろう
著名人たちは、ツイートやインタビューはもちろん、歌や小説、ドラマ・アニメの映像等、無数の作品にも乗せて
人格攻撃の先には悲しみしかないことを、直接的に、あるいは物語の中で伝えてきた
(まあ彼らが、ではなく、それをつくった作詞家や脚本家が、が正しいが)
にもかかわらず、誹謗中傷はなくならない
どんな有名人が動こうと、何が起ころうと
どんな形でもいいから、フレディの声が聴きたいんだよ。ボヘミアン・ラプソディでガチ泣きしたよ。
嫌だ、冒涜だ、って言ってる人達は何が嫌なんだろうなって思って、思いつく限りの理由をあげてみた。
同じように亡くなってる方の合成音声って、知ってる限り、植木等さんと三波春夫さんとhideさん、後は淀川長治さんがいたはず。
多分今回のパターンと近いのは三波さんかな。
hideさんの「子 ギャル」の時も騒がれたような気がするけど、生前の声との合わせ技だったからまだ良かったの?
三波さんのは娘さんがGOサイン出した上、合成音声は3DCGも含めて無料配布だったはずだよ?
もしかしたら、ここなのかな?
hideさん以外のふたりは、植木ロイドとかハルオロイド・ミナミとか、機械ですよ、別物ですよ感を出してる。
淀川さんはポリゴンみたいなCGで「蘇る」って煽りだったから、hideさんはそのまま「hideさんの新曲です!」ってリリースしたからか、今回みたいに騒がれてたね。
三波さんは音声データが無料配布されてるから、新曲を出す人は出すし、カバー曲を歌わせる人は歌わせるよね。それも嫌なの?
…まあ、新曲が出るなら、生きてる本人に歌って貰いたかったのは分かる。
ちゃんと三十年の歳を重ねた本人だったら、どう歌ったんだろうね。
亡くなった人に「私も歳をとりました」って歌わせるセンスは、個人的には凄いと思うし、本人に歌って欲しかったなあって気持ちにさせるのはさすがだと思う。
本人亡くなってるからなあ。
息子さんがGOと言ったら仕方ないのでは。
声を仕事にしている人は、これからは遺言書に「声を合成しないで」と書かないと駄目なのかもしれない。
物真似の人はいいのかな?
ふざけた、もしくは似てない物真似をした時と、今回のパターンと、拒否反応は同じになるのかな?
本人と変わらないような歌わせ方したら、今以上の拒否反応が起きると思うんだけどな。不気味の谷現象だっけ?
初音ミクが出た時に、そのまま歌わせたら不自然だ、上手く歌わせたら気持ち悪い、って嫌悪感バリバリの反応が凄かったの覚えてるよ。
ここなのかな?
淀川さんでよく叩かれてたのはここだった気がする。
本人が亡くなった後の映画を褒めさせた、とかで。
本人が言わないことを言わせるのは嫌悪感が出るのかも。
声だけの出演だったら許された?
三波さんと淀川さんはロボです感を前面に出してたよね。
ひばりさんに良く似た物真似の人を連れてきていたら、話はまた変わったんだろうか。
ここかな?
声を切り刻んで合成して、勝手に歌わせて喋らせた。
着るはずのない服を着せて、体を人形のように動かした。
ここまでしか思いつかなかった。
以上。
この設定があったの知らなかった。
これが悪いんじゃないの?
「生きている元気なひばりさんを、そのまま連れてくる」レベルになってたのでは。
その不可能なレベルをどこまで再現したのか、って見て、「機械」「偽物」だと感じてショックだったのかもしれない。
でも歌声担当さんとCG担当さんは、だいぶ頑張ったと思うんだ…不自然にならないようにって。
この発想、全くなかった。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつか。
小椋佳さんとか。
阿久悠さんの遺品の中から、ひばりさん用の歌詞が出てきた!とかだったら。
(阿久さんってひばりさんの歌詞書いたことなかったんですね…)
そもそもボーカロイド技術が嫌い、とか、 CGが嫌い、とか、そういう人も居たりするのかな…
やっぱりこれなのかな。
森進一さんの「おふくろさん騒動」を見て、そう思っただけなんだけど。
作詞家の川内康範さんが怒った理由は「台詞を無許可で足したから」だった。
…歌の中の語り部分を、歌詞だと思う人の方が少ないんだろうか。
現段階では以上。
ぜんぜん詳しくないので聞いてみる。
それはそれとして、流れてくる曲はいいなと思った。
で、動画サイト(Youtubeやニコニコなど)でそれらのMVを見てたら(クリアしたり、条件解放するのめんどくさいので)
「この曲ハロプロっぽい」とかリアルアイドルの曲に似てる、ってコメが流れるのが目に付く。
聴いてみると確かに似ている気はする。
増田はその辺詳しい(特にリアルアイドルの方は造詣が深そう)と思うが、じっさい似てると言っていいものなの?
何曲か「作詞家・作曲家が同じ」という楽曲もあるそうで、それが似てるのはそりゃそうだろうよ、と思ったりもするのだが
全体の傾向として、「似ている」といっていいのだろうか?
【追記】続編書きました。この記事、釣りなんですがまあ、とりあえず読んでから下記の追記へとお進みいただけると嬉しいです。
https://anond.hatelabo.jp/20190703165854
前々から、ずっとADHDの気配を背後に感じながらも怖くて振り向けずにいた。
いや怖いというよりかは、面倒。知ってしまったらお金、どのくらいかかるんだろ?仕事はどうなるんだろ?制度?調べること多くない?
面倒だー、無理無理、ちょっと頑張ればどーにかなるから医者行かなくても平気平気。
そう思ってたのに、ちょっとの頑張りが積もり積もってメンタル崩して仕事を失い、ニートの期間ができてしまった。
メンタル崩すっていうのは毎日泣き暮らすようなイメージだったけれど、割と私は静かに壊れていた。
生活の中に、至る所で当たり前のように死が紛れ込む。そこに感情の機敏はなくて、ただ当たり前の発想として死にたくなる。そんな生活を数年は続けていたけれどある日行動に起こしてからは即解雇。ただの変わり者だと思ってたのに、こんなことするなんて。その「こんなこと」の原因は、我慢できなかった私に10割の非があるんだろうか。
そんなこんなで、うつ状態から抜け出すために精神科医に向かったついでにふわっと聞いてみた。ADHDってどう思います?
そう話した瞬間から診察の雰囲気が少し変わって検査日程が増え、あれよあれよと面倒ごとが増えていく。あーこれはニートじゃなきゃ無理だわ。生活の全てを費やすつもりで行かないとこなせねーわと思った。キャパシティが驚くほどに少ない。
結論として、うつにプラスしてADHDで間違い無いでしょうね、とのこと。
あっ、マジですか。
お薬も用意できますし、きちんと通えば手帳の申請も視野に入りますね、なーんて言われて。
帰って泣いた。
嬉しくって泣いた。
だってさー、毎日どうして自分は普通になれないんだろうって泣いてたから。
他の人は頭が良くて、どうして私はこんなにも頭が回らないのか。どうしてこんなにも私は話がまとまらないのか。どうして、私はこんなにも空気が読めないと言われるのか。
私の普通、はどうやら周りから見る普通ではないことはわかっていたけれど、私はどうやってもその普通にたどり着けないと泣いていたのだ。
毎日ムカついていた。どうして普通にできないんだと、周りも自分も思ってた。
あなたのそんな個性的なところ、素敵だよ!個性を貫き通して活かせば、今の時代は受け入れられるよ!みたいな風に言われることもあった。
優しい言葉に見えて、「お前は普通じゃないし昔だったら受け入れられてねえからな」って言いたいわけでしょう、っていうか個性的になりたいわけでも貫きたい信条があるわけでも無いし。
どこに行っても、はみ出してて、どうしてもっと頑張ってみんなに並ぼうとしないのかと、もっと頑張れ頑張れって言われ続けてた。
みんなから責め立てられてた。
でも残念でした、私はどうやっても普通になれないキチガイなのでした。
正直、煽ってるとかそういうんじゃなくて心の底から安心してるんだ、もう普通を目指さなくていいから。だって普通になれないんだもん。
今までの自分に対する、なんで、どうしての全ての答えが急に出てきて自分でも捉えきれないほどに喜んでいる。この世の全ての答えは、42じゃなくて私にとってはADHDだった。
私は怠けていたわけじゃない。
私は特別な心情のためにキャラクターを演じていたわけでもない。
私は個性的でありたいわけじゃない。
全部私は生まれながらにして頭がおかしかったんですどうにもならない救いようもない普通には到底なれない障害者だったんです。
幼少の頃、親は、クラスにいた車椅子を使う子に対してこう言っていた。
「あの子には優しくしてあげなさい。障害を持っているかわいそうな子なのだから」
じゃあ、私にも、もう頑張れと言わないでくれますか。もう子供として見ないで、障害者として、私に対して優しく接してくれますか。
肩の荷が降りてしまって、力が抜けて仕方ない。普通になれないと証明されることがこんなにも世界観を変える出来事だなんて思ってなかった。
それに怒りだって湧いてくる。
私に普通であることを、知らないからといって強要し続けてきた全ての世界が憎い。
あの苦しみの日々の全てを与えた人たちに、私の苦しみを分けてあげたい。
今まで、憎しみという言葉は自分にしか向けてこなかったから、明確に行き先のわかる憎悪が自分の中にあるのが不思議で、どうしていいのかわからず持て余してしまう。
と、ここまでその喜びと、世間へのざまあみろ!みたいな心意気を書き連ねてみたものの、書いている途中で、少しずつ昂りがなだらかなものになっていき、物事が冷ややかな輪郭を取り戻してきてしまった。
だって、私今まで毎日、思考と感情のほぼ全てを普通になることに注いできてしまった。
周りに笑われたくない周りにバカにされたくない周りと同化して見えなくなってしまいたいとずっと思って生きてきて、もっと普通にならねばと自己啓発本を読んで続きもしないタスク管理術を何度も試してみて、普通の人になりたい、なりたいと日々を過ごしてきたのに、結局私はなれないのだ普通に。だったらなんのための日々だったんだろう。毎日泣いて毎日苦しい死にたいと言ってきた日々、本当に意味がない。
解釈も文脈も全然違うけど、私の好きな作詞家の言葉で、要約するとこんな言葉があった。
「何も考えがわかないときは、空っぽの頭になんでもいいから知識を詰め込みなさい」
と。
映画でも本でも誰かと話すでもいいから知識を得ることで判断の基準が出来るのだと。
ならば私も今は、新しい自分の日々に向かって知識を蓄える時ですかね、そうですかね。
もう世界線超えたレベルで今までの価値観が全部、障害者手帳の言葉にぶっ壊されてしまったので、大人しく今は今後のためにインプットの日々にします。
映画を見るなら、なんとなく今はトゥルーマン・ショーの気分です。
私の世界は壊れてしまった。いや私が元から壊れてたんですけども。
わかってるわかってるそんな診断されたからって明日からみんながかわいそうなものとして扱ってくれるわけでもなく今まで通り誰からも足手まといの私がただ生きてるだけの日々が地続きでただただ伸びているだけなのはわかってるんだ。
私だけが世の中の不幸を背負ってるだなんて微塵も思ってはないけれど、驚いてしまってるんです。驚天動地で動転してるんですよ。気を悪くされたらごめんなさい。
という質問をヤフー知恵袋で見つけて回答が足りなかったので補足。
国が訴えられた場合、法令により「法務大臣が指定した職員」が国側の指定代理人として訴訟に参加することになります。
個人や民間企業と違って、弁護士ではなく法曹資格のない事務職員が代理人になることができます。
(もちろん実際には法務大臣が直接指定するのではなく法務省内部の決済により役人レベルでの選定になる)
この指定代理人について、知恵袋では「法務省の職員」「訟務検事」と回答されてましたが、回答が不足しています。
法務省の訟務部門の職員は訴訟事務については専門家ですが、たとえば国道の瑕疵について訴えられたとき、道路の知識はありません。
なので、訴えられた内容を所管する省庁の職員も指定代理人として参加します。
指定区間外国道や二級河川といった国の財産だが法定受託事務として地方自治体が管理しているものは、地方自治体の担当職員が国指定代理人として出廷します。
法務省訟務部門の職員は、国側の主張を取捨選択して整理したり、書面の形式を整えたり、相手側(原告)代理人弁護士と裁判進行についてやりとりする。いろいろ調査して準備書面の中身を作るのは各省庁の職員、というふうに役割分担してます。作曲・編曲家と作詞家みたいな関係です。
その道何十年という専門知識をもった各省庁職員が、給料をもらいながら仕事として原告に対抗するために調査して資料を作って、さらに訴訟の専門知識をもった法務職職員が仕上げをするのだから、手弁当で活動する原告の国民が勝てるわけないですね。ずるいですね。
(同じことは刑事裁判における警察・検察VS被告・弁護士にも言えますね)
私は地方自治体の職員ですが、かつて里道の時効取得について訴えられたとき、国指定代理人として法務局訟務部門の方と一緒に出廷したり証拠資料集め・現地調査したりしてました。(今は里道水路は市町村に譲与されたので国はタッチしない)
個人的には相手に同情したり、その主張するならあそこを探せば証拠があるかもしれないのに弁護士も知らないのかなぁ、と思うことがあっても、仕事なので相手には言えずつらかったです。
法曹である訟務検事は偉いさんなので、個別の裁判には出廷しません。
法務省内部で職員に指示したり書面の決済審査をしてるのでしょう。
私は3年間で3件の国相手の訴訟を担当して法務局職員とは裁判含めて30回以上顔を合わせましたが、訟務検事は一度も顔を見たことがありません。
地方自治体が訴えられた場合も、国と同じように自治体の職員が指定代理人として参加します。
地方自治体には訟務部門はないので、法務省職員がやってた役割は顧問弁護士にお願いすることになります。
(地方自治体の職員は3年ローテで全く畑違いの担当に異動するし、顧問弁護士も行政訴訟の専門家というわけではないので、国相手の訴訟にくらべたら勝ちやすいかもしれない。)
名画座で映画を観たりもしてた(昼間ね。お芝居もマチネがある)
今日査定だしたアイドル女性のVideoは、普通は私より年上の男性が欲しがるようなものかもしれない。
私がそれを持っているのは、
好きな作詞家と作曲家のご夫婦がプロデュースさなっていたからだ。もちろんCDも持っている。
なのでCDは売らない。
他にもこの作詞家と作曲家のご夫婦プロデュースのアイドルや歌手のものはほぼ完ぺきに持っている。
言の葉の美しい迷路をたどり、このままさまよっていたいような、
私の10代はそんな風であった。
たいがいこの作詞家と作曲家のご夫婦のファン層はもっと年長だ。
プロデュースされたアイドルなども、たいがい好きになって、応援もしていたなぁ。
みんな違ってていいんだ。私たちはそれを知っていた。
anond:20180903115144 の続き。
NHKで全マクロス大投票(https://www.nhk.or.jp/anime/macross/)が開始されましたね。えっご存知ない?そんなあなたはこんな文章を読む暇があるなら今すぐ回れ右して魂の一票を投じましょう。ちなみに増田は複数票なら初代とプラスも入れるのにと作品はフロンティア、キャラクターは真っ先にシェリルに投票してその後に悩み抜いた末、もっとも印象的だった人たちであるカムジン(文化の負の側面を体現してみせた)と熱気バサラ(歌の力のみで世界を救った)に投票しました。
以下ネタバレ全開の感想。なお、三角関係の項が相当気持ち悪いので注意。
追記。視聴環境はバンダイチャンネル「劇場版マクロスF 〜イツワリノウタヒメ〜(HDクオリティ)」(https://www.b-ch.com/titles/3414/)の7日間視聴コース。540円なり。
冒頭の新曲ライブでいきなり劇場版クオリティを見せつけられたのだが、正直前半はTV版からの流用が多かったので、間違い探しをしている気分だった。しかしそのせいで新規カットは圧倒的にシェリル関連であることに気がついてしまった。後半に入ったら新しい映像がほとんどになったのだが、TV版と展開の違いは無かった。一番大きなTV版の違いはアルトに託したシェリルのイヤリングが無くならなかったことかな。イヤリングはシェリルの手元に一つアルトの手元に一つ……つまり……。
個人的には人間関係を積み上げる日常パートも好きなのだが、劇場版でやっている暇ないよな。ちなみに一番好きなシーンは、自由落下中にシェリルの髪が風圧で直毛になるところと、オズマがガウォーク変形で地上回避をやってみせるところと、事故でアルトにのしかかられたシェリルが焦って思いっきりグーパンチをアルトに叩き込むところ。
VF-25は相変わらず超かっこいい。そしてTV版の感想で不満点として挙げた待望の地上戦が最高の演出で追加された!フロンティアの街という市街地を舞台に重力異常というフレーバーを加えたことで、ビルの合間を漂う瓦礫を回避しながらバジュラを撃墜するというものすごく映える状況が生まれた。高速で移動をするバルキリーが浮遊する瓦礫をマニューバやガウォーク変形で回避しながらピンポイントで射撃を行い再びファイターで加速する。すなわちバルキリーの様式美。そしてその高速機動を行うバルキリーに追従するカメラワーク。最高アンド堪能である。
前回のマクロスプラスの感想で、現代の戦闘機マニューバはプラスやゼロで濃密に描かれているので、それらを超えるドッグファイトを描くのは難しいのではないかと書いてしまったが、完全に誤りだった。疑ったことを深く反省する。シチュエーションさえ違えば十分に新鮮なドッグファイトを作れるのだ!それから戦闘中に操縦桿やペダル操作をしている部分を描写するのはリアルさを感じてグッド。
まず最初にこれだけは書いておく。 (祝)シェリルさまがメインヒロイン! いやもうデート・日常パートの新規カット追加や、劇場版でのランカとシェリルのポジション変更(ランカは初対面から後輩に、シェリルはトップアイドルから怪しいトップアイドルへ)、失われなかったイヤリングにより名実ともにメインヒロインと言って良いだろう。特にシェリルがデートパートを新規に書き起こされたのに対して、ランカは歌の道へ歩む大事なきっかけであるアルトの紙飛行機が幻視に変更された。TV版と同じくランカがフォルマで what 'bout my star を歌い出すきっかけとなるのはアルトの紙飛行機なのだが、劇場版ではアルトは紙飛行機を飛ばしていない。だからランカの見た紙飛行機は空へと溶け込み、(今後を暗示して悲しいが)幻想だったことが分かるのだ。
TV版では、シェリルとランカの歌うことに対する気持ちというのは、シェリルはただ一つだけの自己表現手段であり、ランカはみんなに歌を届けたいと思っていたけど実はアルトに聞いてほしいというものだった。TV版でランカが三角関係の一角を占めていたのは、この気持ちが育つ段階があったからに思う。だからランカが以前からアルトに淡い気持ちを抱いていたという劇場版の変更は、ランカのフラグにしか見えなかったよ。劇場版の関係性の中でアルトとランカを引っ付けようとするなら、シェリルを強制退場するしかないよなーなんて思っていたら……サヨナラノツバサへ続く。
新曲を含め劇場版でも好きな曲はいっぱいある。OPから鮮烈なビートを叩きつけてくる「what 'bout my star」、を耐えたと思ったらいきなりの新曲アンドグリグリ動く劇場版クオリティの3Dモデルに言葉も出なかった「ユニバーサル・バニー」、悲しすぎるニンジン再びの「スターライト納豆」とランカの変形(とキメ顔)含めてメロディアスな名曲である「ダイナム超合金」、雪降るシティに寄り添うような歌声の「そうだよ。」などなど語りたいことは大量にある(そうだよ。の歌詞、サヨナラの伏線だったのかな)。
しかしながら劇場版で増田が一番好きな曲は「pink monsoon」。この曲はアルトとシェリルのデートで流れるメロウな曲調かつ大人っぽい歌詞の曲なのだが、個人的にこの曲以上にフロンティアの街角に流れるのにふさわしい曲は無いと思っている(次点でwhat 'bout my star)。シェリル・ノームがトップアイドルでアルトやランカが学校やバイトに毎日過ごしている、そんな平和な街の日常にテレビやラジオからこの曲が流れている。そんな感覚を呼び起こすような曲だ。pink monsoonを聞いていたら、マクロスフロンティアという作品が好きな理由には魅力的なキャラクターや歌があるけれど、坂と路面電車、街中のSFガジェット、中華飯店娘々やゼントラモール、そんな近未来感とノスタルジーに溢れたフロンティアの街そのものがすごく好きなんだなって思った。魅力的なフロンティアがあるからこそキャラクターたちも生きてくるのだな、と。
ところで「pink monsoon」の歌詞があまりにも曲調にマッチしているから、作詞家のGabriela Robinって誰なのか気になって調べたら、菅野よう子さんの変名だと知った。菅野さん、作曲センスだけでも才気爆発しているのに加えてアレンジまで手がける超人だと思っていたら、さらに歌詞まで書けるのか。もしかして菅野よう子さんって天才では?
それから音楽演出で感心したことがあったのでメモ。後半の「ライオン」の時に気がついたのだが、歌ありの曲は全て劇中に音源があり、しかも音源の状態が音に反映されている。例えば「ライオン」であれば、ランカがセリフを喋るのはシェリルが歌っている間で、シェリルが喋るのはその逆。そして二人が喋るときは間奏など歌詞が無い時。また、サヨナラノツバサになるけど、ビルの壁スクリーンから「ダイアモンドクレバス」が流れる時はスピーカーの品質が良くないので音が割れる(ひび割れた歌がギャラクシーの非情な作戦を象徴するという演出効果)。気にする人はそれほど多くないかもしれないが、このような劇中歌の整合性に対する細かい演出は非常に好感が持てる。歌が作品の柱というだけのこだわりであると思う。というか自前の歌でストーリーを回せてしまうのって冷静に考えたらすごいな。
サヨナラノツバサまで入らなかったので次:anond:20190315022241
プリキュアの歌で有名な人
スタジオライブはノーサンキューなのを先週の予告で見て、なんでけいおん???と思ってたらそういうことだったのか!!!!
へ~~~~!!!!!
けいおん仮歌レコーディング秘話とかあってくっそおもろいwwww
作詞家の人に収録当日どういう譜割りか教えてもらうまでどう歌うかわかんなかった、とか
あとスタジオライブもう一曲はもちろん今度のプリキュア映画の歌なんやけど、サビの振り付けは五條真由美が考えたものとか
五條真由美が子どもたちの前で歌うときに座ってもできるように手だけで踊れる振り付けをこれまでずっとやってきた、とか
プリキュア数字ブログの人はもちろん見てるよね!?!?!?!?!
あーーーーーーーーーーーよかったわあああああああああ