はてなキーワード: 伝統とは
いいお刺身の柵があったのでゲットよ!
これは半分はお刺身で切って残りの半分は漬けにするわ。
漬けってやっぱり横着せずに合わせ調味料を煮立たせないと行けないみたいな理由はよく分からないわ。
今になってその謎を解こうとしても、
これはもう先人の知恵としてそう言うものだと思って実行する方が考えるだけ無駄よね。
なんかもう夜には眠くなっちゃって寝ていたわ。
寝るに限るわ。
まあそんなことより、
1玉1ドルはゆうに超えていてなかなか買えないもう高級フルーツの域よね。
あと長ネギかな。
それでベーナーの鍋をこしらえて冬の美味しい味覚を満期するわ。
1週間で伝統の継ぎ足しベーナーの濃いスープが出来るんだけど、
これで作るおじやは最高よ。
あと饂飩もそれで締めを作るのもね。
肉しかりきっと野菜からもたくさん美味しい旨味成分エキスが溶け出しているので、
そう言うことになっているからしばらくはお粥研究の第一線からは遠のいてしまっているわ。
まあそれでお粥つくれば一石二鳥の研究結果もとい一石16鳥ぐらいの16匹分の鶏肉を出汁のスープが出来ているようなさまだわ。
寒くなるけれど、
夏と違って保存もきくからそれはそれで鍋長い期間楽しめるのよ。
春はあけぼの冬は鍋に限るわ。
ってぐらい冬の下の句は鍋に限るにしてもいい季節だと思うし、
いろいろな具材がいまは食べ時期ごろよ。
たくさん野菜を食べるなら今がチャンスなので、
あんま話し変わるんだけど、
ビリヤニ沼にはまったらはまったで大変そうなので
見ても見ぬふりをしていて
決してスパイスなんか買い集めようとは思わないし、
オニオンとトマトで味が旨味が決まるならスパイスはできあい既製品の市販品で投入すれば、
はまったらはまったで大変なので目論まないわ。
逆にいったら、
日本の生米をそのバスマティ米の用にパスタのように茹で方でアルデンテでいいんでんて?って思うし、
そう言う茹で方したお米なら、
本格的なビリヤニ憧れるわー。
お店の味をお家でも再現できたら美味しいわよ。
まあしばらくは動画で欲を満たすわ。
あの沼ったら大変なビリヤニの作り方動画はしばらく見ないことにしたいけど、
こないだインド祭があって言ってきたので
それはそれでしばらくビリヤニもういい!って嫌いになるぐらいで
でもこれってべ、べつに饅頭嫌い!って言ってるわけじゃないんだからねっ!って言いたいぐらいなこんな世の中にまともなビリヤニの食べられるお店の少ないこと少ないこと、
たぶんだけど、
一度バスマティ米で味わってしまった米はウォークするぐらい美味しいし、
以前マーケットのフードコートに謎のインド料理レストランがテナントあって
美味しいビリヤニを食べられていたそんな何でも無いようなことが幸せだったと思う昔を懐かしむばかりよ。
インド人現地シェフはテナント料が高い高い!っていつもぼやいていたけど、
たぶん日本でレストラン開業できるよ!ってそそのかされてやってきたけど、
自分のお店を持つどころか、
マーケットでのテナントに入店して思ったよりテナント料が高かったって想像を絶していたのかしら?
そう思うと気の毒だけど、
もうあの味のビリヤニの美味しい旨味が味わえないと思うと淋しいわね。
32件ハシゴして分かったわ。
凝ってるところもあれば手軽に作ったものもあったりして、
この季節になると
鍋を作りながら
あの頃の美味しいビリヤニのことを思ってやまないのよね。
シェフ元気かな?って今でもたまに思うわ。
うふふ。
玉子とレタスサンドのが今日なかったので期間限定よろしく終売なのかしら?
名残惜しいわ。
美味しいものには終わりがあるのよ。
この時期安定的にまあそこそこ買えるグレープフルーツがデトックスウォーター界隈では重宝されているので、
昨日の文化的な行いのつもりで、
搾りマジ果汁じゃなくて、
半月切りの輪切りにしてこしらえた、
ピンクグレープフルーツウォーラーね。
もう物の値段が色々高いわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
【ローマAFP時事】イタリア北部ジェノバで1日、子供の誕生を屋外で祝っていたペルー人の男性(41)が、近隣住民の男(63)が窓から放った矢で射抜かれ死亡した。
ANSA通信によると、被害者の男性は前夜、2人目の子供が誕生したばかりで、南米出身の友人らと祝宴を開いていた。弓を放った男は騒音がうるさいと抗議し、目撃者によると、人種差別的な怒鳴り声の後、弓を持ち出した。警察はイノシシ狩り用の弓とみている。
そうだよ金額だよ。
カルトと新興宗教の違いは何か? という定義にもそれが関わっている。
でもカルトは、カルト以外の人間関係を破壊することで、カルトに信者を依存させる。
借金してでも信者にお布施をさせることで、家族との仲が不仲になる。
家族と信仰どっちをえらぶんだ!となれば、ヒトは往々にして信仰をえらんじゃうんだよな。
むしろ『神がつくった男女の性別をなくそうとしている!』と噴き上がっている自称伝統的な人の方が、
キラキライメージに乗っかってLGBTQA+を脊髄反射で肯定したり、
生きづらいだけで繋がろうとする人よりもよほどものを考えていると思うよ
LGBTQA+は既存宗教の影響の強いコミュニティーでマイノリティが攻撃を受けないための説明文、
生きづらい人が自分以外にもそういう人がいるんだなって知って安心するためのラベルであって、
『LGBTQA+』という生物がいるわけじゃ無いです
もちろん、『男』『女』という生物もいません
anond:20221101093708 anond:20230113130430 anond:20230113132449
元増田(anond:20221031034248)はフツーのこと言ってると思うわ
こういう種類の人間もいる、この人物は神の教えに背いてはいない、神はミスをおかしてはいないを積極的に明示していかないと、
家族と絶縁どころか地域全体から村八分、なんだったら自称伝統を守る人から物理攻撃を喰らう危険性があるので、
マイノリティの身心の安全を守るためにLGBTQA+を浸透させるは大切なことだと思う
けどそれ以外の国で自分の性嗜好をわざわざ言って回るのはただの基地外なんだよなぁ・・・
もちろん、それ以外の国であっても、マイノリティのために『ただここに存在するよ』だけを示しているものなら、
賞賛に値するし、自分も誰かのロールモデルになれるよう襟を正さなきゃって思うけど、
改善・試行錯誤をせず、とにかく生きづらさのみで繋がろうとするからな
さらにはその特性を持っていない生きづらい人まで LGBTQA+ にキラキライメージでも持っているのか名乗り始める
発達障害にはキラキライメージが無いので無能の言い訳がしたい人以外は通常自称しないと思うけど、
アセクシャルを自称する人は、アセクシャルがキラキライメージが無い発達障害と強い関係性がある認識を持っているのか気になるところだな
この問題は何度も世に出てきていると思うが、法治国家のことを勘違いしている人がけっこういる。
表現の自由界隈からも「法律を超えたら表現の自由はない」ってのが無邪気に言われまくってるけどさ、じゃあ、「本日から漫画を描いてはいけない」って法律ができた瞬間、漫画を描く表現の自由はなくなるの?逆なんだよ。表現の自由が先にあって、それを侵さない範囲で規制が許されるだけ。
これに対して
自由を侵害する法律が作られたら法の手続きに基づいて侵害されないように法改正をするのが法治国家の自由の行使なのだ。
法治国家原理は、法律の法規創造力の原則(国民の権利を新たに制限し、義務を課す法規範は国民代表議会のみが作ることができ、行政が立法してはならない※)、法律の優位の原則(行政活動は議会制定法に反してはならない)、法律の留保の原則(国民の権利を新たに制限し、義務を課す行政活動は、法律によって授権されていなければならない)から成り立つ。これらのどこにも、自由を侵害する法律が作られたら、法改正を待つべきであり、あえて規制に逆らうべきではない、という議論は含まれない。
※これは行政に関する原理であるというのがミソで、私人同士で新たな義務を課すのは、原則として自由である。たとえば、100万円を借りるという金銭消費貸借契約を結べば、あなたはカネを返す義務を課されることになる。それに先だって国民代表議会の授権規範が必要であるというのは馬鹿げている。しかし、原則が自由だからこそ、社会における事実上の力関係によって一方的に立場が弱い契約を結ばされるということが起きる。そこで、契約の自由を制限する法律が制定されたり(例えば借地借家法を思い浮かべよ)、裁判所の判例法理によって調整が図られることがある。
二番目のツイートは、法治国家を(古代中国の法治国家の伝統もあって)遵法義務の問題と取り違えているだけで、些末な揚げ足取りではないかと思われるかもしれない。しかし、遵法義務の問題として考えてもおかしい。もちろん、国法は自らに従わない者に対して制裁の仕組みを用意することが多い。刑法にせよ、行政上の何らかの義務履行確保の手法にしても。刑罰という結果を避けるために従った方がベターであるというプラクティカルな議論としては意味があるだろう(事実としての強制秩序の問題)。しかし、それと服従義務とを混同するべきではない。たいていの法学者は、不正な法に対して服従する義務はないと考えているのではないか(例:ラートブルフ「法律による不法と法律を超える法」)。ラズなんかは、それを超えて、一般論としては国法への服従義務などない、と言っているようだ。
ただ、これは難しい問題で、誰が不正かどうかを判断するのかという問題がある。万人が自らに都合の悪い法を不正であると判断すれば、アナーキーとなり、宗教戦争の再来である※。しかし、実定法にただただ服従するべしと言えば、ナチスの法にも服従する義務があるのか(事実として強制されるからやむなく従うのではなく)と言われてしまう。結局、個々の法規範に則して個別的に判断する他あるまい。上記のツイートでいえば、一般論として漫画という出版様式の禁止を無視したからといってアナーキーに陥ると考えるのは馬鹿げているであろう。
現代の違憲審査制は、こういった正義と実定法のジレンマをなるべく起こさないようにするためにある。憲法に人権という形で示された一般的正義の原則に照らして裁判官が実定法を審査し、不正な法と認定した法規範の適用を拒否するという仕組みが我々の社会には導入されている。ただ、裁判官の目をすり抜けてどうしようもない実定法が作られることがないとは言えない。立法者と裁判官にさしあたって頼らずに正邪を判断する視点を持つことは、自由な民主的社会の市民であり続けるために必要なことである。・・・自分の頭で考えた結果、おかしな結論に到達する人もいるかもしれないのが頭の痛いところだが、それが自由であるということである。
悪法といえども国法に従う義務があり、悪法をただすには法改正に賭けるべきという態度は、肉屋を支持する豚と言われてもやむを得ない※。
※ひょっとすると熱烈なホッブズ主義者なのかもしれないが、ホッブズ主義者なら、本当に当該禁止によってアナーキーが避けられるのかをもうちょっと真面目に検討するのではないか。
参考文献
長谷部恭男『法とは何か[増補新版]』河出書房新社、2015年
おまけ:
それに反する法律は作れません。
こうした見解に対する批判は本文中にも書いた通りだが、この人の中では、薬事法(古い名前だ)の薬局距離制限規定が作られたことはなかったのだろう。薬事法は、自分に関連する分野ではないのか(薬剤師ではないから、違うかな・・・)。
「処女航海(maiden voyage)」「処女作(maiden work)」といった言葉に苦言を呈するフェミの方々が現れると、決まって「『船』や『ペン』が女性名詞だから『処女』が付くだけなのにそんなことも知らないのか」と得意げに反論をする人たちが出てくるのだが、はたしてこの「女性名詞説」は本当に正しいのだろうか。
Etymology
From Middle English mayden, meiden, from Old English mæġden (“maiden, virgin, girl, maid, servant”), diminutive of mæġþ, mæġeþ (“maiden, virgin, girl, woman, wife”) via diminutive suffix -en, from Proto-West Germanic magaþ, from Proto-Germanic magaþs (“maid, virgin”). Equivalent to maid + -en.
中世英語の「mayden」「meiden」は、古英語「mæġden」(「未婚の若い女性」「処女」「少女」「女中」「召使い」)に由来し、それは「mæġþ」「mæġeþ」に指小語尾「-en」がついた指小辞であり、それは西ゲルマン祖語の「magaþ」に由来し、さらにはゲルマン祖語の「magaþs」にまで遡る。「maid + -en」に相当する。
maiden (adj.)
c. 1300, "virgin, unmarried," from maiden (n.). The figurative sense of "new, fresh, untried; first" (as in maiden voyage) is by 1550s. In horse-racing (1760) it denotes young horses that have never run before.
13世紀。「処女の」「未婚の」。maiden(名詞)から。1550年代には「新しい・新鮮な・試されていない・最初の」という比喩的な意味(「処女航海」のように)で使われるようになった。競馬では(1760年)一度も走ったことのない若い馬を表す。
つまり、古英語(5世紀から12世紀ごろ)からあった「maiden(処女)」という名詞が、13世紀ごろに「maiden(処女の)」という形容詞としても使われるようになり、さらに1550年代になって比喩的に「maiden(最初の)」といった意味の形容詞としても使われるようになった、ということだ。
そして、古英語のころにはあった男性名詞・女性名詞の区別が、中世英語(11世紀から15世紀ごろ)では失われていることから考えると、1550年代に生まれた「『最初の』という意味の形容詞maiden」が女性名詞にしか使えなかったとは考えにくいだろう。
当たり前の話だが、同じ意味の単語でも、それが男性名詞か女性名詞かは、言語によってバラバラである。英語「ship」と独語「schiff」は共にゲルマン祖語に由来するようだが、どちらも中性名詞である。仏語「navire」と伊語「nave」はどちらも羅語「navis」に由来しているのだろうが、ラテン語とイタリア語では女性名詞なのに、フランス語では男性名詞となっている。
女性名詞説の人たちはしばしば「『船』はラテン語で女性名詞だったから」などと言うのだが、仮に英語の「maiden」が女性名詞に付くとしても、なぜ古英語などではなく、いきなりラテン語が基準になるのだろうか。「maidenは女性名詞に付く」という結論ありきで、「船」を女性名詞とする言語を探してきているだけではないのか。
女性名詞説の「処女作は『ペン』が女性名詞だから」というのもおかしな話で、普通に考えれば「作品」や「本」が女性名詞かどうかを考えるべきだろうに、なぜ「ペン」を持ち出してくるのかといえば、ラテン語で「ペン」が女性名詞だったことを探してきたからだろう。
女性名詞説の人たちがもうひとつ頼みとするのが「英語でも船をsheと呼ぶ」ということである。つまり「船をsheと呼ぶのは船が女性名詞だったことの名残である」というのである。
これについては以下のページに詳しい。
これは古英語にあった文法性とは無関係です.乗り物や国名を女性代名詞で受ける英語の慣習は中英語期以降に発生した比較的新しい「擬人性」というべきものであり,古英語にあった「文法性」とは直接的な関係はありません.そもそも「船」を表わす古英語 scip (= ship) は女性名詞ではなく中性名詞でしたし,bāt (= boat) にしても男性名詞でした.古英語期の後に続く中英語期の文化的・文学的な伝統に基づく,新たな種類のジェンダー付与といってよいでしょう.
「OED によると船を受ける代名詞としての she の初例は1375年である」らしいが、最初にも述べたとおり、英語に男性名詞・女性名詞の区別が残っていたのは古英語(5世紀から12世紀ごろ)までである。また、これも先述のとおりだが「古英語 scip (= ship) は女性名詞ではなく中性名詞」というのだから、女性名詞説の人たちの主張はまったくの誤りということになるだろう。
1. 英語の「maiden」は、そのあとを受ける名詞が男性名詞か女性名詞かに関係なく、「新しい」「最初の」という意味の形容詞として使われている。
2. その「新しい」「最初の」という形容詞としての用法が生まれたのは、英語から男性名詞・女性名詞の区別が失われた後のことである。
友達が最近藤村シシンさんがFGOをギリシャ史と絡めて解説する動画にハマったらしい。ヲタトークをしていたらシシンさんの動画が面白かったという話をしていて、それはいいんだけど、「古代スパルタだとお金をわざと重くして人々が堕落しないようにしてたんだって!」と楽しそうに語りだしたので「そんなことある???」と思ってしまった。古代ギリシャ史については素人だけど、流石にちょっと胡散臭くないか?
ということで調べてみました!
動画はこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=1R-hpr7FJdI
まあトーク番組だから出典をいちいち挙げないのは当然として、じゃあ何がソースなんだろうと思ってちょっと検索してみたら、元ネタはプルタルコスの『英雄伝』なのね……『英雄伝』はギリシャ・ローマの英雄たちの逸話を紹介してる本で、日本語訳も複数出てるけど、増田は素人だから手元になくて近所の図書館にもなさそうなので、ネットで英訳版を見てみることにする。具体的にはリュクールゴスの章に書かれているらしい。
Not contented with this, he resolved to make a division of their movables too, that there might be no odious distinction or inequality left amongst them; but finding that it would be very dangerous to go about it openly, he took another course, and defeated their avarice by the following stratagem: he commanded that all gold and silver coin should be called in, and that only a sort of money made of iron should be current, a great weight and quantity of which was very little worth; so that to lay up twenty or thirty pounds there was required a pretty large closet, and, to remove it, nothing less than a yoke of oxen. With the diffusion of this money, at once a number of vices were banished from Lacedaemon; for who would rob another of such a coin? Who would unjustly detain or take by force, or accept as a bribe, a thing which it was not easy to hide, nor a credit to have, nor indeed of any use to cut in pieces? For when it was just red hot, they quenched it in vinegar, and by that means spoilt it, and made it almost incapable of being worked.
In the next place, he declared an outlawry of all needless and superfluous arts; but here he might almost have spared his proclamation; for they of themselves would have gone after the gold and silver, the money which remained being not so proper payment for curious work; for, being of iron, it was scarcely portable, neither, if they should take the means to export it, would it pass amongst the other Greeks, who ridiculed it. So there was now no more means of purchasing foreign goods and small wares; merchants sent no shiploads into Laconian ports; no rhetoric-master, no itinerate fortune-teller, no harlot-monger, or gold or silversmith, engraver, or jeweller, set foot in a country which had no money; so that luxury, deprived little by little of that which fed and fomented it, wasted to nothing and died away of itself. For the rich had no advantage here over the poor, as their wealth and abundance had no road to come abroad by but were shut up at home doing nothing. (...)
なるほど、シシンさんのトークはプルタルコスの記述に忠実だ。少なくとも彼女は盛って話していたわけではない。
で、プルタルコスの『英雄伝』が書かれたのは後2世紀初頭と言われているんだけど、ここで逸話が語られているリュクールゴスはだいたい前9世紀頃に活躍した人物と言われているのね。彼はスパルタの半ば伝説的な立法者。要するにプルタルコスは直接スパルタで鉄貨を見たんじゃなくて「1000年くらい前のスパルタではそういうことがあったらしいよ」っていう伝承を語っているのよ。古事記かな?
ところで根本的に、古代ギリシャでは鉄の棒を通貨として使っていた地域があったらしいんだよね。「わざと鉄の棒を通貨として採用した」んじゃなくて「もともと鉄の棒をお金として使ってた」だと、かなりイメージ変わってこない?
https://www.brown.edu/Departments/Joukowsky_Institute/courses/greekpast/4792.html
ちょっと古い文献だけど,Charles Seltmanっていう貨幣の専門家が書いたA Book of Greek Coinsっていう本にも次のようなくだりがある。
Certain it is that before coined money was used in Greece other states as well as Sparta, chief among them Sparta's great rival Argos, regularly employed iron spits as currency.(34頁)
なんでかというと、スパルタがあったラコニア地方は単純に鉄が採れる地域なんだってさ。そら、鉄が採掘できるなら鉄貨使うわな。
Iron was mined in Laconian territory, in the southern spurs of Taygetus and Parnon which end in Capes Taenarum and Malea. It was, therefore, but natural that the Spartans, with the wealth at their disposal, should employ bar-iron as currency; and their conservatism, combined with their lack of any more precious metal, led them to continue the employment of iron money for four centuries after other Greek states had adopted coin(33頁)
さらにこうも書かれている。
a currency which was possibly kept in use for reasons of economic convenience rather than for the enforcement of a stern rule of life(34頁)
要するに、
ってことね。
「質実剛健さを重んじてわざとコインを使わなかった」のが仮に史実だとしても、「あえて鉄の棒を採用した」んじゃなくて「鉄の棒を使い続けた(=コインを採用しなかった)」というのが本当のところなんだろうなぁ。
あと,「偉い人の論文読んでみたら、普通にスパルタでは外国の通貨使ってたらしいよ」というブログ記事も見つけた。ただ元の論文がなかなか見つけられないので確定的なことは言えないけれど……
https://hoferjonathan14.medium.com/the-iron-money-of-sparta-likely-a-myth-97d95d431a62
このエピソード、英語で色々ググってみたけど全部出典がプルタルコスに行き着くので、考古学的裏付けはあまりないっぽいんだよね。まあプルタルコスはおもしろネタが満載なわけだけど、そこしか出典がないとなると結構胡散臭いんじゃないかな。
もちろん増田は古典ギリシャ語とか読めない素人だから、実際には他のところにも記述があったり、考古学的証拠が見つかっていたり、リュクールゴス時代の古文書が発掘されている可能性もあるわけだけど、個人的にはシシンさんのスパルタの鉄貨に関するトークを信じる気にはなれないかなと思いました。
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/2907/
この記事に鉄の串の写真があって、シシンさんが解説を寄せている。解説の文面はまあ納得のいく見解なので(串がコインに先立つことや、コイン出現後もスパルタでは串が使われていたと書いている。そこに異論はない)、動画でのトークはネタに振り切った感じなんだろうか……
シシンさんの動画のそこ、笑ったw 増田も調査サンキューやで / その上で、動画はFGOというゲームを楽しむユーザー向けで、論文ではない。そこでネタとして紹介してくれたものに目くじらを立てる気に私はならんな
FGOファン向けなら史実かどうかは怪しいおもしろエピソードを史実かのように話していい…ってコト!? ワ…ワァ…FGOファンにもシシンさんにも失礼すぎて泣いちゃった!
様々な論点があるので100字に入りきらないが,スパルタは貴金属貨幣を禁止していたということと,リュクルゴス制の成立を前9世紀とするのは後世による「伝統の創造」であるこことは指摘したい。
書き方が悪かったかもしれませんが、鉄貨の存在や貴金属貨幣の禁止は否定していません。
動画では、シシンさんは「スパルタはお金をどんどん重くしていって、賄賂や贅沢を抑止していた脳筋国家である(少しでも金額が大きくなると持ちきれないほどの重さになるから袖の下は渡せないし、持つことで鍛えられるから)」と言っています。
これ、前提知識なしで聞くと「バーベルのような鉄貨は堕落を嫌ったスパルタの発明」と聞こえるんですよ。実際に増田にこの話を面白そうに話した友人もそう理解していましたし、増田もトークを聞いてそう理解しました。そして実際にプルタルコスはそう書いています。
でも実際には、単にコインの発明前からスパルタやその周辺地域には棒状の貨幣があって、スパルタはそれをコインに置き換えなかった、という話なんですよね。で、参考文献に挙げた本にも「マッチョイズムじゃなくて経済的だから使ってたんじゃない?」と書いてある(最後に引用したセンテンス)。これ絶妙に史実を勘違いさせるトークになってません? って思っちゃうんですが、どうでしょう。
(もちろん、副次的効果として賄賂の抑止や筋力増強はあったかもしれませんが、それが主目的であるかのように論じられると……都会民は電車通勤ゆえに自家用車通勤の地方民より体力があったりしますが、都民の体力を増強させるために都はメトロを整備したんだ、と言い出したら違う話になるでしょう?)