はてなキーワード: リア充とは
趣味に仕事にそれなりに楽しくやっていて、いわゆるお一人様でずっと行きそうな人間。
彼女いない歴=年齢ではないが、社会人になってからは付き合ってた人はいない。
自分は元来人付き合いを面倒臭く思ってしまうタイプで、学生の頃からの友人も片手で数えられる程しか残っていない。
人嫌いではないので飲み会などには行くし同僚などとの付き合いも良好な方だと思うが、メールやLINEなんかでの特に意味のないやりとりは面倒臭く感じてしまい、会わなくなるとすぐに人間関係が切れてしまう。
プライベートは多少オタっぽい趣味で活動していて、それに絡んだ互いに本名を知らない知人は多い。
彼らとTwitterなどで騒ぐのも楽しく、普段は友達の少なさを気にすることもあまりなかった。
職場の同僚で30歳過ぎ。
相手の年齢的に結婚まで意識しないといけないだろうし、それも悪くはないと思っている。
彼女から話題を振られて「友達」の話をすることはあるが、それはネットで知り合った仲間との話だ。
結婚するとなると祝福してはくれるだろうが、結婚式に呼べるような物ではない。
最近は、彼女といるのは楽しいが、結婚のことを考えると吐き気がする。
結婚を決める際に正直に打ち明けるしか方法はないようには思うが、きつい。
またそのようなタイプの方で結婚された方はどうしたんだろうか。
誰か教えてください。
つらくて思わず増田に吐き出してしまったけど、皆さんの意見、心に突き刺さる物も暖まる物もありますが、どれも本当にためになります。自分なんかのために本当にありがとうございます。
思った以上にお返事を頂けたので個別の返答は難しいのですが、簡単にパターン別にお返事させて頂きます。
あと、そこまで考慮してなかったので結果後出しになってしまう情報もあると思います。そういう意図はありませんでしたがすいません。
彼女も友達少ないんじゃ
すいません、ここは書いておくべきでした。
彼女は地元大卒で地元の友人も多い、いわゆるリア充系(?)なんです。
偏差値では一応自分の方が上になりますが、この歳になると学閥があるような所じゃない限り学歴なんて関係ないですしね。。。
要は勇気がないんでしょ?
仰るとおりです。要は「俺には結婚式に呼べるような友達が少ないんだ、それでもいい?」って堂々と言える勇気がないんです。
でも根本はこれですよね。
お前の結婚式行ってやんよ?
ありがとうございます、マジで涙が出ます。そう仰って頂いたお蔭で少し勇気が出ました。
表立って堂々とは無理でも、その時になったら比較的仲のいい趣味仲間に本音を伝え、良かったら結婚式に来てもらえないか連絡してみようと思いました。
はてブ・はてダの皆さんで、というのは、ちょっとやってみたくもありますが、多分自分みたいなはてな村で全く無名な人間では難しそうですw
彼女の結婚観聞いてみなよ
そうですね、そのあたりがはっきりしてないのは確かです。
先の通り彼女は友達が多い方なので、通常なら一生に一度のことだしやっぱりちゃんと盛大にしてあげる方がいいよな、と勝手に思い込んでいました。
旦那が友達いないけど気にしなかったよ?
凄く、励みになります。結局相手にこう思って貰えるかですよね。
結果縁がなかったとなると。。。正直それが怖くて言い出せないんですが、いつまでも隠し通せる事ではないですしね。
最近は小規模結婚式多いから大丈夫!/リゾートウェディングがあるよ!
とても参考になります。
http://anond.hatelabo.jp/20160207072224 は特に、一番最初にTB付けてくださってありがとうございます、おかげさまでその後も反応を見ようと思えました。
世の中には「コミュ勢」とでも言うべき層がいる。
「コミュニケーションが一般人がもてる最大の価値である」、「コミュニケーションを通じて自分の認識の正しさを再確認したい」、「コミュニケーションを通じて自己表現や自分の価値を発信したい」、「コミュニケーションを通じたコミュ内のカーストゲームが人生そのものである」といったような思想、信条を持つ人。
そして、その数や割合はびっくりするほど多い。
かといってこの「コミュ勢」のコミュニケーション能力が高いということはなく、どうも、その能力とは無関係らしい。思想、心情なので当たり前といえば当たり前だけど。
問題は、この「コミュ勢」というのが、社会的にも自己認識的にも、言語化されてなく認識されていないところだ。
例えば、適当な最近流行りのアニメのファンコミュを覗いてみると、半数以上が「コミュ勢」だということも少なくないように思う。
「作品Aが好きなので見ているだけで利益だ」という人間と、「作品Aについて語るというコミュニケーションで何か利益を得る」という人間は、全く別の人種なのだ。
後者はコミュニケーションの中で、自分の有能さを確認したり、ブームとの一体感を得ようとしたり、孤独を埋めようとしているのであって、作品Aそのものは、後者の中で重要ではない(重要だと本人が思い込んでいることは、往々にしてありうる)。
前者の価値観で言うと、作品を生み出したクリエイターは、自分が夢中になれる宝物を生み出してくれたので、リスペクトの対象だ。
しかし、後者の価値観で言うと、雑談のネタを作り出してるだけなので、消費対象であって、リスペクトの対象ではない。極端な話、名作映画も、ベッキーの離婚話も等価だ。その話題に注目する集団(コミュ)が発生して、そこで(擬似的にでも)会話ができればそれで良いのだから。
ぶっちゃけ、今の時代「ヲタク」だと自己認識してたり世間から言われている層の、過半数が、後者の「コミュ勢」なのじゃないか?
思うに「リア充」と呼ばれる人たちあるいは「マイルドヤンキー」と呼ばれる人たちは、「コミュ勢」である自覚があるし、自認もしている。彼らは生活の中でいろんなイベントがあるけれど、たとえばカラオケに行ってもバーベキューにいっても、それそのものが、一番大事なことだとは思っていない。「そこへ誰と言ってどういう関わりを持つかが大事」だと認識しているし、公言している。
そういった彼らの態度は、たとえば「本物のバーベキューファン」からすれば、「バーベキュー蔑視」「にわか」みたいに否定されるかもしれないけれど、でもそれは、彼らリア充マイルドヤンキーの思想信条や普段の言動とは矛盾してない。彼らは最初から「ダチが大事だし、良いダチがいれば何しても楽しい」と言ってるわけだからだ。なので、その点に関して、彼らは誠実であると思う。
一方、オタクコミュで後者が忌避されるのは、彼らが彼ら自身を「コミュ勢」だと認めない点にある。彼らはコミュ参加の手法として「作品ファン」「サブカルファン」を装う。
自己批判も含んで告解するけれど、リア充もしくはマイルドヤンキー的な生き方というのは、増田では馬鹿にされるけれど、それはそれで大変だと思う。彼らは「語るテーマやいっしょにする遊びそのものではなく、誰(=友達)といっしょにするかが重要だ」というスタイルを持っている。それは逆にすれば、語る内容や一緒に過ごす遊びそのものの魅力と切り離して、自分の友人や人間関係を維持する宣言だからだ。つまり俺(の人間的魅力と気遣い)とお前(の人間的魅力と気遣い)で、俺とお前の関係を構築維持する、ということであって――それってかなり偉業じゃないだろうか? 少なくとも自分は趣味というコアを除去して友人関係を維持するというのは負担が大きいと感じる。
非常に露悪的に表現するならば、Webのオタク界隈で暴れている「コミュ勢」などというものは、「コミュで他人と関わることが至上だと考えているくせに、リア充グループに入れなかった落ちこぼれ」「ヲタク界隈でだったらマウントできると勘違いした自意識が肥大した無能」であるとすら言えると思う。
そういった考えを元に展開すると、「にわか」という罵倒語の存在は、ある作品のコミュにおいて、コミュ勢とコミュ勢の勢力争いとして生まれるように思われる。「このコミュは俺が先に目をつけて縄張りにした場所(作品愛とは無関係)なのだから、あとから参入してきたお前らはおとなしく俺の下につけ」的な話なのだろう。
一方、ただ作品を愛してるだけの人にとっては「作品を愛し鑑賞するという価値観以外を持って、コミュから利益を得ようとするなよ」としか、その手の騒ぎにたいして思いをモテない。
一時wikipediaで流行ったリンクを6個たどればどんな記事同士でさえもつながるってやつ。
それを利用して、以前番組のコーナーで「数珠つなぎ6人で誰の電話番号にでもたどり着ける説」っていうのが検証されてて、その時も見事に松本人志の電話番号までたどり着いて見せてたみたい。
それがね、最近のSNSはこの考えを元に設計されていて、そうやって口コミを広げているんだってさ。
いや。待て待て。
それってつまり、何でもかんでもすぐに炎上するのってそもそもSNSがそういう仕組だからってことだよね。
この事実ってもっとみんなが知っておくべきことなんじゃないの?
俺にどんなに友達が少なくても、その友達の友達には間違いなくリア充がいるって思っておいたほうがいいってことなわけだよね。
そりゃぁ知りもしない人間から山程クソリプが送られてくるはずだわ。
友達にこっそり教えた好きな人の名前が翌日にはクラス全員に広まらないで済んだかもしれねーじゃねーか。
あとこの言葉。
中二が喜んで使ってそうだけど、意味的に全然「隔たり」なくない?
なんかもっとしっくり来るのないの?
「関係性6次網羅論」とか?
xvideosとか見てたりとかか?性の目覚め以前から世界中の美少女を見飽きてるだろ。
俺の頃は、エロ本を川原で見つけて雨でびちょびちょなのを、木の棒でめくっていた。
ヒカキンとか、レトルトとか、はじめしゃちょーみたいな、リア充のお手本を最初からお手本にできる。
俺の頃は、コミュ力なんて言葉もなく、世の中の普通の態度とかもよく分からず、発達障害は発達丸出しで馬鹿にされていた。
ネットで調べれば、「生きる意味」とかでウィキペディァが出てくる。
俺のころは、哲学なり専攻するなり、哲学者の本をありがたがって、こうかなーああかなーと思索して、確証ないままモヤモヤしていた。
毎日ニュースでまとめサイト、ツイッターでいろんな著名人と絡める、面白いことはいくらでも出てくる。
俺の頃は、ミスターマリックの超魔術で1週間盛り上がったりしていた。
とにかく、うらやましい。
世の中の知りたいことが、サッと知れる。効率に生きられる。
自分には妹がいる。もう20年くらい没交渉だ。子供の頃からである。
妹は、自分から見ると、趣味らしきものが、ない人間だった。別段、それは全く悪くない。
彼女は自分より社交的な人間で(とはいっても、高校くらいまでしか知らないのだが)、友人がたくさんいたし、家に連れてきたり、泊まりに行ったりも自分よりもずっと多かった。
テレビが大好きだったし流行の音楽も抑えてたし友達とはカラオケに行ったり遠出したりとしていたようだ。とにかく、彼女は、彼女なりに楽しくやっていたようだ。おしゃれもしてたし、彼氏もかなりの数いたように記憶している。だから一般的にはリア充に分類されるし、「無趣味』とは言われない人間なのだ。
というのも彼女は、こちらの視点からすると、大事な何かが、ほとんど一切なかったからだ。
彼女は彼女の持っているものすべてを消費していたので、例えば手持ちの漫画でも、CDでも、服でも、アクセサリーでも、なくなっても困らなかった。正確に言うと、なくなればなくなったで困るのだが、それは金銭的な意味であって「買い直せば」全く困らなかった。彼女は「買い直せ無いもの」をほぼ全く持っていなかったし、そんなものに興味はなかった。
実を言えば母も似たタイプの人間だった。なので、彼女たちが何かのミスで、相手の持ち物を残ってしまった時、謝罪して、いくばくかの金銭を渡せば解決すると思ってたし、事実そうしていた。
むしろ、その解決手法は、新しい漫画や新しい服が手に入ることを喜んでいる節があった。
一方で自分はインドアな人間で、小さい頃から絵を書いたり、細工物を作ったりするのが趣味だった。自分にとっては、趣味のものというのは換金できないものであって、道具と製作途中と制作作品に囲まれているのが当然だった。
まだ中学生の頃、自分と妹は喧嘩をした。理由は覚えていないので、おそらく些細な事だと思う。
しかしその喧嘩は長引き、エスカレートした結果、彼女は、こちらの持っていた絵の具などの画材や過去の絵のすべてを捨ててしまった。燃やしたのだという。部屋が汚れるので嫌だったと言っていた。
自分の側も子供だったので憤りを制御できず、報復として、彼女の持っていた漫画を全て捨ててしまった。相手の持ち物を破壊する、という報復合戦は3回ほど続いた。
この大喧嘩は両親のしるところとなり、喧嘩両成敗的な言葉を言い渡された。それは、納得できる幕引きだった。
しかし彼女はどうも、この喧嘩について、何ら痛痒を受けていないようだった。大事なものが彼女にはないので、何を捨てても、痛くも痒くもないらしい。むしろ、絵の具や絵を捨てられて、なんで激怒されたのかわからないようだった。自分も彼女もお小遣いをもらい、買い直しにでかけた先で、それが判明した。
その瞬間自分は大きなショックを受けたが、そのショックは時間を経るごとにどんどんと大きくなっていった。
自分はこの時初めて「自分とは全く違う人間がいる」ということを知ったらしい。いや、年をとってみればそんなことは当たり前なのだけれど、子供の自分にとっては、それは、天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
もうダメだ、と思った。自分は彼女(と彼女に似た一派の人間)に、未来永劫かなわないと思った。なぜかというと、彼女にダメージを与える手段を自分は持っていないと悟ったからだ。
逆に、彼女から見ると、自分のような人間は「弱点」がありすぎて、弱虫で脆弱な人間なのだろうと思った。大人になった今だと、それはそれで一面的な見方だとはおもうが、当時は、布団の中で明け方まで悩むほどの断絶だった。
以降の自分は、とても用心深くなったように思う(いや、それ以前が脳天気だったのかも)。
とにかく、世間は、理解の断絶した妖怪がうろつく場所になってしまった。
を読んで、そんなことを思い出した。
単純に言えば、それは「価値観が合わない人間もいるよね」の15文字で終わる話なのだが、当時の自分にとっては大事件だった。人間同士は、それほどまでに違っていると思ってなかったのだ(やはり脳天気だ)。
女が恋愛だ結婚だで与えてくれるらしい幸せとかって、リア充ノリすぎねーか?
短歌の返答とかは昔すぎるとしても、宗教的なノリとか、連理の枝とか、ある程度ノリとしては文学的だったように思う。
でさ。現在女が与えるらしい恋愛の幸せとかって、ノリがリア充すぎる。
そういうリア充ノリ的な幸せを楽しめる男ってどれくらいいるんだろう。
男の感じる楽しさとかって、どっちかっつーと、アーキテクチャー的な。キモオタが電車撮ったり、ゲームの攻略したりみたいなノリじゃん。8割がたの男の楽しみってそうじゃねーかな。
だけど、ドキュンみたいな頭足りない奴はそういう楽しみできないから、リアル充ノリでOKなのは分かる。
イケメンはスクールカーストとかイケメン枠として女が流れてくるから、リア充ノリ楽しめなくても女抱けるから、別にリア充ノリは女が勝手に脳内補完するんだろう。
でも、8割方の普通の男は、リア充ノリクッソつまらないと思うんだけど。
このアイドル、『桐島、部活やめたって』って言う映画で、調子に乗りまくったリア充サイドの女役だった。
その時には、美少女だから許されてたが、今やったら絶対アウトだろう。
「は?なんでそんなに調子に乗ってるんだてめー」っていう感じで、話が成立しないだろう。
これ、いつも思うんだけど。
女が女の特権振りかざせるのって、こういうリア充彼氏を囲ったりして間接的に非リア男をけん制できるからなんだよ。
虎の威を借る狐って感じ。
つまりさ、女が調子乗るのが許されるには、セックスとか性的な消費物としての前提があるし、それを女も理解してやってるはずなんだよ。
じゃないと、美少女では調子にのって、ブスだと叩かれて現実知るみたいなそういう展開にならないとおかしい。(子供の頃からチヤホヤされたら勘違いし続けるのか?)
で、女ってどーも、こういうのを前提とした女特権ってのをかざして語りだすけど。
いやいや、だったらババア叩きは当然でしょ。マンコ呼びも当然でしょ。
そう思うからこそ、俺的には、「女特権って論理的に成立してないから、やめたら?美しさ失ったら保てない態度っておかしいやろ?」って思う。
でも、ほら、意識高い系AV女優とかいるやん。お前美しさ失ったらなんも発言権無くなるんだぞ?ってのに調子に乗ってる便器。
マンコとしての価値で金もらったりちやほやを受けているのに、なぜマンコ関係無いところで発言権があると思ってるのか。
ネットってのもあるんだろうか。
建前を含んだコミュニケーションがあるから、リアルはリアルだけど。ネットは本音しかないから現実じゃないって考え方もできると思うんだよな最近。
建前を緩衝材にしたほうが、円滑なコミュニケーションができる。冗長性っていうのかな。
車でもある程度ハンドルに余裕があるほうが事故りにくいみたいな。
ネットは本音だけだから、「女特権で話してんじゃねーぞマンコ」ってなるけど。
リアル世界では、マンコに対してやさしくする建前があるから、マンコ発言でも「女性的な発想」とかでオブラートに包める、コミュニケーションできる。
tinderはとても出会えるアプリだ。今日も仕事終わりに、初めて合う女と酒を飲んできた。
いつも通りのtinder系女だ。
いつも通りのやたらと意識が高くて話が合わないtinder系女だ。
疲れる。
いや疲れてるのはあっちの方だろう。
そもそもFacebookの写真載せることが前提のリア充アプリに何しに来やがったネクラ野郎と思われているに違いない。
ああ、もっと自分に似た内向的な女と出会える場所は無いだろうか。
男のメッセージ爆撃を許すカビの生えたシステムで心がゆがんでしまった哀しい女と出会いたいとは到底思えないからだ。
例えばゲームとかマンガとか小説とか好きな、おとなしい女と出会いたい。
具体的には、tinderみたいなストレスのないマッチングが出来て、例えば新規登録時に次の問診を行わせるようなアプリが良い。
あと、問診で嘘ついてた隠れtinder系がいたら通報できるようにもして欲しい。
これは一例だ。
なのに、最近リア充推しじゃん。最近ってか、バブルくらいからか。
そしたら、きつくなるの当たり前と思うんだよ。
女も、自分だけ得するノリが好きだから多分共感してるんだろうけどさ。
それが広がったら、そりゃキッツイやろ。
ブサメンでもOK、仕事だけしてりゃOKみたいなノリが無くなった。
ID:mugi-yama 外食しないのでリア充ノリ接客ってどういうのかわからん
ID:hungchang 牛角とか塚田農場とか半端なとこ行くからじゃないかと。金あるならまともな店に行けばいいのに。
女性自体が希少だったこともあるし、ネットにのめり込む女性は個性的で面白い人が多かった。
それが今や「暇な女子大生」以降はそういう存在は出てきてないと言えるだろう。
その理由は1つにはネットが一般化してリア充だらけになってしまったことだろう。
リア充だらけの場所で女性が面白いことをしたって、物笑いの種になるだけだ。
可愛い自撮りや恋愛ポエムと横並びの状態で、個性的で面白いことなんてしたくないだろう。
もう1つの理由は自撮りや飯テロなどの気軽な方法で承認が得られるようになったことだろう。
美味しそうなごはんを投稿するだけで承認が得られるのに、わざわざ凝った文章なんて書く必要ない。
自撮りを載せとけば「いいね!」が上乗せされるので、技芸を磨かれることもなくなった。
じゃあ、男性はなぜ個性的で面白い人が生き残っているかというと、男の自撮りなんかじゃ承認が得られないからだ。
昭和の価値観からすれば、女とセックスできるなんて大層なことだった。
しかし、今ではネットで美女を見ながらオナニーできてしまうので、女とのセックスに大層な価値を感じられないと思う。
しかし、じゃあそれに対応した価値観ってなんなのか、昭和生まれのモテないおっさんである俺は知らない。
もしかしたら、当たり前に存在しているかもしれないその価値観が無いから、いまいち現実の事象を理解できない。
なぜ、価値が無くなった女が偉そうに恋愛における優位を仕事場なんかでも持ち込むのかが理解できない。
女性を大切にする価値観は、そりゃリア充はセックスできるから意味があるかもしれないが。セックスすることもない非リアにその価値観が押し付けられる意味が分からない。
セックスだけで言えば、オナニーでセックス以上が得られる世界になっちゃったじゃないか、と素朴に疑問に思う。
女は非リアに対してセックスチャンスゼロでいいし、それなら男同士のように対等な付き合いできてほしいんだけど。
なぜか、アファーマティブアクションもらってる側が偉そうにしている。おかしいと感じるが、何らかの価値観があるんだろう。その価値観ってなんなんだ。
論理的に異常に感じてしまうのは、昭和感覚からすれば当たり前だが、昭和とは社会構成が変わったから新しい価値観ができたんだと考えるのが妥当だろう。
その価値観ってなんなんだ。昭和的価値観しか持ってないから、その違和感をずーット感じている。
でも、現代に生まれる子供世代はそういう新しい価値観の中で生まれているわけだから、その空気を当たり前として生きる世代がいるんだろう。
その価値観、教えてほしい。子供達に頭を下げて授業してほしいくらいなんだわ。
俺が生まれた世代ってのは、戦争世代やバブル世代とはまた違った価値観を確かに持っていた。
だから、今生まれている価値観ってのもあるはず。だって世界がコンだけ変わったんだから。
でも今じゃネットでそこらの人の意見が簡単に分かるし、映画のまとめもウィキペディァで明確に分かる。
こうなってくると、映画評論で映画を感じていた人間とはまた違った価値観が生まれる。
俺は、映画評論的な時代の映画鑑賞には価値を感じなかったが、今はいくらでも見たそばから感想を見れるため、映画を見るのが好きだ。
『桐島、部活辞めるって』を見た後は、『リリイシュシュのすべて』や『大怪獣、東京に現る』や『ゴトーを待ちながら』といった関連作品をスグ知って速攻世界を広げられる。
こういう価値観の中で見る映画への価値観は、1990年代とは全然違う。
こういう価値観の中で映画を見ることは俺はマッタク抵抗ない。だって、その世界の価値観を知ってる側だから。
でも、セックスの価値観は未だに分からない。もしかしたら、皆も知らないんじゃないかとすら思っている。
俺と同じように、リアル女性と関わるリスクとリターンより、xvideosアサリやエロ漫画アサリのほうが当然いいよねって考えのほうが当たり前だしスタンダードなのかもしれない。
皆、この新しい世界での新しい理屈に対応できず、価値観がずれてるんだけど、対応できてないみたいな不安を感じているのかもしれないと思えてくる。
実は、20歳のアイドルやってる女と援助交際をした。デートして、飯食って、セックスした。4万円弱。
数回やったが、価値を感じなかった。素人とやった感はあるんだけど、昔なら感じていたレアリティーを感じなかった。
AVで美女を見れなかったり、二次元がこんだけ進んでいなかったら、多分相当価値があったことだったんだろうけど。昭和ならすごい価値あることだったんだろうけど。
マッタク価値を感じずビビッタ。むしろ、コンだけ金とってこの程度なのかってビックリした。
エロゲー買うほうがまし。DMMで見放題登録したほうがましだった。快感だけで言えば。
素人とやったとか、その女とやったみたいな価値がマッタクなかった。
これで、よく皆納得して彼女作れるもんだとビックリしてしまった。
もちろん、セックスだけじゃないんだろうけど。じゃあその価値観ってなんなのってのが伝わってこない。
たとえば、ユーチューバーのリア充を見ると、リアルでリア充を見る価値ってのが伝わってこない。
ネットで絵画や演劇を見て楽しんだら、リアルで見るのはダルイ。ってか、コスパ考えるとリアルに赴くコストに対して得られるリターンが小さい。
でも、もちろん、たまには行くよ。そりゃ行くよ。そこで得られるものもある。
でも、相当な部分がネットで代用されるから、相対的にリアルの価値は小さくなる。小さくなった価値を補填するだけのサービスを受けられない。
リアルでの活動は、これまでより値段が下がっても大きな買い物になっちゃったのに、それでも、価値観を変えずにリアルはリアルで続くんだろうか。
そこは違う価値観が生まれてると思うんだけど、じゃあその価値観ってなんなんだ。
でも、旧来の価値観や人間がそのまま受け継いでネクストステージを生きているように感じる。
新しい価値観、みたいなのってないんだろうか。
男性の割合が比較的高く、あと高齢化も結構進んでいるような会社に勤めてる。私は事務員採用で6年前にたまたま空きがあって採用されたけど、ぶっちぎりで会社の中では若い。社内恋愛をしているんだけど、相手の男性は8つ上の人。それでも会社で2番目に年が近い。
社会人をやっていて、年上の男性と関わる機会が多いので、年が同じくらいの男性との接し方をだんだん忘れてしまった感はあった。社会人になると、異性の友達は急に離れて行ったし。
そして今年、うちの会社は4年ぶりの採用を踏み切り、新卒の子が入社した。若い。若すぎる。ピチピチ。声もでかい。足音もでかい。
私は高卒、彼は大卒なので年が同じくらいで、彼がとても私に親しみやすさを感じてくれているのは嬉しいんだけど、本当に一緒にいてカルチャーショックしか受けない。
まず、元気過ぎる。
私は喋るスピードが遅いので、彼がほとんど喋ってる。多分めっちゃ気をつかってくれているんだけど、私はとにかく喋るターンがこない。ずっと彼のターン!ずっと彼の話題!
フットサルとか最近話題の歌手とか車とか、そういう話題ばっかりで「ウワ、噂に聞くリア充だ」と思うことしきり。私はただただ若さとパワーに圧倒されて頷くのが精いっぱい。
そして、体力がすごい。
1日働けばうちの会社の人たちはだいたい疲れ果てて、各々背中を丸めて満足げに家に帰っていく。だというのに、彼は何だ。仕事が終わった後に「飲みに行きましょうよ」なんぞのたまう。すごい。体力と気力がすごい。
あと、すごく食べる。彼は二人分くらいの量を平気でたいらげる。上司たちも、彼の食いっぷりがいいことを気に入ってよく餌付けしている。だからあんなに体力があるんだろうな。動く分、人はカロリーを摂取しているのだな、と思わずにはいられない。
私は多分社会人をし始めて長いからかもしれないけれど、やっぱりなんとなく、同じ年代なのに10歳くらい違う年の子を相手している気分になる。
もちろん、馬鹿にしているわけではないんだけど、本当に「住む世界が違うんだな」という感じがする。
でも、若い人が入ってくれて、現場の人も少し元気をもらって元気になっている気がするから、彼には元気で頑張ってほしいと老婆心ながら応援している。
全くいないわけではないが、多いとは言えない。
なぜこうなったかぼーっと考えていたら、ある一つのことがわかった。
僕に友達が少ないのは、「LINEで返事を返さない奴」が苦手で、無意識のうちにそういう奴から距離をおいていたからだ。
くだらない会話だったら、途中で返事が来なくなっても構わない。
既読して、返事が数日後になっても構わない。
でもすごく気になるのが、挨拶程度の返事ができないやつだ。
例えば以下
①テスト前授業の内容についてラインくる→教えてあげる→返事なし
③着信あり→どうした?→返事なし
こんな奴が多すぎる。
こちらからアクション起こして無視されるのなら別にいい。嫌われてるか、めんどくさがられてるだけだろう。
でも俺が言いたいのは向こうからアクションを起こしてきた際の返事。
①は論外。聞いてきて、教えてあげたにもかかわらずありがとうの一言も無い。
尊敬しろ!敬え!感謝しろ!とまでは言わないが、最後に一言もらって綺麗にコミュニケーションを完結させたいんだこっちは。
②、③も、誘いにのれなかったり着信取れなかったことは悪いが、スタンプ1つでいいから返事くらいほしい。
返事することが当たり前だと思っていた自分はショックだった。なんでこんな当たり前のこともできないんだコイツ等は、なんて思っていた。
そんなことを考え始めると、こっちからは連絡とる気にはならなくなったし、誘いも断ることが多くなった。
俺は確かに見た目も趣味も性格もぱっとしないし、リア充からしたら「冴えない奴」だろう。
カースト的に下に見られてもいい。こんな俺なんかと仲良くしてくれて嬉しいと思う。
ただめんどくさいのか侮蔑しているのか分からないが、そんな人間性がクソミソのやつとは関わりたくない。
以上。スッキリした!じゃあなクソミソ!
エグザイルみたいなユーチューバーなんだけど。ナンパとか口説くのメインなんだけど。
すごいね、学びたい感じになるもん。
どーもナンパとかって、学びたいけど抵抗ある人が多いと思う。劣等感とかで。
でも、このダルビッシュしんごってのは、まず目の前の視聴者を楽しませる。その気にさせてくれる。
リア充特有のクッソウザイ、ノリだけの会話をせずに、面白いたとえとかでとにかくひきつける。
これ、すごいね。
俺も、これだなって。
ダルビッシュしんごの言う内容は別として、勉強したくなるマインドを作ってくれる。
結局、教師の役割って、こういうマインドっていうかな。勉強の辛さを無くすことだと思うんだよね。
勉強するしないは、本人のやる気だし、教師に習うより独学が効果的なんだけど。
それでも、教師の役割ってのはある。やる気だよ。勉強の内容の面白さを伝えることだよ。
面白い漫才でも聞きながら、学習すれば、効率は落ちても、学び続けるマインドとかで、結局はプラス。
ダルビッシュしんご。この人は、恋愛学っていうちょっと俺は忌避感持っちゃう分野の先生だけど。
尊敬できるってか、すごいと思う。
この人のしゃべったことをリアルでもパソコン前で復唱して、トークみにつけようとしちゃってるもん、自然に。
やっぱ、勉強って、勉強内容もだけど、その勉強内容で食ってる人達の中に、尊敬できたり、自分もそうなりたい、楽しみたい、一緒にいたいって思える人がいるのが大切だね。