「ミスタードーナツ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ミスタードーナツとは

2017-04-18

最近食べていないもの

外食

ピザ……………………1988年デパートの大食堂

冷麺……………………1989年映画館の帰り

寿司……………………1990年、親戚の家で

ハンバーグ…………1990年ファミリーレストラン

ドーナツ……………1991年ミスタードーナツ

焼き肉…………………1992年焼き肉店で家族

天ぷら…………………1993年旅行帰りの駅の食堂街で

ステーキ……………1994年、親戚に連れられてのステーキハウス

チャーハン…………1994年家族でのバイキング

ハンバーガー……1995年、友人とマクドナルド

鍋焼きうどん……1995年病院帰りに母と

牛丼………………………2000年二次会明けに

パスタ…………………2001年、友人の通夜帰りに

ラーメン……………2002年、雀荘

焼き鳥…………………2003年飲み会

ホットドッグ……2005年、ひとりで

懐石………………………2008年家族で行った最後外食

2017-04-14

食べログレビュー点数の謎

この人に限ったことではないのだが、食べログにはこれをよく見かけるので、例としてあげる。リンクは後で消すかも知れない。

ttps://tabelog.com/tokyo/A1310/A131001/13148357/dtlrvwlst/B98995830/

30代後半・男性東京都

1回

昼の点数:1.0 [ 料理・味5.0 | サービス5.0 | 雰囲気1.0 | CP5.0 | 酒・ドリンク- ]

使った金額(1人): 昼¥1,000~¥1,999

1回目

料理・味 5.0 | サービス 5.0 | 雰囲気 1.0 | CP 5.0 | 酒・ドリンク - ]

使った金額(1人): ¥1,000~¥1,999

二度と行かない

キッチン空気がピリピリしていて全然落ち着きませんでした。

それ以外の料理接客雰囲気は素晴らしいと思います

金曜11時30分に訪れましたが1番乗りでした。

20分後にはほぼ満席で独り客しか入れない様子でした。

ランチスープ一見味噌汁ですが、

飲んでみると生姜が効いてて変わった味でした。

これはかなりマッチして美味しいです。

サラダレタスちょっとドレッシングかけただけ。

ドレッシングが少なすぎて苦いだけでした。

パスタはアルデンテです。

しっかりソースと絡んでおり、

ソースには色々な旨味が隠れており

かなり美味しいです。

ピザは1枚づつしか焼けないようで混雑時はかなり待ちます

でも味はフランチャイズの物よりワンランク上です。

マルゲリータでしたが

生地ナンみたいで美味しいのに加え

具のミニトマトジャムみたいに濃厚でかなり美味しいです。

フロア接客についてですが、丁寧親切で良かったです。

この人は、料理の味もコストパフォーマンスサービスも5点満点をつけているにも関わらず、雰囲気が許せなかったそうで、雰囲気は1、総合点で最低点の1点らしい。

で、この人は、どんな店に高い評価をつけているんだろう?と見に行くと

キャスロンカフェ ecute 品川 東京品川北品川高輪台 / カフェパンサンドイッチ

寒い日も利用しやす

夜の点数:5.0

昼の点数:-

ミスタードーナツ 青物横丁ショップ 東京青物横丁鮫洲品川シーサイド / ドーナツ

丁寧な接客

夜の点数:-

昼の点数:5.0

ケンタッキーフライドチキン 青物横丁東京青物横丁鮫洲品川シーサイド / レストラン(その他)、鳥料理

駅前で使いやす

夜の点数:-

昼の点数:5.0

ビストロ おきみくら 東京青物横丁品川シーサイド鮫洲 / 居酒屋洋食、魚介料理海鮮料理

明太スパゲッティも美味しいけど

夜の点数:-

昼の点数:5.0

水炊き焼鳥 とりいちず 青物横丁東京青物横丁品川シーサイド新馬場 / 焼鳥水炊き居酒屋

困ったらここでもいいと思う

とにかく店の雰囲気を重視しているらしくチェーン店でも簡単に5点を付ける人らしい。

こういう極端な偏りを個人が持っているのは構わないんだけど、あとで総合して店の名前の横に表示する数字の参考にされるというのが、どうにも理解しがたい。

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。

 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。

 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。

 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。

「1位を取ったらデートしてください」

 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。

 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。

 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。

 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。

 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。

共犯者だよ、君も捕まる」

 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから

 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。

 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。

 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。

 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。

 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。

 せんせぇ、さようなら

 はいさようなら

 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2016-11-07

はなまるうどんの異質さについて

はなまるうどんだけ、「はなまる」という自画自賛ワードを使っている。

屋号に、良い、おいしい、すばらしいという類の自分をほめる言葉を使っている外食チェーンは実は驚くほど少ない。

うどん店なら、山田うどん丸亀製麺、杵屋などがあるが、これらに褒める要素はない。

他にも、松屋吉野家大戸屋リンガーハットマクドナルドモスバーガー、五右衛門、サイゼリヤ一蘭一風堂ミスタードーナツなどなどあるが、自分でおいしいと褒めるチェーン店は少ない。

餃子の王将ココイチ伝説のすたどんあたりは自画自賛っぽさが感じられるが、少数派であることには変わりない。

はなまるうどん人生絶望した増田に贈る。

2016-06-14

混雑してる飲食店で先に席を確保するやつ死ね

昼頃にはなまるうどんに行ったんですよ。

そしたら混んでたの。

そういう時は列作ってみんな並んでるんだけど入店して列に並ばずに場所を確保する輩がいたんだ。

そのせいで先に並んでた人が座れなくなるかもしれないのによくそんなことできるよな。

まじくたばれ。

あー、底辺の悩みで馬鹿らしいけどすっげーむかつく。

小学生のころミスタードーナツで母と兄と三人で行ったときに席が余ってたのに、あとから来たババアどもが席を確保して数分席が空くのを待ったことを思い出してさらにむかついた。

やるやつもむかつくし放置してるお店側のはなまるうどんもむかつく。

混雑している電車内ででかいリュックを背負ってるのと歩きたばこする輩と同じくらいギルティだと思う。

でも、はなまるうどんは美味いからまた行く。

2016-02-23

コンビニドーナツミスドに勝てない本当の理由

日本人ほとんどが、ミスド巡りのためにミスドに行っているので、コンビニドーナツを売っていても行く理由にはならないから

ミスタードーナツ巡り(みすたあどうなつめぐり)も旅行に関する趣味の1つで、ミスタードーナツ訪問商品300円以上を購入し店名付きミスドカード(旧・ラッキーカード)を貰い集めることである

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC#.E3.83.9F.E3.82.B9.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.83.89.E3.83.BC.E3.83.8A.E3.83.84.E5.B7.A1.E3.82.8A

そんなわけねーというのはいいとして。スタンプラリー系の趣味って実はいろいろあるんですね。以前はてブ経由で、DPZ郵便局巡りする人を見たけど似たようなことをしている人は実はちらほらいるらしい。リンク先のWikipediaに載っている範囲で興味を持ったのは、ココイチ巡りですかね。確かココイチって、店舗独自メニューがある店舗もあるので、それを目当てに巡るのは楽しそうかな~?とは思う。

と思って調べていたのだけど、なんかまとめてあるページが公式っぽくあった。

http://ff.gnavi.co.jp/limited/ichibanya/

なんか、そいういうのは違うんだよねー。答えが見えちゃうちょっとやる気を削がれる。難しいね

2015-12-29

共通ポイントカオス化してきてる

ドコモを解約する前にポイントが失効しないようにローソンdポイントカードをもらってきたけど、Pontaと合流するんじゃなかったんかよ。

よくわかんなくなってきたか陣営ごとの加盟店を整理してみた。カオスすぎて娯楽関係ネット関係をバッサリ切ったけどなおカオスローソンってPontaダブルブッキングしてるイメージだけど、au Walletを一陣営として捉えればセブンイレブンもしてるし、WAON陣営は反nanacoのよせあつめって感じがすごい。

 dポイントPontaau WalletポイントnanacoTポイントWAON楽天ポイント
ケータイキャリアDoCoMo(なし)au(なし)SoftBankイオンスマホ楽天モバイル
コンビニローソンローソンセブン-イレブンセブン-イレブンファミリーマート
スリーエフ
ミニストップ
ローソン
ファミリーマート
ポプラ
サークルKサンクス
ポプラ
スーパー(なし)ライフコーポレーションイトーヨーカドー
ヨークベニマル
ヨークマート
イトーヨーカドー
ヨークベニマル
ヨークマート
マルエツ
マミーマート
東武ストア
富士シティオ
ヤオマサ
イオン
マックスバリュ
ダイエー
ピーコックストア
キミサワ
(なし)
ドラッグストア(なし)(なし)マツモトキヨシ7美のガーデン
ココカラファイン
Cosmetics&Medical
富士薬品
ウエルシア
ドラッグイレブン
ドラッグユタカ
イオンボディ
ウエルシア
ウエルネス
くすりの福太郎
ダックス
ツルハドラッグ
ハックドラッグ
(なし)
外食マクドナルド大戸屋
ケンタッキー
ピザハット
LEOC
ココス
BARVIDA
梅の花
肉の万世
フライングガーデン
味の民芸
サガミ
ステーキ宮
ラ・パウザ
牛角
デニーズ
フェミール
芝のらーめん
ポッポ
ミスタードーナツ
ガスト
バーミヤン
夢庵
グラッチェガーデンズ
藍屋
ステーキガスト
ジョナサン
ドトール
エクセルシオール
牛角
ロッテリア
情熱ホルモン
キリン自販機
マクドナルド
吉野家
安楽亭
オリジン弁当
かっぱ寿司
小僧寿し
七輪焼肉 安安
華東
ミスタードーナツ
MOSDO
PRONTO
しゃぶしゃぶ温野菜
(ほか個人店)
ガソリン(なし)昭和シェル石油出光興産ExpressENEOSコスモ石油出光興産
太陽石油
伊藤忠エネクス
エネクスフリート

ところでドラッグストアが0のPonta陣営楽天陣営女性ユーザーを取り込む気があるんだろうか?

2015-06-22

[]れいむのカフェ探訪2

職場でプチ話題のばずわーどITC意識高いカフェ)について前回書いたれいむだよ。

れいむ要素がないというつっこみをうけたので、ゆっゆっと跳ねながら本日も探訪にでかけてみる。俗にいう連載第二回だね。

職場ではITC話題なんだけどじゃあ逆はどうなんだ? IHC(意識低いカフェ)はあるのか? でも考えてみたらそもそもカフェって言葉自体がおしゃれなものから意識低くなったりはしないんじゃないかなーすべてのカフェ意識高いんじゃないかな? でもある。あるんだなー今回はそんなIHCを紹介するよ。

れいむの住処は東京東部の23区底辺にあるよ。職場都心部なのでITが優勢だけど、このへんはまだまだ下町なのでIHもたくさんある。そもそも人間おのずとおしゃれ度には個人差があると思うんだよ。久保帯人師匠みたいにポエミーで霊格の高いソウルはおしゃれ度の高いカフェお茶が飲めるけど、霊格の低い下町人間はあんまりにも霊圧の高いカフェに入ると自我崩壊してしまう。何にせよほどほどの場所必要なのだ

はいえ、23区内では下町はいっても一応東京都内ではあるのでそこまで乱暴なカフェなどそう多くはなく、代表的なところはプロントとかBekkersとかワイアードくらいか? ドトールやら(ちょっと外れるが)ミスタードーナツなどのファーストフードチェーンなどがその任務にあたっている。みんな普通の顔をして利用しているよ、ゆっゆっ。

最近隣町に大学ができたので学生さん多め。参考書を広げる光景をよく見ることができる。参考書って見てみると不思議だなあ。大学生って色んな種類がいるので、自分が通らなかったルートの読んでる本とかちんぷんかんぷんなんだが、今の大学生って資格受験参考書とかが多いのかな。それともあれは学校の授業じゃないんだろうか。このあい一心不乱にWikiをコピペしてる学生さんを見た。どうでもいいけどAirMacのタッチパッドってコピペにはむいてないデバイスだとおもうんだよなあ。マウスのほうが使いやすいよ。

さてそういう中途半端チェーン店はいいとして、下町の本格的IHCについて。

IHCとはいえそれって別に侮辱するような意図はないのを断っておきたい。ぽいんぽいんと跳ねながられいむは主張するよ。

本格的IHCは下町的な居心地の良さを追求したカフェなんだよ。いわば、ゆるカフェだよ。いくつかの特徴を紹介するよ。

1)アイスコーヒーは業務用の紙パックからそそぐ。

2)ラテの注文が来ると微妙に手間取る。でも380円でのめる

3)有線放送ではAKB48がながれる。たまにセイカイノオワリとかいうのが名前の割にはちっとも終末感のないポップスを歌う。

4)ランチタイム焼き魚定食が出る。

こんな感じの特徴があってれいむのす住処の街には数件確認できたよ。実は意外に居心地が良いのでたまに利用しようと思った。意識は低いけど。顧客の年齢層が高いのもいいかんじだよ。あんまりうるさくないしね。老人多め。そういえばメニュー日本茶が数種類あったなあ。

感銘を受けたのが、ある日のランチが「シラスいり卵かけごはん」「明太子卵かけごはん」「鮭バター卵かけごはん」「ネギだく卵かけごはん」の4択だったことだよ。強い意志を感じたよ。もしかしてIHCっていうのは強い意志でIHなこことを選択したITCなのかもしれない。れいむのカフェめぐりもまだまだ修行が足りないって思ったよ。

2013-05-08

ファーストフード

むかーし、関西人ファーストフードチェーンの略し方についての話になったのをふと思い出した。

その人はこんな感じだった↓


マクドナルドマクド

ファーストキッチンファッキン

ミスタードーナツミスド

モスバーガーモスバ

ケンタッキーフライドチキンケンチキ

ロッテリアロッテ


…で、下3つ、特にロッテリ」に衝撃を受けたわけだけども、実際に言う人っているのかな?

ちなみに、その人以外の関西人で「ロッテリ」って言う人にはまだ会ったことがない。

2011-11-28

日雇い増田と夜の旅

高地での仕事が終わって、温泉街の駅前で電車乗り継ぎの為にバスを降りる

既に夕暮れ深くなった駅前のケンタッキーミスタードーナツの前の通路に果物漬物をたくさん台車に乗せたおじいさんが

寒さに耐えながら売れるのを待っていた

バナナはかなり黒くなっていて、大きなみかんは皮が柔らかくなってるのが見て取れて、すぐに食べるなら食べごろだけど

「持ち帰るにはちょっと・・・」という感じだった。案の定ぜんぜん売れてなさそう

おじいさんをスルーしてドーナツ屋のキャンペーン見てたけど冬だからみかんが食べたくなって振り返ったら

おじいさんは売るのを諦めて台車がやっと通れるような駅高架下の狭いアーケード街に向けて帰っていこうとしてた

「おじいさん、待って」と声をかけてみかんを一ネット200円で買った

他にもバナナとか漬物薦められたけど、給料日前だったのでみかんだけ

スーパーみかんと違って、大きくて大雑把な形の甘味蜜柑甘味が凝縮されてなく甘味が適度にさっぱりしてる

スーパーではこういう甘すぎなくて食べやすい大味のみかんは売ってない

みかんは旅先で時々つまみたくなる もぐもぐ

2011-07-12

荻窪への聖地巡礼に際して特に注意していただきたい1つのこと

http://d.hatena.ne.jp/riyot/20110710/1310309043

http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-2780.html

私は荻窪駅徒歩n分圏内に住んでおり、毎日荻窪駅を利用している者です

さて、ピングドラムなるアニメの主人公らの自宅があり、あずささんがインタビュー中に迷い込んでしまったとのことで、聖地と化す可能性が高い荻窪駅周辺。既に多くの方が聖地巡礼と題し、荻窪駅周辺を探索してらっしゃるそうです

電車によるアクセスが良いため、今後も巡礼者が増えることが予想されます荻窪在住の者として、これは非常にうれしいことですしかし、聖地巡礼にまつわるトラブルの話も絶えませんので、荻窪もそういったことに巻き込まれないかと心配されます

何に注意すればいいの?

当然、マナーは守っていただきたいですね。これはどこに巡礼する場合でも同じですですが、荻窪場合特に通行の妨げだけはなさらぬようにお願いしたいのです

それってマナーのうちに入るよね?と思われるかもしれませんが、人が多く、道が狭い荻窪駅周辺でこのマナーを守るのが難しいのです

人が多い?

荻窪駅は1日あたり延べ15.5万人(JR 8.5万人+東京メトロ7万人)が利用する駅ですので、新宿駅池袋駅ほどではないにしろ、人が多いです荻窪駅はJRの他の駅と違って南北が線路によって分断されており、荻窪駅そのもの南北を介する通路となっている関係で、駅そのものの利用者は鉄道の利用者だけではありません。

さらに、専業主婦の方が大勢暮らしていらっしゃいますので、朝と夕方のラッシュのみならず、昼間の時間帯もかなり人が多いです

道が狭い?

荻窪駅周辺は、基本的にすべての道が狭いと思った方がいいですアニメに登場する場面は往々にして車の通行が多く、ガードレールで守られた安全地帯は2人がすれ違うのがやっと、という狭さです

まり、1人立ち止まるだけで、すれ違うことすら難しくなるということです

具体的には?

例えば、アニメと同じ構図で荻窪駅南口2番出口の写真撮影するためにはカメラ屋の前で構える必要がありますが、この位置はガードレールで守られた領域の中でもかなり狭い方です。立ち止まるだけでも通行の妨げとなってしまます。それでいて、駅前ということで通行する人間の数が非常に多いです。通行を妨げられた住民は逃げ場所がありませんので、ここで通行を妨げることは多くの住民の反感を買うことになります

旅館西郊もOKストアも、ガードレールの中から撮影になります特にOKストアは目の前が環八通りということもあり、通行人の数はかなり多いです

なんで通行を妨げちゃいけないのか?

通行を妨げてはならない理由は、地域住民から不審者が増加したとみなされた場合、(良い、悪いに関わらず)巡礼者そのものが排斥対象となってしまうことが予想されるからです

これは過去に発生した抗議運動からわかるのですが、地域住民は自分子供が安全に過ごせることが一番大事であり、これを脅かしかねない事態には断固反対します。例えば、荻窪駅南口前を通る道路は片道通行ですが、両面通行化する計画が過去にあがっていました。道の幅は両面通行するには十分でしたが、住民の反対にあい、今もなお片面通行のままです。反対の理由は、両面通行にすることにより車の通行が増大し、それに伴って(主に子供の)交通事故が増加することが懸念されるからでした。

何が言いたいかといいますと、これほどまでに慎重な方々が大勢いらっしゃる中で、巡礼と題して不審な行為を敢行する勇者が増加傾向にあると発覚したら、不審な行為をはたらいていた者のみならず全巡礼者がただではすまないということです。これは荻窪に限らず、人口の多い地域における聖地巡礼が孕むリスクです

通行を妨げ、カメラで特定箇所の写真だけをバシャバシャ撮るというのは、撮っている本人が思っている以上に不審な行為に見えます。少なくともアニメを見ない、インターネットも使わない層の方が、特定箇所に集まって嬉しそうに同じもの撮影する方々(しかも面識は全然無い)に対して悪いとは思わなくても「何をやっているんだろう…」と不審に思うことは、想像に難くないでしょう。

巡礼者が歓迎される対象になるには、とにかくマナーを守ること。怪しまれるようなことは慎むこと。そして、その上で地域住民の方に感謝されることです

どうすればいいの?

撮影スポットに人があまりいない場合撮影をすぐさま終わらせ、その場からすぐに立ち去ってください。

撮影スポットに人が溢れかえっている場合は、荻窪近辺の店で適当時間を潰したのちに再チャレンジしてください。

どこで暇を潰せばいいの?

残念なことに、撮影スポットの多い南口には時間の潰せそうなメジャーなお店があまりありませんが、北口や西口にはそれなりに有名なお店が並んでいます

スターバックスコーヒー
西口北方向、ルミネの1F
マクドナルド
西口北方向、ルミネタウンセブンの向かい
ケンタッキーフライドチキン
北口、派出所
ブックオフ
北口、出て目の前の交差点
サイゼリア
北口、タウンセブン7F
吉野家
西口北方向、出て最初の道を吉祥寺方向に歩いた右手
ミスタードーナツ
西口北方向、直進した突き当たり

(他に良さげなお店があったら追記します)

とても過ごしやすいマイナーなお店もたくさんありますが、それはぜひともご自分探検していただければと思います

それでは、

良い荻窪巡礼を!

2011-05-11

どうしても道連れがいないといけないわけでもないと思うんですよね

でも、ひとりだと、さびしいなあ、なんて思わなくもないです

ミスタードーナツさんが時折ドーナツ全品100円にしてくれているときがあるじゃないです

ちょっといきたいなって思ってるんです

道連れにしようにも、やっぱり、わたしの道連れになってくれるからには、そうですね、わたしのこと気に入ってもらわないと、道連れなんて役柄ははまらないなー、なんて思ったりもするのね

道連れするなかで、仲違いとか、諍いとか、そういうのは、極力さけたいじゃない

つかれるし、いやな思いするし

そういうのを避けるためには良好な関係を築いている他人が必要だと思うの

からそうね、まず道連れを行うには良好な関係を築いている人間が必要なのね

良好とひとくちにいっても抽象的かしら

一緒にお話をしていて気に障らないひと、とか

連絡をとったりして楽しい時間を共有したしたいと思ったりするひと、とか

そんなところかしら

道連れって、何かの道連れという、具体的に何かの付き添いを頼むというわけではないの

しいていえば、すべての付き添いを頼むということだと思うの

付き添いといっても四六時中一緒に居るということではないのよ

道連れを探しているのよ

好んでわたしの道連れになってくれるひとがいてわたしもそのひとに是非とも道連れをお願いしたいわ、というひとに道連れをお願いできたら、きっとうれしいことだと思うわ

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2008-07-12

Progressive おばあちゃん

小学生の時、家族で母の実家帰省した時の話。

家族みんなで、甘い物が大好きなおばあちゃんの為にミスタードーナツを買って持っていった。

初めてミスドドーナツを食べたおばあちゃんはとても感激した様子だった。

しばらくして、みんなで墓参りに行く事に。ド田舎なので鍵はかけずに玄関のドアは開けっ放し。

時間くらいして帰って来て居間に上がると、机の上のドーナツが何者かによって食い散らかされていた。

「泥棒!?」そう思った瞬間、庭でドーナツをくわえながらウロウロする野良発見

その瞬間、おばあちゃんが突然ダッシュ。

腰が悪いので身体をくの字に曲げたまま、ドーナツ泥棒をものすごい速さで追いかけるおばあちゃんを見た。

みんなビックリ。慌てておばあちゃんを追っかけると、数十メートル先の畑の中でひっくり返っているおばあちゃんを発見。そのまま病院に運ばれた。

普段温厚なおばあちゃんが鬼の形相でくの字で走る姿はしばらくトラウマになるくらい衝撃的だった。

2007-12-06

もうケンタッキーでは食べない

もうケンタッキーでは食べない

もうマクドナルドでは食べない

もうミスタードーナツでは長い間食べてない

もう吉兆には行かない

もうikariでは買わない

オリジン弁当関西にない

不二家も買わない

博多明太子も食べない

赤福白い恋人は嫌いな人に贈る

雪印は買わない

ヤクルトも買わない

日本ハムは優勝おめでとう、でも買わない

もうアメリカ産牛肉は食べない

比内地鶏も食べない

みんなカイワレを食べよう

2007-06-29

ミートホープ報道の真意が分からない

正義を訴えるのも結構。単にテレビ屋根性で売れればいいというのも理解できる。しかし筋が通らないこともある。

偽装された肉の使われた製品を販売した数十社の公表はどうしてしないんだろう。冷凍食品ならこれから口に入ることもありえるわけで、まず消費者が気になるのはそこだろう。ミスタードーナツで納品された材料に使用禁止の防腐剤が入っていてどうこうというときにはまずダスキンが矢面に立たされていたはずではなかったか?不正はそのギャップがサプライズとなって記事が売れるのだから“庶民の味方”生協の仕入れの黒い内幕なんて方が大衆報道的には受けるのではないのか?

今は加工上での雨水利用が問題だそうだ。工場屋根雨水を再利用なんて最近のエコ動向のはず。普段はエコロジストが10年でコストがペイできますよと胡散臭い皮算用で導入を無理強いしてるような仕組みである。その筋の人には悪印象な訳でご愁傷様だ。

そのわりに違反の詳細が出て来ないのは食品衛生法で言う「加工」が混合とか洗浄とか肉に接触する事を指していて、密封されたビニール冷凍パッケージを水につけるような事は含まれないからではないのか。「ビニールが破れていたこともあった」ってそれは事故になるんじゃないの。JAS法とかで摘発できないから食品衛生法でという事らしいのだが特定の条件での結論ありきが露骨で奇怪ですらある。

例えば文書偽造や詐欺罪じゃ駄目なんだろうか。“騙された”納品先が絡むのは何かまずいんだろうか。

そしてルール違反をしていた会社は退場すべきなのにどうして労組なんかが組まれるのだろう。さっさと転職してまともな企業リソース移転されるべきではないか。あるいは社会保険庁のように自ら給料を返上して賠償したいという殊勝な心がけなのだろうか。

極めつけには新聞でやたらでてくる警察保健所ではなく「民主党の調査によると」とはなんなのか。

2007-01-28

Re:Re:痴漢の標的は女性だけとは限らない

僕も高校生から大学生にかけて3回ほど痴漢にあいました。

1人は満員電車の中で団しんやにそっくりの中年男性

僕の背中で「はぁはぁ」言ってるから変だな?気持ち悪いな?と思ってたら、

学校についてコートを脱いだらお尻にあたる部分に精液らしきものが付着していました。

もう1人は電車で吊り革を持って立っていたら、

隣にいたまだ若い目のおばさんが電車の揺れに合わせて僕のチンチンを触ってきました。

偶然かな?と思いましたがその後こっちを見てニンマリとほくそえんでいたので確信犯だと分かりました。

3人目は深夜のミスタードーナツで1人で授業の復習をしていたら、

酔っ払いのおばさんが店内に入って来るなり僕の席に駈け寄り、

『カワイイわねぇ♪』といいながら僕のおチンチンをギュッと握りしめました。

どうせ痴漢に会うなら、もっと若いお姉さんが良かったです(泣)。

2007-01-16

略称(Re:anond:20070116105823

…と略する私である。

以下は友人談だったり何処かで見た表現だったりで印象的なもの。

  • マクダーナル(略してない)
  • フラチン(卑猥だと窘めるも止めてくれない)
  • ドーナツ(余程田舎なのだろう…)
  • ガス屋さん(違うガスを取り扱って居そうだ)

白か黒か、それだけじゃツマラン

マクドナルドってなんて略す?

ケンタッキーフライドチキンはなんて略す?

ミスタードーナツはなんて略す?

ガソリンスタンドはなんて略す?

 

いいと思うのよ、なんて略してても。

でも、ネットだと統一される方向になるというか…

白か黒かって正義ばっかりだと、

いろんな地域だったり個人のくだらない多様性が

無くなっちゃうんじゃないかと…。

「そんなこともあるよね??」みたいな

もんじゃないのか、人間は…。

 

あ、でも、マクドナルドはさ、

マックシェイクとかマックグリドルとかさ、

自分でマックって言ってるからマックなんじゃね?

とか思ったりもします。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん