はてなキーワード: プロモーションとは
本気で言ってんの?
>性別とおおよその年齢(20代後半とか)もわかるようにする。
値段設定は知らんがすぐに企業が乗り込んできてステマ炎上プロモーションもどきのやり口でぐちゃぐちゃになる
何?
>誹謗中傷を書いている人がいたら通報することが推奨される。
>有効な通報1件につき報酬としてカラースター1個が与えられる。
カラースター目当てに誹謗中傷ととれる言葉を目くじら立てて探すユーザーが出てきて言論統制みたいなことになる
>3アウト制の導入
単純に回数少なすぎて数人で多数派が嫌がらせで少数派潰しまくれる 「有効な通報」の基準とは
さすがに冗談だよね?誹謗中傷は良くないと思ってるのはよくわかるけどなんでも悪用して加害する人の存在は考えておかないといけないでしょ
国家権力の最大の仕事のひとつは再分配、わたしたちから集めた税金をどのように使うのか予算を決め執行することだ。そしてその仕事こそは、彼らの力の源泉でもある。
平時であれば、これほど多様化された社会である、それぞれの立場環境により何を優先すべきは変わる。わたしたちの利害は対立する。彼らはそれを調整する。
しかし、今は平時ではない。国難であり、非常のときである。ウイルスは、病は、死は、イデオロギーや世代や階級や党派を超え、等しく襲い掛かる。感染症の前にわたしたちは平等である。わたしたちが、いま、優先すべきものはただひとつだ。
現政権が、この状況で決めた補正予算案に含まれたものが下記である。各省庁・利益団体・既得権益層がいかに予算を奪い合ったか、よくわかる。これが、10万円給付などと抱き合わせされ、ほぼ無審議で国会を通過する。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202004/CK2020042502000145.html
経済産業省「Go To キャンペーン」 一兆六千七百九十四億円
わたしたちは残念ながら自らより優れたものを選べるほど賢くはない。
革命のような時間とコストをかけなくていい。選挙制度はそのためにある。
彼らの権力は、所与のものではない。わたしたち主権者が、彼らに与えたものだ。
与えたものは奪うことが出来る。
無能な、冷淡な、そして強欲な彼らに、罰を与えることが出来る。
わたしたちは、彼らを選び直すことを通して、偏狭な官僚システムにも罰を与えることが出来る。
彼らがむさぼろうとしているその金を、
依然として増えることのない検査拡充のために
使おう。
彼らに罰を与えよう。そして変えるのだ。
職場で連絡を密にするためLINEグループを作ろうという話になったのだが、つい「LINEは使ってません」と言ってしまった。
職場では自分以外にもガラケーの人とかアンチLINEな人がいると思っていたのだが、どうも自分だけだったようだ。
実際には細々と使っている。限られた人たちと親族でのやり取りだけ。
なんとなくLINEが好きではなくてな… プロモーションの仕方とか仕組み(既読がつく)とか、その他もろもろが。
そんなことウダウダ思って嘘をついたら、自分以外の人間全員は専用高速ネットワークへ接続され、自分だけが低速回線に残ってしまった。
中学や高校のころにLINEがなくてよかった、と思っていたが、大人になっても大して変わらなかった。
(中学や高校ではメールアドレスを交換してくれなくて悔しかったりしたが、大人になってもツールが変わっただけで構図は同じだった)
きっと発信者に悪意は無いし、権利者もこの人の意見を強く否定する程では無いと思う。でもこの人の善意による発言が、権利者の、あるいは人類史の妨げになると思うので記す。
まず創作物の権利は、当局の著作権法や万国著作権条約によって定められている。しかしその規定された制約ではなく、独自のルールで利用されたいという人は居る。それは権利者の権利である。
今回、多くの興行が中止された。特にチケットを販売済みでその日時に表現をしていたはずの表現者は、インターネット上で代わりのコンテンツを配給しているようだ (もちろん興行に関わる人への利益になるよう調整をしている人も居る) 。その中で、該当コンテンツは「コラボ」を許容した。該当ライセンス記述は以下のとおりだ。
非常に曖昧なライセンスである。権利者が権利を曖昧にする理由は様々だが、該当コンテンツの場合は自由に何かを作って欲しいから、作ることによって辛い気持ちを乗り越えて欲しいからだろう。
安倍首相の Twitter アカウントで、この動画と組み合わせて作ったコンテンツは、とても多くの人に不快感を与えた。表現である以上、評価はコンテンツに触れた人の解釈に委ねられる。でも、 安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析 の主張は違う。「その利用方法が間違っている」と言うのだ。
星野源さんについて詳しく無い (書籍のエッセイは全部読んだが) ので、ブコメを参考にした所によると、この楽曲は「家に籠もることができない人も含めて、自分の心の内の世界で踊ろう」というメッセージらしい (後日に対象の発言を正確に引用してこの節を書き換えるかもしれない)。だとしたら、「ダンス」に「日常生活を送る姿」が含まれる可能性はある。それぞれなりの生活を楽曲になぞらえる、あるいは楽曲から想起され日常に気づき、それを表現するということはあり得る。楽曲と、楽曲の解釈を自分なりに表現したもの。それによって作られたものであれば、権利者は容認し得るだろう。そうでないと言えるのは、ダンスとダンスではないものを規定できる人だけだ(それも権利者の権利を上書きする力は無いが)。
この人が「これはセッションではない」と言うことは、その可能性を閉じることである。
権利者から提示されるライセンスは、権利者と利用者との契約であり、契約に反する場合は当局の法令によって裁かれる。 つまり非権利者が「これは違う」と言うことは、コンテンツの利用者を犯罪者と断定する行為である。
今回の騒動で、権利者は「違う」と言わなかった。一方でこの人は「違う」と言い、それは多くの人の注目を集めた。場合によっては「違う」という意見が多勢となり、「解釈を間違った人は犯罪者である」という状況を作るだろう。これは誇張ではない。
権利者がコンテンツに対してのライセンスを規定できるということは、「コラボ」が許される期間を 100 年程短縮する (権利発生時から権利者の死亡までを 50 年と仮定。日本の著作権法による) 。そのコラボコンテンツにはコラボした時点で権利が発生するため、そのコラボコンテンツを元にコラボするためにはまた 100 年待つ必要がある。権利者がライセンスを規定できることで、その期間をゼロにさえできるのである。さらにそのコラボとなれば、発展の期間の短縮は例を挙げるまでもない。権利者以外の誰かが「これは駄目だ」と言うこと、そして権利者没後の人々が賛同することは、人類の文化史を 100 * n 年後退させることである。
繰り返しになる。みんなが辛い。みんなが興行ができない。そのために素材を提供した。その素材に依るコンテンツを「これは OK 」「これは NG 」と規定できるのは権利者のみである。外部から NG が規定され、雰囲気としてこれは NG とされれば、行われたはずのコラボコンテンツの公開を損なわせる。それこそ権利者の本意に反するのではないだろうか。
今回のことで、インターネット上にコンテンツを配信する人は増えた。そのライセンスが明確であると、それは資源となり、様々なものが作られる。そしてその先には別の未来が待っているだろう。「これは NG 」と規定する非権利者が現れる事によって、人類史は 100 * n 年の遅延を求められるのだ。
まだいつまで続くか分からない状況の中で、興行の代わりに「コラボ可能」なコンテンツを提供する人は多いと思う。そして「細かいことや面倒くさいことを言いたくない」という理由で曖昧なライセンス表記で提供されるだろう。「分かるでしょ」というのは同一の文化圏でのみ通用する。でも公開する以上、同一ではない文化ともなんかやりたいじゃん。
でもやっぱりライセンスを規定するのは難しいし、読む方も難しい。コンピュータソフトウェアはずっと改変によるメリットと著作者の権利を議論し続けていて、ある時クリエイティブ・コモンズという権利者の権利の表示が簡便な仕組みを生み出した。
明確なライセンス表記をすることは、利用者を守る行為でもある。利用者を犯罪者にする可能性を防ぐことができる。クリエイティブ・コモンズの表記は極めてシンプルに作ってあるので、これからコンテンツを公開する人はどうか自分が自分のコンテンツをどう扱って欲しいかを、表記してみて欲しい。だめだったら個別にだめだと言って良い。それは権利者の権利だから。
余談だが、今回の騒動で議論の余地があるとするならば、「文化の政治利用」が「営利」なのか否かだ。もし CD などの物理メディアを通して金銭の授受が行われれば明確にアウトだが、プロモーションについては判例が少ない。ぜひライセンスガチ勢のツッコミを求める。
あとほんと蛇足なんですが、今回問題になった Tweet はクレジット表示が無かったのは本当にだめ。表示をしなくて良いのは Public domain か CC0 のみで、どんな解釈でもそうは取れないのでだめそう。でも異文化に触れた老人たち (本人じゃないだろう) が異文化の雰囲気を読み見違えるなんて普通じゃんね。それを超えて老人たちも良い感じのコラボコンテンツを出してくれた方がいいじゃん。
作者が涙ながらに云う電通は絡んでないってのは半分本当で、実際メインで動いてたのはベイシカって会社の連中と、おそらくベイシカを自分の担当下請けに抱えてる電通プロパーの下っ端アラサー社員の1匹くらいのはずなんだよ
だから今ごろ社員のそいつは電通本社で部課長クラスにヘマこいたことを激詰めされてるんじゃないかと思うんだよね。
あと、スタンドプレー的に稚拙なプロモーション打って本社の看板を傷つけたベイシカは懲罰的に仕事が減っちゃう感じになるはず。
ま、その電通社員の担当者の心臓が太ければ、平気な顔して映画までプロモーションを完走して、ところどころ微妙だったけどそこそこの成績出したということでコンテンツはゴミ箱にポイして「次いこ次」ってなるんだろうけどな。
最後の最後で最悪のプロモーションを見せつけられたから辟易してる ○
死を扱った作品は泣けるだのなんだので安直で人気になりやすいから外野からも批判されやすい
けど、ワニの場合はその安直さもストーリーも一日一日ゆっくりと時間をかけて説明していって人気になってきていてあと少しでフィナーレだったのに
最後の最後にプロモーション担当が詰めの甘さ出してきたり、最終回後にすぐさまグッズ宣伝する業界の慣例みたいなことしてきたのでその作品を大事にしない姿勢に辟易している。
あとその宣伝をしたのが電通の奴らじゃないかという話になってあの電通がこんな出来損ないするなら叩いていいやという流れになってる。(ちなみに電通は関係ないと作者本人が発表している) ◎
何?電通では作品の内容如何にしても売っていいってなったら神速で宣伝を始めるんですか?兵は拙速を尊ぶって奴??
いやアレ戦場だけだから!電ちゃん!頭に電が付いてるのに電撃戦がおヘタ〜!
そしてまだ戦いの火蓋切って落とされてませんよ〜!
発売日はいつですか!今ですか!明日ですか!四月の八日だぁ〜あ??一週間どころか二週間以上空いてるじゃあねえか。
しかも死ぬ一日前に小学館から本が出るってバレてんじゃねえか。馬鹿がよぉ〜!
死にましたイェーイ!ってお前達がやっちゃったらお前のプロモーションのネタにしてるワニの死をそれこそネタにしてるだろうが。ああまぁあのファンはどう死ぬのかを予想してたところはあるよ。
でも、どう死んでしまうのかを予想してたのであって、その後立派に死んだやつを弄ぶつもりではないだろうよ。多くの視聴者はな。
ワニが死んで、その後どう生きるかな、ぐらいに考えるんだよ。考えているフリをしてる奴もいただろうよ。だが馬鹿め足並みを揃えられねえからこんな事態になるし、しかも死んだ翌日にこんな宣伝すりゃいいやって思ってたな電よ。だからお前は馬鹿でセンスがなくて時代遅れのブラック企業営業で灰皿一気馬鹿なんだよ。
あの作品のラストが桜だったなら桜の風景でも出して「…?」でも付けて徐々に徐々に登場人物出して二、三週間期待でも煽っときゃいいんだよ。本当に買う層なんざそうそういねえし作品の雰囲気を大事にしてたらその作品自体を宝物みたいに思うだろ。
お前の売ってるものがそこまで普遍的で価値のないものだと思ってるから「イェーイ!今からワニグッズめちゃめちゃ販売しまーすイェーイ!」ってやっちまうんだよ。
ギリギリLINEスタンプでも笑って許せたよ。「一生懸命描いてる作者も金ないんだろうな、大変だな」ってよ。
テレビに出ても「おおー!Twitterで継続的に漫画を描いてめちゃくちゃ人気になったら連日テレビに出なきゃならなくなるのかー!大変だなー!鬼メンタルだなー!」って許せるんだよ。
小学館の四月の新刊で宣伝されたのは「連携取れてなかったなー!でも確かに人気作品だしなー!お金入ったらいいよなー!」ってなるんだよ。もういい加減!が多い時点で察しろ。
やっと百話が投稿されてちゃんと余韻に浸らなきゃいけない時にエンディングテーマとしていきものがかりがワニのために作った曲流された時も「おお〜!このタイミングでエンディングテーマを流すなんて…!エモいな!普遍的なテーマだから作りやすかったんだろうな!いきものがかりの歌はやさしいからな〜!こういう時使いやすいんだろうな〜!…いきものがかりさんもワニ君好きだったのかなぁ???」で許せてたよ
でもその後に「100日後に死ぬワニに関する情報を流していきます。運営会社○○」だ?グッズ展開だ?映画化だ?
だから余韻に浸らせろよ!「ああ、ワニ君が死んだ後の彼等はどうなるんだろうな…」って思いを馳せさせろよ!
なーにが「ワニが死ぬ日に追悼絵を描こうとした奴はいきものがかりにぶっ倒された」だよ、ふざけんなよ、大物紅白歌手出したら引っ込むならアイツらアホほど二次創作描かねえよ。でも引っ込んじゃったから結果として残ったのは画太郎コラだけだよ!
小学館の馬鹿がよ!何が後日談もあります!だ!それは宣伝で言っちゃなんねえだろうがそれは!百日なんだよ!百日だけだったんだよ!あの作品と一緒に居れたのは!
ワニが死んだ後、アホ程妄想がファンによって描かれた後に本が発売されてその中でしんみりとしたその後の日常やらワニが時々やってたみたいに顔や口元が映らないネズミが描かれる漫画描かれてやっと公式ありがとうなんだよ。なーにが後日談ありますよ!だ。
仮に書いたとしても
で良いだろうが!
ダメだわさっきから思ってたけど俺にはプロモーションの才能が無いわ!
でもなんだこの宣伝を一気に行う流れはよ!
なんだったらグッズもLINEもいいよ、勝手にやんなさいよ!ワニが死んだ後に死ぬほどサンクスと言わされたニワトリのLINEスタンプ買わせなさいよ!お茶目なキッズ達にワニ君と一緒〜とかさせなさいよ!いいよ!それはいい!普通に想像して可愛かったわ、ワニっていう動物はポップに描くと可愛いからね。それはあり。
映画化って何よ
いやショートアニメならまだ理解してやらんでも無いよ。YouTubeチャンネル作って一日に一回動画出すのよ。途中で死をネタにしてるからっつってYouTube君に収益化取り消されたりしながらも100日後にうおおおおってなるやつね。それならわかる。
映画化って何、そこまで一気に仕上げたいの?
さっきから思ってたけど何をそんなに焦ってプロモーションしてんのよ。関係者の中で誰かが死ぬの?それとも作者のお友達の命日が近いからこんなバタバタやってんの?
それとも売るのも買わせるのも一瞬にしないと契約期間的に無理なのか?誰の?電通ちゃんのか?え?そういう契約なの?まぁしらんが。
というか、フォローする連中も去年の暮れにアナ雪2で燃えた連中だし、怒ってる場所もフォーカスがズレて「嫌儲思想やめろ!俺らには金がない!」とか言ってて「いや怒ってんのはプロモーションのヘタクソさ具合にキレてんだけど何、お前はいっつもこんな作品を台無しにする物の売り方してんのか?だからお前は貧乏なんだぞ」って感想しかないよ。まぁお前らそれなりに面白いらしいからフォロワーも多いしな。それなりにうまいこと稼げるんでしょうよ。でも途中でPV数変わったなぐらい気付かなきゃダメ。
そんでワニの中に折角いい表現があんなにそれを利用できないのもダメ。もうダメ、もう無理、もうフォローとかそういう問題じゃない。
だからお前らのために俺はあの作品自体は嫌いじゃなかったって言います。だからこそ、宣伝の仕方は間違っちゃダメだった。
多分、真実は「途中で業界の人に作品が渡って宣伝の仕方もなんもかんも業界の人が考えたけどこんな感じでした」なんだろうけど
俺みたいにネガティブな奴は「最初から作者のショックな体験とすり合わせて百日作品を作ることにしたんだろ…?ててて提案ぐらいならできるだろうしな…会社のお友達連中が一回リツイートしたらアホ程見られる機会も増えるしな…そうだ、だから衝撃的なワードを付けて…でも絵は普遍的にして…」とか考えるんだよ
もっとネガティブなら「こここここの騒動で作者に同情的な奴も作者と裏で繋がってるんだ!!電通の犬がぁー!俺はもうこいつのフォローを外すっ!!俺はもうマーケティングやプロモーション、ステマになんか惑わされん・・・作品として面白かったと思いたいのに・・・まさか本当によく見る人が宣伝するから面白い作品だと思うだなんて・・・うおおおおおおお!」ってなっちゃう
あーー!でもこのあ〜あの奴もマーケティングか??プロモか????もう芸能人が触れたもの全てプロモか???ワニの作者が朝のニュース番組にドヤ顔で出まくってたのも電通の宣伝の一環か???いやまぁアレは宣伝の一環だろ、じゃなきゃ作者がホイホイテレビに出るかよ。
それでも作品は別に批判する気がない。普通に楽しんでたしな。最後も一見するとワニが消えただけに思えてしまうのも、発表が意図的か偶然か遅れてしまって、一コマ目が「おせえな」だったのも、やっぱり花見のタイミングで亡くなってしまうのも、その後本当に作中までは生きていたのも。良かったんです。ええ、死んでしまいましたがね。
あと作者が幼馴染の友達が交通事故で亡くなったことで絵描きを始めたことや、それを経てこの死を扱う作品を描いたこと、それをやり遂げたこと。そして、交通事故を扱うこと。そして何より、ワニを思わせることで間接的にその友達を思わせたことは偶然であれ、作者の熱意によって作られた幻覚に近い。事情を見て、もしかしたら作者の友達はこんなにやさしい奴だったのかもしれないなと思わせること、思わなかったとしても、ワニみたいな奴が夢半ばで斃れるようなことは世の中に沢山あること。
花見の時はどうしても浮かれて上ばかり見てしまうので桜が咲いてるなとお気楽な気持ちでいたら予想もしない事故は発生するので気を付けようねっていう
だからまぁ、まじで、宣伝の仕方を間違えられたからすごいお友達の死すらもただの金儲けに使う奴だと思っちゃうわけで
ただもうすぐ花見の季節だから焦って注意喚起も兼ねてやってんのかなって気持ちにはなりました。すごくポジティブに解釈しただけだけど。
イベント遠征の学級会に首都圏に住んでるやつはたとえ一人暮らしの貧乏だとしても反論を許さない雰囲気がつらい
自分とこの家賃、駐車場代、空港までの交通費とか「知らないでしょ?」って各方面からどんどんマウント取られてうるせ〜!しらね〜!
でも家賃はやっぱりこっちのが1.5〜2万くらい高いよーこれ12ヶ月だとどうよ
そんで1DKとかじゃなくて面積で言ってよこっちのが多分狭いマジうなぎの寝床
Twitterの賃貸系のプロモーション見てその間取りでその値段の物件なんか見たことねーわバーカバーカ!って泣いたことあるもん
稼ぎによって使える金額も違うし実家で家に金を入れてないやつはどこに住んでようが黙ってろと思うしあーあ
こういうの言うとまたこじれるし面倒だから私は〜そこに〜居ません〜を貫いてるけど
みんな幸せボンビーガールとか見たら良いよ上京してきた女子の物件探し、大体予算オーバーか希望より遠いところか狭小物件になってるから
5・6年前、当時関わっていたバンドを見に渋谷club乙へ行ったとき、まだインディーズに所属していた頃の雨のパレードを見た。
彼らのステージは天才的だった。あのとき「制御不能な創造活動」という曲を演奏していたが、それは当時の彼らを象徴するような楽曲で、もう何年も音源を聞いていないのに、未だにあの心地よい恍惚感は記憶から薄れない。メジャーデビューを機に消されてしまったが、「制御不能な創造活動」や「空間の中の一つの連続する三角」という曲のclub乙でのライブ映像をYouTubeで何度も見返して、彼らがこれからどんな活躍をするのかずっと期待していた。
club乙でのライブのあと、メジャーデビューの発表が出るまで、そう時間はかからなかったと思う。インディーズ最後のシングルとして「tokyo」がリリースされ、すぐにタワーレコードにcdを買いに行った覚えがあるが、しかし、聞けば聞くほど、「ひいきにしているアーティストの新曲がでた」という盲目的な興奮から冷め、今まで彼らが創作してきたモノとの違いを感じざるを得ず、そのあとに「new place」のビデオが発表されたときには、俺はもう雨のパレードに対する熱がほとんど冷め切ってしまった。それはたぶん、実力を多分に備えた彼らが「東京で夢を見てる」とか「おきまりのダンスナンバーなんてはじめて知ったんだ」とかいきなり拍子抜けなことを言い出したことに対する、失望のようなものを感じたからだと思う。
乙でのライブを見たとき、彼らは無敵だった。そのスケールはそもそも「東京」がどうとか関係なかったし、まして地方出身なんてのは本当にどうでも良いくらい、天才的な確固たる世界観をすでに持ち合わせていたのに、メジャーになった途端、彼らは、俺にとっての魅力的な世界観から逸脱していってしまった。
それがどういうわけで、そういう方向のプロモーションへ向かったのか、俺にはわかるはずもない。だが、インディーズ時代にやっていなかったアプローチをデビューを機に突然始めたのは、やりたいことが変わったとも考えられるけど、アーティストの意向以外の要因があったのではと、どうしても勘ぐってしまう。
そういうわけで、俺はここ何年かは雨のパレードを全く意識することなく日々を過ごしていたのだが、先日、ラジオから「borderless」が流れたとき、かつて俺が彼らに対して抱いていた感情を思い出した。今もあるのかわからないけど、ボーカルは昔、ちん毛をライターで燃やそうとしてるモノクロ写真をInstagramに載せていた。