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はてなキーワード: タッチタイピングとは

2015-05-17

プログラマー給料は減る一方

はてなとか見てると,世の中にはプログラマーが溢れているように勘違いするけど,

実際にはまだまだ少ない.足りてないかどうかは別として,相対的な人数は凄く少ない.

ただ,今後はどんどん増えていく.

そしてプログラマー給料トップクラスも含めてみんな軒並み減っていく.

理由Androidのせい.身近にプログラミング可能なデバイスができて,とても使いやすSDK無料提供されているから,小中高のプログラマーがどんどん増えている.

更には勉強しようと思ってる社会人も簡単にアプリ作って勉強できる.やり方が分からなくてもネット上に膨大な情報がある.

そうやって,みんなプログラミングできるようになってる.

昔はタッチタイピング出来る人が稀だったけど,今や当たり前にみんなタッチタイピングしてるみたいに.

昔はWordExcelを使える人が少なかったけど,今や履歴書に書かなくても当たり前に出来るみたいに.

そうなったときに,まずはソフトウェア外注するとき価格が適正になる.

一部の外注ソフトウェアは内製化が進む.というか既に進んでる.

これまでは発注する側が適正な価格なんて分かってなかったから,IT土建屋無能プログラマーにもそれなりの給料を渡せるように高めの価格設定が当たり前だったけど,

そこそこのプログラマーを2,3人使えばちょっとバグが残っててもそれなりに使えるのが1ヶ月で出来るってなると,価格は3人月+αが妥当ってなる.

天才プログラマー給料が高いって思われがちだけど,そういうプログラマー活躍できる場所って実は少なくて,それに比べて天才プログラマーは多すぎる.

能力が高ければ高いほど得られるコードが優れているかっていうとそうでもない.効用みたいに逓減しちゃう

こんな感じで,職業としてのプログラマーって,そんなに明るくない.才能があったとしても.

一方で,プログラミング技術を活かして何を作るか,どうデザインするか,プログラマーをどう動かすか,っていう技能は求められ続けると思う.

時代が変われば需要も変わるから,それを捉えて何をどう作るかっていう職業重要性は昔からそれほど変わってない.

ただ,プログラミング勉強しないっていうのはもっとヤバイ

今のご時世でWordExcel使えない人間がどういう扱いかを考えれば分かると思う.

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

 せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分ブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。

大学入学まで

 ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称統一されていなかった時代でもある。記録媒体カセットテープゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。

 市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。

 当時はまだ、パソコンメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だからNECパソコンソフトシャープパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001PC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者プログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。

 その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチフロッピーディスクになり、一瞬でセーブロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。

 せっかくの新マシンではあったが、やはり用途ゲームだった。雑誌掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。

 なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響プラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。

 中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコン受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤー経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲーム勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである

 高校入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまたからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。

 ちなみに、ぼくとほぼ同年代英国ライタースティーブン・プールには『トリガーハッピー』(2001年)というテレビゲーム歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代ゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。

 しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPG製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。

 技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲーム目標大学合格に切り替え、パソコンメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである

大学入学以後

 1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京学生ポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。

 入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京進学校出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。

 いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生あいだでポケベル流行っているというのも別世界話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。

 その一方で、大学入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話重要ツールだったのではなかろうか。

 あるとき風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。

 ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったか1994年のはずだ。日本でもインターネット商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学パソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。

 大学2年生の終わりごろ、ゼミ選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。

 しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。

 当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモ携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。

 他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口膾炙していった。大学パソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。

 ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネット接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブ自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである

 もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。

 ぼくが参加していたのは朝日ネットフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネットからはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信ログに残っていることを主人公発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。

 その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネット時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねるである。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。

 …と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。

2014-12-02

僕はもうプログラミングしなくていいんだ

大学回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。

 

パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビ常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001パソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコン電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。

 

97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001キッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしいあめぞうあやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。

 

その一方で僕は中高一貫私立校入学していた。高校受験がないことから、ネット依存さらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板ネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。

 

その狭間に、僕は生きていた。

 

自分掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタコンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューター翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……

 

お手上げだった。

 

コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linux初心者お勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。

 

プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明文字列が並び続ける。メモリメモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。

 

あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学情報科学科に入った。

 

教授ガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。

 

大学キャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。

 

とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報さらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskellSchemeObjective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????

 

それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注プログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格ちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。

そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。

 

僕は試験放棄した。

 

まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習機械学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬだって友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなた名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。

 

大学回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。

 

それからしばらく経った。

 

結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだChromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウス右クリックコピーペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeportsを入れる必要は無い。iTunesiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。

 

僕はもうプログラミングしないでいいんだ。

 

それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板オマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブホッテントリを見てると、プログラミングマスターしなければならないこと、何何する方法開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース勉強会ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミング必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。

 

さようなら。僕はもうプログラミングしません。

 

 

 

 

それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。

 

意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。

2014-10-13

日常会話程度ならスマホで充分だけど

フリック入力予測入力?できるようになった。タッチタイピングっていうの?ブラインドタッチ?なんか単語あるならごめんなさいむちで…)

プログラミングデータ解析のような作業をする気は起こらん。

スマホタブレットが21インチぐらいになったら可能かな?

でもマルチディスプレイじゃないとやる気起きないだろうなあー。

(え?炎上ネタなんだからのっかっとけって?フェイクの情報で盛り上がれるほど裕福じゃないのです…)

メールLINEなんかのチャット形式と比べたらたしかに面倒臭いように見えるけど、件名がないと、内容のフィルタリングが面倒くさいような気がするんだけど。

スマホPC代替するっていうのは、コミュニケーション手段の主なものがそれになる可能性もあるだろう、ってことで、

PCがなくなるんじゃなくて、デジタルディバイドという単語形骸化していくんじゃないかな。と、あくまでも私見及び勝手憶測にすぎませんが。

今、キーボードを使いこなせる層は、キーボードを使わないとできない仕事への競合が減るという事とイコールなのだからもっとその先を追いかければよいのでは。

両方つかいこなせばいーじゃん!

2014-06-18

右の指はくの字に曲げるんだ

今年の4月に入った新人タッチタイピングが苦手だという。

特に右手人差し指で押すキーが苦手だ。

見てみると、人差し指の曲げる角度が悪いようで手首が頻繁に動いていた。

人差し指はもう少しくの字に曲げるといいよ。」

右手人差し指はくの字に曲がんないよ。左手ならできるけど。」

「いやいや、左手ひらがな右手カタカナだよ。。。」

くの字って言えば雰囲気でわかるだろー。

くの一のくせにふざけやがって。

来月昇給狙いかよ。

2014-06-11

仕事が暇なのでずっとタッチタイピングの練習してる。

参考にしてるページはhttp://nanapi.jp/1086/

こんなの慣れの部分が大きいんだろうけどコツあったら教えてくだしあ

悩んでるのはrとtの押し間違えが多いとか、pとーが押しにくいとか。

あとテンキーってどうやって練習すればいいんですか?

2014-05-22

タッチタイピングの練習しようとして、練習ソフトは性に合わないし、何かいものはないかと考えて、あった。

歌詞だ。自分のそらんじられる歌詞をそのままタイプすればいい。

今日一日これで練習しよーっと

2014-05-19

タッチタイピング(ブラインドタッチ)を覚えるのに有効なのは?

私はブラインドタッチが出来ない - はてな村定点観測

http://www.open.sh/entry/20140518/1400415396

タッチタイピング習得には30時間かかる(経験上も)

逆に10本指があってやる気(時間)とキーボードさえあれば、小学生でもじいちゃんでも習得できる。

若い時、コンピュータに触れた時に習得しとかないと、歳取ってからじゃなかなか厳しいと思う。

タッチタイピングできないから技術力はない

できるから技術力があるわけじゃないけど

一般的大学などで情報を専門にやってきた人、意識高い人は当然の如くマスターしている。

ブコメであったが

チャット

タイピングソフト有効だと思う。

・無刻印キーボード

http://www.pfu.fujitsu.com/hhkeyboard/leaflet/images/pronl_sumi_b2_l.jpg

これぞというフリータイピング練習ソフトは少ないような気がする

おすすめフリータイピング練習ソフトありますか?

ブコメでよろしく

#あと、できないよりはできた方が当然いいよねww

#追記

片手1本指で両手使いの猛者は過去に1人だけ見たことがありますww

(3本指打法とか我流は山ほど見たが、この↑人は凄かった)

ベテランタイピングが遅いという訳ではない(当然だが速くもないww)

まとめると、タッチタイピングができなくも業務に支障が出る訳では無いww

タイピストじゃないんだからプログラマー能力タイピングの速さはまったく関係無い」という考え方の人がいてもいいと思う。

2013-06-03

仕事ができる人」が足を引っ張るということ

 例えば、会社で次のような仕事の分担があったと仮定します。

(1) 毎週、月曜日木曜日に、かなりのテキスト量のデータ入力をしなければなりません。

(2) 平均で、1回に2時間程度かかります

(3) この仕事はほぼ毎週あり、予め分かっています

(4) 社内では、この処理をやっている人がたくさんいます

 この想定だと、このデータ入力には週4時間かかります正月休みお盆休みGWなどもあると考えて実働はざっくり年50週程度と考えると、この仕事には年間約200時間を費やすことになり、膨大な作業量だと言えます

 さて、当然のことですが、普通の人はこの仕事をできるだけ短時間効率的に処理しようと考えます。いろいろな手段が考えられますが、クオリティを下げずスピードを上げる一番手っ取り早い手段は、「タイピングスピードを上げる」ことです。タッチタイピングを会得するのは実はそんなに難しくなく、粘り強い人なら1週間もあればスピードは格段に上がります。私の感覚だと、ちょっと練習しただけでも、2倍程度のスピードは出せるのではないかと。

 仮に2倍のスピードタイプできるようになれば、この仕事にかかる時間は年間100時間、つまり-100時間コスト削減になるわけです。ここでは、これをパターンAと呼ぶことにします。

 まあ、実際のビジネスはこんな単純には効率化できないわけですが...。

 それはさておき、実際の事務系の現場ではというと、効率化の取組としてパターンAを取る人というのは、実はそんなに多くはいないだろうと思います入力するデータの簡略化を試みたり、より入力やすコンソールへの改善を求めたりします。基本的に個人では努力をせず、システムタスクの側で何とかしようとします。実現すればもちろん効率化の目的は果たされます。この考え方でも例えば-100時間コスト削減は可能かもしれません。この取組をパターンBとします。

 ここで、普通は「だったら両方やれば良いのでは?」という、至極全うなアイデアが浮かぶはずです。パターンA+Bですね。しかし、実際にはこの動きは非常に起こりにくくなるんじゃないかと思うのです。

 それは、少数であったとしてもパターンAを採用する、いわゆる「仕事ができる人」にとって、パターンBは邪魔に映るからです。

 パターンBによって、200時間から-100時間が実現すれば、それに重ねてパターンAによって削減できるコストは100/2で-50時間になります。同じ労力をパターンA採用者は自力で100時間で処理ができ、なおかつ非採用者は200時間がかかるわけで、その「100時間の差」が相対的に「仕事ができる幅」ということですね。

 パターンAを採用する人は、パターンBの採用に消極的になりますパターンBも併せて採用してしまうと、同じ労力で「50時間の差」しか生まれないわけですからさらに言うと、100時間で処理できてしまう人にとっては、自助努力のみで負担感も半分になるわけですから効率化への意識も下がります

 こういうところに、「仕事ができる人」が組織効率化や構造改革を阻む構図があるのではないかと思うわけです。仕事ができない人ができないままでいてくれる方が、仕事ができる人の「評価の幅」が大きくなるからですね。非常に狭い視野で語っていますが、実際のビジネス現場ってこういうレベルの低い話に充ち満ちているんじゃないかという気がします。

 これはあくまで個人レベルの話で、組織レベルではまた違うのですが、私にはあまり組織レベルの話に興味はないので...。

 

2011-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20110728133301

今は「ブラインドタッチ」じゃなくて「タッチタイピング」って言うんだよ。なんか差別用語で引っかかったらしい。私は49歳だけど、親指シフターだよ。大学生子供たち、論文書く段になったら、タッチタイピング覚えたよ。普通に使ってれば覚えるんじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20110728201346

時たまちら見するとか、そういうレベルの話じゃないかなって

ちがうよ! 時たまチラ見はダメだよ

いまどきブラインドタッチできない奴なんて存在すんの?

赤子とか80代くらいのジーサンバーサンとかなら分かるが。

当たり前じゃん。

そもそもキーボードの叩き方さえ千差万別なのに、ブラインドタッチができる奴なんてIT業界ならともかく全体なら一割もいねーよ

一度も目下ろすんじゃねーぞ。

それはねーだろ。

少なくともレポートパソコン作成する大学生は全員できるはず。

大学進学率6割くらいだっけ?それだけでも最低全体の5割はできるだろ。

何度も言うが「キーボードに一度でも視線を下ろす」ならブラインドタッチとは言わん。

お前にはできてるように見えるだけだろうが。ムラ社会同調圧力乙!

んなこと何度も言わなくても分かってるっつうの。

なんでそんな必死なんだよ。

結局どうなんだ?

今の大学生はみんなブラインドタッチタッチタイピングが出来るのか?

大学生のみなさんのご意見募集中。

http://anond.hatelabo.jp/20110728183247

若い世代はそうなのかー

周囲にタッチタイピングが出来る人が多いとそういう風になるのかも知れないね

俺は小学生のころからプログラミングとかやってたけど、タッチタイピングになったのは、大学時代大学PCに入ってたタイピングソフトで練習してから

ホームポジションもその時覚えた。

研究室情報系だったけど、完全なタッチタイピングが出来る人の割合は半々ってとこだったね。

2010-12-05

見た目はロックで中身はポップ

正義は君を見放したりしない。

ロックンロールは止まらない。

ナイスジョワンフール。

わっしょいわっしょい。

ナイス友だぜ歴史あり。

国敗れて山河あり。

どうでもいいけど笑ってくれよ。

笑わせる力を持ってるんだろ。

ふわあああああああああああああ

浮かぶ。浮かぶよムジンクン。

最高にハッピーな気分はどこまでも続いていくのさ。

腹に消えてった金ですらも、ぶっこわれるほど破壊されていくのさ。

ニヤリと笑った精神に、怖いものなんてないのさ。

ロックンロールは止まらない。

twitter,もっと自由にやらせてもらうぞ。

手当たり次第にフォローじゃおらぁ!!!!!!!!!

だが規制を鑑みて少し自重ぎみで。

そんくらいがちょうどいい。

ちょうどいいとこにいたい

げろげろ温泉。つかりたいな。

行くところまでいきましょうか。

なんでもいいけど早くブッ倒せよ、魔王

アナゴさんが宿敵。

ぶるああああああああああああああああああああああ

なんとなく湧いてくる降ってくるイマジネーションと共にI £ονё Υου.....φ(´I`● )。

because I love you.希望ならあふれんほどに。

びっくらこいた!

やっぱり咲いた、友の花。

少数精鋭でございます。

確かなものは欲望だけさ。100%の確率なのさ。

どうでもいいけどさっさとそのふざけた幻想をぶち壊してくれよ。

いっぱいいっぱい。とはこのことか。

よっぽど楽しいだろう。よっぽど面白いだろう。

正直いってつまんないよ、ああ、へぇ、そう、だから?

だから何ーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwwww

つまんないのはみんな一緒でしょ。えぇ?そうでもない?

ふふふ。だから何?だからなんだっつーのよおおおおおおおおおおおおおお

なんでオカマ口調になってんだよおおおおおおおおお

要するにこんなダメダメな文章を書く奴は

頭がマジでいっちゃってるんじゃないのっつー話。

いからさっさと出ていきなよ。

たい。ごごごごご・・・・・・・・・・・・・

それでも愛は止まらない。笑っているよ、石像が。

僕は僕になる。いちいちうるさい小僧だなぁ。

あいつは帰っていった。俺は残ったまんま。

玉砕覚悟で進みだします。

オーガニックが過ぎるのもー

納豆キムチは食べられない

血がサラサラはなるけれど。

ああ、どうでもいい歌だ。宇多田ヒカル

ピギャーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ナイスロックデース。

ジャンクフードでも食ってろってか。

カップ麺でも食ってろってか。

路頭に迷ってホームレスか。どうでもいいんだよ。

基本的にどうでもいい話を続ける俺。

じゃあ、何すりゃいい?否定されても続く言葉はないよ。

俺は文章を書いていたいよ。

だから俺は書く。タイピングする。

タッチタイピング技術も身につけた。大丈夫、これで大丈夫だ。

一気に進み出す。俺は絶対に見逃さない。何をするにも希望っつーもんが必要でしょうが。

手遅れならそれはそれでいいのよ。俺はしゃべり続けていたいのよ。

希望なら腐るほどある。夢なら腐るほどある。その結果がこれだよ!!

じゃどうする?興味もないね!ロンがハリーに嫉妬している事なんてどうでもいいね

どうにもならないことなんてどうなってもいいこと。ブルーハーツの人が行ってましたよ。

くっだらねぇって、つまんねぇんだって、チラシの裏にでもかいてろって、

そんな事言わないでよ。俺のポテンシャル

ポテンシャルならまだ十分に発揮していない。

∩(*・∀・*)∩ファイト♪俺。ビリーブ!自分

2010-12-02

タッチタイピングできます

適当に打ちまくればイイんじゃねーの。ってな具合さ。

てらわろちんぐな毎日さ。

2010-08-24

あるニート

一年ほど前、ニートの男と知り合った。

かれは当時26歳、高校中退だそうだ。

ふたつ趣味があるらしい。

ひとつラノベを読むこと。ただし神坂一に限る。

もうひとつは、ギターだそうだ。アコギ

暗い非モテかと思うかもしれないが、かなりのカワイイイケメンだった。

身長は180ぐらいあった。ファッションもおしゃれで、ブーツを履いていた。

背が低い男が、無理にブーツを履いているのとは違い、とても似合っていた。

だが声が小さかった。というか、全体的に控えめな印象だった。

体の大きさのわりに、存在感が薄かった。

今まで女性と付き合ったことはないらしい。

甘やかされて育ったのかと思っていたが、そうではない。

高校中退後はすぐに工場ピッキング)で働いたそうだ。

「作業は単純だったけど、仕事が終わると妙な疲れがあった」と言っていた。いまは無職

兄が一人いるらしいが、とび職だと言っていた。パチンコ狂いで、貯金はないらしい。

父親は寿司職人だったそうだが、もう亡くなったと言っていた。

そんなDQNな家庭の子なんて、どんなDQNかと思うかもしれない。

けれど彼はすごく礼儀正しく、言葉遣いも丁寧だった。

バイトで事務作業を手伝ってもらったが、エクセルなどの使い方もすぐに覚えていた。

家にパソコンはないらしい。しかし、速度は遅いながら、タッチタイピングもできたいた。

公共の施設などに通って、練習したそうだ。

今までやった仕事は、ほとんど工場の単純作業か清掃だったらしい。

年をとってきたので、事務の仕事をしたいと言っていた。

だが高校中退なので、なかなか厳しいのだそうだ。

「けど、しょうがないですね」と、彼は淡々と言った。

2010-05-28

衝動

普通普通じゃない?

それは既定?

間違い?正解?

コメントトラバ

なにこれなにこれ

なにこれ

タッチタイピングうざい。スキルうざい。ブラインドタッチうざい。スキルうざい。

人間ごとき

2010-03-23

こんな時間に起きてしまったので

こんな時間に起きてしまい、とても暇だ。

することもないし寝ることもできないので、タッチタイピングの練習を兼ねて増田日記を書いてみる。

学生なので1年を振り返るには結構良い時期だから、お題は、今年度の総括と新年度目標

まず、今年度の総括


彼女ができた

今年度も相も変わらずのキリンさんで始まった。まぁ、もう諦めていたのでそんなことは気にしていなかった。今年度も昨年度と変わらない日々が続くのだろうと、然して特別に意識することもなく、ぼんやりと感じていた。本読んで、テレビ見て、そんなに多くない友人と時々遊んで、緊張しながら美容院で髪切って、吐きそうな値段見ながら服買って、成績落とさないようにそれなりに頑張って。

事実最初の半年くらいはその通りに進んでいった。そんな状況に変化がもたらされたのが夏休みも終盤のことだ。

確か、ジュンク堂だったか三省堂だったか……もしかするとアニメイトとかとらのあなだったかもしれないが、どこかの書店で本を買って帰ろうとしているときに電話がかかってきた。相手は、知り合いの中では恋愛経験とかがある方の友人。「今から飲もう」との誘いだった。女性もいるということだった。いつもなら断るような急な誘い+知らない女性の参加だったのに、何か良い本にでも巡り合えて気分が向上していたのか、なぜか誘いにのっていた。一旦、自分の家に帰り、買った物を置いて友人の家に歩いて行った。

行ってみると、友人3人ともちろん見知らぬ女性2人もがいた。すぐにそこに行ったことを激しく後悔し帰りたくなっていた。「3、2の男3の現場にもう1人男が入る必要ないよな。うん。帰らないと」とか意味のわからないことを考えたりもしたが、そんなこと出来るわけもく、苦笑いを浮かべながら必死に対応していたように思う。お酒を飲んでも酔えずテンションが上がらないのでいつまで経ってもその状況に慣れることが出来ない。

「あ~帰りたい。あ~帰りたい」そんなことを思っていると、友人2人が酒を買い足しに出かけた。そこで残ったのは、私と同じく女性が苦手な友人と見知らぬ女性2人。その時の気まずさと言ったら。買い出しに出かけた友人たちが帰ってくるまでの途中で、残った友人は耐えきれなくなったのか「ちょっと部屋帰る」とか言って同じマンション自分の部屋になぜか戻るし、1人の女性トイレに行くしで、私の見知らぬ女性のの2人きりになってしまった。その時間時計上ではほんの短い時間だったのだろうが、私の中では果てしなく長い時間だった。

その女性とその後付き合うことになるのだが、その時話したことは全く覚えていない。覚えていることといえば必死にスティックカラムーチョを食べていたことぐらいだ。このことを付き合ってから彼女に言うと、「そんなに緊張しているようには見えなかった」と笑いながら言われた。緊張が顔に出やすいとよく言われるのだが、どうやら私は極度に緊張し限界を超えると人にはわからなくなるらしい。

果てしなく長かった時間は、もう1人の女性トイレが終わるのと同じくらいに、買い出しに出かけた友人たちが帰ってくることで幕が閉じられた。友人たちが救いの神に見えたのは言うまでもない。もし、友人たちの帰りが遅ければ、2人の見知らぬ女性自分1人でいなければならなかったのだ。それを考えるとぞっとする。

それからは、女性のことは友人2人にまかせて、私は部屋から戻ってきた同類の友人ともっぱら話していた。そして、この日は女性たちを家まで送りとどけ、その後また男だけで飲んだ。この時に先ほど救いの神に見えた友人達や同類でありかつ裏切り者でもある友人に愚痴を言ったことも言うまでもない。

次の日からまたいつも通りの日常が続いた。だが、それは学校が始まるまでの1週間ほどしか続かなかった。学校が始まると、なぜか2人きりにされた女性と授業が被ることがあったのである。しかも、友人達とではなく1人で受けている授業で、である。彼女を見たときは、声をかければ良いのか何もしない方が良いのか一瞬迷ったが、すぐに何もしない方を選択した。しかし、彼女の方が私に気付き声をかけ、さらに隣の席に座り一緒に授業を受ける状況を作り出してしまった。そこからは正直地獄であった。彼女は楽しそうに話しているが、こちらは相槌を打つのに精一杯だった。いや、たぶん相槌さえもしっかりと出来ていなかったであろう。「あ……ぅん……そ、だね……」

なぜ、彼女が楽しそうなのかわからなかった。私は異常なほどに緊張しているのに。こんなに緊張している奴と話しても楽しいはずがないのに。なぜか彼女は楽しそうだった。彼女は誰に対しても笑顔でいられる人なんだろう。そんな事はわかっていたが、その笑顔を見るたびに私は彼女を好きになっていた。笑顔が見たくて必死で彼女の顔を見ようとした。もっと見たくて彼女の目と自分の目を合わせようとした。挙動不審な男だったろう。彼女不思議そうな笑顔を浮かべていたように思う。可愛かった。

それから彼女との授業が緊張して苦痛でもあったのだが、待ち遠しくもあった。回数をこなせばこんな自分でも慣れるようで彼女と会話が出来るようになった。会話が出来るようになるともっと彼女を好きになった。でも、もちろん告白なんてしない。考えはした。「振られる。このままでいたい。そもそもなんで好きになったの。自分なんかと笑顔で話してくれたから好きになったんじゃ。他の女性でも話してくれたら好きになるんじゃ。それは失礼」こんなことは考えていたように思う。

そんな風に過ごしていると、唐突に彼女から告白された。

私は唐突だと感じたのだが、周りの人間から言わせるとそれは私が超の付く鈍感野郎だかららしい。しかし、それは間違っている。鈍感なのではない。私に対する恋愛感情としての好きというものが存在すると考えていないだけだ。

その告白に対して緊張しすぎて頭がおかしくなったのか「時間をください」と答えてしまった。即答で。そんな私に彼女はいつもの笑顔で「わかった。でも、期間を決めて欲しいな」と言ってくれた。期間を聞かれているにも関わらず、おかしくなった私の頭は「付き合うってどういうこと。なぜ付き合うの。どうなったら付き合うの」というおかしな質問を発することを決定してしまった。それに、彼女はまた笑顔彼女の答えを教えてくれた。その後も色々質問していたと思うが、思い出せない。とても恥ずかしい質問だっと思う。だが、そんな質問に彼女は全て答えてくれた。

「付き合って下さい」と私は言っていた。

まだまだ短い期間だが、その日から今まで彼女と大きな喧嘩もしながら付き合ってきた。彼女笑顔がもっと見たくて頑張った時もあった。彼女のことを見たくなくなった時もあった。今、彼女が横で寝ている。寝言を言いながら。

今、私は幸せだ。

彼女幸せだろうか。


慣れないタッチタイピングで思い出しながら書いていたら予想以上に時間を使ってしまい、時間が無くなってしまった。今年度の総括は上の1点でもう充分なのだが、新年度目標は書いておきたかった。ちょっとだけ書いておこう。


朝早く起きてしまって暇だったらまた増田をよごしに来るかもしれない。

2010-01-29

タッチタイピング

タッチタイピングができるようになるまでと、中級者のためのコツについてまとめてみた。

初級者(キーボードを見ながら打つ人・ホームポジションを守っていない人)

疲れない

よくかっこよさとか無駄な速さとか求めてどうするんだという人がいるが、そんなのは二の次。

今の時代PCを使わないで作業することはほとんどの人が避けられない道だろう。

タッチタイピングができるようになれば、目も頭も確実に疲れにくくなる。

これから先何十年間も無駄に疲れ続ける?

それとも、1~2ヶ月練習してタッチタイピング身につけちゃう?

タッチタイピングの最大の利点は「疲れない」これだね。

ホームポジションは最も効率が良い

やっぱり設計上最も効率的だし、ホームポジションは厳守しよう。

だからといって両手の全8本の指を1文字打つごとにホームポジションのキーの上に乗せろというわけではない。

本質的には「キーを打つ時はホームポジションで指定されている指を使うこと」が重要なんだ。

そしてそのためには両手人差し指はFとJについているポチに触っているようにするのが望ましい。

ホームポジションhttp://azby.fmworld.net/usage/quiz2/20060829/images/img_andmore01.gif

肘を少し開き、無理のない姿勢でFとJに両手人差し指を置き、そのままASDFとJKL+に指を置く。

手首を動かさないでそのまま上下の段のキーに届くようにし、

もし手首を返す形になるのであればパームレストになるものを用意すると良い。

さて練習方法について。

どのキーを何指で打つか

まずは上記URLの図を見ながら実際に指を動かしてみて、それぞれの指がどのエリア担当しているのか確認しよう。

ホームポジションを守っているとキーごとに打ちやすい指が割りあたっているのがわかるはず。

あ、一番上の段の数字が並んでいるところは使わないし、まだFとJ以外のキーを覚える必要もないから気楽にいこう。

最初にやるゲーム

EASYタイピングhttp://neutralx0.net/type01.html

まずはこのゲームを使う。初期設定のままでOK。

 1. 画面に表示されている単語を読む

 2. 次に打つキーが画面下にオレンジで表示されているので手元を見ないでそのキーを打つ

ポイントはF・Jに人差し指が置いてあることを念頭にどの指でどこを打つかを考えながらやること。

あとできれば声に出しながらやるといいように思う。手元を見ない癖を身につけること。

1日10分ずつでもいいから続けていけば、きっと得意なキー・苦手なキーがわかってくるので

そこを意識しながらまずは1週間頑張って。

EASYタイピングを繰り返していれば、段々オレンジの表示を見なくても打てるようになってくるだろう。

「大体指使いとキーの位置覚えたかも」と思ったら仕上げへGO

仕上げにやるゲーム

寿司打:http://typing.sakura.ne.jp/sushida/

設定はローマ字表示をOFFにするといい。(ONだと日本語じゃなくてそっちに目がいってしまう)

最初は普通のお手軽コース、慣れたらお勧めコース。

寿司打はミスをしないとスコアがどんどん伸びるので、落ち着いて入力すること。

30皿に到達できれば日常生活で不便ないだろう。

EASYタイピングにしろ寿司打にしろ「手元をみないで」「どの指を使うか意識しながら」行うことが重要なので、

キーがわからなくなったらむしろ上を向いて手探りで「う~ん…これ!」とかやってみよう。

雑にならないように打つべし!

最後に

チャットをすれば速くなる」というが、確かに速くなる。

しかしホームポジションを守らず自己流でやっては悪い癖がつくのでまずは正しい指で打つことを覚えること。

最近はいろんなタイピングゲームがあるので、基本を押さえたら手を出してみると楽しいと思う。

タイピング・オブ・ザ・デッドというゲームが爽快感あるので興味ある人は是非。

中級者向けの細かいコツ

  • Bは打ちやすいほうの手で
  • 「じ」は○ji×zi
  • 「ぁぃぅぇぉ」は○lalilulelo×xaxixuxexo
  • 「ぬ」は人中の順で
  • 「しゅ」「ちゅ」等のYUは人中の順で
  • 「てぃ」はTHI、「でゅ」はDHU、「うぇ」はWE等を覚える
  • ホームポジションASDF JIO+もしくはASDF JIOP
  • 「ん」は子音の前ではN1回
  • EndとHomeも見ないで打てるようにする(行頭・行末の移動は良く使う)
  • タイピングゲームでは鍛えられない部分として「、。」は実際の文章入力で鍛える
  • 実際の文章入力では変換やEnterのタイミングが地味に重要

2009-02-02

タッチタイピング重要

わかってないやつ大杉wwwww

EmacsVi勧めても、いやそもそもホームポジションなんて気にしてないしなんてぬかしやがる。

タッチタイピングタイピングスピード上がるかもしらんけど、それ以上にストレスが減るんだよ!

ストレスも減るから、タイピングも苦じゃなくなる。

仕事言語憶えるのはそれからだ。

タッチタイピングEmacs(xyzzy) or Vi

これ最強wwwww異論は認めねえwwwww

2008-12-14

起言

http://anond.hatelabo.jp/20081213220509 みたいに寝言で文章書けるのいいなあと思う。夢日記つけるの楽そう。寝てる時ってどうしても目閉じちゃうからキーボード見えないんだよね。タッチタイピングを身に付けるのが先か、開眼睡眠会得するのが先か、って感じで十年経過。まだ両方できてない。まぶたを透明化する技術の方が先に出てきそう。

それはそれとして、平日の様子を聞かれもしないのに増田に書くのは楽しそうなので、自分も書こうってさっき決めた。

朝か昼か夜
起きる。
起きてから数時間
朝で晴れてたらお洗濯。それ以外なら楽しいことをする。ごはん食べたり。
ごはん食べてから数時間
主に楽しいことをする。おやつ食べたり。
おやつ食べてから数時間
ごはん炊いたりする。その合間に楽しいことをする。
ごはん炊けてから数時間
ごはん食べたり今日あったこと話したり増田書いたりする。
寝る数時間
風呂に入る。その後お風呂から出る。
夜か昼か朝
寝る。

寝言増田も毎日楽しそうだけど、こっちも毎日充実してて楽しいよ。包み隠さない自分マッチした生活自慢。

2008-12-07

プログラマーになるために必要なたった一つのこと

タッチタイピング英語を打てる。

以上。

2008-11-30

自己診断してみる。

俺は自分が嫌いだ。

その理由は欠点だらけで自分のいいところなんて一つもないから。

じゃあ自分の好きなところが見つかれば自分を好きになれる光明が見出せるんじゃね?

ってことでちょっと考えてみた。

そういえばうちの高校での卒業制作クラス自分以外の人たちの良い所を書いたものだった。

それが封筒に小さい紙を束ねて入れただけのもので、自分はチープだなあと思ってたけど、

今思えば、わりといい線突いてたのかもしれないね。

その価値が分かっている人間クラスにいたとは思えないけど。

当時の自分クラス内で他人との関係を持つのを嫌ってたし、

そこまで関係を持たない人の良い所を見つけるなんて、お互いに有り得るのか?とも思ってたし、

一部の人皮肉を書いただけで、後は全員共通で当たり障りの無いことを書いておいた。

(最初は別に良い所でもなんでもなく「くたばれ!」としか書いてなかったけど、注意されてやめた)

そこからしてまず狂ってるよな俺。

もらった封筒の中身を見たことは一度もない。

同じように客観的に得点として評価してもらえるシステムに色々興味はあるんだけど、

Twitterのふぁぼったーは赤favもらったことが一度もない。

はてなスターももらったことはない。まあそもそも増田はてなスターもらえるかはわかんないけど。

記事のはてブのついた数はなんか違くね。

じゃあちょっと自分長所について考えてみる。まあないんだけどさ。

一度でも人から言われたことそうでないこと、思い当たる節を探ってみる。

ゲームについてそれなりに知識がある

んなもん三文の徳にすらならないでしょ。

それにDQとかFFとかゼルダとかFEとかMOTHERとかポケモンとか一回もやり通したことないんだよ。面倒くさい。

その上腕前がヘタクソだ。

大魔界村1周できないんだよ。怒首領蜂大復活1周すらできないんだよ。

ヘタな癖に知識だけを高らかに語るとか解説君の所業じゃないか。見苦しすぎるだろ。

これなら語れるってゲームも一つもない。

ゲームの知識なんて、あるだけ無駄だ。むしろ記憶から消し去りたいぐらい。

PCについてそれなりに知識がある

ない。「ベンチマーク?なにそれ?」程度の浅い知識。

クラスタッチタイピングが早いって思われてる典型。

大体、ゲーム好きなのにプログラムに興味が行かなかった時点でお察し。

・心情の機微を察知しやすい

色んな風に邪推してるだけ。真理を突けたことは一回たりとも無い。

国語現代文)の成績は良かった

いや悪い。客観的に見て評定が10点じゃなかったし。点数もすごいムラあった。

現代文に関しては、日本人なら勘である程度答えられて当たり前だよ。本まるで読んでない上、見て分かるとおり文章力0。

人を惹かせる文章なんて一つも書けない。文才という感覚がない。文章纏めるのも苦手なんだよ。知識も無い。

やっぱどう転がしても自分が好ける所なんて一つもないじゃないか。わかってたけど。

でも、自分(のここ)が好きだってのは、大抵は自己陶酔で、それって嫌悪対象じゃないの。謙虚じゃないよな。

そもそも、自分を好きになるのは理屈で解決できるのか?もっと感覚的なものじゃないのか?

だから周りの人に「俺を好きになってくれ!」って(心の中で)求めてるんだけど、無理だよなそんなの。

別にいくらエリートぞろいの増田でもこの文章から俺の良い所見つけ出せって言われてもそれは無理な相談だよね。

2008-07-21

一般人パソコン

某所で非常勤講師をやっている者です。

専門学校なので相手は高校生卒業した人が中心なんですが、2割ぐらいは主婦というか、年配の方もいらっしゃります。

教えている内容はパソコンの基本的なことと、WordとかExcelの使い方で

「今更こんなこと教える必要あるんだろうか?」

と思うような内容。さすがにそれだけでは申し訳ないような気がするので、

これからの時代に必要とされそうなネットリテラシー的なことも教えています。(SSL通信を確認しようね、とか)

で、そういう非常勤講師をやっていて気づいたのだけれど、割と多くの人は未だに

インターネットって何?」

という認識である、ということ。いや、それ以前に

パソコンって何?」

という認識の人が割といるという現実。年配の人とかに限らず、若い人でも多い。

タッチタイピングどころかマウスですら使えない。ダブルクリックドラッグなんて全然できない。

「基本なので、しっかり覚えてください」

「AIUEOの場所だけを覚えてください。それだけでほとんどの文字は打てるようになります」

とお願いしても、授業中は頑張るがそれっきり。次の授業では綺麗さっぱり忘れて人差し指タイピング

ゲームとかインターネットを教えて、

ネット無料でできる(学校の)環境は恵まれてますよ!」

とか言っても全然興味を示さない。そもそも、PCなんて授業で使ってるだけで普段の生活では見たくもないらしい。

だから使わないし、いつまで経っても覚えられない。まぁ、それでも全然普段の生活には困ってないんだろうけど。

半数以上の人は、そういう面白い情報を教えてあげると喜んで飛びついてくれる。Twitterとか教えたら喜んでやると思う。

現にWordで図形の描き方を教えるだけでアンパンマンやらミッキーやらを喜んで作る。

友達と見せ合って非常に楽しんでいる。

でも、一部の人は何をどう頑張っても無理な気がする。

何か、人生に対する興味がPCとは無関係な空間にあるよう。

年賀状の作り方(といってもWordの用紙をハガキにするぐらいなのだが)を教えても、

授業で提出を求められているから作るのであって、年賀状を書くのにPCを使うなんて考えられないらしい。

そもそも、パソコンなんて言ってみれば配電盤の中身とか、車のエンジンルームのようなもので、

専門家が上手くやってくれればそれでよくて、自分たちが何かをする所じゃない、という認識なのだろう。

昔から個人的な意見として政治世界はもっとインターネットを有効活用すべきだ、と思っていたが、

こういう現実を目の当たりにして、それは全くの間違いだと気付いた。

インターネットを通して見える世界っていうのは、本当に偏った世界なんだ、と。

犬と猫の意見を集める時に、犬の意見だけを集めているような、

そもそも根本的に偏った世界なんじゃないだろうか、と。

2008-04-04

大往生?90年代を代表する批評家東浩紀が死去!

最近何かと批評界(半径50cm)を騒がせて絶好調の宇野常寛きゅん。

あずまんをdisってまた話題になるの巻。

ナンパ師”でも“ギャルゲーマー”でもない、第三の道を!

http://www.sbcr.jp/bisista/mail/art.asp?newsid=3305

あずまんとのラジオ対談で「お前宮台派だろ?」と詰め寄られた多弁だけが取り得の宇野きゅんは

何も言い返せずに「うわーん」と泣きながらその場から逃走したが、自分の家に帰ると勇気100倍!

軽快にタッチタイピングし「俺は宮台派でも東派でもないぜ!」とポジショニングの表明をした文章。

調子に乗ってブルセラエロゲーから批評界を奪い取ってやるぜと宣言しているんですがこれにあずまんが大激怒!

ちょっとひとこと。

http://www.hirokiazuma.com/archives/000390.html

あずまんの読者は思想恋愛欲求を解消しようとしているラブゾンビ!との宇野きゅんの的確な指摘に冷や汗たらたらのあずまん。

本心は「そのとおり!エロゲなんてやめてさっさと俺みたいに結婚しろ」なんて思っているのにそんなこと言うと

読者が離れて娘が餓死しちゃうから「俺の読者はそんなんじゃない!俺の読者は正しい!だから本買いつづけてね」と必死にセールス

しかし哀れあずまん・・・。宇野きゅんのトラップに見事ひっかかってしまっているのでした。

前記の宇野きゅんの文章をよーく見てみましょう。

僕のこの文章にカチンと来たそこのあなたは間違いなくラブゾンビだ。

もしくはそのゾンビどもの歓心を買いたい人だ。

ずぎゃーん!!

何ということでしょう。あずまんは自らがラブゾンビであることを認めてしまいました。痛たたたたた・・・。

ヒットポイント残りわずかのあずまん。ぼろぼろに弱ったところを颯爽と宇野きゅんがトドメを指すのかと思いきや若造らしい爪の甘さで

美味しいところは全部持っていかれてしまいました。ここぞとばかりに傷口に大きな蹴りを入れて絶命せしめたのは山形浩生さんでした。パチパチ。

かくして必死に延命を企てていた90年代ゾンビことあずまんはやっとここで息を引き取ったのでした。めでたしめでたし

次回予告

師匠の死を耳にして消息不明だったあの男が蘇える!?

次回「若手のホープは俺だ!復活!佐藤心

ご期待ください。

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